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2006/11/30

100人目のマイミク

なあ~んだ 慄っとする美形のお姐さんを期待してたのに こともあろうに百人目は僕の「末っ子の息子」じゃあないか 沖繩の修学旅行で壁一枚隔てた僕の頭の向うで深夜に大騒ぎして僕をテッテ的に怒らせた(そのくせ修学旅行の文集でさんざん僕をピエロに仕立てやがった) 僕に「プルートゥ」の素晴らしさを教えてくれた そうして(これが致命的絶望的に頭が上がらない理由なのだけれど)その「プルートゥ」に関わってしなきゃいいのに約束しちゃった唯一残した宿題である僕の「ノース2号」論を待っている ちょっとイケメンの優等生のバスケ野郎の……「末っ子の息子」じゃあ、ないか、チェ! 悔しいけど 嬉しいよ!

2006/11/29

本質という死語について

「本質」についてその語をコンテキストの中で用いた瞬間に我々が語りだすそれは、常に仮定された半過去の、在り得なかった/そして在り得ない/そして未来永劫確かに在り得ない、無化された無責任な命題に、過ぎない。

*酔ってふと書かねばならないと思ったのだが、書い後に内心忸怩たる思いの中で、本ページに「本質」で検索をかけてみて、確かに僕が「本質」という語を如何に忌避しているかが分かった。酔っていても、僕はせめて、僕自信を裏切っていなかったことに胸を撫で下ろしていたのだった。(11:48追記)

99人目のマイミク

99人目のマイミクは教え子ではない。北京大学で科学史・科学論を学ぶ未知の男性だ。僕の「メタファーとしてのゴジラ」から結ばれた。「ゴジラ」さえ、僕に新たな人との「知」の地平を開いてくれた。いや、「ゴジラ」だからこそ、無惨に相互の信頼を失った僕という惨めな「人間」に、猶予された、他者との交感を許容してくれたと言うべきか。人類に愛想をつかしたかのように、ヘドラを倒した彼が去ってゆくのを、僕は何故か、言い知れぬ悔恨の中でかつて眺めたのだが、まだ、彼は、ゴジラは、僕らを愛しているのだと、ふと思った……

さて、100人目のマイミクは、あなた、かな?

2006/11/26

円空 熊楠 駒形どぜう

国立博物館特別展「仏像」の、一木から円空が「彫り出した」岐阜高賀神社十一面観音菩薩・善財童子・善女竜王三体に、激心した。楽しみにしていたその後の木喰上人の作品群は、その前の円空の作品群、いや、このこの三体仏一つで、完全に霞みの彼方へと去った。単独で木喰の作品を見たら、きっと大いに「素直に」感動したはずである。自然木の洞に彫りこんだ愛媛光明寺子安観音菩薩の前に、僕は必ずや「素直に」立ち竦んだはず、だった。しかし、円空の後に展示されたのは致命的にいけなかった。そこにいるのは「信仰の喜び」を顕在化させた「鼻持ちならぬ芸術家」でしかなかった。円空の前に円空なく円空の後に円空なし!

円空が北の原野に小さくなってゆく……山から熊が下りてくる……。妻は夏の紀州以来、南方熊楠のことを気安く「熊ちゃん」と呼ぶ。その「熊ちゃん」の科学博物館の特別展を見る。円空の生涯10万体(実作12万体)結願の出発ちは、ただの契機に過ぎない。そこに円空なる稀有の天性の「無意識の芸術家」が在ればこそ、円空仏は「在る」。僕には洋行に旅立つ熊楠が、自身の肖像写真の裏に記した

洋行すました其後は

ふるあめりかを跡に見て

晴る日の本立帰り

一大事業をなした後

天下の男といはれたい

がその、同じ契機を象徴するものとして映る。篠原鳳作まがいに言うなら、銃一丁と僕の秋よろしくアメリカを横断し、曲馬団に入ってラブレターの代筆をしてキューバを巡り、ロンドンの自然史博物館で差別主義者のイギリス人に鉄拳を「ブチノメス」(今回、その日の日記を実見! 思わず快哉を叫ぶ。漱石も「ブチノメ」しておれば、統合失調症にならずに済んだものをと、しみじみ想うた)、孫文や土宜法竜(今回、遂に「南方マンダラ」の直筆図を見る! その横には、2004年発見の法竜宛書簡、そこには明確にプレ「南方マンダラ」たるユダヤのカバラを基底にした熊楠直筆のチャートを記した書簡が!)との精神の交感を経て、帰国後の那智山入り、菌類・粘菌類(今回、念願のG・リスターのミナカテラ・ロンギフィラの原図を見る! こりゃ昔、バルタン星人の解剖図を少年雑誌の図解で見て以来の感激だ!)・「南方民俗学」(複製ながら展示された「十二支考」の「虎」の「腹稿」――構想原図を熊楠がそう呼称した――にはもう手が震えた!)の深奥へと向かう姿は、僕には円空の後姿と見事にダブってゆく……。

