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2006/04/15

芥川龍之介の出生の秘密

「二つの繪」を読み進めるうちに、この本は、心底、大変な本であるという感がしてきた。その妙に捩れた文体による、読み難さ(意味のとり難さ)の大変さはあるのだが、それ以上に、全集や研究書では、決して語られたことがない生(なま)の「芥川龍之介」がそこには、確かに、居る。

それは出棺の前に、文夫人によって柩の中に投げ入れられたのだった。芥川龍之介自身の臍の緒であった。小穴隆一は、その包に「横尾龍之助」という文字を見た。それを見たのは彼一人であった。そのような姓の女中がいたようでもあるが、よく分からないという甥の葛巻義敏氏の話も載せる。しかし、小穴はその叙述の直後に、次のように語り出す。

「僕は芥川の母は、新原敏三の妻となつた芥川フクか、その姉のフキ、芥川が伯母と言つてゐたそのフキか、この二人のうちのいづれかであらうとみこんでゐる。僕がみてゐるかぎり芥川の風貌骨格は、芥川家の風貌骨格性格で新原家のそれではない。新原敏三がもし、芥川家以外の女に生ませた子であるならば、芥川はあの芥川といふやうな人間とはちがつた人間であつたらうと思ふ。」

と記した後、龍之介は芥川家のフクやフキに判で押したように似ている(これは芥川龍之介自らがその「文学好きの家庭から」で述べている)、芥川は「新生」を書いた藤村を軽蔑していた、「暗夜行路」の志賀直哉には頭を垂れたと続け、「或阿呆の一生」の「三 家」を引用している。

 

彼は或郊外の二階の部屋に寢起きしてゐた。それは地盤の緩い爲に妙に傾いた二階だつた。

 彼の伯母はこの二階に度たび彼と喧譁をした。それは彼の養父母の仲裁を受けることもないことはなかつた。しかし彼は彼の伯母に誰よりも愛を感じてゐた。一生獨身だつた彼の伯母はもう彼の二十歳の時にも六十に近い年よりだつた。

 彼は或郊外の二階に何度も互に愛し合ふものは苦しめ合ふのかを考へたりした。その間も何か氣味の惡い二階の傾きを感じながら。

 

小穴隆一は、このフキこそ、実は芥川の実母であったのではないかと、暗に語りかけているのだ。僕は目から鱗が落ちた思いがした。

長男であった彼が何故、芥川家へ養子に出ねばならなかったのか、

フクは何故、「発狂」(下記やぶちゃん補注参照)せねばならなかったのか、

新原敏三は何故、しきりに龍之介を懐柔し、実家へ戻そうとしたのか、

そうして、小穴に芥川が語ったという「伯母は兄(道章)に鉛筆」か何かで「片目をつぶされて嫁にゆかないでゐるうちに、をじ(やぶちゃん注:原文は傍点「丶」)と間違ひを起し、それを恥ぢて生涯よそにゆかずに芥川家に留まつてゐる」というフキについての過去の秘密の意味、

更に、フキが龍之介に言った「龍ちやん、おまへは何をしてもいいが、人様のものに手をだす泥棒猫の眞似だけは決してしておくれでないよ」という言葉の真実が、僕にはおぼろげながら、見えてくるような気がするのだ。

最後に。1992年河出書房新社刊の鷺只雄「年表作家読本 芥川龍之介」によると、「新興の実業家として得意であった頃の敏三はよく遊んだらしく、森啓祐(『芥川龍之介の父』)は戸籍に残る「敏二」は妻以外の女に生ませた子ではないかと推定している。」とある。

(やぶちゃん補注参照:僕はこのフクの「精神病」に対してもある疑問を持っている。後に芥川が遺伝を恐怖したような<この精神病の遺伝という考え方自体が非科学的な要素を含んでいることは言を待たない>所謂、統合失調症に類するものだったとは思えない。「點鬼簿」を読む時、その死に際して、「死ぬ前には正氣に返つたと見え、僕等の顏を眺めてはとめ度なしにぽろぽろ涙を落した。が、やはりふだんのやうに何とも口は利かなかつた。」という描写は大いに気になるところである。これは、大きな悲哀等によるノイローゼや、その持続的な抑鬱状態、鬱病への増悪ではなかったのか。正式な診断や治療を受けている形跡もない。専門医の病跡学的な分析を望みたい部分である。)

 

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