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2018/11/16

和漢三才圖會第四十三 林禽類 鶯(うぐひす) (ウグイス)

Uguisu

うくひす 黃鳥 黃𪈹

     倉庚 青鳥

【鸎同】

     黧黃 黃袍

     搏黍 楚雀

イン 黃伯勞 金衣公子

 

本綱鶯狀大於鸜鵒雌雄雙飛体毛黃色羽及尾有黑色

相間黑眉尖觜青脚立春後卽鳴麥黃椹熟時尤甚其音

圓滑如織機聲乃應節趨時之鳥也【說文倉庚鳴則蠶生月令倉庚二月鳴】

冬月則藏蟄入田塘中以泥自裹如卵至春始出

肉【甘溫】此鳥感春陽先鳴所以補人食之令人不妒

三才圖會云州毎至冬月於田畝中得土堅圓如卵者

輙取以賣破之鶯在其中無羽毛候春始生羽破土而出

渚山記云鶯如鴝鵒而色蒼毎至正二月鳴曰春起至三

月止鳴曰春去採茶之候也呼爲報春鳥

 拾遺鶯の聲なかりせは雪消ぬ山里いかて春を知らまし

△按鶯【和名宇久比須】〕 出于和州奈良爲上信州奈良井之産

 次之形似目白鳥而肥黧黑而黃色腹灰白眼纎觜細

 尖而觜脚掌共灰黑色眉有三毛灰白長二三分吻有

 三髭長四五分雌及未老者其毛短鳴則揺尾冬月如

 曰喞喞似人舌皷至立春始囀季春止其聲清亮圓滑

 飛啼則急而長如曰法華經或如曰古計不盡或如曰

 月星日【謂囀三光】和州人畜鶯雛時教之以口笛竟令囀三

 光而後又置雛於側亦令習之今往往有之蓋鶯形色

 和漢大異也但立春始囀也聲清亮也古今詩歌稱美

 之者和漢不異也冬月蟄於土之説未知是非倩因土

 地物有異同也不唯鶯而蕪菁【湖東者微紅而長湖西者正白而圓】纔隔

 地異其形

 

 

うぐひす 黃鳥 黃𪈹〔(こうり)〕

     倉庚 青鳥

【「鸎」も同じ。】

     黧黃〔(りこう)〕

     黃袍〔(こうはう)〕

     搏黍〔(はくしよ)〕

     楚雀

イン 黃伯勞 金衣公子

 

「本綱」、鶯、狀、鸜鵒〔(はつかてう)〕より大なり。雌雄、雙飛〔(さうひ)〕す。体の毛、黃色。羽及び尾、黑色有り〔て〕相ひ間〔(まぢ)〕はる。黑き眉、尖れる觜、青き脚。立春の後、卽ち、鳴く。麥、黃ばみ、椹(くはのみ)、熟する時、尤も甚し。其の音〔(こゑ)〕、圓滑にして機〔(はた)〕を織る聲のごとし。乃〔(すなは)〕ち、節に應じて時を趨〔(お)ふ〕の鳥なり【「文」、『倉庚、鳴けば、則ち、蠶〔(かひこ)〕、生ず』〔と〕。「月令〔(がつりやう)〕」、『倉庚、二月に鳴く』〔と〕。】冬月には、則ち、藏蟄〔(ざうちつ)〕す。田の塘〔(つつみ)〕の中〔(うち)に〕入り、泥を以つて自〔(みづか)らを〕裹〔(つつ)み〕、卵のごとし。春に至り、始めて出づ。

肉【甘、溫。】此の鳥、春陽に感じて、先づ鳴く。人を補ふ所以なり。之れを食ひて、人をして妒(ねた)まざらしむ。

「三才圖會」に云く、『州、毎〔(つね)〕に冬の月に至りて、田畝の中に於いて土の堅-圓(かたまり)を得。卵のごとくなる者を、輙〔(すなは)ち〕取りて以つて賣る。之れを破れば、鶯、其の中に在りて、羽毛無し。春の始め、羽の生ふるを候〔(うかが)ひ〕て、土を破りて出づ』〔と〕。「渚山記」に云はく、『鶯、鴝鵒〔(はつかてう)〕のごとくして、色、蒼〔し〕。毎〔(つね)〕に、正、二月に至りて、鳴くを、「春起」と曰ふ。三月に至りて鳴き止む。〔これを〕「春去」と曰ふ。茶を採るの候なり。呼びて、「報春鳥」と爲す』〔と〕。

 「拾遺」

   鶯の聲なかりせば雪消えぬ山里いかで春を知らまし

△按ずるに、鶯【和名「宇久比須」。】〕は、和州奈良に出づ〔るを〕上と爲す。信州奈良井の産、之れに次ぐ。形、目白鳥に似て、肥え、黧黑(すゝぐろ)くして黃色。腹、灰白。眼、纎〔(ほそ)〕く、觜、細く尖りて、觜・脚・掌、共に灰黑色。眉〔に〕三毛有り〔て〕灰白、長さ二、三分。吻、三〔つの〕髭〔(ひげ)〕有り。長さ四、五分。雌及び未だ老いざる者は、其の毛、短し。鳴くときは、則ち、尾を揺〔(ゆる)〕かす。冬月、「喞喞(つゑつつゑつ)」と曰ふがごとし。人の舌皷〔(したつづみ)〕に似たり。立春に至り、始めて囀り、季春に止む。其の聲、清亮・圓滑、飛〔び〕啼〔くに〕、則ち、急に長く、「法華經」と曰ふがごとく、或いは「古計不盡(こけふじ)」と曰ふがごとく、或いは「月星日〔(つきほしひ)〕」と曰ふがごとし【「三光を囀る」と謂ふ。】。和州の人、鶯の雛を畜ひて、時々(をりをり)之れに教ふるに、口笛を以つてす。竟〔(つゐ)〕に「三光」を囀らしむ。後、又、雛を側に置きて、亦、之れを習はしむ。今、往往、之れ有り。蓋し、鶯の形色、和漢、大いに異〔(ことなる)〕なり。但し、立春に始めて囀や、聲〔の〕清亮なるや、古今〔の〕詩歌〔の〕之れを稱美するは、和漢、異ならざるなり。冬月、土に蟄(すごも)るの説、未だ是非を知らず。倩々〔(つらつらおもんみ)るに〕土地に因りて、物、異同有るや、唯〔(ただ)〕鶯のみならずして、蕪-菁(かぶら)【湖東は微紅にして長く、湖西は正白にして圓〔(まろ)〕し。】纔〔(わづ)〕かに地を隔〔つるも〕、其の形を異〔と〕す。

[やぶちゃん注:良安の言うのは、無論、スズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphone であるが(詳細亜種は後述)、前の「本草綱目」の叙述のそれは、大きさが有意に大きく、全身の主調色が黄色であったり、どぎつく黒い眉であったりという叙述に不審が起こる通り、スズメ目コウライウグイス科コウライウグイス属コウライウグイス Oriolus chinensis であって、これはウグイスとは全くの別種で、類縁関係はないので注意!(後述(引用中))

 私にとっては雀より遙かに親しい鳥で、春の到来は寝室のすぐ裏の山からの彼らの囀りで知り、二階にある書斎の窓の直近の山桜に飛来する彼らは、窓に倚る私を恐れない。本邦で見られるウグイスは以下の亜種(主にウィキの「ウグイス」に拠る。以下の引用もこちら)。

ウグイス Horornis diphone cantans(北海道から九州まで広く分布する普通種)

ハシナガウグイス Horornis diphone diphone(普通種と比較して、やや小型で嘴が長く、囀りは活発ではなく、縄張りは狭い)

ダイトウウグイス Horornis diphone restrictus(南大東島で大正一一(一九二二)年に二羽が発見・採集されたが、その後に記録がなく、絶滅したものと考えられていたが、二〇〇一年以降に沖縄本島と喜界島に棲息していることが確認された)

リュウキュウウグイスHorornis diphone riukiuensis(繁殖地は不明。越冬のため、冬に沖縄に飛来する。但し、現在、この種には有意に異なるグループが確認されており、分割される可能性があるようだ)

 日本三鳴鳥(日本に棲息する囀りが美しいスズメ目の三種を指す。ウグイスの他は、オオルリ(大瑠璃)Cyanoptila cyanomelana コマドリ(駒鳥)Erithacus akahige(リンク先はYou Tube の音声附動画)の一種。『種の範囲の定義により、分布域は多少変化するが、大まかにいって東アジアに生息する』。『現代的な分類でのウグイス(マンシュウウグイス』(Horornis diphone canturians)『を含み』、『チョウセンウグイス』(Horornis borealis:但し、現在の最新の分類学ではマンシュウウグイスとともに広義のウグイスに含められている)『を含まない)は、日本(南西諸島を含む)、サハリン、東部・中部中国で繁殖し、南部・東南部中国、台湾、東南アジアで越冬する』。『伝統的な(』二〇〇〇『年代までの)分類に基づく場合、「広義の (sensu lato) ウグイス」(チョウセンウグイスも含む)の繁殖地には南東シベリア、中国東北部、朝鮮半島が加わる。「狭義の (sensu stricto) ウグイス」(マンシュウウグイスも含まない)は、日本(南西諸島を含む)とサハリンのみで繁殖し、南部・東南部中国、台湾で越冬する』。『ハワイ諸島にも分布するが、これは日本から移入されたものである』。『日本ではほぼ全国に分布する留鳥。ただし』、『寒冷地の個体は冬季に暖地へ移動する。平地から高山帯のハイマツ帯に至るまで生息するように、環境適応能力は広い。笹の多い林下や藪を好むが』、『さえずりの最中に開けた場所に姿を現すこともある』。『英名の「Bush Warbler」は』、「藪で囀る鳥」を『意味している。警戒心が強く、声が聞こえても姿が見えないことが多い』。『体長はオスが』十六センチメートル、メスが十四センチメートルで、『スズメとほぼ同じ大きさ』。『翼開長はオスが』二十一センチメートル、メスが十八センチメートル。『体色は、背中がオリーブ褐色で、腹面は白色、全体的に地味である。雌雄同色』。『ウグイスの卵の長径は』一・八センチメートル、『ホトトギス』(カッコウ目カッコウ科カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus)『の卵の長径は二・二センチメートルで、『色はほぼ同じで、ホトトギスの托卵対象となる』(托卵については「林禽類 鳲鳩(ふふどり・つつどり)(カッコウ)」で詳述したので、参照されたい。なお、「杜鵑(ほととぎす)」は次項である)。『食性は雑食だが、夏場は主に小型の昆虫、幼虫、クモ類などを捕食し、冬場は植物の種子や木の実なども食べる』。『繁殖期は初夏で、オスは縄張りをつくり「ホーホケキョ」と』実に一日に一千回ほども『鳴くことがある』。『横穴式の壺形の巣をつくり』、四~六個の卵を産み、メスが雛を育てる』。『亜種のハシナガウグイスは』二~三『個の卵を産み、オスも雛への給餌を行う』。『さえずりは「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」、地鳴きは「チャッチャッ」』。『さえずるのは縄張り内を見張っているオスで、「ホーホケキョ」が他の鳥に対する縄張り宣言であり、巣にエサを運ぶメスに対する「縄張り内に危険なし」の合図でもある。「ケキョケキョケキョ」が侵入した者や外敵への威嚇であるとされており、これを合図に、メスは自身の安全のためと、外敵に巣の位置を知られないようにするため』、『エサの運搬を中断し』、『身をひそめる』。『平地にて鳴き始める季節が早春であることから』、「春告鳥(はるつげどり)」の』『別名があ』り、『本州中部あたりでは 』二『月初旬頃からさえずり始め』、八『月下旬頃までが』、『よく聞かれる時期』であるが、十『月頃まで』、『弱いさえずりが聞かれることがある』。『「ホーホケキョ」とさえずるのを初めて聞いた日を『ウグイスの初鳴日』と呼び、気象庁が生物季節観測に用いている』(以下は引用元の表現や引用に問題があるので、私がオリジナルに附した)。

 平安前期の歌人で書家としても知られた藤原敏行(?~延喜七(九〇七年)又は延喜元(九〇一)年:藤原南家巨勢麻呂流の陸奧出羽按察使藤原富士麻呂の子。従四位上・右兵衛督)は「古今和歌集」の巻第十 物名」の巻頭で(四二二番)、

    鶯(うぐひす)   藤原便行朝臣

 心から花のしづくにそぼちつつうくひずとのみ鳥の鳴くらむ

と詠じている。「心から」は「自(おのずか)ら」で「自分自身の意志で」の意。「うくひず」は「憂く干ず」と鶯」の掛詞。「自分から花の雫に濡れたのに、何ゆえに鶯よ、「厭だ! 乾かぬ!」とばかり鳴くのか? ということ(因みに、次も(四二三番)彼の歌で、

    郭公(ほとゝぎす)

 來べきほど時すぎぬれや待ちわびて鳴くなる聲の人をとよむる

とホトトギスと並べてある。「とよむる」は主説は「賛美して騒がせる」の意。以下、ウィキの引用に戻る。

『古くは鳴き声を「ウー、グイス」または「ウー、グイ」と聴いていて』、『和名の由来であるとする説がある』。『東京都台東区鶯谷の地名の由来は、元禄年間に京都の皇族の出である公弁法親王が「江戸のウグイスは訛っている」として、尾形乾山に命じて京都から』三千五百『羽のウグイスを取り寄せて放鳥し、以後鳴きが良くなりウグイスの名所となったという逸話に由来する』。『日本から持ち込まれたハワイに生息している種の鳴き声(さえずり)は日本に生息しているものと比較して単純化されている』、『と国立科学博物館の筑波研究施設が発表した』。『これはハワイでは縄張り争いや繁殖の争いが』、『日本に比べて激しくないためと推測されている』。「別名」の条。『春鳥(ハルドリ)、春告鳥(ハルツゲドリ)、花見鳥(ハナミドリ)、歌詠鳥(ウタヨミドリ)、経読鳥(キョウヨミドリ)、匂鳥(ニオイドリ)、人来鳥(ヒトクドリ)、百千鳥(モモチドリ)、黄鳥(コウチョウ)、金衣公子(キンイコウシ)、報春鳥(ホウシュンドリ)、黄粉鳥(キナコドリ)、禁鳥(トドメドリ)、初音(ハツネ)』『など多くの異称を持つ』(以下、下線やぶちゃん)。『「鶯」の漢字がさす鳥は』、『日本語と中国語では異なる。日本では、本記事のウグイスのことをさす』が、『古来』、『中国の漢詩等では別上科カラス上科のコウライウグイス』(高麗鶯:スズメ目コウライウグイス科コウライウグイス属コウライウグイス Oriolus chinensis:インド・インドネシア・カンボジア・シンガポール・韓国・中国・台湾・北朝鮮・バングラデシュ・フィリピン・ベトナム・ミャンマー・ラオス・ロシアに棲息し、日本には、主に日本海側に、渡りの途中、稀に飛来する旅鳥である。全長二十六センチメートル。嘴の基部から眼を通る筋模様(眼過線)が入る。眼過線は黒く、左右の眼過線が後頭部で繋がる。は全身が黄色い羽毛で覆われ、は羽毛が緑がかった黄色の羽毛で覆われる。平地から山地にかけての森林に棲息し、様々な鳴き声を上げるが、ウグイスとは全く異なる異様な(私にはその姿がグラサンを掛けた茶髪の不良少年のように見えるのと同じく、ウルトラ怪獣の異様な吠え声のように聴こえる)ものである(You Tube terumeMovie氏の「コウライウグイス」をリンクさせておく)。「黄鳥」等の名前で漢詩にも登場する(以上はウィキの「コウライウグイス」に拠った)しかし、これが本篇の「本草綱目」引用(冒頭標題の異名も総て含む)部(「巻四十九」禽部林禽類「鸎」。「本草綱目」の標題表記は「鶯」ではなく「鸎」であるので検索する場合は注意)での正体なのである! 則ち、その部分は本邦のウグイスではないコウライウグイスの記載として再読して戴く必要があるのである『のことである。両者とも美声を愛でられる鳥だが、声も外見も非常に異なり』、『分類的な類縁はない』(『現在の中国ではウグイス科』(Cettiidae)『は鶯科であり』、『ウグイスを「日本树莺」(日本樹鶯)と表記する。またコウライウグイス科』(Oriolidae)『は黄鸝科であり』、『コウライウグイスは「黄鸝」または「黄鳥」と表記する』)。ウグイスの『飼養は、古くから行なわれ、足利義政の頃に流行し、その弊害の大きさから法度において禁じられたが、江戸時代、とくに文化から弘化にかけて、流行し、徳川家治、徳川家斉もこれを愛し、小納戸役にお鳥掛という職を置いたほどであった』。その飼養法は、『一番子の雛を巣ごと持ち帰り、藁製の畚(ふご)に入れ、巣口を綿で覆い、その畚を小蒲団で包み、温かい室内に置き、雛が』、「ピピピ」と『鳴いて餌を求めたら』、『すり餌を与え、夜は暖房して寒さを防ぐ。羽翼が整って離巣するようになれば』、一『羽ずつ籠に移す。籠には親籠、雛籠、付籠、袖籠(付子の雛を持ち運ぶ)、旅籠(遠方に携行する)、水籠(水浴びさせる)などの種類がある。籠にいれたウグイスはさらに籠桶(こおけ)に入れる。籠桶はキリ製で、高さ』四十五センチメートル『ほど、幅』三十センチメートル『ほど、長さ』八十センチメートル『ほどで、正面は障子のけんどん』(倹飩:饂飩や蕎麦などの一杯盛りの食品を入れてきっちりと蓋をして落下しないように運ぶ箱のことを「倹飩箱」と称するように、上下又は左右に溝が切ってあって蓋の嵌め外しが出来るようになっている構造物の側面を指す『になっている。キリ製なのは、それ以外では、琴と同じく、鳴く音と調和しないからであるという。餌はすり餌が中心で、活き餌も用いる。すり餌は、玄米、米ぬか、青葉で作る。活き餌は、アオガエル、ヤナギの虫(ボクトウガの幼虫)、クサギの虫(コウモリガの幼虫)、エビヅルの虫(ブドウスカシバの幼虫)、イナゴなどである。その他、シンクイムシ、ミールワーム、ヨーロッパイエコオロギ、ヒメツメガエルなど』、『入手しやすい活き餌がある。時期的に早く鳴かせるには、夜飼法などの方法がある。これは夜、籠桶の障子をはずして燈火に向けるもので、これを鳥をあぶるという』。九『月中旬から始めて、冬から春にかけて鳴かせる。付子といって、親鳥が鳴く音を練習させる方法もある。親鳥の籠桶から約』二メートル『離れたところに雛の籠桶を置き、自然に鳴方を習得させるものである』とある。

 

「本綱……前に述べた通り、くどいが、ここは少なくとも「三才圖會」(ここ。国立国会図書館デジタルコレクションの当該原本の解説頁の画像。挿絵は前頁にあるので、左端の三角ボタンをクリック)パートまでは(「渚山記」(唐の元結の撰になる地理書)のそれは体色を「蒼」と称しており、或いは我々の言うウグイスを指している可能性があるので留保するが、恐らくは「鴝鵒〔(はつかてう)〕のごとくして」の部分からみて、同じくコウライウグイスと思われる)スズメ目コウライウグイス科コウライウグイス属コウライウグイス Oriolus chinensis の叙述と読み変えて、スズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphone の叙述に転じる良安の評言以下と、明確に区別して読まれたい。

「鸜鵒〔(はつかてう)〕」スズメ目ムクドリ科ハッカチョウ属ハッカチョウ Acridotheres cristatellus。さんざん述べたのであるが、「和漢三才図会」で良安は、この「鸜鵒」が如何なる種を指しているかについては混乱をきたしている。失礼ながら、東洋文庫版訳でもそれをはっきりと明示しておらず、言わせて貰うなら、そうした混乱があることに目を瞑って現代語訳しているとしか思われない(この「鸜鵒」という見慣れない鳥に東洋文庫は、まず、ルビを附していない。音読みさえ躊躇されるこれにルビがないというのは、まさに訳者がこれが現在の如何なる種であるを表記するのが難しいために、安易にソッポを向いて誤魔化しているのだとしか思われないということである)。その混乱・誤認については、「林禽類 鸜鵒(くろつぐみ)(ハッカチョウとクロツグミの混同)の注で私の推理を細かく示してあるので参照されたい。

「鸜鵒〔(はつかてう)〕より大なり。雌雄、雙飛〔(さうひ)〕す。体の毛、黃色。羽及び尾、黑色有り〔て〕相ひ間〔(まぢ)〕はる。黑き眉、尖れる觜、青き脚」総てがウグイスに当てはまらず、コウライウグイスに一致する形態である。

「節」時節。

「趨〔(お)ふ〕」東洋文庫訳では『趨(あわ)す』(「合わす」であろう)とルビするが、「趨」にはそのような意味はない。私は「追ふ」の意で採った。ある時節の到来を鋭く感知して(感応して)それに遅れることなく「追う」ように同時期に一斉に囀る、と採ったのである。

文」現存する中国最古の部首別漢字字典「説文解字」。後漢の許慎の作で、西暦一〇〇年)に成立、一二一年に許慎の子許沖が安帝に奉納した。本文十四篇・叙(序)一篇の十五篇からなり、叙によれば、小篆の見出し字九千三百五十三字、重文(古文字及び篆書体や他の異体字等)千百六十三字を収録する(現行本では、これより少し字数が多い)。漢字を五百四十の部首に分けて体系づけ、その成立を解説し、字の本義を記してある(ここはウィキの「説文解字」に拠った。判り切った書物なので、今まで出てきても注していなかったことから、ここで示した)。

「倉庚、鳴けば、則ち、蠶〔(かひこ)〕、生ず」春蚕(はるご)の孵化は太陽暦で四月上・中旬である。

「月令〔(がつりやう)〕」複数回既出既注。「礼記」の「月令」(がつりょう)篇(月毎の自然現象・古式行事・儀式及び種々の農事指針などを記したもの。そうした記載の一般名詞としても用いる)。

「藏蟄〔(ざうちつ)〕」穴籠り。巣籠りとしたくなるが、以下に見る通り、地面の中に卵状にメタモルフォーゼして冬眠するというので、文字通りなのである。なお、コウライウグイスは二股の枝の間にハンモック状に丸い籠状の巣を作る(この巣を見た古人は樹にロープを張ってハンモックを創始したともされる)。ウグイスは先の引用に『横穴式の壺形の巣』とするが、言わずもがなながら、土中ではないから、孰れでもこの叙述はおかしい。

「塘〔(つつみ)〕」堤。

「泥を以つて自〔(みづか)らを〕裹〔(つつ)み〕、卵のごとし」良安ばかりでなく、私たちにもこの記載は全く以って不審である。

「人を補ふ所以」漢方で人の精気を補益するところのもの。

「妒(ねた)まざらしむ」他者に対する妬(ねた)み心を消させる。順正な春の「陽」の気に依って、そうした精神安定の効験がある、というのである。一種の共感呪術である。

州」湖南・湖北地方の広称。

「毎〔(つね)〕に冬の月に至りて、田畝の中に於いて土の堅-圓(かたまり)を得」汎世界的に見られる、人間を含む生命の卵生説話の残滓か? 先の「陽」の気との関わりがあるように思われる。

「候〔(うかが)ひ〕て」雛自らが察して。

「渚山記」既注。

「拾遺」「鶯の聲なかりせば雪消えぬ山里いかで春を知らまし」「拾遺和歌集」の「巻第一 春」の、藤原朝忠(延喜一〇(九一〇)年~康保三(九六七)年:藤原北家三条右大臣藤原定方の五男)の一首(十番)、

   天曆十年三月廿九日内裏歌合に 中納言朝忠

 鶯の聲なかりせば雪消えぬ山里(やまざと)いかで春を知らまし

天曆十年はユリウス暦九一五年。「三月廿九日」はユリウス暦で三月十七日でグレゴリオ暦に換算すると三月二十二日に当たるから、現在なら、ウグイスの初音がもう聴こえている頃である。但し、当時はもっと気温が低かったから、或いはそれをまさに今かと待ち望む形の詠かも知れぬ。

「和州」大和。

「信州奈良井」現在の長野県塩尻市奈良井。木曾の三宿(奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿)の一つとして知られる。ここ

「目白鳥」スズメ目メジロ科メジロ属メジロ Zosterops japonicus

「黧黑(すゝぐろ)く」「黧」(音「レイ・ライ・リ」)は訓で「つしむ・つじむ」と読み、「青黒い斑点が附く・さらの基底色に色が附いて滲む」の意。

「二、三分」六~九ミリメートル。

「吻、三〔つの〕髭〔(ひげ)〕有り。長さ四、五分」一・二~一・五センチメートル。ウグイスの頭部の拡大画像を幾つか見ると、個体によっては、確かに嘴の上部や下部の基部にツンと出た羽毛があり、それをかく言っているものかと思われる。

「喞喞(つゑつつゑつ)」「喞」(音「ショク・ソク」)はそれ自体が「鳴く。すだく。虫が集まって鳴く)の意があり、「喞喞」(ショクショク)は「虫がしきりに鳴くさま・悲しみ嘆くさま」に使用する。後者は「喞」に「かこつ・不平を言って歎く」の意があるからである。「喞」の現代中国音は「」(ヂィー)でこの「つゑつつゑつ」は不審。単なるオノマトペイアとしても、この漢字は当てられないように思われる。

「清亮」音が清らかで澄んでいること。

「圓滑」滑(なめ)らかで、角立(かどだ)たないこと。

「古計不盡(こけふじ)」よく判らぬが、「古へを計(おしはか)りて盡きず」の意か? 次の「月星日」辺りから、時空間を知る智を比喩するか? 識者の御教授を乞う。

『「月星日〔(つきほしひ)〕」と曰ふがごとし【「三光を囀る」と謂ふ。】』「三光鳥」の名を和名に持つのは、スズメ目カササギヒタキ科サンコウチョウ属サンコウチョウ Terpsiphone atrocaudata(囀りが「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」と聴こえることに由る)やスズメ目アトリ科イカル属イカル Eophona personata(異名。「キーコー、キー」と聴こえることに由る。本種は「林禽類 桑鳲(まめどり・まめうまし・いかるが)(イカル)で既出)がいるので、注意が必要。

「蕪-菁(かぶら)」(原典のルビは「蕪」にしかないが、かく判断した)アブラナ目アブラナ科アブラナ属ラパ変種カブ(アジア系)Brassica rapa var. glabra

「湖東は微紅にして長く、湖西は正白にして圓〔(まろ)〕し」ウィキの「カブ」に『胚軸及び根は多くの場合』、『白色だが、赤色で赤蕪と呼ばれるものもあり、東日本に多いとされる』とある。]

2018/11/15

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート四



         
パート四

 

本部の氣取(きど)つた建物が

櫻やポプラのこつちに立ち

そのさびしい觀測臺のうへに

ロビンソン風力計の小さな椀や

ぐらぐらゆれる風信器を

わたくしはもう見出さない

 さつきの光澤消(つやけ)しの立派の馬車は

 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。

 五月の黑いオーヴアコートも

 どの建物かにまがつて行つた

冬にはこゝの凍つた池で

こどもらがひどくわらつた

 (から松はとびいろのすてきな脚です

  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか

  それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか

  氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです

  おまへさんたちの頰つぺたはまつ赤ですよ)

葱いろの春の水に

楊の花芽(ベムベロ)ももうぼやける……

はたけは茶いろに堀りおこされ

廐肥も四角につみあげてある

並樹ざくらの天狗巢には

いぢらしい小さな綠の旗を出すのもあり

遠くの縮れた雲にかかるのでは

みづみづした鶯いろの弱いのもある……

あんまりひばりが啼きすぎる

  (育馬部と本部とのあひだでさへ

   ひばりやなんか一ダースできかない)

そのキルギス式の逞ましい耕地の線が

ぐらぐらの雲にうかぶこちら

みぢかい素朴な電話ばしらが

右にまがり左へ傾きひどく乱れて

まがりかどには一本の靑木

 (白樺だらう 楊ではない)

耕耘部へはここから行くのがちかい

ふゆのあひだだつて雪がかたまり

馬橇(ばそり)も通つていつたほどだ

 (ゆきがかたくはなかつたやうだ

  なぜならそりはゆきをあげた

  たしかに酵母のちんでんを

  冴えた氣流に吹きあげた)

あのときはきらきらする雪の移動のなかを

ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き

往つたりきたりなんべんしたかわからない

   (四列の茶いろな落葉松(らくやうしやう))

けれどもあの調子はづれのセレナーデが

風やときどきぱつとたつ雪と

どんなによくつりあつてゐたことか

それは雪の日のアイスクリームとおなし

 (もつともそれなら暖爐(だんろ)もまつ赤(か)だらうし

     muscobite も少しそつぽに灼(や)けるだらうし

  おれたちには見られないぜい澤(たく)だ)

春のヴアンダイクブラウン

きれいにはたけは耕耘された

雲はけふも白金(はくきん)と白金黑(はくきんこく)

そのまばゆい明暗(めいあん)のなかで

ひぼりはしきりに啼いてゐる

  (雲の讚歌(さんか)と日の軋(きし)り)

それから眼をまたあげるなら

灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ

亞鉛鍍金(あえんめつき)の雉子なのだ

あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば

もう一疋が飛びおりる

山鳥ではない

 (山鳥ですか? 山で? 夏に?)

あるくのははやい 流れてゐる

オレンヂいろの日光のなかを

雉子はするするながれてゐる

啼いてゐる

それが雉子の聲だ

いま見はらかす耕地のはづれ

向ふの靑草の高みに四五本乱れて

なんといふ氣まぐれなさくらだらう

みんなさくらの幽靈だ

内面はしだれやなぎで

鴇(とき)いろの花をつけてゐる

  (空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる)

それらかゞやく氷片の懸吊(けんちよう)をふみ

靑らむ天のうつろのなかへ

かたなのやうにつきすすみ

すべて水いろの哀愁を焚(た)き

さびしい反照(はんせう)の偏光(へんくわう)を截れ

いま日を橫ぎる黑雲は

侏羅(じゆら)や白堊のまつくらな森林のなか

爬蟲(はちゆう)がけはしく齒を鳴らして飛ぶ

その氾濫の水けむりからのぼつたのだ

たれも見てゐないその地質時代の林の底を

水は濁つてどんどんながれた

いまこそおれはさびしくない

たつたひとりで生きて行く

こんなきままなたましひと

たれがいつしよに行けやうか

大びらにまつすぐに進んで

それでいけないといふのなら

田舍ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ

それからさきがあんまり靑黑くなつてきたら……

そんなさきまでかんがへないでいい

ちからいつぱい口笛を吹け

口笛をふけ 陽(ひ)の錯綜(さくさう)

たよりもない光波のふるひ

すきとほるものが一列わたくしのあとからくる

ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り

またほのぼのとかゞやいてわらふ

みんなすあしのこどもらだ

ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし

めいめい遠くのうたのひとくさりづつ

綠金寂靜(ろくきんじやくじやう)のほのほをたもち

これらはあるひは天の鼓手(こしゆ)、緊那羅(きんなら)のこどもら

 (五本の透明なさくらの木は

  靑々とかげらふをあげる)

わたくしは白い雜囊をぶらぶらさげて

きままな林務官のやうに

五月のきんいろの外光のなかで

口笛をふき步調をふんでわるいだらうか

たのしい太陽系の春だ

みんなはしつたりうたつたり

はねあがつたりするがいい

  (コロナは八十三萬二百……)

あの四月の實習のはじめの日

液肥をはこぶいちにちいつぱい

光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた

  (コロナは八十三萬四百……)

ああ陽光のマヂツクよ

ひとつのせきをこえるとき

ひとりがかつぎ棒をわたせば

それは太陽のマヂツクにより

磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた

  (コロナは七十七萬五千……)

どのこどもかが笛を吹いてゐる

それはわたくしにきこえない

けれどもたしかにふいてゐる

  (ぜんたい笛といふものは

   きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

 

みちがぐんぐんうしろから湧き

過ぎて來た方へたたんで行く

むら氣な四本の櫻も

記憶のやうにとほざかる

たのしい地球の氣圈の春だ

みんなうたつたりはしつたり

はねあがつたりするがいい

 

[やぶちゃん注:「乱」は総てママ。

・「さつきの光澤消(つやけ)しの立派の馬車は」「立派の」はママ。原稿は「立派な」であるが、「手入れ本」修正はなく、筑摩版全集校訂本文は「立派の」を採用している。

・「楊の花芽(ベムペロ)ももうぼやける……」ルビ「ベムペロ」(「へ」の半濁音「゜」)は「楊の花芽」四字へのルビであるが、原稿は「ベムベロ」(「へ」の濁音「゛」)で、誤植である。但し、「正誤表」にはなく、宮澤家「手入れ本」はこのリーダを除去しているものの、「ベムぺロ」はママである。全集本文は原稿と同じ「ベムべロ」である。nenemu8921氏のブログ「イーハトーブ・ガーデン」(美しい写真有り)の「やなぎ」に、『カワヤナギ』(ネコヤナギキントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属ネコヤナギ Salix gilgiana の異名)『の若い花芽を総称して、東北ではベムベロと呼』ぶとある。

・「muscobite」はママ。原稿は「muscovite」(モスコヴァイト・白雲母)で誤植であるが、「正誤表」にはない。「手入れ本」では修正されている。無論、全集本文は正規の綴りである。白雲母は当時のストーブの耐熱の覗き窓に使われていた。私はそれが使われた実物を見たことがある。

・「ひぼりはしきりに啼いてゐる」「ひぼり」は「ひばり」の誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」にはこの補正はないが、宮澤家本でこの一行を「鳥は頻りに啼いてゐる」に直してある。無論、全集校訂本文は「ひばり」に訂している。

・「いま見はらかす耕地のはづれ」の「見はらかす」はママ。総てでママ。

・「懸吊(けんちよう)」ママ。「懸吊」(現代仮名遣「けんちょう」)は「かけつるすこと」の意。原稿は「けんちやう」であるから誤植であるが、これも誤字で、正しい歴史的仮名遣は「けんてう」手入れ本の修正はない。

 

「本部の氣取(きど)つた建物」「本部」は既出既注であるが、再三、引かさせて戴いているギトン氏の「ゆらぐ蜉蝣文字」の「第3章 小岩井農場」の、「《N》 降りしきる魂のしずく 【27】 小岩井農場・パート4」に(今回の注は多くをギトン氏のお世話になる同性愛画像の注意注はもう附さないのでリンク・クリックは自己責任でお願いする)、『《農場本部》の建物は、明治』三六(一九〇三)『年建築の』二『階建て木造建物で、現在も使われています。見るからに洒落た明治時代風(鹿鳴館風?)の木造建築で、当時は、飾りつきポーチ、バルコニー、時計台、望楼が付いていました』。『「気取った建物」と言っているのは、そのことでしょう。現在は、バルコニーと時計台が無いようですが、修築があったのでしょうか』とあり、先にも示した写真地図附きの別ページのリンクが示されてある。私は二十六前に修学旅行の引率で一度訪れたが、入口で待っていただけで、遂に何も見ずに終わった。つくづく惜しいことをしたと思う。妻が足が悪くなった今は、訪れても、農場を歩き回ることはもう望めないからである。