至福の仕上げは駒形のどぜうを喰ふに若くはなし♡

2006/11/25

子らの想い

今日、山岳部の山行の丹沢で、青空の下、美しい紅葉のグラデーションを眺めながら、しかし……

……昨日受け取った、上海で働く、私の信頼する古き教え子の手紙の一節を思い出す……

「昨今の教育界を巡る様々な動き(自殺問題、基本法など)に、心ある人たちが異論を唱えないことに妙な違和感と失望を、そして不安を感じます。祭りが好きで大勢で一方向に動きがちで、内向きの眼ばかり発達した日本……」

……そう、その通りだな……しかし、君、落胆してはいけない……

11月22日発行の僕の今の職場の生徒が書いた学校新聞、最近、問題となった高等学校の履修漏れについての(但し、僕の職場は今回の履修漏れ問題に関しては抵触していない)、論説「学校教育の岐路 予備校化を防げ」と題した記事の末尾が心に浮かんだ……

(その最も嘆かれる問題点は)『教育を受験のための手段としてしかとらえられない生徒や教員、保護者の愚かな認識である。/教育における結果はすぐに目に見えるものではない。そして教育改革の成果も即座に表われるものではない。それだけに教育制度の議論に関しては慎重に慎重を重ねなければならない。そして、学校は責任ある教育機関として、教育の本質にかなった教育活動を行わなければならない。/果たして、○○はどうか。』。[やぶちゃん注:○○には僕の職場の名が入る。]

……また、同じ新聞の、別な、別の記者による教育基本法「改正」案に関する記事の末尾を思い出す……

『現行の教育基本法とも、そろそろ六十年の付き合いになる。今のままで最良とは言えないかもしれないが、今までのこの長い年月の間、この国で暮らす人々を守り支えてきてくれた法律だ。この法律に何らかの美点があることを、その長い年月こそが示している/今の与党には、確かに野党を押さえ改正案を強行採決するだけの力があるだろう。だが、本当に「日本人自らの手で書き上げ」た法律をつくるためにも、より多くの人々の意見を鑑みて、慎重に審議を重ねてほしい。』

……僕は、まだ、かつての君のような高校生が、今も、生きていることを、君に、伝えたい。僕は、こういう記事を自立的に書く子らを現に教えていることを、心から誇りに思うことを、君に伝えたい、と思ったのだ。

……しみじみ想った、紅葉もまた……常に、いつも、美しい……

2006/11/23

南方熊楠 マンモスに関する旧説/鯤鵬の伝説

南方熊楠の「マンモスに関する旧説」及びそれに関わって後に書かれた「鯤鵬の伝説」のニ作品を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

ここで熊楠は僕たちに、考証学というものが如何に面白いかという、その醍醐味を存分に伝えてくれる。最初の記載から実に23年後に「鯤鵬の伝説」は書かれる。熊楠の思索が、常に不断に持続しているさまが手に執るように分かる点も、見逃してはいけない。

ちなみに、最初の注にリンクさせた、Rhinoceros tichorhinus に関わって探索するうちに見つけて吃驚した

H. ALLEYNE NICHOLSON “THE ANCIENT LIFE-HISTORY OF THE EARTH ”(英文)

は、その膨大な素敵な挿絵を眺めるだけでもドキドキしてくる。是非、ご覧あれ!

2006/11/22

自然界最強の毒は?

ギボシムシの糞塊のように忙しい。HPの更新もままならぬ。ストレスがマリンスノーのように溜まってゆく。不快……

……ミクシィを見ていたら、教え子の日記にかなりマニアックな海洋生物(メガロドン:超巨大ザメ)の話を見つける。そこに「やぶさん、ごめんなさい」とあるので、何かと思えば、国語の教科書に巨大イカの落書きをして喜んでいたことを謝っている。イカ、基、以下は彼女の日記への、僕の書き込み。これで僕は、どんよりした深海底のような憂鬱を、少しだけ、忘れることが出来た……

嬉しいねえ、国語の教科書に巨大イカ!  では、

●質問

現在、化学的に解明された(人工的に全合成に成功した)自然界最強の毒を持っている生物は何か

○答え

(たかが)イソギンチャク
(されどその毒性は)青酸カリの50000倍 

一見何でもない岩場に地味に広がっているハワイのイワスナギンチャクの一種

palythoa toxica

だ。古来、ハワイ島の原住民は、この毒性を知っていて、部族間の戦いの折に槍に塗っており、その生育地は部族の長の最高機密に属していた。その毒成分は近年解析され、種小名に由来して

palytoxin パリトキシン

と名付けられた。

palytoxin化学構造式(英文:これは多糖類・タンパク質といった生体高分子を除くと、正確な構造式で表わされるものとしては最大の分子という) 

その発見と伝説(英文:サメも出てくる。アーバン・レジェンドの部分もブルっとくる。上の構造式はこのページの最下段からのリンク)

海産物の毒(邦文:ここにはpalytoxinを上回るいまだ全合成されない最強の自然毒maitotoxinマイトトキシン(←のリンクはウィキの「マイトトキシン})の話も所載) 

