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2005/08/31

清からの手紙

坊ちゃま

病院も電車も車もお天道さまからも意地悪をされているような、そんな時がございます

キヨは昔、映画館で観たガメラが大怪我をしたとき

深い深い海の底に沈んで、ただただじっとしてケガを治すことを覚えています

今来た手紙の冒頭に斯くあつて此れには俺も脱帽した。清が活動でガメラ何ぞを見てゐたとは御釈迦様でもギヤオスかバルゴンてなもんだ。つい今し方の俺の消息文を見たとも思へぬが正直真向反省した。俄然越後の笹飴を探してやらねばならんと思ふた。

見鬼

授業開始。やりたいだけのレベルの下限までは、やれそうな気がした。但し、腕はただ今、大いに腫脹、ボンレスハム状態。

誠に、生徒にはボードレールもホイットマンもいて、僕を美しく茶化し、また素朴に心配する。まさに愛すべき稀有の詩人である。反して同僚たる大人どもは、鼻持ちならない陳腐な説教主か、同情を気取った似非慈善家か、さもなくば、早々に僕を意識から排除した見事な打算者ばかり、単純明快単調無味短絡非情な凡百の散文作家である。そうして、後者が生き延び、前者は直に後者に駆逐されるのであろう。世に詩人は早世する所以だ。否、それが大人になるという成語なのだ。腕が鬼になると、真実がよく見える。志怪小説で言う「見鬼」とは、これであったか。

2005/08/30

一枚の木の葉に包む命かな

父が 2005/08/07 のblogに書いた志賀丈二の私信を纏めたものを持ってきた。その中の葉書の中の一句。

一枚の木の葉に包む命かな

文句無くいい句だよ、志賀さん!

右腕が死んで、志賀さん、一つ目標を立てることにしたよ。

必ず、「志賀丈二のシュールレアリスム美術館」を僕のHPに開設するよ!

ミギウデシンダミグルミハガレタ

帰宅。痛みも腫れも振戦も拘縮も1ヶ月前の手術後に舞い戻った。右腕は1箇月全く使用不能。正直、途方に暮れる。この腫れが引いたら来週には腕全体をギブスするそうだ。これはサウナなんてもんじゃ、ない。リハビリは半年。後遺症は、反転の不具合、強く腕を突けない(腕立て伏せのような行為の不能)、拘縮、痛み等、何らかの形で残る。気が遠くなって失神するぜ。

一言。労災申請中であることを病院側に言ってしまうと大変なことになることを今日初めて知った。全額自費扱いになる。昨日今日の支払った金額は39万円。くれぐれも、労災認定を受けるまでは、黙っているべきだ。自費扱いになることを会計も患者に告知すべきだ。坊ちゃん並にド頭に来た。

2005/08/29

清へ

手術は今日の五人目で二時半だと言ふ。遣つ付け仕事のドン尻たあ、人を馬鹿にしていやがる。朝から飯も食はれず、今日のひつくり返したバケツの底が空いちまつたやうな上天氣に一滴の水も飮めぬ。人間を人間とも思わぬ惡鬼の所業だと腹が立つ。腹が立つから麻醉の吸入器にニコチンを吹き込んで遣る勢ひで煙草をぷかぷか吸つて了つた。清には、第一方角が違ふ、聞いた事もない、越後の笹飴でも、うんきつと買つてきてやると返事丈はして置いてやりたい氣分になつた。

いつもお氣遣いありがたう。長い待ち時間「坊つちやん」を讀む事に決めました。
では、行つて來ます。

2005/08/28

自作歴史小説 雪炎

入院手術で、最悪の場合、右腕が全く使えなくなるかも知れず、今のうちにと思い、自作の歴史小説「雪炎」をアップした(8月30日後記:事実、そうなった。折角27日にインストールしたHPビルダー、癪だから、ちょっとだけ使って新ページとしたが、ニフティの自動生成システムでは、もうページも増やせず、トップにリンクも張れないので、体裁を整えるために、「こゝろ佚文/句集 鬼火/贋作・侏儒の言葉(抄)/淵藪志異」の末尾のリンクという手を使った)。2005/08/14のblog「万華鏡」に記した奴を、雑誌からタイプした。大学3年、21歳の若書きで、オノマトペがやけに気になるが、僕自身は結構、気に入っている作品だ。御笑覧あれ。では、今回はあっさり、さようなら!

乃木坂倶樂部 萩原朔太郎

 乃木坂倶樂部 萩原朔太郎

十二月また來れり。
なんぞこの冬の寒きや。
去年はアパートの五階に住み
荒漠たる洋室の中
壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。
わが思惟するものは何ぞや
すでに人生の虚妄に疲れて
今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。
我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ盡せり。
いかなれば追はるる如く
歳暮の忙がしき街を憂ひ迷ひて
晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。
虚空を翔け行く鳥の如く
情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

十二月また來れり
なんぞこの冬の寒きや。
訪ふものは扉(どあ)を叩(の)つくし
われの懶惰を見て憐れみ去れども
石炭もなく煖爐もなく
白堊の荒漠たる洋室の中
我れひとり寢臺(べつと)に醒めて
白晝(ひる)もなほ熊の如くに眠れるなり。

「我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ盡せり。」

朔太郎らしい救いようがないみじめな生き物の言葉である。

のびてゆく不具 大手拓次

 のびてゆく不具   大手拓次

わたしはなんにもしらない。
ただぼんやりとすわつてゐる。
さうして、わたしのあたまが香のけむりのくゆるやうにわらわらとみだれてゐる。
あたまはじぶんから
あはうのやうにすべての物音に負かされてゐる。
かびのはえたやうなしめつぽい木霊が
はりあひもなくはねかへつてゐる。
のぞみのない不具(かたは)めが
もうおれひとりといはぬばかりに
あたらしい生活のあとを食ひあらしてゆく。
わたしはかうしてまいにちまいにち、
ふるい灰塚のなかへうもれてゐる。
神さまもみえない、
ふるへながら、のろのろしてゐる死をぬつたり消しぬつたり消ししてゐる。

Chega de Saudade

さてさて著作権侵害だ。確信犯だ。誰であろうと、訴えられたいぐらいだ。

誰か 僕一人のために しみじみ 弾いてくれないか 僕が歌うから

Chega de Saudade
Antonio Carlos Jobim - Vinícius de Moraes

Gm9 Dm7 Bdim Bbm6 A7/+5 Dm7 A+5

Dm7          Bdim          Bbm6 A7/+5   Dm7          A7/+5 A7
Vai minha tristeza e diz a ela  que sem ela não pode ser

Dm7     E7/-9 Am7             Bb6                   A7/4         A5+/7 A7
Diz-lhe numa  prece que ela regresse, porque eu não posso mais sofrer

Dm7         Bdim         Bbm6   A7/+5 A7     Am6        Adim
Chega de saudade, a realidade é que      sem ela não há paz

         Gm7     Gdim   Dm7             F           Bdim        Bbm6                Dm7
Não há beleza, é só tristeza e a melancolia que não sai de mim, Não sai de mim, não sai

E7/4 Em7 A7/6 A7 Dmaj7 Ebdim     E9                            Em7    A7/-9     E13/-9 Dmaj7/F#
                 Mas   se ela voltar, se ela voltar, que coisa linda, que coisa louca

     Dmaj7       Fdim       Em7                      E9                         Gm6 A7
Pois há menos peixinhos a nadar no mar, Do que os beijinhos que eu darei na sua bo- ca

Dmaj7  D6/9     E9         F#7/+5 F#7    Bm7   Bbm7      Am7
Dentro dos meus braços os abraços hão de ser milhões de abraços

Adim  Gmaj7         Gm7           F#m7          F#dim B7/F# E9         A13            F#7/+5 F#7
Aper- tado assim, colado assim, calado assim, Abraços e beijinhos e carinhos sem ter fim

             B7/-9    F#dim E9         A11          Dmaj7 D6/9
Que é prá acabar com esse negócio de viver longe de mim

          B7/-9 F#dim E9         A11       Dmaj7 D6/9
Não quero mais esse negócio de você viver assim

         B7/-9 F#dim E9         A11          Dmaj7 D6/9
Vamos deixar desse negócio de você viver sem mim

「想いあふれて」 

悲しみよ 行って あの娘(こ)に伝えておくれ

戻ってきてくれないと もう生きられらないんだ

胸に哀しみがあふれて

きみといたときの喜び

美しい思い出も今は 今は もうない

もしもあの時に戻れるなら 戻りたい

海の魚の数よりもいっぱい きみの唇にキスをしよう

この腕に 何度も 何度も抱きしめよう

音もなく 終わりもなく 限りもなく

愛の時間を君と過ごしたいんだ

君なしの毎日なんて もうたくさん

僕なしの毎日なんて 君よ 捨てるんだ

君とともに 毎日を過ごしたいんだ

2005/08/27

不吉はいつも大当たり!

最悪の事態って、なかなか素敵だ。ちょっと疲れたので、今、友に打ったメールの一部を引用して、現状を報告する。

一昨日、突然主治医が夜8時過ぎに電話をしてきて、明日整復をしたいと言ってきたので、予約は30日なのに変だなと思った。
昨日は総合学習があったので、今日行ったら、どうも17日スイスに行く前日のレントゲンでの診察を甘く見たらしい。甘かったと思ったから電話してきたのだろう。
実際、今日のレントゲンは17日と同じ状態であった。こっそり医師より先に覗いて、ズレを測ってみたが同じであったし、医師も「17日からほとんど変化はない」と言った(言ったことが診察の誤りを暴露してるね)。
さて、尺骨が再転位(要するに骨折時と同じように外側にやや脱臼)をしており、既に1ヶ月で、筋肉が固まってきてしまっているので、徒手整復は出来ず、手術で掌側の橈骨部分を10センチ切開し、プレートをボルトで埋め込む(永遠だそうだ。場合によっては骨移植もするという話。面白いね、人工骨は後で溶けるそうだ。おー、コロンボの「溶ける糸」!)手技をしないと、掌を返すことが出来なくなるということである。更に、ギプス固定1ヶ月だとよ。結構、ぶっきらぼうな若僧医師だが、今日は妙にトーンが低く、親切だったのも僕の読みは正しいと思う。
創外固定器に不具合がないのに、こうなったので、医師は実際どうしてこうなったか分からないと言う。君に一度、したたかロッカーにぶつけたと言ったが、それかもしれないが、固定器のズレはないから分からないと言う(原因の選択肢を与えたのは失敗だった。実は整形外科の創外固定の報告をずっと検索してきたら、創外固定器を付けて原因不明の再転位をするという報告をしている学会の紀要を複数見つけていたから)。固定器への過剰な信頼が原因だと思う。さらに個人的に思うに、固定器の位置が問題ではないかと内心思う。粉砕した橈骨骨頭の固定を重視するあまり、尺骨との回旋部分に眼が行かず、尺骨の固定保全を全くしなかったということなのではないか。
その証拠に、僕が「コーレス骨折」と言う語を用いたら、これは教科書に載っている典型的な骨折とは違っていて、特異なんですと主治医は言った。
僕も意地悪だから、二日前に問題になった人工関節のセメントのことやらガンガン質問して、ついでにカルテの漢字の間違い(「回旋」を「回施」と書いていた。読めません!)をも注意したら、最後には「あなた、なんでそんなに良く知ってるんですか」と若僧、引いたよ。
というわけで、29日入院手術、30日退院。全身麻酔、術式2時間。
「31日から仕事に行っていいですか」と聞いたら、「いいですが、腫れと痛みはひどいですよ」。
とりあえず、31日には出勤する予定だ。
第一、31日にだめなら、あとは迷惑掛けるしかない。
ちょっとでも迷惑かけるんなら、さっさと療養休暇でも休職でもしてたわけでね。
でもさすがに、ちょっともう、いやになったよ。