「櫻」前注冒頭にリンクしたギトン氏の解説に『今も《本部》の脇にある老桜(当時は若木)のようです』とある。まだ、あったのだ。

「觀測臺」同じくギトン氏の解説に、『農場が国の依頼で気象観測をしていたのだそうです。盛岡測候所が開所したのは』大正一二(一九二三)『年で、それまでは岩手県の内陸には、公の気象観測施設がありませんでした。そこで、水沢の天文台で気象観測を行なう一方、各地の事業所に国が依頼して、気象観測場所を設けていたそうです』。『小岩井農場では、《農場本部》のすぐ近くに、本部の屋根よりも高い気象観測用の櫓を建て、風力計、風信器(風向計)などの気象観測機械を置いて観測していました』とある。ギトン氏のこちらの別ページで、明治三七(一九〇七)年頃の小岩井農場本部とその気象観測台(右手に立つ櫓)の写真が見られる。但し、ここがポイントで、実はこのロケーションでは、この写真にある「觀測臺」は実は、もう無くなっているのである(後注参照)。

「ロビンソン風力計」ロビンソン風速計(Robinson's cup anemometer)のこと。三個又は四個(現行は軽くするために三個が主流)の半球形の風杯(賢治の謂う「椀」)をつけた風速計。一八四六年にアイルランドのた天文学者トマス・ロムニー・ロビンソン(John Thomas Romney Robinson 一七九二年~一八八二年)が考案した。日本の風観測で最も親しまれた風速計で、風程(ふうてい)百メートル毎に電気接点が開閉するようになっていて、電気盤又は自記電接計数器とともに使用され、平均風速を測定する。但し、風速や風の乱れの大小によって、風杯の回転が変化し易い欠点がある。現在の気象庁では明治一九(一八八六)年から昭和三五(一九六〇)年頃まで使用された。以降も、鉄道の鉄橋・高速道路の橋桁・ビルの屋上などで見かけられる(以上は主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「風信器」風向計(anemoscopewind vane)の旧称。風向を測定する器械で昭和二五(一九五〇)年以前は「風信器」と呼んだ。矢羽根を使って、その位置を機械的に自記させるもので、矢羽根の位置の変化を電気抵抗の変化に変えて記録電流計で自記させるもの、または、風向角に従って等間隔に接点を附けておき、その接点の開閉によって風向を自記させるもの等がある。矢羽根には、垂直に取り付けた二枚羽根のものと 、一枚羽根のものがあり、全体の重心が支柱の上になるように作られてある。日本では当初、風向は「風信器」で、風速は「ロビンソン風速計」(風速計がない場合には目視に拠った)で、それぞれの観測が行なわれていたが、「気象観測法」が制定された明治一九(一八八六)年から、風向観測には風信器が、風速観測にはロビンソン風速計が、それぞれ使用されるようになった(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「わたくしはもう見出さない」細かいことを言うと、この「見出ださない」対象は、三行目の「そのさびしい觀測臺」から五行目の「風信器」のみが、その目的語である。「氣取つた」「本部の」「建物」やその傍らに植えてある「櫻やポプラ」はあるけれど、その横に立っていた「觀測臺」(櫓)を、私は、今はもう、見出すことが出来くなってしまった、と謂っているのである。残存する「下書き稿」には、ここは、

   *

あすこが本部だ。觀測台は無い。

全く要らなくなったのだ。

要らなくなるのが當然だ。

   *

と記した後、全集編者によれば、『この行の次に何かを挿入しようとして、余白へ線を引き出しいるが、その先に何も』書いてはいない、とある。これは気になる。「要らなくなるのが當然だ」とそっけない割に、何か書き加えたかった詩人の感懐の余韻が垣間見える。そもそも、冷徹に「全く要らなくなったのだ」から、「要らなくなるのが當然だ」という意識であれば、事実としても景観としても「全く要らな」いむさ苦しい盆踊りの櫓みたような(先のギドン氏の写真を見られよ。但し、賢治がそう思ったわけではない。私の比喩である)不要物であったのなら、それを敢えて、かく決定稿で出す必要が、ない、からである。彼がここで、無いものをわざわざ詠み込んだのは、そこに消えた「觀測臺」への懐かしさと幽かな哀感が詩人を捉えたからではなかったか? さても、ギトン氏のこちらの解説によれば、『農場に残っている記録によると、これらの観測器機は、観測方式が地上観測に変わった』大正一〇(一九二一)『年ころに観測台から、耕耘部構内に移されたとなってい』るとあり、本詩篇の創作は翌年の五月二十一日である。即ち、『賢治が来た時には、観測台自体が、もう取り壊されて無くなっていたのです』として、先に掲げた「下書き稿」を引かれ、『非常に素っ気無い言い方をしているのは、おそらく、これ以前に、観測機械が撤去されたカラの観測台を、すでに見ていたのだと思います』。『観測をしなくなったのだから、櫓を置いておく必要が無くなった、それで、取り壊された──当然のことじゃないかと言っている訳ですが、ここにはむしろ、取り壊された観測台に対する愛惜の念が、過剰と思えるほど現れています』。と言い添えて上で、さらに本決定稿では、『観測機械を取り払われたカラの櫓があった時のようすが、《心象》の中に現出しているわけです。「さびしい観測臺」という名指しは、用の無くなったヤグラの寂しさですが、作者としては、今はもう存在しないヤグラに対する愛惜の気持ちを含んでいることになります。賢治がカラの観測台を見たのは、雪に埋もれた』一『月だけではなく、前年の無雪期にも来ているのではないかという気がします。いずれにしろ、賢治は、気象観測機械があった時には、たいへん気に入って、ここを通るたびに眺めていたのだと思います。というのは』「銀河鉄道の夜」に『描かれている《アルビレオの観測所》は、ここのロビンソン風力計をモデルにしていると思われる』からで、『賢治は、ロビンソン風速計の形と動きに、とくべつな愛着を持っていたのだと思います』。『「アルビレオの観測所」の屋上に設置された「サファイアとトパース」』二『つの球は、二重星(食変光星)を思わせますが、また、ロビンソン風速計の風杯からヒントを得たようにも思えます』。『「水の速さをはかる器械です…」という鳥捕りの説明は、検札が来たために途中で切れてしまいますが、もし最後まで説明したら、“地球から見れば、この空間全体が天の川なのだから、天の川の水とは、いま窓の外を吹いている風のことなのだ”という説明になったはずです』と推察されており、私もこれに激しく共感するのである。ギトン氏が別ページで引用されている、「銀河鉄道の夜」の当該箇所(第九章「ジョバンニの切符」の冒頭部)を筑摩版校本全集第十巻を参考に、促音等はママで、恣意的に漢字を正字化して示しておく。

   *

 

        〔九、〕ジョバンニの切符

 

「もうここらは白鳥區のおしまひです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの觀測所です。」

 窓の外の、まるで花火でいっぱいのやうな、あまの川のまん中に、黑い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるやうな、靑寶玉と黃玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしづかにくるくるとまはってゐました。黃いろのがだんだん向ふへまはって行って、靑い小さいのがこっちへ進んで來、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな綠いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、たうたう靑いのは、すっかりトパースの正面に來ましたので、綠の中心と黃いろな明るい環とができました。それがまただんだん橫へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、たうたうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黃いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんたうにその黑い測候所が、睡ってゐるやうに、しづかによこたはったのです。

「あれは、水の速さをはかる器械です。水も……。」鳥捕りが云ひかけたとき、

「切符を拜見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立ってゐて云ひました。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

文中の「靑寶玉」は「サファイア」、「黃玉」は「トパーズ」のこと。現行の諸本ではそのようにルビする(但し、本文の後に出る通り、賢治は「トパース」と読んでいる)。二箇所の「たうたう」は底本のママ。「外れて」は「それて」。

「いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。」今頃、あの馬車は、どこかの隅の方で、忘れられたように停まっているのであろうし……。

「五月の黑いオーヴアコート」これはパート二に登場した、途中の道で詩人の「うしろから五月のいまごろ」なのに、「黑いながいオーヴアを着」て「やつてくる」「醫者らしいもの」のことを指している。

「冬にはこゝの凍つた池で」/「こどもらがひどくわらつた」この二行によって、この二行と以下の「(から松はとびいろのすてきな脚です」/「向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか」/「それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか」/「氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです」/「おまへさんたちの頰つぺたはまつ赤ですよ)」の丸括弧挿入部の時制が冬に巻戻って、氷結した池でスケートをする少年たちと詩人のシークエンスが描かれる。ギトン氏のこちらによると、『農場に保存されている当時の日誌には、《本部》の下にある池が冬季に厚く結氷するので、職員たちが終業後に除雪作業をして、スケート場にしていたことが、記されているそうです。この池は、長径十数メートルほどの池で、ふだんは蘆や水草に被われています』(これは岡澤敏男著『賢治歩行詩考 長篇詩「小岩井農場」の原風景』(二〇〇五年未知谷(みちたに)刊)に拠るとある)。以下、『つまり、農場職員の正規の仕事としてではなく、職員と家族のレクリエーションとして、池を除雪してスケートをしていたわけです。「屈折率」「くらかけの雪」の』大正一一(一九二二)年一月六日の『日誌』(農場のという意味であろう)『には、天候は「半晴」、「スケート場の手入れ」と記されているそうです。なお、子供用の小さい足のスケート靴が、当時入手できたとは思えないので、「スケート」と言っても、子どもたちは、わらぐつなどで滑ったり転んだりして遊んだの』であろうと注記されておられる。

「から松」裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi。漢字表記は「落葉松」「唐松」。

「とびいろ」鳶色。トビ(タカ目タカ科トビ属トビ Milvus migrans)の羽毛の色のような赤みがかった茶色。

「葱いろの春の水に」ここで時制が現在に戻る。

「楊の花芽(ベムベロ)」この方言の語源は捜し得なかったが、ネットを見る限り、現在でも東北地方で普通に用いられているようである。賢治の大正六(一九一七)年四月の歌稿の中に、

 ベムベロはよき名ならずや Benbero の短き銀の毛はうすびかり

という一首を見出せる。

「廐肥」「きゆうひ(きゅうひ)」と読んでおく(「うまやごえ」という訓もあるが)。家畜の糞尿や敷き藁などを腐らせた肥料。遅効性であるが、有機質に富む。

「天狗巢」前パートに既出既注。

「いぢらしい小さな綠の旗を出すのもあり」天狗巣病は最終的には枯死に至るが、即座にそうなるわけではないから、小さな葉(花を咲かせないのが本病の特徴であるが、ごく稀に花も咲くようで、ギトン氏の画像のこちらに実例写真がある)生ずる。

「遠くの縮れた雲にかかるのでは」ごく高い位置に出現した天狗巣病の塊りを指していよう。

「育馬部」パート三の最後の注を参照されたい。

「キルギス式の逞ましい耕地」「キルギス」(Kirghiz)は古代よりモンゴル高原北西部のエニセイ川上流にいたトルコ系民族。十三世紀頃から天山山脈北西部に南下した。十九世紀後半、ロシアに征服された。現在はキルギス共和国の主要民族。中国文献では「堅昆(けんこん)」「結骨(けつこつ)」「黠戛斯(かつかつし)」などと記す。ギトン氏のこちらによれば、『この「逞ましい耕地の線が/ぐらぐらの雲にうかぶ」と言っているのは、「下丸2号」という20ヘクタールを超える広大な畑のことで』、『《農場本部》の西側、「馬トロ』『軌道」(現在のバス通り)と川(越前堰)の間のスロープを占めていたそうです。広いスキー場くらいある耕地面が、緩やかなスロープを作り、その果ては雲の中に消えてゆくようだったといいます』(前出の「賢治歩行詩考」に拠るとする。因みに、前に少し触れた、この「馬トロ軌道」については、『小岩井農場にあった簡素な軌道馬車で、荷物の運搬や作業員の移動に使っていました。「トロ馬車」とも言います。この』大正一一(一九二二)年『当時は、《農場本部》付近と、育牛部近くの製乳所(現在、県道沿いに土産品売店があるあたり)の間を結んでいましたが、まもなく小岩井駅まで延長されま』した)と注がある。ギトン氏は『「キルギス式の逞(たく)ましい耕地の線」とは、この広大な耕地に、草原を疾駆する遊牧民キルギスの精悍なイメージを重ねているのだと思います』と述べておられる。その通りと思う。ギトン氏の「小岩井農場 略図⑴」の拡大図の左下方中央辺りかと推測される。

「みぢかい素朴な電話ばしら」同前のギトン氏の解説に『小岩井農場内の各所と、盛岡市内にある肥料店をむすんでいた私設電話線』の電信柱とある。

「(白樺だらう 楊ではない)」宮澤家「手入れ本」では、ここから実に十四行(「おれたちには見られないぜい澤(たく)だ)」まで)に斜線を附している。

「たしかに酵母のちんでんを」/「冴えた氣流に吹きあげた」積もった粉雪を「酵母の沈殿」と換喩し、馬橇が捲き上げた雪煙をかくスケール大きく表現したもの。

「セレナーデ」(ドイツ語:Serenade(南ドイツ・オーストリアでは「セレナーデ」、北ドイツでは「ゼレナーデ」と発音する)音楽用語としては、十六世紀以後、「夕べの音楽」を意味し、小夜(さよ)曲又は夜曲とも訳される。元来は、夜、恋人の窓辺でギターを奏でながら歌う歌であり、ここはそれでよい。なお、それを口笛で吹く「ひと」とは無論、詩人自身である。このやや狂乱をせ感じさせる冬の日の行動について、ギトン氏はこちらで、私が前に「習作」の注で示した、心の友とも思っていた保阪嘉内との関係の急激な悪化を大きな要因の一つとして挙げ、この『極寒の地吹雪に身を曝さなければならない“灼けるような”煩悶』は、大正一〇(一九二一)年に『おける保阪との決裂、それにからんでの宗教的信念の動揺が、大きかったのだと思』うと述べておられる。確かに肯んぜられる。

「落葉松(らくやうしやう)」先に注したカラマツ。

「それは雪の日のアイスクリームとおなし」この唐突な表現は、まず「下書き稿」の当該部分が大きな糸口となる。ソリッドなパートを抜き取る(促音は正字化した・「体」は本書で略字が多く認められることから、ママで表記した)。

   *

冬の間だつて雪が堅くなつて

馬そりがあつた位だ。

あのときはきらびやかな

ふゞきのなかでおぼつかない

セレナアデを吹き往つたり來たり

何べんおれはしただらう。

けれどもあの變てこなセレナアデが

透明な風や吹雪とよく調和してゐた。

一体さうだ。あの白秋が

雪の日のアイスクリームをほめるのも同じだ。

もつともあれはぜいたくだが。

   *

これによって、「雪の日のアイスクリーム」は賢治のオリジナルな幻想的感覚的表現ではないことが明らかとなる。賢治の残された著作類には、彼の名は殆んど認められないようであるが、千田孝之氏のサイト内の、今野真二著「北原白秋ー言葉の魔術師」(二〇一七年岩波新書刊の書評内に、宮澤賢治が本「春と修羅」初版本(千田氏は「雪と修羅」と誤記)を既に詩壇の大御所となっていた北原白秋(賢治より十一年上)に贈呈している事実が記されており、『賢治も咀嚼したうえで白秋のイメージを受け継いで』おり、『詩は概念よりもリズムこそ重要だ』、『という点で賢治と白秋は共通しているようだ』と言い添えておられる。「白秋」が敢えて「雪の日のアイスクリームをほめる」可能性は高いし、その感覚も腑に落ちるような気もする。というより、詩人或いは詩人気取りの人間は「雪の日のアイスクリーム」こそ美味なりと「ほめ」るような印象は「詩人」というレッテルの裏にこびりついた饐えた属性の一つとして嵌まり過ぎているとも言える。しかし、実は問題なのが、どうも「白秋が雪の日のアイスクリームをほめ」ている詩篇や短歌が存在しないようだということなのである(あれば、是非、御教授願いたい。さすれば、ここの注や多くの諸家の解釈は大きな変更を余儀なくされる大発見となる)。ここで私の考察は停滞してしまうが、このところお世話になっているギトン氏の「ゆらぐ蜉蝣文字」の「□第3章 小岩井農場」のこちらこちら(後者は少年の全裸画像があるので注意)では、知られた「東京景物詩及其他」(大正二(一九一三)年刊)の「花火」との関係性を指摘されている。所持する昭和二五(一九五〇)年新潮文庫刊「北原白秋詩集」(正字正仮名)を底本として「花火」を示す・太字は底本では「ヽ」である。

   *

 

   花  火

 

花火があがる、

銀(ぎん)と綠の孔雀玉(くじやくだま)‥パツとしだれてちりかかる。

紺靑の夜の薄あかり、

ほんにゆかしい歌麿の舟のけしきにちりかかる。

 

花火が消ゆる。

薄紫の孔雀玉‥‥紅(あか)くとろけてちりかかる。

Toron‥‥Tonton‥‥Toron‥‥Tonton‥‥

色とにほひがちりかかる。

兩國橋の水と空とにちりかかる。

 

花火があがる。

薄い光と汐風に、

義理と情(なさけ)の孔雀玉‥‥淚しとしとちりかかる。

淚しとしと爪彈(つまびき)の歌のこころにちりかかる。

團扇片手のうしろつき、つんと澄ませど、あのやうに

舟のへさきにちりかかる。

 

花火があがる、

銀(ぎん)と綠(みどり)の孔雀玉‥‥パツとかなしくちりかかる。

紺靑(こんじやう)の夜に、大河に、

夏の帽子にちりかかる。

アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。

わかいこころの孔雀玉、

ええなんとせう、消えかかる。

 

   *

これは明治四四(一九一一)年六月の作で無論、夏の情景である。また、この前年より白秋は隣家の夫人松下俊子と恋に落ちていた。この詩の書かれた翌年の七月、俊子が白秋のもとに走り、夫(別居中)によって二人は姦通罪で告訴され、二週間に亙って未決監に拘置されている。以上の情景もそうした禁断の二人の映像なのである。ギトン氏は、この詩こそがここの原拠であるとされ、『賢治が、「白秋が/雪の日のアイスクリームをほめる」と言っているのは』、『「アイスクリームひえびえとふくむ手つき‥」』『「わかいこころの孔雀玉‥消えかかる」』『という部分だと思います』。『つまり、花火のように華々しく燃え盛った恋の情熱が、一瞬にして冷えてしまう状況を、情緒深く歌にしている部分です』。『それは「贅沢だ」と言うのです』。『おそらく、花火で比喩されるような華々しい恋を、「贅沢だ」と批判しているのでしょう』。『その一方で、「同じだ」と言っているのは、どんな意味でしょうか?』『賢治の口ずさむ「変てこなセレナイデ」(「変てこなセレナアデ」に推敲)は、白秋の場合とは逆に、胸のうちから溢れ出す・灼けるような情熱であり、それが、外部の吹雪によって冷やされる関係にあります』。『つまり、白秋の“花火  アイスクリーム”とは、逆の関係になっているのです』。以下でギトン氏は初版本のこの部分を示し、『白秋の名を伏せたのは、はばかってのことでしょうから、内容的には変更は無いと思います。つまり、「雪の日のアイスクリーム」は、白秋の詩「花火」を指しています』『(この暗示は、非常に判りにくいですが)』。『白秋の名を外したことから、「花火」と無関係な解釈をするなら、次のようになるでしょう』。『風・雪とセレナーデとの釣り合いが、「雪の日のアイスクリームとおなし」だと言っている意味は、セレナーデを口ずさみながら、極寒の地吹雪の中を歩き回るという特異な趣向は、寒い日に冷たいアイスクリームを食べるという季節外れの情趣にも比べられる』、『と』。『「風やときどきぱつとたつ雪」は、隅田川に打ち上げられる花火に相当する景物です。もとは厳しいだけだった地吹雪が、賢治の推敲の過程で、次第にそうした審美的な性格を帯びてきたのです』。『そして、「あの調子はづれのセレナーデ」とは、いかにもスマートで控えめな言い方ですが、じつは作者にとっては、極寒の吹雪にも釣り合うほどの熱い情念なのです』と解析しておられる。即ち、この核心には、吹雪をも瞬時に蒸発させる賢治の熱烈な保阪嘉内への甘い「アイスクリーム」のような「暖爐(だんろ)」のように「まつ赤(か)」な「muscobite も少しそつぽに灼(や)ける」如き激しい恋情と、アンビバレントにそれを「おれたち」(複数形に注意!)「には見られないぜい澤(たく)だ」とする、それを内的に絶対零度に冷やすための凶暴な意思が働いていると私にも感じられるのである。私はこのギトン氏の解釈を、現在望み得る最も説得力のある解釈の一つとして強く推薦したい。

「ヴアンダイクブラウン」Vandyke Brown。油絵具の色名。腐食土が炭化した褐炭から、砂や木を除去して精製した顔料で、ややくすんだ茶色を指す。ヴァンダイクとは、バロック期のフランドル出身の画家アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck 一五九九年~一六四一年)で、宗教画・肖像画の名手として知られ、彼の作品に於ける暗褐色の色調の効果が絶妙であったことから、この色名に名が献ぜられた(英語の色名は彼の死後の一八五〇年の命名)。この色の絵具はまさに彼と同時代に登場した絵の具であった(以上は主に「きもの用語大全」の「ヴァンダイクブラウン」に拠った。リンク先で色を確認出来る)。

「耕耘」「かううん(こううん)」と読む。「耘」は「草を刈る」の意。田畑を耕し、雑草を取り去ること。耕して作物を作ること。なお、宮澤家「手入れ本」ではこの「春のヴアンダイクブラウン」と次行「きれいにはたけは耕耘された」は数本で抹消されてある

「白金(はくきん)」platinum(ラテン語)。元素記号 Ptウィキの「白金によれば、『学術用語としては白金が正しいが、現代日本の日常語においてはプラチナと呼ばれることもある。白金という言葉はオランダ語の witgoudwit=白、goud=金)の訳語である』。『単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する』とある。

「白金黑(はくきんこく)」黒色の粉末状の白金。塩化白金などの水溶液をホルマリンなどで還元して得られる、強力な酸化・還元の触媒として知られる。

「雲の讚歌(さんか)と日の軋(きし)り」ギトン氏はこちらで、『共感覚』(シナスタジア:synesthesiasynæsthesia:ある刺激に対し、通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象。例えば、文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりすることを指す。英語名 synesthesia は、ギリシア語で「共同」を意味する接頭辞「syn-」と、「感覚」を意味する「aesthesis」から名づけられたもの。感性間知覚とも称する。ここはウィキの「共感覚」に拠った)とされ、『雲と太陽の輝く強い光が、音として描写されている』とする。私も同感する。私の教え子にも単位の文字や文字列(それぞれ別色彩として感知されると言っていた)に色を感じる女生徒が一人いた。

「灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ」「蛇に似たもの」とは♂の「雉子」(キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor)の有意に長い尾を指している。

「亞鉛鍍金(あえんめつき)」鍍金工法の一種で、主に鉄の表面に施し、鉄よりもイオン化傾向の大きな亜鉛が優先的に腐食することで、鉄の腐食を抑制する。亜鉛は自ら溶解して水酸化亜鉛( Zn(OH)2 :白錆(しろさび))となる。ここはキジの体色としては附合しないので、多色を持つキジが、亜鉛鍍金が鉄を保護しているように、の中で一種の保護色を成していることを指しているものと思われる。

「山鳥」日本固有種であるヤマドリは本邦には、キジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii scintillans を始めとして五亜種が棲息する。キジとヤマドリの違いが判らない方は、私の和漢三才圖會第四十二 原禽類 野鷄(きじ きぎす)」及び「和漢三才圖會第四十二 原禽類 山雞(やまどり)」を比較されたい。

「山鳥ですか? 山で? 夏に?」この謂いは不審。ヤマドリは名は知られるものの、野外で出逢うことは実は稀れであることから、こんな挿入が入ったか。まあ、前で「山鳥ではないと言っているのだから、この一行は寧ろ、不要な感じがする。賢治の意図も判らぬ。

「向ふの靑草の高みに四五本乱れて」/「なんといふ氣まぐれなさくらだらう」/「みんなさくらの幽靈だ」不正列とランダム、桜は桜でも、このプロムナードで既に見たソメイヨシノ(バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属(サクラ亜属)品種ソメイヨシノ(染井吉野)Cerasus × yedoensis)の整然と豊饒に咲いた並木でない、「さくらの幽靈だ」と称していることから、これは、ギトン氏もこちらで指摘されておられるように(ギトン氏はこの後の部分でも複数回で考証されている。下部の「→次へ」を見られたい)、広義の通称「山桜」(標準種はサクラ属ヤマザクラ Cerasus jamasakura であるが、当該種は花は白い)の類であろう。しかも、後で「鴇(とき)いろの花をつけてゐる」とあるからには、これはヤマザクラに比べて、花や葉が大きく、花の色が淡紅色であることから、ベニヤマザクラ(紅山桜)の異名を持つ、サクラ属オオヤマザクラ Cerasus sargentii である可能性が濃厚である。

「内面はしだれやなぎで」ここは「下書き稿」では、

   *

そして向ふの高みに四五本乱れて

何といふ氣まぐれなさくらだ。

みんなさくらの幽靈だ。

精神はやなぎだ。そして鴇いろの花をつける。

もう寂しくないぞ。

誰も私の心もちを見て呉れなくても

私は一人で生きて行くぞ。

こんなわがまゝな魂をだれだつて

なぐさめることができるもんか。

けれどもやつぱり寂しいぞ。[やぶちゃん注:以下、略。]

   *

となっているから、これは実際の「枝垂れ柳」(キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica)を意味していないことが明らかになる。而してフィード・バックすると、「しだれやなぎ」に「幽靈」が呼応する。外見は妖艶な鴇色の花を飾り立てながら、その内実、精神はすでにおぞましい孤独な幽霊と化している、賢治は謂いたいのであろう。それは畢竟、絶対に現世では救出されることのない、賢治自身の孤独な精神を意味しているのではあるまいか?

「空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる」platinum sponge。塩化白金酸アンモニウム((NH4)2[PtCl6])を加熱或いは還元して得られる灰色の多孔質の海綿状物質。表面積が大きい、良好な白金触媒の一種。白金海綿を融解あるいは鍛造すると、塊状の白金が得られる。灰色の翳りを持った空の雲の一塊りが風に千切れるのを形容したものであろう。

「それらかゞやく氷片の懸吊(けんちよう)をふみ」天空に懸け吊るされてある「かゞやく氷片」は雲であるが、それを「ふみ」(踏み)行くのは、「ひとむらの」「ちぎれ」た「海綿白金(プラチナムスポンヂ)」である灰色のそれであるが、それに対し、賢治は「靑らむ天のうつろのなか」を「かたな」(刀)「のやうに」鋭く切り裂きつつ「つきすす」んで、「すべて水いろの哀愁を焚(た)」いて天空を焼き尽くし、同時に「さびしい反照(はんせう)の偏光(へんくわう)を」も「截れ」! と命じる(「偏光」とは光波の振動方向が規則的な状態を指すから、時空間の不可逆的な規律を破ることを命じていると採る)。それは今や、賢治の意識の中では、灰色ではなく、おどおどろしい「日を橫ぎる黑雲」へと変じている。これが、まさに賢治の時空間を溯る呪文であることが判る。それが以下の太古の恐竜の跋扈する中世代幻想へと、文字通り、「つきすす」むこととなるのである。但し、宮澤家「手入れ本」では「かたなのやうにつきすすみ」を「かたなのやうにつきすすめ」と命令形にしたあお、次行「すべて水いろの哀愁を焚(た)き」を縦線で消し、「さびしい反照(はんせう)の偏光(へんくわう)を截れ」から「水は濁つてどんどんながれた」までの七行にも「☓」印を附している。しかし、これらがない「パート四」は如何にも削げ落ちて瘦せたものとなり、面白さが半減する。あとの後半部の大幅な削除といい、この手入れの際の賢治が何を考えているのか、私には判らぬ。「宮澤賢治の詩の世界」の宮澤家「手入れ本」の全最終形を見られれば、一目瞭然である。これは異装をして詩人面をした若造の似非詩人の小手先で作った出来損いとしか言いようがないものに変貌してしまう。

「侏羅(じゆら)」ジュラ紀(Jurassic period)。約一億九千九百六十万年前に始まり、約一億四千五百五十万年前まで続く地質時代。三畳紀の次で白堊紀の一つ前に当たる中生代の中心時代(名前はフランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈に於いて広範囲に分布する石灰岩層に因む。以上はウィキの「ジュラ紀」に拠る)。

「白堊」白堊紀(はくあき:Cretaceous period)。約一億四千五百万年前から六千六百万年前の地質時代。ジュラ紀に続く時代で、中生代の終わりの時期に当たる(次代は新生代古第三紀の暁新世)。「白堊」の「堊(本来の音は「アク」で「ア」は慣用)」の字は「粘土質の土」、「石灰岩」を意味し、石灰岩の地層から設定された地質年代であるため、「白堊紀」の名がついた(「白亜」の「亜」は「堊」の同音の漢字による書き換え。以上はウィキの「白亜紀」に拠る)。

「爬蟲(はちゆう)がけはしく齒を鳴らして飛ぶ」中生代白亜紀後期に棲息していた、お馴染みの翼竜の一種である、爬虫綱†翼竜目翼指竜亜目オルニトケイルス上科 Ornithocheiroidea プテラノドン科プテラノドン属 Pteranodon のイメージ。

「田舍ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ」「ダブルカラ」は「double collar」(二枚襟)で、カッター・シャツなどの襟部分を、一部、色の違う布で二重に装飾したものを言う。私は持っていないが、画像を見ると、なかなか都会的にお洒落である。しかしここは「田舎」風とある。ギトン氏はここで、この言い方に着目され、これは『おそらく、本来のダブルカラー(二枚襟、または付け襟のシャツ)ではなくて、ノータイのワイシャツの襟をはだけて、上着の襟の外に出して重ねた着こなし』『のことではないでしょうか?』(『こういう着こなしを「襟乗せ」と云うそうです。ファッション性の高い服が増えた現在では、かえってだらしなく見えますが』)。『賢治は、ワイシャツの襟を黄色い作業服の襟の外に出して、気取って歩いていたのかもしれません』。『花巻農学校で宮澤賢治の同僚だった堀籠文之進氏』『によると、賢治は、この』大正一一(一九二二)年三月『頃から、「かたい感じがなくなっ」て「髪を伸ばしてポマードをつけたりし」ていたと言います』。『オシャレと言っても、賢治の場合はどれほどか判りませんが』、『ともかく、後世の私たちが見馴れたイガクリ頭の‘無欲質実’な写真は、どうやら“詐欺画像”のようです』とする。ここには、芸術的にも趣味嗜好に於いても、ある意味で洒落者であった現代人宮澤賢治の中に、それに反した反近代――原始人の集団的無意識への憧憬や超古代幻想への願望がパラドキシャルに存在していたことが私には強く感じられる。されば、「それからさきがあんまり靑黑くなつてきたら……」という以下の呟きは、当時の現在の現実社会に生きている賢治自身の憂鬱な色彩を意味しているように思われるのである。

「そんなさきまでかんがへないでいい」以下、眼前に見えてくる明るい、子らの登場する情景に転換する。ところが、宮澤家「手入れ本」では、驚くべきことに、次の行の「ちからいつぱい口笛を吹け」まででこの詩を終わらせているのである。「口笛をふけ 陽(ひ)の錯綜(さくさう)」を「口笛をふけ 陽(ひ)のふるひ」と直した後、ここから最終行までの四十二行に斜線を引いているのである。「宮澤賢治の詩の世界」の宮澤家「手入れ本」の全最終形を参照されたい。

「ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし」瓔珞(ようらく)は装身具及び仏堂・仏壇等の荘厳具(しょうごんぐ)の一種。古くはインドの貴族の装身具として用いられていたものが仏教に取り入れられたもので、菩薩以下の仏像に首飾り・胸飾りとして用いられているのをしばしば見かけ、寺院・仏壇等に於いて天蓋などの荘厳具として用いられることもある。しかし、既出のギトン氏の「《N》 降りしきる魂のしずく 【27】 小岩井農場・パート4」によると、『岡澤氏』(先に注した岡澤敏男著『賢治歩行詩考 長篇詩「小岩井農場」の原風景』を指す)『によれば、ポーチには瓔珞飾りが下がっていたそうです。「小岩井農場」と同日付の作品〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕は、賢治がどこかの寺院で瓔珞飾りを見て、触発されて書いたものと思っていましたが、《農場本部》建物の瓔珞だったのかもしれません』とある。ギトン氏の言う「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」は、渡辺宏氏のサイトで示すと、「心象スケッチ 春と修羅・補遺」の〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます(現存詩篇部分(冒頭部欠損))である。確かに、クレジットは『一九二二、五、二一』であり、全集年譜でも本篇「小岩井農塲」と同日の創作となっている。「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。〕」は全体が宗教的幻想であって、実際の寺院の瓔珞ではないように読め、この本部にあった飾りとしての瓔珞が一つの契機になっていた可能性は十分にあるように思われる。ここでは、日差しの中を行く子らの純真な存在とその笑い声・歌声を、菩薩の金色の瓔珞の輝きに比喩していると私は読む。ギドン氏もこちらで、『ここに描かれている「こどもら」が、現実に賢治の出会った子どもたちだったことを明らかにされたのは、岡澤敏男氏です。いま賢治が歩いているのが、農場本部から小岩井小学校の前を通ってゆく道すじであ』ったのであり、『通学の生徒たちに出会うことは当然に考えられてよいことなのです。「透き通るもの」、‘瓔珞を付けている’といったモディフィケーション』(modification:部分的な変更や修正)『はあっても、じっさいに会った生徒たちの姿をもとにしていると考えるのは自然です』と述べておられる。

「遠くのうた」遠い過去の古いわらべ歌の謂いか。

「綠金寂靜(ろくきんじやくじやう)」涅槃寂静(煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということ)に、この自然(但し、ここは厳密には鮮やかに建設されて管理された農場としての反自然・非自然なのであるが。それも恐らく賢治は認識していたであろう。それはまた彼をして憂鬱にさせることではあったに違いない)のロケーションに相応しい緑色を帯びた金色で形容したものであろう。「ほのほ」浄火としての炎。

「天の鼓手(こしゆ)、緊那羅(きんなら)」サンスクリット語の漢音写。元来はインド神話上の半神で、「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」のインドの二大叙事詩に多く現われ、美しい声で歌を歌い、また、馬の頭をしているともされる。仏教に取入れられて、羽を持った歌神と見做されている。仏陀の教えを守護するは護法善神の一尊として八部衆の中に含められている。音楽の神であればこそ拍子(リズム)を打つ「鼓手」ででもあろう。

林務官」明治二三(一八九〇)年に施行された旧々「刑事訴訟法」で司法警察官として犯罪を捜査すべき官吏を指定しているが、これに「林務官」という官吏が含まれており、林務官は当時の農商務省が国有林管理のために各地方へ設置した林区署及びそこに所属する営林関係職員を指し、これが営林関係職員を司法警察職員として指定した最初の例である(以上は「いんちきやかた 研究分館」の「森林管理局員」に拠った)