その毒性について、僕の目から鱗だったのはTBSブリタニカ内田紘臣著「イソギンチャクガイドブック」の中の以下の記述である。

『最近になって科学的研究が行われ、学名が付けられたのだが、そのときにハワイ大学の学生がこのスナギンチャクの群体の上を泳いだだけで数日間の入院が必要だった』 (下線やぶちゃん)

磯巾着、恐るべし。

2006/11/19

ある教え子の夢

ある教え子の女性が見た夢。僕が登場する。彼女のメールから引用する。

「豪雨の中おぼつかない足取りでわたしに化石を届けてくださいました

素敵ね」

――このメールを見ながら僕は、役者として、「銀河鉄道の夜」の「プリオシン海岸」のあの、太古のくるみや貝やボスを掘り出す大学士を演じたような気になって、訳もなく嬉しくなったのである。……

太宰治 鐵面皮

「右大臣實朝」の初期形を垣間見ることのできる太宰治の「鐵面皮」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。ここでは、太宰の實朝への思い入れや一人称告白体の設定が語られている点や、僕が拘った「御所」の表記等、「右大臣實朝」を読解する上で、不可欠な作品と言える。

太宰治 赤心

「右大臣實朝」の関連作品として、太宰治の「赤心」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

太宰治 右大臣實朝(やぶちゃん恣意的原稿推定版) + 私の拙作歴史小説「雪炎」の事

やっと、やぶちゃん恣意的原稿推定版太宰治「右大臣實朝」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開出来た。昨日完成していたが、教え子の教員採用試験合格パーティで久しぶりに快く飲み、バタンキュー。今朝からとりかかったものの、フォントの編集が異様に手間取り、この時間になってしまった。

大学の時に僕が書いたクソ小説「雪炎」は、この太宰の「右大臣實朝」にインスパイアされたものである。僕は特に公暁と主人公の由比ガ浜でのロケーション・シーンがたまらなく好きだ(あえて言うと、実際に朗読されると分かるが、公暁の台詞に混じる敬語は旨く機能しているとは思われない。蟹をバリバリと食らう厭世的なヒットマン公暁のイメージをもっとストレートに出したい気がする)。僕の二人の漁師のシーンはそのオマージュである。

僕の小説は、単に実朝暗殺事件の真相として、永井路子の三浦黒幕説に対する反駁から書いたに過ぎず、小説的技巧も稚拙の極みである。ただ基本的に僕は今も北条義時黒幕説を支持している。永井の乳母の家系は育てた子を殺さないという論理は、少なくとも「北条義時」という個に限っては、敷衍できる論理だと思っていない。

さらに、僕には僕の小説中ではっきりとは示していない、多くの疑惑が、この事件にはあるのである。たとえば、「吾妻鏡」を一寸紐解けば、それらは容易に見つかるはずである。例えば、

現実主義者としての冷徹さでは右に出ない義時が何故、幕政逼迫の折も折に、政子や泰時の大反対を押し切り、私費を投じてまで大倉薬師堂(現覚園寺。十二神将戌神の消失の霊異譚としてこの事件では大きな役割を担っている)を建立したのか?

公暁の事件直前の異様な密行や奇行を記載していながら、公暁に対する危機管理が全くなされていないとしか思われないのは何故か?

拝賀の式退出の際の警護が、現実には如何にも在り得ない程、手薄であったのは何故か? なお、暗殺の実行犯は公暁を含めた複数である。

大江広元は何故、事件を未然に察知できたのか?

尼御代政子と大江広元が同居することを意識していたとしか思われない家財私物の移動は何を意味するか?

三浦は何故美事に首級を得て訪ねてきた公暁の処遇をわざわざ義時に訊ねたのか?(勿論、これは三浦黒幕説の論拠としても機能するが)

黒幕を探ることもせずに義時は何故、即座に公暁を撃つことを命じたのか?(同前)

事件後、捕縛されていた公暁の弟子が、無関係として放免されている記事が、いかにもあっさりとしているのは何故か?

そのほかにも、公暁に間接直接からむところの二人の「定暁」という僧の存在等々……この実朝暗殺事件は誠に藪の中なのである……

2006/11/16

何處へ行かんとするか此國

彼の法の精神は教育が自由を保障せんがためにある也。而して其を改め荀卿の如き規矩もて國家有用てふ奇形なる魂を製造せんとせば國は春秋戰國の世と變はらざるなり。(藪子)

