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2006/02/28

芥川龍之介 玄鶴山房

満を持して、芥川龍之介の「玄鶴山房」を公開する。満を持して?――僕が最も芥川の作品中、真に絶望的で猥雑で露悪的で故にこそ好きな作品だからとだけは、言っておこう。

識者はエンディングのリイプクネヒトに新時代の光を読んだりするが、僕には「新時代」のインキ臭さ、芥川が内心、予兆し、美事に当たったプロレタリア文学の勃興と崩壊、そうして続く「近代文学」の不毛の荒野以外に、感じない。見え透いたかすかなロマン的望みは、大いなる現実的実在への冷徹な眼によって絶望を見据えている。しかし、この作は、芥川私生活の赤裸々な寓話でもある。校正しながら、今更に、玄鶴の部屋の病褥の饐えた匀(五章のラスト、己が行為を武夫に見つかるシーンは僕自身、是非演じてみたい欲求にかられるところだ)と、若き日のシモーヌ・シニョレに演じさせたい甲野に、慄とするほど吐気と色気を覚えて、美事に、痺れたものだ。

2006/02/26

芥川龍之介 寫生論/發句私見/庭

OCR導入記念に、芥川龍之介の「寫生論」「發句私見」「庭」をアップした。

金城哲夫忌またはウルトラマン追悼

今日は金城哲夫の亡くなった日だ。以下は、5年前の修学旅行の文集に寄稿した僕の文章である。以前にアップしたものだが、再度、今日アップしたい。あの不死身のはずのウルトラマンは沖繩出身で、本土の架け橋になる夢を懐きながら、それを成しえない焦りと苦悩の中、アル中になり、滑って頭を打って惨めに死んだのだということを、あなたは知っていますか……。

サンゴ礁のウルトラの虹(二〇〇〇年一月三〇日稿)