「コロナは八十三萬二百……」「コロナ」(Corona)は太陽の周りに見える自由電子の散乱光或いは太陽表面の最も外縁にある電気的に解離したガス層を指す。参照したウィキの「コロナ」によれば、太陽表面が』六千『度程度であるのに対し、コロナは』百『万度以上と非常に高温で』、太陽表面から『高度』五百キロメートルあたりから』、『温度が上昇し始め、高度』二千キロメートルを『境に』一万度から百万度まで『急激に上昇する。なぜ』、『コロナが発生するのか、そして表面から離れているにも関わらず』、『温度が上昇するかは』、『現在でもはっきりとは分かっていない。太陽表面の運動によりひき起こされた波(アルヴェン波』(Alfvén wave:磁気流体波の一種で磁場中のプラズマの中を伝わる横波)『)が衝撃波となって温度を上げているという説や、コロナ中の小さな爆発現象が温度を上げているなど諸説ある』とある。しかし「八十三萬二百」「八十三萬四百」「七十七萬五千」という変異する数値の意味は判らぬ。現在、コロナの温度が百万度以上とするから、これはコロナの温度とみてもおかしくはないが、それでは以下のシークエンスと続かない。これは、寧ろ、コロナとして、宇宙へ放射される自由電子の散乱光の、地球表面に到達する光の束をドンブリ勘定で言っているとするなら、腑に落ちるようにも思われなくはない。なお、このコロナの数値や「太陽マヂツク」という語は実は、賢治の散文と楽譜(初回歌詞附きで、その歌詞は原稿画像を見る限り、「コロナはしちじふろくまんにひゃく」(拗音「ゃ」は小さい)とある)の特異なコラボレイション童話「イーハトーボ農学校の春」(決定稿。初期題名は「太陽マヂツク」)にも登場している。同作は大正一二(一九二三)年から翌年年頃に書かれたと推定されており、本詩篇の後に書かれた強い親和性を持った作品である。その作中では、「コロナは六十三萬二百」・「コロナは三十七萬十九」・「コロナは六十七萬四千」・「コロナは八十三萬五百」・「コロナは六十三萬十五」・「コロナは三十七萬二千」・「コロナは八萬三千十九」・「コロナは十萬八千二百」・「コロナは三十七萬二百」という細かな数値の変化を見せて九回もリフレインされてある。「新校本 宮澤賢治全集」(一九九五年筑摩書房刊)を底本とした楽譜(但し、最初だけ)を添えたものが、「青空文庫」のこちらにあるのでリンクさせておく。

「あの四月の實習のはじめの日」これは直近の一ヶ月前(本篇は五月二十一日の作)の大正一二(一九二三)年四月となる(賢治の稗貫郡群立稗貫農学校教諭着任は前年十二月三日)。畑山博著「教師 宮沢賢治のしごと」(一九九二年小学館ライブラリー刊)の賢治自筆時間割の画像を見ると(五十一ページ所収。大正一四(一九二五)年のもの)、同校の実習は毎日、午後の第六限目(最終時限)に行われた。同書の『第八章 実習「イギリス海岸」』によれば、実習は二時間配当であったが、他の教師が休みなしで二時間みっちり実働させたのに対し、賢治は効率よく生徒を作業に割り当て、一時間実働させてそれをこなしてしまい、後の一時間は『畦に寝転んだりいろいろして、話をしてくれるのです』(賢治の教え子瀬川哲男氏談)とある。

「液肥」「えきひ」。糞尿の混合物の液体肥料。

「光炎菩薩太陽マヂツクの歌」先の「イーハトーボ農学校の春」には、冒頭に「太陽マヂツクのうた」がその楽譜とともに出、その後、ここと全く同じ「光炎菩薩太陽マヂツクの歌」が現われ、その後に「太陽マヂツクの歌」が三度、現われる。「光炎菩薩」とは浄土真宗で親鸞が弥勒菩薩の大智を「不可思議光」と言い換えたことを想起させるが(私は無神論者であるが、親鸞の思想は青年期より興味を持ち、「教行信証」を始め、関連書はかなりよく読んでいる方である)、ここは、太陽をそうしたものに喩え、さらにその太陽光が、自然界の生きとし生けるもの総ての衆生の物心に対して無量の恵みを施す妙法を「マヂツク」(magic)と言い換えているのであろう。因みに、ギトン氏はこちらで、『前年の』大正一〇(一九二一)年十月に、フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 一八四四年~一九〇〇年)の「ツァラトゥストラはかく語りき」(Also sprach Zarathustra:一八八五年発表)を登張竹風(信一郎)なる人物が訳し、そのタイトルを「如是經 一名 光炎菩薩大獅子吼經 序品 つあらとうすとら」(訳註及び論評附き・星文館書店刊)『という題名の本が出版されて』おり、『浄土真宗では、「光炎王」というと、阿弥陀如来の別名のひとつだ』とされ、この訳[やぶちゃん注:翻案と言うべきであろう。]『にも、ツァラトゥストラの生まれ変りが親鸞だとか』『わけのわからないことが書いてある』とあり、『ともかく、宮澤賢治なら「光炎菩薩」という題名を見て』、『興味をそそられたことは、間違』いないと思われるとし、「ツァラトゥストラは語りき」』『のいちばん始めは、山の洞穴に籠っていたツァラトゥストラが、ある朝』、『昇った太陽に向かって何やら宣言してから山を下りて来る』『という始まり』であることからも、このキテレツな「如是經 一名 光炎菩薩大獅子吼經 序品 つあらとうすとら」と、この賢治の「光炎菩薩太陽マヂツクの歌」の連関性を示唆しておられる。私もそれに同感する(因みに、私が所持し、愛読する哲学者の全集はニーチェとヴィトゲンシュタインの二人のそれである)賢治が狂信的なファンダメンタリストと決定的に異なる点は、科学者でもあった彼が、あらゆる分野・他宗教・他宗派をも越境し、それらの異文化的異教的思想をも積極的に理解しようとした点にあると考えており、その点に於いて、まさに宮澤賢治という存在を稀有の天才の一人と私は認識しているのである。

「ひとつのせきをこえるとき」これは先の「イーハトーボ農学校の春」のコーダによって「一つの堰を越える時」であることが判る。この小流れには去年までは「ちいさな丸太の橋(はし)」があったけれども、「雪代水(ゆきしろみづ)」(雪解け水)「で流れ」てしまってないので、肥桶(こえおけ)を担いでその堰(滞留した小さな池塘)を飛び越えねばならない、というシークエンスである。しかし……肥桶の「天秤棒」……「水を跨いで飛び越える」……「一つのせき」(それは「関」でもあるかも知れない)……意味深長ではないか(次注に続く)。

「ひとりがかつぎ棒をわたせば」/「それは太陽のマヂツクにより」/「磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた」この詩篇だけでは絶対に解読出来ない。これもまた、暗号であり、このアイテムを、先の「イーハトーボ農学校の春」(リンク先は先と同じ「青空文庫」版)の全表に照らし合わせて初めて、字背の意味するところを解読することが可能となるのである。ここもやはり、いや、こここそ、その方面に深い感受性を持っておれるギトン氏の分析を見るに若くはない。「イーハトーボ農学校の春」は『「阿部時夫」という一人の生徒のことに集中して書かれています』。『この生徒は背が高くて、体格の釣り合う相手がいなかったので、教師の賢治が、天秤棒の相棒を組んだのです』。『回想記などを見ると、賢治は、当時の日本人の平均よりは背も体格も大きくて、がっちりしていたそうです』。『しかし、阿部は、たまたま賢治と相棒を組んだというだけではありませんでした』。『「阿部時夫などが、今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにか笑ってゐます。〔…〕けれども今日は、こんなにそらがまっ青で、見てゐるとまるでわくわくするやう、〔…〕もう誰だって胸中からもくもく湧いてくるうれしさに笑い出さないでゐられるでしょうか。」』『と書いているように、浮き立つような春の嬉しさを顔に出さずにはいられない』のであり、『その生徒の素朴な性格は、作者の深く共感するところとなっていたから』なのであるとされ(ここまでの引用は)、『「光炎菩薩太陽マヂツクの歌」という表現が、「小岩井農場」と『太陽マヂツク』、両方にありますが、とりあえずは、空高くから照って大地を暖めてくれるやさしい太陽──という意味にとれます』。『しかし、散文『太陽マヂツク』をおしまいまで読んでゆくと、この“菩薩のマヂック”という言葉には、特別な意味のあることが分かるのです』。『「おや、このせきの去年のちいさな丸太の橋は、雪代水で流れたな、からだだけならすぐ跳べるんだが肥桶をどうしやうな。阿部君、まづ跳び越えてください。うまい、少しぐちゃっと苔にはいったけれども、まあいゝねえ、それではぼくはいまこっちで桶をつるすから、そっちでとってくれ給へ。そら、重い、ぼくは起重機の一種だよ。重い、ほう、天びん棒がひとりでに、磁石のように君の手へ吸い着いて行った。太陽マヂックなんだ。ほんたうに。うまい。〔…〕』。『楊の木でも樺の木でも、燐光の樹液がいっぱい脈をうってゐます。」』『「天びん棒☆がひとりでに、磁石のように君の手へ吸い着いて行った」』『ことを、「太陽マヂック」と呼んでいるのです』(以下、本詩篇の四行、

ああ陽光のマヂツクよ

ひとつのせきをこえるとき

ひとりがかつぎ棒をわたせば

それは太陽のマヂツクにより

磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた

が引かれる)。これ『に対応します』。『「小岩井農場」を読んでいると、まるで、生徒たちがおおぜい並んで、天秤棒をリレーで渡しているように読めますが、そうではないのです』とされ、『じっさいには、散文のほうに書いてあるように、賢治と阿部、二人だけの体験なのです』。因みに、『いままで三人称で呼ばれていた阿部時夫が、ここでいきなり二人称になっていることに、注目すべきです。この少年に対する作者の思い入れの強さが現れていると言うべきです』。『そして、「小岩井農場」のほうでは逆に、作者と少年との私秘的な体験をカモフラージュするかのように、「ひとりが」「もひとりの」と、両者ともに三人称(ないし不定人称「ひと」)に、されているのです』。『そこで、具体的に、小川を堰き止めた細長い池を飛び越そうとしている場面を、思い浮かべてみてください』。『賢治は、長い天秤棒の片端を下腹にあて、両手で握って支えています。棒の先には重い肥え桶(カラの)が吊るされています。その棒の先が、池の向こう側にいる阿部少年の手に「磁石のように……吸い着い」たというのです』。『賢治の格好は何かを象徴していないでしょうか?』『勃起した長大な男性器が「磁石のように君の手へ吸い着いて行った」という隠れた意味をもつ表現になっていることは、否定できないでしょう』。『賢治自身は意識していない可能性もありますが』、『この程度の深層心理的解釈は許されると思います』。『『太陽マヂック』で、作者が阿部少年を誘って、他の生徒たちとは違う道を通って学校に戻ったのも、二人だけの時間を過ごすためだったと解せます』。なお、『森惣一によれば、宮澤賢治はハバロック・エリスの『性学体系』を読んでフロイトの精神分析をよく知っていたと云いますから』、『この部分も、意識して性的願望の表現として書いている可能性があります。なお、賢治はなぜ『性学体系』のような分厚い専門外の専門書を読んだかですが、同性愛志向のある自分の性欲が、異常なものではないかどうか、確かめようとしたのだと思います』とある。美事な解析である。私は諸手を上げて賛意を表するものである。因みに私は、小学校高学年でフロイトの「夢判断」に惹かれ、高校までに殆どの著作を読み終えた。今も、書斎の最上段にはフロイトの著作集が、一列、座を占めている。

「どのこどもかが笛を吹いてゐる」再び、現実の風景に戻ったかのように見せて、その実、主人公の詩人は夢想の中に未だあって、帰ってこない。だからこそ「それはわたくしにきこえない」/「けれどもたしかにふいてゐる」と続く。

「ぜんたい笛といふものは」/「きまぐれなひよろひよろの酋長だ」意味は不明だが、なんとなくしっくりくる。笛の音(ね)は確かに「きまぐれ」で「ひよろひよろ」していて定まらない呪的響きを持っている。呪的であるのは古代のシャーマン及びその呪法と結ばれることによって権威を維持した「酋長」の属性・風格である。

 最後に。このパートでは、ギトン(リンク先はサイト・トップ・ページ)のサイト内の複数の考察に、一方ならぬ助力を得た。ここに改めて謝意を表するものである。

2018/11/14

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート三

 

         パート三

 

もう入口だ〔小岩井農塲〕

 (いつものとほりだ)

混(こ)んだ野ばらやあけびのやび

〔もの賣りきのことりお斷り申し候〕

 (いつものとほりだ ぢき醫院もある)

〔禁獵區〕 ふん いつものとほりだ。

小さな澤と靑い木(こ)だち

澤では水が暗くそして鈍(にぶ)つてゐる

また鐵ゼルの fluorescence

向ふの畑(はたけ)には白樺もある

白樺は好摩(こうま)からむかふですと

いつかおれは羽田縣屈に言つてゐた

ここはよつぽど高いから

柳澤つづきの一帶だ

やつぱり好摩にあたるのだ

どうしたのだこの鳥の聲は

なんといふたくさんの鳥だ

鳥の小學校にきたやうだ

雨のやうだし湧いてるやうだ

居る居る鳥がいつぱいにゐる

なんといふ數だ 鳴く鳴く鳴く

Rondo Capriccioso

ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく

あの木のしんにも一ぴきゐる

禁獵區のためだ 飛びあがる

  (禁獵區のためでない ぎゆつくぎゆつく)

一ぴきでない ひとむれだ

十疋以上だ 弧をつくる

  (ぎゆつく ぎゆつく)

三またの槍の穗 弧をつくる

靑びかり靑びかり赤楊(はん)の木立

のぼせるくらゐだこの鳥の聲

  (その音がぼつとひくくなる

   うしろになつてしまつたのだ

   あるひはちゆういのりずむのため

   兩方ともだ とりのこゑ)

木立がいつか並樹になつた

この設計は飾繪(かざりゑ)式だ

けれども偶然だからしかたない

荷馬車がたしか三臺とまつてゐる

生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ

陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて

あたらしいテレピン油の蒸氣壓(じやうきあつ)

一臺だけがあるいてゐる。

けれどもこれは樹や枝のかげでなくて

しめつた黑い腐植質と

石竹(せきちく)いろの花のかけら

さくらの並樹になつたのだ

こんなしづかなめまぐるしさ。

 

この荷馬車にはひとがついてゐない

馬は拂ひ下げの立派なハツクニー

脚のゆれるのは年老つたため

 (おい ヘングスト しつかりしろよ

  三日月みたいな眼つきをして

  おまけになみだがいつぱいで

  陰氣にあたまを下げてゐられると

  おれはまつたくたまらないのだ

  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)

ぜんたい馬の眼のなかには複雜なレンズがあつて

けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……

……馬車挽きはみんなといつしよに

向ふのどてのかれ草に

腰をおろしてやすんでゐる

三人赤くわらつてこつちをみ

また一人は大股にどてのなかをあるき

なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)

櫻の木には天狗巢病(てんぐすびやう)がたくさんある

天狗巢ははやくも靑い葉をだし

馬車のラツパがきこえてくれば

ここが一ぺんにスヰツツルになる

遠くでは鷹がそらを截つてゐるし

からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし

いま向ふの並樹をくらつと靑く走つて行つたのは

(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ

 

[やぶちゃん注:〔 〕はママ。指示板の文字をこれで示した。

「「混(こ)んだ野ばらやあけびのやび」「やび」はママ。原稿は「やぶ」。誤植。「正誤表」にはない。

・「いつかおれは羽田縣屈に言つてゐた」屈」はママ。原稿は「羽田縣※」(「※」=(上)「尸」+(下)「虫」)。この「※」は「屬」(属)の異体字であるから、「屈」は誤植である。「正誤表」にはない。「羽田」は人名で「はだ」と読み(後述)、「縣屬」(県属(けんぞく))とは旧県に於ける行政組織に於いて事務を取り扱う役人のことを指した。なお、宮澤家版「手入れ本」ではここが「羽田縣視學」となっている。「視學」は同じく当時の地方教育行政官で市視学・郡視学・府県視学があった。学事の視察及び教育指導に当たった。 現在の県教育委員会の指導主事に相当するので、県属には違いない。

・「あるひはちゆういのりずむのため」「あるひは」はママ。正しい歴史的仮名遣は「あるいは」であるが、古典や明治・大正期の作家でも「あるひは」「或ひは」と表記する作家はすこぶる多いから、違和感は殆んどない。

・「なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)」の三点リーダ一字分は底本のママである。原稿もママである。思うに、丸括弧を入れて本文二十八字(丸括弧は実際上は半角相当であるから二十七字分となる)というのは、本底本の一行字数では最長で、ページ組版から視認しても、ここまでが、通常の組版の下限限界ではある。原稿もそうなっているというのは、或いは印刷所とのやり取りによって事前に、最大一行字数が通知されていたからかも知れない。

「あけび」キンポウゲ目アケビ科 Lardizabaloideae 亜科 Lardizabaleae 連アケビ属アケビ Akebia quinata。小さな頃は、家の周囲の山で近所のお兄さんたちが高木に登って採ってきては食わして呉れたものだった。今、ラップに包んでスーパーに売られているのを見ると、私は何故か哀しくなるのを常としている。

「鐵ゼルの fluorescence」「鐵ゼル」は「鐡ゲル」であろう(原稿が「ゲル」を「ゼル」に書き換えてある)。「ゲル」(Gel)は賢治の好んだ多数既出の「ゾリ」=コロイド溶液が流動性を失ってゼリー状となったもの。例えば通常は、固まった寒天・豆腐・蒟蒻(こんにゃく)などのゼリー状に固まった様態を示すもの。高分子物質又はコロイド粒子が、その相互作用により、全体として網目構造を形成し、溶媒又は分散溶媒である液相部分を多量に含んだまま、それまであった流動性を失った状態を指す。「鉄ゲル」というのは恐らく、塩化鉄(Ⅲ)(FeCl3。旧塩化第二鉄)等の三価鉄イオンの水溶液にアルカリを加えると生じる水酸化鉄(Ⅱ)(Fe(OH)2)のコロイド水溶液或いはコロイド状沈澱のことと思われる。錆を溶かしたような褐色を呈したり、澱が沈む。前にも引かせて戴いた「ギトンの読書室」内の「ゆらぐ蜉蝣文字」の「□第3章 小岩井農場」の記載を参考にさせて戴いた。それによれば、『この沈澱の化学組成は、より正確には、酸化水酸化鉄(Ⅲ)または酸化鉄(Ⅲ)の水和物(Fe2O3nH2O)と考えられてい』るとある)。また、同サイトには、そこからリンクしてカテゴリ「宮沢賢治作品の参考画像」の「鉄コロイド」が、いろいろな画像で我々の今一つ判り難いものを掲げて説明して下さっている。必見。「fluorescence」は物理用語で「蛍光(性)」・「蛍光発光」を指す。カタカナ音写は「フス」。但し、上記のコロイド溶液や沈殿が蛍光するとは思えないから、これは太陽光を受けた褐色のそれの輝きを言っただけのことか?

「白樺」ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica

「好摩(こうま)」岩手県盛岡市好摩。小岩井農場の東北十八キロメートルほど。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「羽田縣屈」岩手県稗貫(ひえぬき)郡(現在の花巻市の一部)担当の視学であった羽田(はだ)正。

「柳澤つづきの一帶だ」「柳澤」は次の「好摩」との位置関係から、現在の岩手県滝沢市(小岩井農場の北端が接する)柳沢附近と比定出来る。ここ(グーグル・マップ・データ)。なお、宮澤家「手入れ本」ではこの一行を縦線で抹消している。

Rondo Capriccioso」ほぼ一字分の字空きはママ。これは、ドイツ・ロマン派の作曲家フェーリクス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy 一八〇九年~一八四七年)が一八二四年に作曲した「ロンド・カプリッチョーソ Op.14 U 67 ホ長調」(Rondo capriccioso E-Dur Op.14 U 67)で、原曲はピアノ独奏曲である。スティンガー氏のブログ「東京漂流瓶集配局」の「宮沢賢治と音楽」に、原曲は『鷹揚で典雅な導入と劇的な起伏をもつ豊かな曲』とされて、You Tube の「Murray Perahia plays Mendelssohn's Rondo Capriccioso (1974)」の音源を引いておられ、さらに、『ところが賢治先生愛聴の吹奏楽バージョンは『Rondo capriccioso Vessella’s Italian Band 1912-11-05The Library of Congress > National Jukebox』で、『すっとんきょうかつキュート! なんだこれなんだこれ』という感じで、『これが「鳥の小学校」「ぎゆつくぎゆつく」ってことなのかー!と、驚愕の理解および納得を得た』と述べられ、『この』二『つのバージョンの差がほんとに面白いから、できれば両方聴いてみてもらえるとうれしい』、『詩の字面から受けるイメージが、ガラガラ音を立てて変わ』る、『たとえタイトルが同一でも、演奏者も編曲も音源もぜんぜんちがうんだから、自分の知ってる曲(と同じようなもの)だと思ってちゃいけないんだ!』という感懐を記されておられる。確かに!!! それをさまざまな鳥のけたたましい自分勝手な囀りの形容に用いたものである。これは確かに度胆の後者であろう。「ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく」のオノマトペイアの意味が、説明なしで判る!!!

「木のしん」「木の芯」? 一本の木の主幹軸の蔭の謂いか。

「禁獵區のためだ」とあって「(禁獵區のためでない ぎゆつくぎゆつく)」というのは後者が、丸括弧で括られ、「ぎゆつくぎゆつく」と併置されていることから、鳥たちが賢治の言った人間が都合で保護占有し得たと思っている「禁獵區のためだ」という愚かさを、指弾している囀りの訳語だからである。なお、この鳥をムクドリ(スズメ目ムクドリ科ムクドリ属ムクドリ Sturnus cineraceus)一種に限定している記載を見かけたが、確かに、彼らは鳴き声の音写は「ギャーギャー」「ギュルギュル」「ミチミチ」などであるから、この「ぎゆつく ぎゆつく」という独特のオノマトペイアとの親和性はあり、夜には一ヶ所に集まって塒(ねぐら)を形成し、冬場などには数万羽の大群となったり、河原の広葉樹や人家の竹藪に蝟集しはする。けれども、この詩篇の時制は昼間であるし、私はどうも、これらの鳥をムクドリ一種とする考えはどうか? という気もしないではない。但し、「一ぴきでない ひとむれだ」「十疋以上だ 弧をつくる」と言うあたりからは、主体はムクドリの群れで構わぬとは思う。

「三またの槍の穗」「三叉(みつまた)の槍(やり)の穗(ほ)」で、飛翔する鳥の形を、所謂、ポセイドンの持つ「トライデント(trident)」(三叉戟(さんさげき))の穂先に形象化したしたもの。

「靑びかり」これは鳥たちの翅と青空の煌めきを謂うか。

「赤楊(はん)」榛(はん)の木の別名。ブナ目カバノキ科ハンノキ属ハンノキ Alnus japonica。「赤」は、冬に楕円形を呈する雌花穂が咲くが、それが紅紫色を帯びるからか(因みに、材色は伐採直後は鮮やかなオレンジ色であるが、片材は淡黄褐色、心材はくすんだ褐色を呈するようなる)。

「その音がぼつとひくくなる」/「うしろになつてしまつたのだ」ここはドップラー効果(Doppler effectDoppler shift)のことを言っているようである。

「あるひはちゆういのりずむのため」同時に、何らかの外敵・変異を感得して、囀りが警告音に変わったからと添える。

「木立がいつか並樹になつた」宮澤家「手入れ本」ではここから最後まで全三十八行に斜線を附して全カットしている。

「生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ」/「陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて」/「あたらしいテレピン油の蒸氣壓(じやうきあつ)」前二行の実景及びその伐採された松材(恐らくは間伐材)の丸太に当たる陽の光りに蒸されて匂い立つ様子から、詩人はテレピン油(テレビンゆ:turpentine:テレビン油・ターペンタイン:マツ科Pinaceaeの樹木のチップ或いはそれらの樹木から採取された松脂を水蒸気蒸留することによって得られる精油)のそれを嗅ぎ分けようとする。

「けれどもこれは樹や枝のかげでなくて」/「しめつた黑い腐植質と」/「石竹(せきちく)いろの花のかけら」/「さくらの並樹になつたのだ」「石竹いろ」はセキチク(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis)の花のような淡紅色・ピンク色を指す。しかし、ここはすんなりと読ませて呉れない。それは逆接の接続詞「けれども」で論理的な意味で対応する前景(ここまでのプロムナード)と、それに逆接する「これ」の指示語が示す対象景(以下の軟らかく湿った腐植土質に植えられた桜並木のプロムナード)を即座に読者が想起出来にくいからである。それはとりもなおさずこの「けれでも」「これは」という論理指示の硬い語句による弊害である。寧ろ、直後の「こんなしづかなめまぐるしさ。」によって、それが腑に落ちるという形をとるが、どうもリズムが鈍ってよくない気が私はする。

「拂ひ下げ」小岩井農場が、この民間の材木屋或いは荷馬車屋に、老齢故に売り渡した「ハツクニー」(パート一で既出既注)。

「ヘングスト」Hengst。ドイツ語で、「繁殖用の牡馬・種馬」のこと。『盛岡タイムス』の「Web News」(二〇一一年 八月六日号)の元小岩井農場展示資料館館長岡澤敏男氏の「〈賢治の置土産~七つ森から溶岩流まで〉」(二百二十三回)の「ヘングスト」に、『この馬車を引くハクニー(ハツクニー)の老挽馬も、昔はさぞかし』、『名のある種馬だったのだろうと』、『〈貴種流離譚〉もどきにヘングストと呼びかけたので』あろう、『だから自負心を忘れないように「しつかりしろよ」と励まし、「威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ」と叱咤しているの』だと記されてさらに、『賢治がハクニーの老挽馬にヘングストと名付けたのは、小岩井農場で活躍した名種馬ブラック・パフォーマー号を比喩してのことだったのではなかろうか』と述べられ、『ブラック・パーフォーマー号は小岩井農場が明治』三五(一九〇二)『年にイギリスから導入したハクニー種牡馬、大正』一〇(一九二一)『年まで』、『種付用に供されており、その産駒は農場産』百四十一『頭、場外産』八十二『頭という功績を残した名馬で』あった。『賢治が「小岩井農場」を書いたのは大正』一一(一九二二)年五月の『ことなので、ブラック・パーフォーマー号もすでに引退して払下げられ』、『松丸太の挽馬になったものと見立てたので』あろうと思われ、『それだから』、『尊称を秘め』、『ドイツ語で〈ヘングスト〉と呼び掛けたの』だとされる。同感できる。以下、『賢治はハクニーに特別の価値観をもっていたことを「小岩井農場」パート一に表明してい』るとして、パート一の当該箇所を引かれた上で、『その価値観に存在するのは小岩井農場がつくりあげた「小岩井ハクニー」と称されるハクニー改良種だったとみられ』、『「小岩井ハクニー」はサラブレッド種とハクニー種の交雑で、サラブレッド種の血液25%を保持するように配合されたハクニー改良種で』、『軽挽馬として理想に近い体型といわれ』、当時の『時勢に合っていて、種牡馬あるいは中間種の繁殖用として好評で』、『その需要が急速に高まった』こと『から、馬好きの賢治は四肢端正な「小岩井ハクニー」のコップ型体型にすっかりほれ込んだものと思われ』ると記しておられる。賢治と「ハツクニー」の「ヘングスト」の心の交感を評されていて、美事である。机上で独楽(いや、この場合「駒」か)回ししている文学研究者にはこうは書けない。

「ぜんたい馬の眼のなかには複雜なレンズがあつて」/「けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……」個人ブログ「藍よりも青し」の「小岩井農場 パート3~」に、『馬の眼は焦点の合わせ方が人間とは違い、また』、『目の筋肉があまり発達していないため』、『焦点のゆがみを利用しながら、顔を動かしピントを合わせてい』るとあり、『それ以外の部分は歪んで見えるところを賢治は述べているので』あろうとある。文字通り、眼から鱗!

「なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)…(蜂凾の白ペンキ)」現存する「下書稿」(完品(全原稿揃い)ではない)では、同原稿現存二枚目は「何か忘れ物でも持つて來るといふ風だ。」と書いて(十九行目)、残りの原稿用紙三分の二を空白のままに終わっている。これを見るに、少なくとも下書きの想案では賢治は、ここにさらに長いシークエンスを持ち込むつもりだったのではないかと推察することが可能である。さればこの暗号のような点景「蜂凾の白ペンキ」はその原シークエンスの中の一種のランドマークと考えてよかろう。「蜂凾」は「ほうくわん(ほうかん)」と音読みしたい。「凾」は「函」と同じいから、れは蜂養用の巣箱のことである。それに塗られた白いペンキが、陽を照り返して光っているというのである。これは何か、ひどく、そそる表象ではある。私の中にもそれは、ある秘密めいたものとして、ある。しかし、賢治のそれが何を象徴しているかは、永遠の謎である。下書稿」は「宮澤賢治世界」を参照されたい。

「天狗巢病(てんぐすびやう)」「日本花の会」公式サイト内の「サクラてんぐ巣病」によれば、これは『カビの一種が原因で発生する伝染病で、病気にかかった枝についた葉の裏面に形成された病原菌の胞子が、空気中に飛んで感染していきます。感染すると枝が異常に発生して、花が咲かなくなる病気です。放置しておくと』、『感染した枝はやがて衰弱し、枯死してしまいます』。『染井吉野の場合、病気にかかった枝は、開花時に葉が出るのでよく目立ちます』。『現時点では薬剤での防除方法が確立されていないため、病巣部を切除するしか有効な対策はありません。作業は落葉期間中に行います』。一『度の除去作業では取り残しなどがあるため、最低』三『年間は継続して除去作業を行うことが重要です。桜の中でも染井吉野は感染しやすい品種なので、周辺にこの病気にかかった桜がある場合にはこの品種を避けることや、病巣部の切除作業が出来ない場所には植えないことも一つの方法です』とある。ウィキの「てんぐ巣病」には、『植物病害の一種で、植物(多くは樹木)の茎・枝が異常に密生する奇形症状を示すものの総称である。高い木の上に巣のような形ができるため』、『この名がある。英語ではwitch's broom もしくはwitches' broom(魔女のほうき)という』。『直接の原因としては、植物ホルモンの異常が考えられる。通常は、頂芽から出るオーキシンがその下の腋芽の生長を抑えている(頂芽優勢)。しかしオーキシンに拮抗するサイトカイニンの量が多くなると、多くの芽が一度に生長することとなり、天狗巣症状が現れる』。『これを起こす原因は様々で、菌類、昆虫、線虫、ファイトプラズマ、ウイルスなどがある。特に子嚢菌類タフリナ科に属するサクラのてんぐ巣病菌』(菌界タフリナ菌亜門タフリナ菌綱タフリナ目タフリナ科タフリナ属サクラノテングスビョウキン Taphrina wiesneri)『がよく知られる。日本では、他にバッカクキン科の糸状菌・タケのてんぐ巣病菌』(菌界子嚢菌門チャワンタケ亜門フンタマカビ綱ボタンタケ目バッカクキン科 Aciculosporium 属タケノテングスビョウキン Aciculosporium take)『もタケノコの生産に支障をきたすために問題化している』とある。

「馬車のラツパがきこえてくれば」何度か引かさせて戴いている、ギトンゆらぐ蜉蝣文字の「□第3章 小岩井農場によれば、この「馬車のラツパ」は先にも注で指摘した、『小岩井農場の場内を走っている軌道式の《馬トロ》が、停車場に近づいた時に鳴らす笛を指して』おり、実際には『トランペットやホルンではなく、豆腐屋の笛(チャルメラ)だった』とある(ギトン氏は優れた宮澤賢治研究をなさっておられる。但し、リンク先には男性の同性愛が苦手な方は注意されたい。上記リンク先にも美少年の美しいヌード写真が冒頭にどんと添えられているから。私は全く平気であるが)。

「スヰツツル」はスイス(Switzerland)のこと。英語のそれの「land」を外せば、音写は「スゥィトゥサァル」となる。ドイツ語やスイスドイツ語の「Schweiz」でもよいが、これは音写は前者が「シュバイツ」、後者が「シュウィーツ」であるから、英語の音写と考えた方がよかろう。渡辺宏氏は宮沢賢治 Kenji-Review(私はこれをずっと配信してもらってきており、全号を保存してある)の第四三三号で、『ここではロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」の中の「スイス軍の行進」のことです』とされ、『この曲は序曲の最後の部分で、トランペットの華やかな演奏が印象的です。「馬車のラツパ」からトランペットを思い起こすのは自然なことなのでしょう』と記しておられる(私は凡愚で渡辺氏の指摘で初めて気がつく為体(ていたらく)であったのを思い出す)。ご存じ、ジョアキーノ・ロッシーニが作曲したオペラ「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)」序曲(フランス語:Ouverture de Guillaume Tell/英語:William Tell Overture:一八二九年作)の第四部(フィナーレ)アレグロ・ヴィヴァーチェ(March of the Swiss Soldiers)。誰も知っているそれであるが、一応、You Tube Free SchoolWilliam Tell Overture Finale (March of the Swiss Soldiers) by Gioachino Rossini - FreeSchool Radioをリンクさせておく。

「截つて」「たつて(たって)」。

「(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ」ギトンゆらぐ蜉蝣文字の「□第3章 小岩井農場ページでは、『「人馬の徽章」は、馬と騎手、あるいは人馬ケンタウロスをデザインした徽章か商品マークが、当時あったのかもしれませんが、いまのところ見つけられません。ネット検索では、現・陸上自衛隊第1師団第1戦車大隊(静岡県御殿場市)が、ケンタウロスをあしらったシンボルマークを持っていることしか分かりませんでした』とあり、以下、本最終行について、『疾駆する馬と若い騎手の汗が混じり合った濃厚な匂いが、吹きつけて来そうです』。『ところで、この“疾駆する馬と騎手”ですが、実景をスケッチしたとすれば、単なる乗馬ではなく、競走馬を訓練している風景であるはずです。じっさい、当時、小岩井農場はサラブレッドなどの競走馬の育成に力を入れており、競走馬は、農場財政を支える最大の収入源でした』。『当時、《農場本部》の東側には《育馬部》があり』(先に引いたsuzukikeimori氏のブログ「宮澤賢治の里より」の「155 小岩井農場(その1)」の旧地図で地図中央位置に「育馬部」の表示を確認出来る)、『周辺に4ヶ所の馬場が設けられていました』(以下にあるギトン氏の別ページへのリンクを附す。写真ページ地図ページがこちらである。前者には先に出た鉄道馬車のラッパの現物画像もある)。但し、その後、『育馬部は、戦後GHQの政策で廃止され、大清水の』二『つの馬場があった部分は、農地解放により』、『農場外に払い下げられました(農場展示資料館の展示解説による)。そして、農場全体も、現在の乳製品生産を中心とする経営に推移していきます』。『作者が、どの馬場の訓練風景を見たのかは分かりませんが、いずれにしろ、この「パート』三『」の末尾の場所にそのスケッチを挿入しているのは、“見たまま”の順序ではなく、スケッチの“編集”があると思わなければならないでしょう』とある。ギトン氏の痒いところに手が届く解説に頭が下がる。]

2018/11/13

和漢三才圖會第四十三 林禽類 連雀(れんじゃく) (ヒレンジャク・キレンジャク)

 

Hirenjyaku

 

れんしやく

 連雀

 

和名抄云連雀者唐雀也今俗所稱者雀之有冠毛也是

鳥希見疑異國之鳥矣

△按連雀今處處有狀如雀之大頭背胸灰赤色翅黑有

 黃白圓文羽尾瑞畧紅其尾短黑頂上有毛冠眼頷邊

 黑常棲山林成羣以形美人畜之樊中或披尾如舞畧

 似孔雀形勢但聲不好如曰比伊比伊蓋此與練鵲字

 同音而物異其練鵲卽帶鳥【尾長】也連雀卽冠鳥【有毛冠】

 也今人稱有毛冠之鳥不曰毛冠某鳥謂有連雀

黃連雀 形狀同連雀而羽尾瑞共黃

 

