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2006/04/30

グリコ

40年振りに少女と「グリコ」をした。最後に負けた。ちょっと悔しくて、でも、何だか、ひどく嬉しかった。そうして、僕は、僕の右手がグーをしっかりとは握れないことを、その時、すっかり忘れていた。

少女は最後の段に、気持ちよく、両足で、トンと、立った。

僕はそれを見ながら、なんて美しいのだろうと思ったのだ。

2006/04/29

芥川龍之介 O君の新秋

芥川龍之介が盟友、小穴隆一のために書いた小品「O君の新秋」を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。

僕はともかく、小穴隆一の句を載せたかったのだ。

芥川龍之介は『改造』の大正十四年九月号の発句集「鄰の笛」に、自身の句と共に、小穴隆一(一游亭)の句の掲載にこだわった(詳細は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 続 書簡俳句」の大正十四年七月付一三四八書簡以下の「*俳句関連」の注を参照されたい)。

その後記で、芥川は

「小穴君のは五十句とも始めて活字になつたものばかりである。六年間の僕等の片手間仕事は畢竟これだけに盡きてゐると言つても好い。即ち「改造」の誌面を借り、一まづ決算をして見た所以である。」

と述べている。小穴隆一のこの五十句は出来れば、「やぶちゃん版芥川龍之介句集」の「鄰の笛」の後に、並べてあげたかった。芥川のために。しかし、小穴の著作権は存続している。涙を呑んだ。

せめて、芥川の友情の小品にかこつけて、小穴の句を掲げたかったのである。

末法燈明記(進行中)

最澄新撰とも偽書とも言われる「末法燈明記」の電子テクスト化に着手した。法然・親鸞・栄西・日蓮等の鎌倉新仏教勢力は、最澄真筆としてそれぞれの主張にこれを引用するが、鎌倉初期以前にこの書がたち現れたことがないのは、偽書の可能性を払拭できない。

また、その記述は、末法理論の解析に始まり、現在(延暦二十年頃)を像法末と規定し、すぐ目前に迫った末法の世にあっての仏者の在り方を述べるに、驚天動地の記述が続く。

持戒の実践は、街中に虎がいない如く、在り得ぬことであり、破戒無戒の僧であっても、世を救う有り難い存在として敬わねばならぬ、国政はそれを制御してはならぬ、そうした教行が失われた世であっても、仏の大慈大悲の信が厳然として存在し、破戒無戒に満ち満ちたその世界でさえも、一本の燈明を持ち続けるというのである。

僕は、その核心部分が鎌倉新仏教の援護射撃になっている点(実際には、それぞれの宗教家は都合のよい部分だけを援用しているのだが)、最澄自身がこれを叙述すべき時代的必然性という点について留保を感じるのである。

それにしても、危ないがゆえに魅力的なこの思想書、僕は、この頂の見えぬ巨峰への登攀を始めることとする。

AVATI! GIOVANNI MIRABASSI

もう3年も前になるが、ジャズの数奇者澤野工房の出した、アルバムをひょいと手にとった。その赤いジャケットに黒の

AVATI!GIOVANNI MIRABASSI PIANO SOLO

のタイトルが、妙に扇動的に眼を射抜く。扇動的なはずだ。これ一枚、16曲全て、世界中の革命歌、反戦歌、レジスタンスの歌曲のジャズ・ピアノ・ソロ・アレンジなのだ。ドキュメント写真入のブックレットも半端じゃなく凄い。

一曲目、チリの反独裁歌。

“EL PUEBLO UNIDO JAMAS SERA VENCIDO”

その頃の僕は、空虚な人生の中で(それは今も変わらないのだけれど)久しく音楽を聴いて涙することも忘れていた。しかし、この一曲には大いに泣けた。キース・ジャレット、何するものぞ! この曲と演奏にはまさに、人々の「悲願」が滲む。