はっきり言うと、「ちょっとじゃあ、ないよ」。

バッタと鈴虫 川端康成

 不二夫少年よ! 君が青年の日を迎えた時にも、女に「バッタだよ。」と言って鈴虫を与え女が「あら!」と喜ぶのを見て会心の笑みを洩らし給え。そして又「鈴虫だよ。」と言ってバッタを与え女が「あら!」と悲しむのを見て会心の笑みを洩らし給え。

 更に又、君が一人ほかの子供と離れた叢で虫を捜していた智慧を以てしても、そうそう鈴虫はいるもんじゃない。君もまたバッタのような女を捕えて鈴虫だと思い込んでいることになるのであろう。

 そうして最後に、君の心が曇り傷ついたために真の鈴虫までがバッタに見え、バッタのみが世に充ち満ちているように思われる日が来るならば、その時こそは、今宵君の美しい提燈の緑の灯が少女の胸に描いた光の戯れを、君自身思い出すすべを持っていないことを私は残念に思うであろう。

(川端康成「バッタと鈴虫」終章)

窓外の虫声を聴きながら、ふと思い出した。手元に原本が見当たらないので、授業用のテクストから抜粋した(従って、表記は正しいとは思われない)。

思い出してもらえたであろうか、懐かしいね。それにしても、この修辞技巧上は悪文である最後の長い一文、しかしなんと哀感に満ち美事なことだろう。

2005/08/26

総合学習無事成功

約3時間ぶっ通しで、30数名の生徒に、ウルトラQ「バルンガ」、琉球放送制作の金城哲夫の生涯のドキュメンタリー、帰ってきたウルトラマン「怪獣使いと少年」を鑑賞させ、コメントを述べた。金城のものはかなりマニアックと言ってよいが、私語もなく、見てくれたこと、非常に嬉しい。大袈裟だが、僕はこれで特撮についてどうしても理解して欲しかった、言っておきたかったことは、すべて言い終えた気がした。久し振りに、酒が、苦くない。金城さん、これで数人、また貴方の記憶を伝承する人々が生まれたよ!(近所の諏訪神社の祭囃子を聴きながら)

怪獣使いと少年

以下は、主に切通理作著「怪獣使いと少年」を参考に作成したレジュメである。

上原正三脚本「帰ってきたウルトラマン 怪獣使いと少年」についての分析

・郷が報告する良少年の履歴
彼の父徳三は、北海道江差の漁師から、美山鉱山に鉱夫として移った。昭和38(1963)年、石油に取って代わられた鉱山も閉山、東京に職を求めて出稼ぎに出て、そのまま「蒸発」(当時の流行語であった)してしまう。翌年、母親は病死し、「良は叔父の家に引き取られ」「二年前に家出して行方不明」となっていたのである。まさしく良少年の家族は、高度経済成長の日本社会の歪みを一身に背負って破壊されたと言ってよい。

・良と老人
 彼は父親を求めて東京へやって来て、怪獣に襲われる(このシーンは少年を襲った社会的歪みそのものの悪夢のメタファーのようにも思われる)。不思議な老人に救われ、河原のバラック(川崎の河原には朝鮮工場労働者の人々の集落がある)で奇妙な共同生活を始める。実はこの老人はメイツ(=「友人」)星から地球の風土・気候を調べるためにやってきた(これは侵略目的ではなく、地球が宇宙空間を汚染しているが故であろう)宇宙人であり、念力によって良を襲った怪獣ムルチを地下に閉じ込めたのである。良もそれを知っている。老人は「金山」と名乗り(在日朝鮮の人々が日本名としてよく用いる姓である)、川崎の工場で働いていた(鶴見・川崎には朝鮮や沖縄の人々があわせて、2万人近く住み、働いている。ちなみにムルチとウルトラマンの格闘にあって、気がついてほしいのだ、その格闘の場となるかの工場群は、『壊れない』のだ、いや、とても彼らの、血と汗する職場を壊すことは出来なかったのだ)が、工場の空気汚染によって公害病(高度経済成長の負の遺産)を患い、本来持っているサイコキネシス(念動力)を完全には使いこなせない。そのため、地球に来た際に地下に隠した宇宙船を掘り出すことが出来ない。良は、老人に代わってスコップで宇宙船を掘り出そうとしていたのだ。彼はつぶやく。
「地球は今に人間が住めなくなるんだ。その前に地球にさよならするのさ」

・大衆エゴと差別
 老人を警官が撃ち殺す。これは関東大震災の朝鮮人虐殺とダブってくる。実際、戦後でも根も葉もないデマに乗せられた人々が暴徒と化して、川崎の沖縄の人々の集落を襲い、死傷者を出すという事件も起きている。
 また、良をさいなむ少年達のシーンで見逃してはならないのは、「下駄」である。朝鮮の人々が「日本人野郎」というニュアンスで侮蔑的に使う言葉に「チョッパリ」という語があるが、これはブタの爪先が二つに割れた状態、「下駄を履いた足」のことなのである。かつて半島を侵略した日本人の象徴が朝鮮の人々にとって「下駄」であったのだ。
この作品の唯一の救いがあるとすれば、パン屋の娘であろう。君は、宇宙人かもしれないと、絶対多数が忌避する少年に、パン屋としてパンを売ることができるか、と作者は問いかけてくる。

・隠されたメタファー
ゴジラの時の様に、最後の種明かしをしよう。
●北海道出身の良少年=アイヌ[=原日本人にして差別された少数民族]のメタファー
●金山老人(メイツ星人)=朝鮮人[=言語的にも日本人と最も近しい友であるにもかかわらず未だに日本社会にあって言われなき差別の中にある民族]のメタファー
そして、工場地帯で泥まみれになって暴れ狂うのは、
●巨大魚怪獣ムルチ=ウチナンチュー[=沖縄人。「ムルチ」とはウチナーグチ(沖縄方言)で「魚」の意味である]のメタファー

怪獣との格闘と全て終わった後の虚空へと去るウルトラマンの映像を通してすべて雨が降り続けるというシチュエーションは、他にはない。これは、ただ生きるために蘇ったに過ぎない古代魚ムルチの涙であると共に、社会の理不尽さへの怒りを込めた郷の、金山老人の、そして少年良の涙に他ならない――

この作品は、如何にも苦い。しかし、それは僕等自身の肝の苦さなのである。

バルンガ

今日の総合学習では、円谷ウルトラシリーズ等を用いた文明・差別批評を講義することにしていた。台風で未だに警報が発令されており、どうなるか分からぬので、せっかく作ったその資料を先立てて公開しておく。

*虎見邦男脚本「バルンガ」奈良丸博士の台詞を中心として
(シナリオ決定稿より部分抜粋。実際の映像とは異なる部分がある。なお一部、表記を改めた)


29 倉庫のある河岸
万城目「失礼ですが、奈良丸明彦博士では?」
老 人「(答えず)せがれが、海で死んだものでな、こうして供養しておる。死にぎわに風船が欲しいとぬかしよった……ハハハ……」
由利子「あなたは、あの怪物について何かを知っていらっしゃるのでは?」
老 人「怪物? バルンガは怪物ではない。神の警告だ。」
万城目「神ですって?」
老 人「君は洪水に竹槍で向かうかね? バルンガは自然現象だ。文明の天敵というべきか。こんな静かな朝は又となかったじゃあないか……この気狂いじみた都会も休息を欲している。ぐっすり眠って反省すべきこともあろう……」
由利子「反省すれば救われるというのですか?」
      老人答えない。
      風船を空へ放し、見送っている。
老 人「どうやら、台風がくるようだ」


30 病院の病室
万城目「皆さん、あきらめてはいけない。台風が近づいているんだ。きっとバルンガを吹き飛ばしてくれる」
老 人「神だのみのたぐいだ」
由利子「(むっとして)病人を力づけるために云ってるんだから、いいじゃないの!」
老 人「科学者は気休めは云えんのだよ」
由利子「じゃ、あなたは矢張り奈良丸博士?」
老 人「(急に強い眼の光りで)だが、たった一つ望みがある……(自分に)わしは風船を飛ばした時、なぜこれに気づかなかったのか?」


38 病院の屋上
      医者達が空を眺めている。
医者A「完全に敗けたよ。台風のエネルギーを喰つちまった」
医者B「まさに、英雄といった感じだよ」
医者C「おれは田舎に帰って、百姓でもしたくなった」
      その背後に来てひっそり立った人物。
老 人「(独白のように)間もなく、バルンガは宇宙へ帰る」
      振り向く三人。
      例の老人である。
39 空
      はるか空の一点で、眼のくらむような輝きがひろがる。
老人の声「北海道から発射したミサイルが、宇宙空間で核爆発を起こしたのだ……」
      バルンガの触手、にわかに動いて空を指す。次の瞬間、空中の核爆発を目指して昇り出すバルンガの巨体。


40 病院の屋上
由利子「一平君も助かるわ、でも、バルンガは核エネルギーをたべて、又もどって来ないかしら?」
奈良丸「その心配はない。核爆発で誘導したから本来の食物に気づいたはずだ」
万城目「本来の食物?」
奈良丸「太陽だよ」
      バルンガと核爆発をむすぶ線の彼方に太陽が輝いている。
奈良丸「生命にはいろんな形がある。バルンガは宇宙空間をさ迷い、恒星のエネルギーを喰う生命体なのだ。おそらく衛星ロケット・サタン一号が地球へ運んで来たのだろう。(自分に言い聞かせるように)二十年前には隕石にのってやって来た……」
万城目「博士の名誉はこれで挽回されます」
奈良丸「サタン一号には、私のせがれが乗っていた。いづれにしても、私には縁の深い怪物だったといえる」


42 空
奈良丸「バルンガは太陽と一体になるのだよ。太陽がバルンガを食うのか。バルンガが太陽を食うのか……」
由利子「まるで禅問答ね」
      スピードをあげて昇るバルンガ。
      その正体も次第に小さくなってゆく。やがて太陽とぴったり重なって八方へのびた触手がコロナのように輝いて見える。
43 エンディグ
                                    (F・O)

***
注:完成作品のエンディングにある、石坂浩二の名ナレーション

「明日の朝、晴れていたらまず空を見上げてください。そこに輝いているのは太陽ではなく、バルンガなのかもしれません。」

はシナリオにはない。撮影時に、監督が付け足したものと思われる。翌日、1966年3月14日は北海道の一部を除き快晴、小学校4年生だった僕も含めて、沢山の子供たちが空を見上げたはずだ)

何度読んでも、虎見の台詞は惚れ惚れするほど、グンバツだ! 