〈早朝の羽田で〉
 ああ、僕も沖縄は初めてさ! どこに行きたいか? うん、ある人の墓参りができたらいいなあ。誰かって? 君も、日本初の本格的テレビ特撮ドラマのウルトラシリーズ、ウルトラマンやウルトラセブンの名前ぐらいは知っているだろう。じゃあ、まずは、その彼の書いた「ウルトラセブン」の第42話「ノンマルトの使者」のストーリーを話そうか。
   ***
 海底開発センターの船上基地の試運転。その近くの海辺で休暇を楽しむウルトラ警備隊のダンとアンヌ隊員。彼女のそばに一人の少年が立ち、すぐにあの開発をやめないと大変なことになると告げる。そして言葉通り、基地は爆発炎上。真一と名乗る少年はその後も現れ、執拗に「海底はノンマルトのものなんだ」と語る。
 その時、内心一人疑問を感じるウルトラセブンことダン。『ノンマルト! 僕の故郷のM78星雲では、地球人のことをノンマルトと呼んでいる。』このノンマルトこそが本当の地球人ではないのだろうか?
 アンヌが再会した真一少年は言う。ノンマルトは人類より以前にいた先住民族=本当の地球人だった。実は今の地球人は、このノンマルトを海底に追いやった侵略者だったのだと。
 さらに、奇怪な海難事故が続き、地球防衛軍とウルトラ警備隊は、ノンマルトを地球人の安全を脅かす敵として、殲滅を決意する。対決する真一少年とダン。真一少年は叫ぶ。「ノンマルトは悪くない! 人間がいけないんだ! ノンマルトは、人間より強くないんだ! 攻撃をやめて!」と。今まで宇宙の侵略者の魔の手から弱き地球人を守ってきたウルトラセブンにとって、これは大いなる自己矛盾である。しかし、ダンはその自己撞着を振り切るように言い放つ。「真一君! 僕は闘わなければならないんだ!」。かくてセブンに変身し、怪獣ガイロスを倒す。
 一方、潜水艦ハイドランジャーのキリヤマ隊長はノンマルトの海底都市を発見。その内心の声、『我々人間より先に地球人がいたなんて……そんなバカな…やっぱり攻撃だ。』。一瞬の躊躇も空しく、ノンマルトの都市は完全に粉砕され、笑みさえ浮かべて隊長は快哉する。「我々の勝利だ! 海底も我々のものだ!」。再び開発の邪魔をする者はいないだろう、と。
 海岸のダンとアンヌ。「人間こそ侵略者なんだ!」と叫び、走り去る真一少年。岩陰へ回ると、そこには少年の墓標が。海を見るダン。「真一君は、霊となって、ノンマルトの使者として、地上に現れていたのだ」。ノンマルトは本当に地球の原住民だったのか? だとしたら、僕(セブン)は人間という侵略者の協力をしていることになる……ダンの心は苦い。[1968年7月21日TBS放映]
   ***
 私達が訪れた沖縄。その地の人々は、アイヌ民族と共に、本来の日本人=先住民族(縄文人)の系統を残している人々なんだ。
 沖縄の主要な産物は海からもたらされた。漁師でなくても、人々は文字通り海人(ウミンチュ)だった。そこでは海と死者の関係も深い。バスからも見えた、古典的な墳墓を思い出してごらん。人々は死ぬとそのまま安置され、自然に腐るのを待つ。しばらくすると海の水で綺麗に洗い(洗骨)、祖先の霊の仲間入りを許される。女性の子宮の形をした墳墓の入り口は海に面している。母体に回帰して再生した魂(マブイ)は、海の彼方にある楽土ニライカナイへと旅立って行くんだ(但し、現在は火葬が主で、完全な形態は一部の離島のみにしか残されていない)。海岸で、南洋の木の実や不思議な漂着物を見たよね。時には漂流してきた異人もやってきた。人々にとってそれはニライカナイからの贈り物・使者だったんだ。私はこうした沖縄の古い信仰は、私達が失ってはいけない最も美しい部分だと思っているんだ。
 首里城の資料はちゃんと見たかい? 特に琉球王国が長い間、薩摩藩の不当非道な侵略支配を受けて来たことを。
 そして、息が詰まる思いだったよね、あの資料館の圧倒的な「生」の証言集。鮮烈にイメージされるその修羅場としての海岸……祖霊達の神聖な亀甲墓は破壊され、人々が彼方に楽園を想像した美しい海岸線は、艦砲射撃によって原形を留めぬほどに粉砕された。永い米軍占領の時代。国際正義を振りかざすアメリカはベトナムにとって侵略者であったし、その爆撃機は沖縄から飛び立った。
 1972年5月、沖縄は本土に復帰した。しかし、それは新たな「侵略」の始まりだったのではないか? 本土の資本は、観光資本としての沖縄に飛びつく。 その結果は、何だったか? 開発の名の下に本島の美しいサンゴ礁はほとんど失われてしまったのだ。そして、社会は? 経済は? 進学率全国最低、失業率全国最高、これを長く背負ってきたのはどこの県か知っていますか? 