上記リンク「澤野工房」で試聴も出来る。

君、卒業したサックス吹きよ、騙されたと思って、聴いてみな。

出がらし成分解析《完全ファイナル版》

解析に落ち込んだら、ひらがなで試してみるのもいい(僕は、逆にもっと現実の自己存在を見据えた暗い結果を求めて解析したのだが)。

フルネームひらがなでは、

65%は海水で出来ています
18%は蛇の抜け殻で出来ています
9%はマイナスイオンで出来ています
6%は言葉で出来ています
2%は理論で出来ています

名前のみひらがなでは、

69%は魔法で出来ています
10%は睡眠薬で出来ています
9%は気の迷いで出来ています
6%はお菓子で出来ています
6%は理論で出来ています

何か、真実に近付いて来た感じ! 次は、ローマ字表記でかけてみよう。まずは、英語式の名姓の順、

59%はビタミンで出来ています
31%はお菓子で出来ています
5%は言葉で出来ています
5%は心の壁で出来ています

つまらんね。最近欧米でも通用するという、日本語式の姓名では、

57%は花崗岩で出来ています
38%は海水で出来ています
2%は言葉で出来ています
2%は心の壁で出来ています
1%は理論で出来ています

よしよし! いい感じだ。名前だけをかけてみよう。

86%は大人の都合で出来ています
9%は利益で出来ています
4%はミスリルで出来ています
1%は成功の鍵で出来ています

きたな! 「大人の都合」! その通りさ! まだできる。姓名の頭文字を小文字にしてみよう。まず名姓で、

97%は夢で出来ています
3%は知識で出来ています

来たね! このシンプル・ダークを待ってたのよ! 序でにひっくり返してみると、

58%は宇宙の意思で出来ています
40%は苦労で出来ています
2%は気の迷いで出来ています

結構! これで僕の成分解析の憂鬱は完成した。

2006/04/27

芥川龍之介 三つの窓

芥川龍之介の「三つの窓」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。

「三つの窓」の眼目は、「三 一等戰鬪艦××」である。
「一 鼠」のA中尉は芥川であろうし、「二 三人」のK中尉も芥川であろう。軍隊組織の非人間性という素材を扱いながらも、そこで芥川は巧みに、彼得意の愛へのアンビバレントな感情や、刹那の人間存在への厭世的ポーズを仄めかすことを忘れはしない。
そうして「二」の最後に、「禅林句集」の、単行本「羅生門」に掲げられた「君看雙眼色 不語似無愁」を、満を持して配することで(というよりもやはり彼固有のポーズとして配することで)、最後の一等戰鬪艦芥川を登場させる。それが「一等戰鬪艦」であるところに、芥川の矜持が垣間見られる。
文中、突如爆裂し、轟沈してゆく友達の一萬二千噸の軍艦△△は、この年の四月に発狂した宇野浩二であろう(但し、宇野は芥川よりも一歳年長)。そうして、評論家後藤純孝の言を待つまでもなく、彼の前の「巡洋艦や驅逐艇」、「新らしい潛航艇や水上飛行機」は、白樺派や耽美派、陸続と現われ続ける自然主義の作家群を、更には新たな方向性を如実に示し始めていた、プロレタリア文学や新感覚派の出現を指している。

……しかしそれ等は芥川には果なさを感じさせるばかりだつた。芥川は照つたり曇つたりする文壇を見渡したまま、ぢつと彼の運命を待ちつづけてゐた。その間もやはりおのづから身體のぢりぢり反り返つて來るのに幾分か不安を感じながら。……

芥川は、こう記した凡そ一月半後に、自裁する。芥川の身体の、軋む音が、聞こえてくる……

2006/04/25

懐かしのわが家   寺山修司

懐かしのわが家   寺山修司

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかかって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいい家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

寺山というクライン管は、その裏返った脳を、「死なない蛸」のように喰らい尽くす。そうして、僕らは不断に永遠に裏切られ続ける。それは絶望的にみすぼらしくて、妖しく美しい、致命的なエクスタシーだ。世界の涯ては、いつも僕たちの脳の中にしかないというのは、養老盂司が言うよりも、素直に僕には墜ちてくる。(詩の引用は「韻文図書館データ」より孫引き)

電子手帳との訣別

20年近く、電子手帳を愛用してきた。もう4機種めだった。バッテリーのウラ蓋を紛失して、作動しなくなった。新しいのを買い求めようとして、店に行った。携帯電話とモバイルの天下だ。5年も経ったら、すっかり進歩した。安くなった。しかし、パソコンも4台あり、加えて老眼と精神のアナログの僕には、最早、手帳としては使わない機能が余りに多すぎると感じた。潔く、訣別することにした。手書きの手帳を買った。土台、入れていた情報の10%も使っていなかった。所詮、僕にとってはファッションに過ぎなかったのだなと腑に落ちた。リハビリのためにも、自身にふさわしいアナログに戻ることにした。有象無象のアドレスもきれいさっぱり。ゼロから始めよう。さしあたり、暗い僕は、好きな作家とミュージシャンの命日を書き入れることから始めたのだった。

飽くなき成分解析

何だかハマった。試しにいろんな知る人の名前をやってみると、「大人の都合」とか「鉛」とか「勢い」とか「世の無常さ」とかで70~80%と、結構、シビアなキツい答えが出てくるので、キョワイ。恐る恐る、今度は自分の名前だけかけてみた。

48%は微妙さで出来ています
43%は成功の鍵で出来ています
8%は理論で出来ています
1%はマイナスイオンで出来ています

おいおい! 僕はこのソフトに癒着談合袖の下してるつもりはないんだけどなあ? 顎の下すりすりされてるみたいで気持ち悪いぞう! 「成功の鍵」は、ないだろう! 僕には最も相応しからぬ成分、誇大虚偽表示だ!

