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2006/08/29

熊野三山 南紀雑録

第一日
白浜空港から白良浜(しららはま)へ。「喜楽」にて昼食。
ぬめりあるツメバイと真正本物空前絶後のこれぞ「」、素朴な漁師の冷汁を肴に、黒牛を飲む(六種類ほど飲んだ紀州の地酒は甘口が多く、旅行を通じてやや不自由ではあった)文字通り、目を見張る大きさのめはり寿司、ここでしか味わえぬ、握りずしをわさびの葉でくるんだ葵寿司、どれも初日の「食手」が完全に絡め捕られてしまった。
南方熊楠記念館にて、和漢三才図会の写本、柳田國男宛葉書三枚綴りの没論文等々……博物の巨人の肉筆に接し、完全に舞い上がる。彼の残した粘菌標本と実際の顕微鏡下の粘菌を観察しながら……誠に熊楠とは「粘菌の如き人物」なり!
京都大学附属瀬戸臨海実験所。久し振りの水族館に酔う。ここを見ながら、昨今の有象無象の水族館の生き残りのためのショー・ビジネス化の誤りを痛感する。外光を取り入れた展示水槽や、太古の地球の大気組成に近い二酸化炭素を増加させた大気と現大気との比較実験、捕食圧の異なる多種イソギンチャクの混合飼育実験……暗くて湿っぽくて(これはある種の展示生物の生存にとって実は重要な要素である)標本コーナーのちょっぴりホルマリンの匂い……水族館少年の夢は、この「臭い」なくしては、ない! 能天気な明るさや純粋培養対応の清潔さは、決して「健全な夢」を、育まない!
この日の宿は、白良浜の2/3をプライベートビーチとするかのような立地の、関西圏の旅館ホテルランキング4位の人気リゾートホテル。パンフでも料理の薀蓄を傾けているのだが、先付けからデザートまで完膚なきまでに失望させられた。支配人宛の「ご意見」にあそこまでこきおろして書いたのは初めてのことだ。甘い(!)ソースでごまかした、あんなに固い熊野牛なぞ、いらない。フカひれスープの器の内側の側面に、乾燥したフカひれが一本固着していて、如何にしてもとれなかったのは、如何なる調理、如何なる洗浄を行いしものか。味の良し悪し以前、こだわるべきはやはり、奢ることなき基本の基本たる「心」である。ホテルのために、名前だけは伏せておく。
湯は硫黄臭のある塩水系。よし。

第二日
白浜より新宮へ向かう。
駅のすぐ左手、通りの入り口にある和食・寿司「十二社」にて、さんま寿司、マグロやタコ・ブリなどの十種類を巻いた巨大な十二社巻、勝浦で今朝獲れた生マグロのとろを食う。先週、名古屋で噂の大間のマグロのとろを食べる機会に恵まれたが、大して旨いと思わなかった。されど、ここの、この、とろ! 遥かに確かに旨かった。
生臭いままに熊野速玉大社へ。
僕は元来、神社への神聖感を持たないのであるが、熊野信仰そのものが本地垂迹思想に基づく神仏習合であり、今回の熊野三山を巡る旅にあって、不思議に違和感を感ずることはなかった。三社、何処にあっても僕は礼拝しなかったが。但し、八咫烏(やたがらす)の牛王(ごおう)宝印にはデザインに惹かれた。結局、三山すべてをゲットした。
ピーカンの空の下、大社から御燈祭(おとうまつり)で知られる神倉神社へ向かう。
538段の階段を登りつめて、ゴトビキ岩に至る。正式な神話学や歴史学はどうでもよい、道を聞いた古老が言った『あすこは熊野の神様が最初に降りなさった地や』を実感する。

ちなみに、あの最初の亀もでんぐり返るような急登を登りきった妻を褒めてやりたい。
この日は、紀伊勝浦に戻り、島まるごと一つがホテルとなっている「ホテル中の島」に泊。船着場が即ホテルの入り口、当然、塩害や湿気のリスクは高く、損傷や汚損は隠せない。敢えて言ってしまうと、洗練されていない一昔前のホテルのセピアの雰囲気か。
しかし、岩場に直結した露天風呂潮聞の湯は、160度の展望、1メートル先が海、フナムシが風呂の縁を走るロケーション、ともかく海をただ見ていれば幸せな僕には、好ましかった。泉色に時によって変化あり。硫黄臭塩水系、よし。
而して、実はホテルの外見からそれほど期待していなかった料理、これが、徹頭徹尾、驚天動地に美味であった。僕の経験の中でも、5本指に入れてよいものと思う。酒は1999年グラン・セレクションに輝く「羅生門」を頂く。この酒には個人的に思い入れがあるだけに、ここで飲めて嬉しかった。但し、紀州では、普通に町の土産物屋の店頭に置かれているのを見かけた。とまれ、昨日の失望は、今日のためにあったかと、天の采配を感じることしきり。「ホテル中の島」、一度はお行きになってよいホテルである。