2005/08/25

不思議な電話

整形外科の主治医から今、電話があった。もう一度、右腕を整復をする必要があるという。できれば明日と言う。17日に診察整復して、その後に、しみじみレントゲン写真を見てのことであろうが、総合病院の医師が時間外に電話をしてくるというのはなかなかショッキングである。しかし、明日は総合学習で僕一人で授業をしなくてはならぬ。この台風で登校待機になるかも知れぬが、それは分からぬ。休むわけにはいかない。明後日に予約したが、なんとも厭な予感ではある。「これも運命やな」(「怪奇大作戦 京都買います」のラストシーンの教授の台詞)

Maria et Alain

何か淋しい。

Alain のいない鬼火は厭だ。

興味がなく、使わずに放っていたデジタルカメラ(骨折の写真は友人が撮ったもの)を、不自由な手で操作して撮り(カメラの固定どころかシャッターを押すのが至難の業だということに気づいた)、何とか、不満足ながらHPを飾った。著作権の問題をクリアーするために「ポスターのある風景」のコンセプトを考えるうちに、左下に、門外不出、箱入り娘、写真初公開、僕の長女のポートレートを披露目することにした。

Maria

ビスク・ドール、シモン&ハルビック社製、四肢関節眼瞼可動、ヘッドナンバー1909。妻よりも僕との生活は永い。僕のところに来て、先日の23日で丁度、20歳。その20年前の、今日の写真

ちなみに僕にはもう一人、愛する次女がいた

Alice

ビーグル、日本の母ジャバリン、英国の父アーサーの間に生まれてすぐ、独身の僕の養女になったのは、Mariaの生まれた翌年だった。15と1ヶ月で亡くなった。そのうち遺影をお見せしよう。

Louis Malle “LE FEU FOLLET”

Je me tue parce que vous ne m’avez pas aimé,
僕は死ぬ、君達が僕を愛さなかったから、
parce que je ne vous ai pas aimés.
同様に僕が君達を愛さなかったから。
Je me tue parce que nos rapports furent lâches,
僕は死ぬ、僕達の関係がだらしないから、
pour resserrer nos rapports.
それを締め直すために。
Je laisserai sur vous une tache indélébile.
僕は君達に拭い難い汚点を残してゆく。

HPトップ画像を変更した関係上、映画の「鬼火」のラスト・ショットの字幕の仏文と訳をプロフィールからこちらにとりあえず移す。

2005/08/24

忘れ得ぬ人々 4 瑞西編

昼前に、無事、帰国した。

今回の最大の悩み、ロボコップ右腕であるが、まず金属探知機は3勝1敗であった。

成田:裸で見せて「鳴ると思います」と言い、係員の若い女性が「そーですね」としっかりびっくり台詞を伸ばした。が。鳴らない。背後で、その女性の方がびっくりして、ガードマンに「あれで鳴らないのは日本の安全性は問題だ」と言っているが聞こえてしまった。お嬢さん、ややデリカシーに欠けていますよ、気持ちは僕も同じでしたがね。1勝。

行きのローマ:鳴る。ターミネーターよろしく腕を剥ぐが、若い女性は腕はちらっと見て完全に引き、ドーナツ状の探知機さえかけない。鳴ったのは、なんとアリタリア機内のトイレのウエット・ティッシュの空袋(アルミ箔)であった。それを取ってもう一度、通ったら、今度は鳴らない。結果、2勝。

スイス:鳴らない。三角巾ははずしていたが、隠していたスカーフを取って見せようとしても、見もしないので、全くの期待はずれ。そのかわり、ザックにチェックが入る。引っかかったのは、なんと唯一の「医療」工具の小型スパナであった。アジア系の女性職員にスカーフをちらと上げて、手に食い込んでいるボルトとナットを見せると、恐縮して急いで中身を戻してくれた。3勝。

帰りのミラノ:ほとんどの人が鳴っている機械に当たる。勿論、鳴る。百戦錬磨風のいかつい顔した腹の出たおじさんは「もう一度」と言ったが、その場で例の口上を述べて開陳したところ、スカーフをつまみあげながら、手を裏返させて、急に気の毒そうな同情の表情で、スカーフを腕にぱらりと落とし、Go と言った。精密検査はせずに。1敗(だが、他の人がバンド取ったり時計取ったりして長い時間かかっているのを見ると、結果は、1引き分けという感じだな)。

閑話休題。やはり今回の「忘れ得ぬ人々」は遠位端骨折がらみが多い。ともかく、この骨折のお蔭で、人々は一人残らず、親切であった。

初日のアリタリア航空で、搭乗後すぐアテンダント・パーサーを呼び、腕を見せて、万一、この奇体な腕を見て騒ぐ人がいたら、医療器具であると説明してもらいたいと言った。すぐにイタリアのやや若めの「おかあさん風」チーフパーサーがやってきて、僕の腕を痛々しく見つめて、「パーサーみんなに説明をするから大丈夫よ。それより、あなたはそんなことを心配してはいけません。安心して旅しなさい。機長にも揺らさないように、飛べと注意しておきますから。」。それから12時間、彼女はことあるごとに「腕は大丈夫?」と聞いてくれた(その都度、僕が好きと知って赤ワインも忘れずに持ってきてくれる念の入りであった)。これはもう、やはり忘れ得ぬイタリアのおばさまである。

2日目、シャモニー。モンブランの威容をエギーユ・ドゥ・ミディ展望台から見て、ロープウェイで降りて、その駅前で一服していると、イタリアの4歳ぐらいの少年が、ベンチの僕の周りをくるくる回って、微笑んでくる。しかし、お目当ては、僕の赤いスカーフの右腕らしい。まるで闘牛の牛のように惹かれてくるわけだ。お父さんは怪我と分かっているらしく、坊やを連れてゆこうとするのだが、頑として僕の側から動かない。腕を見せたらホラーになっちゃうから、ひたすら百面相をして遊ぶ。父親は仕方なくジェラートを買って、やっとチャオした。骨折が、この旅行で唯一迷惑をかけたとすれば、あの父親だったかもしれない。しかし、忘れ得ぬ人は「青い目の少年」であった。「父親」ではなかった。

3日目、ゴルナグラード展望台からマッターホルンを眺望、ローテンボーデンからリッフェルベルグを経て、リッフェルアルプまでトレッキングするも、足の悪い妻は途中で歩くのはイヤだ、下まで転げ落ちるとまで言った。今回はまさに杖突く女と右手の萎えた傷病兵コンビであった。それでも通常の1.5倍のコースタイムでホテル・パビョンのテラスバーまで到着、うまい白ワインを飲む。

ちなみに、このホテルの前にある花壇は覚えておくとよい。そこまで、くまなく探して、遂に見つからなかった(季節的には限界だが)エーデルワイスが、ここに沢山植えられている。感動。自生種は実際、ほとんどなくなっているそうだから。

そうして、トラム沿いにリッフェルアルプ駅へ。バカンスのフランス人老夫婦がテリア系の雌犬を連れて待っていた。犬好きの僕がしゃがむと彼女が、飛びついてきて、僕の唇を中心に、顔をなめまくることなめまくること。それを見ていたご夫君が、微笑みながら英語で「ア・ラヴ・ストーリー!」と言った。う~ん、フランス人って、美事だな! さりげなく言えるところが、いいよな~! ここは、犬とその老夫君を忘れ得ぬ。

その夜。ツェルマットで、チーズフォンデュを食べる。宿で紹介された、駅の直ぐ近くのお店。ポルチーニ入りのそれは僕には大層、美味だった。店主は長野オリンピックのカービングの金メダリストで、金メダルも見せてもらった。店を出るとき、僕の右腕を指差し、どうしたと聞いてきたので、ベリっと剥ぐと、額に手をやってヒューと言うと、途方にくれた。暗くなるのは嫌だから、「この折れた腕に、君のパワーをくれ!」と言ったら、「必ず元に戻る! 頑張れ!」と叫んで、(勿論)左手で力強く握手してくれた。数少ない、大人の男性の忘れ得ぬ人。非力権現の僕には珍しいマッチョな男性の記憶であった。

2005/08/23

romajinikki

Jyunebu no hotel yori blog ni kinyu site miru. Asu kikokusuru yotei. Toriaez nanigoto mo naku ikite iru. suisu-sannmeihou, miru beki mono ha subte mi tu. Migiude ha masu-masu akuryoku wo usinau mo, hare ha kanzen ni hiki, masani "Oni" no ude to nari ni keri.

IKYOU NITE

ONO GA BLOG NO ORPKASA NI

WARE NAKI-NURE TE

ONI TO TAWAMURU

2005/08/17

萩原朔太郎「虚無の鴉」「我れの持たざるものは一切なり」

 虚無の鴉   萩原朔太郎

我れはもと虚無の鴉
かの高き冬至の屋根に口を開けて
風見の如くに咆號せむ。
季節に認識ありやなしや
我れの持たざるものは一切なり。

 我れの持たざるものは一切なり   萩原朔太郎

我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ窮乏を忍ばざらんや。
獨り橋を渡るも
灼きつく如く迫り
心みな非力の怒に狂はんとす。
ああ我れの持たざるものは一切なり
いかんぞ乞食の如く差爾として
道路に落ちたるを乞ふべけんや。
捨てよ! 捨てよ!
汝の獲たるケチくさき名譽と希望と、
汝の獲たる汗くさき錢を握つて
勢ひ猛に走り行く自動車の後
枯れたる街樹の幹に叩きつけよ。
ああすべて卑穢なるもの
汝の非力なる人生を抹殺せよ。

***

「氷島」より。こうして読むと、「虚無の鴉」はデュシャンの大ガラスだな。

小学生の頃、学校帰りに友と別れると、何度も何度もさよならを互いに言い続けた。今も、その癖が抜けない。では、ずいぶん、ごきげんよう!

2005/08/16

又、24日、生きて帰って来たら、お逢いしよう。

どうせ、普通に帰っては来るだろうに。罰せられた愛されぬ惨めな生き物は、所詮、生に執着するから。

「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

この台詞は先送りか。

「さよなら、まだ今の僕には、アランが手で触れられると言った太陽も、僕が至福を味わった真鶴の海も、十全に、信ずるに、足る」

きっと、何人かは、僕の叙述を見て、「やぶさん、きちゃってるな……!」って思ってるだろ。そうだよ、キチャッてるのさ。へへ、あ、ば、よ、だ。

レーザー砲更に一本装着

レントゲンを撮ったら、尺骨と橈骨が骨折時の時と同じく、6ミリもズレてしまっていた。職場で机上の邪魔な本を片付けていて、ロッカーにイヤというほど固定器をぶつけたからかとも思ったが、しかし固定器のボルトは緩んでいなかったので違うらしい。整形は原因よりも実行だ。徒手整復でグキグキと引っ張られるわ(腋下麻酔をかけてやる等というので、麻酔嫌いの僕は「ウッツ!」という嗚咽を飲み込んで我慢した)、打ち込んだボルトからは出血するわ、挙句の果て、「棒をもう一本付けます」と来た。例の写真を見てもらうと、向こう側に飛び出たそれぞれのステージボルトが見えるが、あれが全く鏡返しで親指側にもニョッキリ突き出て、もう一本同なじ固定棒が、あれよあれよと言う間に、即、着いちゃったのである。#の反転型、古い特撮好きなら「キャプテンウルトラ」のシュピーゲル号の形みたいだ。くっつけるのをボーっと見ながら、内心暗澹となったのは、ホテルのレストランで食事をするのにワイシャツはどうやって着るんだ? であった。

「明日からスイスに行くのですが、大丈夫でしょうか」

「全然問題ないです。でも、100円ショップででも、これを買って下さい」

これからそれを買いに行く。薬も何もない、僕の旅行中の唯一の大事なものなのだ。それは、固定器の12個のボルトを締め上げるための5ミリのスパナ一本だ。

言っただろ、大工仕事だって。大工道具は、金輪際、買わない。

ちなみに、何だかんだで治療に2時間半かかって、会計を待っていると、支払いを終わった見ず知らずのご婦人が声を掛けてきた。処置の関係上、固定器を隠していなかった。

「創外固定ですか? 宅の主人も足をやりまして。でも、すっかり良くなりましたよ。2年かかりましたが。頑張って下さいね。」

マダム、励ましのお言葉ありがとう、笑顔で見送った。でも、「2年かかりました」は、正直、聞きたくなかったな。

さて、バンデル星人(「キャプテンウルトラ」の不細工な宇宙人)だろうが、バルタン星人だろうが、何でもかかってこい! 当方委細面談、超小型高性能炸薬2個と難腐食性金属槍+2連装レーザー砲完備!