 

れんじやく

 連雀

 

「和名抄」に云はく、『連雀は唐雀なり。今、俗に稱する所は、雀の冠毛有る〔もの〕なり。是の鳥、希れに見る。疑ふらくは異國の鳥か』〔と〕。

△按ずるに、連雀、今、處處に有る。狀、雀の大〔なるが〕ごとし。頭・背・胸、灰赤色。翅、黑。黃白の圓文有り。羽尾の瑞、畧〔(ほぼ)〕紅。其の尾、短くして黑く、頂の上、毛冠有り。眼・頷の邊り、黑し。常に山林に棲み、羣を成す。形の美なるを以つて、人、之れを樊〔(かご)の〕中に畜〔(か)〕ふ。或いは尾を披〔(ひら)〕いて舞ふがごと〔くすれば〕、畧〔(ほぼ)〕孔雀の形勢を似〔す〕。但し、聲、好からず、「比伊比伊〔(ひいひい)〕」と曰ふがごとし。蓋し、此れ、練鵲〔(れんじやく)〕と、字、同音にして物〔としては〕異なり。其れ、練鵲は、卽ち、「帶鳥〔(おびどり)〕」【「尾長〔(おなが)〕」。】なり。連雀は卽ち、「冠鳥〔(かんむりどり)〕」【毛冠有り。】なり。今の人、毛冠の有る鳥を稱して、毛冠と曰はずして、『某(そ)の鳥に連雀有り』と謂ふ〔なり〕。

黃連雀(きれんじやく) 形狀、連雀に同じくして、羽〔の〕尾の瑞、共に黃なり。

[やぶちゃん注:スズメ目レンジャク科レンジャク属ヒレンジャク Bombycilla japonicaウィキの「ヒレンジャク」によれば、『北東アジアに生息』し、『日本では冬鳥として見られる』。『体長は約十八センチメートル、翼開長は約二十九センチメートル。『オスとメスはほぼ同色で、全体的に赤紫がかった淡褐色であるが、頭や羽などに特徴的な部位が多い。顔はやや赤褐色みを帯び、尖った冠羽、冠羽の縁まで至る黒い過眼線、黒いのど(メスは、黒斑の下端の境界が曖昧である)などである』。『初列風切は黒褐色で、外弁は灰色、オスは白斑があるが、メスは外弁にのみ白斑がある。次列風切に灰色で先の方は黒色、先端部は赤い。レンジャク族の英名「ワックスウィング」(Waxwing)の由来である、キレンジャク』(後述)『やヒメレンジャク』(レンジャク属ヒメレンジャク Bombycilla cedrorum:北アメリカ大陸に棲息し、本邦にはいない)『に見られる次列風切の先端にある赤い蝋状の突起物は、ヒレンジャクにはない。大雨覆』(おおあまおおい:「雨覆」は「雨覆羽(あまおおいばね:wing-coverts)のことで、翼の前面を数列に並んで覆っている羽毛を指す。風切羽の基部を覆い、前方からの空気の流れをスムースにしている。後列のものは大きく、「大雨覆」と呼んで区別するほか、上面のものを「上雨覆」、下面のものを「下雨覆」、前面を「前縁雨覆」などと称する)『の先端は暗赤色』。『腹は黄色みを帯びており(キレンジャクとは異なる)、腰から上尾筒は灰色、下尾筒は赤(キレンジャクは橙褐色)、尾は灰黒色で先端が赤色である。尾羽の枚数は』十二『枚であり、漢名「十二紅」の由来となっている』。『シベリア東部・中国北東部のアムール川・ウスリー川流域で繁殖するが、森林の減少と環境悪化によって絶滅が危惧されている』。『越冬地は日本のほか、サハリン、朝鮮半島、中国南部、台湾などだが、年によって飛来数が極めて不規則であり、まったく観察されない年があったり、越冬地でも一年を通してみられることもある。日本では沖縄県中部より北の地域に』、十一月~五月に『かけて滞在する。東日本に多いキレンジャクに対して、ヒレンジャクは西日本に多く渡来し、北海道ではほとんど見られない。越冬地は低地や、丘陵地の開けた森林・農地などであり、公園や家の庭などにも餌となる果実を求めて飛来する。なお』、『ヨーロッパでも目撃報告があるが、これは飼育されていた個体が逃げたものと見られている』。『日本などに飛来する冬の非繁殖期には主に果実類、ネズミモチ、イボタノキ、ニシキギ、ヤドリギ、ノイバラ、ヤツデなどを食するが、繁殖期である夏の間は昆虫食である。ヒレンジャクは基本的に数羽から数十羽の群れで行動するが、稀に』百『羽以上の大群となることもある。また、しばしばキレンジャクとの混群もみられる。鳴き声は甲高く「ヒーヒー」「チリチリ」などと鳴くが、囀りはない。巣は、樹上に小枝を用いたお椀状のものを作り、その中には草や苔などを敷く』。『キレンジャクとともに平安時代から「連雀(れんじゃく)」「唐雀(からすずみ)」などとして知られていた。連雀の名の由来は、群で行動するためである。キレンジャクとヒレンジャクを区別するようになったのは』、『江戸時代中期からで、それぞれ』、『漢名の「十二黄」と「十二紅」に相当すると「喚子鳥」』(よぶこどり:蘇生堂主人著の小鳥の飼育法を紹介した書。宝永七(一七一〇)年刊)『などに記されている。また、ヤドリギ(古名:ほや)を食することから「ほやどり」とも呼ばれていた』とある。You Tube caabj209氏の「ヒレンジャクの鳴き声・・・」をリンクさせておく。

『「和名抄」に云はく、『連雀は唐雀なり。今、俗に稱する所は、雀の冠毛有る〔もの〕なり。是の鳥、希れに見る。疑ふらくは異國の鳥か』〔と〕』「和名類聚鈔」巻十八の「羽族部第二十八」の「羽族名第二百三十一」に、

   *

連雀 「辨色立成」に云はく、連雀は【唐雀なり。時々、群飛す。今、案ずるに、雀に黃雀・靑雀・白雀・大雀等の名有り。出ずる所は未だ詳らかならず。但し、俗に今、稱する所の者の、雀の毛冠有るものなり。是の鳥、希れに見るは、疑ふらくは、異國の鳥獸か。】。

   *

とある。

「或いは尾を披〔(ひら)〕いて舞ふがごと〔くすれば〕、畧〔(ほぼ)〕孔雀の形勢を似〔す〕」時に尾を開いて舞うような仕草をすると、それはあたかも雄の孔雀(くじゃく)がかくするような姿勢に似せて見える。

「練鵲〔(れんじやく)〕」全くの別種であるスズメ目カラス科オナガ属オナガ Cyanopica cyana のこと。黒色の帽子を被ったように見える(但し、実際の頭部の羽毛は濃紺色である)が、冠状に立ってはいない。尾羽根は青灰色(二枚×五列)で扇状に開いた際に中央の二枚が最も長く(帯状に長く見えることがそれぞれの異名の由来である)、先端が白い(雌雄同色)。良安の謂いは正しい。

「某(そ)の鳥に連雀有り」これそれの鳥に連雀があるという言い方をする。

「黃連雀(きれんじやく)」レンジャク属キレンジャク Bombycilla garrulusウィキの「キレンジャクによれば、全長約十九・五センチメートル。『体はおもに赤みのある灰褐色で、頭部には冠羽がある。次列風切羽の先端部に、赤い蝋状の突起物があるのが特徴である。これは羽軸の先端と外弁の一部が変化したものとみられており、ヒレンジャクにはないが、キレンジャクのほかヒメレンジャクにも見られる。この蝋状の物質がレンジャク科の英名「ワックスウィング」(Waxwing) の由来である』。『平地や山地の林に生息し、おもに木の実を食べる。地上』二~六メートルの『枝の上に、小枝、枯草、蘚苔類で皿形の巣を作る』。五~七月に卵を』『産み、雌が抱卵』、十三~十四日で『雛鳥が生まれる。冬は』十~三十羽ほどで群れを成し、『時にはヒレンジャクと混群』して、百『羽以上の群れを作ることもある』。『北半球の寒帯に広く繁殖分布し、日本では冬鳥として見られるが、本州中部以北に多い。木の実を求めて』、『どの程度』まで『南下するかは』、『途中の木の実の量に影響され、またその年の木の実の豊凶によって繁殖数が変動する』という。因みに、本種は『旭川市の「市の鳥」でもある』とある。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート二

 

            
パート二

 

たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし

雨はけふはだいじやうぶふらない

しかし馬車もはやいと云つたところで

そんなにすてきなわけではない

いままでたつてやつとあすこまで

ここからあすこまでのこのまつすぐな

火山灰のみちの分だけ行つたのだ

あすこはちやうどまがり目で

すがれの草穗(ぼ)もゆれてゐる

 (山は靑い雲でいつぱい 光つてゐるし

  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)

ひばり ひばり

銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ

たつたいまのぼつたひばりなのだ

くろくてすばやくきんいろだ

そらでやる Brownian movement

おまけにあいつの翅(はね)ときたら

甲蟲のやうに四まいある

飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と

たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる

よほど上手に鳴いてゐる

そらのひかりを吞みこんでゐる

光波のために溺れてゐる

もちろんずつと遠くでは

もつとたくさんないてゐる

そいつのはうははいけいだ

向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える

うしろから五月のいまごろ

黑いながいオーヴアを着た

醫者らしいものがやつてくる

たびたびこつちをみてゐるやうだ

それは一本みちを行くときに

ごくありふれたことなのだ

冬にもやつぱりこんなあんばいに

くろいイムバネスがやつてきて

本部へはこれでいいんてすかと

遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた

でこぼこのゆきみちを

辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら

本部へはこれでいゝんですかと

心細(こころぼそ)さうにきいたのだ

おれはぶつきら棒にああと言つただけなので

ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな氣がした

けふのはもつと遠くからくる

 

[やぶちゃん注:・「そいつのはうははいけいだ」は底本では「そいつのほうははいけいだ」。「其奴(そいつ)の方は背景だ」であろうが、さすれば、「ほう」は「はう」の誤りである。原稿でも「ほう」であるが、「正誤表」で訂正されているので直した但し、「正誤表」がまた誤っていて、ページ数を「七四」とすべき、ところを「四七」としてしまっていて、読者には意味が判らぬものとなっている。つくづく運のない本である。まあ、しかし、ここは正誤補正されたものと採って、直す。

・「本部へはこれでいいんてすかと」「て」はママ。原稿は「で」。誤植。

 

「たむぼりん」タンバリン(tambourine)のこと。カタカナ音写は「タンバリーン」が近い。なお、サンバやボサノヴァなどのブラジル音楽で使用される似た発音のタンボリン(Tamborim)があるが、これは片面太鼓をスティックで打つ打楽器で、全く異なる。ここは飛天の楽の音(ね)のイメージか。何らかの音響的な気象現象とは思われない。恐らく、後に出るブラウン運動の微粒子の衝突の音を幻想したものと思われる。

「しかし馬車もはやいと云つたところで」/「そんなにすてきなわけではない」/「いままでたつてやつとあすこまで」/「ここからあすこまでのこのまつすぐな」/「火山灰のみちの分だけ行つたのだ」逆接の接続詞「しかし」は前の部分を指すのではなく、「パート一」の、ぐじぐじした馬車への乗車願望が満たされなかったことへの不満の代償的批評である。これはかなりの粘着質である。私は賢治の人格にはそうした妙な細部に拘る強い、神経症的な固着性を感ずる(これは私にも若干あるのでよく判る)。本書の「手入れ」もその証左である。

「すがれ」「末枯(すが)れ」(これで「うらがれ」とも読む)「盡(すが)れ」。草木の枝先や葉先が枯れること。

「ひばり ひばり」/「銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ」/「たつたいまのぼつたひばりなのだ」前にも注した「揚げ雲雀」の急速な上昇と縄張りを主張する鳴き声をも字背のサウンド・エフェクトとして入れ、それを見上げた刹那の視覚上のハレーショーンを組み込んだ。以下は、それを賢治得意に科学用語の錬金術で装飾する。

Brownian movement」ブラウン運動。現行では英語は「Brownian motion」。液体のような溶媒中に浮遊する微粒子(例:コロイド)が、不規則(ランダム)に運動する現象で、一八二七年に、スコットランド生まれの植物学者ロバート・ブラウン(Robert Brown 一七七三年~一八五八年)が、水の浸透圧で破裂した花粉から、水中に流出して浮遊した微粒子を顕微鏡下で観察中に現象として発見し、翌年、論文「植物の花粉に含まれている微粒子について」(A brief account of microscopical observations made on the particles contained in the pollen of plants)で発表した。参照したウィキの「ブラウン運動」によれば、『この現象は長い間原因が不明のままであったが』一九〇五年に『アインシュタインにより、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こされているという論文が発表され』、『この論文により』、『当時不確かだった原子および分子の存在が、実験的に証明出来る可能性が示された。後にこれは実験的に検証され、原子や分子が確かに実在することが確認された』とある。

「おまけにあいつの翅(はね)ときたら」/「甲蟲のやうに四まいある」/「飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と」/「たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる」四枚あるわけでは無論ないが、強力な飛翔力・上昇力を持つスズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis は、見た目の羽根全体が、体の大きさの割には閉じている時にはよく後部に延びてシャープでありながら、質的にはみっちりしてもいる。ウィキの「ヒバリ」によれば、全長十七センチメートルに対して、翼開長は三十二センチメートルあり、『後頭の羽毛は伸長(冠羽)する』。『上面の羽衣は褐色で、羽軸に黒褐色の斑紋(軸斑)が入る』。『下面の羽衣は白く、側頸から胸部にかけて黒褐色の縦縞が入る』。『胸部から体側面にかけての羽衣は褐色』、『外側尾羽の色彩は白い』。『初列風切は長く突出』し、『次列風切後端が白い』とあり、こうした羽毛の色の違いから、賢治の言う以上の謂いは実は非常に腑に落ちると言えるのである。なお、私は、雲雀が大好きだ。なお、原稿を見ると、「漆ぬりの方と」は「漆ぬりの鞘と」とあり、私は「二枚ある」の非科学性を相殺するのに「鞘」の方が良かったと感じている。

「光波のために溺れてゐる」宮澤家「手入れ本」ではこの行を縦線で抹消している。これは前行の「そらのひかりを吞みこんでゐる」という能動性を、反転させた裏からの感覚描写なのであったろうが、二項対立的になってしまって確かによくない

「イムバネス」Inverness。インバネス・コート。ケープ(cape:外套の一種。肩を覆って腰丈に達する程度までのものを指し、前開きを特徴とする)のついた袖無しの外套。丈が長く、ゆったりとしている。名称はスコットランドのインバーネス地方に由来する。日本には明治初期に移入され、男性の外套として「二重回し」「とんび」などと呼ばれて明治の中頃には特に流行した。

「心細(こころぼそ)さうにきいたの」に「おれはぶつきら棒にああと言つただけ」だった「ので」「ちやうどそ」うした冷たく荒っぽく答えた分「だけ」、「大(たい)へんかあいさうな氣がし」てしまった、というのは、ある種、つき合い難いであろう賢治の対人間の膜のようなものに対して、実は自身がある自責意識を同時に持っていたことが判る。それは賢治の、ひねくれて見える存在の核心にある、限りない対象への優しさの実在の証明である。

「けふのはもつと遠くからくる」これは或いは本パートの中で唯一、読解に困る一行であるかも知れぬが、しかし、これは前の部分の複雑した感懐の添え辞である。即ち、そうした自身の実際のすげない冷たい態度に対して、そんなことをすることへの憐憫から生ずる自己批判の感情が、直ちに彼の心内へと突き刺さるのではなく、大きな波長で、遠くの方から、投擲するように、大きな大きなカーブを描いて、彼に伝わってくる、彼を指弾してくるのである。そう解釈した時、前の聊か事大主義的ともとれる「遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた」という換喩が生きてくると言えるのいではないか? その男の投げかけた問いは、大海の大波(波長)に投げて、挿し浮かべられた標的、賢治の心性のあり方を試すための「buoy」だったのである。

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート一

 

  小 岩 井 農 塲

 

[やぶちゃん注:以下、上記大パート標題のもとに、同題の「小岩井農塲」が載る。本全詩篇は詩篇本文全五百九十一行から成る長篇詩で、「パート○」(丸は漢数字)と呼ばれるゴシックの分割小見出しで一応、分かれている。但し、何故か「(パート五)」と「(パート六)」が一緒に縦一行に標題だけあって本文がなく、また、何故か「パート八」相当が存在せず、「パート七」の次に「パート九」が配されている変則的なものである。なお、本全詩篇は一九二二年五月二十一日の作とする。

 非常に長いので、注が附け難いため、パート毎に分割して示す。なお、賢治自身がパート分割をしているからには、こうした電子化表記が原詩篇を著しく損なう仕儀だとは私は考えていない。パート間にブレイク(休息)があってよいと私は思っている。全一括版は加工底本の渡辺宏氏の「森羅情報サービス」内の「宮沢賢治作品館」の「心象スケッチ 春と修羅」の「小岩井農場」、或いは、「宮澤賢治の詩の世界」のこちらで読める(但し、前者は漢字の一部が正字、後者は新字である)。なお、後者「宮澤賢治の詩の世界」では、先行する「草稿」(筑摩版全集の言う「下書稿」)の最終形態が複数のページに亙って美事に復元されてあるので(上記の本詩篇の最下部の左手にリンクがある)、そちらも参照されたい。これはなかなかに大変な作業で、感服した。因みに、その反対の右下には宮澤家「手入れ本」の全最終形も示されてある。私はここでは、その「手入れ」の内、有意に大きく変異していて気になる箇所のみを注(語注部分)で指示するに留める。

「小岩井農塲」ウィキの「小岩井農場によれば、明治二三(一八九〇)年十一月に『日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の』明治二十四年、『日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり』、三『名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた』。『当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した』。明治三二(一八九九)年に『三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており』、『三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出した』。現在の『小岩井農場には、明治時代から昭和初期にかけて建設された牧畜関連の建築物がまとまって残っている。牛舎やサイロのほかに、事務所、倉庫、宿泊や職員の集会用の施設である「倶楽部」、煉瓦の躯体に土をかぶせた天然の冷蔵庫など、農場に関わる各種の建物が残っている。牛舎には大空間を確保するためにトラス架構が取り入れるなど、建築史のうえでも注目され、これらの建築群は日本の近代建築史、近代農業史を知るうえで価値が高い。これらの建物を使用しつつ保存するということが所有者である小岩井農牧の方針であり、文化庁もこうした所有者側の意向に理解を示している。牛舎では現在も牛が飼われており、現役の農場施設として使用しつつ保存するということで、文化財保存の新たな方向性を示すものでもある』とあり、『宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも』大正一一(一九二二)年五月の『散策は』、本詩篇の『もとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている』とある。]

 

 

 

          

 


         
パート 一

 

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた

そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ

けれどももつとはやいひとはある

化學の並川さんによく肖(に)たひとだ

あのオリーブのせびろなどは

そつくりをとなしい農學士だ

さつき盛岡のていしやばでも

たしかにわたくしはさうおもつてゐた

このひとが砂糖水のなかの

つめたくあかるい待合室から

ひとあしでるとき……わたくしもでる

馬車がいちだいたつてゐる

馭者(ぎよしや)がひとことなにかいふ

黑塗りのすてきな馬車だ

光澤消(つやけ)しだ

馬も上等のハツクニー

このひとはかすかにうなづき

それからじぶんといふ小さな荷物を

載つけるといふ氣輕(きがる)なふうで

馬車にのぼつてこしかける

 (わづかの光の交錯(かうさく)だ)

その陽(ひ)のあたつたせなかが

すこし屈んでしんとしてゐる

わたくしはあるいて馬と並ぶ

これはあるひは客馬車だ

どうも農塲のらしくない

わたくしにも乘れといへばいい

馭者がよこから呼べばいい

乘らなくたつていゝのだが

これから五里もあるくのだし

くらかけ山の下あたりで

ゆつくり時間もほしいのだ

あすこなら空氣もひどく明瞭で

樹でも艸でもみんな幻燈だ

もちろんおきなぐさも咲いてゐるし

野はらは黑ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて

わたくしを欵待するだらう

そこでゆつくりとどまるために

本部まででも乘つた方がいい

今日ならわたくしだつて

馬車に乘れないわけではない

 (あいまいな思惟の螢光(けいくわう)

  きつといつでもかうなのだ)

もう馬車がうごいてゐる

 (これがじつにいゝことだ

  どうしやうか考へてゐるひまに

  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)

ひらつとわたくしを通り越す

みちはまつ黑の腐植土で

雨(あま)あがりだし彈力もある

馬はピンと耳を立て

その端(はじ)は向ふの靑い光に尖り

いかにもきさくに馳けて行く

うしろからはもうたれも來ないのか

つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)と

新聞地風の飮食店(いんしよくてん)

ガラス障子はありふれてでこぼこ

わらじや sun-maid のから凾や

夏みかんのあかるいにほひ

汽車からおりたひとたちは

さつきたくさんあつたのだが

みんな丘かげの茶褐部落や

繋(つなぎ)あたりへ往くらしい

西にまがつて見えなくなつた

いまわたくしは步測のときのやう

しんかい地ふうのたてものは

みんなうしろに片附(づ)けた

そしてこここそ畑になつてゐる

黑馬が二ひき汗でぬれ

犁(プラウ)をひいて住つたりきたりする

ひわいろのやはらかな山のこつちがはだ

山ではふしぎに風がふいてゐる

嫩葉(わかば)がさまざまにひるがへる

ずうつと遠くのくらいところでは

鶯もごろごろ啼いてゐる

その透明な群靑のうぐひすが

 (ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の

  ハンスがうぐひすでないよと云つた)

馬車はずんすん遠くなる

大きくゆれるしはねあがる

紳士もかろくはねあがる

このひとはもうよほど世間をわたり

いまは靑ぐろいふちのやうなとこへ

すましてこしかけてゐるひとなのだ

そしてずんずん遠くなる

はたけの馬は二ひき

ひとはふたりで赤い

雲に濾(こ)された日光のために

いよいよあかく灼(や)けてゐる

冬にきたときとはまるでべつだ

みんなすつかり變つてゐる

變つたとはいへそれは雪が往き

雲が展(ひら)けてつちが呼吸し

幹や芽のなかに燐光や樹液(じゆえき)がながれ

あをじろい春になつただけだ

それよりもこんなせわしい心象の明滅をつらね

すみやかなすみやかな萬法流轉(ばんぽうるてん)のなかに

小岩井のきれいな野はらや牧塲の標本が

いかにも確かに繼起(けいき)するといふことが

どんなに新鮮な奇蹟だらう

ほんたうにこのみちをこの前行くときは

空氣がひどく𥺝密で

つめたくそしてあかる過ぎた

今日は七つ森はいちめんの枯草(かれくさ)

松木がおかしな綠褐に

丘のうしろとふもとに生えて

大へん陰欝にふるびて見える

 

[やぶちゃん注:・「ひとあしでるとき……わたくしもでる」底本は八点リーダであるが、字が有意に下がってしまうので、六点で表記した(以下も同じ個所は同じであるから、特にこの注記はしない)

・「これはあるひは客馬車だ」底本では半角下がって組まれているが、これは組版の誤りと断じ、前後からもそうする意味はなく、現存の底本原稿もそのようになっていない。迂闊に読めば見落とすレベルであるから、ここは特異的に詰めた。

・「わたくしを欵待するだらう」「欵待」は原稿では「歡待」であるが、これでも意味は同じいので問題はない。底本校訂本文も「欵待」を採用している。

・「新聞地風の飮食店(いんしよくてん)」「新聞地風」はママ。原稿は「新開地風」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」は修正している。

・「わらじ」「草鞋」であろうが、であれば「わらぢ」が正しいが、原稿も「わらじ」。全集校訂本文もママである。

・「犁(プラウ)をひいて住つたりきたりする」「住つたり」はママ。原稿は「往つたり」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」は本行の書き換えをしながら、「住」を修正していない。気づかなかったようである。

・「馬車はずんすん遠くなる」「ずんすん」はママ。原稿は「ずんずん」で誤植。「正誤表」にはない。「手入れ本」も修正なし。気づかなかったようである。

・「すみやかなすみやかな萬法流轉(ばんぽうるてん)のなかに」のルビ「ばんぽうるてん」の「ぽ」はママ。原稿は正しく「ばんぱうるてん」であるから、誤植。「正誤表」にはない。しかし「手入れ本」には修正がない。但し、古典作品でも「法」を「ぽう」とするケースは頗る多く、気にはならない。

・「空氣がひどく𥺝密で」𥺝密」は原稿もママ。「稠密」(「ちうみつ(ちゅうみつ)」と読み、「一つ所に多く集まっていること・混み合っていること」の意)の完全な誤字であるが(「𥺝」は「康熙字典」に「𥹜𥺝」で「米粉餠」とある)、「手入れ本」にも修正したものはない。筑摩版全集校訂本文は、流石に完全な誤字として特異的に「稠密」としている。

 

「わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた」これは六行後で「さつき盛岡のていしやばでも」とあることから、盛岡駅でないことが判る。これは大正一〇(一九二一)年六月二十五日の盛岡・雫石間の橋場線開通とともに開業した「小岩井駅」である。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「化學の並川さん」宮沢家「手入れ本」では「化学の古川さん」に訂されてあるが、Michia氏のブログ「宮澤賢治、風の世界」の「宮沢賢治の直喩Ⅰ 『春と修羅』、「小岩井農場」を中心に―人間への思い―」によれば、『〈古川さん〉は盛岡高等農林学校教授古川仲右衛門』(明治一一(一八七八)年~昭和三六(一九六一)年)『と推定される。出版時には、現存人物の名前を避けていた結果と思われる』とする。原稿でも「並川」であるから、この推察は正しいかも知れない。同ブログでは続けて、『古川は』大正三(一九一四)年から大正一〇(一九二一)年まで『在職し、担当科目は、土壌、肥料、化学、分析化学、同実験、食品化学、農学大意だった』。大正四年から同七年に『在校した賢治は、指導を受け、得業論文の終りに古川の名前をあげて』『〈終リニ臨ミテ本論ヲ草スルニ際シ、終始指導ノ労ヲ執ラレタル古川教授、並ビニ多クノ注意ヲ賜ハリタル関教授ニ深謝ス。〉』と謝辞を表しており、『この詩のほかに、歌稿A546に〈ゆがみたる青ぞらの辺に仕事着の古川さんはたばこふかせり〉(歌稿B〈ゆがみたる蒸溜瓶の青ぞらに黒田博士はたばこふかせり〉)がある』とされ、『古川は』大正十年に『同校を退職して大垣に帰り、サツマイモからのアルコールの抽出などの実験、トマトの栽培の普及、電線の敷設や、医師の招聘、土壌調査、天然ガスの採掘など、農村振興に寄与した』。『在任中からの姿勢も同様であれば、賢治のその後の農業への姿勢は、古川の教育の影響とも言える』と記しておられるから、賢治にとって忘れ難い恩師であったことが窺える。なお、この「化學の並川さんによく肖(に)た」「オリーブのせびろ」を着こなした、「そつくりをとなしい農學士」の男というのは、どうにも私にはルネ・マグリットの絵の登場人物のような感じがしてならない。そこから既に私は賢治の超現実的マジックにかけられてしまっているの知れない。

「砂糖水のなかの」/「つめたくあかるい待合室」コロイド粒子の「ゾル」の空気感の表現である。

「ハツクニー」ハクニー種(Hackney)。イギリスのノーフォーク県を中心とする地方原産の馬。速歩をよくする。ノーフォークトロッター(Norfolk Trotter)にサラブレッドをかけ合せた、本来は乗用馬として改良されたものであったが、後、軽輓馬(けいばんば:軽い車や橇などをひかせる馬)として速歩能力のある馬となったもので、特に前後肢の関節を深く折り曲げ、前膝を伸展させながら歩く高揚歩様を行うことで知られる。性質は温順で、毛色は栗毛が多く、軽四輪馬車の輓馬やショー・ホースなどとして使用されるところから全部、断尾されていることが多い(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「わづかの光の交錯(かうさく)だ」映画の監督或いは撮影者の意図的にハレーションを「これから五里もあるくのだし」「五里」は二十キロメートル弱。現在の小岩井駅から現在の小岩井農場の現在の管理センターまでを実測してみても、六キロメートル弱であるが、小岩井農場自体が広汎であり、次に見る通り、彼はここまでの倍以上は有にある鞍掛山山麓まで足を延ばす予定であるのだから、おかしくない。

「くらかけ山」既出既注であるが、再掲する。岩手県滝沢市にある鞍掛山。標高八百九十七メートル。岩手山の南東の裾野の低いピークで、小岩井農場の北方(直線)八キロ弱に位置する。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「おきなぐさ」既出既注

「黑ぶだう酒(しゆ)」赤ワインのこと。現在でも、赤ワインに使用されるブドウ品種は「黒ブドウ」と総称する。黒味がかった紫の果皮を持つ。なお、宮澤家「手入れ本」では、この「野はらは黑ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて」/「わたくしを欵待するだらう」の二行に「☓」印を附して削除している。

「本部」当時の小岩井農場内の本部と呼ばれた地区。小岩井農場本部事務所があった。suzukikeimori氏のブログ「宮澤賢治の里より」の「155 小岩井農場(その1)」で、まさにこの詩篇の通りに、小岩井駅から農場本部までの道を辿った記録が写真とともに読め、陸地測量部大正元年測図の地図も添えられている(なお、この地図から実測すると、当時の小岩井駅からこの本部まではせいぜいニキロメートル強であり、この距離の短さが、ここでの「本部まででも乘つた方がいい」という言い回しのニュアンスを腑に落ちさせる。なお、地図見ると、南東方向から北西に向けてのルートに「馬車鉄道」とあるが、賢治のそれは鉄道」ではないから、これとは関係がないものと判断する)。必見!

「あいまいな思惟の螢光(けいくわう)」/「きつといつでもかうなのだ)」馬車に乗って行きたい気が詩人の中で強く蠢いている。その紳士や御者が同乗を誘ってくれないかなどとも心内では密かに思ってもいる。しかし、賢治の持つ、ある種の、他者との接触や関係性を持つに際しての強く躊躇する感覚、不快な対人関係性を強く忌避する感覚が、同時に同じレベルで起こってきているようである。それが「もう馬車がうごいてゐる」という事実を前に、逆に「どうしやうか考へてゐるひまに」/「それが過ぎて」しまって、それまでの自分のこんがらかった意識が無化されてしまい、結局、「滅(な)くなるといふこと」を「これがじつにいゝことだ」とフィード・バックするのである。これは、この私(藪野)にはすこぶる腑に落ちることである。私も賢治と同じ感じを、日々、あらゆる場面で感ずる神経を持ってしまった人種だからである。なお、宮澤家「手入れ本」では、この二行を削除し、代りに丸括弧なしの「ところがどうだ」にしてあり、「(これがじつにいゝことだ」/「どうしやうか考へてゐるひまに」/「それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)」も一緒に「☓」印で削除している。こうした自身のアンビバレントな捩じれた感覚を賢治は最終的に抑制すべきと判断したようである。それは次の異様な削除と無縁ではあるまい。

「うしろからはもうたれも來ないのか」宮澤家「手入れ本」はこの行を縦線で削除し、そればかりか、次行の「つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)と」から九行目の「西にまがつて見えなくなつた」までの全十行に「☓」印を附し、上部の余白に『一行空け』と指示している。強い異様な賢治の内的検閲が感じられる。

「つつましく肩をすぼめた停車塲(ば)」小岩井駅のこと。「フォト蔵」の「あそびんにん」さんの撮られた現在の小岩井駅の写真をリンクさせておく。

sun-maid のから凾」「Sun-Maid」は現在も続く、一九一二年創業のアメリカ合衆国のドライ・フルーツ会社。公式サイト(日本語)の沿革をリンクさせておく。特に主力商品であるカリフォルニア・レーズンの乾葡萄で世界的に知られ、ここもそのトレード・マークの赤い帽子を被った摘んだ葡萄を入れた籠を抱えた少女を描いた罐(空「凾」(かん))であろう(前の「ガラス障子」に繋がるなら店の飾り窓に置かれたものか、しかし敢えて「空の罐」と言っているところや草鞋と併置されていて詩人はずんずん歩いているのであれば、誰かが食べ終えて打ち捨て、汚れて錆びたもののように私は見る)。グーグル画像検索「Sun-Maidでその意匠が見られる。

「丘かげの茶褐部落」「繋(つなぎ)」「宮澤賢治の詩の世界」の『「小岩井農場」詩碑』に、『「丘かげの茶褐部落」というのは、これだけではどこのことかわかりません。しかし「盛岡手づくり村・四季だより」というページの記載によれば、これは現在は御所ダムの造成によって御所湖の湖底に沈んでしまった』、二十『数戸の「尾入野部落」あたりを指すのだそうです。昔そのあたりには、長くて高い「茶褐色」の岩肌が露出した崖があったことと関係しているようです』。『 駅から出てきた人々の行き先としてもう一つ挙げられている「繋」の部落ともども、どちらも小岩井の駅からは線路をはさんで反対側の、南の方角にあたります』とある。

「步測のときのやう」遺跡や地質調査の際の歩測による距離実測をするかのように、謂いであろう。

「犁(プラウ)」plow。英語。耕作用の犁(すき)。『しばしば農業の象徴とされる』と英和辞典にある。

「ひわいろ」「鶸色」。鶸(スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する種群の総称であるが、「ヒワ」という種は存在しない)の羽の色に因んだ、黄味の強い明るい萌黄色。これ(サイト「伝統色のいろは」の鶸色のページ)。

