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2007/02/28

緑の子らへ1 村上昭夫 愛さねばならない

あと二日で君たちの僕が送るべきだった卒業がやってくる。

僕は何も言う資格がないことは分かっている。

済まなかった。

僕もこのおぞましい面を下げて、平然と君たちを送る場に、のこのこ出て行くことが出来るほどには鉄面皮ではない。

僕は少し離れたところにいるが、心は君たちを送る思いで一杯だ(これは僕の人生の中で多分、数少ない誰にも表明したことのない驚くべき正直な気持である)。

まず、君たちに朗読したかった詩を、贈ろう――

愛さねばならない   村上昭夫

この広い世界の何処かの

何処かにいるその人を

私は愛さなければならない

 

私が叫びようもなく叫んだ時

叫びもどしようもない私の叫びに

答えてくれたその人を

 

私が凍えた暁の野を歩んでいた時

捕らえようもない私の悲しみの前を

私よりもいち早く行ってくれた

その人を

 

ああ億万年を深く鋳込まれた星座のなかから

遠い私の記憶を捜し出すように

失われてしまった

私を思い出すように

 

今はげしくむせび泣きをしながらも

私はたった一人のその人を

愛さなければならない

……ディヌ・リパッティのBachのコラール前奏曲ハ短調……

……タルコフスキイの“SOLARIS”……

……「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」……

……「あなたは本当に真面目なんですか」……

……「よろしい」……「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。」……

……木犀の香りがする僕の、淋しくも美しい君らとの夢が、そこには、ある……

2007/02/27

昨日への蛇足的追記

「血を吐きながら続ける哀しいマラソン」が若槻文三の「超兵器R1号」の台詞であることなど百も承知。金城の全体的なコンセプトの中に於いてそれが若槻と金城の一体のものであるという確信犯で用いていることも分からない下劣な特撮オタクと議論する暇は、全く金輪際、ない。

2007/02/26

金城哲夫忌

君はあの時半裸で君だけが心から故郷と思っていた(僕はあの時自己同一性に於いて沖繩という存在と確かに正面からがっぷりと向き合いながら限りなくその存在を心から愛していたのは君一人だけだったと不遜にも思う)沖繩を行脚しながら何を思っていたのだろう?

酔って帰った君がそこから落ちる時君はサトウキビ畑の中にいる――

そのサトウキビの間から君に微笑みかけるのは――

沖縄戦で死んでいった君の同胞と――

そうしてナメゴンが ガラモン(それは本地垂迹としてのピグモン)が ウーが ジャミラが ブースカが そうして僕が 君の魂とチャカーシーする――

君は一人ではない――

しかし 君の後に残った僕らすべては 確かに独りである――

だから 君が歩いた あの沖繩の灼熱の下の 君の孤独な思いを 僕らは永遠の謎としなくてはならないのだ――

それをもう 誰も知ろうとしないことにおいて――

だからこそ 君は冥界から 我々に訴えよ――

あいも変わらず「血を吐きながら続ける哀しいマラソン」をしている僕達に――

僕は誰をも愛したかったが、誰も結局、愛することはできなかった。それは、自分の標本箱に虫ピンで誰をも磔にしたかったが故の、誤りである。しかし――きっと多くの「僕」は、僕の後にいるに違いない。そういう「僕」は、全く同じ誤りを、僕のように繰り返すであろう。その「僕」に、誰がどのようにして、「鈴」を付けるのかは、哲学や倫理学の唯一の果たすべき責務である。更に言えば、その「鈴」の音に、「僕」本人が覚悟をして気づくためには、地質年代並みの時間が、必要である。そうして、その頃には残念ながら、人類は、既に、存在しない、と私は秘かに確信しているのである。

2007/02/25

いや

要するに、僕は理不尽なあらゆる何かに怒っている、それだけである、君たちと同じように。それを説明するのも、実に馬鹿馬鹿しいだけである(実際にそれは僕の内包から外延へと連続的に存在している)。