***

参考までに、この創外固定器は Ilizarov external fixator と言う。イリザロフ先生のページはぶっ飛ぶぞ。トップページから全身骨格が全身に固定器を装着して歩いてる! 一見の価値あり。

http://www.ilizarov.org.uk/(英文)

L'Eternité   Arthur Rimbaud

L'Eternité   Arthur Rimbaud

Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

Ame sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.

Des humains suffrages,
Des communs élans
Là tu te dégages
Et voles selon.

Puisque de vous seules,
Braises de satin,
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise : enfin.

Là pas d'espérance,
Nul orietur.
Science avec patience,
Le supplice est sûr.

Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

***

そうだろう、確かに。「すべては夢だった」、とも彼は言う。

が、フェルディナンは、しかし、信ずる女神としてのマリアンヌと、一緒にいたかった。だからこそ、その最期に、彼は正気を取り戻すのだ、惨めにも。

2005/08/15

変な注記

現今、以下のような注記が大流行だ。

「この作品には、今日からみれば、差別表現もしくは不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。しかし作品が書かれた時代背景、作者が差別助長の意図で使用していないことを考慮し、そのままの形で作品を公開します。」

これは何だ? 「作者が差別助長の意図で使用していない」ならばいいのか? そもそも「作者が差別助長の意図で使用していないこと」が何故分かる? この表現部分は、たとえば講談社が実際に使用しているものだ。僕は何を言いたいのか? こんなものが免罪符にはならないということだ。更に言えば、付けたければ、あらゆる出版物・文書にすべて、洩れなく付けよと言いたいのだ。僕等はいつだって「不適切と受け取られる可能性のある表現」を用いているのだという自覚なしに、差別の問題は片付けられないということだ。

富永太郎 「鳥獸剥製所」に寄せて

僕は彼を知らなかった18の晩春、一人、井の頭動物園を訪ねたことを思い出す。

その一画には鰻の寝床のような鳥獣剥製所があった。

平日の人気もなきに、好んで誰がそんなものを見よう。

虫食いのカスが油虫の糞のように鷲や梟や鳩の下にだらしなく散って居、うす曇る硝子窓から射した外光は、かすかなある淫靡な匂いを蒸気させていた。

意に沿わぬ学問、田舎出の黒縁眼鏡、三畳間の下宿……当時の、孤独で救い難い卑屈と秘めた傲慢に悶々としていた僕の魂にとって、それはまさにこの詩そのものであったのだ。僕は、彼に逢わずして彼に逢っていたのだ。

だから、僕は、死んだ富永が、好きなのだ。

富永太郎「手」

おまへの手はもの悲しい、
酒びたしのテーブルの上に。
おまへの手は息づいてゐる、
たつた一つ、私の前に。
おまへの手を風がわたる、 
枝の青虫を吹くやうに。

私は疲れた、靴は破れた。

***

終行の脚韻がいいね。「鬼火」で、アランが靴の埃を指でなぞりながら「何て悲惨な……」と言うのだが、DVD版では「悲惨な靴」と訳してあり、とてつもなく映画が分かっていない翻訳者であることに、怒りを通り越して、悲惨な気がしたのを思い出す。

富永太郎、大正15(1925)年、結核、享年24歳。鼻に入れられた酸素吸入器のゴム管を「きたない」と自ら引き抜き、死去した。Puer Aeternus!

2005/08/14

忘れ得ぬ人々 3

初めての海外旅行は丁度、今頃のペルーだった。マチュピチュとナスカを見て、僕は有頂天、天上天下唯我独尊状態だった。

旅の最後に、チチカカ湖を訪れた。浮島のウロス島では、最大級のトトラ(蘆船。ミニチュアでも長老の作った1メートルのもの)を買い、喜び勇んでいた。

夕暮、チチカカ湖畔を散策すると、青藻の生臭い臭いのする岸辺に、小さな本当に小さなアドベ(日干し煉瓦)造りの小屋がある。僕等が近づくと、子供の豚が一杯、走って出てきた。

僕は豚小屋だと思った。しかし、その後から、民族衣装に身を包んだ、少女が現れた。

「名前は?」

「パッシーサ」

「幾つ?」

「11歳」

あんなに美しい笑顔の少女に逢ったことは、金輪際、もう永遠に、ない。どうしても写真が撮りたかった。

失礼と思いながら、持っているのはガムしかなかった。それを、彼女にあげた。

暫く、少女は去ってゆく僕等を笑顔で送りながら、小屋に入った。

すると、小屋の小さな小さな窓が開いた。

お父さんらしき人が、

「セニョール! グラシアス!」

と声を限りに叫んだ。

僕は、何だかひどく哀しかったのだ。

パッシーサ、あなたは今、どうしていますか?

誓いの休暇

グレゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」は、タルコフスキイを別格として、僕の耽溺する一番のソヴィエト映画である。ある一時期、NHKで何度も放送されており、ご覧になった方もいるだろう。雪解け時代の名作。教条主義的な臭さが全くない。音楽がまた、いい(但し、かなり旧時代的な使用法で、催涙効果を過剰にもたらしてはいる)。ヴィデオ・LD・DVDまで、出たソフトはその都度、購入してきたが、今回、遅まきながらロシア・シネマ・カウンシルのデジタル復元版を購入して、驚天動地の思いであった。ブラッシュアップの勝利だ。画像シャープさは勿論、ハイライト部分のトビも補正されていて、新しい作品を見るようであった。カウンシルの復元版は、タルコフスキイの諸作で、特に色補正にクリアーさがあるとは感じていたが、この古いモノクローム作品では、今までぼやけていた中景の人物の表情までがくっきりとして、明度とデーティルが画然とした形で現れている。一コマ送りで点検すると、その違いが歴然としている(ちなみに、このコマ送り機能を用いてパソコンで見ると、表情の微妙な演技の細部が良くわかって面白い)。チュフライ監督のインタビューも、往時の官僚主義的な時代の困難をよく知ることが出来る。

この作品が公開された時、その文学シナリオ(以下で説明する)全文が雑誌「映画芸術」一九六〇(昭和三五)年十一月号(第八巻第十一号)[発行 共立通信社出版部]に田中ひろし氏訳で掲載された。その前書き曰く、「このシナリオはソ映画評論紙「イスクゥストヴォ・キノ(映画芸術)」一九五九年四月号に掲載された〈文学シナリオ〉「ある兵士のバラード」(「誓いの休暇」の原題)の全訳である。普通本邦で紹介される外国映画シナリオは、スーパー用台本の翻訳に画面を採録して追加したものだが、これはシナリオライターの書いたシナリオそのものの翻訳である。ソ連ではこのようなシナリオを〈文学シナリオ〉と呼び、これに基づいて監督が監督用台本を作って撮影に入る。だからここに紹介される全訳シナリオと、我々が見る完成映画との間には若干の異同があるが、シナリオライターのイメージと監督のイメージの違い、画面処理の実際等を対比して研究できるので興味深いと思う。この映画の場合、監督のチュフライがシナリオにも参加しているので、完成映画との本質的な差はない。アリョーシャが将軍に呼ばれる場面、帰郷する最初の自動車のエピソード、一度汽車に乗り遅れて車を探しに行くエピソード、頼まれた石鹸を届ける場面、ウクライナからの避難民との車中の会話、その直後の爆撃の描写などがカットされたり、大幅に切り詰められている反面、アリョーシャが車中で自分の手柄を話す部分などは撮影の時に追加されたようである。ソビエト映画最近の秀作を充分文章だけでも味わえる名シナリオだが、外国のシナリオ作法を原文に即して経験できる貴重なチャンスとしても活用して頂きたいと思う。」。即ち、これはロシアで言うところの、「キノポーベェスチ」という撮影前段階の小説のようなシナリオなのだ。

実を言うと、僕は9年ほど前の丁度今時、前から所持していた劣悪にコピーされぼろぼろになった4段組のこれを書庫の奥から発見、ワープロで二日徹夜してタイプ、キャスト及びスタッフ等のデータ追加をしたものを個人の慰みとして作ってある。これは、著作権上、公開出来ないが、その内容は、この映画がお好きな方にはこたえられないものである。関心がおありになり、雑誌入手困難な方は、ご連絡あれ。いつでも無料で差し上げる(【2011年2月追記】今までに既に3名の方にお分けしています。気軽に申し出て下さいね。遠慮なく、どうぞ! 「誓いの休暇」のタワーリチ(同志)なのですから!)。

ロシアの映画サイトで、主役のウラジミール・イワショフは既に1996年、56歳で亡くなっていることを知った。彼の少年の笑顔と「プリスティーチ、ママ」の台詞は永遠だ。悼、アリョーシャ!  