 あの海洋学習で説明してくれた若い沖縄出身の誠実な青年に、僕は質問した。「本土に復帰してからサンゴ礁の破壊は進んだのですよね? 」。あの彼の優しい目がその時、さっと変わった。「世界的にサンゴ礁の白化現象は起こっています。必ずしも、人為的な汚染によるものではありません。」ときっぱりと語ったのだ。確かに生態学的にはその通りなんだ。サンゴが共生藻(ゾーザンテラといい、光合成によって、サンゴに栄養を補給している)を失い、死滅していく現象はこのところ世界的に見られる。実は、汚染とはレベルの違う遺伝子レベルでの時間的現象とも考えられているのだ。でも、待ってくれ。あの時、僕達は、赤土学習で米軍基地や造成事業で海が汚染されるというのを、ひどい雨の中、学んだばかりではなかったのか? グラスボートで見たのだって、あれは、イノー(サンゴ礁の内側)の殲滅されたのサンゴの死骸だったじゃないか。
 でも、僕は彼の気持ちが分かるように思える。彼にとって、復帰が最悪の状況を引き起こしたんだというような単純な論理は、沖縄の人々の本土復帰という血の出るような悲願を、少しも理解しない考え方だったからなのではないかと感じたから。
   *** 
 ウルトラシリーズは確かにジャリ(子供)番組さ。しかし、こうした意味深な順序で説明したとき、一見、他愛もない「ノンマルトの使者」の映像の向こう側にもう一つの沖縄が見えて来ないか? 
 これを書いたのは、「ウルトラQ」「マン」「セブン」の基本設定を創案し、全体を統括したメインライターとして活躍した金城哲夫という沖縄の人なのだ。
 20代半ばの彼の母親は1945年3月、沖縄戦で片足を失った。その数日前に哲夫は小学校に入学するはずだった。それから三日後、嘉手納方面に米軍が上陸、条件の悪い糸数壕(僕達が見たあの壕だ!)への移動は死を意味すると考えた祖父の判断が幸いした。降伏。彼は生きた。   
 戦後、本土の玉川学園高等部へ入学。たまたまシナリオを書いていた同校の国語教諭の薫陶を受け、脚本家デビュー、僕にとって忘れられないウルトラシリーズを生み出すことになるのだ。
 僕が小学校2年生の時に見た「ウルトラQ」の感動は言葉に言い表せない。特に彼の脚本になる、「宇宙からの贈り物」[第3話 1966年1月16日放映]の最後のナレーション(大学生!だった石坂浩二のアルバイトなんだな、これが)は印象的だ。火星人が送ったらしきナメクジ状生物(形通り塩に弱い)で、一匹目は海に落ちて死ぬが、二匹目が偶然、巨大化。その巨大な目のアップと共に。「無限にある海水がこのドラマを締めくくってくれるに違いない。だが、地球上での政治的実権を握るための宇宙開発の競争が行われる限り、第2の宇宙からの、贈り物が届くに違いない。それは多分海水を飲んで、ますます巨大になり、強靭になる恐るべき怪物に違いない。」。いいだろ? バラ色未来論的高度経済成長期の真っ只中だよ! もっともっといいのもあるんだぜ! そうそう、最近リバイバルの、ファンタジーの走りのブースカだって、その初期設定は彼なんだ(但し、ウルトラシリーズの特撮に金がかかり過ぎ、その赤字を埋めるための経済的な苦肉の策なんだけどね)。
 しかし、彼はセブンを最後に、復帰直前の沖縄に帰る。自分の故郷の現実に向き合うために。その後、1975年の海洋博のメインのセレモニー・プロデュースを引 き受ける。自作の沖縄芝居も書いた。基地問題にも彼なりの切り口で向き合った。だが、海洋博の会場周辺は閉幕直前からゴーストタウンのように人は来なかった。芝居はウチナーグチに心が籠もっていないと今一つ不評。米軍基地を減らすために自衛隊の基地移行もそれなりにいいのではと発言した彼には抗議が殺到した。しかし彼はずっと信じていた。自分がヤマトとウチナーの懸け橋になれる、ならねばならないのだと。すべての仕事は、そのためだったのに。
 1976年2月26日早暁、酔って、閉まった自分の書斎に窓から入ろうとして頭を打ち、亡くなった。まだ37歳だった。それを笑うかい? 気になるって? だったら、いつでも僕と話そうよ! 話したいことは、百年分ぐらいあるんだ!
   ***
〈羽田へ向かう飛行機で〉                                   
 やあ! いや、墓参りは出来なかった。でもね、今朝、あのホテルの前の浜辺を歩いたんだ。相変わらず波は高かったんだが、ちょうどあのリーフの外の中央から虹が出ていたんだ。七色がくっきりと見えるんだ、美しかった! 天気の悪い四日間だったけれど、僕には、金城哲夫が、『まだまだだめだな、もうちょっと分かったら、また来いよ、おまえが考えてるより沖縄はもっと美しいんだ』と、語りかけてくれたような気がした。うん? 悪かったね。夜は巡回が厳しくて。しかし、見つかる君たちが、馬鹿だよ、間違えて教員の部屋をノックしたり、僕のノックをお友達のノックと間違えて、にっこり笑って気持ち良く開けるようじゃね。
 でもね、そんな僕にさえ忘れられない、いい旅だったんだ……。
                      