2006/11/15

色バトン

教え子「まりあ」からの色バトン♡
僕がバトンに正式に参加するのは、二度目だろうか? でも、これはその嫌味のない透明度が気に入った。但し、回した方は、送るも送らぬも自由意志であることを確認しておく。
バトンへの一般的感懐:ミクシィ・バトンの中には、愚劣なものも多い。それで、せっかくの仲が裂けたのも目の当たりに見た。ともかくも、人に不快感の誤解を与えるものには、答えぬのがよい。あくまで己がちっぽけな自身を語るための手段とせよ。いや、このバトンでさえその危険性が皆無とは言えないが(たとえば最後のQ)、しかし、僕は相応に相手の最も美しい部分を想像しながらその色を割り当てたことは言っておきたい。即ち、想像できるだけ(もうすっかり生徒の名を覚えようとしない僕が、記憶しているという点において)、選んだあなたは、私の中で鮮やかに美しい人なのである。
★好きな色は?
ワインレッド(これは命!)
アクアマリン(妻にゼッタイ似合わないと言われるが)
★嫌いな色は?
なし!
考えても見なかった。僕たちに嫌いな――「色」――なんてあるのかな? きっとそれは関係妄想だよ!
★携帯の色は?
回答不能(携帯、持ってないもん。でも、万が一、持つとしたら……やっぱ、ワインレッドだわさ)
★あなたの心は何色?
オール・オア・ナッシング! 白か黒だ。ブルーでさえ、ないぜ。
★回してくれた人の色は何色?
明るい嫌味のないピンク(が嫌だったら、やっぱワインレッド、いや、それは「まりあ」がデザインしたあの見返り美人のTシャツのね!)

★次の色に合う人を選んでバトンを回してください
【すみれ色】サチ
【よもぎ色】kid
【えんじ色】サリ
【そら色】スー
【ひぐれ色】つのじろう
【あい色】huiyan

2006/11/14

太宰治 右大臣實朝 テクスト化予告

現在、太宰治の「右大臣實朝」のテクスト化に取り掛かっている。今日は、修学旅行の代休を午後取ったものの、それも全部これに費やしちまった。今までの私のテクストの中では最長である。既に、複数のサイトで新字での電子テクスト化は手掛けられている。しかし、この作品には、僕のある思い入れがあるのである。加えて、ある恣意的な操作をテクストに施した。暫く、時間はかかるが、お待ちあれ。

2006/11/13

自分の感受性?

僕は、自分の感受性の鈍さから、大事な人が去って、初めてそれに気がつくようなことがあるのだと、この年になって気づく、という体たらくを繰返しているような気がする。そうしてそれは、僕が生徒に、今現に憎んでやまないことを言明しつつ授業している太田豊太郎と、まるで懸隔の差はないのだということも、今になって感じているのは、実に最愚劣なことではないか。――そもそも、これは、自己矛盾を生ぜざるを得ぬ。僕は愛さない小説を授業しないことにおいて人後に落ちないのだから。――されば、僕はやはり、豊太郎を愛しているのだろうか? 愛するように、憎んでいるというのか? ――それはやはり、ランボーが言ったように、同じ(それも呪われたものゆえにこそ)魂だけが、同じ魂を理解するのかも知れぬ……

Irukandji リターン!

Irukandjiについて、ネットのグレートバリアリーフをサーフした結果を追加する。

イルカンジ症候群(ウィキペディア)

この記載と下に記す命名者フレッカーの事績に纏わることで、僕が気になるのは、次の二点である。
まず、最初の報告者は、かの猛毒種キロネックスの最初の現認者(Chironex fleckeriという種小名はそれを記念するものであろう)と同一人物で、それの正式な報告が1952年であったこと、さらに彼がその「イルカンジ」の存在を知った年代を1945年まで遡ることが出来る可能性があること、加えてその危険性を、彼が1950年代初頭において'Irukandji Syndrome'として既に報告していたことである。このことは、以下の「ブリスベン通信」のイギリス人被害者遺族の言葉にあるように、対応が余りにも遅すぎると言わざるを得ない。
もう一つは、僕は当初から、この「イルカンジ」という言葉がアボリジニの言葉であろうと思っていたのだが(もしアボリジニがそう呼んでいたらこのクラゲの発見は遥か昔に遡ると推測していたのだが、そうではなかった)、その部族の名をフレッカーが付けたという事実である。フレッカーはどのような思いで、この殺人クラゲの名にアボリジニのその部族の名を付けたのかということである。フレッカーへの批判は留保するが(差別的な命名出ないことを望む)、その命名の由来を知る人がいたら、是非お教え頂きたい。

ブリスベン通信(個人のブログ)

これによると、『サンシャイン・コーストやゴールド・コーストなどブリスベン周辺の海岸』ではこのニュースを聞かないとあり、やはり特定域の限定種と判断しているようではある。

そうして、これが命名者であるヒューゴ・フレッカーの事績である。

Australian Dictionary of Biography”(英文)

そうして最後に。ドキッときたのが、これ。

グレートバリアリーフ グリーン島日記(個人のページ)

それぞれのクラゲの出現期間や成長期(強力な刺胞を持つ時期)は思いの外、特化限定しているようなので、季節的に大丈夫とはいえ、僕たちは「知らぬが仏」(この場合、仏にならずに済んだといういけないブラック・ジョークも頭に浮かぶところの)のグリーン島だったとも言えるであろうか。何せ、クラゲ・ネットも透過してしまう小型種なのだから。

2006/11/12

南方随筆 『俗伝』七篇

南方熊楠の「イスノキに関する里伝」「睡眠中に霊魂抜け出づとの迷信」「通り魔の俗説」「睡人および死人の魂入れ替わりし譚」「臨死の病人の魂、寺に行く話」「睡中の人を起こす法」「魂空中に倒懸すること」の全七篇を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これらは「南方随筆」の中、『俗伝』という柱で、電子テクストとして公開済みの「山神オコゼ魚を好むということ」を筆頭に記されている小論群の一部である。どの一つを執ってみても、そこに熊楠というオリジナリティが在る、ということに驚嘆せざるを得ない。

Irukandji(Carukia barnesi)

Irukandji こと Carukia barnesi についてのWeb情報に基づき、昨日のブログ「臨海博士、グリーン島にて海外デビュー!」の記載の一部を訂正した。

2006/11/11

臨海博士、グリーン島にて海外デビュー!