2006/04/24

心の心をよめる

                    右大臣實朝

   心の心をよめる
神といひ佛といふも世中の人のこゝろのほかのものかは

2006/04/23

明神ヶ岳

生憎の天気ではあったけれど、最後の温泉で、君達は満足だろう。僕は、26年前に初めて子供たちと山に登った日を思い出していた……この子と同じ顔のあの子がいた、あの子に輪をかけたようなこの子、あの時と同じヒキガエル、タチツボスミレ、山頂のラーメンとコーヒーの旨さ……帰りの独りの電車の、曰く言い難い寂しき快感……駅を降りて、足のダルさに年を感じつつ、微苦笑しながら……僕は、誰かと別れた過去が、逆にその人の記憶を揺ぎなくさせる未来に、図らずも連結しているということの、不可思議さを考えていた……。

2006/04/22

明日天気になあれ!

明日天気であって欲しいと思うのは、絶えて感じたことがなかったことだ。不思議なことだ。明日、新しく逢った子供らと山に登る。しかし僕も、山岳部に復帰するのは、20年振りのこと。

……僕の右腕に何が出来て、何が出来ないのか、それを見極める僕のこれからの、二年。僕の後遺症の右腕の漸近線的回復グラフはどう動くのだろう……その始まりにふさわしい。

2006/04/21

「末法燈明記」電子化プロジェクト

新たな自己拘束を始める。「末法燈明記」の電子化に着手した。原本を持たないので、ネットで公開されている龍谷大学学術情報センター所蔵本の精密画像を元にする。既に判読は終わっているが、白文の電子テクスト化と訓読電子テクスト化は、門外の僕にはちょっと想像を絶する。それでも、いい。まさにこの、ぶっ飛びの偽書にふさわしく、時間をかけて。気長に、いこう。

2006/04/20

芥川龍之介 闇中問答 より

僕 (一人になる。)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしつかりとおろせ。お前は風に吹かれてゐる葦だ。空模樣はいつ何時變るかも知れない。唯しつかり踏んばつてゐろ。それはお前自身の爲だ。同時に又お前の子供たちの爲だ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

(芥川龍之介「闇中問答」最終台詞)

2006/04/18

亡き友へ

木蔭で
  ――永野広務に

   草の根の運動の途次マラリアに倒れし友、
   彼の名を冠したる木のインドに植ゑられ
   しを聞きて

      木もれ日や見上ぐる子らの齒全き白

一本の苗木は
あまたの人々の思いとはぐくみによって
太い幹をつくり
鳥の羽のように木蔭を広げ
つがいの小鳥が巣を作る

その木蔭で――
未来の仏陀のような哲人が 悟りを開くかもしれない
熱に苦しむ旅人が ひとときの涼を得るかもしれない
子どもたちが 初めて文字を読み上げるかもしれない
恋人たちが 胸ふるわせる囁きをかわすかもしれない
宇宙の孤独に悩む者が 首括ろうとするかもしれない
しかし そのとき 木は
優しく彼らを包む
ただ 包む
羊水のごとく 包まれて 僕らは木とともにある……

……彼と僕ら
一本の
ユグ・ドラシル!

2006/04/17

成分解析または時には軽いノリで

教え子のブログの誘惑から、成分解析 on WEB にかけてみた。答えは、

56%は勇気で出来ています
37%は気の迷いで出来ています
6%はマイナスイオンで出来ています
1%はミスリルで出来ています

「気の迷い」。確かに、今度の一連の僕の為したことは冷静になってみれば、「気の迷い」とも言えるのか?

だが、「勇気」?!
「ミスリル」?

*ミスリル(Mithril)は、J・R・R・トールキンの小説『指輪物語』及び『シルマリルの物語』の世界に出てくる架空の金属である。シンダール語で、mithは灰色を、rilは、輝きを意味する。すなわち「灰色の輝き」である。硬度は鉄より勝り、銀色の輝きを持つ金属とされ、「まことの銀」とも呼ばれる。『指輪物語』の影響を受けて後に出てきたファンタジー小説やRPGなどでも良く使われている。例えば、人気RPGのファイナルファンタジーシリーズでは、剣や鎧、籠手、ピアス、果てはベルトなどの素材としてミスリルが多用されている。現実世界でミスリルの元になった金属として、一説にはある錬金術師が精錬したアルミニウムが挙げられている。 当時、電気も無いようなその時代にアルミニウムを精錬する事は、まさしく奇跡と呼ばれるにふさわしいものだった。 そうして作られたその銀色の金属は軽く、そして錆びる事が無かった事から、錬金術師の間で「魔法の銀」と呼ばれるに至ったのである。。(*『ウィキペディア(Wikipedia)』より。しかしリンクが張れない構造になってるのかなあ、ウィキは。)

へえ? 勉強した。

しかし考えてみれば、さすがだぜ! 僕の右腕首の中身のチタン・プレート+ボルト5=超合金ミスリルを、しっかり見抜いてるぜ!

