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2005/11/30

或阿呆の一生 芥川龍之介 四十九 剥製の白鳥

  四十九 剥製の白鳥

 彼は最後の力を盡し、彼の自敍傳を書いて見ようとした。が、それは彼自身には存外容易に出來なかつた。それは彼の自尊心や懷疑主義や利害の打算の未だに殘つてゐる爲だつた。彼はかう云ふ彼自身を輕蔑せずにはゐられなかつた。しかし又一面には「誰でも一皮剥いて見れば同じことだ」とも思はずにはゐられなかつた。「詩と眞實と」と云ふ本の名前は彼にはあらゆる自敍傳の名前のやうにも考へられ勝ちだつた。のみならず文藝上の作品に必しも誰も動かされないのは彼にははつきりわかつてゐた。彼の作品の訴へるものは彼に近い生涯を送つた彼に近い人々の外にある筈はない。――かう云ふ氣も彼には働いてゐた。彼はその爲に手短かに彼の「詩と眞實と」を書いて見ることにした。
 彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剥製の白鳥のあるのを見つけた。それは頸を擧げて立つてゐたものの、黄ばんだ羽根さへ虫に食はれてゐた。彼は彼の一生を思ひ、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯發狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮の往來をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに來る運命を待つことに決心した。

僕は朔太郎の芥川は詩人を熱情している小説家であるという言を素直に受け入れることは出来ない、出来ないが、この「或阿呆の一生」の体裁を考える時、これは哀しくも当たっているようにも思えてくるのだ。芥川は己が自叙をするに際しても、章番号と見出し、さらには序まで必要とした。しかも、この章では、その叙述の内実を語るという、彼の得意な楽屋落ち(関係ないが、僕は最近の有象無象の小演劇集団やTV番組や映画の、内輪受けや楽屋落ちに安易に走るのを、虫唾が走って、そいつを顔面に浴びるぐらい、嫌悪している)、暴露のポーズさえ忘れない。その序では久米正雄に人物その他へのインデキスを付けてくれるなとまで言う。誰が、この周到に剥製され、種名表示された人生標本に注釈がつけられよう。そこでは菊池寛が言った如く、「人生を銀のピンセツトで弄」ぶ分析者芥川の白衣姿が垣間見える……。それは、折角のこの作品の詩性を、惜しくも虫食いのように減衰させていると言って、よかろう……。

或阿呆の一生 芥川龍之介 四十三 夜

  四十三 夜

 夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。
「あすこに船が一つ見えるね?」
「ええ。」
「檣の二つに折れた船が。」

これは鵠沼海岸であろう。頗る映像的、印象的、「或阿呆の一生」のベスト・シークエンスというべきである。

或阿呆の一生 芥川龍之介 三十一 大地震

  三十一 大地震

 それはどこか熟し切つた杏の匂に近いものだつた。彼は燒けあとを歩きながら、かすかにこの匂を感じ、炎天に腐つた死骸の匂も存外惡くないと思つたりした。が、死骸の重なり重つた池の前に立つて見ると、「酸鼻」と云ふ言葉も感覺的に決して誇張でないことを發見した。殊に彼を動かしたのは十二三歳の子供の死骸だつた。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。「神々に愛せらるるものは夭折す」――かう云ふ言葉なども思ひ出した。彼の姉や異母弟はいづれも家を燒かれてゐた。しかし彼の姉の夫は僞證罪を犯した爲に執行猶豫中の體だつた。……
「誰も彼も死んでしまへば善い。」
 彼は燒け跡に佇んだまま、しみじみかう思はずにはゐられなかつた。

鎌倉の旅館で、芥川が関東大震災のカタストロフを予言していたエピソードをかつて読んだが、なかなか興味深い。

或阿呆の一生 芥川龍之介 十五 彼等 

  十五 彼等

 彼等は平和に生活した。大きい芭蕉の葉の廣がつたかげに。――彼等の家は東京から汽車でもたつぷり一時間かかる或海岸の町にあつたから。

これこそ、2005/11/05 の「芥川龍之介 蜜柑」のブログで書いた家である。僕が小学生の頃、この芭蕉は、まだ材木座の実家の庭の川向こうに、その大きな葉を残していたのを覚えている……。

或阿呆の一生 芥川龍之介 八 火花 

或阿呆の一生   芥川龍之介

  八 火花

 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也烈しかつた。彼は水沫の滿ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を發してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雜誌へ發表する彼の原稿を隱してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線は不相變鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。

高校生の頃、この火花を凝っと見つめたことがあった。富山の海沿いの、ある女の家の傍、見通す限りの田圃、そこに寂しく延びる電柱の上、ジリ、ジリと音を立てて、紫炎色の炎を吹いているのだった。秋の、嵐の間近な、夕暮れのことだった……。

2005/11/27

雨月物語 青頭巾 やぶちゃん訳

少し遅くなったが、「雨月物語 青頭巾」やぶちゃん訳を公開した。今日も結局、これに丸一日費やした(中間試験問題は昨夜半、作り終えた)。快庵禅師の台詞は、原話のままでも充分に意味が採れるし、その教化に至るまでの直線的な話法を保持したかったこともあり、元の言辞をなるべく生かしてある。また、快庵の博覧強記の怪異分析中の女の鬼となる逸話は、勿論、実際には中国の志怪小説を基としており、快庵も自身の体験談として語っている訳ではないのだが、明らかに、ホラーの勘所(同時に彼の女性嫌悪の最たる挿話として)として秋成が語らせている部分であり、ある種、快庵の直接体験の語りを意識した。訳しながら、その構成、台詞がくっきりとしてくる。そうして、確かに、この話の根っこが小泉八雲の「食人鬼」に美事に繋がっていることが実感された、楽しい一日であった。

しかし、調子に乗り過ぎた。エクササイズを全く怠ったら、美事に右手指がかちかち、全くグーが出来ぬわい。

2005/11/26

芥川龍之介 齒車

「やぶちゃんの電子テクスト集:小説・随筆篇」に芥川龍之介「齒車」を正字正仮名版、若干の注釈を付して公開した。結局、今日一日、それに費やした。僕は、一貫して、誰かが既に公開しているものと同じものを馬鹿げた自己満足として打ち込むつもりは毛頭ない。だから正字正仮名と名打ち、浅学を承知で注釈も付けたと宣ずるわけだが、その実、正直な動機は、暫らく前から、念頭にこびり付いて離れない、末尾の

「誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?」

というキザな台詞への、素直な耽溺の結果以外の、理由は、ない、自白しておく。

2005/11/25

ヤフーメール解除の事

久し振りの、不思議な縁の知人(この人は説明するのが難しい。妻の教え子で、高校生の時からよく家に遊びに来ていて、ジャズが好きで、芝居が好きで、バイクが好きで、公務員で、ワインもうるさくて、悪魔学の本なんか貸して欲しいと言われ、大変な美人で、春、披露宴に夫婦で呼ばれたら、若僧若子100人近くの中で、僕らが最年長招待者で……まさにファンタスティク、なのである)からの電話、開口一番、メール読んでないんですか! と大いに叱られたので、スパムメールブロックの、ドメインでのヤフーメールブロックを解除した。だって、君は、新婚、ラブラブでしょうが! おのろけメールブロックってえのは、どうよ? ニフティさん?