 『……初期の怪獣特撮ものでは、無用の殺戮描写はひとつもなかった。金城哲夫の山田洋次への憧れは“無力な人間たちが肩を寄せ合って、親密な人間を守ろう”とする作劇にはっきりとあらわれていた。勝つというパターンの中で、ウルトラマンは怪獣たちをやさしく宇宙空間に戻していたのである。それが金城哲夫の無邪気なやさしさでもあった。
ウルトラマン。本籍地。沖縄。
やはり、私は、こう記入したい。』(実相寺昭雄「ウルトラマンを作った男」より)

芥川龍之介 動物園

芥川龍之介の「動物園」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開した。これには、変わった趣向を設けた。高校生が読書会をこれで開くという。彼等には、正字正仮名は厳しい。そこで、今回は、正字正仮名版の後にやぶちゃんの加工版を追加してある。高校生が読んだ時、つまづくであろう所はほぼサポートしたつもりである。

2006/02/24

今日一番嬉しかったこと

偶々、2分前に覗いた元教え子のブログ日記。彼の友人から回ったバトンの一節。

『最近一番嬉しかったことは?』

やぶ先生が、檸檬の授業ノートをくれたこと。
どっぷり梶井週間だ。

これが、僕が自分のHPに望んでいたことだった。夢は現実となった。

それでよい それでよい(黒澤の「赤ひげ」最後の方の笠智衆の台詞の口調で)

2006/02/23

漢字バトン

気まぐれで、元教え子たち勢揃いのミクシィのバトンをやってみようと思う。

■好きな漢字は?

「虚」……虚数・虚偽・空虚・虚脱・虚妄……どれもマイナーでありながらどこかピカレスクなロマンに満ちているではないか!?

■前の人が答えた漢字に対する自分の持つイメージは?

前の人の挙げた漢字は「文」「人」「言」

「文」……「語るに落ちた」という語がある。言い得て妙だ。所詮、「文は人なり」だ、即ち愚劣なお目出度く救い難い人間の表象。

「人」……うしろすがたの時雨れて行くか

「言」……僕は少女の楽しそうな話を、その内容をまるで聴くことなく、しかしその、唇のしなやかな動きをのみ楽しんで眺めていたことが、ある。

■次に回す漢字三つ

「狂」「孤」「黙」……教え子達よ、思い出せるか? 漢字テストにはいつも、範囲の中のくらーい漢字ばかりが出ていたのを。

■大切にしたい漢字

「心」……「しのまき」さんと同じ。このたった四画字を書くとき、でも、いつもバランスが気になるのである。

■漢字のことをどう思う?

旧字=正字。新字=誤字。ワープロの御意次第漢字=嘘字。2005/09/29「伊東靜雄 春のいそぎ 『反響』以後」のブログで語ったように、「虫」は「蟲」でなくてはいけない。「うつ」は「鬱」であってこそ鬱陶しいのである。

■好きな四字熟語を三つ。

「以心伝心」……聞くところによると、最初に浮かぶものは自身の対人間関係を示すものだそうだ。擬似心理学の糞だな。
「支離滅裂」……聞くところによると、二度目に浮かぶものは自身の恋愛関係を示すものだそうだ。しかし、これを隠して友達にやってみるべし。酒席の大笑いは間違いなし。面白いぞ。ちなみに、授業でやったら、ある男子生徒は、苦しんだ末に、二度目にやぶちゃんの本名(確かに四文字ではあるが)を答えた!? 複雑な思いであった。
「会者定離」(えしゃじょうり)……言うまでもない。君と僕。僕と貴女。貴女と君……