只今! 昨夜遅くに生徒自分共に無事に帰国した。さて――49の「チョイ悪るオヤジ」はヤンキー風ギャルに、何故かモテるのだ。

オーストラリア、ケアンズ沖のグリーン島、グラスボートを待つ間、「ニモが見たい!」と叫ぶそんな女生徒に、カクレクマノミとイソギンチャクの特化した関係(特定種特定個体のクマノミのみが特定種特定個体のイソギンチャクとのみ共生している)をエラそーに喋っていたら、現地のコーディネーターの女性が、後ろの生徒に「あの先生は何の先生?」と聞いているのが聞えてきた。「国語の先生」と生徒が答えると、「ええっ!」という驚きが響いてきたその瞬間が、僕の臨海博士海外デビューであった。

島に渡るまで、僕は舷側にずっと、「ジョーズ」の舳先のロバート・ショーよろしく、烈風に吹かれ、体を左右に揺すりながら、水面を見つめていた。ユウレイクラゲ1個体、エチゼンクラゲ1個体、下船直前、藻に擬態したシー・ドラゴン(タツノオトシゴの仲間。これは船上からではレアだ)を目視した。スイッチが入った。

グラスボートに乗ると、明らかに僕を試すために、船底に現われた鮮やかな魚を指して少年が名を試した。「オヤビッチャの仲間だな」(でもね、言っとくと、脊椎動物である魚類は、僕のテリトリィではないんだよ)。半信半疑のその男子生徒が、暫くして船内放送が日本語に変わると、「これはオヤビッチャと言います……」と嘘みたいなコールの途端に、「ヒェー! やぶちゃんの言った通りだあ!」と歓声を挙げてくれた。ターボ・スイッチ、オン!

後は、口が先に動いた。海参(干した海鼠)として最も高価なバイカナマコ、お馴染みキュヴィエ管のニセクロナマコ、嘘みたいに小さな巨大種ジャノメナマコ。魚類の寄生虫を啄ばむホンソメワケベラ、シャコガイは僕が指差すうちにボートが動いて、幸いにそれを見た、女生徒が「すごい!」を連発し、見損なった子らがブーイングする。外套膜に共生するゾーザンテラ(共生藻類)の説明もそこそこに、今度はノウサンゴだ。シャコガイを見損なった子が、「ノウ」の説明で、「そうそう! ノウミソ! 私、見たもん!」と自慢して、シャコガイを見た子が悔しがる。無数の糞丘は恐らくシロナマコか、ユムシによるものと思われたが、これは説明しようと思うちに、もう、艀に着いてしまった。「嘘!! もう終わりなの?」という子供たちの声が一番、僕を恍惚とさせてくれる。メーター、一気!

子供たちが泳いでいるうちに、僕は島を一周半した。残念ながら、目ぼしい海岸動物は発見できなかったけれど、僕は、海を、波の音を聴いていれば、それで満足なのだ。それは、やはり、僕の記憶の羊水の、そうして、原初の記憶の漣なのだ。僕の魂は臨海ならぬ、臨界だった。

帰りの船のデッキでは、僕と話すのを楽しみにしていたという少年と、先輩の先生を相手に、マングローブ林のハイブリッドな生殖戦略から、ジェリー・フィッシュ・レイク、果ては不老不死のベニクラゲの話へと展開し、あっという間にケアンズについてしまった。男子生徒が、本当に魅惑される「少年」の眼をしていたのだ。いかん! これはもう、チャイナ・シンドローム寸前!

その少年には前日の自由行動の時間に、僕が見つけたケアンズの、汚い河口のヒメシオマネキ(日本では本州以北には生息していない。観察中に他個体とバイアスを実験しようと、別な巣にある個体を挿入した際、挿入個体が自切してしまった。僕は自分でも不思議なくらい、何だかひどい自責の念に襲われたのだった)の群落の感動を語っておいた。右手第一脚の肥大したハサミを振り上げる小型の蟹である。そうして、翌日の帰国の前に逢ったその彼は、わざわざそのために、土産を買うのもやめて、僕の言った場所に、観察に行ったと語り、 「先生、見てきました! 凄いですね!」とまたもや眼を輝かせて感動を語ってくれたのだった! これはもう、メルト・ダウン以外に、何と言おう!