2006/04/16

芥川龍之介 死後

芥川龍之介の遺書の注に、小穴隆一の「二つの繪」から、新知見を追加した。もしかすると、これによって芥川龍之介の遺書の内の、破棄されてしまった失われた部分が、復元できるのかもしれないという感を持った。

その失われた遺書の中で、芥川龍之介が、妻である文のために、全集からの排除を望んだと思われる、「死後」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開した。芥川先生、僕の鮮やかな裏切りを、どうかお許し下さい。

芥川龍之介 闇中問答/十本の針

芥川龍之介の最晩年の著作である「闇中問答」及び「十本の針」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。どちらも、昭和二(1927)年九月発行の雑誌『文藝春秋』九月号(芥川龍之介追悼号)に掲載された。底本全集後記では、同号の編集後記には「今月號に載せた「十本の針」は死直前のもの。「闇中問答」は昨年末若しくは今年初のものだらう。いづれも、彼の死を頭に入れて讀むと、擴されたる遺書と云ふべき、大切な文献であらう。」とある、と記載する。なお、小穴隆一の「二つの繪」には、「或阿呆の一生」が当初は小穴への遺書的作品として渡されるものであったように、この「闇中問答」も葛巻義敏氏に与えられていたという記述が現れる。

芥川龍之介 尾生の信

芥川龍之介の「尾生の信」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開。これは、「」と併読されたい。その理由は、2005/08/13のブログに記してある。

2006/04/15

芥川龍之介の出生の秘密

「二つの繪」を読み進めるうちに、この本は、心底、大変な本であるという感がしてきた。その妙に捩れた文体による、読み難さ(意味のとり難さ)の大変さはあるのだが、それ以上に、全集や研究書では、決して語られたことがない生(なま)の「芥川龍之介」がそこには、確かに、居る。

それは出棺の前に、文夫人によって柩の中に投げ入れられたのだった。芥川龍之介自身の臍の緒であった。小穴隆一は、その包に「横尾龍之助」という文字を見た。それを見たのは彼一人であった。そのような姓の女中がいたようでもあるが、よく分からないという甥の葛巻義敏氏の話も載せる。しかし、小穴はその叙述の直後に、次のように語り出す。

「僕は芥川の母は、新原敏三の妻となつた芥川フクか、その姉のフキ、芥川が伯母と言つてゐたそのフキか、この二人のうちのいづれかであらうとみこんでゐる。僕がみてゐるかぎり芥川の風貌骨格は、芥川家の風貌骨格性格で新原家のそれではない。新原敏三がもし、芥川家以外の女に生ませた子であるならば、芥川はあの芥川といふやうな人間とはちがつた人間であつたらうと思ふ。」

と記した後、龍之介は芥川家のフクやフキに判で押したように似ている(これは芥川龍之介自らがその「文学好きの家庭から」で述べている)、芥川は「新生」を書いた藤村を軽蔑していた、「暗夜行路」の志賀直哉には頭を垂れたと続け、「或阿呆の一生」の「三 家」を引用している。

 

彼は或郊外の二階の部屋に寢起きしてゐた。それは地盤の緩い爲に妙に傾いた二階だつた。

 彼の伯母はこの二階に度たび彼と喧譁をした。それは彼の養父母の仲裁を受けることもないことはなかつた。しかし彼は彼の伯母に誰よりも愛を感じてゐた。一生獨身だつた彼の伯母はもう彼の二十歳の時にも六十に近い年よりだつた。

 彼は或郊外の二階に何度も互に愛し合ふものは苦しめ合ふのかを考へたりした。その間も何か氣味の惡い二階の傾きを感じながら。

 

小穴隆一は、このフキこそ、実は芥川の実母であったのではないかと、暗に語りかけているのだ。僕は目から鱗が落ちた思いがした。

長男であった彼が何故、芥川家へ養子に出ねばならなかったのか、

フクは何故、「発狂」(下記やぶちゃん補注参照)せねばならなかったのか、

新原敏三は何故、しきりに龍之介を懐柔し、実家へ戻そうとしたのか、

そうして、小穴に芥川が語ったという「伯母は兄(道章)に鉛筆」か何かで「片目をつぶされて嫁にゆかないでゐるうちに、をじ(やぶちゃん注:原文は傍点「丶」)と間違ひを起し、それを恥ぢて生涯よそにゆかずに芥川家に留まつてゐる」というフキについての過去の秘密の意味、

更に、フキが龍之介に言った「龍ちやん、おまへは何をしてもいいが、人様のものに手をだす泥棒猫の眞似だけは決してしておくれでないよ」という言葉の真実が、僕にはおぼろげながら、見えてくるような気がするのだ。

最後に。1992年河出書房新社刊の鷺只雄「年表作家読本 芥川龍之介」によると、「新興の実業家として得意であった頃の敏三はよく遊んだらしく、森啓祐(『芥川龍之介の父』)は戸籍に残る「敏二」は妻以外の女に生ませた子ではないかと推定している。」とある。