「嫩葉(わかば)」「若葉」に同じい。

「鶯もごろごろ啼いてゐる」これはウグイスの囀りのオノマトペイアではあるまい。あちこちの茂みの中に「ごろごろ」いて、盛んに囀ているのであろう。

「(ほんたうの鶯の方はドイツ讀本の」/「ハンスがうぐひすでないよと云つた)」「ドイツ讀本」はドイツ語学習の初級読本のことであろう。幾つかの解釈があるようだが、私は「ハンス」をデンマークの詩人で童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen 一八〇五年~一八七五年)とし(そのドイツ語訳が先の本に載っていてなんら不思議でない)、彼の、中国を舞台に小夜啼鳥(さよなきどり:スズメ目ヒタキ科 Luscinia 属サヨナキドリ Luscinia megarhynchos:「西洋の鶯(うぐいす)」とも称せられるほど鳴き声が美しいとされ、「ナイチンゲール」の名でも知られる。別名を「ヨナキウグイス」(夜鳴鶯)或いは「墓場鳥」とも)の鳴き声を巡る童話「小夜啼鳥」(デンマーク語:Nattergalen/英語:Nightingale)のこととするのが、取り敢えずは腑に落ちるウィキの「小夜啼鳥童話によれば、同作は『「みにくいアヒルの子」などとともにアンデルセンの童話の中で最も有名なもののひとつで』、「ナイチンゲール」「夜鳴きうぐいす」の『題名でも知られる』。「あらすじ」は、『中国の皇帝の住む御殿と御苑は』、『とてもきらびやかでぜいたくなものであった。世界中の国から旅行者が中国の都にやってきて、だれもが』、『その御殿や御苑に感心したが、その中でも御苑の林に住む』、『さよなきどりの声が』、『いちばん素晴らしい』、『と皆が賞賛し、その声は』、『書物を通じて』、『皇帝の耳に入るようになった。しかし』、『皇帝自身は』、『さよなきどりを知らず、家来に』、『さよなきどりを探させる』。『家来の求めに応じて宮中に赴いたさよなきどりは』、『その美しい鳴き声で皇帝を感動させ』、『宮中にとどまるが、ある日、日本の皇帝から』、『細工物のさよなきどりが贈られる。宝石で飾られた美しい細工物のさよなきどりは』、『疲れることを知らず』、『同じ節で美しい鳴き声を奏で、いつしか』、『本物のさよなきどりはいなくなってしまう。しかし、皆は』、『常に同じ節で鳴く細工物のさよなきどりで満足し』、『誰もが』、『その節を覚えてしまう』。『それから五年がたち、皇帝は重い病にかかる。皇帝はすでに死神に魅入られており、皇帝は細工物のさよなきどりの声を求めるが』、『ねじを巻くものは誰もいなかった。そこに本物のさよなきどりがやってきて』、『鳴き声を聞かせる。死神はさよなきどりの美しい声を聞くと消えてしまい、皇帝は死の淵から復活する』というものである。この寓話は、世間の人々が「ほんたうの鶯」(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)「の方」を愛さず、「〈機械仕掛けの偽物の鴬(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)〉を賞翫した救い難い愚かさを中心に据えているわけだが、私は、それを賢治は、「ほんたうの鶯の方」を「ドイツ讀本の」「ハンス」・アンデルセンの「ナイチンゲール」の童話では(それは「ほんたうの鶯」(「うぐひす」)「でない」「サヨナキドリ」の物語であるけれども)「ほんたうの鶯」(≒サヨナキドリ=夜啼鶯)「の方」を愚かな人々は「うぐひすでないよと云つた」哀れに悲しい話を書いていたのを思い出した、と言いたいのではなかろうか? と読むのである。即ち、ここには実は、賢治が他者に対して内心強く持っていた「君たちの認識や感覚はどこか違う! そこには致命的な誤認があるのではないか?」という他者との乖離感情に裏打ちされたものがあると読み、しかも同時にまた、それを抑圧せねばならないという意識も働いたために、この部分には表現上の舌足らずな、一見、難解に見える捩じれ(フロイト風に言えば「言い間違い」)が生じたのではないか? というのが私の分析である。

「このひとはもうよほど世間をわたり」/「いまは靑ぐろいふちのやうなとこへ」/「すましてこしかけてゐるひとなのだ」私が前の注の末尾に示した賢治の世間(外界の一部である人間社会)に対する強い乖離感覚による、批判的言辞として私にはすこぶる腑に落ちる。

「冬にきたときとはまるでべつだ」宮澤家「手入れ本」では、この行を縦線で抹消し、次行「みんなすつかり變つてゐる」以下、最後まで総てに「☓」印を附している。則ち、前の「すましてこしかけてゐるひとなのだ」という物言いを以って断ち截られてしまっているのである。これは尋常なこととは思われない。だからこそ、私は前に述べた乖離が、この「手入れ」をしている最中、ある種、病的なまでに賢治の中で昂まっていたようにさえ感ずるのである。しかし、本詩篇パートがかくされて公刊されていたら、私はこの「小岩井農場」のイメージは激しく厭な感じに変性していたと思う。

「萬法流轉(ばんぽうるてん)」日蓮宗の信者の彼らしい言い方である。万「物」流転ではないのである、「物」は単なる仮の姿の変性したものに過ぎない(私に言わせれば、「荘子」の言う「物化」そのものである)、大切な真の実在は仏教にあっては「法」(カルマ)のみである。因みに日蓮宗の「南無妙法蓮華經」の定番の筆書きは鬚文字と呼ばれ、つんつんと棘のように飛び出ているのは御存じだろう。但し、「法」にのみそれはない。カルマに棘があってはいけないのである。

「標本」これは科学的な冷たい実体標本の意味ではなく、「標本」本来の持つ意味、則ち、動物・植物・鉱物などの自然界の対象物の全種・全種類の、その自然のままの基本的属性・あるがままの正しき様態を示すために存在し、「繼起(けいき)」(着実にその核心を継ぎ、また新たに生起する)ものの総ての象徴の謂いである。それはまさに「新鮮な奇蹟」以外の何ものでもない。

「七つ森」既出既注であるが、再掲しておく。岩手県岩手郡雫石町の岩手山南麓に広がる里山の森。賢治の幻想の「イーハトーブ」世界の一部に比定されている(現在、国名勝指定)。「生森(おおもり)」・「石倉森」・「鉢森」・「三角(みかど)森」・「見立森(みてのもり)」・「勘十郎森」・「稗糠(ひえぬか)森」の七つの独立した丘陵を名数として数える。ここ(グーグル・マップ・データ)。

2018/11/12

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

Annerida1

Annerida2

Annerida3

 

     蠕蟲(アン ネリダ)舞手(タン  エーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガア)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさな蠕蟲(ぜんちゆう)が

水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれたこけの花軸など

 (ナチラナトラのひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

  エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

  ことにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

それともみんなはじめから

おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい またくそれにちがひません

   エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

[やぶちゃん注:私が仮に使用した「8」・「γ」・「e」・「6」・「α」に相当する文字は非常に特殊なもので、現行の如何なるフォントとも異なるため、冒頭に底本の全詩篇を画像で示しておいたネット上では、信頼のおける優れた宮澤賢治サイトでも、どこも異様にでっぷりした「8」「6」の数字が無惨にも使用されてあり、これは見ただけで気分が悪くなって食指が動かなくなる)。本文では比較的近いかとも思われるフォント「Monotype Corsiva」(モノタイプ・コルシバ)を「γ」(これはTimes New Roman)使用し、それらをまた、斜体にしたり、太字にしたりして使用して底本のそれに近づけてはみた。ブラウザの不具合を考えて標題のルビを小さくした。なお、本文中の「体」はママである。

・最終行から十行前の「ひいさま いらつしやます」はママ。原稿は「いらつしやいます」となっているので誤植であるが、「手入れ本」にもない。全集校訂本文は特異的に原稿に従って補正している。

・最終行から七行前の「ふん、水はおぼろで」の「おぼろ」は底本では「おぼろ」であるが、「正誤表」に載るので訂した。

・最終行から二行目の「(はい またくそれにちがひません」の「またく」は原稿では「まつたく」で誤植

 大正一一(一九二二)年五月二十日の作。現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。

 読んでいて違和感を感じた方も多いと思うが、一部の字下げに致命的な植字ミスがあり、「手入れ本」」でも修正されてあるので、以下に原稿を示す。推敲過程も示した。「■」は全集編者の判読不能字。

   *

 

     蠕蟲(アン →ネ〕リダ)舞手(タン  エーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)[やぶちゃん注:「アガー」はママ。]

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさな〔→ぜ〔→ん〕〕蟲(ちゆう)が[やぶちゃん注:これだと、本文は「ぜん蟲(ちゆう)」となるはずが、実際には「蠕蟲(ちゆう)」である。]

水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など[やぶちゃん注:「苔」は底本では「こけ」。]

 (ナ〔ティテゥ→チュ〕ラナトラのひいさまは[やぶちゃん注:これだと「ナチユラトラ」(全集は促音表記を実施)となるはずだが、実際は「ナチラナトラ」である。「手入れ本」修正もない。]

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:底本では、「えゝ」の後の一字空けはない。]

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:底本はカタカナの読みを本文として並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

  〔→こ〕とにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   〔→わたし〕は石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから[やぶちゃん注:底本の致命的誤植(字下げなし)。]

   おぼろに靑い夢だやら[やぶちゃん注:底本の致命的誤植(字下げなし)。]

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) γα〕(アルフア)[やぶちゃん注:底本はカタカナの読みを本文同ポイントとして並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい まつたくそれにちがひません

  〔88〕(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 66(スイツクス) α(アルフア)[やぶちゃん注:行を二字下げから三字下げに変更指示。底本はカタカナの読みを本文同ポイントとして並べるだけで、文字はない。しかし、「手入れ本」に修正はない。]

  ことにもアラベスクの飾り文字)[やぶちゃん注:行を二字下げを三字下げに変更指示。]

 

   *

ごちゃついたので、原稿通りに行った場合を、以下に再現してみる。

   *

 

   *

 

     蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさなぜん蟲(ちゆう)が水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など

 (ナチユラナトラのひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

水晶体や鞏膜(きやうまく)の

オペラグラスにのぞかれて

おどつてゐるといはれても

眞珠の泡を苦にするのなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから

   おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   ハツハツハ

 (はい まつたくそれにちがひません

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

   *

最後に宮澤家「手入れ本」の最終形を再現しておく。「《い》」は私の推定挿入補正字。

   *

 

     蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)

 

 (えゝ、水ゾルですよ

  おぼろな寒天(アガー)の液ですよ)

日は黃金(きん)の薔薇

赤いちいさなぜん蟲(ちゆう)が水とひかりをからだにまとひ

ひとりでをどりをやつてゐる

 (えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

羽むしの死骸

いちゐのかれ葉

眞珠の泡に

ちぎれた苔の花軸など

 (赤いちいさなひいさまは

  いまみづ底のみかげのうへに

  黃いろなかげとおふたりで

  せつかくおどつてゐられます

  いゝえ、けれども、すぐでせう

  まもなく浮いておいででせう)

赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は

とがつた二つの耳をもち

燐光珊瑚の環節に

正しく飾る眞珠のぼたん

くるりくるりと廻つてゐます

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

脊中きらきら燦(かがや)いて

ちからいつぱいまはりはするが

眞珠もじつはまがひもの

ガラスどころか空氣だま

 (いゝえ、それでも

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

せなかきらきらかゞやいて

ちから《い》つぱいおどつてゐるといはれても

じつはからだの泡を苦にしてはねまはるなら

おまへもさつぱりらくぢやない

   それに日が雲に入つたし

   わたしは石に座つてしびれが切れたし

   水底の黑い木片は毛蟲か海鼠(なまこ)のやうだしさ

   それに第一おまへのかたちは見えないし

   ほんとに溶けてしまつたのやら

   それともみんなはじめから

   おぼろに靑い夢だやら

 (いゝえ、あすこにおいでです おいでです

  ひいさま いらつしやいます

 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)

  ことにもアラベスクの飾り文字)

ふん、水はおぼろで

ひかりは惑ひ

蟲は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字かい

   あゝくすぐつたい

 (はい まつたくそれにちがひません

 エイト ガムマア イー スイツクス アルフア

   ことにもアラベスクの飾り文字)

 

   *

 私は、総ての行のそれを「8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スイツクス) α(アルフア)」で表記すべきであったと個人的には思う。

 なお、筑摩旧校本全集版ここに限らず、底本にも原稿にもある読点を、校訂本文では総て除去していることに気づいた。これはひどい仕儀で暴挙に等しく、激しく失望した。

「蠕蟲(アン ネリダ)舞手(タン  エーリン)」ルビの字空けは底本を再現しただけ。実際には「アンネリダ・タンツエーリン」でよく、「Annelida Tänzerin」。「Annelida」は動物界環形動物門 Annelida のこと。ヒル・ミミズ・ゴカイ類(多毛類)の仲間。但し、ここに出る対象生物は環形動物ではない。後注する。一方、Tänzerin」の方はドイツ語で、「踊る女・女流武道家・女性ダンサー・バレリーナ・舞姫」の意である。カタカナ音写は「テンツェリン」が近い。

「水ゾル」「ゾル」はドイツ語「Sol」で、コロイド粒子(colloid:物質が〇・一~〇・〇〇一マイクロメートル程度の微粒子となって液体・固体・気体の中に分散している状態)が液体中に分散していて且つ流動性を呈しているもの。ここはそうした水溶液を指す。

「寒天(アガア)の液」「アガア」は「agar」でテングサなどの紅藻類から粘液質を煮出して凍結・乾燥した寒天。食材の他、微生物培養の培地などに用いる。ここは恐らく、ちょっした、相応に時間が経過して、菌類・藻類・小動物等が、ある程度まで繁殖し、粘性が高まった、水溜り(後で「みづ底のみかげ」(御影石。神戸の御影地方が産地として有名だったことから、花崗岩質岩石の石材名)と出るので、池ではあっても、人造の樽とか鉢のような容器ではない)のそれを指している。

「日は黃金(きん)の薔薇」前記の水溜りの太陽光が差し、液体中の微粒子の密度が高くなっているために、複雑な乱反射を起しているのを形容していよう。

「赤いちいさな蠕蟲(ぜんちゆう)諸家の多くが、ただボウフラ(蚊(節足動物門昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角・カ)亜目カ下目カ上科カ科 Culicidaeの幼虫)とするが、いただけない。これは「赤い」とあるのだから、明らかに通常のカの幼虫ではなく、カ下目 Culicomorpha のユスリカ上科ユスリカ科 Chironomidae のユスリカ(揺蚊)類の幼虫であるアカムシ(アカボウフラ)である。本邦の釣りや金魚の生餌に販売されている国産種(実際には海外からの低価格なものが多い)のそれは、ユスリカ属オオユスリカ Chironomus plumosus・アカムシユスリカ Tokunagayusurika akamusi などであるが、ウィキの「ユスリカ」によれば(下線太字やぶちゃん)、『非常に種類が多く、世界から約』一万五千『種、日本からは約』二千『種ほどが記載されて』おり、『水生昆虫の中では』一『科で擁する種数が最も多いものの一つである』とある。『成虫は』蚊『によく似た大きさや姿をしているが、刺すことはない。また』、『カのような鱗粉も持たないため、カと見誤って叩いても、黒っぽい粉のようなものが肌に付くことはない』(但し、成虫群体の死骸が喘息を引き起こすアレルゲンにはなる。しかしそれは彼らに限ったことではない)。『しばしば』、『川や池の近くで蚊柱をつくる』。蚊に『よく似ており、電灯の灯などにもよく集まるが、カとは科が異なる昆虫で、カのように動物や人を刺したり、その血液を吸うことはない。他の双翅目の昆虫同様、翅は』二『枚のみで、後翅は平均棍という微小な器官に変化している。成虫は微小』か『小型で、体長は』〇・五~一センチメートル『程度。メスの触角は普通だが、オスのそれは全方位に生えた多数の横枝』を有して『ブラシ状を呈し、カのそれよりも短めでふさふさに見える』。『幼虫はその体色からアカムシまたはアカボウフラと呼ばれるが、カの幼虫である本来のボウフラとは形状が大幅に異なる。通常』、『細長い円筒形で、本来の付属肢はない。頭は楕円形で、眼、触角、左右に開く大腮や、そのほか多くの付属器官があ』る(『これらの微細な形態』は『幼虫の分類に使われる』)。『口のすぐ後ろには前擬脚と呼ぶ』一『つの突起があり、その先端には多くの細かい爪があって付属肢の様に利用する。腹部末端にも』一『対の脚があり、やはり』、『先端に爪があり』、『体を固定したりするのに役に立っている。また通常、体の後端には数対の肛門鰓をもっており、ユスリカChironomus など一部のグループには腹部にも血鰓(けっさい:血管鰓とも言う)を有するものもある』。『川や用水路などで発生するが、特に生活排水などで汚れた「どぶ川」では大量発生することがある。ドブの泥を集めて棲管を作り、そこから上半身をのりだしてゆらゆらするのがよく見られる。ただし、種数からすれば』、『ドブにすむものはごく一部で、富栄養化の進んでいない普通の川や池沼、あるいは清流にすむものも多い。ウミユスリカ類』(ユスリカ科エリユスリカ亜科 Orthocladiinae ウミユスリカ属 Clunio・モバユスリカ属 Thalassosmittia 等)『の幼虫は潮間帯やサンゴ礁に棲む。また渓流の落ち葉に潜り込むもの、岩の上に棲管を張り付かせるもの、わずかに水が流れる岩の上に棲むもの、土壌中に棲むもの、その他、特殊な生息場をもつものも知られている。周囲の泥や砂をつづって巣を作るものもあり、ナガレユスリカ属』(ユスリカ科ナガレユスリカ属 Rheotanytarsus)『のように巣の入り口に特殊な縁飾りを作るものや、トビケラ目』(昆虫綱毛翅上目トビケラ目 Trichoptera)『に似た可携巣』(かけいそう:個体自体が持ち運び可能な巣。昆虫一般には蓑虫状・小型ドーム状等を呈することが多い)『を作るものなどがある。食生はデトリタスを食べるものが多いと考えられるが、モンユスリカ亜科』(Tanypodinae:五十属以上)『のように肉食のものや、他の水生昆虫に寄生するものなどもある。蛹はカのそれであるオニボウフラを細長くしたような姿で、水面に泳ぎ上がって、水面で羽化が行なわれる』。『羽化した成虫は川の近くで、たくさん柱状に集まって飛んでいることがよくある。いわゆる「蚊柱」をつくっている昆虫である。蚊柱は』、一『匹の雌と多数の雄で構成されている。これは群飛(swarming)と呼ばれる』。『蚊柱が形成される理由は交尾のためで、成虫は交尾を済ませ産卵を終えるとすぐに死ぬ。成虫の寿命は長くても』、一~『数日ぐらいである』。『また、成虫は口器が無く』、『消化器も退化して痕跡化しているので、一切餌を摂る事ができない』。ああ、蜉蝣(かげろう)たちと同じだ……吉野弘の「I was bornを思い出す(リンク先は私のものではない)……

「えゝ」後の、「いゝえ」との軽い呼応を考えれば、ここは軽い応答の添え辞である「はい」の意であろう。

「ことにも」「殊にも」。

「アラベスクの飾り文字」アラベスク(arabesqu:アラビア風)はモスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式。幾何学的文様(しばしば植物の唐草模様や動物をごくフォルム化した形を基とする)の反復形をとる。ここは言わずもがな、「8(エイト)」・「 γ(ガムマア)」・「e(イー)」・「 6(スイツクス)」・「α(アルフア)」のそれぞれの文字のような軌跡をアカムシたちが水中でダンスすることの、別比喩である。

「羽むし」「羽蟲」。狭義にはアリ・シロアリ類で、初夏から盛夏にかけての交尾期に、羽化して巣から飛び立った女王アリと雄アリを指す。所謂、「はねあり」であるが、ここは小型の薄い翅を持つ類を広く指していよう。

「いちゐ」種としては被子植物門双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属イチイガシ Quercus gilva を指すが、岩手県には植生しないから(関東以西)、これは同じコナラ属 Quercus の「小楢(コナラ)」(Quercus serrata)・「水楢(ミズナラ)」(Quercus crispula)・「柏・槲(カシワ)」(コナラ亜属 Quercus Mesobalanus節カシワ Quercus dentata)・「楢柏(ナラガシワ)」(Quercus aliena)・「櫟(クヌギ)」(Quercus acutissima)の孰れかの賢治の誤認(誤呼称・当地での慣用呼称)と思われる。なお、裸子植物門イチイ綱イチイ目イチイ科イチイ属イチイ Taxus cuspidate は全く違う種なので注意。

「眞珠の泡」粘性が高まっているから、この形容は腑に落ちる。

「ナチラナトラ」私は漠然と「ナチューラ・ナトゥーラ」でラテン語に同じ意味のフランス語かイタリア語辺りの「自然」の語を組み合わせた、「本源的な自然」の意味で読んでいたが、考えてみれば、この重語には何か意味がありそうで、調べてみると、玉井晶章氏の論文『宮澤賢治「蠕虫舞手アンネリダタンツェーリン)」ナチラナトラの意味京都語文二〇一六十一月・佛教大学国語国文学会刊)PDFで、これについて、

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号と引用の字下げを除去させて貰った。]

 この単語について『定本宮澤賢治語彙辞典』を確認すると「意味不明の語だが、おそらく賢治は日本語で「天然自然」と重ねるように、ラテン語の natura (ナートゥーラ、本性、自然、ドイツ語ではナトゥールNatur)の音を借りてエキゾチックに、「本性、自然のおひめさま」の意味で使った」と説明されているが、やはりよく分からない。ただ、少なくとも賢治の造語でないことは確かなようだ。

 この「ナチラナトラ」の意味だが、大正一三年九月発行の雑誌『改造』に発表された辻[やぶちゃん注:辻潤。]の「錯覚したダダ」に、それを読み解くヒントがある

 

 しかし、中には平野青夜の如き男爵にしてエスペランチストであるダダでもあり、隠れた素晴らしい形而上学者もいるのである。ダダを単一狭隘な範疇に押し込めようとするのがそもそもの誤訳であって、一切のナチュラナトゥランスはダダなのだから、宮澤賢治君が『春と修羅』にそれを唱うことは毫も不思議とするに足りないのである。

 

 辻は平野青夜がダダ詩人でありながら、優れた形而上学者でもある視点を、賢治にも取り入れている。そして賢治がダダ詩人でありながら、詩で「ナチュラナトゥランス」を表現していると批評した。ここにある「ナチュラナトゥランス」とは一体どういう意味なのだろうか。この単語だが、恐らくはスピノザやブルーノといった西洋の近世哲学者が用いた「natura naturans」を指しているものと思われる。一般的にはスピノザが『エチカ』(一六七七年)において解説した、一切の存在を産み出す、万物の内在的原因である唯一の実体としての神の意味が知られており、「ナチュラナトゥランス」もその発音読みであると見て間違いない。

   《引用終了》

とある。森本誠一サイトに、『能産的自然(natura naturans)』として、『創造主としての神を意味し、自然はこの唯一絶対的な実体である神が生ぜしめているものとされる。スピノザの標語』とあった。同氏サイト記載によれば、スピノザは「所産的自然(natura naturata)」という語(概念)も用いており、そちらは、『神から産み出された被造物としての自然を指す。この意味での自然は神から産み出されたものとしての自然であり、それゆえ神即自然というスピノザの標語となっている』ともある。なお、「赤い蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)」について、先の玉井晶章氏は、主人公(詩人宮澤賢治)『とってのい小さな生物の本体とは、信仰の対象としての神である。「ワタシ」が「ナチラナトラのひいさま」に対して敬語を用いるのも、信仰の神に対する尊崇の念と捉えれば、すんなり読み解けるのではないだろうか』と述べてもおられることを、ここに示してはおく(それに賛同しているわけではない)。

「ひいさま」「姫様(ひめさま)」の転訛。 高貴な人の令嬢を敬っていう語。お嬢様。無論、アカムシを指す。強い目立つ赤い色は私には「ひいさま」が腑に落ちる。

「黃いろなかげ」アカムシの「おひいさま」自身の太陽光の乱反射による黄色い影。

「とがつた二つの耳をもち」アカムシの前頭部上方にある一対の触角を指すと思われる。

「燐光珊瑚の環節」「燐光」は賢治の幻想上の形容と思う(但し、「燐光」はないが、珊瑚類には「蛍光発光」するものがいることは事実である(蛍光する理由はよくわかっていない)。しかし、それをこの当時、賢治が知っていたとは思われない。こちらの旅行会社のブログの「蛍光発光ダイビング(FLUO-diving)」を参照されたい)。腔腸(刺胞)動物であるサンゴ類に対して「環節」という表現は正しい謂いである。

「水晶体や鞏膜(きやうまく)の」/「オペラグラスにのぞかれて」覗いている主体者である詩人を客体化した表現。「水晶体」は賢治の眼球の「水晶体」であり、彼の眼の「鞏膜」(角膜とともに眼球の外壁を構成する強靱な膜)であり、その前に当てがっている「オペラグラス」(ここは拡大鏡をお洒落に言い換えた。アカムシの「ひいさま」のバレエ・オペラの華麗なる舞台を見ているのだから)によって私に「のぞかれて」いるのである。

「眞珠の泡を苦にするのなら」中深のそれや水面近くのそれらは内側に働く表面張力によって、アカムシ「ひいさま」は、その球体面に吸い着いてしまうと、身動きも呼吸も不自由になってしまうからである。]

2018/11/11

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 眞空溶媒

 
 

 眞  空  溶  媒

 
 
 
      眞 空 溶 媒

       ( Eine Phantasie im Morgen

 

融銅はまだ眩(くら)めかず

白いハロウも燃えたたず

地平線ばかり明るくなつたり陰(かげ)つたり

はんぶん溶けたり澱んだり

しきりにさつきからゆれてゐる

おれは新らしくでパリパリの

銀杏(いてう)なみきをくぐつてゆく

その一本の水平なえだに

りつぱな硝子のわかものが

もうたいてい三角にかはつて

そらをすきとほしでぶらさがつてゐる

けれどもこれはもちろん

そんなにふしぎなことてもない

おれはやつぱり口笛をふいて

大またにあるいてゆくだけだ

いてふの葉ならみんな靑い

冴えかへつてふるえてゐる

いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき

白い輝雪(きうん)のあちこちが切れて

あの永久の海蒼(かいさう)がのぞきでてゐる

それから新鮮なそらの海鼠(なまこ)の匂

ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた

こんなににはかに木がなくなつて

眩ゆい芝生(しばふ)がいつぱいいつぱいにひらけるのは

さうとも 銀杏並樹(いてふなみき)なら

もう二哩もうしろになり

野の綠靑(ろくせう)の縞のなかで

あさの練兵をやつてゐる

うらうら湧きあがる昧爽(まいさう)のよろこび

氷ひばりも啼いてゐる

そのすきとほつたきれいななみは

そらのぜんたいにさへ

かなりの影(えい)きやうをあたへるのだ

すなはち雲がだんだんあをい虛空に融けて

たうたういまは

ころころまるめられたパラフヰンの團子(だんご)になつて

ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ

地平線はしきりにゆすれ

むかふを鼻のあかい灰いろの紳土が

うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて

あるいてゐることはじつに明らかだ

(やあ こんにちは)

(いや いゝおてんきですな)

(どちらへ ごさんぽですか

  なるほど ふんふん ときにさくじつ

  ゾンネンタールが沒(な)くなつたさうですが

  おききでしたか)

 (いゝえ ちつとも

  ゾンネンタールと はてな)

 (りんごが中(あた)つたのださうです)

 (りんご、ああ、なるほど

  それはあすこにみえるりんごでせう)

はるかに湛(たた)える花紺靑の地面から

その金いろの苹果(りんご)の樹が

もくりもくりと延びだしてゐる

 (金皮のまゝたべたのです)

 (そいつはおきのどくでした

  はやく王水をのませたらよかつたでせう)

 (王水、口をわつてですか

  ふんふん、なるほど)

 (いや王水はいけません

  やつぱりいけません

  死ぬよりしかたなかつたでせう

  うんめいですな

  せつりですな

  あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)

 (えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)

いつたいなにをふざけてゐるのだ

みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が

はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて

いまではやつと南京鼠(なんきんねずみ)のくらゐにしか見えない

 (あ、わたくしの犬がにげました)

 (追ひかけてもだめでせう)

 (いや、あれは高價(たか)いのです

  おさへなくてはなりません

  さよなら)

苹果(りんご)の樹がむやみにふえた

おまけにのびた

おれなどは石炭紀の鱗木(りんばく)のしたの

ただいつぴきの蟻でしかない

犬も紳士もよくはしつたもんだ

東のそらが苹果林(りんごばやし)のあしなみに

いつぱい琥珀をはつてゐる

そこからかすかな苦扁桃(くへんたう)の匂がくる

すつかり荒(す)さんだひるまになつた

どうだこの天頂(ちやう)の遠いこと

このものすごいそらのふち

愉快な雲雀(ひばり)もたうに吸ひこまれてしまつた

かあいさうにその無窮遠(むきうゑん)の

つめたい板の間(ま)にへたばつて

瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない

もう冗談ではなくなつた

畫かきどものすさまじい幽靈が

すばやくそこらをはせぬけるし

雲はみんなリチウムの紅い熖をあげる

それからけわしいひかりのゆきき

くさはみな褐藻類にかはられた

こここそわびしい雲の燒け野原

風のヂグザグや黃いろの渦

そらがせわしくひるがへる

なんといふとげとげしたさびしさだ

 (どうなさいました 牧師さん)

あんまりせいが高すぎるよ

 (ご病氣ですか

  たいへんお顏いろがわるいやうです

 (いやありがたう

  べつだんどうもありません

  あなたはどなたですか)

 (わたくしは保安掛りです)

いやに四かくな背(はい)囊だ

そのなかに苦味丁幾(くみちんき)や硼酸(ほうさん)や

いろいろはいつてゐるんだな

 (さうですか

  今日なんかおつとめも大へんでせう)

 (ありがたう

  いま途中で行き倒(たほ)れがありましてな)

 (どんなひとですか)

 (りつぱな紳士です)

 (はなのあかいひとでせう)

 (さうです)

 (犬はつかまつてゐましたか)

 (臨終(りんじふ)にさういつてゐましたがね

  犬はもう十五哩もむかふでせう

  じつにいゝ犬でした)

 (ではあのひとはもう死にましたか)

 (いゝえ露がおりればなほります

  まあちよつと黃いろな時間だけの假死(かし)ですな

  ううひどい風だ まゐつちまふ)

まつたくひどいかぜだ

たほれてしまひさうだ

沙漠でくされた駝鳥(だてう)の卵

たしかに硫化水素ははいつてゐるし

ほかに無水亞硫酸

つまりこれはそらからの瓦斯の氣流に二つある

しやうとつして渦になつて硫黃華(くわ)ができる

    氣流に二つあつて硫黃華ができる

        氣流に二つあつて硫黃華ができる

 (しつかりなさい しつかり

  もしもし しつかりなさい

  たうたう參つてしまつたな

  たしかにまゐつた

  そんならひとつお時計をちやうだいしますかな)

おれのかくしに手を入れるのは

なにがいつたい保安掛りだ

必要がない どなつてやらうか

         どなつてやらうか

            どなつてやらうか

               どなつ……

水が落ちてゐる

ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ

惡い瓦斯はみんな溶けろ

 (しつかりなさい しつかり

  もう大丈夫です)

何が大丈夫だ おれははね起きる

 (だまれ きさま

  黃いろな時間の追剝め

  飄然たるテナルデイ軍曹だ

  きさま

  あんまりひとをばかにするな

  保安掛りとはなんだ きさま)

いゝ氣味だ ひどくしよげてしまつた

ちゞまつてしまつたちいさくなつてしまつた

ひからびてしまつた

四角な背囊ばかりのこり

たゞ一かけの泥炭(でいたん)になつた

ざまを見ろじつに醜(みにく)い泥炭なのだぞ

背囊なんかなにを入れてあるのだ

保安掛り、じつにかあいさうです

カムチヤツカの蟹の罐詰と

陸稻(をかぼ)の種子がひとふくろ

ぬれた大きな靴が片つ方

それと赤鼻紳士の金鎖

どうでもいゝ 實にいゝ空氣だ

ほんたうに液体のやうな空氣だ

 (ウーイ 神はほめられよ

  みちからのたたふべきかな

  ウーイ いゝ空氣だ)

そらの澄(ちやう)明 すべてのごみはみな洗はれて

ひかりはすこしもとまらない

だからあんなにまつくらだ

太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず

おれは數しれぬほしのまたたきを見る

ことにもしろいマヂエラン星雲

草はみな葉綠素を恢復し

葡萄糖を含む月光液(げつくわうえき)は

もうよろこびの脈さへうつ

泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる

 (もしもし 牧師さん

  あの馳せ出した雲をごらんなさい

  まるで天の競馬のサラアブレツドです)

 (うん きれいだな

  雲だ 競馬だ

  天のサラアブレツドだ 雲だ)

あらゆる變幻の色彩を示し

……もうおそい ほめるひまなどない

虹彩はあはく變化はゆるやか

いまは一むらの輕い湯氣(ゆげ)になり

零下二千度の眞空溶媒(しんくうようばい)のなかに

すつととられて消えしまふ

それどこでない おれのステツキは

いつたいどこへ行つたのだ

上着もいつかなくなつてゐる

チヨツキはたつたいま消えて行つた

恐るべくかなしむべき眞空溶媒は

こんどはおれに働きだした

まるで熊の胃袋のなかだ

それでもどうせ質量不變の定律だから

べつにどうにもなつてゐない

といつたところでおれといふ

この明らかな牧師の意識から

ぐんぐんものが消えて行くとは情ない

 (いやあ 奇遇ですな)

 (おお 赤鼻紳士

  たうたう犬がおつかまりでしたな)

 (ありがたう しかるに

  あなたは一体どうなすつたのです)

 (上着をなくして大へん寒いのです)

 (なるほど はてな

  あなたの上着はそれでせう)

 (どれですか)

 (あなたが着ておいでなるその上着)

 (なるほど ははあ

  眞空のちよつとした奇術(ツリツク)ですな)

 (えゝ さうですとも

  ところがどうもおかしい

  それはわたしの金鎖ですがね)

 (えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)

 (ははあ 泥炭のちよつとした奇術(ツリツク)ですな)

 (さうですとも

  犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)

 (なあにいつものことです)

 (大きなもんですな)

 (これは北極犬です)

 (馬の代りには使へないんですか)

 (使へますとも どうです

  お召しなさいませんか)

 (どうもありがたう

  そんなら拜借しますかな)

 (さあどうぞ)

おれはたしかに

その北極犬のせなかにまたがり

犬神のやうに東へ步き出す

まばゆい綠のしばくさだ

おれたちの影は靑い沙漠旅行(りよかう)

そしてそこはさつきの銀杏(いてふ)の竝樹

こんな華奢な水平な枝に

硝子のりつぱなわかものが

すつかり三角になつてぶらさがる

 

[やぶちゃん注:全二百四十八行から成る長篇詩。大正一一(一九二二)年五月十八日の作。現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。

 誤植が甚だ多く、最後部の三箇所以外(●で示した)は「正誤表」にも載らない。賢治自身の歴史的仮名遣の誤りや慣用誤用や口語使用も含まれるが、まず、それらを一括して箇条で掲げる。但し、原稿と相違していても、底本に用法上の違和感(私の、である)がなく、「手入れ本」での修正が行われいないものは省略した。なお、本文中の「体」はママである。

・「銀杏(いてう)」と後の「いてふ」「銀杏並樹(いてふなみき)」「銀杏(いてふ)」(最終行から四行目)はママ。最初のそれは底本原稿から、「いてふ」の誤植であることが判る。なお、「いてふ」とするのは、江戸時代の歴史的仮名遣の一つとして現に存在し、今もそう書く人も有意に多い。これは、当時、「公孫樹・銀杏」の読み(現代仮名遣「いちょう」)に対して唱えられた語源説の一つである「一葉(いちえふ)」の約されたものという説によったためであるが、現行では、正しい歴史的仮名遣は「いちやう」とされている。しかし、「手入れ本」には修正は全くない。賢治は歴史的仮名遣を「いてふ」で覚えいたということである。

・「新らしくで」原稿は「新しくて」。「で」は「て」の誤植であるが、「正誤表」にはないので、ママとした。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「そらをすきとほしでぶらさがつてゐる」原稿「そらをすきとほして」。「で」は「て」の誤植。これには「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「そんなにふしぎなことてもない」原稿「ことでもない」。「て」は「で」の誤植。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「冴えかへつてふるえてゐる」「ふるえる」は原稿もママ。筑摩版校訂本文も「ふるえる」のままとしている(同全集は賢治の独特の語彙や漢字使用及び表現の強い癖などの場合には、正統な歴史的仮名遣による強制補正を行っていない。これは私は正しいやり方だと考えている。同じ筑摩書房の萩原朔太郎全集が、その強制補正を朔太郎著作の総てに対し、有無を言わさず、行ってしまっているのとは大違いである)。「手入れ本」には修正はない。