冒頭の現地のコーディネーターの女性には、それでも、感謝する。最強毒のキロネックスとは違う殺人クラゲの存在だ。クラゲ・ネットを透過する、“イルカンジ”。僕は「立方クラゲだとすると、それはキロネックスという名ではありませんか?」と尋ねたのだが、彼女は、違うと言った。

現地の人々は刺胞毒の強いクラゲを一くらげ、基、一からげにして、「スティンガー」と称しているように思われる(ちなみに、僕はこれは刺胞毒が強く運動性能の高い立方クラゲのアンドンクラゲ類にピッタリな名前だと感心している)。実際、海洋生物にこれほどまでに種の名前が細かくついていて、それなりに人々に知られているのは日本ぐらいのものなのだ。

当初、“イルカンジ”はキロネックス Chironex fleckeri の幼体だと思っていたのだが、このページを見ると、キロネックスの幼体は刺胞は圧倒的に少ないことが分かった。また、検索をかけるうちに、イルカンジはどうも限定された海域に住んでいる特殊な立方クラゲであるらしいことが判明した。オーストラリア北東部のクイーンズランド海岸沖のウィットサンデー諸島周辺でしか確認されていないという記載がここにある。ちなみに、その毒は勃起強化剤となるとある。この「X51」は御用達のページで、この記事も既に読んでいたが、イルカンジという名称は失念していた。そうしてやっと発見! これがIrukandji こと Carukia barnesi だ! 可愛い奴には気をつけろ。

しかし、ネットの強化よりも、本当は、まず彼らのライフ・サイクルの解明の方が先なのではないか。「人を傷つける」生物も、彼らなりに、人間と同じ「生」の要請によって生きていることを、忘れてはなるまい。

最後に一言。

グリーン島に行ったら、一見しょぼいし、5ドルは高いと思う、あの桟橋のいっとう先の水中展望室に、行くがよい。そこでは、ハタゴイソギンチャクに共生する天然の「ニモ」=親子のカクレクマノミも、共生藻類を蓄えた巨大な生きたシャコガイも、数十センチ先に、見られるんだよ――

――その桟橋で、ある生徒が言った。

「先生、去年、海の生き物観察してて、腕折ったんスよね? でもここで、先生、復活、スよね!」

――「そうだね!」と笑顔で答えながら、僕の思いは、今年の一月の沖繩に飛んでいた。僕は内心呟いた――『本当はもう、あの沖繩で、僕は復活していたんだな……あの子たちをどこかで裏切りながら……でも、あの子たちを裏切らなければ、この子たちとも、逢うことはなかったのだな……』――太陽が、眼に痛かった――今これを打つ僕の眼には、左腕の時計のベルトの日焼けの跡が、佐渡流人(ケアンズは金山、オーストラリアはイギリスの流刑地だった)の刺青のように見える……

2006/11/06

オーストラリア ケアンズへ/メタファーとしてのゴジラ<Renewal> 

暫く、無沙汰する。本日昼より、オーストラリア修学旅行の付添で、金曜深夜まで戻らぬ。最後に、一部の方から、読みにくいという指摘を受けた「メタファーとしてのゴジラ」をシンプルにリニューアルし、芥川龍之介の「南瓜」の謎も加えて、旅立ちの形見とする。では、随分、御機嫌よう。最後の最後に、一言。「修学旅行は、沖繩に限る。」

芥川龍之介 南瓜

芥川龍之介の「南瓜」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

この作品の新聞連載は大正7(1918)年2月24日である。彼はこの時、海軍機関学校に勤務し、横須賀に住んでいた。

2月 2日 塚本文と田端の自宅で挙式。

2月13日 海軍機関学校教官のまま、大阪毎日新聞社社友となる。

2月24日 「南瓜」、『読売新聞』に掲載。

3月29日 鎌倉町大町字辻小山別邸に新婚の文と共に新居を構える。

4月 1日 「袈裟と盛遠」、『中央公論』に掲載。

……これはやはり以下以外のキャストは、僕には考えられない(但し、「南瓜の市兵衛」の風采には佐野慶造のイメージが転用されていると思われる)。「殺せ。殺せ。………」と呟いた龍之介は、とっくの昔に、「彼」を殺していたのだ……。

南瓜の市兵衛(芥川龍之介)

薄雲太夫(佐野花子)

奈良茂(佐野慶造)       

2006/11/05

栗本丹洲「千蟲譜」巻七及び巻八より「蛙変魚 海馬 草鞋蟲 海老蟲 ワレカラ ホタルムシ 丸薬ムシ 水蚤」

栗本丹洲「千蟲譜」巻七及び巻八より「蛙変魚 海馬 草鞋蟲 海老蟲 ワレカラ ホタルムシ 丸薬ムシ 水蚤」を原典からの復刻で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これで「千蟲譜」の内、海産動物は巻九(これのみ一巻すべてが海産動物)のみとなった。

僕は勿論、海産動物の専門家ではないから、同定は厳密ではない。それでも、今まで、書斎で埃をかぶっていた数多の海産無脊椎動物や海藻類の図鑑をひっくり返し、あれでもない、これでもないと考えていると、久しい間、僕の中で死語となっていた「至福」という文字が、不思議に復活してくるのは「あやしうこそものぐるほしけれ」なのである。