2005/11/23

泣けた三丁目の夕日

「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た。正直、30年代の町並みのVFXの映像目当てであったが、骨折以後、異様に涙腺が緩んでしてしまっており、10分に1回は泣かされた気がする。恐らく、皆が泣いていない所でさえ、泣いていた気がする。そもそも、冒頭の三丁目の町並みが見えた所で、言いようもなく涙が出た。ストーリー中の、見え見えお決まりの催涙場面でも、馬鹿正直に泣きがきた。集客のために、原話を大きく改変している、六ちゃんや茶川先生の子供とのラスト・エピソードも、見ているうちは、それほど気にならない(とは言え見終わってから妻に、開口一番、六ちゃんが女であることの嘘臭さを言ったが)。上野駅構内と、外観の再現には舌を巻いた。懐かしいの一言だ。言うなら、集団就職列車はあんなにゆったりしていなかったであろうし、実際の街は、もっと汚かった。各役者も水準程度の演技はこなしている。「泥の河」程ではないにしても、子役(特に淳之介)の演技も上質、綺麗な三丁目という瑕疵を、補って余りある。少なくとも僕にとって、メッセージのコピーは、まさにそのものとして受け入れられる。クサイと言う奴は、三丁目の住人になりたくないだけだろうが、三丁目はそんなへそ曲がりも受け入れてくれた、懐かしい場所なのだ。……あれだけいじめられ、卑屈になりさがってもおかしくなかった僕の少年時代、しかし僕は、あの子供と同じように、どこかで確かに、今の僕らにはなく、残念ながら、今の子供たちにもない、おめでたくも、かけがえのない、「夢」を抱いていたように思う。ゴミ箱、駄菓子屋(僕らは5円屋と呼んでいた)、屋号の傾いた看板……30年代前半以前の世代には、その細部からフラッシュバックする思い出が堪えられないと保証する。

笑えない三丁目の夕日

西岸良平の「三丁目の夕日」は、30年代に生まれ育った者にとって、無視できない存在である。漫画愛好家には、恐らく、その「サザエさん」に共通する無菌性に嫌悪するバイアス如何で、愛憎半ばするであろう。僕は素直に好きである。思わず、映画記念の4巻セットの話を、同僚に聞いた。大船の書店を捜したが、ない。気軽に彼に頼んだ。彼は「いいですよ。今日にでも子供とまだあるか見てきます。」と言ってくれた。

頼んで暫らくして、ふと気がついた。彼には小学生の男の子と女の子がいる。逢ったこともあるが、二人とも可愛い。普段、彼の話を聞くと、僕はいつも彼の代わりに三日でいいからお父さんになってみたい気がするほど、楽しい団欒なのだ。しかし、その二人と、彼がそれを買いに行く情景を思い浮かべた時、僕は思ったのだ。その子供達の気持ちを考えたら、これはもう悲しい「三丁目の夕日」じゃあないか!

その後僕は、失礼と思いながら、彼にもう一つ、と頼んでいた。彼らへのささやかな、やぶちゃんからのクリスマスプレゼントとして。

一昨日、彼が買ってきてくれた。職場から持って帰るのには、右腕で重量物を全く持てない僕には、ちょっと冒険の重さであった。

案の定、昨日の朝、左腕の腕首の筋がいかれていた。今も、痛くてシップしている。

愚かに、右腕だけでなく、「たかが」(この括弧は勿論「たかが」と思っていない僕の意思表明である)漫画本を運んで、左腕までもおかしくした自分が、ふにゃっとしたまあるい顔で、枯葉散る、冬空の寒々とした中、汚れたへのへのもへじと「立小便禁止」(勿論鳥居の書かれた)が描かれてある板塀の前で、雫型の涙を流している…これも「三丁目の夕日」の最終コマにありそうな絵柄ではあった……

2005/11/22

プルートウ

浦沢直樹×手塚治虫の「プルートウ」を現役の教え子が是非読んで下さいと貸してくれた。僕は、如何なるリメイクにも、裏切られなかったためしがない。ただ僕の好きな、あの「地上最大のロボットの巻」をどう料理しているか多少の興味が動いた。逆に、僕の持っている「鉄腕アトム」の当該巻、直感として、オメガ因子の「アトラスの巻」は絶対読むべきだと出しゃばりの推挙、その他、やはりこれはという「ロビオとロビエットの巻」「ロボイドの巻」等を貸した。そうして、いや、しかし、昨夜、既刊2巻を寝床で読み終えたのだが……僕は「ノース2号」のエピソードの最終コマを見て、図らずも、落涙してしまった。同時に、昨夜だけで、軽く千字は書けそうな、解釈と疑問が湧き出てきたのだった。

2005/11/21

忘れ得ぬ人々 8 A君

小学生の時、僕は病弱で、他から見れば、いじめるに重宝な少年だった。1年の途中で、東京から、当時は田舎の大船へ戻っただけで、これだけで格好ないじめの対象だった。

 

小学校は、あぜ道を通った。肥溜めや田圃に落とされるのは、日常茶飯事で、見知らぬ山の中に置き去りにされるのも恒例だった。それは、確かに、一つの地獄だった。

 

A君は僕の家のそばに住む同級生だった。背の高い彼は、学校は休み勝ちな上に、奔放で、学校のそばの高圧鉄塔に登って担任の教師はほうほうの体だったが、4年生の時から卒業まで、学校では、いつも僕を守ってくれた。

 

医者になりたいという僕を、いつも「やぶ医者」と呼んで、怪我をしたときや、調子が悪いときは、「やぶ医者、こんなだけど大丈夫かなあ?」と、傷や容態を説明しては、僕のハッタリを聞いて安心していた。

 

僕は、朝の朝礼で、二度も、糞を洩らした。学校の行き帰りでさえ、洩らしそうになるのだった。まさにエンガチョな存在だった(ずっと後のなんと53歳になって検査の結果、過敏性腸症候群(IBS)であることが判明した) 。そんな僕を、軽蔑しなかった数少ない一人が、彼だった。彼が、「やぶ医者、うんこがしたくなったらな、掌に『ん』って書いて、飲むんだよ、三回な。そうすると、うんこ、したくなくなるんだぜ」と教えてくれたのも、彼だった。それが成功ためしは、残念ながら、なかったのだが、今も、その時の優しい彼の表情を忘れることはない。

 

6年の修学旅行に、彼は行かなかった。僕は、日光の名所の古びた写真の入った、ひどく安っぽいしおりを土産に持って行った。暗い裸電球の部屋で、彼は僕に「ありがと」と言うと、大粒の涙を、ぼろぼろと流した。彼の両親は、小学生の僕の前で、ひどく恐縮し、僕は訳も分からずに何度も礼をされ、饅頭までもらって帰った。

 

彼がいるときは、いつも一緒に帰った(そうするといじめっ子は僕をいじめられないのだった)。

 

彼は、イトミミズのいるきたないどぶ川を右に折れる。僕は、僕の家に、まっすぐ行かねばならない。欄干もない小さな橋のたもとで、僕は彼に「さよなら!」と声をかけ、彼は「さいなら!」と笑顔で答える。そうして、ちょっと歩くと、僕は彼の歩いているであろう、どぶ川の向こうの長屋の棟の方に、やはり「さよなら!」と少し大きな声で呼びかける。「さいなら!」というA君の声が聞こえる。……また、十歩、「さよなら!」、そうして甍の彼方から、また「さいなら!」の声が聞こえる……「さよなら!」、そして「さいなら!」……そうして、その声のリフレインが幽かになって、僕の幼年時代は遠い彼方へと消えてゆく……

 

彼が重い癲癇症であることは、なんとなく気がついていた。私の叔母が彼の児童相談所のカウンセラー担当で、僕の名前だけが信頼できる友達としていつも挙がっていたと聞いたのは、随分、後、青年になってからであった。

 

その彼は、僕が高校2年(僕は小学校終了と共に、彼と分かれ、富山に引っ越しており、5年ぶりに僕は故郷を訪ねたのである)の時に訪ねて行き、健在であった。馬鹿でかい体躯になった彼は、甚平を着て大いなる迫力で、「よう!」 と言って、少し話を交わして、別れた。幾分、警戒するような険しい表情が気になったが。

 

30分もしないうちに、彼は、その日、近くの、僕が泊まっていた親戚の家を訪ねてきた。彼は、薄汚れた、犬の人形を携えていた。

 