君たちのブログの愚劣さと何も変わらない。少しだけ、洒落た格好をつけているだけなんだ……

失敗

確かに僕という存在は失敗だった。僕は、それに芥川龍之介のような、後代の可能性を付与するほどの自負はない。しかし、これだけは言える。それは僕の失敗が、僕自身の純粋な(これは遺伝的問題を明確に排除する言辞である)内的な現象であり、母や父や妻とは全く無縁であることである。彼らの存在がありながら、「失敗」した僕は、母と父と妻にだけは、その不徳を謝罪しなければならないと思っている。しかしそれは、同時に、この三人以外の如何なる何者にも、僕は、「人生」的に、礼儀的にも頭を下げる気持ちは全くないという表明でもある。

死後

人は自殺を考える時、しばしば「自分が欠けている世界」を思うものである。しかしその思い自体が、そもそも自分が世界というものの不可欠な構成要素であると不遜にも思っていることの証しである、という矛盾に気づく者は少ない。

(僕の旧作「贋作・侏儒の言葉」より引用。そうして以下、敷衍修正。)

人は自身の死を考える時、しばしば「自分が欠けている世界」を思うものである。しかしその思い自体が、そもそも自分が世界というものの不可欠な構成要素であると不遜にも思っていることの証しである、という矛盾に気づく者は少ない。

「死」とは「生」の対義語であるが故にいつも損な役回りをしてきた。

我々は、しかし、我々が「生きつつある死」であること、「死に向かう生」であること、それぞれを分離してきた点において全員が神経症であったことを認めねばならない。

我々は、生死という陳腐極まりない命名を離れた時、「生死」を一体の現象として認識できる。そうしてそれが、確かに我々が「自然に帰る」ことに、他ならない。

誰も分かっているのに分かっていることを拒否している一つの真理を認知するためには――

そのためには、「生」と「死」が同義語であるという明快なメタな文法を真とする以外には、ない。

人生

人生にある意義を見出だしたと言い得る輩は、確かに「おめでたい」輩である。

我々の多くは、年がら年中、「人生」を求めている。しかし、「人生」を創ろうとする素朴な職人は、誰もいない。

だから、「いい人生」など、どこにもない。僕達が「職人」にならぬ限りは。

「人生」に模範解答は、ない。あるのは、無数の誤答ばかりだ。

哲学

哲学は滅ぶ必要がある。

哲学が滅ぶということは我々が「智」を消失するということであるが、それでも、我々は哲学を捨てるべきである。

なぜならば、我々は哲学によって、悩まねばならないからである。

「如何にある」か、「如何にあるべきか」(ここでザインとゾルレンは美事に陳腐な相対論でしかないことが明白となる)という問い故に、我々は愚昧な人生と言う架空の「時間」の有意義性を付与することにやっきになってきた。

我々はただ、「我々として生きる」以外にはなく、付与された「社会的」自己同一性等という仮面は、鮮やかに無化されねばならない。

その後に、何が残るか?

やってみれば、分かることさ。それは、君や僕に、その気さえあれば、少しも難しいことでは、ない。

恋愛

我々が他者を愛し憎むのは偶然の産物であることは言を待たない。

而して我々がある人物を愛し憎む以上に、近い将来、全く別の不特定多数の人物を、より愛し憎むことは必然的に不可避である。

しかしながら、我々は恋愛に於いて強力な規制を自他にかけながら、憎悪にはすこぶる寛容であるのは、論理的にも倫理的にも美事に矛盾している。

さすれば、我々は、すべての既婚者の不倫と同時に、接する所の如何なる他者に対する嫌悪をも共時的に徹底的に糾弾せねばならぬ。

それが出来ないとすれば――我々は、すべての不倫と称すべき現象と共に、すべての他者への嫌悪という現象、すべての他者への殺戮という現象の、そのすべて肯定せねばならぬ。

井上英作氏遺稿小説「フィリピーナ・ラプソディー」(全)公開予告

2月6日に静岡県庁前にて抗議のために自身の身を焼いて示した井上英作氏が僕に最後に託した小説「フィリピーナ・ラプソディー」(全)を近日公開する。それは私が彼に託されたものである。そうして、それは彼の個人的な「生」そのもの純な告白であり、ほれ、あんたのような何か政治的なプロパガンダを求めて記述された「歴史」の中にそれを位置づけようとする輩や、貴様のような自殺の直前の記した文書へのおぞましい異常心理コレクターの関心、最後に最も忌まわしい人非人たる存在としての、彼を狂人としてシュレッダーにかけたい、ほら、てめえだよ! そんな野郎どもの思惑を、ものの美事に裏切るものであることは、覚悟を持って請け合おう。