(やぶちゃん補注参照:僕はこのフクの「精神病」に対してもある疑問を持っている。後に芥川が遺伝を恐怖したような<この精神病の遺伝という考え方自体が非科学的な要素を含んでいることは言を待たない>所謂、統合失調症に類するものだったとは思えない。「點鬼簿」を読む時、その死に際して、「死ぬ前には正氣に返つたと見え、僕等の顏を眺めてはとめ度なしにぽろぽろ涙を落した。が、やはりふだんのやうに何とも口は利かなかつた。」という描写は大いに気になるところである。これは、大きな悲哀等によるノイローゼや、その持続的な抑鬱状態、鬱病への増悪ではなかったのか。正式な診断や治療を受けている形跡もない。専門医の病跡学的な分析を望みたい部分である。)

 

蛸の墨またはペプタイド蛋白

イカスミは料理に使用するが、蛸の墨はタコスミとも言わず、料理素材として用いられることがないことが気になった。ネット検索をかけると、蛸の墨には、旨味成分がなく、更に甲殻類や貝類を麻痺させるペプタイド蛋白が含まれているからと概ねのサイトが記している。

では、それは麻痺性貝毒ということになるのであろうか(いか・タコの頭足類は広い意味で貝類と称して良い)。一般に、麻痺性貝毒の原因種はアレキサンドリウム属のプランクトンということになっているが、タコのそのペプタイド蛋白なるものは如何なる由来なのか? 墨だけに限定的に含まれている以上、これは蛸本来の分泌物と考える方が自然であるように思われる。ただ、そもそも蛸の墨は、イカ同様に敵からの逃避行動時に用いられる煙幕という共通性(知られているようにその使用法は違う。イカは粘性の高い墨で自己の擬態物を作って逃げるのであり、タコは素直な煙幕である)から考えても、ここに積極的な「ペプタイド蛋白」による撃退機能を付加する必然性はあったのであろうか。進化の過程で、この麻痺性の毒が有効に働いて高度化されば、それは積極的な攻撃機能に転化してもおかしくないようにも思われる。しかし、蛸の墨で、苦しみ悶えるイセエビとか、容易に口を開ける二枚貝の映像は見たことがない。また、蛸には墨があるために、天敵の捕食率が極端に下がっているのだという話も聞かない。

更に、このペプタイド蛋白とは何だ? 化学が専門の知人にも確認したが、ペプタイドとペプチドはPEPTIDという綴りの読みの違いでしかない。しかし、更に言えば彼女も首をかしげたように、「蛋白」という語尾は不審だ。そもそも、ペプチドはタンパク質が最終段階のアミノ酸になる直前に当たる代謝物質なのであって、アミノ酸が数個から数十個繋がっている状態を指すのであってみれば、この物言いはおかしなことになる。彼女は、その繋がりがもっと長いということかしらと言っていたが、僕も、煙幕が張られているようで、どうもすっきりとしない。調べるうちに、逆に蛸壺に嵌った。

二度目の結婚(補正の再補正)

2005年12月25日の以下の推測記載を、続く下に補正した。

* * *

或阿呆の一生   四十三 夜

 夜はもう一度迫り出した。荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫(しぶき)を打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等には歡びだつた。が、同時に又苦しみだつた。三人の子は彼等と一しよに沖の稻妻を眺めてゐた。彼の妻は一人の子を抱き、涙をこらへてゐるらしかつた。

「あすこに船が一つ見えるね?」

「ええ。」

「檣(ほばしら)の二つに折れた船が。」

僕にとって所持する岩波版旧全集は殊の外思い出深い書籍である。大学三年の時、岩波書店に勤務する知人が既に品切れになっていたこの全集の在庫を、破格で分けてくれた。裸で全十二巻を二つにして、鈴蘭テープで縛り、中目黒まで両手でぶら下げて帰った。二日程両手の関節が腫れ上がった。その時、初めて手にした大部の個人全集に有頂天になった。後にも先にも、10巻を越える個人全集でそのすべてを読んだのは、芥川しかない。書簡部分も確かに読んだはずなのだが。

ところが、今回、書簡俳句の拾い出しをしながら、拾い読みをするうち、目から鱗の発見があった。

無意識のうちに、おぼろげなイメージとして半理解して分かったと思い込んでいた、この「或阿呆の一生」の「二度目の結婚」という言葉であった。彼が、ここで如何に悲壮な喜悦の「二度目の結婚」したか、腑に落ちた。だからこそ、彼には「檣の二つに折れた船が」見えた。