・「輝雪(きうん)」ママ。原稿「輝雲(きうん)」であるから、強烈な誤植。迂闊な読者はルビで無意識に誤字と認めずに読み過ぎた者も多かろう。しかし、実は「手入れ本」には修正がないのである。高い確率で、賢治自身や彼の周辺の人々さえも、このルビで騙されて、誰一人として気づかなかったものと推定される。

・「綠靑(ろくせう)」ママ。原稿もママ。歴史的仮名遣は「ろくしやう」が正しい。筑摩版校訂本文も「ろくせう」のままとしている。

・「たうたういまは」の「たうたう」は原稿もママ。「到頭」であるから、「たうとう」が正しい。全集校訂本文は「たうたう」なままとしている。但し、「手入れ本」の二種には修正が有るから、ここは「たうとう」を校訂本文と採るべきであるように私は思う。

・「むかふを鼻のあかい灰いろの紳土が」「紳士」の誤植。「手入れ本」修正なし。私も初読時、見落とした。

・「(やあ こんにちは)」/「(いや いゝおてんきですな)」/「(どちらへ ごさんぽですか」の三行のみが字下げなしで記されているのはママ原稿では、これらは、ちゃんと一字下げとなっており、後の「なるほど ふんふん ときにさくじつ」の文字本文と綺麗に並んでいるから、これは誤植である。しかし、「手入れ本」にも修正指示がない。これはこの三行が底本の右ページ(三十八ページ)の末三行であるため、実際に本を開いて読んだ場合、ページが綴目の中央内側に反ること、また、この三行の丸括弧(「(」)のそれが、字下げしていないにも拘わらず、字下げ的な錯視的効果を与えることから、左ページの二字下げに視覚的に影響を受け、都合よく錯覚を起こしたからではないかと私は推定する。

・「湛(たた)える」原稿もママ。「手入れ本」の修正もない。筑摩版全集もママ。

・「「おれなどは石炭紀の鱗木(りんばく)のしたの」ルビは「りんぼく」の誤植。「手入れ本」修正なし。私も初読時、見落とした。

・「たいへんお顏いろがわるいやうです」末尾の丸括弧閉じるが、ない。原稿「たいへんお顏いろがわるいやうです)」。誤植。「手入れ本」の一部に修正が有る。

・「いま途中で行き倒(たほ)れがありましてな)」原稿ではルビは「行き倒(だほ)れ」。「ほ」はママであるが、「だ」は誤植である。しかし「手入れ本」には修正はない。賢治やその周辺の人々はここに限っては誤り(ポイント最小のルビ活字の濁点の誤植)を見落としていたと考えられる。

・「たほれてしまひさうだ」「たほれ」は前注と同じく原稿もママ。全集校訂本文もママ。

・「すつととられて消えしまふ」ママ。原稿は「すつととられて消えてしまふ」なので、脱字。宮澤家「手入れ本」で「て」を補う。

・「(あなたが着ておいでなるその上着)」はママ。原稿は「(あなたが着ておいでになるその上着)」なので、脱字であるが、「手入れ本」の補正はない。「おいでなる」ではどうみてもおかしいから、これは見落としたものらしい。筑摩書房版は校訂本文を「おいでなる」と特異的に現存原稿のみに依拠して訂正している。まあ、これは無理もないか。

●「犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)」/「(なあにいつものことです)」は底本では、前行末に次行頭の「な」の活字が迷い込んで(と筑摩書房編者は理解している)、

犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですかな)

(あにいつものことです)

となっている。原稿を見ると誤植であり、「正誤表」にも載るので、原稿通りに《二箇所》を示した。

●「すつかり三角になつてぶらさがる」この最終行は底本では、

すつかり三角にならてぶらさがる  

となっているが、原稿は「すつかり三角になつてぶらさがる」で誤植であり、「正誤表」にも載るので、原稿通りに示した。

   *

 「原稿」と底本との異同で、以上以外で特に気になる点を掲げる。

・「しきりにさつきからゆれてゐる」が、原稿では「しきりにさつきからゆすれてゐる」となっているが、「手入れ本」でもこの「ゆれてゐる」部分への修正はない。最終校正刷で改したものかも知れない。但し、本書では先行する詩篇「春と修羅」で賢治は既に「ゆすれ」を二箇所で使用しており、語としての用法の強い違和感も私にはない。本篇の雰囲気からうすると、音数律上の変更とも思われない。

・唯一のリーダ使用部「どなつ……」のリーダ数は「………」で三字分である。

・その次の次の行の

ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ

は、原稿では、

さうだ神はほめられよ 雨だ

となっている。最終校正刷で大改変したものか。印刷屋には一番嫌われる仕儀である。

・「サラアブレツト」は、原稿では「サラーブレツド」。「手入れ本」修正なし。

・「おれたちの影は靑い沙漠旅行(りよかう)」は、原稿では「おれたちの影は靑い沙漠行旅(かうりよ)」。ルビから確信犯であるが、「手入れ本」に修正がないから、最終校正刷で普通に戻したか。

   *

 「手入れ本」については非常な長詩であるので略すが、その二種の最終形を整序した電子データが、サイト「宮澤賢治の詩の世界」にある(但し、漢字は新字)。宮澤家本がこちら菊池曉輝氏所蔵本がこちらであるので、参照されたい。ただ一点、非常に興味深いのは、宮澤家本に、「ゾーネンタールが沒(な)くなつたさうですが」の横に「陽の谷」という書き入れがあることで、全集脚注では『註か? 自筆ではない可能性もある』とあることである。これは、後の注(引用)を参照されたい。

「眞空溶媒」「溶媒」(英語:solvent)は一つの溶液に於いて、その溶液が作られるに当たって、溶かされた成分を「溶質」と称し、その「溶質」を溶かすのに用いた成分を「溶媒」と呼ぶ。溶質・溶媒の区別がつけ難い場合には、多量に存在する一方を通常は「溶媒」と考える。「溶質」は気体・液体・固体の孰れでもよいが、「溶媒」は一般には液体である。ところが「眞空」では、一般人である我々には溶媒も溶質も無化されるのではないかと躓いてしまう。ここは或いは、ダダイズムやシュールレアリスムが好んで用いた、最もかけ離れていて、凡そ熟語足り得ない二概念を持つ対象を衝突させることで、新たな芸術的イメージを創出しようとした(例えばダリの事大主義画題作品「恋愛感情を表わす二個のパン」(一九四〇年:但し、その実、私はダリの作品の中では非常に好きな作品である)のように「恋愛感情」と「パン」との結合である)手法を科学用語に用いたものとも思われるし、また、「眞空」なのは宇宙空間であり、それはビッグバンから完全収縮に至る開闢と消滅のドライヴである。真空空間には充満はしていなくとも、先に出たエーテル仮説や後のアインシュタインの光量子仮説と、同人がそれと同時に一九〇五年に発表している特殊相対性理論などを考え合わせるならば、夢想された人間存在という儚い「媒質」が、そうした最新科学の特異な属性を内包する真空という「触媒」の影響を受けて、時空間をやすやすと往来し、その形象さえも自在にメタモルフォーゼさせることが出来る、と賢治は仮定したのではあるまいか?

Eine Phantasie im Morgen」ドイツ語で「朝(午前)の想像(空想・幻想)」。

「融銅はまだ眩(くら)めかず」融解した銅(銅の融点は摂氏一千八十五度弱)。日の出の太陽の色を形容しているのであろう。ブログ「金沢・金の科学館」の「融銅はまだ眩めかず」という記事で、『吹管分析という方法で銅の鉱石のひとつである孔雀石から銅を取り出せ』るとあり、『この融銅の眩めきというのが見たくなり』、学校で(ブログ主は教師らしい)硫酸銅を用いて実験してみたとされ、『木炭にドライバーで小さな穴をあけ、硫酸銅粉末を入れ、吹管で炎を吹き付けてみた』ところ、『一発で、立ち上る朝日のような球状に輝く銅が出てきた』とあり、『実験を見ていた生徒も「すごい!」と感動した』と記されて、『賢治もこの実験をやって感動したに違いないと思え』たと述べておられる。その実験映像を見られたい。これは確かに、日の出後に赫奕(かくやく)とする太陽そのものである。

「ハロウ」英語「halo」英語読み:ヘイロー)とは、太陽やその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。日暈(にちうん)。太陽や月を光源として、それらに薄い雲がかかった際、その周囲に発生するように見える光の輪。日暈(ひがさ)。語源はギリシャ語の当該現象を指す語で、お馴染みの写真や映像で、強い光が当たった部分が白くぼやけることを指す「ハレーション」(halation)は、この「halo」に結果や状態を表わす名詞語尾「-ation」が附いたものである。他に宗教的聖像などの後光・光輪・光背の意もある。

「銀杏(いてう)なみき」の「その一本の水平なえだに」「りつぱな硝子のわかものが」「うたいてい三角にかはつて」「そらをすきとほしでぶらさがつてゐる」「けれどもこれはもちろん」「そんなにふしぎなことてもない」私の大好きなアメリカのブラザーズ・クエイ(Brothes Quay)の「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」(The Cabinet of Jan Svankmajer:一九八四年)や、そこでオードされたチェコスロバキア・プラハ生まれのシュルレアリストでアニメーション作家・映像作家ヤン・シュヴァンクマイエル(Jan Švankmajer 一九三四年~)の素晴らしい諸作品を面白がれる余裕があれば、この数行は難解でも何でもない。

「いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき」この「alcohol 瓶のなかのけしき」は生物のアルコール液浸標本のことであろう。アルコールでは長期の固定保存は不可能で、経年劣化が進むと、対象生物によっては、繊維組織が抜け出たり、個体の一部や全体が溶解を起して液中に崩れたり、溶け出したりする。以下の形容は、饐えた臭いと、黄変して雪の降るようになったり、個体表面が崩れて、内部へと裂け目の出来た標本瓶たちのカット・バックだ。高校まで理科部(中学・海塩核班/高校・生物班)であった私には、当たり前の日常の風景であった。無論、ここは公孫樹並木(瓶)とその隙間の「輝」く「雲」が切れて、そこから垣間見える「海」の如くに「蒼」黒い空の実景をそれらに換喩して夢想を楽しんでいるのである。……ああ……それにしても……まさに今の私(藪野)にとっては、自身の記憶自体が、誰も見に来ない理科室の展示棚の中のそうした液浸標本みたようなものである……

「あの永久の海蒼(かいさう)がのぞきでてゐる」前注に述べた通り、であるが、それは次の換喩である「新鮮なそらの海鼠(なまこ)の匂」からのフィード・バックとも言えよう。

「二哩」一マイルは一キロ六百十メートル弱。二マイルは三キロ二百十九メートル弱。

「昧爽(まいさう)」夜明け。「昧」は「暗い」で「爽」は「明るい」の意であるから、夜明け方のほの暗い時間。曙(日の出直前までの時間帯)である。辞書によっては「暁(あかつき)」とするが、これは正しくない。「あかつき」とは朝であるが、まだ真っ暗な状態、「曙」の前の時間を明確に分けて指す語だからである。

「氷ひばり」「神戸宮沢賢治の会」の公式サイトの「会報No.39 -氷ひばり-」に、『その鳴き声が透き通っているところから、賢治がつけた早春のひばりの総称。従って次行の「きれいななみ」とは、ひばりの声波のことで』あるとある。

「ゾンネンタール」上記引用先には、『ドイツの俳優、あるいは近所の資産家、との説がありますが、賢治は単に語呂が面白くて会話中にその名を登場させたとの説が妥当のようです』とあるが、それこそ『単に』『語呂が面白くて』で終わらせるというのは、考証・考察ではない、『単』なる感想・思いつきでしかない。面白い語呂なんだったら、「存念垂る」のアナグラムでもいいんですね、とツッコみたくなる。私は若き日にこれを読んだ時は「ネアンデタール」人を直ちに想起した(と言ってもその単連想であって、それが賢治のミラクル・ワールドに繋がるものとは思ってはいなかった)。この如何にも怪しい名の解読は大塚常樹氏の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」(一九九三年朝文社刊)に於いて、まさに目から鱗の解読がなされてある。その「無意識が見させる夢――中生代爬虫の悪夢――」の中で大塚氏は、

   《引用開始》[やぶちゃん注:注記号は省略させて戴いた。]

ここに登場する「ゾンネンタール」は、「原人」の隠喩であろう。この名について恩田逸夫はネアンデルタール人ヒント説を[やぶちゃん注:昭和四六(一九七一)年角川書店刊「日本近代文学大系 三十六 高村光太郎・宮沢賢治集」の注釈。大塚氏の注に拠る。]、栗原敦は役者ゾンネンタール説を提示している[やぶちゃん注:平成四(一九九二)年新宿書房刊「宮沢賢治 透明な軌道の上から」。同前。]。仮に「原人」と把握すれば、「しんせき」「ごくごく遠いしんるゐ」[やぶちゃん注:本詩篇の後の部分。]の意味も明らかになる。すなわち《現人類》の遠い親戚であり、彼らと同様の原始人であったころの記憶や感情が《現人類》にも残存している、という意味になるからである。この一節のすぐ後に、自分は石炭紀の鱗木の下の一匹の蟻だ、という一節があることからも「ゾンネンタール」の発想の基盤に進化論や地質年代的知識があったことはほぼ間違いないだろう。

 この「ゾンネンタール」(宮沢賢治家所蔵本には、賢治の手入れかどうかは不明だが、陽の谷、という訳語が記入されている[やぶちゃん注:ネアンデルタール人(ヒト属ホモ・ネアンデルターレンシス Homo neanderthalensis)の本格的な科学的研究の対象となった化石の発見(一八五六年)場所であるドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷(ドイツ語: Neanderthal 又は Neandertal)であった。綴りが二種あるのは、一九〇一年にドイツ語の「正書法」改革により、「Thal」(タール:谷)の綴りが「Tal」に改められたからで、命名時の綴りを保持するのが分類学上の慣例であることから、ネアンデルタール人の学名 Homo neanderthalensis(ヒト亜種とする場合は Homo sapiens neanderthalensis は綴り方の変更の影響を受けないことによる)。]は、栗原の言うように作品後方の「泥炭」の「タール」に引っかけた名前でもあるだろう。賢治が地質時代の悪夢をしばしば体験したこと、石炭紀や白堊紀の湿地(氾濫原)が修羅のさまよう場所としてイメージされたことは本書の「序論」でも詳しく見たとおりである。泥炭地帯とはこうしたはるかむかしの氾濫原や湿地帯の、今日的地層地帯のことにほかならない。「ゾンネンタール」は「冬のスケッチ」にも、

  しろびかりが室をこめるころ

  澱粉ぬりのまどのそとで

  しきりにせのびをするものがある

  しきりにとびあがるものがある

  きっとゾンネンタールだぞ。

と描かれている。ここにも過去の「原人」の記憶に対する、賢治の恐怖心が読み取れるのではないか。

   《引用終了》

と述べておられるのである(「冬のスケッチ」は以前にも注で出したが、創作年代は不詳であるものの、製作史的には賢治の短歌時代と口語詩時代の狭間に位置する若い頃のものと推定される短唱的作品群で、引用は旧稿本全集では第六巻の「七」パートにあるソリッド(この五行で完結している)なものである)。これは、まさしく、田舎の冴えない高校生であった私が「ネアンデルタール人」をこの語に重ねたときの、何とも言えぬ慄然とした感じを開明して呉れたのである。そうしてそれは後にユングの著作に触れ、その「集団的無意識」説を読んだ時の、私の中の妙に腑に落ちるもの(これを以って私の小学生高学年以降のフロイトの汎性理論への無批判な信望は瓦解した)をも解き明かして呉れたのでもあった。宮澤賢治を全的に解読するには彼のファンダメンタルな日蓮宗への信仰部分を除去して語ることは全く不可能だと思っているが、それ以上に、賢治の科学者(特に地学・古生物学)を中心とした博物学的自然哲学的な学際的解析が不可欠であることは言うまでもなかろう。而してこの大塚常樹氏(現在、お茶の水大学基幹研究院人文科学系教授)の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」は、まさにそうした、特に後者の部分をターゲットとした論考として、他に類を見ない研究書として、非常に優れたものであるので一読をお薦めするものである。大塚氏は、かの原子朗氏の「新宮沢賢治語彙辞典」(一九九九年東京書籍刊。私は所持しないのでここで活用できないのは残念である)の分担執筆者の筆頭者でもあられる。因みに、大塚常樹氏の連れ合いである大塚美保氏(現在、聖心女子大学日本語日本文学科教授)は第一線の森鷗外の研究者として知られるが、彼女は私が最初に担任を持った生徒であり、お二人の結婚式にも招待され、錚々たる日本文学研究者たちの並居る中、ユングの「ヨブへの答え」を朗読するというトンデモ祝辞をやらかしてしまった(これは全くの偶然で、ただ直近で読んだそれにいたく感銘していたことからなのであるが)。今思うと、まっこと恥ずかしい限りであるが、しかし、懐かしい思い出である。

「花紺靑」「はなこんじやう(はなこんじょう)」と読む。紫色を帯びた暗い青色のこと。サイト「伝統色のいろは」の「花紺青」に、『人類最古のコバルト顔料「スマルト」の和名。スマルトはエジプトやミケーネ文明の頃から用いられて』おり、『日本では顔料の「紺青色 こんじょういろ」の中でも、人造の顔料を「花紺青」、天然のアズライト』(藍銅鉱:らんどうこう:azurite:アズライト。炭酸塩鉱物の一種で、「ブルー・マラカイト」と呼ばれる宝石でもある)『を原料とする顔料を「石紺青 いわこんじょう」と呼んで区別してい』る、とある。色はリンク先で確認されたい。曙方の地面の色であろうが、そこに金の皮の林檎があるのだとすれば、それは異界を示す色でもあろう。

「苹果(りんご)」「苹」(音「ヘイ・ヒヤウ(ヒョウ)」)は原義は「浮草(うきくさ)」或いは「蓬(よもぎ)であるが、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の、まさに、『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の中でリンゴが「苹果」と表記されている。「林檎」と「苹果」では意味の違いがあるのか』という質問への回答として、

   《引用開始》

『日本語源大辞典』(小学館)の「りんご」の項に「林檎」は「西洋リンゴが普及する以前の和リンゴの総称」で、「中国では、古く西洋から伝わったリンゴを『奈』「頻婆』『苹果』などと表した。それに対し、中国原産のものが『林檎』である」と示される。また、『新宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍)の「苹果」の項でも「『林檎』は、もともと西洋リンゴ輸入前の小粒の和リンゴの総称で、西洋リンゴ(大りんご)の表記は『苹果』であった」としている。明治29年刊行の『果樹栽培全書第二編』(博文館)を確認したところ、「苹果樹栽培法」の中で「苹果ナルモノハ一名『おふりんご』ト称シ本邦在来林檎ノ一種」で「苹果ハ即チ漢名ニシテ清國ニハ其産アリ欧米産ノ品ト異ナラズ」と記されている。

   《引用終了》

「(金皮のまゝたべたのです)」/「(そいつはおきのどくでした」/「はやく王水をのませたらよかつたでせう)」/「(王水、口をわつてですか」/「ふんふん、なるほど)」/「(いや王水はいけません」/「やつぱりいけません」/「死ぬよりしかたなかつたでせう」/「うんめいですな」/「せつりですな」/「あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)」/「(えゝえゝ もうごくごく遠いしんるいで)」「王水」の後の読点は原稿にもあり、底本にもあるのに、何故か、全集校本の校訂本文では除去されている。「王水」は「わうすい(おうすい)」と読み、濃塩酸と濃硝酸の混合物である。通常は濃塩酸三に対して濃硝酸一を加えたものを指し、強酸化剤として知られ、硝酸では溶解しない金・白金などの貴金属をも溶かすことから、この名を持つ。この部分については、先に引用した大塚常樹氏の「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」の引用文の直前で、『恐らくこの幻想的な会話は、シンボリックな会話である。「金の華果」を食べて死ぬとは、有名な失楽園のパロディであろう。「うんめい」「せつり」にはこうしたキリスト教的な人類の宿命(原罪)が暗示されていよう』(以下、『また』を挟んで、先の引用の『ここに登場する「ゾンネンタール」は……』と続く)とあり、激しく共感する。

「南京鼠(なんきんねずみ)」モルモットのこと。齧歯目ネズミ上科ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus の実験用・愛玩用の飼養白変(アルビノ)種。

「おれなどは石炭紀の鱗木(りんぼく)のしたの」/「ただいつぴきの蟻でしかない」同じく大塚氏は「宮沢賢治 心象の宇宙論(コスモロジー)」の、巻頭にある「宮沢賢治の空間意識」の中で、この二行を引かれ、『この「鱗木」は実は杉の遠い祖先と言われている。賢治が影響を受けたドイツの進化論生物学者エルンスト・ヘッケルの提唱する、進化論的生命発生原則(本書「宮沢賢治とへッケル」を参照されたい)に従えば、五年位の若い杉(いわば子供の杉)は、祖先の「鱗木」に非常によく似ていることになるのである。「春と修羅」で賢治が描いた「Zypressen」[やぶちゃん注:発音は「ツュプレッセン」で、ドイツ語で糸杉類(球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ亜科イトスギ属 Cupressus)を指す。英語の「Cypress」(サイプレス)のこと。先行する「春と修羅」の注を参照されたい。]、すなわち糸杉は、よく言われるようにゴッホの「糸杉」が念頭に置かれていただけではなく、石炭紀の「鱗木」のイメージが重ねられていたのである』とある。大塚氏は『ゴッホの「糸杉」』に注され、『大正八年』(一九一九年)『ころの短歌に「ゴオホサイプレスの歌」の連作がある)と述べておられる。これは、以下(底本は校本全集第一巻を用いた)、

   *

 

ゴオホサイプレスの歌

 

サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまきをさへやかんとすな

 

雲の渦のわめきのなかに湧きいでゝいらだちもゆるサイプレスかも

 

灯のしたにうからつどふをなはひとりたそがれに居てものおもひけん

 

薄明穹まつたく落ちて燐光の雁もはるかの西にうつりぬ

 

   *

で、また別な同時期の歌稿に(「巻」を恣意的に正字化した)、

   *

 

サイプレス

忿りは燃えて

天雲のうづ卷をさへ灼かんとすなり。

      ※

天雲の

わめきの中に湧きいでて

いらだち燃ゆる

サイプレスかも。

 

   *

とある(「忿り」は「いかり」、「天雲」は「あまぐも」と読んでおく)。大塚氏の挙げられた、エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel 一八三四年~一九一九年)は、「個体発生は系統発生を繰り返す」という命題で知られた、私の好きな生物学者・自然哲学者で、今まで多くの記事で述べてきたが、ここは取り敢えず私見を殆んど交えていない、「進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル」をリンクさせておく。なお、彼の名は、後の「青森挽歌」の中に「ヘツケル博士!」/「わたくしがそのありがたい證明の」/「任にあたつてもよろしうございます」という挿入句の中に登場する。

「苦扁桃(くへんたう)」アーモンド(Almond:バラ目バラ科モモ亜科サクラ属ヘントウ Amygdalus dulcis であるが、ここは感覚的な美的比喩であろう。或いは、その種子から油を搾った滓(かす)を発酵させたものを蒸留して得る無色の液体(主成分はベンズアルデヒド)で香料に用られる苦扁桃油(くへんとうゆ)の杏の種のような匂い(朝の地面や植物からの揮発したものの混淆した微かな甘酸っぱい匂い)かも知れない。

「その無窮遠(むきうゑん)の」/「つめたい板の間(ま)」蒼穹の果てのイメージである。

「リチウムの紅い熖をあげる」リチウム(lithium)の炎色反応は深紅色。winnie1046氏のYou Tube の動画を見られたい。

「褐藻類」不等毛植物門褐藻綱 Phaeophyceae。ごく一部を除いて海産の多細胞藻類で、コンブ目 Laminariales(英語:Sea kelp)等、極めて大型になるものが含まれる。ここで賢治が「にかはられた」と言っているのは、日の出から推移した景観色をかく言ったものであろうが、それはその実景に太古の海のイメージをも幻視しているようにも感じられる。

「(どうなさいました 牧師さん)」と声を掛けてくる人物がいて、「あんまりせいが高すぎるよ」と不満の心内語が発せられる。声を掛けてきたのが、後の胡散臭い風体の「保安掛り」と読め、さすれば、ここは主人公(詩人宮澤賢治)を、その田舎にしては妙な風采から「牧師」と誤認したのであろう(あのお馴染みの賢治の帽子とコートの姿に逢えば、私も牧師と誤認する気がする)。後半で「でおれといふ」/「この明らかな牧師の意識から」とある。

「苦味丁幾(くみちんき)」「苦味チンキ」(「チンキ」は「tincture」チンキ剤で、生薬をアルコールで浸出させたり、溶かした水液薬剤)は異の芳香をもつ苦い黄褐色の液剤で、センブリを原料とする苦味薬を橙皮(トウヒ)・サンショウなどの芳香剤と混じてアルコールで浸出したもの。健胃薬とする。

「硼酸(ほうさん)」(底本の「硼」は「月」が「萠」のように斜体であるが、表示出来ないので以上で示した)。ホウ酸(Boric acid)或いはオルトホウ酸は、H3BO3またはB(OH)3で表わされるホウ素のオキソ酸で、温泉などに多く含まれ、殺菌剤・殺虫剤・医薬品(うがい薬・軟膏の基剤・眼科の結膜の洗浄や消毒及び目薬の保存料等)に用いられる。四角な背嚢を背負い、その中にこれらのものが入っているというのは、所謂、行商の薬売りのポーズであるが、無論、他の人物同様、幻影の産物である。

「黃いろな時間」「露」とあるから、黄昏時を指すのか? 夕暮れとなって夜露が下りれば蘇生するというのか?

「沙漠でくされた駝鳥(だてう)の卵」の比喩が「硫化水素」の臭いのするような「ひどい風」を形容するか。

「無水亞硫酸」二酸化硫黄の俗称。所謂、亜硫酸ガス。同前。

「硫黃華(くわ)」「いわうくわ(いおうか)」は人工的には硫黄の蒸気を急冷して固化させて得られる黄色の粉末。天然には硫黄泉の噴出口に見られる。「昇華硫黄」とも呼ぶ。

「氣流に二つあつて硫黃華ができる」このくどいリフレインの表現としての意味(「氣流に二つあ」るという解説)は私にはよく判らない。しかし、強力な硫黄臭を読者にも嗅がせ、しかも主人公も、その毒気に詩人の意識が薄れてゆくことを表わしているのであろうとは思われる。

「テナルデイ軍曹」ヴィクトル・ユーゴー(Victor Marie Hugo 一八〇二年~一八八五年)が一八六二年に執筆したロマン主義の名作「レ・ミゼラブル」(Les Misérables)に登場する悪党テナルディエ(Thénardier)のこと。非常に詳しいウィキの「レ・ミゼラブル」の、「登場人物」の彼の条を参照されたい。

「みちからのたたふべきかな」「御力の讃ふべきかな」。「ウーイ」に挟まれた、冒頭の「神は」褒「められよ」という命令形と、この紋切型の讃嘆表現は、前の「液体のやうな空氣」を吸い込み過ぎて酔っぱらった(酸素は劇薬であり、酸素濃度が高まると、酸素酔いを起こすことは周知の通り)雰囲気を醸し出している。

「そらの澄(ちやう)明 すべてのごみはみな洗はれて」/「ひかりはすこしもとまらない」/「だからあんなにまつくらだ」空気中の塵が無くなり、乱反射を起こす対象物が存在しなくなれば、光りは人間の眼には見えなくなるという理屈よりも、またしても真空溶媒が起動して、新たな時空間の反転現象が起きているのであろう。「太陽がくらくら」してくるほどに。日没と日入りを繰り返しては時間が逆転し、同時に太古の時間の「數しれぬほしのまたたきを見」るというのか?

「マヂエラン星雲」マゼラン星雲(Magellanic Clouds:マゼラン雲)は、地球のある銀河系のすぐ隣にある銀河で、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲の二つの不規則型銀河からなる(天球上では互いは約二十三度離れている)。視直径はそれぞれ十・八度、四・七度と、非常に大きく、肉眼では、名の通り淡い小さな雲のように見え、南十字星とともに南半球の空を代表する天体で、明るさでは全天随一とされるが、日本からは見えない。十五世紀頃から、南方へ行く船乗りの間で、その存在が知られていたが、初めて世界一周の航海をしたフェルディナンド・マゼラン(一四八〇年~一五二一年:航海途中、フィリピンで戦死したが、彼が率いたスペインの艦隊は翌年に帰国を果たし、史上初の世界一周が成し遂げられた)に因んで名づけられた。距離が約一六万光年と、我が銀河系に最も近い銀河であることから、その明るい星々は一つ一つに分解して観測できるため、天文学上、きわめて重要な天体とされる。近年ではマゼラン星雲を取り囲む水素ガスの雲が発見され、これらが天球上をほぼ一周するように分布していることから、大・小マゼラン星雲は、互いに重力的に引き合う二重銀河となって、我々の銀河系の周囲を約十億年かけて回っているとの説が有力である(以上は主に小学館「日本大百科全書」に拠る)。

「草はみな葉綠素を恢復し」/「葡萄糖を含む月光液(げつくわうえき)は」/「もうよろこびの脈さへうつ」時空間が逆回転していると仮定すれば、これらの反転再生(文字通りの「再生」、「蘇生」である)は私には悉く腑に落ちるのである。それ故に、「泥炭」になってしまったはずの「保安掛り」が、「泥炭」のままに「なにかぶつぶつ言つてゐる」のも少しも不自然ではないのである。

「サラアブレツド」thoroughbred。サラブレッド。 Thorough (完璧な・徹底的な)+ bred(品種)で、「人為的に完全管理された血統」「純血種」の意。家畜の馬の一品種で、英国原産種にアラビア馬その他を交配して数世紀に亙って主として競走用に改良・育成された「零下二千度」摂氏(degree Celsius:セルシウス度。人名の中国語漢訳「摂爾修斯」に基づく略号)マイナス二百七十三・一五度(華氏(degree Fahrenheit:ファーレンハイト度:人名の中国語漢訳「華倫海特」に基づく略号)四百五十九・六七度)が絶対零度(Absolute zero)の下限であることは、無論、賢治は知っていたから、この数値は確信犯の幻想。「眞空溶媒」は恐るべき低温世界であり、総てのエネルギをブラック・ホールのように瞬時に吸引して「それでもどうせ質量不變の定律だから」日常的観察では質量は不変であるが、アインシュタインの特殊相対性理論では質量も変化することは賢治も知っていたろうが、ここは流石に、読者を煙にまくことはしなかったということか。

「奇術(ツリツク)」原稿では最初、「トウリツク」と振って、「ツリツク」に直している。無論の「trick」のこと。

「北極犬」所謂、ハスキー犬(HuskySiberian husky)を、極地方に住む北アメリカのインディアンやイヌイットの人々は「北極犬」と呼ぶようである。

「犬神」これは単なる犬を支配する神の意。本邦の土俗の「犬神」とは無縁(そちらについて暗い方は最近の私の仕儀、古今百物語評判卷之一 第七 大神、四國にある事を読まれたい)。]

2018/11/09

ブログ1160000アクセス突破記念 梅崎春生 百円紙幣

 

[やぶちゃん注:『日本』昭和三三(一九五八)年三月号に発表された。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。以下、簡単に注する。

・「百円紙幣」ここに登場するのは日本銀行兌換券の「乙号券」(通称「一次百円」)と呼ばれるもので、表面に聖徳太子と夢殿、裏面に法隆寺境内図が描かれている。サイズは縦九センチ三ミリ・横十六センチ二ミリ。発行開始日は昭和五(一九三〇)年一月十一日で、通用停止日は昭和二一(一九四六)年三月二日。新円切替(昭和二一(一九四六)年二月十六日夕刻に幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行と、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称)の際には証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行されたから、本作の発表の時点でも通用していたものと思われる。以上を参照したウィキの「百円紙幣のパブリック・ドメインの画像(表・裏)を以下に掲げておく。

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・「はさめて呉れたんだい?」の「はさめて」はママ。後も同じ。

・「譫妄(せんもう)状態」意識混濁に加え、奇妙で脅迫的な思考や幻覚・錯覚が見られるような精神状態を指す。病的なものやそれに準じた拘禁性のもの、入院などによる抑制などによっても生じるし、寝ている人間を急に起こしたりした場合にも起こることがある。

・「西木東夫」ルビがないが、難読氏名で「にしきはるお」(五行思想の「春」は「東」である)と読んでおく。

・「五尺八寸」一メートル七十五センチメートル。梅崎春生も身長は高かった。

 本電子化は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1160000アクセス突破記念として公開する。【2018年11月9日 藪野直史】]

 

   百 円 紙 幣

 

 酒癖なんて言うものは、その人の身についたものでなく、ちょいとしたことで変化するものですねえ。何かの機会で酔い泣きをすると、それが癖になってしばらく泣き上戸(じょうご)になったり、それからいつの間にか怒り癖がついて怒り上戸(じょうご)になったり、そんな具合に一定のものではないようです。

 今から二十年ばかり前、僕がかけ出しのサラリーマンの頃、妙な酒癖が僕にとりついたことがあります。どんな癖かと言うと、酔って戻って来て、部屋のあちこちに紙幣や銀貨をかくすと言う癖なのです。

 どうしてこんな困った癖がついたか。

 ある夜、おでん屋でいっぱい傾けながら、連れの同僚が僕にこんなことを言いました。物を拾う話から、このような話になったんです。

「この間の大みそかは実にうれしかったねえ」

「何を拾ったんだい?」

 と僕は訊(たず)ねました。

「拾ったわけじゃないんだがね」

 同僚は眼を細めて、たのしげな声を出しました。

「日記帳の大みそかの欄をあけて見たら、そこに十円紙幣がはさまっていたのさ」

「へえ。そいつはどう言うわけだね。誰がはさめて呉れたんだい?」

「誰もおれなんかにはさめて呉れないよ。はさんだのはおれ自身らしいのだ」

「君が?」

「そうなんだよ。酔っぱらって、はさんだらしいんだ」

 この同僚も酒好きで、泥酔するたちで、僕同様まだ独身でした。

「どう言うわけではさんだか、もちろんおれは覚えてないが、大みそかになって、夜ひとり静かに日記帳を開く。すると思いもかけぬ十円紙幣が出て来る。そこでおれはあっと驚き、かつ喜ぶ。その驚きと喜びを、酔っぱらったおれが期待したらしいのだね。つまりこれは、酔っぱらいのおれから、素面(しらふ)のおれへの、暮れのプレゼントなんだろうと思うんだが、どうだね」

 なるほどねえ、僕はすっかり感服した。感服のあまりに、僕にそれと同じ酒癖がついてしまったと言うわけです。酔っぱらって戻ってから、なるほどあの話は面白かったなあ、おれもひとつやって見よう、素面(しらふ)のおれは実にしょんぼりして可哀そうだからなあ、ひとつここに五円紙幣をはさんで置いてやるか、てな具合にかくしてしまうらしい。らしいと言うのは、素面の時にはその時のことがよく思い出せないからです。

 僕も同僚に劣らぬ酒好きで、酒を味わう方でなく、ひたすら酩酊(めいてい)するたちで、しかも酩酊すると前夜の記憶をさっぱり失ってしまうたちでした。金(かね)かくしの好条件が具っていたというわけです。