■次に回す7人とその人をイメージする漢字

彼女の名誉の為にまず注記。
このバトンを僕がやったら面白いと思ったと、元教え子の「しのまき」さんがミクシィの日記のこの最後の部分にに書かれていたのを、偶然覗いたのであって、彼女は僕にバトンを回した訳ではない。勿論、彼女から見るように指示された訳でもない。だから純粋に面白い、やろうと思ったのである。僕の気まぐれに過ぎないのだ。しかし、そこで彼女は次のように言っている。
『やぶさんのイメージは「狂」です。なんとなくですが・・・(´Д`υ)』
皮肉ではなく、これは僕には、何よりの褒め言葉である。僕は気がつけば、ひたすら「狂」でありたかったのかも知れない……

バトンはかつての「幸福の手紙」や「不幸の手紙」を感じさせるものがあるので、この最後の支持には従い難いのだが、これといった有害さはこのバトンには感じないし、一度ぐらいやってみるのもいいだろう。無視することも自由だから。ミクシィの教え子から、選ぼう。餌食はランダムだ。選んだことを怨むな。選ばれなかったことにホッとするな。

ふいやん⇒「透」
オノカナ⇒「潔」
kid⇒「規」
ミコ⇒「遙」
もんじゃ奉行⇒「炸」
すゆう⇒「澄」
よ~すけ⇒「慮」

元教え子から最近ブログの更新がないとお叱りを頂いた。

でも、そんなにみんな、この我儘ブログ、読んでないと思うんだけど……でも、はい、嬉しかったです!

2006/02/15

怪談の学校

僕の怪談が載る本が、折りしも誕生日の今日、届いた。

メディアファクトリー刊 京極夏彦他編「怪談の学校」  ¥1,200

(『幽』編集長東雅夫の幻妖ブックブログより)

6年も前に「ダ・ヴィンチ」に掲載されたもので、HPでも公開しているものの一つ。買うのはもったいない。本屋で立ち読みでもしてくれ給え。82ページに載っている。

49歳

数えで50だ。繰返す。僕という存在は、確かに失敗だった。されど、

「人生五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻のごとくなり ひとたびこの世に生を受け 滅せぬものの あるべきか」(幸若舞 敦盛)

であり、

「私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。(中略)
 時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が來ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく讀者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの圖書館に、たつた一册殘つた儘、無殘な紙魚の餌となつて、文字さへ讀めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。しかし――
 私はしかしと思ふ。
 しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを讀むと云ふ事がないであらうか。更に蟲の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未來の讀者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。
 私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。
 けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に當つて、私の作品集を手にすべき一人の讀者のある事を。さうしてその讀者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃氣樓のある事を。
 私は私の愚を嗤笑すべき賢達の士のあるのを心得てゐる。が、私自身と雖も、私の愚を笑ふ點にかけては、敢て人後に落ちやうとは思つてゐない。唯、私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に戀々たる私自身の意氣地なさを憐れまずにはゐられないのである。或は私自身と共に意氣地ない一般人間をも憐れまずにはゐられないのである。」(芥川龍之介 後世 注釈及び全文は「やぶちゃんの電子テクスト 小説・随筆篇」の「後世」へ)

である。僕という一冊の乱丁の多いゾッキ本であっても。

2006/02/14

忘れ得ぬ人々 10 今日の少年

歩いていると、小学生の一団と一緒になった。三人が前を歩いていて、少し遅れた独りが寂しそうに後をついていた。前の三人の真ん中は、値の張るダウンジャケットに身を包んだ生意気な小太りのガキらしく、如何にもえげつない笑い声を上げながら、「ひろこだろ、まゆだろ……」。女の子の名前を声高に喋っている。今日、チョコレートをもらえる女の子の名か……。ふと、横を見ると、その遅れて歩いている、薄手のセーターを着た子は、両手をポケットに突っ込みながら、路上の石ころを、ぽんと蹴ったのだった……僕は、その時、この少年に無性にチョコレートを上げたくなったのだ……。