彼を理解しない者は永遠に業火に焼かれるが、いい。

僕が、火守だ。

永遠にじりじり焼いてやる――

芥川龍之介 本所兩國

芥川龍之介「本所兩國」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これで、恐らく、芥川龍之介の後期アフォリズム集成は完了したと言っていいように思う。ここにあるのは明白に芥川龍之介の「末期の眼」であることを、僕は確かに、感じた。これを読んだ君がほくそ笑むことなど、もう僕には何の遺恨にもならないほどには。

思いが 離れる その時に…

芥川龍之介の「本所兩國」を打ち込んでいる僕は、平井堅の「思いが かさなる その時に…」をエンドレスで聴きながら、考える。

所詮、人はエクスタシーを共有している幻想しか持てないのだが、だから「手を握る」ことで、それを確かなものだと思おうとするのだし、完膚なきまでに悲痛に打ちひしがれることは現実であるのに、「笑いあっ」てエクスタシーの共有を感じた幻覚の一瞬を思い出すだけでそれを相殺できるなんて思ったり、相手を失望させるのは常に自分であるのに、その失望させたまさにその相手の瞬間の存在によって「救われてる」なんて感じたりし、摑めない「虹」を摑めると甘いことを言ったり、「キミ(このカタカナの愚劣さ加減!)だけの歌」なんてありもしないくせに先験的にそれが『ある』前提のもとに、相手の耳にそれを「探しに行こう」なんて囁いたりしているんだ。

確かに「いつかキミは僕のことを忘れてしまう」。

でも確かに僕は「その時」「キミに手を振ってちゃんと笑っていられる」だろう。少なくとも、愚劣な僕はそうだ。

でも、「そんな事を隣でキミ」は「思ったりする」ことはない。

だから、だからこそ、僕達は「思いが」離れる「その前にこそ手を握」るのではなかったか!?

「誰といても一人ぼっち」であることは古来の哲人が語り尽くしてきた真理であり、彼らも平井堅と同じように、その苦い「唇を嚙み締め」ながら、「同じ青空を 何も言わずに見上げ」てきたのではなかったか!?

「波」は永遠に打ち返すが、「傷」は癒えるか、致命的な敗血症を起すかしか、ないのだ。

僕達が真に愛し合うためには、互いが互いを信じたという幻想に於いて互いが瞬時にこの世を去る心中以外にはないと言ってもいい。「キミだけの歌」とは、相対死(あいたいじに)の挽歌と同義である。

そうして、それは多くの凡庸な人間達には、できない相談だ。そもそも、近頃、とんと相対死を聞かない。

だからこそ「こんな僕はキミのために」「言葉にならない思いだけ」という偽善のもとに、これみよがしに「強く手を握ろう」! せめて、キミの手を握り潰す覚悟を持って、僕はたしかにいつも君の「強く手を握ろう」!

2007/02/23

井上英作兄のくれた紹介文

遂にミクシイから井上英作氏が消去された。彼が僕に贈ってくれた、僕への紹介文を、僕はここに確かに残す。

関係:mixiで知りました。
詩人の魂を持った文学者の、膨大な電子テクストを書いておられます。
萩原朔太郎と芥川龍之介について教えを請ううち、彼のクラスへの編入を許されました。
怠惰な生徒ではありますが、より深い認識を学べればと参加しました。

2007/02/22

贋作・侏儒の言葉 多忙

さっき帰ってきたよ。何も書けないとなると書きたくなるのが、僕の捻くれ性分だ。僕が今日の通勤の途中で考えたこと、さ。

    多忙
 我我を人生から救うものは理性よりも寧ろ多忙である。人生も亦完全に行はれる爲には何よりも時間を持たなければならぬ。ニーチエ、莊周、ソクラテス――古來の哲人を考へて見ても、彼等は皆閑人ばかりである。