2006/11/04

忘れ得ぬ人々14 西原のお兄ちゃんのオモニ

Image0003 今、僕の書斎から見下ろすところに寺がある。すっかりその前は駐車場になり、高級なマンションが建っている。50年の昔、ここには大きな長屋があった。

画家志望だった私の父は、日曜日になると、ここの子供たちを相手に青空絵画教室を開いていた。勿論、ボランティアである。ある夏の日、この寺の山門の壁を借りて、長屋の青空子供絵画展を開いた。その写真がある。数十人のとびっきりの笑顔の鼻タレ小僧小娘たちに囲まれた20代の父に抱かれて、一歳半の僕がいる。僕は、妙に緊張して眉根に皺を寄せている。もう、この時、結核性カリエスに罹患して、左肩が疼いていたからであろう。

その中に、西原のお兄ちゃんもいる。

お兄ちゃんは僕を弟のようによく可愛がってくれた。昨日の「トンマッコルへようこそ」を見た『藤沢オデヲン』に、「サンダーバード」を見に連れて行ってくれたのも(あのころは総入れ替え制などなかった。僕がもう一度見たいというと、お兄ちゃんは笑って、「いいよ」と言ってくれた。二度目が終わって、隣を見ると、お兄ちゃんはいなかった。ロビーのベンチで寝ていた。大事な、日曜日を、餓鬼の我儘に付き合ってくれたのだった。僕は何故か、「サンダーバード」の映像より、そのベンチで寝ているお兄ちゃんの映像をはっきりと覚えている。ちなみに、この映画館は僕には忘れ難い映画館なのだ。母とディズニーの大好きな「海底二万哩」「まぼろし密輸団」を見たのもここだったから)、富山へ引っ越す時に、中学入学のお祝いに、高価な旺文社のエッセンシャル英和辞典を贈ってくれたのも西原のお兄ちゃんだった(今も僕はその原型をとどめない辞書を座右に置いて愛用している)。

お兄ちゃんは朝鮮人であった。

その「西原のお兄ちゃん」のお母さんは、バスの中で僕の母に連れられた上半身にギプスを装着した僕(左肩関節結核性カリエスのため、大船から新宿の東京女子医大まで2時間かけて通院していた)を見ると必ず、すぐにその巨体を揺すぶって、ドンと椅子から立ち上がると、「先生(絵を教えていた父のこと)の子供! 坐るネ!」と、満面の笑みを浮かべて、僕の自由な右手を引っ張ると強引に坐らせたものだった。

オモニはよく長屋の日本人と、「朝鮮人、朝鮮人て、馬鹿にするじゃナイヨ!」と大声で喧嘩していたが、そんな時に小学校帰りに毎日のようにいじめられて泣いて帰ってくる僕が横を通ると、「先生の子供!」と叫ぶが早いか、急に顏を、いつもの満面の笑みにして(彼女は喧嘩相手の存在を全く忘れて)、割れたおせんべいを割烹着の隠しから出して、くれたものだった。彼女は、僕の、もう一人の「オモニ」だった……

……それから25年経って、僕は今の家(昔のこの家)に戻って来た。長屋は寺領で、住む人々は区画整理のために退去することとなり、多くの家が空き家になっていた。西原さんのオモニは、お兄ちゃんの同居の誘いを拒んで、その時も、たった一人で、昔の長屋に住んでいた。

僕は、オモニを何度か尋ねていった。行くと必ず「アイ! 先生の子供!」と叫んで、その皺だらけの手で、大人になった僕の手を両手で握ると、黴臭い暗い室内に導き、お茶と自家製のキムチを出すと、やおら話が始まるのだった。頑固だったお父さんの怨みつらみの思い出に始まって、若い頃の来日の際の苦労話や、その後の不断の差別の痛み苦しみ、そうしてどんなに僕がちっちゃくて可愛いかったかを生き生きと語っては、僕を赤面させたりしたりした。

そうして、僕がオモニの故郷(北朝鮮にある)の話を尋ねると、彼女は時折、激しく泣きながら(私は朝鮮の人々の号泣を儒教的なオーバーアクトだとは思わない。それは民族としてのこの上なく美しい表現である)、時間は更に戻ってゆくのだった……少女時代から来日までの艱難辛苦……そうして、最後は、「帰りたいヨ、でも帰れないネ」……ところが、実はその辺りから、僕にはオモニの喋っていることがほとんど分からなくなってしまうのだった。時代が遡るにつれて、彼女の口をついて出てくるのが、朝鮮語になってしまうからだった。僕は、それでも、相槌を打つ。そうして、意味が分からない乍らも、涙が流れて止まらくなる。僕には彼女の悲しみが直感として、分かったのだ。それを、笑わば笑うがいい。ただ、はっきりと言えることは、それが、僕自身の人生にあって、数少ない確かな、人と人との感性の交感であったという疑いようのない事実である。……家を辞す時、オモニは、「モウ、私、自分で作っても、こんなに食えないヨ。」と、新聞紙に包んだ食べきれない程の真っ赤なキムチを僕にぎゅっと押し出すと、暗くなって人気のない真っ暗な長屋の路地に立って、僕が角を曲るまで見送ってくれるのだった……。