万華鏡

美容師の倉ちゃんに、万華鏡をお見舞いに貰った。形状は万華鏡だが、中にレンズが組み込まれているだけで、チップは入っていない。覗くと前面の風景が万華鏡化するのだ。2階の書斎から、正面の緑の山と寺を見る。鳥瞰図のパッチワークが広がる。本当に、鳥になったような気がした。

追伸:寺は久成寺と言って日蓮宗、家康ゆかりの寺。実朝を暗殺した公暁討った長尾定景一族墓もある。しかしこれは、室町期の造営で、移築されており、ちと怪しい。

追追伸:そんなことを書いているうちに、大学の時に実朝の暗殺を素材にした歴史小説を書いたのを思い出した。おー、あんなもんがあったなあ。クラス雑誌に発表して、そのまんま忘れていた。永井路子の三浦黒幕説(乳母の家系は育てた子を殺することはないという、一見まことしやかであるが、よく考えるとそんな縛りが歴史に通用するとは、僕には思えないセオリー)に対する大いなる不満から書いたものだ。21歳の若書きですが、そのうち、HPの創作の部屋にアップします。

内田光子のシューベルト

女性のピアニストには偏見があった。僕にはアルゲリッチも中村も、僕が若き日に好きだったショパンの、その楽想の深い根の部分に触れることは、彼女たちの演奏では、残念ながら皆無であった。

ちなみにショパンは「バラード第1番 ト短調 作品23」が一番のお気に入りだが、これはミケランジェリの演奏にとどめを刺す。人気のない山奥の、青沼の、水面に極めてゆっくりと広がる水輪の幻影である。

ところが昨日、行きつけのレコード店で、ふと内田光子のシューベルト即興曲集作品90&142を買った。プロデューサーがその余韻に涙したというコピーに、不覚にも惹かれたことは否めないが、メジャーな90の「第2番 変ホ長調」を聴いた途端に、これはと思った。 120は終曲へと向かう淀みなき、めくるめくタッチと、「第4番 ヘ短調」での毅然とした表情と、絶妙の間が素晴らしい。これは文句なしにお薦めの一枚である。

2005/08/13

「パイドロス」終曲

僕の、ある人への、ある答え。

***

    ソクラテス

 親愛なるパンよ、ならびに、この土地にすみたもうかぎりなきほかの神々よ、どうかこの私が、内面的に美しい者となるようにしてくださいますように。そして、私が外面的に持っておりますかぎりのものは、この内なるものと調和いたしますように。また、知恵ある人をこそ富める者と私は考えますように。さらに、お金の量については、ただ思慮のある者のみが、にない運びうる程度のものを私にお与えください。

 まだ何かほかに、お願いすることがあるかね。パイドロス。ぼくにはもう、これで充分にお祈りをすませたのが。

    パイドロス

 私のためにも、いまのことを一緒にお祈りしてください。「友のものは共有」なのですから。

    ソクラテス

では、行くことにしよう。

(田中美知太郎編 加来彰勝訳 新潮社1963刊「プラトン名著集」より)

調髪染髪

5年前、何人もの教え子に逢い、虚心坦懐になって、僕が幾つに見えるか聞いた。答えは五十三、四。ショックだった(その時はまだ43歳だったから)。

それ以来、髪を染めることにした。カットを含めてやってもらっているのは、妻の友達で、ジャーナリストの江川紹子さんのヘアも担当している「倉ちゃん」だ。明るくて、芝居染みた話しっぷりが楽しくて、ちなみに文句なしの美人の美容師さんだ。

今日は、彼女が疲労困憊して学んだという、新しいカットをしてもらった。素敵に気に入った。

髪をあたってもらいながら、見た夢の話をお互いにするのが、お互いの至福。8月10日の「音楽夢」の話をしたら、暫く、大笑いのコケまくり、鋏が動かせなくなってしまっていた。先に、実は僕は、Dr.コトー役の純君になって、それでも顔の部分が僕であるという夢を見、これも大馬鹿受けだったのだが、今日は、それ以上のお祭り騒ぎだった。

そうだね、よーく考えると、大笑いだね! 久し振りに、僕は、本当に気持ちよく笑ったのであった。

わたしは良心を持つてゐない。

 わたし
 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。
(芥川龍之介「侏儒の言葉」)

芥川龍之介「沼」

同じく、青空文庫作業中リストを見ていたら、なんと僕にとって大事な作品がもう一つあった。大急ぎで、タイプし、「やぶちゃんの電子テクスト集:小説篇」に入れた。

これは比較的知られている「尾生の信」と混同しやすい、というよりその未定稿に手を加えたものであろう。永く、僕は、尾生のラストシーンを「沼」と勘違いしていた。

「尾生の信」(やぶちゃん版)

これは「大正9(1920)年4月1日発行の「改造」に「小品二種」の総題を付し、日比谷公園に寒山拾得を見る、現在、「東洋の秋」で知られる作品と共に掲載された。一方、「尾生の信」は同年1月1日の「中央文学」の掲載である。同年3月27日付薄田淳介宛書簡に「素戔嗚尊の恋愛が書けないで殆閉口してゐますその為雑誌の小説も書けず旧稿や未定稿で御免を蒙つた始末です」とある。

どっちがいいか。小説的面白さは尾生に挙がるだろうが、夢幻的映像美、その言辞の変奏の妙味、散文詩として僕はこちらが好きだ。

芥川龍之介「詩集」

芥川龍之介「詩集」を「引用の誘惑/黄昏の心象」から「やぶちゃんの電子テクスト集:小説篇」へ移行した。理由は、引用ではなく、全文であるから。更に、てっきり青空文庫では公開済みだと思っていたら、まだ作業中であることに先程気づいたから。そうして、僕は、芥川龍之介の作品中でも、とりわけこの作品が好きだから。更に、最も愛する龍之介の作品を一つぐらいアップできたら嬉しいなとかねがね思っていたから。加えて、昨夜の友にして教え子である青年と快飲したことの思い出にしたいから。そういえば、僕は、よくこの作品を生徒に読ませ、この後に、思う最後の場面を追加せよという遊びをしたものだった。ちなみに、僕のラスト・シーンは言わずもがな、肺病に病んだ致死期のその詩人が、その林檎をそれと知らず口にして「なんて甘い……」と言いつつ、ポトリとそれを落として……。クサイぞ!(さて、この一語から「カラマーゾフの兄弟」を思い出した。長老の死直後のシーンだ)

★なお、特殊なものを除いて、芥川龍之介の電子テクストの底本にした「岩波版旧全集」とは、1978年岩波書店発行の「芥川龍之介全集」全12巻を指す。対する、おぞましき新字体採用の「岩波版新全集」とは、1998年に刊行終了した「芥川龍之介全集」全24巻を指す。なお、僕は後者については第21・22・23巻を所持するだけである。新全集での知見で、僕が気づいていない事実があった場合は、是非、ご連絡を頂きたい。

2005/08/11

夜の花をもつ少女と私 尾形亀之助

夜の花をもつ少女と私   尾形亀之助

眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた

 ××
 これから夢です

 もうとうに舞台も出来てゐる
 役者もそろつてゐる
 あとはベルさへなれば直ぐにも初まるのです

 ベルをならすのは誰れです
 ××

夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です

少女は静かに私に歩み寄ります
そして

そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです

そして次第に夜の花の数がましてくる

(「色ガラスの街」一部旧仮名遣い修正、文字加工)

七月の 朝の 尾形亀之助

七月の 朝の    尾形亀之助

あまりよく晴れてゐない
七月の 朝の
ぼんやりとした負け惜みが
ひとしきり私の書斎を通つて行きました

――後
先の尖がつた鉛筆のシンが
私をつかまへて離さなかつた
 (電話)
「モシモシ――あなたは尾形亀之助さんですか」
「いいえ ちがひます」

(「色ガラスの街」)

僕は独身の頃、家に帰ると電話のジャックを抜くのを常としていた。あの頃、僕の家は永遠に留守だった――

2005/08/10

画像削除予告

誰から言われた訳でも指弾された訳でもないが、昨日、法学部出身の教え子と話すうち、確信犯的著作権侵害は大人げないと気づいた。従って、HP、ブログ共に本日夜をもって著作権侵害もしくはその虞れのある画像は一切削除し、Web上で見て頂きたい画像をページ名で辿れるようにする予定である。特に問題はないページ(リンクについての注記なし)は、リンク出来るようにする。今暫く、ご猶予を。

さて、リンクに相応しい画像を一つ一つ点検してゆくうち、僕の電子テクストの篠原鳳作句集が既に他の方の、鳳作ゆかりの宮古島関連のブログにリンク(8/8付)されていて、びっくり。こんな僕でも、役に立つこともあるんだなあ。

また、この記載には職場のパソコンを職務時間に用いたが、これは著作権侵害に関わる緊急性に付、お許しあれ。

八木重吉「秋の瞳」自序

 序

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、
あなたの友にしてください。

原本は、慎ましやかな地味な聖書のような装本。

電子テクスト隆盛、「月に吠える」や「聖三稜玻璃」の如、いよよ愛撫に足る書は遠くなりにけるかな。

 

運動制限を言い渡されて、20日。今日は久し振りに、11キロ以上、歩いてみよう。チョークで板書の練習も。昨日逢った教え子から、HPとblogを読んでいると、何だか僕が死にそうだ、と言われた。そうだね、もう少し「生きてる」雰囲気を、取り戻そう。ありがとう。

尾形亀之助「障子のある家」題名と自序

その詩より強烈な詩、その副題と自序の冒頭。

詩集〈障子のある家〉全篇   
あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)

自序

 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。

音楽夢

2:00に目が覚めた。ここに来て、無意識下の反逆か、一気に音楽が鳴り響く。

Nelson Sargento になる夢を見た。白のハットに白のワイシャツ、白のぴったりしたズボンで、丘から、ギターを弾きながら下りて来るのだ(これは「裏山の風景」のジャケットからだ。但し、服装は別なCDの彼の写真からだ。ちなみに僕はギターは、弾けない)。歌っているのは、

「Agoniza mas nao morre(サンバは死なず)」

であった。「サンバは死なず」 ベッチ・カルヴァーリョでなら以下で試聴可能。

http://www.neowing.co.jp/JWAVE/detailview.html?KEY=BVCM-37360

ネルソン・サルジェントについては、以下を参照されたい。

http://www.tartaruga.jp/pro/index5.html

真正のガンガンの気骨に満ちたサンバだ。リメイクの「オルフェ」(とは実は言えない。フランスの旧作「黒いオルフェ」に超不満なブラジル人によって作られた原作に近い別物。しかし……僕個人としては「黒いオルフェ」が大好きだ、あれらの曲も、ユリディスも、オルフェオも、そして太陽を昇らせる新しいユリディスも、オルフェオも)にも出ていた。

昨夜、やっとテキスト・コンバータをインストールした。よく笑われる話だが、僕はつい先日まで、書院でほとんどの文書ファイルを作っていた。膨大な授業案とテストは全て書院ファイルである。ところが、2000以降は、書院ソフトが組み込めない。化石を読み込むために98とMEを使用するという愚挙にいそしんで来たわけだ。今回、XPに変えて、それでもMEからテキストコピー、クリップドライヴでいちいち移すというこれまたネアンデルタール人並の迂遠な行為を繰り返してきた。これで少し、楽になったが、誠に遅すぎた。

2005/08/09

商に就いての答 尾形亀之助

商に就いての答   尾形亀之助

もしも私が商(あきなひ)をするとすれば
午前中は下駄屋をやります
そして
美しい娘に卵形の下駄に赤い緒をたててやります

午後の甘まつたるい退屈な時間を
夕方まで化粧店を開きます
そして
ねんいりに美しい顔に化粧をしてやります
うまいところにほくろを入れて 紅もさします
それでも夕方までにはしあげをして
あとは腕をくんで一時間か二時間を一緒に散歩に出かけます

夜は
花や星で飾つた恋文の夜店を出して
恋をする美しい女に高く売りつけます

(「色ガラスの街」)

青空文庫にマイナーな彼の詩集がいち早く載ったのは、僕のかつての高校時代の友が工作員だったからで、僕の耽溺する詩人を電子化してくれたその人に、僕は本当に感謝しなくてはならぬのだが、本当につまらないメール上の言い合いから、ふっと喧嘩別れしてしまった。このメールと言う奴、誠に荷厄介なものだと、つくづく思う。