あ、ば、よ。

死の季節

これより2日間は死の季節に入る。多忙のためメールへの返信も不可能であるのでご容赦されたい。

2007/02/18

芥川龍之介 西方の人(正續完全版)

芥川龍之介「西方の人」(正續完全版)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

一つの最期が、ここにも、在る。

2007/02/17

ミクシイ9999/10000

僕のミクシイ9999人目の足あとは舞踏家の吉本大輔さんだった!!!
この人! 大変な人なんだぞ!!!
だってもと舞踏家大野一雄の舞台監督なんだぞ!!!
彼の写真見ると分かるけど、シビレビレビレ慄っとするほどカッコいいんだぞ!!!
65歳には絶対見えないんだぞ!!!(この方のように生きられるなら僕も65歳まで生きてみたい気もするぞ!)

舞踏ー吉本大輔(ミクシイ)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1900808

僕のページをまれにお覗きなるようなのですが……それが何故お覗きになるのかは……分かりません……何だかコワくて聞けません……そうです、この人と僕は逢ったことも語ったことも(序でに言うと踊られているところも未だ見て)ないのです……なおのこと、聞けません……(縮)

彼のHP
http://www.butoh-ultraego.com/

10000人めは奄美大島の美女と結ばれ養護学校教諭に採用が決まったいいことづくめの教え子「真司」。こりゃ! 「真司」! こいっあ春から縁起がいいぜ!

2007/02/15

おぞましきかな50歳

   人間五十年下天のうちを比ぶれば 
冬日冴えゆめまぼろしの後は何

「命長ければ恥多し」を実感できない者が世界を牛耳っていく以上、世界は「ゆめまぼろし」以下の以下、糞尿地獄そのものであると言ってよい。

2007/02/14

芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な」(やぶちゃん恣意的時系列補正完全版)

芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な」(やぶちゃん恣意的時系列補正完全版)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。思うところは、多々あるし、注釈を附したい部分も多い。それは生きているうちに、増補したい。これが49歳の僕の最後の仕事である。

しかし、これで残るアフォリズムは、「西方の人」(正・続)のみとなった。これは僕の大いなる壁だ。出来ることなら向き合いたくない壁だ。それはキリスト教への僕の絶対的な無智と無理解が暴露されることは勿論乍ら、それは再読(実際にはキリスト者による詳細な注釈付きも含めて僕はこの全文を4度以上は読んでいる)によって、その内容が最も僕を「鞭打つ」ものであるということが、実は分かっているからかもしれない。しかし、いずれ、僕はこれに、立ち向かわねばならない。それは確かに、分かっている。

芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な」テクスト化終了

芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な」テクスト化を今、終了した。名づけて、「文藝的な、餘りに文藝的な(やぶちゃん恣意的時系列補正完全版)」である。土曜日の山の代休を半日もらったが、それを結局、すべて費やした。夕食後に、酔っ払らわなければ、公開だ。ちなみに、今日の生徒からもらったチョコレートは20個、人生最多の昨年の26個には至らず、されどたかだか一年経たない職場の、子らからのこのプレゼントは、少し嬉しい。元気になったよ、ありがと♡ 僕の娘たち♡

2007/02/12

芥川龍之介「文藝的な、餘りに文藝的な」テクスト化予告

少しは、デユシャンのように「頬を膨らませて」、拘ってみようと思った。芥川龍之介の「文藝的な、餘りに文藝的な」の恣意的な完全版に午後から取り掛かった。これは分量が芥川龍之介にしては、長いから、校正も時間がかかる。オリジナルの構成にも拘った(全体像はもうOK! なんてったて「續」の方が先頭のテクストだからね!)。

全然関係ないけど、実は、今日、絶望的な鬱を吹き飛ばす連絡も受けてはいるんだ。だけど、云わない(ム)。逃げるからね。僕は聴こえる耳鳴りしか信じない。

だから、テクスト、ガムバルぞ!