2006/02/12

注記とは何か

教科書の本文の脚注や頭注、傍注の注記が毒にも薬にもならぬ、唾棄すべきつまらぬものであることは、誰よりも生徒が知っている。僕は、教科書会社に長年に亙って難癖をつけてきた。もっと面白い、解釈のヒントになる注記を付けよ、と。しかし一介の無名の国語教師では、それが教科書に反映されることはめったになかった。文中に登場する歴史的人物や専門用語に、ちっちゃな辞書にも及ばない退屈平板な注記を付けて何になる。一番の噴飯ものは差別語注記だ。あんなものは、授業で教師が何故に今はこれが差別語であるかを縷々解説してこそ、差別認識変革の意義が生まれる。更には、NHKじゃあるまいし、商標までイニシャルにする等は、原作への冒瀆だ。高校教科書の定番、芥川龍之介の「羅生門」の老婆の「おしのように執拗く黙っている。」の「おし」の注記を見よ。原民喜の「夏の花」の「ライオン歯磨の大きな立看板」は何と「R歯磨」にすり変えられていることを君達は知っているか。

そもそも注釈とは、評論である。そこには当然、注釈者の恣意が現れる。どんな客観的事実を記載したのだと思っても、その客観的事実の「すべて」を記載することなど不可能である以上、それが例え、登場人物の生没年と職業に止まる記載であったとしても、恣意であることそのものからは免れることはできないのだ。だとすれば、注記を施す者は、自身の正しいと信ずるところの注記を、責任を認識した自覚と覚悟を持って、鮮やかに周到に付けねばならぬ。オール・オア・ナッシング、付けるか付けないか、付けるのならば、マニアックに付けてこそ、注記としての効果を発揮する。過剰である、偏向であると指弾されることを恐れてはいけない。注記者は評論者である所以だ。その注記を選び取るか、無視するかは読者の自由なのだ。教科書であっても、それは基本的に変わらない。でなければ、我々は、生徒を見くびっていることにさえなるではないか。

取り分け、僕のHPでは、「やぶちゃん版芥川龍之介句集」の注記が、句集の注記としては逸脱していると指弾されるかも知れぬ。中田雅敏氏の諸著作は、そのような僕にとって、大変心強い味方であった(彼も元高校の国語教師であることは、この際、偶然でしかないと思っている。また、多くの引用をさせて頂くなど、恩恵を被りながら、同氏の見解やミスを歯に物着せず批判していることについて、この場を借りて御詫びを述べておく)。それはそれでよい。僕は、俳人芥川龍之介ではなく、まさに芥川龍之介という一人の芸術家としての存在に対しての評論行為として、注記を付けている確信犯なのだから。

梶井基次郎「檸檬」授業ノート

梶井基次郎「檸檬」のオリジナル授業ノートを公開した。勿論、これは高校三年の比較的定番とも言える現代文教材ではある。卒業後に「檸檬」に関心を持ってくれた教え子は、残念ながら3年次に、僕の「檸檬」の授業を受けていない。そこで、アップすることとした。徹頭徹尾、オリジナルである。参考書や指導書の引き写しではない。私は、すべてのオリジナルの授業ノート、オリジナル自作テストをも、このHPで最終的に公開するつもりでいる。オリジナルなんだから他の国語教師が困ることはあるまい。みんな自信を持って、オリジナリティに誇りを持ってやっているはずなのであるから。

2006/02/10

三木清「旅について」授業ノート

三木清「旅について」の、僕のオリジナル授業ノート「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」からリンク。

僕は過去27年間の内、二つの教材だけ、横書で板書をしたことがある。一つは、完全なオリジナル教材で、池内了の人クローン絡みの評論四篇を3年理系でやった時だ。遺伝学のセントラル・ドグマを中心に、かなり専門的な生物学の内容を扱った。