……トンマッコルの村長の母が、村を守るために死を賭して立ち去る南北米兵たちに言う。

「帰るのなら、来なければよかったのに……」

……僕には、それは、今は亡き、西原のお兄ちゃんのオモニの声だった……僕の眼が、霞んだ……

2006/11/03

トンマコッルへようこそ

パク・クァンヒョン監督の「トンマッコルへようこそ」を見た。Webで「ありえない」理想郷へとやってくる「三組のお客さん」を見た瞬間に、これは! と思った。先週、ネットで予告映像を見て、既にして涙腺が潤んでいた。勿論、今日はしっかり泣いた。

語ろうと思えば、尽きない。「墜落」する米兵、敵前「逃亡」した国軍兵、「敗走」してきた人民軍兵士が、辿りつく『ありえない理想郷』“トンマッコル(「子供のように純粋な」の意)”は正に老子の『小国寡民』を体現している。手榴弾の「落下」、ポップコーンの「落下」、連合軍の「落下」傘部隊、凄惨でありながら同時に浄化を感じさせる絨毯爆撃の「落下する」爆弾――対する、ジェルソミーナを髣髴とさせるイディオ・サパン“ヨイル”の「蝶の舞い」の軽やかな身のこなし、爆裂し「上昇」する玉蜀黍、猪退治での三組の兵士連携のスローモーションの「無重力」性、無数の魂の如き蜂の「飛翔」や、蝶の「飛翔」、カタストロフの業火であると同時に浄火として“トンマッコル”守る爆撃の「打ち上がる」花火……いや、民俗学的なシシガミから「もものけ姫」に通底するアニミズムのモチーフを、それを食う南北米兵にパロディとしての聖餐たる三位一体を……しかし、当面、そうした思いつきの解析には、今の僕には興味がない。

「ありえない」愛に僕らは感銘しないというか? 現実に痛みを覚えるからこそ僕らは「ありえない」と思いつつも、「誰をも愛すること」を望んでいるのではないのか?

朝鮮半島の悲劇は、僕らの想像を絶する悲劇である。しかし、それは同時に、すべての「戦場」(それは「個」としての人間存在の自他の関係のマクロ化にほかならない)の悲劇でもある。だからこそ同胞が同胞を愛することの「当り前」=「子供のように純粋な」大切さを、「ありえない」と第三者が冷笑するところのファンタジーの世界で、毅然として映像で語りきっている「馬鹿正直な」素晴らしさと美しさに、僕は心から打たれたのだ。

あえてメタな難解な書き方になってしまったけれど、それは、それでよいのだ、ネタバレはよくない。何故なら是非、あなたに見てもらいたい映画だから。僕は元来、他人が退屈で難解と評する映画に感銘することが多いし、そうした作品を薦めて退屈されるのも不愉快だけれど、これは安心してお薦めできる。是非、ご覧あれ!

村山槐多 稲生像

本日公開した村山槐多の「感想」の中の「人の世界」中の注に、村山槐多「稲生像」のリンク(「がらんす倶楽部」)を張った。

この絵一枚、手に入るのなら、すべてを失ってもいいと、心底思う絵というのがあるものだ。そんな僕の一枚。

彌生書房増補版村山槐多全集「感想」所収村山槐多作品

『彌生書房増補版村山槐多全集「感想」所収村山槐多作品』を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開し、これらの資料によって知りえた知見によって、成立時期の推定・関連リンク等について「鐵の童子」、「美少年サライノの首」、「魔童子傳」及び「繪馬堂を仰ぎて」の注記を改訂した。

公開作品は、全集「感想」所収のすべてで、

「畫具と世界―種々の感想」

「人の世界」

「京都繪畫の特徴」

「レオナルドに告ぐる辭」

「錦田先生へ」

「山本鼎氏へ」

以上、6篇である。

2006/11/02

やぶちゃん版村山槐多散文詩集

「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」を「心朽窩 新館」にアップした。「やぶちゃん版」と冠したのは、注記したように、恣意的な正字体変換を行って、一部の詩を独断で分かち書きにし、私注も付しているからであって、真新しい発見があるわけでも、勇に誇ろうとしているのでもない。「気をつけな」と言っているのだ。――まてよ、それは「脅迫」とも言えるから、存外、「勇に誇っていない」とは言えぬか。しかし、脅迫は、槐多に相応しい。目くるめき、カイタ・ワールドへ、ようこそ!

描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌

負うた子に教えられた。先の教え子から、同じ国立国会図書館にこんなのがあって、「千蟲譜」なら「こっちが見やすい!」とメールが来た。なるほど、然り! 但し、こちらで公開しているものは、1872年服部雪斎写になる全三巻の写本で、私が翻刻した十巻本とは異なるので注意されたい(ページ配置も絵も大きく異なっている)。ちなみに、国立国会図書館は全部で5つの「千蟲譜」を所蔵している。それにしても、こうして知は相互に交感する。

描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌

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