大正十五年七月十日付小穴隆一宛一四九二書簡、スパニッシュフライ……

* * *

今回、小穴隆一の「二つの繪」を読み、しかし、この僕のあざとい推測は誤っていたことが分かった。僕は、この一四九二書簡の「スパニッシュフライ」(=カンタリス=ツチハンミョウ類の持つ毒物)を催淫剤として読んだのであったが(実際に微量に用いると、排尿の過程で、尿道の血管を拡張させて充血を起こさせ、この症状が性的興奮に似るため、催淫剤としての効能を持つと信じられてきた歴史がある。たとえば、マルキ・ド・サドは売春婦へのこれの使用による毒殺で訴えられている。小穴は連綿陰茎勃起と記しているが、猛烈な掻痒症状を引き起こし、催淫剤としての効果はないと考えられる)、これは実は、カンタリジン(カンタリジン酸の無水物。皮膚に付着すると水疱性皮膚炎を起こし、微量でも摂取すると腎臓障害を引き起こす。ヒトの致死量は、約30mg。)による芥川の毒物による自殺の願望の表明であった。この毒物に芥川が関心を持ったのは、谷崎潤一郎の殺人小説がヒントであったとある。芥川のスパニッシュフライへの自殺用毒物としての渇望は、それ以前にも並々ならぬものがあったようで、この鵠沼以前にも、小穴はある医師の仲介役になって、文を通して芥川に一瓶の「劇薬」と書いたスパニッシュフライを手渡したとも書いている。但し、これは見るからに古びたもので、芥川か、文か分からない(小穴の文章はねじれたもので恐ろしく読み取りにくい)意志によって、小穴に返されたという。更に言うならば、小穴がこの時持っていたスパニッシュフライはペルーから帰国した遠藤清兵衛という人物から入手したもので、綺麗で小さいものと表現している。小穴がこれを所持していたのも、自殺目的であった。彼の当時の恋愛相手との万一の際の心中用であったとする(しかし考えるに、一匹のカンタリスが確実な死を齎すのであれば、それはもっとメジャーな自殺毒物として喧伝されるはずであるようにも思われ、その実効性には僕は疑問を持つ)。

さて、「二度目の結婚」という言葉の方である。彼のこの時の鵠沼での生活を考えた時、これはもっと素直に読んでよいのであろうと思い至った。それは、一時ではあったが、彼が久しぶりに家族水入らずの、鎌倉での新婚時代のような環境に居られたこと、更には、妻以外との、「狂人の娘」秀しげ子を筆頭とする複数の女性関係の、とりあえずの終息の意識(これは文学的修辞であって、事実は勿論、そうではない。たとえば、七月一日の鵠沼転居の翌日には、秀しげ子が「あの」子供を連れて見舞いに来ている。翌年の自死の直前の四月上旬には平松麻素子との心中未遂があり、何よりも恐らく、松村みね子への思いは、その自死の最後まで強くあったに違いないのだが)の中での、文との関係の改善、回復の刹那的瞬間(悲しいかな、それは彼にとって、実際の沖の船に、檣の折れた幽霊船を見るような、哀しい幻想でしかなかったのだが)を言ったものであろう。

しかし、同時に、やはり、それは悲壮な喜悦であったことに変りはないのだ。「或阿呆の一生 四十三 夜」は、悲壮な自裁を決意した中での、最後の家族の絆という喜悦の、彼なりのレクイエムであったのだ。迫り来る夜、荒れ模樣の海は薄明りの中に絶えず水沫を打ち上げ、そこに木の葉のように翻弄される芥川の主船の檣は、とっくに二つに折れ、沈みかけている。そうしてそこでの彼は、既に、救命ボートに妻子のみを乗せて、自身は、その折れた檣に己が身を括り付けたまま、静かに沈んで行く孤高の覚悟を決していたと言うべきであろう……

2006/04/13

啄木忌

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな

2006/04/09

漱石の「先生」風和辻哲郎宛書簡

昭和四十二(1977)年岩波書店刊「漱石全集 第十五巻 績書簡集」より、大正二(1913)年の和辻哲郎宛一七一五書簡を紹介する。「こゝろ」の「先生」を思わせる漱石の手紙である。「こゝろマニアックス」の最後にリンクをかけた。二箇所の注は、同全集の注解を参照した。