尾形亀之助、画家にして詩人、長年の無頼な生活のために行路行き倒れを見出され、誰にも見取られず死んだ。

享年42歳。彼も時代に"non"と表明した男。

今日は、久し振りの教え子と逢える。

2005/08/08

人造人間生成夢

言った途端に、トーキーの夢を見た。やはり原因は睡眠の浅さ故に、音声記憶が霞んでいたためらしい。やや安心した。

僕はラボで人造人間を生成しようとしている。生きた右腕からのクローン化である(何と分かり易い! 実際の僕の右腕と、川端と、恐らく映画「フィフス・エレメント」か)。同僚研究員達はバイオ・エシックスの観点から批難轟々であるが(これは現在面倒を見ている医学部小論文で僕が出した課題の影響だ)、既にクローンは赤ん坊にまで成長し、白衣の僕はその子を抱いて「後は初乳の提供者を待つだけだ」とほくそ笑んでいる。そのラボ全体に合唱のように、複数の女性の「コンフェシオン! コンフェシオン!」(懺悔。イタリア語かフランス語風)の響きが被さって、だんだん大きくなる。これは「このシーン」のためのBGMらしい。カメラはそれが聞こえない僕と赤ん坊を諦めたように、クレーン・アップしてゆき、そこで目が醒めた。この響きは、作動していたクーラーの音であった。しかし、何と映像的象徴的な夢か! セオリー通りのフロイト的解釈なら誠に容易な夢であろうが、久し振りに面白い夢を見た。

今、巡回したら偶然、今日の青空文庫の新規公開作品は、寺田寅彦の「夢判断」であった。

今日1964年国民文庫刊「富田木歩全集」を入手した。一冊約3万円とやけに高いなと思ったら、500部限定本だ。句集部分が全句集でないのが残念だが、あらかたの随想が読めるのが嬉しいし、その夥しい序文・回想・資料たるや膨大なもの。声風の友情の産物だ。こういう暖かい書物には、とんと出会わなくなったな。

2005/08/07

父のこと

前に父のことは書いたが、絵描き志望であることは落とした。ニ紀会の洋画家、故藪野正雄と、その息子、健(「藪野」でネットでひっかかるのはあらかた彼だ)は父の叔父と甥だ。

父は加納光於と一緒に版画をやっていた。エッチングが専門。作風は、エルンストに最も近い。コラージュも大好きだ。洗練された画風は、手前味噌ではなく僕は嫌いじゃない。しかし、所詮、エルンスト風でしかない。

父のところには、鑑定団なら驚天動地のものが一杯ある。

古いところでは、春信のビードロの中の金魚の浮世絵。残存枚数が少ない刷りだ。

三木富雄は耳の彫刻で国際的に有名だが、彼が初めて油絵(!)の個展を開いたときに、父は買った第一号だった。彼に、そのアブストラクトな絵の「天地は?」と聞いたら、好きな向きで飾って下さって結構ですと感動して言ったそうだ(ちなみに彼はアメリカで自死している)。

上野誠。ケーテ・コルヴィッツに通ずる版画家。被爆少年の横顔は一見、忘れられぬ。私を産む前の母と一緒に訪ねて、上野氏が僕の母を痛く気に入って、何枚か作品をくれた。それががひどく癪に障ったらしく、帰りに父は不機嫌だったと、後に母に聞いた。梟の好きな僕の妻は、その時の一枚をちゃっかりもらっている。

瀧口修造の版画。美術評論家たる彼の最初の個展で、父は当時の1カ月分の給料2/3をつぎ込んでそれを買った。カリエスを病んだ僕と家計にきりきり舞いの母は、その時、彼の念頭には全くなかったのであろう。

絵描きを志したが、叔父に食えないから止めろと言われ、アルミ会社でインダストリアル・デザイン一筋で来た。グッド・デザイン賞も幾つかもらったが、彼には、なんぼのものであったのだろう。

その後、幾つかの絵画の賞も獲ったが……さて、今の彼は?

鮎の毛ばり釣りに命をかけて、絵は、全く描かない。

それで、いいのかも知れないな……

志賀丈二追悼

父の親友、志賀丈二が死んだと、今、父から聞いた。6月のことであった。希代のシュールレアリスト。肺気腫。

父と一緒に、瀧口修造(詩人・画家にして、超現実主義の真の紹介者)の門を叩いた版画家。

丸の内仲4号館の仲通り郵便局に勤務し、売った切手の残ったパラフィン紙に奇妙に猥雑に素敵にグロに不思議な魅力的な反吐の出そうな絵を書き続けた。

後に瀧口のオブジェの部屋の展覧があった時、志賀さんの自画像が一際目立って強烈だった。戸塚の影取の自宅に「シュールレアリスムの美術館」と名打って、やっぱり奇天烈で素敵なオブジェを並べていた。画壇とは勿論、全く無縁な人であった。

僕は、父よりも、彼を真のシュールレアリスト(彼らの場合、長音符が必要だ。「ねじ式」の「テッテ的」の感覚だ)だと思っている。

キッチュで猥褻な「浮世絵シリーズ」(これでは瀧口さんの奥さんと「貸しただけだ!」と一悶着あったらしいが、それもあなたらしいよ)小さな頃もらった、黒人の小便小僧と、馬鹿でかい天道虫を忘れないよ、志賀さん!

最後の日本のシュールレアリスト、志賀丈二!

さりながら、死ぬのはいつも他人なり!

僕がインターネットに感謝すること

1 西六郷少年少女合唱団の「僕らの町は川っぷち」を聴けたこと

小学校の時、「みんなのうた」が大好きだった(大学になっても田舎に帰ると聴いていた)。その曲が、強烈なノスタルジアと共にある映画の記憶と一緒に残っていた。この音源は版権その他の事情で、なかなか手に入らないことが分かり、合唱団のサイトに書き込みをした。すると僕の映像に残るのが、教育映画の「山の子の歌」であることを教えてくれた。そうして、遂に、恐らく元合唱団の団員であられた方で音楽の先生をされている方が、「僕らの町は川っぷち」を録音して送ってくださった。これは、僕のネットでの奇跡的な体験であった。6年前のことであった。

2 東京スカパラダイスオーケストラ「君と僕」

かなり以前から、TV番組等で用いられる、やはりノスタルジックな曲が気になっていた。口笛とオルガン(実はアコーディオン)だけ。ふと、2ヶ月前、ネットで検索をかけてみた。「口笛」「オルガン」「曲名が分からない」というかなり賭けに近い(事実、楽器が違う)検索だった。しかし、ひっかかった。「君と僕」という曲名が、キーワードを微妙に変化させると、幾つか出てきた。そこで、「君と僕」「ダウンロード」で検索。きた! 視聴サイトだ。満を持して、クリック! これだこれ! 翌日注文、その後、1週間、MDで行き帰りの歩きに聞き続けた。これも、「アコーディオン」を「オルガン」と間違った記述をしてくれていた人、あればこそであった。これも僕には奇蹟。ちなみに、このページがそのようなものとして機能することになる。これは僕のような渇仰を持つ新たな一人に、価値を持つかもしれぬ。ああ、なんて素晴らしいことだろう!

草に寝て…… 立原道造

僕の「アンソロジーの誘惑」より。

《立原道造「萱草に寄す」[昭和一二(一九三七)年刊]より》

   草に寝て……
     六月の或る日曜日に
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

――しはわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたたかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた

これも一度、教え子の結婚式で詠んで、結構私の時にもお願いします等と言われて、ずるずる4人ぐらいの式で朗読し続けてしまったけど……ごめんなさい、皆さん気づかなかったね、この一、三連は過去形。途中は当時の回想シーンだ。これは失恋の詩なのでした。しかし、とりあえず君等が離婚したとは聞いていないから、まずは幸せだ。

私は他人たちの死の原因となるものを糧に生きる

『私は詩人たるほど不幸ではなく……哲学者たるほど無関心でもなく、ただ断罪されるに足るほど明晰であるにすぎない。

「私は他人たちの死の原因となるものを糧に生きる。」(ミケランジェロ)孤独の上に付け加えるべきものは他に何もない……』

エミール・ミッチェル・シオラン「涙と聖者」(紀伊国屋書店刊 金井裕訳)より。

引用に終わらず、感想や評論を付帯させて著作権に触れないとなれば、この文章でご勘弁を。僕には、これを引用したい人生的意味がある。

夢から音が消えた

今日気がついた。右腕の手術後、一つ際立った変異がある。見る夢で、音がほとんど消えた。いや、昨夜も人が話す夢を3つ程見たのだが、今までは、はっきりと登場人物がその声で話していたものが、今は、登場人物が話している内容を、口の動きから、脳がそのような言辞として分析し、解読しているような感じがするのだ(元来、僕はそのほかの人声以外の効果音をそれほど多く夢に見ないので、他の音については余りよく分からない)は。これは、全身麻酔による影響(気管チューブ抜管によって3日程耳がおかしかったが、現在は問題ない)なのか、はたまた単に眠りが浅いため(右腕が心臓より下がっていると腫脹部分に血液/水分が溜まり、鈍重感が生じて目が何度も覚めるのである)なのか。なかなか、面白い現象と思っている。もう暫く、観察してみたい。

2005/08/06

自死についての一考察

道徳的に自死を禁じたり、拒絶することは、不可能である。

個としての生の実体が人類の中で認知された遥かずっと後になって、文化としての自死の禁忌は作られた。

いや、自己犠牲の名の下に、都合のいい例外を無数に我々は、近代社会にあっても認めてきた。

小説や映画の自死は、あろうことか、長く人々の感動を捉え続けていさえする。

しかし、それらは、美しくもない代わりに、惨めでもない。

自死する者は、決して他者にとっての自死を考えてはいけない。それは、幻想だ。ある人の欠けた世界など、存在しない。ある人は他者にとって欠ける存在ではない。自死を望む者は、絶対的な孤独の中で死を選び取る覚悟がなければならぬ。他者や文化的標準を照準とした正義や贖罪もそこでは無化されてしまう。そうして、鮮やかに、残る者たちに謎、遺恨も思い出も残すことなく、自然に消え去る。而して、そのような自死は、ほとんど、あり得ない。

僕は従って、自死を否定も肯定もしないのだが、翻って、僕は自死を望む何人かに、僕のみじめな意識を総動員して語り掛けて、止めようとしてきたことも事実である。

しかし、それはとりもなおさず、それが、逆に僕自身の自死願望への歯止めともなっていたからである。

練炭で見も知らぬ者同士が、自死し合い、窒息フェチに嘱託するぐらいなら、何もかも捨て去って、野垂れ死にの旅に出でよ。野垂れ死ねれば本望であろう、さても、旅の途中で、死にたくなくなることもあろう。

ゲットー体験者、ツェランは言う、

***

 

あらかじめはたらきかけることをやめよ wik nicht voraus

                         Paul  Celan(飯吉光夫訳)

 

あらかじめはたらきかけることをやめよ、

さきぶれをおくることをやめよ、

そのなかにただくるみこまれて

立っていよ――

 

無にねこそぎにされて、

すべての

祈りからもときはなたれて、

さきだって書かれてゆく定めの文字のままに

しなやかに、

追い越すこともかなわぬまま、

 

ぼくはきみを抱きとめる、

すべての

安息のかわりに。

(「パウル・ツェラン詩集」思潮社刊より)

***

彼は1970年、セーヌに入水したけれど。

(以下原詩。詩集"Lichtzwang" 1970より引用) 

 

WIRK NICHT VORAUS,
sende nicht aus,
steh
herein:

durchgründet vom Nichts,
ledig allen
Gebets,
feinfügig, nach
der Vor-Schrift,
unüberholbar,

nehm ich dich auf,
statt aller
Ruhe.