第三日
紀伊勝浦から那智へ。
今回の旅は紀伊本線を何度も乗り継いだ。単線、ほとんどの駅は無人、二両連結で、無人駅での清算は、車内のバスみたいな料金箱で行う。従って、それが置かれた先頭車両の、先頭扉しか開かないところが多いことは、覚えておかれた方がいいだろう。
補陀落山寺
――復元された奇態なる補陀落船――骨亡き渡海上人たちの墓標群……それを見ながら渡海を拒否し、沖合いの島で殺された金光坊のことや、はからずも渡海の失敗によって沖縄にもたらされた熊野信仰のことなどを思った…… 「浪のしたにも、都のさぶらふぞ」(「平家物語」巻第十一 先帝身投)と安徳を懐いて壇ノ浦に散った平時子――美男の武将にして敗走の末に入水した平維盛の供養塔――一人の老婆が、裏山の畑で何か収穫したのであろうか、荷車代わりの古びた乳母車を押して、錯雑した思いにとらわれて思わず補陀落船に合掌してしまった僕の横を、ゆっくりと過ぎていった――

  媼一人乳母車牽く補陀落山寺

バスで大門坂へ向かい、満を持して(初級1.2キロコースではあるが足の悪い妻にとっては「満を持して」である)熊野古道を歩く。
しばし平安びとの思惟に思いを馳せ、苔蒸した石畳、杉の古木――しかし僕の空想はみだりに飛ぶのであるが――その木蔭からは、あの眼光鋭い熊楠があの奇体なハドリアヌス茸をむんずと摑んでニヤリと微笑んでいるではないか……
正午に那智大社の下に到着。
瀧見の茶屋でそばをたぐりつつ、瀧を見るうちに、今回の旅で初めての雨となる。
本日の宿は、那智大社に隣接する青岸渡寺の宿坊、尊勝院
一休みして熊野那智大社にて二枚目の八咫烏牛王宝印。
……ところが、どう数えても烏が一羽足りないんだけど……怪奇! (後にガイドブックの数字の間違いであることが判明)
平重盛お手植えの樟の木の洞(うろ)の胎内巡り祈願を強いて妻にやらせた。大門坂を越えた時、妻は『あと2、3年するともう歩けなくなるからね』とぽつりと言ったが故に……
那智の瀧の瀧壺の方へと下る。落下する瀧水は、途中で微粒子となってその周囲の大気に満ち満ちている……伊東静雄の詩の一節が思い出された……「空中の何處で/噴き上げられる泉の水は/區別された一滴になるのか」(『わがひとに與ふる哀歌』「私は強ひられる――」より)……素朴な信仰を失った現代人はそのような神経症的な妄想にこだわらねばならぬのか……ご承知かと思うが、この飛瀧(ひろう)神社、大己貴命(おおなむじのみこと)を祭神とはするももの、御神体は瀧そのものなのである――実は、この時だけ、私は自然、瀧に掌を合わせ得た……信仰とは、かくしてそのようなものなのであろう……
宿坊の庭から見渡す煙霧の山々は漆黒の闇へと移り、夜半、同じ高さに雷鳴を聴く――

