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2005/08/01

予告 國木田獨歩「忘れえぬ人々」

「要するに僕は絶えず人生の問題に苦しむでゐながら又た自己將來の大望に壓せられて自分で苦しんでゐる不幸(ふしあはせ)な男である。
「そこで僕は今夜(こよひ)のやうな晩に獨り夜更(ふけ)て燈(ともしび)に向つてゐると此生(せい)の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催ふして來る。その時僕の主我の角(つの)がぼきり折れて了つて、何だか人懷かしくなつて來る。色々の古いことや友の上を考へだす。其時油然(ゆぜん)として僕の心に浮むで來るのは、則ち此等の人々である。さうでない、此等の人々を見た時の周圍の光景の裡(うち)に立つ此等の人々である。我と他(ひと)と何の相違があるか、皆な是れ此生を天の一方地の一角に享(う)けて悠々たる行路を辿(たど)り、相携へて無窮の天に歸る者ではないか、といふやうな感が心の底から起つて來て我知らず涙が頬をつたうことがある。其時は實に我もなければ他(ひと)もない、ただ誰れも彼れも懷かしくつて、忍ばれて來る。
「僕は其時ほど心の平穩を感ずることはない、其時ほど自由を感ずることはない。其時ほど名利競爭の俗念消えて、總ての物に對する同情の念の深い時はない。
「僕はどうにかして、此題目で僕の思ふ存分に書いてみたいと思ふてゐる。僕は天下必ず同感の士あることゝ信ずる。」

其後二年經過(た)つた。
 大津は故(ゆゑ)あつて東北のある地方に住まつてゐた。溝口(みぞのくち)の旅宿(やど)で初めて遇つた秋山との交際は全く絶えた。恰度(ちやうど)、大津が溝口に泊まつた時の時候であつたが、雨の降る晩のこと。大津は獨り机に向つて暝想に沈むでゐた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの「忘れ得ぬ人々」が置いてあつて、其最後に書き加へてあつたのは「龜屋の主人(あるじ)」であつた。
「秋山」では無かつた。

(國木田獨歩「忘れえぬ人々」 より)

先日、友人から、blog の「忘れ得ぬ人々」というのは、国木田独歩の小説にあったような、とメールをもらったが、その通りで、独歩は私の敬愛する作家の一人だ。「こゝろ佚文 」で「先生」に「武蔵野」の一節を語らせたのも、確信犯。ちなみに、僕が感動する「武蔵野」の引用作品の筆頭は、引用に改変部があるが、「鉄腕アトム」の「赤い猫の巻」に如くはない。未読の方は、絶対お薦めだ。何度読んでも、涙を禁じ得ない。

さて、私の「忘れ得ぬ人々」は、そのパロディ(しかし私なりの真実の吐露ではあるつもりだ)とお考えあれ。ところで、昨日調べてみたところ、ネット上には、しっかりとした「忘れえぬ人々」がない。青空文庫は作業中だ。そこで、一念発起して、昨日、打ち込むだ。打ち込みには筑摩書房版「現代日本文學大系 第十一卷 國木田獨歩 田山花袋集」を用いた。4日に帰宅し次第、それを更に学習研究社版「國木田獨歩全集」で校正補正する予定。近日中に、電子テクストとしてアップする。学研の全集は独身貧乏の折に月賦で買ったものだが、作家の個人全集の白眉と言ってよいと思う。それにしても、独歩のこの文章は、言文一致への道程の一つというべきか、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの混用や送りがなの不統一等、打ち込みにやや苦しんだ。でも、いつ読んでも、いいなあ、このエンディング。では、乞う、ご期待!

何で blog が打てたかというと、職場のパソコンからは、この書き込みの規制がかからないことが判明したからで。

職務以外のインターネットの使用に問題ありというなら、これは国語教師として、電子テキストを合法的に公開する予告の作業であり、それを待ってくれる知人や元生徒が数人でもいる以上、立派な公務の延長と心得ているし、時間外勤務で職務はちゃんと遂行しており、且つ自己啓発活動を行いうる環境にある場合、それを有効に使うことは、教育公務員特例法に照らしても、全く合法的と判断するね。何てったて、右腕に金属埋め込んで半分「鬼」になっちまったんだ。何にも怖いものは、もう、ないよ。

 

友よ我は片腕すでに鬼となりぬ  高柳重信

→僕の罹患したコーレス骨折を気持ち悪くなく模式図で見る。
“American Academy of Orthopaedic Surgeons”Colles Fracture(英文)
http://orthoinfo.aaos.org/fact/thr_report.cfm?Thread_ID=150&topcategory=Hand

誰もいない職員室に、ジョアン・ジルベルトの「声とギター」をリピートで流しながら……

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