その男の顔と言葉

その男は、修善寺の独鈷の湯の移転問題で(僕はそれについて是非を感じない。『治水として事実そうであるならば』、一向に結構だ)、振り返った。

曲った口が、生理的嫌悪感を刺激した。

更に――その曲った口から移転問題に関わって、「温暖化」云々から当然という言葉を聞いた時――僕はヤツの唇を噛み切ってやろうと思った――静岡県知事石川嘉延、貴様だ――分からない輩は、いのさんの最後の檄文を読むがいい!

芥川龍之介 創作

芥川龍之介「創作」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

僕は「ジャン・クリストフ」を遠い昔、小学校6年の時に、ジュニア版に訳し直したものを読んだきりで(それでも長さが苦痛だった。それでも読んだのは、クラスの読書好きの女の子と読後感を話し合う約束をしたからであるが、僕は実はもう、何も覚えていない)、どこかにあるはずの(ちゃんとしたものを読んでいないという自責の念から教員になって確かに買ったのだが)「ジャン・クリストフ」が見つからない。内心忸怩たるものを感じながらの注となった。

芥川龍之介 私の創作の實際

芥川の「私の創作の實際」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。芥川龍之介のアフォリズム形式作品蒐集の一環。

2007/02/11

芥川龍之介 保吉の手帳から(草稿)

「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」の芥川龍之介『保吉の手帳(「保吉の手帳から」初出形)』に『保吉の手帳から(草稿)』を正字正仮名で追補した。この草稿は、完成稿とは全く縁がない上に、構想メモを見る限りでは、東宮との拝謁に係るエピソード等がかなり構築されていたと思われ、書かれていたら、と期待される。

芥川龍之介 明治文藝に就いて

「明治文藝に就いて」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。同前。

芥川龍之介 文壇小言

芥川の「文壇小言」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。芥川龍之介のアフォリズム形式作品蒐集の一環。

芥川龍之介「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版)に『(「侏儒の言葉」続篇 草稿 「一 ある鞭」及び「二 唾」』を正字正仮名で追補した。その「二 唾」に芥川は云う。

   二 唾

 僕は嘗かう書いた。――「全智全能の神の悲劇は神自身には自殺の出來ないことである。」恰も自殺の出來ることは僕等の幸福であるかのやうに! 僕はこの苦しい三箇月の間に屢自殺に想到した。その度に又僕の言葉の冷かに僕を嘲るのを感じた。天に向つて吐いた唾は必ず面上に落ちなければならぬ。僕はこの一章を艸する時も、一心に神に念じてゐる。――「神の求め給ふ供物は砕けたる靈魂なり。神よ。汝は砕けたる悔いし心を輕しめ給はざるべし。」

これより僕は僕の孤独へ再び立ち戻ることにしたい。

……いのさん、暫くのお別れの曲は、Kenny Dorhamの「静かなるケニー(quiet kenny)」から“Alone Together”だ……

井上英作氏の長逝を悼みて

   井上英作に

   ――靜岡空港建設反對を訴へ

      二月六日靜岡縣廰前に燒身せる

      我兄の葬儀の日金時山山巓にて

捨身(しやしん)して濁世を怒る業火かな
 
火我捨身(ひがしやしん)靜岡空港(エア・ターミナル)呪詛永し

春の山君を二度燒く火を送る

兄の末期の眼

ミクシイの井上兄の畏友ジュンエイさん(=中村順英氏 弁護士・元日弁連副会長・静岡綜合法律事務所・静岡大学法科大学院実務教員)の「井上さんの壮絶死とMIXIの対応への疑問」という日記の「2007年02月10日03:40」のジュンエイさん自身の書き込みに、不当に消失させられた井上兄の自死直前のMIXIの日記の一部を読むことが出来る(MIXIなので未登録の方は僕が招待する)。

追記:上記で僕は「不当に削除」という言い方を使用した。ミクシイの今回の行為に対して、疑問を記載されたマイミクの方の日記に、コメントという形で僕の見解を示した。それを以下に転載しておく。なお、厳密にはinotarouさん(井上英作氏のミクシイにおけるニックネーム)のミクシイのページにアクセスすると、表示されるのは『申し訳ございませんがこのユーザーのページにはアクセスできません。』という不思議なダイアログである。実際に、マイミクの表示から、彼は消えていない。従って彼は、「登録削除」が行われているわけではない。しかし、現実に誰も彼のページにアクセスできないのは、文字通り実質的に「不当に削除」されたものと僕は表現したい。

