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2006/05/04

忘れ得ぬ人々 11 チョコおばちゃん

(1979年1月14日~大学4年終了の直前の日記より)

小猿の贈り物

……十数年前まで、鎌倉の駅前正面、現在、銀行のある、木耕堂の左隣には当時としてはちょっとしたTという百貨店があった。

 父の実家は大町にあって、そこに父の兄夫婦が祖母と住んでいた。当時、大船に住んでいた私は、その家に行くのが楽しみでならなかった。玄関に入るやいなや、私が小走りに向かうのは、決まって台所の冷蔵庫の前であった。

私は、満を持して、冷蔵庫の扉を開けると、三矢サイダーの瓶のあるのを確かめた上で、そうして、にこにこしながら後から追いかけてきた伯母に、

「チョコおばちゃん、サイダーある?」

と聴くのだった。

伯母は、痩せた、少し色の浅黒い、怒ると怖い人だったが、不思議と僕は怒られた記憶がない。千代子という名だったが、伯父が、チョコ、チョコ、と呼んでいたので、チョコおばちゃんが親族での符牒だった。その文字通りの甘い響き通り、而して私の口には常に甘いサイダーがもたらされたのだった。

チョコおばちゃんは、必ず、泊まった僕を連れて、買い物に行った。

時々、由比ガ浜通りから裏駅(実際には小町通り側の反対側が表なのであるが)へ行く時は、最後の唯一のプラモデル屋で、伯父には内緒で模型を買ってくれた。

それも、勿論、僕には舞い上がるほどの楽しみであったけれど、それ以上に、僕の記憶に残っているのが、必ず行く、T百貨店であった。

Tのこちら側の入り口(現在の木耕堂のすぐ左脇)には、私の「いつものやつ」が待っていた。伯母は、僕が何も言わない前に、にこにこしながら巾着から二十円を出して、僕の掌に乗せてくれる。そこには、小さなジャングルを描いたキッチュな(勿論、当時「キッチュ」と感じたわけではないけれど)アーチがあって、その手前に小さな猿が、両手を受け皿にして立っている。コインを入れると、猿は後に退き、アーチの中に入ると、グルリ(まさにグルリというカタカナが相応しい動きで)と一周する。戻ってきた猿の掌には、キャラメルが乗っている。

私は、それが事の外に嬉しかった。キャラメルよりも猿の持ちきたってくれるということに、素朴で無邪気な快感を覚えたのだった。

鏡があったわけでもないのに、私は、不思議なことに、自分のその時の、純真な自身の笑顔を、はっきりと思い浮かべることが出来る。そうして、私の横に立っている、チョコおばちゃんの微笑みも。

そのTという百貨店は、今はもうない。

伯母も五年前に白血病で亡くなった。

伯母の一切が亡くなった。

高校生だった私は、伯母に見舞いの葉書の一枚も送ることもせず、葬儀にも出ず、遠い富山の地で泣いていた。

あの小猿はもういない。

伯母もいない。

そうして、あの笑った小猿に目を輝かせていた少年も、いない。

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