「おれはお前を、悪いけど覚えてないんだ。」

 

と彼は切り出し、すぐに

 

「でもね、おまえが訪ねてくれたのが嬉しいんだ、だから、これを受け取ってくれ」

 

とその、ぬいぐるみを差し出して、そうして、泣いた。

 

僕は、彼の大切な(その汚れ具合から解る)ぬいぐるみを、丁重に辞退して、昔のあの、「さよなら!」の話をした。

 

彼は、その大きな体の一見恐ろしげな彼は、あの日と同じように、ぼろぼろと涙を流しながら、黙って何度も頷くのだった……

 

 

今でも、僕は思い出す。僕は、ただ、ただ嬉しかったのだ。

 

僕は、だから、言っておく……だから、僕は、手を振ってくれる朔太郎が欲しいのだと……


【2019年4月1日追記】昨日、町内会の役員会で、今週の土曜に行われる4月例会のレジュメを見たところ、訃報欄に彼の名があった。2月12日で61歳とあった。彼は僕よりももっと後の早生まれであったのだった。昨年、御母堂を亡くされ、一人で住んでいた。車椅子の生活だった。彼のことを思い出す人はもうあまりいないであろう。だからここに名を記しておく。彼は芥川忍君である。空の高いところから「さよなら!」を言っている彼の声が、聴こえる。

2005/11/20

牡蠣を剥く

夕刻、妻が大きな殼付牡蠣を10個買つて來た。吾輩の腕の事等考へもぜずに買ふたと言ふ。而して剥けるかと聞く。吾輩は滅法生牡蠣が好きである。獨身の頃醉つて二十五個剥いて喰ひ掌を傷だらけにして翌日下痢をしても懲りない程好きではある。しかしこの右腕で剥けるかと言はれるとはたと惱んだ。最近、時々刺身等を捌いてはゐるが自信は全くない。しかし「背に腹は代へられぬ」(この古事成句の使い方は微妙に正しくはなからうとも思ふが)である。嘗ては素手で平氣でやつてゐたが不自由な上に生傷はたまらぬから右腕にのみ軍手をした。コツは忘れてをらなんだ。何事もなく前と變わらぬスピイドで剥き上げられた。初物ではないが、病んだるこの腕を振るつたと思へば、頗る美味かつた。少しだけ、嬉しい氣がした。

萩原朔太郎 芥川龍之介の死

萩原朔太郎「芥川龍之介の死」を、結局、半日かけて打ち込んだ。ちゃんとした校正はしていないが、とりあえず公開する。

ちなみに、ここでの朔太郎の見解に、僕は、満足しているわけでも、賛同するわけでもない。朔太郎の夥しいアフォリズムは今、朔太郎好きの者でもまず、読むまい。しかし彼の嫌った龍之介の「侏儒の言葉」は、遥かに遥かに長生きし、読み継がれる。特に最後の、芸術至上主義の英雄云々という言辞は、朔太郎にして、欠伸が出るほど、短絡的で陳腐ではある。

しかし僕は、朔太郎も龍之介も愛している。その二人の、この出会いと別れは、僕には、やはり頗る胸を打つのであり、他の作家の追悼文や随筆より遥かに遥かに芥川の大切な真の肉声を伝えるものと思ってもいるのだ。

龍之介と朔太郎の対話

龍之介「君は僕を詩人でないと言つたさうだね。どういふわけか。その理由をきかうぢやないか?」
朔太郎(心内語)『復讐だ! 復讐に來やがつた。』
龍之介「君は僕を詩人でないと言つたね。どういふわけだ。も一度説明し給へ。」
朔太郎「要するに君は典型的の小説家だ。」
龍之介「君は僕を理解しない。徹底的に理解しない。僕は詩人でありすぎるのだ。小説家の典型なんか少しもないよ。」
朔太郎「文学上の主張に於て、遺憾ながら我々は、敵だ。」
龍之介「敵かね。僕は君の。」(淋しげな笑ひ)
龍之介「反對に……君と僕ぐらゐ、世の中によく似た人間は無いと思つて居るのだ。」
朔太郎「人物の上で……或は……。でも作品は全くちがふね。」
龍之介「ちがふものか。同じだよ。」
朔太郎「いや。ちがふ。」
龍之介「僕は君を理解してゐる。それに君は、君は少しも僕を理解しない。否。理解しようとしないのだ。」

これは、萩原朔太郎芥川龍之介の死」の第11及び12章直接話法部分に、少し手を加えたものであり、原文とは異なる。

但し、その二人の印象的な対決の場面は、概ねこうであったと考えてよい。

そうしてこれは、最初に提示した第13章の最後の別れへと続くのである。

この随筆、僕は、龍之介の詩的文学観と、朔太郎という男の精神構造(こちらは彼の文学観ではない)を考える上で、極めて興味深い資料であると思っている。

少しずつ、気長に打ち込んでゆく予定。多分、今夜には……。

萩原朔太郎 芥川龍之介の死 9 芥川の台詞

「だが自殺しない厭世主義者の言ふことなんか、皆ウソにきまつてゐるよ。」

 それから笑つて言つた。

「君も僕も、どうせニセモノの厭世論者さ。」

これは第9章の最後に現れる、台詞である。芥川はホンモノを証明する為に死んだか。いや、恐らく、違う。僕は、芥川は真の厭世主義者ではなかったのだと思う。彼は、ニセモノの厭世主義者を演じ続けたが、その為にこそ、遂に自殺せねばならなかったのだと言うべきである。総合学習で「芥川の死について」を選んだ君、よくぞ、僕を釣り上げた。しかし、この迷宮は、一筋縄ではいかないぞ!

朔太郎の答え

しかしながら神にならずして、だれが真に完全に、自分自身の主人になり得るか。(芥川龍之介の死 萩原朔太郎 第15章より)

これは勿論、芥川が久米正雄に残した公的遺書としての「或旧友へ送る手記」末尾への朔太郎の答えである。しかし、その答えの何とすがしく毅然としていることであろう!

附記。僕はエムペドクレスの傳を讀み、みづから神としたい慾望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覺えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。

芥川龍之介の死 萩原朔太郎 終章全文

朔太郎は正しく予見している。そうして、そこで遂に朔太郎は龍之介をかの「さびしい人格」の無二の友として、その茫々たる山頂の墓に、ただ無言に抱きしめるのだ……

         18

 見よ! この崇高な山頂に、一つの新しい石碑が建つてる。いくつかの坂を越えて、遠い「時代の旅人」はそこを登るであらう。そして秋の落ちかかる日の光で、人々は石碑の文字を讀むであらう。そこには何が書いてあるか?
 見る者は默し、うなづき、そして皆行き去るだらう。時は移り、風雪は空を飛んでる。ああ! だれが文字の腐食を防ぎ得るか、山頂の空氣は希薄であり、鳥は樹木にかなしく鳴いてる。だが新しき季節は來り、氷は解けそめ、再び人々はその麓を通るだらう。その時、ああだれが山頂の墓碑を見るか。多數の認識の眼を超えて、白く、雲の如く、日に輝いてゐる一つ義(ただ)しき存在を。

龍之介と朔太郎 その別れ

誰にも涙を禁じえない一文というものがあろう。僕の愛する二人の孤独な魂の忘れられない交感の一瞬。そして、それが、最後の別れとなるのだ……長文なので、とても一気に打つことができない。とりあえずそのクライマックスを……。

 

芥川龍之介の死   萩原朔太郎

 