 その頃僕は独身で、アパートに一部屋を借りて住んでいました。月給は八十円か八十五円、今の金に直して三万四、五千円ぐらいなものですか。アパート代は月十四、五円です。時勢とは言いながら、今のサラリーマンにくらべて、比較にならぬほど豊かでした。だから、毎日ではないが、遇に二度ぐらいはラクに飲める。飲んで紙幣をかくす余裕もあったのも当然です。

 で、その頃から、僕の部屋のあちこちから、たとえば押入れの中の夏服の胸ポケットから、風邪薬の袋の中から、硯(すずり)箱の硯の下から、ありとあらゆる突拍子もないところから、一円紙幣だの五十銭銀貨などが、ぽっかりと発見される、と言うようなことが起きて来ました。机の裏に五円紙幣が押しピンでとめてあるのを、偶然な機会に発見したこともあります。しかしたいていは小額紙幣や銀貨で、何故そういうことになるかと言えば、十円紙幣などはかくしても、翌朝眠が覚めて在り金を勘定する。いくら飲んだくれでも、おでん屋なんかで飲む分では、一晩に十円も使う筈(はず)はないのですから、ははあ、昨夜かくしやがったな、と気が付く。そしてあちこち探し廻って、しらみつぶしに探し廻って見つけてしまうということになるのです。十円紙幣を探し廻っているついでに、五十銭玉を三個も四個もおまけに発見することなどもあって、たのしいと言えばたのしいようなもんですが、とにかくそれは困った酒癖でした。

 古雑誌をクズ屋に売り払う時でも、一応全頁をめくってしらべないと、はさんだまま売ってしまうおそれがある。油断もすきもないのだから、かないません。

 月末になって、金がなくなる。いっぱいやりたい。どこかにかくれてやしないかと、部屋中を探し廻って、一枚の五十銭銀貨すら見付け出せなかった時の空しさ、侘(わび)しさ、哀しさは、これはもう言語に絶しました。そんな時には素面(しらふ)の僕は、飲んだくれの僕を、呪(のろ)う気特にすらなるのです。

「チェッ。こんな時のために、五円紙幣一枚ぐらい、かくして置いたってよさそうなもんじゃないか。一体何をしてやがんだい!」

 酔っぱらったら必ずかくすと言うんじゃなく、酔っぱらった時の気分や、持ち金の多寡、その他いろいろの条件がそろった時、初めてかくそうと言う考えを起すらしい。だから、何時でも、部屋の中のどこかに、金がかくされているわけではありません。だからこんな具合に、すっぽかされることも、度々あるのです。

 しかしこれは、別に他人に迷惑をかける悪癖じゃありませんから、特別に努力して矯正しようとも思ってなかったのですが、その酒癖のために、僕はある時大損害を受けるということになりました。以下がその話です。

 ある晩友達と一緒に飲み、れいの如く酔っぱらって、ひとりでアパートに戻って来た。ずいぶん飲んだので、翌朝は宿酔の状態で眠が覚めた。枕もとにゃ洋服やネクタイ類が、脱ぎ捨てられたまま散乱しています。僕は痛む頭をやおらもたげ、不安げに上衣を引寄せた。内ポケットから袋を引っぱり出し、逆さにしました。

「おや。おかしいぞ」

 僕はおろおろ声で呟(つぶや)き、あわててあたりを見廻しました。

「一枚足りないぞ。また昨夜かくしやがったのか」

 袋と言うのはボーナス袋で、ないと言うのは百円紙幣のことなのです。昨日二百五十余円のボーナスを貰い、百円紙幣が二枚入っていた筈なのに、今朝袋から出て来たのは、百円紙幣が一枚だけで、あとは十円や五円が数枚。昨夜ハシゴで飲んで廻ったとは言え、百円紙幣に手がつく筈は絶対になかったのです。

「まさか落したんじゃないだろうな。落したとすればたいへんだぞ」

 百円紙幣は、今の金に直すと、四万円ぐらいにでも当るでしょうか。その値打において、今の五千円紙幣の七、八枚分に引合うでしょう。いくらのんきな僕でも、さすがに顔があおくなって、眼がくらくらするような気分でしたねえ。

 早速僕は電話で会社に、病気で欠勤する旨(むね)を伝え、痛む頭を押さえながら、直ちに百円紙幣探しに取りかかりました。十円紙幣や五円紙幣なら、ボーナスの翌日のことですから、いずれどこからか出て来るだろうと、笑って放って置けるが、百円紙幣となればそうは行かない。かくしたのか落したのか、はっきりさせて置かないことには、何にも手がつきません。

 それに僕の給料は八十円そこそこなんですから、百円紙幣にお眼にかかれる機会はほとんどなく、それ故に実際以上に貴重に思われるのでした。探す手付きに熱意がこもったのも、当然と言えるでしょう。

 そしてその百円紙幣は見付かったか。

 午前中潰(つぶ)しての探索も、ついに効は奏さず、とうとうその百円紙幣は発見されなかったのです。たかが六畳の部屋で、独身者だから荷物も多くはない。午前中かければ、もう探すところはなくなってしまうのです。洗濯して行李にしまってあった足袋の中から、五十銭銀貨が二枚ころがり出ただけで、肝腎(かんじん)の百円紙幣はついにどこにも発見されませんでした。

「ああ。何たることだ!」

 僕は天井を仰いで、がっかり声を出した。

「折角二枚貰ったのに、残るはこれ一枚になってしまった」

 残る一枚を大切そうに撫でながら、僕は痛嘆しました。実際昔の百円紙幣は、今の四万円分だけあって、実にどっしりして威厳がありましたねえ。表には聖徳太子と夢殿の図。『此券引換に金貨百円相渡可申候』という文字。裏には法隆寺の全景が印刷してあります。眼をつむれば今でも、その模様や字の形が、瞼の裡にありありと浮んで来るほどです。紛失したんだから、なお一層記憶が鮮明であるのかも知れません。

 でも、百円紙幣がなくなったからって、そう何時までも大の男が、嘆き悲しんではいられない。忘れてしまうというのではないが、その嘆きも時が経つにつれ、だんだん薄れて行ったようです。

 そして二箇月ほど後、僕はこのアパートから、食事付きの下宿に引越すことになりました。アパートは食事付きでないので、月給を貰うと、ついゴシゴシと飲み過して、月末には飯代にも窮するということになり勝ちです。下宿なら金がなくなっても、飯だけは食わせて呉れますからねえ。

 

 下宿に移ってから四箇月経って、次の賞与、つまり暮れのボーナスですな、それが出ることになりました。額は前期に毛の生えた程度です。

 その晩僕は同僚たちとあちこち飲み廻り、いい気特に酩酊、十二時過ぎに下宿に戻って参りました。どっかと机の前に坐り、ボーナス袋から紙幣を取出した。その百円紙幣を一枚つまみ上げたとたん、僕の手は僕の意志に反して、と言うより手自身が意志を持っているかのように、狐の手付きのような妙な動き方をしたのです。僕はびっくりして、自分に言いました。

「おい。どうしたんだい?」

 すると手の動きは、はたととまった。(ここらは酩酊していて、翌朝のぼんやりした記憶ですから、たいへんあやふやです)

「へんだねえ」

 ふたたび僕は僕に言いました。

「何かやりたいんじゃないか。やりたいように、やってみたらどうだい」

 何か微妙な感覚が僕の内部にひそんでいて、それがしきりに僕をうながすらしい。僕はそれを探りあてるために、

「こうして」

「こうやって」

「次にはこうやって」

 と呟(つぶや)きながら、その感じを確かめようとすると、僕は自然にそのまま立ち上り、百円紙幣を四つに折り、ふらふらと部屋の隅に歩き、自然と背伸びの姿勢となった。紙幣をつまんだ指が、鴨居(かもい)にかかりました。紙幣をその溝に押し込もうとするようです。

「なるほど」

 一種の譫妄(せんもう)状態での動作だし、どうもぼんやりしている。それから僕は机の前に戻って来て、はげしいねむ気を感じたが、必死の努力で机上の紙片に今のことを書きつけたらしいのです。素面(しらふ)の僕に知らせようとしたのか、そこらは全然はっきりしない。漠として、夢魔におそわれたようです。

 で、翌朝、宿酔の状態でぼんやりと眼が覚めました。見ると机上の紙に、字がぬたくってある。ほはあ、何か書いてあるな。何度も指でなぞって見て、やっと判読出来ました。

『カモイの中に百円札かくした』

 昨夜の動作が、その文字の意味から、漠とした形ですが、端から少しずつつながるようにして、思い出されて来ました。僕はふらふらと立ち上って、鴨居(かもい)を探ると、はたして四つ折りの百円紙幣がそこから出て来た。

「どうもおかしいぞ」

 百円紙幣をつまんで寝床に戻った時、ある荒涼たる疑念が、突然僕の胸につき上げて来ました。酔っぱらって百円紙幣をつまんだ。条件反射的に鴨居にかくした。これは一体どう言うことなのか。深層心理に埋もれていたものが、酩酊(めいてい)時に百円紙幣に触れたとたんによみがえり、それを素面の僕に知らせるために、僕にそんな動作を取らせたのではないか。

「あのアパートの部屋には、鴨居に溝があったかどうか?」

 あのアパートでの百円紙幣探しで、自分の荷物は丹念に点検したけれども、鴨居のことには注意が向かなかったことを、僕はぱっと思い出したのです。

「しまったなあ。どうすればいいか」

 溝があったとすれば、その中に百円紙幣がかくされている可能性は充分にある。しかしあの部屋には、もう他人が住んでいる。おいそれと入ってのぞいて見るわけには行かない。泥棒と間違えられる。と言って、五円や十円ならあきらめるけれど、ことは百円紙幣だ。月給を上廻る額の紙幣が、あの部屋の鴨居に、現実に眠っているかも知れぬ。現在の住人も、一々鴨居の中まで調べはしないだろうから(調べる必要はないわけだから)百円紙幣があそこに温存されている可能性はたいへん多い。僕は声には出さず、自問自答しました。お前はどうする? あきらめるか。放って置くか。お前に放って置けるか。いいか。百円だぞ。汗水出して働いた一箇月の給料より多いんだぞ。しかももともと、お前の所有物なんだぞ。誰のものでもない。お前の金なんだぞ。どうする?

 

 とにかくその男と、いや、女である可能性もある。その人物と、どういう方法かで、近づきになる必要がある、と僕は思いました。

 アパートは下宿と違って、鍵がかかるのですから、その鍵を持った当人に近づかねば、あの部屋には入れない。

 で、僕は勤めの余暇、休日などを利用して、調査を開始しました。あの鴨居に四つ折りの百円紙幣が入っているとして、百円紙幣に脚は生えていないのだから、逃げたり消失したりするわけはない。だから、急がなくてもいいようなものの、やはり早くカタをつけた方がいい。無ければ無いでいいから、気持をはっきりさせたい。こう言う気持、お判りでしょうねえ。

 西木東夫。これがあのアパートの部屋の住人の名でした。齢は僕より三つか四つ上。勤め先は市役所の会計課です。西木がこの部屋の住人となったのは、僕が引越して三日目のことで、当分あの部星から引越すつもりはないらしい。と言うのは、アパートの管理人に訊(たず)ねてみたら、なかなか居心地の良い部屋だと、西木は満足しているとの答だったのです。満足しているとすれば、当分引越しはしないでしょう。引起しするんだったら、も一度僕があの部屋を借りてもいい、そう思ったんですがねえ。

 以下、管理人からそれとなく聞き出したことと、僕が尾行したりして調べたことをないまぜにすると、西木はたいへん几帳面(きちょうめん)な性格で、会計課なんかには打ってつけな性質で、毎日の生活も判でも押したようにきまっている。朝出て行く時間や、夜戻って来る時間も、特別の場合をのぞいて、五分と狂いがない程です。食事は外食で、アパートの近くに大野屋と言う安食堂があり、朝と夕方はそこで食事をするのです。調査の関係上、僕も西木と並んで飯を食べてみましたが、なにしろ定食が朝が十銭、昼と夕が十五銭というのですから、たいへん安い。したがって味の方はあまり上等ではありません。そして毎日の献立がほとんど変化がなく、よく毎日々々ここに通って、同じものを食っておられるなと、ちょっと感心させられる程でした。几帳面な性格だからして、西木は飯の食べ残しなんかしない。一粒残さず食べてしまう。食べ終ると、パチンと銅貨を置き、背を丸めてとっとと出て行く。西木は背が高かった。五尺八寸はあったでしょう。背が高いから、あんな猫背になるのでしょう。

 背が高いと言う点で、僕はちょっと心配でした。背が高けりや高いほど、鴨居には近くなるわけですからねえ。

 酒はどうかって?

 その点僕もよく観察したのですが、西木も酒は好きらしい。好きらしいけれども、ケチなのか、あるいは給料がすくないのか、度々は飲まないようです。二週間に一度だけ、それも土曜日だけで、勤め先の近くででも飲んで来るのか、大野屋に入って来る時刻が、二時間やそこらは遅れる。赤い顔をして入って来て、定食を注文する。定食の前に一本つけさせることもあったようです。

 西木に近づきになるためには、この土曜日を利用するのが最上だ。僕はそう考えました。洒と言うものは、見知らぬ同士をよく仲良しにさせますからね。それに僕らは、もう見知らぬ同士じゃなかった。調査の関係上、僕はよく大野屋に出入りして、飯を食ったり酒を飲んだりしていたので、向うでも僕の顔を覚え込んだようでした。話こそしたことはないが、向い合って飯を食ったこともあるのですから、顔ぐらい覚えるのは当然でしょう。

 そしてある土曜日、僕は大野屋におもむき、ちびちびと盃(さかずき)をかたむけながら、西木東夫が入って来るのを待っていました。大野屋のお銚子は、一本二十銭でした。シメサバなんかを肴に、ちびちびやっていると、のれんを肩でわけるようにして、猫背の西木が入って来ました。予期した通り、顔が赤くなっています。時刻が遅いので、他にお客は一人もいませんでした。

 僕の斜め前に腰をおろすと、西木はちらと僕の方を見ました。僕の前にはもうお銚子が四本も並んでいます。西木はそれを見て、定食を注文しようか、それとも一本つけさせようかと、ちょっと迷ったらしいのです。そこで僕はすかさず、酔っぱらい声で話しかけました。

「どうです?」

 僕は盃を突き出しました。

「一杯行きませんか」

 西木は面くらったように眼をぱちぱちさせましたが、少しは酒が入っていることとて、すぐに乗って来ました。

「そうですな。いただきますか」

 西木は席を僕の前にうつし、女中を呼んで、自分のお銚子と肴を注文しました。

「寒いですなあ。お酒でも飲まないと、やり切れないですなあ」

「そうですね。帰っても待っているのは、つめたい蒲団だけですからねえ」

 と僕は相槌(あいづち)を打ちました。

「あなたもお独りですか」

「そうですよ。アパート暮しですよ」

「そうですか。僕も以前アパートに住んでたこともあるが、アパートは下宿より寒々しいですな」

 僕は西木に酒を注いでやりました。

「どちらのアパートです?」

 西木はアパートの名を言いました。僕はわざとびっくりしたような声を出しました。

「へえ。僕もそのアパートに住んでいたことがあるんですよ」

「ほう。どの部屋ですか」

「二階の六号室です」

「ほう」

 今度は西木がびっくり声を出した。

「僕が今住んでいるのは、その部屋なんですよ」

「それはそれは」

 僕は眼を丸くして、また西木に盃をさしました。

「奇遇と言いますか。ふしぎな御縁ですなあ」

「ほんとですねえ」

 同じ部屋に住んだという因縁だけで、西木はとたんに気を許したらしいのです。いっぺんに隔てが取れて、西木は急におしゃべりになりました。もちろん僕も。

 部屋の話から管理人の話、勤め先の話から月給の話などに立ち入る頃には、僕らの卓にはもう十本ほども並んでいました。僕は作戦上、自分はあまり飲まず、もっぱら西木に飲ませるようにと心がけたので、西木もすっかり酩酊したようでした。

 そろそろ看板の時間が近づいたので、僕は手を打って女中を呼び、いち早く十円紙幣を出して、勘定を済ませてしまいました。几帳面な性格だから、西木はしきりに割勘を主張して、

「そりゃ悪いよ。僕も出すよ」

 と言い張りましたが、

「いいんだよ。お近づきのしるしだから、いいんだよ」

 と僕は無理矢理に西木を納得させました。

 それから二人は大野屋を出て、ぶらぶらとアパートの方に歩き出しました。西木は酒に強いようで、あれほど飲ませたのに、あまり足もふらついていないようです。

 アパートの前にたどりつくと、僕は帽子に手をかけて、

「では」

 と言うと、こちらの作戦通り、儀礼的にでしたが西木は僕を呼びとめました。

「ちょっと寄って、お茶でも飲んで行かないか」

「そうだねえ」

 僕は考えるふりをして、それから答えました。

「じゃ寄らせて貰うか。昔の部屋も見たいから」

 

 靴を脱いで階段を登り、西木のあとについて部屋に入る時、僕の胸はわくわくと高鳴った。ちらと見上げると、ちゃんと鴨居に溝がついているではありませんか。

「ちょっと待ってて呉れ給え」

 西木は外套も脱がず、薬罐(やかん)を下げて廊下に出て行きました。部屋の中に水道がないので、洗面所まで汲みに行ったのです。

「今だ!」

 僕はばっと壁にへばりつき、鴨居の溝をさぐり始めました。ずうっとさぐって行くと、東北隅の溝のところで、ぐしゃっと指に触れたものがある。僕の心臓はどきりと波打ちました。

「しめた。あったぞ」

 声なき声を立てて、それをつまみ出すと、驚いたことにはそれは百円紙幣でなく、数枚の十円紙幣でした。その時入口のところから、僕の背中めがけて、つめたい声が飛んで来た。

「君はそれを取るために、今日僕に近づいて来たのか!」

 いっぺんに空気がひややかになって、緊張が部屋いっぱいに立ちこめました。僕は西木をにらみながら、指先で十円紙幣の枚数を読んだ。それは五枚ありました。

「あれをくずして、五十円使ったのは君か!」

 僕も低い声で言い返しました。

「あれは君の金ではない筈だぞ」

「しかしここはおれの部屋だぞ」

 西木はめらめらと燃えるような眼で、僕をにらみ据えた。

「おれの部屋の中で勝手なことをする権利は、君にはない。家宅侵入罪で告発するぞ」

「じゃ出て行きやいいんだろ。出て行きゃ」

 僕は五枚の十円紙幣を、そろそろと内ポケットにしまい込みました。

「そのかわり、この五十円は、僕が貰って行くぞ」

 西木は何か言い返そうとしたが、思い直したらしく、空の薬罐を持ったまま、じりじりと部屋に上って来た。二人はレスリングの選手のように油断なくにらみ合ったまま、ぐるぐると部屋を廻った。そして僕は扉のところに、西木はその反対側に位置をしめたのです。僕は声に力をこめた。

「では、帰らして貰うぞ。あばよ」

 うしろ向きのまま、僕は廊下に出た。そろそろと扉をしめました。階段の方に歩きながら、追っかけて来るかなと思ったが、西木はついに追っかけて来ませんでした。そして僕は無事に靴をはき、寒夜の巷(ちまた)に出ました。

 百円紙幣の話は、これでおしまいです。とうとう百円紙幣は取り戻せず、半額だけが僕の手に戻って来た。

 でも、あの鴨居の中の百円紙幣を、どうやって西木は見付け出したのだろう。その疑問は二十年経った今でも、僕の頭に残っています。鴨居の溝なんかのぞき込むなんてことは、なかなかない筈のもんですがね。

 偶然の機会に百円紙幣を発見、そして西木は金に困る度に少しずつ使ったのではないか、と僕は想像しています。丁度半金使い果たした時に、僕があらわれたと言うわけでしょう。ちゃんとおつりを元の鴨居に隠して置くところに、彼の几帳面さがあったわけでしょう。その几帳面のおかげで、僕は半金を取り返せたのですから、むしろ僕は感謝すべきだったのかも知れません。


 

1160000アクセス突破間近なれば

現在、ブログ・アクセスは1159925である。今日は父の家のリフォームほかで朝から大忙しであった。今夕もネットは開けない。明日は早朝から町内会の参加する祭りの販売担当で一日仕事となれば、夜までやはりネットは開けない。されば、フライングとなるが、記念テクストの公開にこれから取り掛かる。悪しからず。

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 かはばた

 

      か は ば た

 

かはばたで鳥もゐないし

(われわれのしよふ燕麥(オート)の種子(たね)は)

風の中からせきばらひ

おきなぐさは伴奏をつゞけ

光のなかの二人の子

 

[やぶちゃん注:これを以ってパートとしての「春と修羅」は終わっている。大正一一(一九二二)年五月十七日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。「手入れ本」は、菊池曉輝氏所蔵本が全行文字末(二行目は「種子は」の後)に「……」を附し、宮澤家本が、「おきなぐさは伴奏をつゞけ」を「どのおきなぐさもゆれつゞけ……」と改変している。

「かはばた」「川端」と採っておく。

「しよふ」は「背負ふ」であろうか。

「燕麥(オート)」単子葉植物綱イネ目イネ科カラスムギ属エンバク Avena sativa で、同属の野生種で私たちにお馴染みの、カラスムギ Avena fatua の栽培種である。明治のごく初期に日本に移入され、東北や北海道で盛んに栽培された。粗挽き或いは圧扁した「オートミール」oatmealで知られる他、味噌やウィスキーの原料、及び肥料に用いられた。……亡き祖母がよく作ってくれたオートミール……美味しくなかったけど、今は懐かしい……。

「風の中からせきばらひ」「われわれのしよふ燕麥(オート)の種子(たね)は」の係助詞「は」は、この主格をも示すように読め、だとすれば、燕麦の乾いた種子の籾等を吸い込んで咳払いをするのは「風」とも読める。孰れにせよ、実在の「われわれ」ではあるまい。

「おきなぐさは伴奏をつゞけ」「おきなぐさ」は「おさ」で既出既注であるが、「伴奏をつゞけ」はよく判らない。次の不詳の「光のなかの二人の子」(あるネット記載では後の「小岩井農場」で「わたくしの遠いともだちよ」と賢治が呼びかける「ユリア」と「ペムペル」のような存在とあるのを見かけた)が天使のような存在の幻視とすれば(これも前の続きで、実際の子どものようには私にも読めない)、彼らが奏でる天界の楽の音(ね)を「おきなぐさ」が先取り、奏でているというのであろうか?]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 おきなぐさ

 

      おきなぐさ

 

風はそらを吹き

そのなごりは草をふく

おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)

松とくるみは宙に立ち

  (どこのくるみの木にも

   いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)

ああ黑のしやつぽのかなしさ

おきなぐさのはなをのせれば

幾きれうかぶ光酸(くわうさん)の雲

 

[やぶちゃん注:実は底本では「金(きん)の」の「きん」のルビは「金」にではなく、その下の平仮名「の」に振られてしまっている。「正誤表」にはないが、誰が見ても判る完璧な誤植であり、これは再現すると、とんでもないことになるので、当初に決めた自身の原則に敢えて逆らって特異的に訂した。大正一一(一九二二)年五月十七日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。

「おきなぐさ」私の好きな、キンポウゲ目キンポウゲ科オキナグサ(翁草)属オキナグサ Pulsatilla cernua。葉や花茎など、概ね、全草が白い長い毛で覆われる。花期は四~五月で、暗赤紫色の花を花茎の先端に一つだけつけ、萼片(我々がオキナグサの花と思っているものが蕚である)の外側も白い毛で覆われる。開花後も種子が付いた白い綿毛が目立つ。和名は白く長い綿毛がある果実の集まった姿を、老人の白頭に喩えたもの。別名でネコグサとも呼ぶ。童話「おきなぐさ」の冒頭で賢治は(筑摩版全集から引くが、漢字を恣意的に正字化した。促音は底本のまま採った。空欄はママ)、

   *

 うずのしゅげを知ってゐますか。

 うずのしゅげは 植物學ではおきなぐさと呼ばれますがおきなぐさといふ名は何だかあのやさしい若い花をあらはさないやうにおもひます。

 そんならうずのしゅげとは何のことかと云はれても私にはわかったやうな亦わからないやうな氣がします。

 それはたとへば私どもの方でねこやなぎの花芽をべむべろと云ひますがそのべむべろが何のことかわかったやうなわからないやうな氣がするのと全くおなじです。とにかくべむべろといふ語のひびきの中にあの柳の花芽の銀びらうどのこゝろもち、なめらかな春のはじめの光の工合が實にはっきり出てゐるやうに、うずのしゅげといふときはあの毛莨科[やぶちゃん注:「きんぽうげか」。キンポウゲ(金鳳花)科 Ranunculaceae の別な漢字表記。]のおきなぐさの黑朱子[やぶちゃん注:「くろしゆす(くろしゅす)」。「黒繻子」とも書く。濃黒色に染めた綿サテンの生地。しなやかな風合いと美しい光沢が特徴。]の花びら、靑じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉、それから六月のつやつや光る冠毛がみなはっきりと眼にうかびます。

 まっ赤なアネモネの花の從兄、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。

 ごらんなさい。この花は黑朱子ででもこしらえた變り型のコップのやうに見えますが、その黑いのはたとへば葡萄酒が黑く見えると同じです。[やぶちゃん注:以下は、後で示す引用に続く。]

   *

と記している。

「質直(しつぢき)」通常は「しつちよく(しちょく)」の読みが普通。地味で真面目なこと。「質朴」に同じい。

「金(きん)のあかご」胡桃の実の換喩。

「黑のしやつぽ」オキナグサの花は、開花の初め頃は俯いて咲き、暗赤紫色のそれは、黒ずんで見えるので、それを指しているように思われる。

「おきなぐさのはなをのせれば」これは賢治がオキナグサの花を摘んで瞼に乗せ、寝転がっているのではあるまいか? 童話「おきなぐさ」では先に続けて賢治は(同前)、

   *

この花の下を終始往ったり來たりする蟻に私はたづねます。

「おまえはうずのしゅげはすきかい、きらひかい。」

 蟻は活撥に答へます。

「大すきです。誰だってあの人をきらひなものはありません。」

「けれどもあの花はまっ黑だよ。」

「いいえ、黑く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃えあがってまっ赤な時もあります。」

「はてな、お前たちの眼にはそんな工合に見えるのかい。」

「いいえ、お日さまの光の降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだらうと思ひます。」

「さうさう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから。」

「そしてあの葉や莖だって立派でせう。やわらかな銀の糸が植えてあるようでせう。私たちの仲間では誰かゞ病氣にかかったときはあの糸をほんのすこうし貰って來てしずかにからだをさすってやります。」

「さうかい。それで、結局お前たちはうずのしゅげは大すきなんだらう。」

「さうです。」

「よろしい。さよなら。氣をつけておいで。」

   *

とある。賢治が花を摘むのは不適切不謹慎と言われるのであれば、ここで賢治は蟻になってオキナグサの花を通して陽を仰いでいる、とすればよかろうかい。Azaleaブログ宮沢賢治と「アザリア」の友たちの「おきなぐさ作品に関することでそのように撮影されたオキナグサの素敵な画像を見ることが出来る。必見!

「幾きれ」「幾巾」。幾片もの。

「光酸(くわうさん)」科学用語に「光酸発生」という語が存在する。サンアプロ㈱研究所高嶋祐作光酸発生剤PDF)によれば、『光酸発生剤は、光を照射されることにより酸を発生する化合物である。発生する酸は、主に二つの用途で用いられる。一つは光硬化性樹脂のカチオン重合を開始させる光カチオン重合開始剤である。光硬化性樹脂は、飲料缶用塗料、コーティング剤、3Dプリンターなどに用いられる三次元光造形用樹脂、光

硬化型接着剤、半導体や液晶用のネガ型レジストなどで実用化されている。もう一つは、半導体のフォトリソグラフィー』『に用いられる化学増幅型レジストである。ここでは、酸はアルカリ不溶性のレジストを可溶性に変える反応の触媒となる』とある(私は理解して引用しているのではない。そうした現象や薬物が存在することを示すために半可通で引用している。悪しからず)。また、小林ブログ宮澤賢治、風の世界風―1922年5月 (2)オキナグサに、

   《引用開始》

『標準化学用語辞典』(丸善 1991)によると〈光酸化〉は「光の吸収によって起こる酸化反応の総称。光を吸収した物質の酸化から光励起種が酸性物質を活性化して起こす酸化までを含む」とあり、他の辞典で光による退色等も含むとあります。賢治が何を意図して〈光酸〉という語を使ったかは不明ですが、雲が太陽光によって、化学変化を起こしたような色彩に変化していることだと思います。

   《引用終了》

とある。肯んじられる解釈である。なお、小林氏はこの前の部分で、先の「黑いしやつぽのかなしさ」を問題にされ、これを実際に、当時、賢治が被っていた帽子と採って、以下のように考察されておられる。

   《引用開始》

 ここで大きな疑問は〈黒のしやつぽ〉がなぜ〈かなし〉いのか、〈黒のしやつぽ〉とは何かです。5月14日の日付の詩「休息」に〈帽子をとつてなげつければ黒のきのこしやつぽ〉があり、時間的、位置的にも近いので、同じ帽子と見て良いと思います。これは、風景にそぐわない帽子―すなわち自分という繋がりでしょうか。

 賢治は終生帽子を愛用していたようです。よく知られているのは、ベートーヴェンを真似たという写真で着用している、ボーラーハット―山高帽―で盛装用です。これは黒色ですが〈きのこしやつぽ〉とは言えない気がします。2000年7月24日岩手日報記事によると、父政次郎氏が賢治に買い与えたものらしいという茶色のフェルト帽が見つかりましたが、これも山高帽型です。

 佐藤隆房『宮沢賢治素顔のわが友』(冨山房)に出て来る帽子は、麦わら帽子、鉋屑帽子、黒い帽子、パナマの帽子などでした。(ちなみに鉋屑帽子(かんながらぼうし)は鉋屑で編みあげた帽子で、1924年農学校の生徒たちと土質調査に行った時に着用していたとされます。現在も存在するもので、ヒノキなどで編めば心地よい香りに包まれそうです。)

 1922年当時、あるいは賢治は身だしなみを意識して黒いお洒落な帽子を着用して野原を歩き、この帽子の違和感を持ち始めたのかもしれません。〈かなしさ〉という言葉は、賢治のそんな心の動きを表現しようとしたものでしょうか。

 空の底に横たわった賢治は、その帽子とオキナグサを一つの絵として捉えて後、そのまま眼を空に向けます。ここでも手元の〈黒のしやつぽ〉から上方の〈雲〉への視線の変化があります。

   《引用終了》

とあり、確かに「休息」に続く詩篇としては、実際の帽子という読みは自然であり、同じく解釈として共感出来るものがある。但し、そうすると、この一行だけが、賢治自身の実映像と心象風景ということになり、やや詩篇全体からは浮いた(という表現が悪ければ、特異点としての)カット挿入とは、なる。いや、寧ろ、小林氏の賢治の実動作の実映像に私のオキナグサを透かして陽を見る夢想を重ねれば、それはそれでしっくりくるものと私にはなるように思われる。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 休息

 

      休   息

 

そのきらびやかな空間の

上部にはきんぽうげが咲き

 (上等の butter-cup(バツタ カツプ)ですが

  牛酪(バター)よりは硫黃と蜜とです)

下にはつめくさや芹がある

ぶりき細工のとんぼが飛び

雨はぱちぱち鳴ってゐる

 (よしきりはなく なく

  それにぐみの木だつてあるのだ)

からだを草に投げ出せば

雲には白いとこも黑いとこもあつて

みんなぎらぎら湧いてゐる

帽子をとつて投げつければ黑いきのこしやつぽ

ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く

あくびをすれば

そらにも惡魔がでて來てひかる

 このかれくさはやはらかだ

 もう極上のクツシヨンだ

雲はみんなむしられて

靑ぞらは巨きな網の目になった

それが底びかりする鑛物板だ

 よしきりはひつきりなしにやり

 ひでりはパチパチ降つてくる

 

[やぶちゃん注:十四行目「どての」(土手の)は底本では「どこの」となっているが、「正誤表」に「どこ」とあるので、その通りに訂した。ルビの「バツタ」「バター」の違いはママ。大正一一(一九二二)年五月十四日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。底本原稿は、

【異同】下げの二つ目の第四連「(よしきりはなく なく」/「それにぐみの木だつてあるのだ)」の二行の本文字下げは、底本より一つ下、則ち、二行とも本文三字下げ(一行目の丸括弧の始めは三字目)となっている。

・【推敲跡】その一行目の

「よしきりはなく なく」がもとは、

 かけすはやる やる

であったのを書き換えている。

・【推敲跡】一字下げ最終連の

「よしきりはひつきりなしにやり」の「よしきり」が、前条と同じく、元は「かけす」であったものを書き換えている。

以外には異同はない。

 宮澤家「手入れ本」は、字下げ第二連「(上等の butter-cup(バツタ カツプ)ですが」/「牛酪(バター)よりは硫黃と蜜とです)」に「☓」印を附してある。なお、「それにぐみの木だつてあるのだ」の「それに」を抹消しながら、またその横に「それに」と書き直している。

「きんぽうげ」「butter-cup(バツタ カツプ)」キンポウゲ(金鳳花)目キンポウゲ科キンポウゲ属 Ranunculus。キンポウゲ科 Ranunculaceae の彼らは全世界に二千種以上いるから断定は控えるが、賢治が見ているのは、私の好きな亜高山性・高山性の、ミヤマキンポウゲ Ranunculus acris var. nipponicus ではないかと感じている。「buttercup」は「キンポウゲ(属)」(ラナキュラス)の英名。現行ではハイフンは不要。「バターの盃」。英語のスラングでは「可愛い子ちゃん」や、可憐で弱々しい対象を親しみを込めて呼ぶ際にしばしば用いられる。

「つめくさ」既出既注。マメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens のこと。ヨーロッパ原産の帰化植物。

「芹」セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica。私は亡き母と裏山の池の傍の湿地でよく摘み取ったのを懐かしく思い出す……。

「ぶりき細工のとんぼ」隠喩。

「よしきり」鳴き声が特徴的な(私は姿も鳴き声も好き)、鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目ウグイス上科ヨシキリ(葦切)科 Acrocephalidae のヨシキリ類(鳴き声と動画は例えばYou Tube ここ(オオヨシキリ)やここ(コヨシキリ))。本邦ではヨシキリ科ヨシキリ属オオヨシキリ Acrocephalus arundinaceus・ヨシキリ属コヨシキリ Acrocephalus bistrigiceps の二種が夏鳥として渡って来る。私の和漢三才圖會第四十一 水禽類 剖葦鳥(よしはらすずめ)(ヨシキリ)も参照されたい。

原稿の元の「かけす」はスズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius。私は体験上は印象のよくない鳥である(だから賢治が変えて呉れたのは嬉しい)が、ウィキの「カケスによれば、『「ジェー、ジェー」としわがれた声で鳴く。英語名の『Jay』はこの鳴き声に由来する。また他の鳥の鳴き声や物音を真似するのが巧く、林業のチェーンソーや枝打ち、木を倒す時の作業音を「ジェージェー」の間奏を入れつつ再現することもある。飼い鳥として人に慣れたものは人語の真似までする』とある。