第四日
バスで那智駅へ下る。
電車待ちの半時、早朝の那智浜に一人行く。2キロを越える半球状の砂浜の真ん中に、僕一人。雷鳴は遠ざかり、沖合いの空から後光のような日の光りが射しかけてきた。これを真にプライベートビーチと呼ぶ。ここに美少年の一人もいれば、「ヴェニスに死す」のエンディングを演じられたのに、残念。
新宮に戻り、そこからバスを使って熊野三山の最後、本宮大社を目指す。
みうらじゅんではないが、この国道168号は瀧好きにはたまらないルートだ。バスに乗ってから「七人の侍」のクライマックス並みの、横からホースで撒いているとしか思えない豪雨となった。随所の山中から落下と噴水――ある瀧を、妻はマーライオンと命名した。まさに、落ちるのではないのだ、そのように吹き出しているのだ。雨に滅多に見られぬ奇景であった。
熊野本宮大社はどしゃぶりとなった。
どしゃぶりだったから文句を言うわけではないが、他は、五百円均一なのに、ここの八咫烏牛王宝印だけ、五百円だと小さい版となり、他の二社と同じ大きさのものは倍の千円である。父母のために、二組ずつ買っていることもあって、妻の倹約の主張に負けたが、僕としてはやはりおなじ大きさで欲しかった。ずるいぞ! 大きさぐらい、揃えてよ、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと)!――舌嚙みそうだわ!
門前の茶屋「珍重庵」で もうで餅くず湯を頂き、今夜の宿、湯の峯温泉へ向かう。
実は僕は、旅行はすべて妻まかせである。行きたいところは? 聴かれると単語で答えるだけである。今回も、南方熊楠と道成寺の二語しか言っていない。何だか計画を事前に話してくれてはいるのだが、僕の耳には右から左である。これをお読みの諸氏はあきれるであろうけれど、僕にしてみれば、かねてより興味のあった補陀落山寺でさえ妻がたまたま企画したのであり、「たなからぼたもち」(?)というわけだ。
従って、バスが湯の峯温泉について「伊せや」という老舗旅館のまん前につぼ湯があって、初めてあっと驚いた。
ここはあの説教節の小栗判官蘇生の湯ではないか! 
……さすれば、昨日の補陀落寺の老婆の乳母車は渡海船の表象ではなく、箱車であったか! されば、あの媼は照手姫!……

源泉温度は恐怖の90度、硫黄の湯の花は繊細にして、飲用可。極めてよし。

第五日(最終日昨日)
田辺へとバスで下る。
駅前の「銀ちろ」でまぐろ握りとかつおのタタキを食す。
ここのポン酢は特製で絶品。柑橘系を微妙なバランスで配合してあり、ともかくタタキの旨味を、120%引き出している。瓶で販売もしていた。またしても、まぐろの旨さは言を待たない。「まぐろは、南紀に限る」。
熊楠邸も熊楠顕彰館闘鶏神社も行きたくはあったが、初日の肉筆に若くはなし、徒歩の旅、自在に欲張るは、二兎を得ず。
徐にJRで道成寺に向かうこととする。
清姫の炎の如き暑さの道成寺――

その本堂で何やら、能の音がするではないか。おや?! 衣装に鬼面の姫が! 舞っている!
これは僕の幻想ではないのだ。
ポスターの撮影のために、本物の能楽師が清姫の衣装のままに、「道成寺」の橋懸での演技よろしく、本堂の柱に巻き付いて、舞っていたのである。

たまたま僕の位置がよかった(?)のであるが、二度の撮影で、打杖を僕に向けると、鬼面の清姫の怨霊はまさに僕に向かって迫ってきたのであった――これは慄とする素敵な体験だった。こんな本場での「体験」は、恐らくいっかな道成寺フリークでも、体験したことはないであろう――
絵解き説法を見聞、国宝・重文の仏像群を堪能、妻に山門の階で乱拍子を踏ませて写真を撮った……
……白浜へと戻る途中、田辺止まりの電車が、特急の遅れで、途中駅に長々と停車してしまう。
時刻表では田辺での3分の待ち合わせで、新宮行きに接続している。これに乗れないと、1時間以上のロスが出ると尖がった妻は、運転手にねじ込んだ。
若い運転手はおろおろして田辺に電話連絡し、「接続させます」と丁稚のように言いに来た。
田辺では、発射を15分遅らせて、目出度く新宮行きが待っていた。
恐るべし! 清姫パワー!
初日の白良浜へ舞い戻ってきた。
最後の夜は銀座通りの「幸鮨」で仕上げだ。
フエフキダイ科のメイチダイ、南紀の高級魚、目一の活りは旨味甘味の絶妙なバランスに富んだ発見であった。地ウニの板は、昔、母の郷里の鹿児島の志布志湾で死ぬほど捕って食った生の味が蘇って、2枚も平らげた。渡り蟹の蒸、太刀魚の握りも必食だ。この店に至って、初めて八海山が飲めた。やはり、刺身の酒は辛口に限る。品のいい優しい女将が外まで見送ってくれたのが、嬉しい。
7:30の飛行機で帰る。
アリスが飛びついて、例によって嬉しさの余り、おしっこをちびった。大団円である。

[やぶちゃん注:さりながら、リンクはほぼ他人なり。【2012年5月29日「――道成寺鐘中――Doujyou-ji Chronicl」の公開に合わせて、リンクを刷新した。哀しいかな、老舗「伊せや」は昨年末に廃業していた。】]

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