もう一つは、この「旅について」だった。最初は確か、17年前のやはり3年の理系クラスで、論理式を使って整然と解析してみるのも面白いと思ったのだった。教材自体は、古くは確か明治書院の教科書に所載していたものだったが、授業ノートの内容は、全くのオリジナルである。タルコフスキーの評論等を書き散らしていた頃で、ノスタルジアの語源と意味の脱線は、僕にとっては小気味良いものだった。懐かしんでもらえるかな。

三木は御承知のように、敗戦を知りながら、獄中で独り病没した。しかし、彼の眼は澄んでいたに違いない。彼は彼の人生を自立的に旅したのだ。

2006/02/08

芥川龍之介句集 完全版

勿論、永遠に増補改訂は続けるが、ひとまず自身の中で、木蔭に一息つけるという感慨を持てるところに辿り着いた。暫くは、「心静かに」、生徒の150人分の「こゝろ」の小論文を読むことと致そう。

2006/02/07

三木清 旅について

先日、教え子がBlogで、僕が授業でやった三木清の「旅について」を懐かしんでいるのを読んで、嬉しくなった。やっと今日岩波版全集から打ち込んだ。但し、正字正仮名なのでちょっと戸惑うかも知れぬ。でも、ナマの雰囲気を味わいつつ、昔を思い出してお読みあれ。

2006/02/06

怠けている訳ではない

Blogを更新しないのは、更新しているゆとりがないからである。「芥川龍之介句集」の冒頭を確認されている方は分かると思うが、自宅にいる目覚めている間は殆ど「芥川龍之介句集」の注記追加補正に費やして、分単位アップロードしている。自分が納得できる部分までやって、心静かに憩いたいのが、今の本音である。今、通勤の僅かな間のみ読んでいる柴田哲孝「下山事件 最後の証言」、これについても書きたいが。これは、無数の下山本の中でも超弩級だ。僕は、相応にこの事件には詳しいと自負しているのだが、その読んでいる僕の手が……震えた。

2006/02/04

血達磨 ふふふ♪

不調復さざれば、今朝、昔馴染みの胃腸科の大先生(西東三鬼みたいな顔で、ちょび髭もそっくり)の所へ行き、飛び込みで胃カメラを飲む。10年振り生涯二度目だが、前回同様、嚥下反応がひどい(10年経ったらもっと細くなっているかと思ったが甘かった)。大先生曰「カメラを噛み切らないように!」。而して、「これじゃあ、痛むし、食事も受け付けないだろうな」――

――胃の中はブラディ・メアリー状態で、大先生のカルテに画いた胃の中は、これまた、ムンクの「叫び」そっくりだった――

糜爛性胃炎、ストレスと飲み過ぎ――なんだ、そんなもんか――しかし、スーパーの袋みたような中に、ごっそり薬が入ってるのを貰った時は、ちょいと笑ったね。誕生日ぐらいまでは、禁酒だな――つまんねえから、またぞろ、ゾンビのように歩き出すか。リハビリも三月一杯まで延長になったしね――

こういうのを何と云うのかなあ――満身創痍――慢心相違――ふふふ♪

2006/02/02

注記補填

芥川龍之介の「年末の一日」に東京胞衣会社関連の注記をし、「やぶちゃん版芥川龍之介句集」の大幅な注記増補に取り掛かる。

それにしても、参考にさせてもらった出版されている書籍の、忌々しき誤植には、ミスの多い私でさえ、呆れ果てた。「五」の最後を読まれたし。

梶井の愛撫のテクストとブログを読んだ教え子のリクエストで、つげ義春の「やなぎ屋主人」を郵送する。ふとキクチサヨコとコバヤシチヨジの二少女を、職場の机上に飾りたくなった。場面は勿論、カブトムシの「トン」の前頁、そして「きぐしねいです」。カウンターの主人公の手を胸に引き込むところもいいが、これは職場で飾れば、即セクハラと言われよう。セチガライネ!

実は、胸部から腹部にかけての圧痛と胸焼けが烈しく、絶不調だ。こんな症状は、全く初めてである。

しかし、腕を折っても一度も自習にしていないんだから、おいそれと休む訳にはいかない。

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