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2006/10/01

國木田獨歩 武藏野 又は 鉄腕アトム 赤いネコ

國木田獨歩の「武藏野」の「やぶちゃん校訂版」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

僕は、中学1年の時に、この作品を全文を読み、ここに永遠に失われた日本の原風景を見たのであった。これは、僕自身の日本的なる、「自然」のバイブルである。その後、長い間、初版が欲しかった。高校1年の時の国語便覧で見た、表紙の絵にひどく惹かれたからに他ならない。就職してやっと復刻本を手に入れた(バブルがはじけて以降、復刻本の古本はすっかり値崩れしていた。数百円でこの本を手にした時、嬉しいと同時に、何かひどく淋しい気がしたのを覚えている)。獨歩の友人の画家、岡落葉の絵である。この牛車の後に乗っているのは、僕にとっては、僕自身である。……

……しかし実際には、この一節との出会いは、遥か小学校2年生に遡るのである。そうして、それこそが、僕の文学と最初の出会いではなかったか。……

……ご存知の方も多いであろう、それは手塚治虫先生の「鉄腕アトム」第5話の「赤いネコ」である。

《私が生涯の中で、他者を心から「先生」と自立的に呼んだのは、まさに手塚治虫が初めてであった。日常の会話の中で、母がこの人気の漫画家を呼び捨てにしたのを、即座に僕が咎めたのだそうだ。母は、今もそれを昔話のように楽しそうに話す。》

尤も、この作品の実際の発表は僕の生まれる4年前、昭和28(1953)年の「少年」5~11月号の連載である。

今日は、「武藏野」の公開にあわせて、実は、この作品を語りたいのである……。[やぶちゃん注:以下、原作のふきだしの台詞の呼吸を一部再現するために空欄を設けた。台詞の傍点は下線に代えた。]

追伸:以下を書き終えた所で、何とも胸が一杯になった。「武藏野」についても、この「赤いネコ」についても、僕は語りたいことが沢山あるとさっきまで思っていたのだけれども、今は、伝えるべきことは、これで伝わらなくては意味がないと、思うに至った。さすれば、下劣な感想は控えることとする。しかし、ここに既にガラスの地球を救えと晩年訴えた手塚先生の種子は、既にあった。(5:10)

*  *  *

それはまず、冒頭に殺伐とした未来都市東京を散策するヒゲオヤジによって朗読される。「武蔵野を 歩く人は 道をえらんでは いけない」「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」「その道はきみをみょうなところへみちびく……」「もし人に道をたずねたら……」「その人は大声で 教えてくれるだろう おこっては ならない」「その道は 谷のほうへ おりてゆく」「武蔵野には いたるところ……」「谷があり 山があり 林がある」「頭の上で鳥がないていたら きみは幸福である」……それと共に描かれるコマが皮肉な映像であることは言うまでもない……。 

彼は、「赤いネコ」とサインされた葉書を受けて、古びた洋館に呼び出された五人の少年達を保護する。彼等の父親たちは、皆、新東京開発の関係者であった……。

赤いネコを探索追跡するヒゲオヤジとアトムは、山中の洞窟で動物学者Y教授の白骨死体を発見する。Y教授の友人であった御茶ノ水博士は「いつも この武蔵野が どんどんきりはらわれて 都会になってゆくのを なげいていました」と語り、ネコは教授の可愛がっていた「チリ」であると言う……。[やぶちゃん注:少し残念なのは、この教授のネームがそっけないイニシャルであることか。いや、これは「やぶちゃん」の「Y」なのかもしれないな。【2013年7月25日追記:ウィキの「鉄腕アトム」によれば、講談社の手塚治虫漫画全集版以降「Y」という不自然な名前になっているこれは、もともとは「四足教授」であったものが、差別用語に抵触する虞れから、そのイニシャル一文字に変更されたものである、とある。なお、同日附の「2013年8月7日にアトムは僕らを救ってくれるか?」の僕の記事も参照されたい。この「赤いネコの巻」の時代設定は2013年8月7日前後であることを立証した(と自分では思っている)論考である。】]

その晩、チリがヒゲオヤジの寝所に現われ、「私の 主人は あの 美しい 野山が ビルディングの町になるのを くやしがって死んだのです」「お願いですから ビルの建築を やめさせて……」「きいてもらえなければ あなた はじめ みんなを のろい殺しますよ」と人語を操り、彼の銃撃をもかわして消え去る……。

日比谷の建設省のセンター開発公団を訪ねたヒゲオヤジは、公団の総裁[やぶちゃん注:ここで演ずるは、手塚のスターシステムの「ロック公」である。以下、彼をロック公と呼称する。]から、Y教授がこよなく愛していた武蔵野の一角「笹が谷」の開発工事が、一時はY教授の嘆願もあり、ロック公の判断でとり止められたにも拘らず、他の多数意見によって結局開始されてしまったことに恨みを持っていたという事実を聞かされる……。

学校。ガキ大将の四部垣以下は、ヒゲオヤジ先生にビルを建てられたら僕たちの遊び場がなくなる、反対! と詰め寄っている[やぶちゃん注:本当にあの頃は空き地がいっぱいあったし、そこは僕らのワンダーランドだった。]。放課後、四部垣は秘密の宝物を工事が入る空地に埋めていたのを思い出す。行って見たところが、野犬に襲われ、間一髪のところにアトムがやってくる。ネコの面を付けた男が現われ、誤って襲わせたことを詫びながら、姿を消す……。