         13

 その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた。その時芥川君が言つた。

「室生君と僕の關係より、萩原君と僕のとの友誼の方が、遙かにずつと性格的に親しいのだ。」

 この芥川君の言は、いくらか犀星の感情を害したらしい。歸途に別れる時、室生は例のずばずばした調子で、私に向かつて次のやうな皮肉を言つた。

「君のやうに、二人の友人に兩天かけて訪問する奴は、僕は大嫌いぢや。」

 その時芥川君の顏には、ある悲しげなものがちらと浮んだ。それでも彼は沈默し、無言の中に傘をさしかけて、夜の雨中を田端の停車場まで送つてくれた。ふり返つて背後をみると、彼は悄然と坂の上に一人で立つてゐる。自分は理由なくして寂しくなり、雨の中で手を振つて彼に謝した。――そして實に、これが最後の別れであつたのである。

やぶちゃん注:萩原朔太郎「廊下と室房」より、「芥が龍之介の死」の13章全文である。「最後の別れ」には「○」の傍点があるが、ここでは太字とした。底本は昭和51(1976)年刊筑摩版全集を用いた。

僕はこの作品を生徒に紹介した後、次のように言うのを常としている。

「一体誰が、僕の最期の時に、こうして手を振ってくれるだろうか……」

それは冗談ではない、正直な羨望だ……。

堀辰雄 淨瑠璃寺の春

冒頭の堀辰雄「淨瑠璃寺の春」について、教え子から質問を受けた。この印象的な末尾にはいつも涙するだけに、嬉しい質問だ。これは彼の「大和路・信濃路」の一節である(その注記を冒頭では落としたのがいけなかったかな)。全文は、青空文庫で読める(但し、新字新仮名である。ちなみに僕は定本全集を持っておらず、実は引用は、新字新仮名の新潮文庫本の叙述をかってに正字正仮名にしたもので、恣意的に「ぼおっ」を「ぼう」のするなど、原作通りではないと思う)。是非、「淨瑠璃寺の春」だけでも読まれんことを。ちなみに、これは戦中文学の数少ない収穫の一つと思う。

そうして、行ってご覧なさい、淨瑠璃寺へ。出来れば、彼女と。そこには、今も馬酔木の花が、主人公達が見たのと同じように、咲いているのです……。

青空文庫 堀辰雄 淨瑠璃寺の春

新字新仮名はというのは本作にはそぐわぬ……いつか必ず……

諸星大二郎 魔障ヶ岳シリーズ 

昨夜、高熱の為、床中にて汗もしとどとなりつつ、諸星の新作連作魔障ヶ岳シリーズを読む。「感情のある風景」論をアップした時、実は「生命の木」の映画化も、この久々の新作発売も、まるで知らなかったことを言っておかねばなるまい。それだけ、彼の存在はメジャーになっているということなのか。しかし、高校生で、まず彼の作品に親しんでいる者は、ゼロに近いのは、20年前とさほど変わらないように思われる。

さて、まず、新作は、その自己同一性を突き抜けた民俗学的「モノ」存在の形而上学的テーマという点で、伝奇作家諸星健在也という安堵はある。「マッドメン」に似た三輪山伝説を用いた、神話の相互交換論等も、彼の面目躍如というべきであろう。

しかし、振り返って考えると、そうした過去作品との強い類似性が、諸星作品に慣れ親しんだ者には、ストーリーテラーとしての彼が読者の期待に文句なしに答えていると感じる反面、ある種の伏線のバレを露呈してしまっている点、意外性のスペクタクルを殺いでしまっているとも言える。終局の凡百の個人の思念の総合体としての「モノ」の実体化シーンは、彼のパロディ作品である「ド次元くん」シリーズさえだぶってしまい、僕には、少々、喰い足りないエンディングであった。

同じようなシークエンスでも、「マッドメン」シリーズのラストのような、古代と現代を貫く、深い感慨が欲しかった。

ちなみに、彼の希望ではあるまい、帯の「妖怪ハンター」という名称の復活は。「稗田礼二郎のフィールド・ノート」では確かに、メジャーには向かないと、僕も編集者なら思うであろうが……。

瑕疵は、彼の新作が拝めることに比べれば、微々たるものだとも言えるのであろうが……。「西遊妖猿伝」の続編は、早く読みたいものだ。

2005/11/19

諸星大二郎 生命の木

何でもいいけど、あの衝撃的な作品の映画化は無理だろう? 「はなれ」の住人の知的障害は自主コード規制でとっても描けないだろ? でもあれが描けなきゃ、「とがの教へ」の本質は覆っちまうぜ? TVCMでは「ぱらいそ」に昇天するシーンが描かれているけど、あんなきれいなCGじゃあ、だめだぜ! 不死の地獄は、所詮描けない。日本考古学会追放の異端稗田礼二郎のシリーズ(旧名「妖怪ハンター」)は、前の「ヒルコ」でも分かってる通り、キビシイよ。結局、キワモノのホラー扱い、読まれない原作も、そう判断されちまう。そうして、諸星はますます誤解される悪循環だ。皆さん、原作を読みましょう! 

僕は、映像になり得るのは、諸星作品では、初期の社会派リアリズムの「リツ子・恐喝」「むかし死んだ男」とか。逆に是非映像化してほしいのは、「地下鉄を降りて」だと、思うがな~。あれは、お美事! 僕が、主演をやりたいぐらい! 手塚賞受賞のSF「生物都市」なんかもエンディングを少し書き換えれば、アニメでも実写でも、いい作品になると思うがなあ……。

淺草公園――或シナリオ――   芥川龍之介

芥川龍之介の作品中でも、僕が特に好んでいる、マイナー作品、「淺草公園――或シナリオ――」を正字正仮名で公開。芥川は映像人間だったと思っている。それこそ彼に映画を創らせて見たかった。

2005/11/18

アン・サリー再び

彼女のアルバム全てを聴いた。選曲、録音、サイドメンの力量等、総合的に見ると、“Voyage”に落ち着くのであろう。ライヴ版でもそうだが、ジョベルトばりのギター・ワークがよく彼女の透明感のある歌声をサーブしている。しかし、今も、リピートでかけ続け、日がな一日、脳内で鳴っているのは、“Brand-New Orleans”の「胸の振子」……胸の振子が 鳴る鳴る 朝から 今日も……本当に一日中、僕は歌っていた……

アリスが来た

2alice 今年の9月30日生まれの三女アリス。

夕方逢ったら、昼間注射をして、さんざん騒いで、眠っていた。起きても、寝ぼけていて、しゃんとするまで10分ぐらいかかった。他の犬の病気の感染が心配されるので、12月の二度目の注射までは散歩もさせられないという。隣の私の親の家の中、ゲージの電気毛布ですやすや。何だか初めっから、お嬢様扱いである。いや、その実、やっぱりかわいい。照明が暗いので不鮮明だけれど、顔見世です。

2005/11/17

井の頭公園

あのボートを覚えていますか。楽しかったね。

アリスが来る

明日、二代目のアリスが来る。まだ二ヶ月だ。真っ黒らしい。でも、ちょっと男っぽい白が眉間に入ってるらしいじゃん! 色なんか、問題じゃないさ。

さあ、おいで!