→Paul  Celan の肖像を見、朗読すると“trinken”の響きが、読む者を突き刺す彼の代表作“Todesfuge”原文(英訳付)を読む。
“  Paul Celan 1920-1970  ”
http://www.nizza-thobi.com/paul_celan.htm

昨日への追記

昔見たTV映画の「モンブランへの挽歌」で、遭難で客を見捨てたのではと疑われているガイドが、最後に遺族と滑落し、自らのザイルを切って、落ちて行く。そのシーンは、スカイダイビングによる空撮だったが、実景に見紛うだけに強烈であったし、対位法的な美しい音楽も忘れられない。ともかく、それはぞっとするほど美しかった。

滅びの美はないにしても、山々を背景に、死へと確実に落下してゆくその時の覚悟の意識は、決してみじめなものではないと僕は思うのだ。

高校生の時、僕は高名な数学者が、ベランダから事故で落ち、その落下の間に、純粋数学の未解命題を瞬時に解いてしまうという小説を書いた。これは、実際に、ある大学教授の死を新聞で見て書いたのだが、僕には死に至るまでの時間の追試が出来ぬ以上、少なくとも、そのような可能性を否定することはできないと思っているし、アドレナリンやドーパミンの放出が、脳細胞を活性化させ、少なくともそのような解に至ったと思わせることはあろうと思う。というより、天才的な数学者には、日常的にそのような瞬時の命題の解は容易に起こりうるのだと思う。彼等は、答えが直観として分かっているのだから。

2005/08/05

国木田独歩「忘れえぬ人々」

『親とか子とか又は朋友知己其ほか自分の世話になつた教師先輩の如きは、つまり、たんに忘れ得ぬ人とのみはいへない。忘れて叶(かな)ふまじき人といはなければならない。そこで此處に恩愛の契(ちぎり)もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、本來をいふと忘れて了(しま)つたところで人情をも義理をも缺かないで、而も終(つひ)に忘れて了ふことの出來ない人がある。世間一般の者にさういふ人があるとは言はないが少なくとも僕には有る。恐らくは君にも有るだらう。』

 

補正を終えた。思ったよりも少なくて済んだ。若干の送り仮名と句読点除去、変換漢字はほとんど問題ないようであった。

 

スイス行きは、今日の医師の診断に任せるつもりであったが、OKが出てしまった。旅行社も、空港担当者に事前連絡するから問題ないと言う。妻は行けることになって喜んでいる。僕は、職場の英語のALT(外人講師)達に、モノホンを見せ、どう説明するかも聞いたが、僕本人は、やはりかなり気が重い……。彼らの一人は、思った通り、ボルト部分をライク・ボムと言った。更に、言っておくと、実は、骨頭へ刺さっているピンは、無理にやれば自分で『抜ける』のだそうだ。これは、黙っておくことにする、と日記に書こう。

今現在、箸も鉛筆全く持てないと言っていい(どうもボルトの補正をしてから、手術直後よりも難しくなったし、握力の低下が著しい)し、シャワーで左手を洗うことは全くできない。ボタンをつける、トイレでケツを拭く、ドアを開ける、食事をする、みな不自由。これでおまけにトレッキングするというのは自殺行為だとある同僚は言ったが、それで、本当にすっきり死ねるのなら「めやすかるべけれ」だが、左手首骨折なんかになった、両腕を厚ぼったい包帯に巻かれたイメージを思い浮かべると、これはアメリカ映画の三流コメディだ。

まあ、しかし、歩行運動も禁じられ、悶々として家にいても、酒飲むばかり、遠からず内から壊れそうだ。しゃあない、行くか。

2005/08/04

「忘れえぬ人々」/『横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書』

国木田独歩の「忘れえぬ人々」は、旧字の確認

(打ち込みした本は新字なので、とりあえず入力後、旧漢字変換システムをかけて全変換した。僕はある種の旧字偏愛癖がある。「うつ病」は「鬱」であるべきだし、江戸川乱歩の「虫」は「蟲」でなくてはだめだ。)

と、送り仮名の取捨選択

(全集ではもっとルビが多い。しかし読める字についているのは電子テクストの場合、非常にうるさいので、僕なりに削りたい。これは僕の電子テキストの方針の一つと思っていただいてよい。即ち厳密な意味での底本主義や原文第一主義をとるつもりはない。僕の偏愛する形で公開していることをご理解頂きたい。ご不満の方は、ご自身で厳正校正されるがよろしい)

をしたいのだが、校正をする余力が今日はない。右腕掌の腫脹がややあり、キーを打つ手にも力が入らない。でも、とりあえず、アップはしたかったのだ、今日は誰一人、待っていなくてもね。それが、偏愛と言うものだから。

2005/08/03

電子テクスト初級編

「ああ。」

 私はあわてて娘の片腕を拾うと、胸にかたく抱きしめた。生命の冷えてゆく、いたいけな愛児を抱きしめるように、娘の片腕を抱きしめた。娘の指を唇(くちびる)にくわえた。のばした娘の爪の裏と指先きとのあいだから、女の露が出るなら……。(川端康成「片腕」エンディング)

生きた女の右腕と老人の物語、晩年の素敵に奇体な小品。

毎日、自分の右腕を鬱々と凝と見るうちに、ふっと浮かんだ。

さて、これはしかし、著作権が存続しているはずだよね。ところが! ここで読めるんだ。

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/kawabatayasunari.html

「日本ペンクラブ:電子文藝館」は合法的に著作権存続作品を公開している重宝なサイトだ。

僕は、現在、邦文・欧文合わせて電子テクストだけで12GB以上のデータベースを自宅と職場に保持している。ネットを初めた直後からだから、6年かかった。

ではここで、僕が毎日巡回する電子テクストのページを紹介する。自分でテクストのデータベースを作るなら、これらは基本中の基本、初級編だ。海外サイトや、隠し部屋の違法な公開等の中上級編はまた後日に。但し、サイトによっては、リンクにうるさいので名称のみに留める。検索を使って自分で発見するのも第一歩だ。スクリプトの不具合や誤植を見つけて、管理者と仲良くしてみるのも面白いよ!

***

「日本ペンクラブ:電子文藝館」(HTMLのほかに、PDF版もある。青空文庫とは一線を画す、と館長秦恒平は言ってるな)

「青空文庫 新規公開作品」(ちょっと権威になりかけてるが、電子テクスト公開の草分け。ここを知らなきゃモグリだ)

「泉鏡花文庫『鏡花花鏡』」 (日々更新で新聞小説のように鏡花を追体験しよう。管理者はシュッツ好きの大変誠実な方)

「綺堂事物-岡本綺堂案内」(綺堂へのこだわりでは敵なし。まさにキドーワールド!)

「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」(銀河の星のように存在する賢治サイト、でも、ここで決まり! 最近できた保存しても使える縦書き表示機能も嬉しい)

「網迫の日記」(マニアック。僕もよく知らない作家の単品が、日々続々時秒刻みでアップ! アップ! アップ! 僕はRDF/RSSでメールから更新を確認している)

「うわづらをblogで」(大学の先生の。原本の雰囲気を楽しめ、保存も一瞬。同様のものに国立国会図書館の画像ライブラリがあるが、あれは何だか読むのも保存も気が遠くなる。RDF/RSSあり)

「やまとうた 更新情報(ホームページ制作メモ」(和歌のデータベースは大学や研究所に数多あるが、ここが何より見やすく、纏まっている。この方、同じ鎌倉在で、blogも結構好きだ)

「J-TEXTS掲示板質問箱」(更新された古典テクストを確認するにはこのページをお気に入りにしておくのが便利)

「Web漢文大系」(最近更新が遅いけれど、中国台湾のサイトを除外すると、僕は中文系のテクストとしては国内サイトで最も丁寧着実だと思う)

***

さあ、あなたも、ネットの電子テクスト世界に旅立とう!

さっき、蝉が右腕にとまった。思わず、振り払ったら、尺骨に激痛。蝉にまで馬鹿にされちゃあ、もうお終いだな。

今日はこっそり、ある友人の演奏したCDを無断で聴いている。怒られるかな……

2005/08/02

予告 横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書

『横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書』を帰宅後に「雑居部屋」にアップする。「蠅」はすこぶる映像的作品で、そのカタストロフへ収斂してゆく手業は、映像シナリオにする誘惑を禁じ得ない作品で(恐らく当時のアメリカの西部劇の影響が大かと思われる)、授業では必ず、生徒に絵コンテを描かせてきた。その労に報いるために僕が、シナリオ化した「蠅」である。(テクストは青空文庫で公開されている)。

http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2302_13371.html

***

モノクロ・三五ミリ

○シークエンス1 1シークエンス1カットめいた長回し撮影(実際には特殊技術をいた複数カット合成で)

太陽を撮る~黒澤の「羅生門」以前には存在しないショット

超低感度フィルムを用いるか、通常フィルムでハレーション効果を狙うか。                

太陽からクレーン・ワークでパン・ダウンして、無人の宿場、その場庭へ。

そのままカメラ、人の視線位置で非常にゆっくりと一周して場庭の家々の情景を見せる。

暗い闇を開けている厩の前で止まる。

カメラ、闇へズームイン。

F・Iのような効果を出しながら(あくまでもフィルムは回し続ける)、明るくなってゆく厩の中。

藁の山だけが見えてくる。

ゆっくりパン・アップして、厩の屋根の横木を捉える。

さらにその薄汚れた木肌が見えるまで、ズームアップ。

そのまま右に屋根の角まで、ゆっくりパン。

角の蜘蛛の巣でストップ。

蜘蛛が中央にいて、身構えている。

震える蜘蛛の巣。

ややカメラが引くと、蜘蛛の巣の端に後足を引っ掛けて、もがいている蠅。

その蠅へ、再度ズームアップ。

アップ!

アップ!