十月五日 日 午後一―二時 牛込區早稻田南町七番地より 府下大森山王二千六百番地和辻哲郎へ

 拝復
 あなたの著作[やぶちゃん注:この月に出版された、和辻の「ニイチエ研究」を指す。]が届いてから返事を上げやうかと思つてゐましたがあまり遅くなりますから手紙文の御返事を書きます。
 私はあなたの手紙を見て驚ろきました。天下に自分の事に多少の興味を有つてゐる人はあつてもあなたの自白するやうな殆んど異性間の戀愛に近い熱度や感じを以て自分を注意してゐるものがあの時の高等學校[やぶちゃん注:漱石が教鞭を執っていた第一高等学校を指す。]にゐやうとは今日迄夢にも思ひませんでした。夫をきくと何だか申譯のない氣がしますが實際其當時私はあなたの存在を丸で知らなかつたのです。和辻哲郎といふ名前は帝國文學で覺えましたが覺へた時ですら其人は自分に好意を有つてゐてくれる人とは思ひませんでした。
 私は進んで人になついたり又人をなつけたりする性の人間ではないやうです。若い時はそんな擧動も敢てしたかも知れませんが今は殆んどありません、好な人があつてこちらから求めて出るやうな事は全くありません、内田といふ男が來て先生は枯淡だと云ひました。然し今の私だつて冷淡な人間ではありません。あなたに冷淡に見えたのはあなたが私の方に積極的に進んで來なかつたからであります。
 私が高等學校にゐた時分は世間全體が癪に障つてたまりませんでした。その爲にからだを滅茶苦茶に破壊して仕舞ひました。だれからも好かれて貰ひたく思ひせんでした。私は高等學校で教へてゐる間たゞの一時間も學生から敬愛を受けて然るべき教師の態度を有つてゐたといふ自覺はありませんでした。従つてあなたのやうな人が校内にゐやうとは何うしても思へなかつたのです。けれどもあなたのいふ樣に冷淡な人間では決してなかつたのです。冷淡な人間なら、あゝ肝癪は起しません。
 私は今道に入らうと心掛けてゐます。たとひ漠然たる言葉にせよ道に入らうと心掛けるものは冷淡ではありません、冷淡で道に入れるものはありません。
 私はあなたを惡んではゐませんでした、然しあなたを好いてもゐませんでした。然しあなたが私を好いてゐると自白されると同時に私もあなたを好くやうになりました。是は頭の論理で同時にハートの論理であります。御世辭ではありません事實です。だから其事實丈で満足して下さい。
 私の處ヘセンチメンタルな手紙をよこすものが時々あります。私は寧ろそれを叱るやうにします。それで其人が自分を離れゝば已を得ないと考へます、が、もし離れない以上私のいふ事は雙方の爲に未來で役に立つと信じてゐます。あなたの手紙に對してもすぐ返事を出さうかと思ひましたが、すこしほとぼりをさます方がよからうと思つて今迄延ばして置きました。 以上
      十月五日         夏目金之助
    和 辻 哲 郎 樣

芥川龍之介 蜘蛛の糸

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開した。

芥川龍之介 輕井澤で――「追憶」の代はりに――

芥川龍之介の『輕井澤で――「追憶」の代はりに――』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開した。

さやうなら。手風琴の町、さようなら、僕の抒情詩時代。

如何にも、今の僕にふさわしい終行だ――

芥川龍之介 杜子春

芥川龍之介の「杜子春」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇」に公開した。新たな一歩の為に。

「おお、幸、今思ひ出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持つてゐる。その家を畑ごとお前にやるから、早速行つて住まふが好い。今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう。」と、さも愉快さうにつけ加へました。

「お母さん。」という子春の台詞、そうしてそれに続く、このさわやかな桃の香のする秀抜なエンディングは涙なしに朗読できない。

2006/04/08

最後に

いつまでも悲哀の中に居続けることは苦痛である。しかし、僕はその悲痛を忘れることも堪えられない。

最後に、一言、言い忘れたことを、書く。これは僕自身への自戒といううべきものとして読んで欲しい。決して説教ではない。

それで、僕は再び瞑想の中へ、否、迷走の彼方へと帰ろうと思う。

僕は頭が悪い。だから、せめて好きなものへの「智」で自らを防御するしかなかった。これからもそうだ。

君に好きなものがあったら、誰にも負けないという自信を持てるまで、その「智」を吸収し尽くせ。勿論、それでも、それを越える人物に逢うかも知れぬ。しかし、その時は、そいつを越えることを楽しみとせよ。

そうして、「知らない」ということの喜びを知れ。「知らない」ということは「知る」喜びが残っているということだ。すべてを知ってしまったら(「知ってしまったと満足するなら」というのが正しい僕の文法なのだが)、それで「智」は終わりであり、屍に過ぎぬ。

更に言えば、「知らない」ことの絶対的価値をも射程に入れよ。「知らない」ことによって、見えてくる真実の世界が、厳然としてあることも知るべきである。

」に対して、貪欲且つ謙虚であれ!  