怪しいとにらんだアトムはその空地に秘密の地下通路を見出し、四部垣と侵入するが、逆にネコ男に捕まって軟禁される。描かれるその地下基地は、多くの動物が収容され、まさにノアの箱舟の再現であった……。

抵抗するアトムの腕のジェット噴射で、男の面がはがれた。それは、死んだはずのY教授であった。地上に逃げ延びた二人が出たのは、少年達が呼び出されたあの洋館、Y教授の家であった……。

Y教授の生存が確認された今、田鷲警部は逮捕状の申請を主張するが、お茶ノ水博士はそれを抑え、自ら単身、洋館を訪れる……。

現われたY教授は、お茶の水博士の説得に対して、こう反論する。「大自然の 精が わしにかわって 人間たちに 復讐しているんだ これはずっと これからも つづくんだ」……そうして開発を中止しなければ8月7日に恐ろしいことがあると告げて去ってゆくのだった……。

ヒゲオヤジは、役人(先の「ロック公」)に、工事のとりあえずの中止を進言するが、彼は言い放つ。「都の命令がない以上むだんでやめられないのですよ」「私はやります」「東京の名誉のためにも」……。[やぶちゃん注:石原慎太郎よ、よかったな、ここにもお前のチルドレンはいるぞ。]

8月7日。

ありとあらゆる動物達が、突如として一糸乱れぬ反乱を起こし、東京はパニックに陥る。アトムは下級生の子供たちを救おうとして、ビルに激突、突き刺さったまま、機能を停止してしまう……。

捨て身の四部垣と駆けつけたお茶の水博士によって復活したアトムは[やぶちゃん注:ここで再生したアトムはまぶしく光っており、抱きつこうとした四部垣に博士が「いまアトムのからだは原爆とおなじようなもんじゃ」と制止する台詞は伏線以外にも意味深長である。]Y教授を探し出し、そこにあった動物を遠隔操作していた超短波催眠装置を破壊して、彼と対決する。……

アトムに飛びついた「チリ」は、触れて瞬時に死に、破れかぶれととなったY教授は、ダイナマイトを、誘拐した隣室の子供たち投げつけようとし、その瞬間、アトムの機転で自爆してしまう……。

その頃、建設省では意外な事実を、お茶の水博士が暴露している。公団総裁のロック公は、口ではY教授の嘆願を受け入れたようなことを言っていながら、その実、全くの私利私欲のために「笹が谷」開発の強制執行に踏み切った張本人なのであった。丁度その頃、窓外の動物の群れは、すでに鎮静を取り戻していた……。

回生病院。廊下。歩くお茶ノ水博士と医師。

お茶の水博士「Y教授はどうだね? 爆弾でやられたのだからそうとうひどかろう」

医師「とてももちませんな あと二日か三日生きればいいほうです」

病室。Y教授のベッド。

お茶の水博士「Yくん わしじゃ わかるか」

Y教授(うわ言で)「ムサシノを かえ…せ…」

お茶の水博士(書類を掲げて)「心配ない Yくん 建設省から約束の書類をとってきたよ 見えるかい……もうだれも あの森には 手をつけないんだよ」

Y教授(目を開け、黒こげとなったチリを抱いて横たわっているが)「あ……ありがたい チリや あれを ごらんよ…」

お茶の水博士「Yくん 元気になってくれな」

Y教授「お願いだ わしが死んだら あの森の中へ 埋めておくれ……たのむ」

Y教授(オフで。画面にはベッドの端にたたずむヒゲオヤジが後の窓を振り返っている。窓外には森を背景に、左を向いた淋しそうなアトムが立っている。)「わしは 武蔵野を 土に なって 守りたい」……。[やぶちゃん注:この作、お分かりのようにアトムは狂言回しの役どころでしかないように見える。しかし、そうではない。このコマのアトムこそが、人間とロボットという二律背反に引き裂かれてしまった、まさに「人としてのアトム」のディレンマの表現であったのだと思うのである。]

……並木道。散策するヒゲオヤジ。ヒゲオヤジは呟く。

「武蔵野を 歩く人は 道を えらんでは いけない」

「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」

「その道はきみを みょうな ところへ みちびく……」

森。佇むヒゲオヤジの前に苔むした墓がある。

「そこは森の 中の 古い墓場……」

「こけむした 石碑がさびしく うずもれている だろう」

墓。フルショット。その墓石に刻まれた「Y教授墓」の字。

「頭の上で 鳥がないて いたら きみの 幸福である」

見上げるヒゲオヤジ。森の上を、鳥がねぐらへと帰ってゆく……。

ヒゲオヤジ(以下の台詞は一見「武蔵野」の一節であるように描かれている)「武蔵野は滅びない どんなに文化が 進んでも……」「この大自然はいつまでも きみたちを 待っているだろう」

最終コマ。数枚の落葉のある、地面に置かれた「国木田独歩 著 武蔵野」の本。その上に、一枚の枯葉が散っている……。 

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