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2005/07/14

人生という病

HPを開設して以来、僕が心許せる数少ない人々にのみ、それを知らせた。

見た感想をメールで寄せてくれたが、その半数は「漢字が多過ぎる」「ルビを振ってくれ」「難し過ぎて」という評であった。ものによっては、衒学的で「為にする」難解文、曖昧朦朧に終始しているように見える向きもあろう(後者は確信犯である部分が多い)。しかし、HPビルダーもなしに、安直なプロバイダ設定の簡単設定で作っている関係上、テクストの単純貼り付けでは、ルビは括弧書きで後ろにつくことになり、誠に醜い。そもそも、僕は鏡花のような総ルビ主義ではなく、「こゝろ佚文」等は、読む方に読みを想像してもらって遊んでもらいたい思いもある。

しかし、総体に於いて、言志の達意を旨とする僕としては、内心、忸怩たる部分があることは事実だ。反省する(僕はしかし、こうと想った思い込みは、しかし決して変えない。それを困った人と言いつつ、受け入れてくれた奇特な方もいたことを申し添えておく)。さても、救いは、HPに辟易した人も、このBlogは評価してくれることだ。特に、「僕が教師をやめたい理由」の内容は、本当に親しい教え子にも、誰にも話したことはなかったから。

そうして、そんな感想と共に、僕はその心許せる、きっと僕より幸福であると、傲慢迂闊にも思っていたその人々の多くが、何かをそれぞれに「病んでいる」という事実も知った。

ある者は、実際の肉体や心の病いを。またある者は、金、そして仕事、夫婦や職場といった互いの人間関係に。

僕は卒然、僕のこの、確信犯として「死」によって額縁したHPやBlogの、他者への覚悟と厳粛さについて、撃たれたように感じた。Kに指弾された先生のように、驚かされ、恐れさせられたと言ってよい。

僕には、その僕に大切な人々に、誰一人にも、何一つ、返す言葉がない。

それでも、今朝、持つ傘を敢えてささず、霧雨にうたれながら、いたち川を大船から本郷台へと歩く道すがら、こんなことを思った。

人生とは「病い」と心得よ。

さすれば、君が苦悩し、病んでいると思っている拘りや病いは、鮮やかに反転する。

それは、病苦どころか、君を当り前の、「ある」君に戻すための黙示なのだ。

ザインとゾルレン。僕はこれに断固反論する。言い口は、ここに前に書いたことと何も変わりはしないのだが。

硬直し、去勢、強制された、道徳染みた説教の、手垢に汚れ、腐臭にまみれた、「あるべき」ことよりも、素直で無垢な自己表現としての君の「ある」ことを受け入れ、それにくるみこまれて立ちつくせ。その時、僕等は、僕等自身を見据えられるのだ。そこで「べき」という、けちくさい当然や義務、適当の助動詞から解き放たれるべきなのだ。

そこから、また踏み出そう。

踏み出す先が、崖であっても、いい。滑落して死ぬとは限らぬ。僕は、若い時、山をやっていたが、自他共に無数の滑落を経験したが、誰も死んだ奴はいなかった。否。気がついたら、泥だらけのあなたの眼前に可憐なスミレが咲いていたり、もしかしたら誰かに抱きとめられることだってあるかも知れない。僕の人生には、そんなこともあったよ。

そこにこそ、如何なる神や権威をも必要としない、己が救済は訪れるのではないか?

さあ! みんな、元気出して、歩こ! またね!

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