2006/04/07

お別れに

離任式に朗読した詩です。

メールで来れないことを詫びた何人もの卒業生、花束を持って駆けつけてくれたあなたへも贈ります。

わたしはたねをにぎつてゐた
                   山村暮鳥
わたしはたねをにぎつてゐた
なんのたねだかしらない
いつからにぎつてるのか
それもしらない
とにかくどこにかまかうと
そしてあをぞらをながめてゐた
あをぞらをながめてゐるまに
たねはちひさなめをだした

2006/04/02

教え子達へ

すまないことになった。
だが、僕が、君達を愛していることに変わりはない。これは、確かなことなのだ。
しかし、僕は暫く、君達のもとを去ることとなった。

七月に腕を折った。
一度目のロボコップの創外固定術は失敗、二度目の観血的固定術
(チタン・プレートをボルト5本で打ち込み。この正式術式の名前は凄いな。文字通り「血い観るでえ!」)
は手遅れ。
後遺症決りで、先が見えなかった。

僕は、一歳で左肩結核性カリエスに罹患している。
五歳まで胴と胸、左の二の腕まで固定、肘は半固定で、前へ90度しか動かせないコルセットをずっと付けていた。
幸い、ストレプトマイシンが安価に供給されるようになった頃で、何とか治ったが、今も左腕は6センチ以上短く、肩旋回も不具合だ。
鉄棒にぶらさがると、意志とは無関係に、首が傾いて左肩にくっ付いてしまう。
僕はそれで小学生から高校生に至るまで何度も嘲笑されてきた。
体育の時間は地獄だった。
その笑った中には、体育の教師さえ混じっていなかったことはない。

そうしたコンプレックスの中で生きてきた僕にとっては、
たかが右腕、されど右腕なのだ。
この右腕の創外固定とギプスは、美事にあの小さな頃のコルセットをフラッシュ・バックさせた。
そのようにして、僕の人生の初めと終わりで、左右の手は美事に輪を閉じるように不自由になった。

特に去年の暮は、シンどかった。
自分の尻が何とか右手で拭けるようになったのは、やっと十二月も終わりのこと。

あの頃、実は、君達が感じていた以上に、僕は僕なりにかなりヘコんでいたのだ。
仕事、人生のどちらにも。

過去のブログでも書いた通り、
確かに、君達の励ましは、一番の何よりの励みであった。
しかし、それだけでは、あの年末の憂鬱を乗り切ることは出来なかった。

この喪失感はまずい、と感じた。
さすれば僕は、僕自身を如何にして救助しよう?

ともかく、ライフワークと自認する「こゝろ」の全文授業をやり遂げ、幸薄い夕顔の死を見届けることだ。
これは己の欲望の実現ゆえにむしろ容易に見えた。

だが、たかが小説と物語で燃え尽きるわけにも行かぬ。
とすれば?
ここにこのまま居続けることは、僕にとっては勿論、楽である。
しかし、それでは、僕はただ、「先生」が言ったように、生きたミイラのように生きてゆくことに他ならないのではないのか?

自分を追い込むこと、自分を投企すること以外には、ない、と考えた。
それを僕はアンガジュマン(自己拘束)と呼んだ。
秋に、転勤の意向を聞かれた際に、僕は「必要があれば可」と回答した。
我々は、転勤先を指定することは出来ない。たかだか大きな希望地域を出せるだけだ(実際、結果は僕の書いた三つの地域でさえなかった)。
3月まで頑張って、その先はまた、どうなるか分からない状況を、敢えて作った。
新しい状況下で、ポシャらばポシャれ、僕自身はその程度のものであったのだと知れ、という気持ちである。

別に、僕は格好をつけているのではない。
これが、ありのままの事実なのだから、仕方がない。
最後の授業で言った通り、あの頃は内心、仕事をやめたかった。が、やめる勇気もなかった。

かたや、後遺症は予告通り、美事に残った。
先週、最後の通院のリハビリを終えた。
症状固定治癒の現在、回復は、80パーセント弱。腕首の旋回の不具合と、指の拘縮が残る。
つり銭をもらうのに媚びるように体を右に反らさねばならない。
家の鍵をつまみ、差し込んで回す、という動作が存外、しんどい。今も、たびたび鍵は僕の手から落ちる。
小銭に興味がなくなった。思うように扱えないからだ。それは、しばしば僕の指の間から、零れ落ちてゆく。
そうして、極めつけは強くグーを握ることが出来ないことだ。じゃんけんも殴ることも出来ない。
この後、90パーセント程度まで、自己のリハビリで回復させる可能性はあると医師は言う。
しかし、それには、2年はかかるそうだ――

――だが
みんな知っているように、僕の魂は、復活した。
あの沖縄の「やんばる」で。カヌーで。珊瑚礁で。みんなと一緒に、だ。
何度も言おう。
僕はあの日、半年振りに、心から笑ったのだ。

7月の真鶴の岩の海岸で、みんなにフシエラナマコを見せた後に、右腕を折った。
1月の万座毛のイノーで、みんなにニセクロナマコのキュビェ管を出させて見せた時、それを握っていたのは、同じ右腕だったのだ。

失意と歓喜の円環はとりあえず閉じた。
しかしながら、それは結果に過ぎない。
我儘な人間が、言わば我儘で自らを追い込んだ以上、この上更に我儘は言えない。

あなたには私の転勤する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、
もしそうだとすると、それは箇人のもって生れた性格の相違だから仕方がありません。
私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、……

卒業したら、酒を酌み交わし、語り合おう。
暫くの間だ。
また! いつか! 何処かで!

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