少年の眼

教え子が blog にアップしている写真が、気になった。一見、忘れられない。2004-02-02T152934Z_01_NOOTR_RTRJONP_2_JAPAN-136839-1-pic0

この少年の眼を見よ。

その表情を見よ。

教え子が、写真とデータを送ってくれた。一部、引用する。銃器の判断部分が奇異に感じられる方がいるかも知れぬ。しかし、僕には違和感はない。逆に、この痛烈な写真のリアリズムを強力に補強するものと思う。

(引用開始:一部略)「あれは確か1年くらい前のロイターの写真です。ネット配信されていたものなので、ひょっとしたらどこかの新聞などで載っていたりしたのかもしれませんが。あの時期は自衛隊のイラク復興支援で先遣部隊が派遣されていた頃で、」「本隊第一陣が北海道の基地を出」た「その直前にロイターで挙げられていた写真らしく、データに日付の記述があったので、下のデータもろともに添付いたします。」「ひょっとしたらアフガニスタンとか別の紛争地域の写真かもしれません」。「写っているライフルは、正直どれだか判別がつかないです…当時イラクに進駐していたのがどこの軍だったか正確に覚えていないので。シルエット的にはFN-FALと言うのに似ているんですが、バレルの位置が写真だと上方にあるので、ひょっとしたらその派生で各国で開発されたモデル(イタリア・ベレッタ社のM70とか)であるか、あるいはガリルのアサルトあたりかなとも思うんですが、とにかくガスチューブのポジションがどこか分からんので。。。ちなみに銃身に装着されているのはレーザーエイミング用のモジュールです。向こうの仕様としてはお誂えかと思います。」(引用終了)

写真にはロイターの版権があるものと思うが、確信犯として無断使用させて頂く。

2005/11/16

立ち尽くす少年――諸星大二郎「感情のある風景」

「立ち尽くす少年――諸星大二郎「感情のある風景」小論」を公開した。

私はアトムで生まれた男です。アトムで育てられた男です。手塚治虫先生(私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる)論はいつか書くつもりです。私はその他に、諸星大二郎、星野之宣、花輪和一、西尾末広、つげ義春といった漫画作家を愛しています。

今日は、誰もが自分の境涯を「最上の」苦界だと思い込んでいるのだということを、仕事上の下らないことの端々で、しみじみ感じた。結構だ。でも、地獄の湯にゆっくりつかるなら、他人には迷惑をかけないように頼むぜ。大なり小なり、こっちも苦界にいると思ってるんだから。

2005/11/15

眠りの前に

ちなみに、言っておくと、何かがあったわけではない。と言うより何もない。だからこそ、この腐った形而上学をこねくりまわす。では、本当に、お休み、だ。

裏切り

裏切りとは、恐らく相互に裏切られたという感覚を言う。即ち、誰もが裏切られ、誰もが同時に裏切っている、己自身を(そこに気づかないのが、我々の愚かしさだとも言えよう)。では、またおやすみ。

年賀状

もう一つ、言っておく。年賀状なるものが、昔から大嫌いだった。今年は自分からは決して送らないことにした。お目出度くも(というかせこいというか)僕は、5年以上、生徒から賀状を貰った場合、翌年から送るようにしてきた。その結果は、180通に近づいた。もう、疲れた。おまけに、何も書かずに送るのだから、彼らも面白くもなんともないのだ(僕が、何にも書いてない賀状を出していながら、人から何も書いてない賀状が来るのが嫌いなように)。実は、もう賀状も止めたい。愚劣で軽薄な存在確認にしか過ぎぬから。では、また。

0から始めよう

思うところあって、サーバーのアドレスはすべて削除した。これで僕は、自分を自分で拘束している、ちっぽけ世界をおぞましくリセットする。削除されてほっとする人間もいるだろう。ちなみに、僕はウィルス感染時のカタストロフを避けるためにOutlook Expressを使用していない。これからは、対等だ。純粋に、語りかけてきた人々とだけ話すことにしよう。苦労した、スパムメールブロックもリセットしてしまった(但しヤフーメール遮断は続行している)。少し残念だけれど、これも再構築が又面白い。では、おやすみ。

死んだ男   鮎川信夫

死んだ男   鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった。
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

「鮎川信夫詩集」[昭和三〇(一九五五)年刊]より。

最後の二行を、書こうと思ったが、そのまま僕のアンソロジーから抜き出すことにした。20年前、生徒と他の先生と、この詩の解釈論争をした楽しい思い出がある。「手紙の封筒を裏返す」というのは、鼻でせせら笑った同僚の君よ、これはどう見ても、あの生徒が言った様に、封筒の内側と外側を反転させることだよ、残念ながら、ね。

2005/11/14

アン・サリー

教え子の紹介記事読んで、ぴぴっと、まさにぴぴっときたんだ。霊感だ。ありったけ買おうと意気込んで、レコードショップ(僕の世代はどうしてもCDショップと言えない)に駆け込んだが、二枚しかなかった。“day dream”“Brand-New Orieans”。アルバムとしては、前者は僕にはやや喰い足りないが、二枚を通して聴くと、まずその安定していながら、少しも気色ばまない歌いっぷりが、素敵に奇妙な「喉越し」がいい。この「手触り」は何、何だろう、勿論本場のブルース歌手の底から突き上げるスピリッツの声ではない、邦人の無意識の背伸びをしようとした声でもない、それは、彼女が韓国人で、英語を歌い慣れ、そこから生じる妙な日本語の訛りのニュアンスがあるからか、裏返りそうで裏返る寸前の琴線でバランスをとる、ビブラートがかっているのかなと思わせて、すっと抜けるコーダ、いや、これはまさに、彼女だけのもの、彼女の天性の「天声」だ。初めてサイダーを飲んだ少年の日の記憶、ぶるっと慄くっとする、けれどその、すがしさ。右腕が不自由で、めったに持ち込んだことがない家での、下劣極まりない仕事をこなしながら、(「ながら」なんて、このジャケットの彼女の横顔に恥ずかしくなるぜ、まったく!)ずっとリピートで流している「胸の振子」に、図らずも涙しそうになった僕を、僕は見出した。アン・サリー……やさしき、その名……

2005/11/13

達っあんのこと

昨日逢ったのは、68歳になる僕のかつての国語の元同僚、達っあん。肝臓癌だが、再発が見つかると、土竜叩きのようにピンポイント摘出を繰り返して、僕と逢う時にだけ、大酒を呑み、矍鑠としている。大先輩なので口幅ったいが、僕が唯一、同僚国語教師の中で、文才があると感じ、文句なく尊敬する方である。退職されてから、俳句、漢詩の自由訳、松本清張ばりの、母との生き別れの秘密、そうして戦後の頗るスリリングな自分史、唾棄すべきこの現実世界への歯にもの着せぬ批評等を書き綴っておられ、もうかれこれ5冊に及ぶ。今回もその最新刊を拝受した。昨日は快飲に任せて、思い切って、小説をお書きになられてはと水を向けた。達っあんの卒論は梶井基次郎論で、当時の担当官は吉田精一であった。この近代文学の著名な学者は、彼に、僕の研究室に残らないかとしきりに言ったそうである。さもありなん。ちなみに、思い出したが、僕も卒論(尾崎放哉論)を出した折に、当時の担当官であった荻久保泰幸先生に、最後に「院に行くことは考えていないの?」と言われたのを思い出した。その時の僕の答えは、「英語ができませんから」の一言だった(神奈川への教職採用が決定していたせいもあるが)。さても、そんな奴が、八雲を和訳して悦に入っているのだ。だから世の中、面白い。達っあんの次号が楽しみである。

食人鬼 小泉八雲 やぶちゃん訳

「食人鬼 小泉八雲 やぶちゃん訳」を公開。ページ最後に翻訳方針を記載したが、誤訳にならないように、「語り」ものへの換骨奪胎を目指した。僕は、すべての国語教育の基本は、朗読に尽きると思っている。上手い語り口の作品に、上手い朗読で出会えるか否かで、僕は国語が好きになるか嫌いになるか、決まるのだとさえ思っている。

完全に嵌った。次は矢張り大好きな、「破られた約束」にしよう。

2005/11/11

食人鬼に嵌る

“JIKININKI”の訳に完璧に嵌っている。リハビリの最初のお湯漬け(15分温水に漬けてグーパーを繰り返す)と、最後のクールダウン(40分の作業療法の後、10分保冷剤で冷やす)の間も惜しんで原文とにらめっこしている。直ぐにも終わってしまいそうなのだが、ともかくオリジナリティにこだわりたいので、平井氏の訳を見ては、一語や一構文に立ち戻る。そうして全体の表現を最初から見直すという、フィードバックしている。最大のこだわりのコンセプトは、話者であった妻セツが夫八雲へでなく、日本人に語る際の口調を念頭に置いた。従って、敬体で、夢窓国師には敬語を用いる。勿論、怪談としての表現効果を考えた訳を心懸けることは当然だ。それにしても、正直、何だか、久し振りに、楽しいのである。

