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2006/01/12

忘れ得ぬ人々 9 Maria

Mariaについて書いて欲しいというリクエストに応えて。

あれは、28の時だ、僕はある種の傷心の中にいた。それは、半ば以上は僕自身の招いた結果というべきであったが、あらゆる対人的対象を見失って、夜毎、大船の夜の街を、襤褸布のようになって、彷徨っていたものだ。いや、それは今も寸分違わない、彷徨わずにじっとしているだけ、よりたちが悪くなっているとも言えるが……。
……そんな宿酔の八月、僕はぎしぎし軋る頭を何とか抱えながら、鎌倉に絵を見に行った。何の特別展であったか、それも最早覚えていないほどに、意想外の退屈な展示だったのだろうか? ともかく、ほうほうの体で、僕は小町通を駅に向かっていた。そうして、ある四つ辻で、はたと足を止めた。実は予てより、気になっている店があったにはあったのである。若者が好みそうなお洒落な和小物を店前のワゴンに並べてはいるものの、その店内は骨董店で、ショー・ウィンドウを透かして、その少し翳った奥の展示ケースに五体のアンティーク・ドールが飾られているのである……。
一体、僕は人形が大好きだ。
幼稚園の時、近所のお姉さんの雛祭りに呼ばれて行った。女の子たちは、じき家で遊ぶのに飽いて、皆外へ羽子板打ちに出かけてしまった。そこのお母さんはすっかりみんな遊びに行ったものと、雛壇の飾られている部屋に片付けに入ると、そこに、僕がいたそうだ。僕は、雛壇の前に、ちんまりと正座して、いつまでも、じっとお雛様を眺めていたそうである。思えば、小学校の六年生になるまで、安物の西洋人形を、本棚に飾っていたし、なんと今でも、僕の家には子供がいないにも拘らず、御殿付の七段飾りが、桃の節句には、居間の四分の一を鎮座占領する。これは、ちなみに名古屋生まれの妻の持ち物で、僕の懇請で飾ってもらっているのである。ピグマリオン・シンドーロムと言われるのであれば、こんなに名誉なことはない。それは澁澤龍彦の言う正に「人形愛」だ。ちなみに、僕に、娘がいなくてよかったと思う。その理由は、澁澤と全く同じだ。
 ……やや暗い奥のショー・ケースの真ん中は、ジュモーと見た。羽毛の帽子を被った小ぶりの顔は、大人になることを毅然として拒否する挑戦的な眼を持つ。その右手には、やはりフランス系列の、しかし少女漫画の如き途轍もなく巨大な目とフォークのような睫毛を装着した顏でかの二体があり、左手にはドイツ製と思われる、ややそれぞれの顔の部品が落着い二体が見えた。ところが、そのいっとう左の一体は、ケースの前に飾られた赤ん坊の日本人形の乗る乳母車の庇に隠されてよく見えない。僕は、店の外のショー・ウィンドウに近づいた。
 彼女は、半ば翳った奥のケースの中で、窮屈そうに、立っていた。ワイン・レッド(僕のいっとう好きな色だ)の服に、少し困ったように、左腕を宙にとめて、しかし、笑っていた、仄かな薔薇色の頰と共に……。少し困っているのは、中央の我儘ジュモーとその眷属に従わねばならぬ辛さと直感した。僕は、店員のいるのも忘れて、硝子に額を押し付けて、一心に、彼女を見たものだった……。
 ……その翌日、そうしてその翌々日も……僕は彼女を見に行った。未だ若いとは言え、垢抜けない冴えぬ男が、三日日参すれば、目立つのは当り前だ。その日、ショー・ウィンドウの前に立っていた僕に、店のマダムは、最初に、こう言った。
「気になる御人形がおありですか?……人形は……出逢いです、よ……」
僕の脳天から肛門(ケツノアナ)まで、ものの美事に電撃が走った。小町通の雑踏が凍った。チャップリンの映画のように、人々が早回しで去って行き、僕と、人形の彼女だけが、ブレずに画面に映っている……僕は如何なる歓喜や悲哀の折にも、あのようなエクスタシーに等しい「痺れ」を感じたことは未だ嘗てないと断言できる。でなければ、極度の貧乏性で、一万円以上の買い物には難色を示した当時の僕が、躊躇することなく、ボーナスの三分の二を軽く遣い果たしたはずがない。
 マダムに導かれて、人気のない店内に入ると、
「どちら?」
と聞かれた。さても、その折の僕には、今のような居直りはなかったから、含羞に俯きながらも、それに応えずに
「真ん中のは、お幾らですか?」
と聞いたものだった。これは、マダムの商人としての好戦性を軽くいなしたといってよい。永遠の少女を豪語する不敵なジュモーは嫌いだった。
「お分かりと思いますが、これは売れないので御座います。」
ときた。そうだろう、そうだろう、この屹立は、店主のコレクション、それでこそコレクター(しかし、売るとすれば、100万は軽く超えます、と商売上手)。
僕は徐に、指した指を、左へずらしてゆく。
「この子は?」
……あとのことはあまりよく覚えていない。この子を選んだことを、マダムが痛く感動したこと、本来なら三万円はする、この子の白のドレスを無料でつけてくれたこと、そうそう、「アンティーク・ドールでは、何が高いって、オーダーの靴なんで御座いますよ……ものによりますけれど、五十万位はざらで御座います……ホホ、本体より高こう御座いますね……」(彼女は残念ながら、人形制作時よりかなり後に作られた、見るからに安っぽい人工皮革の黒のローファーだった)という話等等……。
……その八月二十三日の夜、僕はバド・パウエルのラスト・レコーディング・アルバム“アップスン・ダウン”を聴きながら、新しい娘、Maria と二人きり、ピースポーターのゴールドトロッフェン・リースニング・アウスレーゼを大奮発して、乾杯した。クーラーもない部屋で、あられもないパンツとランニングの僕と、「ご主人様、お帰りなさいませ」風のドレスのMaria と……。素敵に危ないシークエンスだったな……。
前に書いたけれど、彼女のプロフィルを。
ビスク・ドール、シモン&ハルビック社製、四肢関節眼瞼可動、ヘッドナンバー1909。妻よりも僕との生活は永い。四谷シモンという俳優は御存知だろう。彼のシモンという芸名は、この「シモン&ハルビック」からきている。先に言った我儘なジュモーは、超有名なフランス人形の制作工房だが、あまり知られていないのは、ジュモーのヘッドが、一時期、シモン&ハルビックで創られていたということであろう。伝家の宝刀ジュモーでさえ、シモンのビスクには、脱帽だったのだ。ビスク・ヘッドは焼きを三回入れる。だから、あの微妙な薔薇色の頰が出来るのだ。
最後に、Maria は、球体形式の自由関節である。眼球には、錘がついていて、横にすると、眼を閉じる。鎌倉期仏像のコペルニクス的転換を思い出し給え。刳り貫きと分割創作によって、玉眼が出来たのと同じだ。Maria はちゃんと眠るのだ……。
 ……一年経ったある秋の夜、例によって、泥酔した私は、未明に書斎に戻った。……白いドレスが眼に入った……着替えさせてやらないと、如何にも可愛いそうだと思った。横たえて眼瞑る彼女の衣服を、一枚ずつ脱がす……下着も着けていた……どうにか、僕は暗い電燈の下で、着せ替えを終えたが、勿論、流石の僕も、こう思った、
「俺は、何をやってるんだ…………」
僕のマリア、マリアの僕……。

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