顕微鏡的接写までアップ。

モンスターのような蠅の複眼と突き出た口吻がしっかりと映るように。

同倍で蠅の後ろ足が蜘蛛の巣にくっついてもがいている接写。

通常の人の視線位置で、蜘蛛の巣にぶらぶら揺れている蠅のアップ。

と、ぽとりと豆のようにゆっくり落ちる蠅。落ちる瞬間から高速度撮影に移る。

高速度撮影。カメラ、ゆっくり落下する蠅を追ってゆっくりパンダウン、着地寸前に通常スピードに戻す。

そこは、大きな馬糞の上である。蠅は何か考えるようにゆっくり馬糞上を移動。カメラ、追う。

蠅、軽くぴょんと飛ぶ。

藁しべにつかまっている蠅のアップ。

蠅、藁しべを上ってゆく。

その向こうに青光る密生した毛の壁。馬の耳のアップ。

くるっと動く。

馬の尻と尻尾。軽く尻尾が動く。カメラ、そのまま少し右足の後ろの方までパンダウンしながらアップ。さっきの蠅が、ゆっくりとよじ登っている。

と、馬が尻尾を再びさっと振る。

蠅ぱっと飛ぶ。

高速度撮影。馬の背のアップ。そこにゆっくり飛来する蠅。着地。

接写。まるで冷や汗をぬぐうかのように複眼と口吻を前脚でぬぐう蠅。

○シークエンス2 1シークエンス3カット(以下は、乞う、ご期待! 衣笠貞之助先生にでも映画化してもらいたいな)

 

誰もいない職員室に、浅川マキの絶望的にダークな唄「グッド・バイ」をリピートで流しながら……毎日のウォーキングに口ずさんでいたものだったが……それももう、当分できないな……

……誰も知らない

抜け道をいそぐ

あなたがみえる

自分にさえも

さよならした

あなたの背中が行く

もう 愛さないの

闇をかける

さすらいびと……

橈骨遠位端骨折合併症・後遺症

橈骨遠位端骨折(Colles骨折)
手のひらをついて倒れた際に起こす骨折。橈骨手根関節より3~4cm中枢側に起こる。背側に転位して外見上フォーク背様変形を呈する。北海道の整形OTでは最も治療する頻度の高い骨折。冬期に頻発し、中年女性に多いのが特徴。アイルランドの外科医アブラハム・コーレス先生の名前からとってコーレス骨折と呼ばれる。合併症:・指、手関節、前腕、肘、肩の拘縮・手根管症候群・変形治癒・握力の低下・橈骨手根関節症・遠位橈尺関節機能障害・長母指伸筋腱断裂・外傷後のRSD・内在筋拘縮
患者の20%は遺残症状を有し、10%が重大な機能障害を有する。
(北海道行岡病院HPより引用)

(Occupational Therapy 略名OT)は作業療法のこと。
(Reflex Sympathetic Dystrophy: RSD) は反射性交感神経性ジストロフィー。

「この疾患の初期症状は、例えば手関節等の外傷などの際、固定を除去する時期になっても手指の腫脹・浮腫が長期に持続し、手指の他動的屈曲がある程度可能(程度差有り、不能の例もあり)であるにもかかわらず、手指の屈曲(自動運動)を行わせようとしても、手指が振戦したり、力が入らなかったりと、屈曲が思うように出来ず、時に異常な運動時痛(異性覚)や知覚異常、発汗の異常などがみられる。このような場合、RSD / CRPS type I の症状が疑われるが、その後、通常の経過においても、次第に浮腫が硬くなっていき(硬性浮腫)、少なからず線維性拘縮へと進展していくことから、適切な処置を施さなければ患肢全体が廃用化するとも言われている。」(柔道整復師クラブHPより引用)。

「患肢全体が廃用化する」ってえのは、素敵な表現だねえ。

右撓骨遠位端骨折術後外見

yabRH 注意! 2560×1920ピクセルと大きいので、右クリックで保存し、ビューワ等で見て下さい。但し、かなりショッキングな写真なので、気の弱い方は決して見ないように! 術後4日目の僕の腕。

右撓骨遠位端骨折術後X線写真

x1 術後4日目の僕の腕。人差し指の後ろのピンは固定用ボルトの蔭になって見えない。また、固定棒はカーボン製のため、X線が透過してしまって薄っすらとしか写っていない。

公務災害事例集

傷害報告

 私は、7月21日(木)、総合学習テーマ別研修「臨海実習」の生徒引率で真鶴の横浜国大付属臨海実習所へ行き、午前11:00頃から、実習所そばの岩海岸にて海岸生物の観察を開始、12:00過ぎ、午前中の観察が終了し、最後の生徒をサポートしながら、実習所へ戻り始めました。実習所へ向かう階段近くの岩場で観察していた1年生に、終了の指示を出すために近づいていったところ、右手前方にいた二人の生徒の、「何だろう、これ」という声に、右手を振り向いた瞬間、不安定な岩場で右足を滑らせました。右手を突き、その際、ほぼ全体重が右手にかかりました。見ると、右手首部分がフォークの柄状に反って、手首から先の部分が腕に対して130度ぐらいまで、背面に反り返っていました。異常な形状のため、反射的に左手で強く握って、整復しました(整復術を知っていたわけではありません)。とりあえず元の形状には戻りましたが、尺骨の部分が、幾分外側に出っ張っている感じで、これは脱臼か骨折したと判断しました。近くの生徒二名はこちらを見ていましたが、特に異常に気づいた感じではなかったので、平静を装い、「さあ戻ろう」と声をかけ、階段近くまで、戻りました。階段手前のコンクリートに座り、気持ちを鎮めていた時、最後尾の私のクラス他1名の2名の女生徒がころんだところを見ており、心配して声を掛けてきたので、大丈夫と言って、一緒に実習所へ帰りました。教授が氷を用意してくれ、冷やし、次いで実習所の事務の方に、1:30から開く真鶴診療所へ車で送って頂き、レントゲンを撮ったところ、撓骨骨頭が粉砕骨折しており整復、場合によっては手術が必要かとの診断で、整形外科の専門でなく、本院では治療できないから住居の近くの愛心会湘南鎌倉総合病院に当日中に診察してもらえるよう電話をしてくれましたが、先方は救急性を認めないものとして、翌日9:00の予約でとのことでした。動かさなければ痛みが無いので、副木をし、三角巾で吊り、実習所に2:20頃戻り、国大の教授と他2名の同僚教員により午後の机上観察を始めていた生徒に合流、生徒の観察に助言を加える等、通常勤務に戻りました。生徒には一切迷惑を掛けることなく、5:20頃、横浜で解散、通常に勤務終了しました。非救急性という医師の判断や短期で治癒する場合を考えたのと、この時点では正式診断も治療方針も明らかでなかったので、所属庁への報告は明日に留保、同僚にも報告はしないでくれと頼みました。

 当日の勤務時間は午前8時30分から午後5時15分までです。

 翌22日(金)午前9:00、湘南鎌倉総合病院整形外科を受診、撓骨骨頭粉砕骨折(診断書正式病名:右撓骨遠位端骨折)、かなり重症で、全身麻酔手術による整復、ピンニング、創外固定が必要との診断結果を受け、翌日の入院と手術を予約、帰宅直後の1:00過ぎ、所属の教頭に報告しました。

 この日はバスケットボール部合宿の振替のため、休業日でした。

翌23日(土)午後2:00手術、入院、3日後、25日(月)退院にしました。

25日は、午前、夏期休暇、午後、バスケットボール部合宿の超過勤務の割振で、休業日でした。

2005/08/01

予告 國木田獨歩「忘れえぬ人々」

「要するに僕は絶えず人生の問題に苦しむでゐながら又た自己將來の大望に壓せられて自分で苦しんでゐる不幸(ふしあはせ)な男である。
「そこで僕は今夜(こよひ)のやうな晩に獨り夜更(ふけ)て燈(ともしび)に向つてゐると此生(せい)の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催ふして來る。その時僕の主我の角(つの)がぼきり折れて了つて、何だか人懷かしくなつて來る。色々の古いことや友の上を考へだす。其時油然(ゆぜん)として僕の心に浮むで來るのは、則ち此等の人々である。さうでない、此等の人々を見た時の周圍の光景の裡(うち)に立つ此等の人々である。我と他(ひと)と何の相違があるか、皆な是れ此生を天の一方地の一角に享(う)けて悠々たる行路を辿(たど)り、相携へて無窮の天に歸る者ではないか、といふやうな感が心の底から起つて來て我知らず涙が頬をつたうことがある。其時は實に我もなければ他(ひと)もない、ただ誰れも彼れも懷かしくつて、忍ばれて來る。
「僕は其時ほど心の平穩を感ずることはない、其時ほど自由を感ずることはない。其時ほど名利競爭の俗念消えて、總ての物に對する同情の念の深い時はない。
「僕はどうにかして、此題目で僕の思ふ存分に書いてみたいと思ふてゐる。僕は天下必ず同感の士あることゝ信ずる。」

其後二年經過(た)つた。
 大津は故(ゆゑ)あつて東北のある地方に住まつてゐた。溝口(みぞのくち)の旅宿(やど)で初めて遇つた秋山との交際は全く絶えた。恰度(ちやうど)、大津が溝口に泊まつた時の時候であつたが、雨の降る晩のこと。大津は獨り机に向つて暝想に沈むでゐた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの「忘れ得ぬ人々」が置いてあつて、其最後に書き加へてあつたのは「龜屋の主人(あるじ)」であつた。
「秋山」では無かつた。

(國木田獨歩「忘れえぬ人々」 より)

先日、友人から、blog の「忘れ得ぬ人々」というのは、国木田独歩の小説にあったような、とメールをもらったが、その通りで、独歩は私の敬愛する作家の一人だ。「こゝろ佚文 」で「先生」に「武蔵野」の一節を語らせたのも、確信犯。ちなみに、僕が感動する「武蔵野」の引用作品の筆頭は、引用に改変部があるが、「鉄腕アトム」の「赤い猫の巻」に如くはない。未読の方は、絶対お薦めだ。何度読んでも、涙を禁じ得ない。

さて、私の「忘れ得ぬ人々」は、そのパロディ(しかし私なりの真実の吐露ではあるつもりだ)とお考えあれ。ところで、昨日調べてみたところ、ネット上には、しっかりとした「忘れえぬ人々」がない。青空文庫は作業中だ。そこで、一念発起して、昨日、打ち込むだ。打ち込みには筑摩書房版「現代日本文學大系 第十一卷 國木田獨歩 田山花袋集」を用いた。4日に帰宅し次第、それを更に学習研究社版「國木田獨歩全集」で校正補正する予定。近日中に、電子テクストとしてアップする。学研の全集は独身貧乏の折に月賦で買ったものだが、作家の個人全集の白眉と言ってよいと思う。それにしても、独歩のこの文章は、言文一致への道程の一つというべきか、歴史的仮名遣いと現代仮名遣いの混用や送りがなの不統一等、打ち込みにやや苦しんだ。でも、いつ読んでも、いいなあ、このエンディング。では、乞う、ご期待!

何で blog が打てたかというと、職場のパソコンからは、この書き込みの規制がかからないことが判明したからで。

職務以外のインターネットの使用に問題ありというなら、これは国語教師として、電子テキストを合法的に公開する予告の作業であり、それを待ってくれる知人や元生徒が数人でもいる以上、立派な公務の延長と心得ているし、時間外勤務で職務はちゃんと遂行しており、且つ自己啓発活動を行いうる環境にある場合、それを有効に使うことは、教育公務員特例法に照らしても、全く合法的と判断するね。何てったて、右腕に金属埋め込んで半分「鬼」になっちまったんだ。何にも怖いものは、もう、ないよ。

 

友よ我は片腕すでに鬼となりぬ  高柳重信

→僕の罹患したコーレス骨折を気持ち悪くなく模式図で見る。
“American Academy of Orthopaedic Surgeons”Colles Fracture(英文)
http://orthoinfo.aaos.org/fact/thr_report.cfm?Thread_ID=150&topcategory=Hand

誰もいない職員室に、ジョアン・ジルベルトの「声とギター」をリピートで流しながら……

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