2005/11/10

句集 鬼火 選句歴

「句集 鬼火」に選句されたメモを追加したが、これは毛頭、己が句を称揚するためでも何でもない。この程度のもので、このような評価を受けるという辺りを、大いに笑い飛ばして頂ければよい。

ただ、僕が生きている俳人としてたった一人好きな、齋藤愼爾氏から特選を受けたことが、僕個人の俳句歴の中で大きな感懐としてあることだけは記しておきたい。

夢白し蝶肋間に蛹化せり   唯至

2005/11/09

“JIKININK”鋭意翻訳中

現在、約束した小泉八雲の“JIKININK”を、万を持して、翻訳中である。痺れるほどに愛する平井呈一氏の名訳を振り払うのが最大の難関であるが、とりあえず、これに暫く、専心する。スワン・ネック・ブルーを忘れるために。

(注:拘縮し腕首の曲がらない僕の右手は、白鳥の首にそっくりだ。僕は今、スワンの首と名づけて密かに偏愛している)

「淵藪志異」書籍所収決定

1999年11月の「ダ・ヴィンチ」で、京極夏彦氏の過褒の言葉を頂いた僕の「淵藪志異」の一文(具体的には同「二」のエピソード)が、来春、メディア・ファクトリーから出版される「怪談教室」という書籍に所収されるとの報知を、一昨日受け取った。最早、HPでその全文を公開しており、どうということもないが、やはり、活字になるというのは嬉しくないことでは、ない。その折には、本屋で立ち読みされ、御笑覧下されたい。

浅沼芳郎翁を悼む

今日、浅沼芳郎翁が、本年春、97歳で亡くなった忌中葉書を受け取る。

4月7日、桜の満開の中、突然の、心不全であったと記されていた。

僕はこの方にに会ったことがない。しかし、十数年、年賀状を頂いてきた。

20数年前、僕が教師になった頃、飲み屋で、この方の親戚の方と親しくなった。浅沼氏一族は八丈島の出身であられた。そうして、先祖代々伝わる、漂流記の古文書の解読を、酒飲み話の中で頼まれた。それは「大清国漂流略記」と題されたもので、図書館司書資格取得の講義の中で、たかだか十数時間、古文書解読を学んだだけの、貧困にして、分不相応な知で、僕は安請け合いしてしまった。一夏かけて、崩し字辞典や古文書読解法をひっくり返しながら、強引な力技で活字に起こした。自信等、毛頭の微生物の繊毛ほどもなかった。それでも、格好をつけて、注釈まで施し、古文書解読の専門家に確認して頂くようにと奥書した。

それから、10数年後、この漂流記の主人公の七代後の、この芳郎翁より、往時の解読の感謝状と共に、国立公文書館の正式最終解読を経た、書籍となった「大清国漂流略記」を拝受したのであった。

僕には、大いなる感慨であった。当時の僕の判読資料と引き比べて見ると、恥じ入りたくなるような誤まった判字や、見当違いの注釈で、今なら、もう少し、まともに出来たと、内心忸怩たる部分が多々あったのだが、それでも最初の解読者として、僕の名が記され、過褒な謝辞までがある。

僕は、稚拙無知ながら、熱意を持ってこれに当たった当時の僕を、正直、羨ましく思う。今の、この蒼ざめた僕は、何だ、と正直、思う。

あの時、解読した原稿を渡した、その御礼は、くさやの干物三枚だった。よろしいか、僕は、不服なのではない。その三枚のくさやぐらい生涯、充実、満足して食った食い物はなかったし、今後もないであろうということを、僕は言いたいのである。

浅沼芳郎翁は、天寿を全うされたと言ってよいであろう。お会いしたことがないのに、僕にはその天寿全うの寿ぎの気持ちで、一杯である。

僕は、慶応二年に遭難し、その海上での艱難辛苦、無人島漂着から清への移送や、仲間の死、そして死んだと思った友との再会、最後の帰国に至るまでの詳細を読み解く中で、浅沼という幕末の一人の酒好きの船乗りの男と、漂流という異空間を介しながら、やすやすと一体化し得たのだ。そうして、同時にあの時、僕は、遂にお会いすることのなかった浅沼芳郎翁とも、固く結ばれたのであったのだと、今、心すがしく思えるのである……

人の死を悼みながら、すがしいと言ってはいけないだろうか?

僕は、僕が裏切り、そうしてまた同じように僕を裏切った、今もなお生きるあまたの人々よりも、限りなくこの逢ったことのない浅沼翁とこそ、揺ぎない糸で繋がれているのだという「すがしさ」感じている。

この蒼ざめた飴のように伸びた失意の数ヶ月の中で、唯一の充実した思いを抱いているということを、最後に、記しておく。

停止――兄への日記Ⅰ――   藤森安和

停止――兄への日記Ⅰ――   藤森安和

 通行人が停止し、停留所でない所に、バスが止まり、バスから人が、何やら、慌てた様子で二三人と降りてきた。停止した通行人たちは、何が何やらわからぬままに、だんだんと人垣をつくり始めた。
 私は、何もわからぬままに、首を右に左に回しながら、路上に血でもついていないかと見渡した。何もないままに、私は人垣をわけて、人垣を後にして、去った。

(1960年 荒地出版社刊 藤森安和「十五歳の異常者」より~但し、奥付表示は「15歳の異常者」とある)

詩人と同じように、僕もバスを、降りた。しかし、同じように、誰も僕に、何が起きたかを、決して話してはくれなかった。だから、僕も、人垣を分けて、人垣を後にして、去ることにする。

2005/11/08

せっぷん――兄への日記Ⅱ――   藤森安和

せっぷん   
  ――兄への日記Ⅱ――

 ウインドウの闇に写った顔は、僕の顔ではない。みしらぬ群衆の中の目前を通り過ぎていった、ただの顔。その顔を見る僕の心は生きている。顔。たしかにウインドウの中の顔は僕の顔であるが、僕の顔でない。僕は、僕を見る心だ。
 遠く、春の夜のネオンの街から、淋しき顔がやってくる。僕は淋しき顔にむかって、はやくこいと、手と足と顔でこまねきをした。
 恋人の中の女が笑った。僕も笑った。
 涙が僕の顔に流れた。僕のピエロを笑った、しゅんかんの恋人と失恋に涙を流したのではなく。顔と心とのへだたりをむすぶ、ただ一つの行為をできなかった、なさけない肉体に涙を流した。
 淋しき顔が、僕の眼前で笑い。春のネオンの街に、女の笑い声が消えていった。

「アンソロジーの誘惑」に載せているものだが、今日、1961年の集団就職の映像を見たら、とてつもなく、これをブログに書きたくなった。それだけの、ことだ。今、65歳となった「十五歳の異常者」に、僕は、逢いたい。

2005/11/07

小泉八雲 “JIKININKI” 原文 及び やぶちゃんによる原注の訳及びそれへの補注

「小泉八雲 “JIKININKI” 原文 及び やぶちゃんによる原注の訳及びそれへの補注」を「雨月物語 青頭巾 講義」の最後に別ページ(リンク)で追加した。原注の訳は、先輩の英語教師(既に退職した僕が尊敬できた数少ない同僚)のレクチャーを受けているので、決定的誤認はないと思う。平井呈一氏の名訳を著作権上公開できないのは、残念。それ以外の訳は、僕には心打たぬ。さすれば、いつか拙訳ででも訳は載せたい。