この問題を私は議論する熱意を僕は今持っていません。
一言だけ言いましょう。
社会は真実としてのあからさまな「死」を嫌い、隠蔽します。「死体」はソーシャル・ネットワークに相応しくないのです。
そこにこそ大変な社会的欺瞞が存在するというのに。
あなたや私が、このミクシイの自身のページで死をほのめかして実際に自殺すれば、(恐らくそれを「何を思ってか」誰かが通報すれば確実に)同じことが起こるのではないでしょうか。

[やぶちゃん注:「通報」とは、ミクシイのユーザーが悪質行為・違法行為と判断したものをミクシイの運営事務局に連絡する行為を指す。それによって運営事務局が悪質行為=ミクシイの「利用規約」にある「禁止行為」であると判断した場合、『それらが含まれる全ての登録情報について本人の承諾なく削除、警告をおこなえるものとします。また再三の警告に応じていただけない場合ユーザー登録の削除をさせていただくこともあります。』と謳っている。この「禁止行為」を一覧する時、今回の場合、どれを適用したのかと推測すると、『・ 自殺、自傷行為、薬物乱用等を美化・誘発・助長する恐れのある言葉、その他の表現の掲載。』及び『・ 次に掲げる内容の情報を、mixi内の書き込み可能な箇所に投稿し、又はメッセージで送信する行為。』の『 (5) その他弊社が不適切と判断する情報。』及び『・ その他公序良俗、一般常識に反する行為。』の三項が考えられる。これらについて僕は逐一反論できるが、ミクシイの運営事務局はその規約で『削除結果に関する質問・苦情は一切受け付けておりません。』と初めから封じ手を用意していることと、引用コメント冒頭の通り、この最下劣なやり口に対して、僕は最早、闘争する価値も熱意も、残念ながら持っていないのである。]

2007/02/07

兄の末期の檄

抗議文

静岡市長、小嶋善吉へ、

私は静岡市民として、吉津地区に野積みし放置してある産業廃棄物や、その焼却灰が何ひとつ撤去される事無く、静岡市民が汚染された水道水を飲む危険性にさらされている事、飛散し直接吸い込む危険さえあるこれらの焼却灰を、住民の長年にわたり、たび重なる撤去要請にも関わらず、放置し、3箇所のうち一つは小学校のすぐそばという非常識であり、あきれ返った住民が、静岡県公害審査会に訴えた事に対しても、審査の事実を公表してはならないと、圧力をかけてきたり、 野積みされ、放置されている焼却灰を、保管しているなどと言い換えるに至っては、頭がおかしいとしか言いようが無く、産廃ヤクザとの繋がりさえ見えてきた市長に対して、我が命をもって抗議する。

石川嘉延に物申

貴様は、静岡県民の意思に反して静岡空港建設を推し進め、 今は、農民から無理やり、権力を使って土地を取り上げ、 又、反対する多くの支援者をも無視して、力ずくで排除し、 何の必要も無い、永久に税金を無駄遣いする空港を、 嘘八百を並べ立てて、さも役に立つ空港であるかのように偽装し、県民を騙し、 犯罪者となんら変わらないゼネコンを使い、癒着し、県民に百年の禍根を残すその所業は赦しがたい。 よって、我が命を捨ててその悪行を糾弾する。
今、地球は危機的な状況にあり、このような環境破壊に金を使うべきではなく、 間近に迫っている温暖化への対策に金を使うべきなのだ。

                   地球市民 井上英作

これを狂人の発言と言う輩は、僕の所へ来るがいい。何時でも、お前の、ノドを、この歯で欠き切ってやる。俺の脳は愚劣でも、歯は――貴様の軟弱な大脳皮質まで一気に、噛める。いや――やる気なら海馬や脳下垂体まで、いってみてもいいゼ――だって実際に45年前に、やったもん。いじめられ子の、僕が窮極に頭頂部を噛んだ悪ガキは、救急車で、即座に病院行だったんだ――ふふふ♪ 幸い 死ななかったがね……