「ぐみの木」バラ目グミ科グミ属 Elaeagnus のグミ類は本邦に十数種が植生するが、分布から考えると、アキグミ Elaeagnus umbellata ではないかと思う。ウィキの「グミによれば、『根にフランキア属』(真正細菌放線菌門放線菌綱フランキア目フランキア科フランキア属 Frankia)『の放線菌が共生し』、『窒素固定を行うので、海岸などのやせた土地にも育』ち、『方言名に「グイミ」がある。グイはとげのこと、ミは実のことをさし、これが縮まってグミとなったといわれる。その他に中国地方ではビービー、ブイブイ、ゴブなどとも呼ばれている』とある。なお、アキグミの実(但し、本ロケーション時期とはずれて、秋に朱から赤色の球形果をつける)は食用になるものの、タンニンを多く含むため、そのままでは強い渋みがある。但し、実にトマトの七倍から十七倍ものカロチンの一種リコピン(lycopene)を含むことでもよく知られる。

「しやつぽ」シャッポ。帽子。フランス語「chapeau」であるが、特にツバのある帽子を指す。茸狩りで見つけた者が帽子を投げて採る前に占有を主張するのはヨーロッパではごく普通のことである。精神分析医のフロイトはこれの名人であった。「キノコ」「帽子」「被せる」……彼の汎性理論の教科書みたような事実である。

「鑛物板だ」鉱物質で出来た平滑で鋭く輝く板のようだ。

「ひでり」「陽照り」。「旱」ではない。]

2018/11/08

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 習作

Syusaku1

Syusaku2


      習  作

 

キンキン光る

西班尼(すぱにあ)製です

  (つめくさ つめくさ)

こんな舶来の草地でなら

黑砂糖のやうな甘つたるい聲で唄つてもいい

と┃また鞭をもち赤い上着を着てもいい

ら┃ふくふくしてあたたかだ

よ┃野ばらが咲いてゐる 白い花

と┃秋には熟したいちごにもなり

す┃硝子のやうな實にもなる野ばらの花だ

れ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない

ば┃とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ

そ┃みきは黑くて黑檀(こくたん)まがひ

の┃ (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)

手┃このやぶはずゐぶんよく据えつけられてゐると

か┃かんがへたのはすぐこの上だ

ら┃じつさい岩のやうに

こ┃船のやうに

と┃据えつけられてゐたのだから

り┃……仕方ない

は┃ほうこの麥の間に何を播いたんだ

そ┃すぎなだ

ら┃すぎなを麥の間作ですか

へ┃柘植(つげ)さんが

と┃ひやかしに云つてゐるやうな

ん┃そんな口調(くちやう)がちやんとひとり

で┃私の中に棲んでゐる

行┃和賀(わが)の混(こ)んだ松並木のときだつて

く┃さうだ

 

[やぶちゃん注:「┃」は底本では連続(改ページ部分は除く)長い横線である(本篇全画像を上に示した)。大正一一(一九二二)年五月十四日の作。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同を感じないので略す)、これ以前の発表誌等も存在しない。

 さて、この各行の一字目を縦に読む(これだけは、横書電子化のうま味のあるところで、すんなり読めて意味も用意に採れる)と、「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」という七五調定型詩のようなものが現われる。さてもこれは、大正八(一九一九)年一月一日に、かの「藝術座」が松井須磨子主演で(明治一九(一八八六)年~大正八(一九一九)年:この公演中の四日後の一月五日に東京市牛込区横寺町(現在の東京都新宿区横寺町)にあった「芸術倶楽部」の道具部屋に於いて縊死自殺した。ともに劇団を立ち上げた不倫相手島村抱月(妻子がいた)は二ヶ月前の前年の十一月五日にスペイン風邪で病死しており、それが自死の引き金であった)東京有楽座で公演した、かのメリメ原作のビゼーのオペラ「カルメン」の劇中歌として、北原白秋が作詞し(但し、白秋は英訳本「カルメン」からアリア「ハバネラ」(Habanera:冒頭の歌詞から「恋は野の鳥」(L'amour est un oiseau rebelle)の題名でも呼ばれる)を意訳したもの)、中山晋平が作曲した「戀の鳥」の詩句の一部を下敷きとして組み直したものである。以下に、所持する正字正仮名の新潮文庫昭和二五(一九五〇)年刊「北原白秋詩集」より引く。

   *

 

   恋の鳥

    ――『カルメン』の唄より――

       (カルメンのうたふ小曲)

 

捕らへて見みればその手から、

小鳥は空へ飛んで行く、

泣いても泣いても泣ききれぬ、

可愛いい、可愛い戀の鳥。

 

たづねさがせばよう見みえず、

氣にもかけねばすぐ見みえて、

夜も日も知らず、氣儘鳥、

來きたり往(い)んだり、風の鳥。

 

捕(と)らよとすれば飛とんで行き、

逃げよとすれば飛びすがり

好(す)いた惚(ほ)れたと追つかける、

翼(つばさ)火の鳥、戀の鳥。

 

若しも翼を擦り寄せて、

離しやせぬぞとなつたなら、

それこそ、あぶない魔法鳥、

戀ひしおそろし、戀の鳥。

 

   *

見て戴けば、判る通り、第二連冒頭の「捕(と)らよとすれば」に、第一連の「その手から」/「小鳥は空へ飛んで行く」を接合したものである。但し、こう歌詞をいじくり、しかも、奇妙な形の本詩篇の構造を考えると、そこには、何か、誰かにしか判らない暗号とまで言わないまでも、本篇本文の意味するところを、誰かに何か匂わせるような性質が、この詩篇には潜ませてあるのではないか? という思いはしてくる。そんな思いの中でネット上を調べてみたところ、azalea氏のブログ『宮沢賢治と「アザリア」の友たち』の「八ヶ岳エスペラント館|宮澤賢治センター2月の定例研究会 とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く[作品に関すること]」に行き当たった。そこには、まさに私が推測した通りの可能性が語られていたので、少々、吃驚した。賢治がこの詩を密かに捧げたと思われる相手の候補は、かの「銀河鉄道の夜」のカンパネルラのモデルともされる同い年の盛岡高等農林学校時代(保阪の方が一年後輩。同校の文芸同人誌『アザリア』でともに詩や文章を競ったが、大正七(一九一八)年三月発行の第六号に保阪が寄稿した「社会と自分」という文章の中に、「今だ。今だ。帝室を覆すの時は。ナイヒリズム」という一節があったことが問題視されて保阪は退学処分となった)からの親友で文芸記者から農業実践家となった保阪嘉内(ほさかかない 明治二九(一八九六)年~昭和一二(一九三七)年)であった(保阪についてはウィキの「保阪嘉内」ウィキの「宮澤賢治」を参照されると、概ね、関係が判るが、端折って言うと、宗教上の問題で、大正一〇(一九二一)年(賢治が東京へ家出した年)の七月に二人は決裂してしまい、以後は悲しいことに、書簡のやり取りも激減し、疎遠となってしまった)。azalea氏のブログには、以下のように記されてある。まず『「とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く」という賢治の詩「習作」に書かれているものと同じ詩句が、保阪家で歌われてきた家庭歌の歌詞の一節にもなってい』たことが語られ、この白秋の詩篇が改変されてあるのは(書簡番号は後に合わせて半角とし、行空部分には「*   *   *」を附した)、

   《引用開始》

これは賢治の記憶違いでしょうか、それとも何か意味があるのでしょうか。

私は、これが大正8年に賢治と嘉内が再会したことを物語っていることの一つではないかと考えています。

ではなぜ、そう考えるのかと言えば、当時としては流行歌であった「恋の鳥」の歌詞を賢治も嘉内も同じように間違えるとは思えないからです。

しかも賢治はこの詩句をアンダーラインを引いた上に右から左に横一列に書くという、ずいぶん目立った書き方をしています。

そこには何らかの意図があると思わざるを得ません。

   *   *   *

ここで賢治の書簡を見ると、大正9年7月22日付け保阪嘉内宛の書簡166に「東京デオ目ニカゝッタコロハ」という文言があります。これは大正7年12月31日付け保阪嘉内宛の書簡102で賢治が「私は一月中旬迄は居なけばならないのでせう。/あなたと御目にかゝる機会を得ませうかどうですか」と嘉内に再会を持ちかけていることと対応するものと考えてよいのではないでしょうか。

大正8年、東京では1月1日から芸術座で松井須磨子主演の「カルメン」が上演されました(その松井須磨子は1月5日未明に自殺し、公演は中止になってしまいますが)。「恋の鳥」はその劇中歌の一つで、当時の流行歌ともなりました。

おそらく二人が大正8年に再会した時、一緒に「カルメン」を見たか(註2)、あるいは「カルメン」か「恋の鳥」について語りあった(松井はトルストイ原作の「復活」を演じていますし、嘉内は白秋の作品を好んでいたので十分あり得ることと思います)ことがあったのではないでしょうか。

その時、おそらくは嘉内が「僕なら1番と3番を一緒にして『とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く』とするけどな。その方が絶対にいいよ」みたいなことを言った。

賢治は「習作」を発想した時、その嘉内の言葉を思い出した。

もしかしたらその時の賢治の心の中には「恋の鳥」の旋律が流れていたのかも知れません。

さらには、その再会の時に話題となった諸々のこと(たとえば*[やぶちゃん注:伏字で中略する。ブログ主の知人の個人ハンドル名が出るため、*で伏字とした。]さんが推測されているように書簡102aにつながることなど)も思い出したかも知れません。

そして、賢治は上述のようにして「習作」にその詩句を記した。

この詩を含む『春と修羅』が嘉内の元に賢治から送られ、嘉内は「習作」を読んでニヤリと笑った・・・というのは想像しすぎですが、そんな感じで賢治を懐かしく思い出したのではないでしょうか。

(この時なにがしかの手紙も本と一緒に入っていたかも知れません)

「『とらよとすればその手からことりはそらへとんで行く』か、懐かしいな。そういえば、そんなことがあったな。賢治さんは、覚えていてくれたんだねえ・・・」

この詩の中に、二人にしかわからない暗号のようなものが隠されているとすれば、そういうことではないかと思います。

   *   *   *

嘉内は『春と修羅』を開き「習作」を目にするたびに、賢治と東京で大正8年に再会した時のことを思い出し、やがてその詩句に自分の賢治への思いを交えて歌を作った。

それがどの時点のことかは今のところ見当がつきませんが、早ければ『春と修羅』が刊行された大正13年のこと、遅ければ嘉内が賢治の没後に花巻を訪ねたころのことのような気がします。

このようにして生まれたのが、保阪家の家庭歌(「勿忘草の歌」という題は保阪庸夫氏が2007年に付けたものです)として伝わっている歌ではないでしょうか。

   *   *   *

要は、

(1)『春と修羅』所載の「習作」に記された標記の詩句は賢治から嘉内に宛てたメッセージのようなものであり、それを汲み取った嘉内が同じ詩句を使って家庭歌を作ったのではないか

(2)そのメッセージは大正8年に賢治と嘉内が再会したことに由来するものと思われる

ということですが、いずれもまだまだ想像の域を出るものではありません。[やぶちゃん注:以下、引用が度を越すので略すが、以下の部分も非常に重要な考察を行っておられるので、リンク先を読まれんことを切に願う。]

   《引用終了》

とあるのである。推論ではあるけれども、以上は謎めいた特異敬体を持つ本篇を考える上で、極めて重要な提言であると思われる。なお、そこに出る「保阪家の家庭歌」(「勿忘草の歌」)というのは、ブログ「宮澤賢治の詩の世界」の『「勿忘草」の人に示されていたので、以下に引く(「心友 宮沢賢治と保阪嘉内」からの引用とある。恣意的に漢字を正字化し、歴史的仮名遣に変更した。「保坂」はママ)。

   *

 

   勿忘草(わすれなぐさ)の歌

            ―保坂家家庭歌―

 

捕(とら)よとすればその手から小鳥は空へ飛んで行く

仕合はせ尋ね行く道の遙けき眼路に淚する

 

抱かんとすれば我が掌(て)から鳥はみ空へ逃げて行く

仕合はせ求め行く道にはぐれし友よ今何處(いづこ)

 

流れの岸の一本(ひともと)はみ空の色の水淺葱(みづあさぎ)

波悉(ことごと)く口付けしはた悉く忘れ行く

 

   *

その一行目はまさしくこれだ。そこには『保阪嘉内が家族とともによく歌っていたという』ともあった。

 「手入れ本」は藤原嘉藤治所蔵本の一本(現在、所在不明のもの)で、二行目の「西班尼(すぱにあ)製です」が「西班尼(すぱにあ)製のそら」で「です」を削除、「(あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)」の「痛いもや」(「靄」であろう)を「痛い霧」と変えているだけである。この改変の少なさも本書中の今までのそれと比して特異点であり、本詩篇が何か特別な個人的思い入れがあることと関係があるようにも思われる。

「西班尼(すぱにあ)」イスパニア。スペイン王国(Reino de España)。「西班牙」が一般的であるが、こうも漢字表記する。「スペイン」は英語表記の「Spain」に基づく通称。

「つめくさ」マメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節 シロツメクサ Trifolium repens のこと。ヨーロッパ原産の帰化植物。本邦に夥しく繁殖したのは、明治以降に家畜の飼料用として導入されたものが野生化して以降のことであるから、「こんな舶来の草地」という謂いはすこぶる正しい。

「鞭をもち赤い上着を着てもいい」ここまでドライヴしてくると、これは一読、「カルメン」の一場面だろうと推測出来る。生憎、私は正当なオペラの「カルメン」の舞台を見たことがない(有名どころの海外のモダン・バレエ脚色を二種見たが、私には退屈で、愛したアントニオ・ガデス舞踏団のそれだけが記憶に残っているだけ)のだが、何となくありそうな感じがした。「赤い上着」はカルメンの衣装だし、「鞭」も鳴らすとこがあったような気がした。うろ覚えでは仕方がないので、調べてみたところ、やはり、ブログ「宮澤賢治の詩の世界」の『賢治は「カルメン」を見たか(本篇)』にあった。詳しくはそちら(海外の舞台リハで鞭を鳴らすシーンが動画でリンクされてある)を見られたい

「黑檀(こくたん)」ツツジ目カキノキ科カキノキ属 Diospyros に属する熱帯性常緑高木の数種に与えられている総称。インド・スリランカなどの南アジアからアフリカに広く分布する。本黒檀(セイロン・エボニー/イースト・インディアン・エボニー)Diospyros ebenum が最も知られる最高級種で、インドやスリランカを原産とする。他にインドネシア原産の縞黒檀(マカッサル・エボニー/カリマンタン・エボニー)Diospyros celebica・ラオスなどの東南アジア原産の斑入(ふいり)黒檀(ブラック・アンド・ホワイト・エボニー/ペール・ムーン・エボニー)Diospyros malabarica・ラオスやベトナムなどの東南アジア原産の青黒檀(ムン・エボニー/ブラック・アンド・ホワイト・エボニー)Diospyros mun などがある。しかし「野ばら」バラ亜綱バラ目バラ科バラ亜科バラ属ノイバラ Rosa multiflora の木の幹って「黑檀まがひ」の感じかなぁ。家の亡き母が丹精した薔薇の木の幹は確かにごつごつとして黒っぽいけど。

「すぎな」シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属スギナ Equisetum arvense。この栄養茎が「杉菜」で、胞子茎が土筆(つくし)。

「間作」「あひさく(あいさく)」とも読むが、「かんさく」でよかろう。農作物の収穫後に次の作物を作り始めるまでの余暇期間を利用して、野菜などを栽培すること。

「柘植(つげ)さん」これは木の柘植ではない。先に引いた「宮澤賢治の詩の世界」の『「勿忘草」の人に、『柘植六郎という盛岡高等農林学校の教授で、園芸などを担当していたということです(『新宮澤賢治語彙辞典』より)』とある。保阪と繋がる人物がここに出てきた。ブログ主も『賢治は、どこかの(スペイン風とも感じられる)気持ちのよいつめくさの草地を歩いているようですが、もう』四『年あまり前に卒業した盛岡高等農林学校のことを思い出して、書き込んでいるのです』と記しておられる。これはますます賢治と保阪の本詩篇での関係性が、いやさかに浮かび上がって来ざるを得ない。

「和賀(わが)」松井潤ブログ「HarutoShura習作記事に、『「和賀」は岩手県中西部の地域で、秋田県との県境の』一千『メートル級の山々が連なる和賀山塊や国内最大級のブナの巨木のある原生林などで知られる。かつては多くの鉱山があって賑わい、賢治はひんぱんに出かけている。かつては和賀軽便軌道が敷設され、軌道と道路の両側に松並木が植えられていたようだ』とある。岩手県和賀郡西和賀町の和賀岳は標高千四百三十九メートル。(グーグル・マップ・データ)。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 風景

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

   (いま靑ガラスの模型の底になってゐる)

ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

[やぶちゃん注:現存稿は底本原稿のみで、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年五月十二日の作。原稿にある校正指示が完成品では生かされていないので(「手入れ本」には揷する操作が示されていないから、後に取り消したのかも知れない)、その通りにした場合を復元してみる

   *

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

 ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば

   (いま靑ガラスの模型の底になってゐる)

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

   *

宮澤家「手入れ本」の最終形(一部は私が推定で処理した)は、以下のようになっている。

   *

 

      風   景

 

雲はたよりないカルボン酸

さくらは咲いて日にひかり

また風が來てくさを吹けば

截られたたらの木もふるふ

 ……さつきはすなつちに厩肥(きうひ)をまぶし

   いまは模型のコバルトガラス――

むらさきなダムダム彈(だん)が

いきなりそらに飛びだせば

  風は靑い喪神をふき

  黃金の草 ゆするゆする

    雲はたよりないカルボン酸

    さくらが日に光るのはゐなか風(ふう)だ

 

   *

但し、最後の二行は、一度、上まで引き上げて、三行にし、

   *

……雲はたよりないカルボン酸

さくらは白く日に光る。

氣海の蛙の卵である

   *

と大きく改変しながら、後で☓印等で削除している(「光る。」の句点はママ)。また、菊池曉輝氏所蔵本では、「ひばりのダムダム彈(だん)がいきなりそらに飛びだせば」を、

   *

ひばりの黑いダムダム彈(だん)が

いきなりそらに飛びだせば

   *

と「黑い」を挿入した上で、二行に分けられてある。

「カルボン酸」(carboxylic acid)はカルボキシル基を持つ有機化合物の総称。カルボキシル酸とも呼ぶ。代表的な有機酸で、脂肪酸・アミノ酸・ヒドロキシ酸・ケト酸などもこれに含まれる。ウィキの「カルボン酸」によれば、『生物が作りだすカルボン酸、およびその塩は自然界に普遍的に見出すことができるので、物質としては有史以来』、『親しまれてきた。錬金術の時代以来、単離・命名されて来たので』、『酢酸のような慣用名を持つものが少なくない』とある。このウィキの記載から、それを「雲」の形容に「たよりないカルボン酸」とした辺りは、前の「雲の信號」の〈性的な雲〉のイメージと親和性があるようにも読める気がする。そもそもこの冒頭は見開き左ページ(二十三ページ)で四行示されているが、その右ページと左ページ三行が前の「雲の信號」の全篇提示となっているから、読者が前の詩を十分に引きずって読む可能性はすこぶる高くなるように組まれているのである。但し、ブログ宮澤賢治世界」の「二相系いろいろでは、応用化学者神代瑞希氏の「化学の視点から捉える賢治作品のおもしろさ~なぜ雲はたよりないカルボン酸のイメージなのか~」の講演の中で、『カルボン酸の説明や従来のこの部分の解釈を紹介した後、結局このイメージは、代表的なカルボン酸である酢酸から由来しているのではないかという考えを示されました。酢酸は融点が比較的高く、たとえば実験室に置いてある試薬も冬になると凍ったりすることから、「はっきりしない⇒たよりない」という印象が生まれたのではないか、「酢酸が凍ったり溶けたりする様子が高等農林の体験等から思い出されたのでは?」「雲ができたり消えたりするイメージ?」との推測です』。『また発表時のスライドでは、⑴過冷却状態にある液体の酢酸に、核となる微粒子を入れると見る見る固化して、液体と固体が共存した状態になる様子、⑵酢酸に炭酸塩を入れると二酸化炭素の泡が発生して、まるで雲が湧くように見える様子、という二種類の動画も見せて下さって、とても印象的でした』とあった。科学者宮澤賢治を支点にすれば、それもすこぶる腑に落ちる。

「たらの木」セリ目ウコギ科タラノキ属タラノキ Aralia elata

「すなつち」「砂土」。

「厩肥(きうひ)」牛・馬・豚等の家畜の排泄物と敷き藁との混合物で、有機質肥料として自給肥料の中でも重要なものとされる。

「ひばりのダムダム彈(だん)」「ダムダム彈」(dumdum bullet)はイギリスがインドで植民地反乱を鎮圧するために用いた銃弾。カルカッタ郊外のダムダム地区の兵工廠で製造したことから、十九世紀末頃からこう呼ばれた。通常の銃弾の弾頭は鉛の芯を銅又はニッケルで包んであるため、動物や人間に当ると、貫通するが、ダムダム弾は被銅の先端を取り除き、且つ、被銅を薄くしてあるため、命中すると、柔らかい鉛が潰れ、傘のように広がる盲管銃創となり、殺傷能力に大きな効果があった。残虐であるという理由から、一八九九年の「ハーグ平和会議」で国際的に戦時の使用が禁じられた(ここは主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。ここは、スズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis が、驚くべきスピードで高く上がって行く、「揚げ雲雀」とも呼ばれる、縄張り宣言の飛翔を、強力な兵器としてのダムダム弾に擬えたのであろう。ヒバリについての博物学的なことは、最近私がものした和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷚(ひばり)(ヒバリ)を参照されたい。

「いま靑ガラスの模型の底になってゐる」「風は靑い喪神をふき」「黃金の草 ゆするゆする」これらは賢治独特の詩語法で異界的硬質的違和感(悪く言えば、ちょっと判り難く)を確信犯で出しているが、要は、独り、農作業をし、いささか疲れた賢治が、畑の土や作物の様子、そこを吹き抜ける五月の風、収穫時を迎えた麦畑の黄金色の穂の揺らぎをカット・バックしたものであろう。「喪神」は「魂が抜けたようにぼんやりすること・放心」の意であるが、ここはそこに立っている心地よい疲労の中の賢治の、心象の投影された田園風景であると言える。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 雲の信號

 

      雲 の 信 號

 

あゝいゝな、せいせいするな

風が吹くし

農具はぴかぴか光つてゐるし

山はぼんやり

岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だって

みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ

  そのとき雲の信號は

  もう靑白い春の

  禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた

山はぼんやり

きつと四本杉には

今夜は雁もおりてくる

 

[やぶちゃん注:「岩頸(かんけい)」のルビの「かんけい」はママ(底本原稿も「かんけい」なので誤植ではない。但し、無論、「がんけい」が正しい)。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同はないので示さない)、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年五月十日の作。宮澤家「手入れ本」は、以下のようになっている。

   *

 

      雲 の 信 號

 

あゝいゝな、せいせいするな

風が吹くし

農具はぴかぴか光つてゐるし

山は! ぼんやり

岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だつて

みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ

  そのとき雲の信號は

  もう靑じろい禁慾の

  春ぞら高く掲(かか)げられてゐた

山はぼんやり

きつと四本杉には

今夜は雁もおりてくる

 

   *

「雲の信號」農事の開始を告げる春の雲の到来

「岩頸」「火山岩頸」の略。火山体が浸食されて、火道(かどう:volcanic vent:マグマが地中に貫入したその通り道)を満たしていた溶岩などが塔状に露出して残った岩体。岩栓(がんせん)・突岩(とつがん)とも呼ぶ。山塊・山麓・海岸線・海中等に楯状に突き出る岩の塊りで、大きなものでは、アメリカ合衆国ワイオミング州北東部にある、スピルバーグの映画「未知との遭遇」(一九七八年日本公開)で知られるようになった「デビルス・タワー(Devils Tower)」がそれ。

「岩鐘」賢治の呼称で、前の岩頸の、なだらかな円錐(釣鐘)状の突出を指しているようである。地球物理学者で日本文藝家協会(日本文芸家協会)会員でもある島村英紀サイト地球科学者と読む宮沢賢治の「その1:楢ノ木大学士の野宿が賢治の複数の作品も引用されていて、素敵だ。そこに『賢治の研究家で、「賢治の事務所」というホームページを開設しておられる加倉井厚夫(かくらい あつお)』(同サイトからは私も既に引用させて戴いている)『さんから教えていただいたことによれば、 賢治が見ていた岩頸は、盛岡の西南西の郊外の南昌山あたりではないか、という』とある。そこにリンクされてある需要研究所サイトイーハトーヴォの「南昌山も必見。南昌山は岩手県岩手郡雫石町と紫波郡矢巾町との境にある、標高八四八メートルの山で、岩の鐘(私が画像を見た限りでは口の広い鉢)を伏せたような均整のとれた形をしている。坂上田村麻呂の時代から霊山として崇敬され、賢治も何度も訪れていた(ここはウィキの「南昌山に拠った)。(頂上は岩手県紫波郡矢巾町煙山。グーグル・マップ・データ)。

「みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ」人類が生まれる以前の太古の造山運動の時代を想起し、自身の性的衝動をそこに昇華(フロイト的な意味で)しようとしている賢治がそこには、いる。

「そのとき雲の信號は/もう靑じろい禁慾の/春ぞら高く掲(かか)げられてゐた」「雲」個人ブログトポイポイねっと中路正恒 第二ブログの「≪宮沢賢治の雲≫ 芸術学コース 須田雅子の「(3)性的な雲」に、『押野武志は、性欲や性愛を煩悩とみなし、克服しようとする賢治が、「おれは、たまらなくなると野原へ飛び出すよ、雲にだって女性はゐるよ」と藤原嘉藤治に話したというエピソードを紹介している』とあるのは、この字下げ第二連の謎めいた謂いを読み解く、強力な鍵のように思われる。雲が性欲の象徴であるとすれば、「人」類「未生以前」の「太古」の意識の中では、「雲の信號」(肉体的性的衝動)「は」「もう靑じろい禁慾の」「春ぞら」遙か「高く」手の届かないところに「掲(かか)げられて」「ゐた」と賢治は謂うのではないか? その時は、あたかも地蔵菩薩像の股間のように、男根は渦を巻いて内部に貫入して封蔵されていたのだ、とでも言えそうな気が煩悩即菩提を嘯く私には、する、のである。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 陽ざしとかれくさ

 

      陽ざしとかれくさ

 

    どこからかチーゼルが刺し

    光(くわう)パラフヰンの 蒼いもや

    わをかく、わを描く、からす

    烏の軋り……からす器械……

(これはかはりますか)

(かはります)

(これはかはりますか)

(かはります)

(これはどうですか)

(かはりません)

(そんなら、おい、ここに

 雲の棘をもつて來い。はやく)

(いゝえ かはります かはります)

    ………………………刺し

    光パラフヰンの蒼いもや

    わをかく わを描く からす

    からすの軋り……からす機關

 

[やぶちゃん注:底本のリーダ数は三行目の二箇所が孰れも八点(私が打ったのは三点リーダで六点)、「刺し」の上が四十四点(同前二十七点)、最終行のそれが八点であるが(同前六点)、その個数分を打つと、底本の前後の行との見た目のバランスをとることが難しくなるので、再現していない。リーダ数は異なるが(従ってもっと詰って黒く見える)、当該一行の長さは底本と全く同じ位置にあるようになっている。序でに言うと、の始まりや終わりの前後に次がある場合、底本では半角ほどの有意な空隙が見られるが、これも見た目がずれるので再現してはいない(この注は以降のリーダが使用される詩篇では繰り返さない。悪しからず)

 大正一一(一九二二)年四月二十三日の作。本詩篇は本底本刊行前の初出誌がある。大正一三(一九二四)年三月九日発行の『反情』第二号(反情社刊。花巻で梅野草二氏が編集していた雑誌)で、掲載は本底本の刊行の前月である。掲載されたそれを示す。「からすの機關」の「の」が入っている点を除いて変化はない。

   *

 

    陽ざしとかれくさ 宮澤賢治

 

 どこからかチーゼルが剌し[やぶちゃん注:「刺」が異体字。]

 光(くわう)パラフ井ンの 蒼いもや[やぶちゃん注:「ヰ」が漢字の「井」。]

 わをかく、わを描く、からす

 烏の軋り……からすの器械……[やぶちゃん注:「の」が入っている。]

(これはかはりますか)

(かはります)

(これはかはりますか)

(かはります)

(これはどうですか)

(かはりません)

(そんなら、おい、ここに

 雲の棘をもつて來い。はやく)

(いゝえ かはります かはります)

    ………………………剌し[やぶちゃん注:「刺」が異体字。]

 光パラフ井ンの蒼いもや[やぶちゃん注:「ヰ」が漢字の「井」。]

 わをかく わを描く からす

 からすの軋り……からすの機關[やぶちゃん注:「の」が入っている。]

 

   *

同誌の目次では標題は「陽ざしとかれ草」となっている。

 底本用原稿もあるが、リーダ数の違い等で、特に目立った異同はないので略す。「手入れ本」も有意な違いがないので、略す。

 「手入れ本」では宮澤家本が三行目冒頭の「わ」を「輪」に直した後、字下げの第一連四行全部と、字下げ最終連四行全部に斜線を附している。この第二連だけで一つの心象スケッチ(詩篇)としようという裁断は、なかなか凄いものがある。

「チーゼル」teasel(英名)。キク亜綱マツムシソウ目マツムシソウ科ナベナ(チーゼル)属オニナベナ Dipsacus sativus。異名「羅紗掻草(ラシャガキグサ)」。二年草で高さは約一・五メートル、茎に棘(とげ)がある。葉は線形で、夏、淡紫色の頭状花を穂状につけ、総苞(そうほう)は先が鉤状を呈する。乾燥した穂は硬く、織物の起毛に利用する。ヨーロッパ原産。別名「おになべな」。これM.Ohtake氏のサイト「四季の山野草」内)。

「わを描く」前の「わをかく」と差別化して「輪をえがく」と読んでおく

「光(くわう)パラフヰン」太陽光の眩しさやハレーションをパラフィンに喩えたものであろうが、賢治らしい独特の造語ではある。

「烏の軋り」「からすのきしり」。後の「器械」や「機關」はカラスのその啼き声を機械の軋り音と捉えたものであろう。]

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 谷

 

      

 

ひかりの澱

三角ばたけのうしろ

かれ草層の上で

わたくしの見ましたのは

顏いつぱいに赤いうち

硝子樣(やう)鋼靑のことばをつかつて

しきりに歪み合ひながら

何か相談をやつてゐた

三人の妖女たちです

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年四月二十日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。末尾二行を削除した跡が残る本書用原稿があるので、以下に示す(促音は全集のママ)。

   *

 

      谷

 

ひかりの澱

三角ばたけのうしろ

かれ草層の上で

わたくしの見ましたのは

顏いつぱいに赤いうち

硝子樣(やう)鋼靑のことばをつかつて

しきりに歪(ゆが)み合ひながら[やぶちゃん注:ルビは本書では生かされていない。]

何か相談をやってゐた

三人の妖女たちです

ちらちら南の紺沃度(こんようど)の地平線を見てゐましたよ

わるいでせうか

 

   *

「紺沃度(こんようど)」ここは空と地平の間合いの色を示している。「沃度」はヨード(ヨウ素)であるが、ヨードは単体の気体では紫色で、御存じの液体(但し、概ね、単体ではなく「ヨウ素液」=ヨウ素ヨウ化カリウム溶液)では褐色である。篇中の時制がよく判らぬが、谷がロケーションで、「ひかりの澱」(「澱」は「おり」或いは「よどみ」であるが、時制を考証するに際しては、そこに沈んでたまさかに積り残っている残光の「おり」の方が都合がいい。「よどみ」を否定するものではないが、「よどみ」だと、朗読の際の初発の音としてはやや締りに欠く気がする)ときて、以下の描写や幻想性から察するに、夕刻と読めるように思う。紫紺色でも紺色がかった褐色でも孰れもイメージとしては悪くないが、逢魔が時なら、前者の方が少し慄っとする素敵な切れ味がある。

 なお、宮澤家本「手入れ本」では、全面に斜線で削除意向を示し、行方不明の方の藤原嘉藤治所蔵本では、最終行を「三人の老いた妖女たちでした」と修正しつつも、やはり削除を示す全行上方の赤い弧線がある

「三角畑」固有や通称地名ではなく、定型を成さない耕地面積の非常に狭い、谷の奥に作られた貧農のちっぽけな三角形の畑であろう。もう誰も耕してはいないのかも知れない。

「顏いつぱいに赤いうち」気持ちの悪い、赤く爛れた小さな腫れ物・おできの類いであろう。妖婆の馴染みのアイテムである。

「硝子樣(やう)鋼靑」私はこれで賢治の造語した一単語と採り、「ガラスやうこうじやう(ガラスようこうじょう)」と読みたい(「じょう」は群青(ぐんじょう)の例がある)。「こうせい」でもよいが、どうも張りに欠く気がする。「鋼靑」とは恐らく、青鋼(あおはがね/あおこう)は別名「青紙」とも呼ばれるそれであろう(白鋼にクロムとタングステンなどを加えて熱処理特性や耐摩耗性を強化した最高級の鋼で、刀や包丁に使われる。下級のものに白鋼・黄鋼があり、これら「青紙(あおがみ)」・「白紙」・「黄紙」と呼ぶこともあるが、これは實光包丁職人ブログ」のこちらの記載を読むと、昔、金属会社で『製造した鋼を区別する時に青い紙、白い紙、黄色い紙を貼って目印にしていたからと言われ』、『色自体に意味は』ないあるから、高級な鋼を叩いた時のような、非常に高く、ガラスのような透明感のある、独特の金属的な響きを指していると考える。

「歪み合ひながら」妖女(原稿からはより効果的に醜い老婆)が如何にも怪しい顔で(老婆ならいつものそれをより皺くちゃにして)話し合っているのを、物理的に「否(ゆが)み合ひながら」(原稿)とするのは感覚的には腑に落ちる。それが素直な「相談」ではなく、喋くりが自己主張となり、相手を罵るようなニュアンスへと転ずるとならば、話し合い自体が「歪み合」うというのも、これまた、腑に落ちる連想である。而して、この妖女(老婆)たちが、逢魔が時の妖しい時刻に、何か、意味あり気に交わしている、その「相談」なるものが「歪」んだ、則ち、「正しくない」性質の謀議である、或いは、不吉なやりとしてであるとすれば、「歪」の字は、ますます、この描かれた画面に感染増殖する漢字として、特異的に機能することが判る。

「三人の妖女たち」「ひかりの澱」んだ谷の、見捨てられた「三角畑」の、そのまた後ろの昏いところの、枯草が谷の湿気に饐えているその上で(「で」だと作者がそこにいるようにも読めるが、ここはそこに彼女たちがいると私は採る)、顔に赤く膿んだ汚いできものを一杯こしらえている、硝子のような、透き通った、突き刺すような、鋼のようにキンキンとする声で話し合っている、「三人の妖女たち」、それは顔の醜さからも原稿にある通り、「老婆」である、鬼婆である、とすれば、これは誰もが、かのシェイクスピアの「マクベス」の冒頭に荒野に出現する、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」の三婆の魔女を思い出すし、賢治の目論みも、まず、そこにあると考えてよかろう。

 

 綠蔭に三人の老婆わらへりき   西東三鬼

 

三鬼の俳句を知らぬ方は、どうぞ、やぶちゃん正字化版西東三鬼句集或いは