2005/11/06

ある自己拘束

僕は一月ほど前に、ある自己拘束を自身に施したのだが、それは発動されると、実はもう僕の自由にはならないものであり、その点においては、一つのアンガジュマンとしては、アンガジュマンらしいものであろうと思っている。しかし、芥川のラストシーンのように、ある覚悟を持って、東京胞衣会社の荷車を一心に押してもみたいのだが、この右腕は、荷車どころか、ちょっと重い本を支えることも、いや、好きな酒の蓋さえ、開栓できぬのである。

世界を滅ぼす

世界は不完全であり、邪悪だ。僕はそれを批難する。僕は世界を弾劾し、世界を滅ぼす。

トップページ、我ながら(ではないのだが)いい台詞じゃないか。これは、原作のアランの心内語

(やぶちゃんの割注1:この「心内語」という語に代わるものを考えたい。如何にも、坐りの悪い、インク染みた物言いだ)

で、映画には、勿論、ない。映画のアランが、こんなこと言ったら、きっと総スカンだろう。でも、映画のアランも、確かに、そう、考えている。

アランは実行する。「世界」という認識は、「みじめな」自己存在の否定と共に、容易く実現されるものに他ならないからだ。現象としての世界は滅びないが、そんなことはどうでもよいことだ。何故なら、僕らが「世界」と言う時、それは仮象された「まさにみじめな」自己内世界の謂いに他ならないからである。

「世界を滅ぼすなんてできっこない」と言うならば、世界を正しく滅ぼそうじゃないか。かつてのフランスのラ・アグーのような再処理工場でも(そのうち六ヶ所村に出来るさ)、管理不行き届き美事な原発でも、プルトニウムの臨界量を半分にして侵入し、潔く死ぬ覚悟で、

(やぶちゃんの割注2:そう簡単に手に入らない? ネットでタリウムを女子高校生が買えるのに、そんな反論はないだろう。昔、ひ弱な高校教師のジュリーでさえ手に入れて、マンションで精製したじゃない。ちなみに言っておくと、あの「太陽を盗んだ男」は、あんまり馬鹿にしない方がいい。理論は勿論、プラグマテイックにもあれは全く問題がないんだ。それに考証もしっかりしている。あの中の、R回路切断というヤツに類似したシステムは、実際に当時の電電公社のトップシークレット技術として、確かにあったのだ。それどころか、核事故や戦争時の、庶民見殺しのおぞましいマニュアルさえ聞いたぜ。これは当時の電電公社技術幹部を酔っ払わせて聞き出したモノホンの話だ)

(やぶちゃんの割注3:失敗してもプルトニウムを素手で握れば適正確実に遠からずご臨終なのは当然なのだ。僕の若い頃の飲み仲間は、僕の惨めさに比して、大変な人物が多かった。中の一人は、原発の安全性のアセスメントを大手電力会社と共に企画している、僕の親父に近い年齢の誠実な物理屋だったが、酒を飲むと、原発事故など絶対起こらないと豪語し、起こっても万全のケアがなされると吹聴するのがいつもだった。彼は極めて微量でもプルトニウムは致死と言っていた。ちなみに、チェルノブイリ事故のその日に飲み屋で会った。「起きましたね」と僕が穏やかに言った。妙に、力なく「う~ん、やぶさん、僕も起こると、実は思ってたんだよ」と固い笑顔で言ったきり、後を語らなかった)

おもむろにカチッと目の前で、合わせればよい。日本どころか、アジア大半が、それで滅ぼせるぞ。世界を滅ぼすのは、いつでもだれでも、その気さえあれば出来るのだ、非文学的で、とてつもなく面白くないのだろ。

なんだか、僕らしい脱線をした文章だったな。

芥川龍之介 年末の一日

……僕はK君と一しよに電車に乘り、僕だけ一人富士前で下りた。それから東洋文庫にいる或友だちを尋ねた後、日の暮に動坂へ歸り着いた。
 動坂の往來は時刻がらだけに前よりも一層混雜してゐた。が、庚申堂を通り過ぎると、人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきつたまま、爪先ばかり見るやうに風立つた路を歩いて行つた。
 すると墓地裏の八幡坂(はちまんざか)の下に箱車を引いた男が一人、楫棒(かぢぼう)に手をかけて休んでゐた。箱車はちよつと眺めた所、肉屋の車に近いものだつた。が、側へ寄つて見ると、横に廣いあと口(くち)に東京胞衣(えな)會社と書いたものだつた。僕は後から聲をかけた後(のち)、ぐんぐんその車を押してやつた。それは多少押してやるのに穢い氣もしたのに違ひなかつた。しかし力を出すだけでも助かる氣もしたのに違ひなかつた。
 北風は長い坂の上から時々まつ直に吹き下ろして來た。墓地の樹木もその度にさあつと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はかう言ふ薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と鬪ふやうに一心に箱車を押しつづけて行つた。………

酷く疲れてゐる。が、疲れた――憑かれたと言ひつつも、僕としては、同じやうな主人公の「年末の一日」が氣になるのだつた。……矢張り憑かれてゐて、然も、愚かしく公開したのだつた。

雨月物語 青頭巾 本文

遂に肉を吸ひ骨を嘗めて、基、饂飩すすり汁を嘗めつつ、電脳に向かひて、「雨月物語 青頭巾」本文上掲(あつぷ)せり。「講義」従り繋索(りんく)あるべし。再三再四耽り、去年(こぞ)暮にも読みしが、読めども尽きせぬ面白なむ、なかなか新たに魅せらるる。後半展開映像的描画絶妙且凄絶。

今日一日(けふいちじつ)、「青頭巾ちゃん」に憑かれし也。

雨月物語 青頭巾 講義

僕のオリジナル授業の一つ、「雨月物語」の「青頭巾」の授業ノートを暫定公開。過去3度授業してきたが、対象が受験で尻に火が付いている3年生なので、なかなか味わってもらうところまではゆかない。しかし「雨月物語」の「白峯」や「菊花の約」「吉備津の釜」辺りは、仮想の授業ノートを創ろうと考えている。なお、「青頭巾」の原文テクストも、近日中にをアップしたい。

これに僕の現代語訳と最後の八雲作品等の資料を今後、追加する。

2005/11/05

芥川龍之介 沼地

もともと好きな作品だし、昨日から考えていたことと、関わるので、「蜜柑」ともともと一体であった、芥川龍之介の「沼地」を同所に置いた。底本は岩波版旧全集。出来る事なら、デユシャンの「薬局」を「沼地」に飾りたいところなんだが……。画像が見当たらない。

トリエンナーレとかやっている。それはよい。

ニュースのテロップは「美しいだけが芸術じゃない」。それもいいだろう。

しかし、覚悟はあるか?

マルセル・デュシャンは、既製品の男性用小便器を「泉」と題して、アンデパンダンに出品して、拒否されたなんてえのは、高校生だって知ってるわな。僕は、あれが新品だったのが、少々惜しい。デュシャンか、それよりも「R.MUTT」のモデルとされる女性が一度、すばりしたものを出品していたら、よかったと思うのだが。

イヴ・クラインは、消防士の格好で火炎放射器を持って美術館に行き、キャンバスを焼こうとして、丁重に館に断られたし、女性モデルによる人拓なんかとっくにやってた。何より、飛ぶというパフォーマンスで、二階から胸を張って跳躍するクライン! 最高だね! あの写真は、大好きさ! その後落下して、しっかり両足を骨折したのも、マイウ!

先日は、中国系の作家が、死んだ胎児の実物標本に天使の羽をつけた作品が物議を呼んだが。

昔、山海塾の公演で、ホリゾントに冷凍マグロの尾鰭を沢山貼り付けたのがあったが、照明で解凍されて、場内はえも言われぬ臭いに満ちたなんていうのは素晴らしいじゃない!

さても、聞きたいのだ、あんなあまちょろい「地球にやさしい」風の乗りで、芸術の自由を言うなら、僕が、スカトロジスムではなくて、あなたの前で糞をし、放尿し、マスターベーションを繰り替えすことで「生」の有様をパフォーマンスしたいと言って、やっていいのだね?

いや、やるべきなのだよ。本当に。「美しいものだけが芸術じゃない」んだから。臭い、おぞましい、汚い、猥雑、腕が折れる、人が死ぬ……かも知れないパフォーマンス、それも「生」に肉薄した芸術なのだ。祭りの死者が、晴れにとって必要であったのと全く同じだ。

そもそもパフォーマンスを気取ってる連中達も、僕には退屈だ。だって、戦前のパリで、ダダの連中が、みんなやっちまったことじゃあないか。知らないと思うなよ、見飽きた退屈な奴は、沢山、いるんだよ。もっと、覚悟しろよ。

そう言えば、自分の生理の血で、作品を描いている海外の女性画家の絵をネットで見た。彼女の絵を、是非、ちゃんと美術館で展覧してみよう。実作ルームも付けてたらどうだ。実際、絵そのものの才能は、残念乍ら、僕は感じないし、見たくもないが、しかしそれも全的な意味に於いて差異区別なき芸術として理解しなくては、真に「芸術」を語る資格はないと、僕は思う。

デュシャンが生前、密かに愛していた女性彫刻家、美術館に置かれた「大ガラス」を通して、その人の作品が見えるなんざ、公共世界の私物化! 憎い限りだったけど、彼女に残した油絵をFBIが成分分析したら、デュシャンの精液が混入されていたなんて、やっぱり独身者の機械は、違うぜ!!!

芥川龍之介 蜜柑

芥川の中でも、僕が偏愛し、恐らく最も朗読し甲斐のある「蜜柑」。Web上では、正字歴史的仮名遣版は公開されていないので、「やぶちゃんの電子テクスト:小説篇」に置いた。底本は岩波版旧全集。

ダルなモノクロームから、スローモション、そして鮮やかなオレンジのクロースアップ、一瞬に転換するラストシーン……主人公の鼻の先だけ暮れ残る残照、僕には、「年末の一日」以上に、この小品が、何故か芥川の晩年のイメージにあるのが不思議だ。勿論、この作はずっと若い折、結婚直後、28歳、海軍機関学校時代の経験(「新潮」発表時は、「沼地」と共に「私の出遇つた事」という題であった)であるが。

鎌倉を離れたのは、我が人生の一生の不覚であったと芥川が語った、文との新婚の頃の体験である。

ちなみに、僕の実家は鎌倉の大町にあり、横須賀線の直ぐ脇なのだが、その庭から見える目と鼻の先に、芥川の新婚時代の家はあった。

二人目のアリスの予感

二人目のアリスがやってくる予感がする。勿論、ビーグル。

死病罹患願望

誰にも、自己の病は最上のブイヤベースなのだ。何故なら、如何せん、他人の病を試食することはできないからだ。だから、「こゝろ」の先生も、死病に罹りたい等とほざきやがる、ということだ。あれは、上の先生の言葉の中でも、いっとういやな台詞だと、言っておこう、何故なら、如何にも僕が、言いそうな言葉だから。

2005/11/04

Archie Shepp Trouble in Mind

MDは胡散臭い。しかし、手頃に聴くには、最早、これしかない。チンケなMDレコーダーと接続して、レコードを録音するために、超重量のオーディオ・システムをいじる。ハンドライトで照らす背面のジャックの表示が、老眼には見えにくい。こんなことやったの、何年ぶりだろう。不自由な右腕には、ちょいと重労働だが……

最近、レコードを聴かなくなった。そのうちに、黴、黴、黴が生え(竹竹竹ならぬ蟲蟲蟲ならぬ)、膨大なパウエルもドルフィーも捨てられる運命なのかも知れない、それも、また、僕の魂の副葬品だ……

ふと、シェップとホーレス・パーラン(p)のデュオが、無性に聴きたくなったのだ。思う存分。多分、こいつは国産CDはない。ドナウゲッチンゲンのシェップ好きには、見放されるアルバムか。あれも、随分、いい……しかし、ジャケットのどハデな衣装、プレイもプリプリの怪演だ……

今の僕には、こいつが、染み入る演奏だ。いぶしていぶしてギンギン銀色のパーランに、シェップ竹取爺の抑えに抑えた(でもやっぱブロウの果てはシェップなんだよね、これが)演奏、何ぞ人生なんてどうでもよくなった、酔いに酔った折には、きっと、これを聴きたくなるもんだ。君も、騙されたと思って、聴いてみると、いい……

みんな、いいが、やっぱり、次の二曲

Nobody Knows You When You're Down and Out……

St. James Infirmary……

書斎で手軽にMDで聴くが、これはやっぱりイージーだ。でも、居間のカウチでぐっすりの妻の横で聴くジャズっていうとは、ムードブチ壊れだし……

じゃあな、また一杯(いや、もう書き加えているうちに五杯目だ)、いただくよ……拘縮してカチカチの右手には、沁みるぜ……

Archie Shepp ……Trouble in Mind……

2005/11/03

道 村上昭夫

道   村上昭夫 

私の歩く道は淋しいと
あなたは淋しそうにそう言う
私がそこを来たからだ

私がうつむいて歩いて行くと
遠いセロが聞こえてくる
私が立ち止まって考えこむと
セロが世界を作ってくる

私がどうかすると
あなたより一匹の犬を見つめてしまう
私がそれを愛して来たからだ

だのにこれから先も
私にひとりで行けとあなたは淋しそうに言う
ひとりとぼとぼと
見えなくなって行ってくれればいいと言う
私が其処を行くからだ

表題詩句を交換し、この詩が消えるのは惜しい。ブログに残しておく。

保護者面談

今週は、保護者面談中であり……。みんな、僕とそう変わらない年齢の方々でありながら、僕は何だか緊張が解けず……。先日、あるお母様が、お子さんに聞いて、僕のHPをご覧になっており……。「お気に入り」に入れていらっしゃるなどという保護者の方もいると最近聞いてはいたのですが……。さて、面談の最後に、HPの様子から、これはよほど難しい人だろうと思っていましたと言われ……。これは恐らく変人と言うニュアンスで……。ということは、その方には、実物は結構、ソフトに映じたということで……。まずはちょっと気持ちが落ち着いたように思われ……。(「北の国から」純くん風独白)

ヤフーメール遮断の事

2ヶ月ほど前から、スパムメールを遮断するために、ヤフーからのメールはドメインで遮断している。万一、ヤフーでメールを送って拒否された方、ヤフー以外か携帯等からお送り頂きたい。ちなみに、かつて、日に10通近く来ていたスパム/迷惑メールは、ヤフーを遮断した上、題名や差出人その他に80項目を超えるブロック条件を設定して以来、一週間に2、3通となった。このブロック条件、題名の単語頻度等を調べ、単語の設定の検討等、やりだすと結構、はまるかも。

息子再会

昨夜、劉君と再会。少し痩せたね、しかし元気そうで何よりだ。昨年、勤続25年表彰で貰った万年筆を彼にプレゼントした。

2005/11/01

芥川龍之介「藪の中」/指夢

申し立てた通り、芥川龍之介「藪の中」(旧字旧仮名)を「やぶちゃんの電子テクスト:小説篇」にアップ。

昨日の夢:

或る女が僕にこれを握っていなさいと言う。

それはその女性の、差し出された右手の、人差し指と中指なのだ。

僕は、最後の望みのように、不自由な右手でその二本の指を握るのだが……

気づくと、彼女は、笑いながら遠く去ってゆく……振り返る笑顔が見える……

はっと見た僕の掌の中には、「生きた」二つの指が、なまめかしくずっと蠢き続けているのだった……

注:僕の右手の深刻な拘縮は、主に人差し指と中指にある。

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