2007/02/06

井上英作兄へスメルジャコフの末裔より

兄 本当にこれは あなたの言葉として この僕の心を鋭く貫く

いかなる祖先の声か? この私の声は同じ時には生きられない、頭と肉体の声だ。私はもはやひとりの人間ではない。自分がいくつもの無限定の事物として感じられる。我々の時代の不幸は大いなる人間が存在しないことだ。我々の心の道は影に覆われている。声は聞くべきではないか。無用と思われる声でも。脳がいかに下水道や壁やアスファルトや福祉事業で詰まっていようと、虫の羽音も入れるべきではないか。我々の目に耳におおらかな夢の一端が見えて聞こえてよいではないか。ピラミッドを造ると誰かが叫ぶべきなのだ。実現するしないは大事ではない。大事なのは夢を育み、我々の魂をあらゆる所で果てしなく広がるシーツのようにのばしてやる事だ。世界が前を向く事を望むなら手に手をとって一つになろう。いわゆる健全な人も、病める人も。健全な人よ、何があなたの健全さなのだ? 人類は今、崖っぷちを見つめている。転落寸前の崖っぷちを。自由に何の意味があろう。あなた方が我々を正視する心を持たず、我々と共に食べ、共に飲み、共に眠る心を持たないなら。健全な人々がこの世を動かし、そして今、破局の淵に来たのだ。人よ! 聞いてくれ。君の中の水よ! 火よ! 灰よ! 灰の中の骨よ! 骨よ! 灰よ! どこに生きる? 現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。天地と新しい契約を結び、太陽が夜かがやき、八月に雪を降らせるか? 大は滅び去り、小が存続する。世界は再び一体となるべきだ。ばらばらになりすぎた。自然を見れば分る事だ。生命は単純なのだ。原初に戻ろう。道をまちがえた所に戻ろう。生命のはじまりに! 水を汚さぬ所にまで! 何という世界なんだ。狂人が恥を知れと叫ばねばならぬとは!
母よ。母よ! 空気はこんなにも軽く顔にそよいでいる。微笑めばいっそう澄んでいる。

(「シネ・ヴィヴァン 4 ノスタルジア」パンフレットからアンドレイ・タルコフスキイ「ノスタルジア」より焼身自殺するドメニコの言葉 著作権関連:シナリオ採録者・田中千世子 字幕監修・吉岡芳子/柴田駿)

あなたの行為を正視することもなく、自身が狂っていることも忘れた生きる僕らは、救われるべき、対象では、最早ないだろう。あらゆる神仏は、寛容に過ぎた。兄よ、僕らというあなたを失い、そうして生き残った存在は、一週間前に話したユダ、スメルジャコフ、それ以下に成り下がったとしか、僕には思えない。

『自殺とは全ての行為と同じく一つの信条である。仲間達への信頼、仲間達というその存在、自我と他の幾多の自我との関係、そうした実在性への信頼なのだ』(Drieu la Rochelle “Le feu follet”

僕の兄は静岡空港建設反対に殉じた

やぶさん、ありがとうございました。
男の友情、かくあるべし、そんな付き合いのできる人と出会えて、幸運でした。
私は弱い人間です。小さな人間です。でも強く大きくなることも出来るのです。
それを本当に願いさえすればいいのです。

男が男であるためには、一つのボーダーを越えねばなりません。
こういった考え方自体、否定されつつある現代ですが、
今はまだ、そんな恵まれた時代ではありません。

やらねばならない事を、やるしかないのです。
私はその選択をしました。

本当に、ありがとうございました。

これは今朝、慌しい朝の出勤前に、 僕が受け取ったメールの冒頭であった。送り主は団塊の世代の、ネット上で知り合った未だに面と向かって逢ったことはない「兄貴」からであった。芥川龍之介や萩原朔太郎が好きな電気屋さんだ。

……僕は、この冒頭の後に記された彼の実録小説を読み、その面白さから、是非彼のHPでアップされることを薦める返事をしたためた。彼は、いろいろな市民活動に関わって、果敢に怒りに満ちた行動をとっていたから、また新たな闘争へと向かうのかしらと思いつつ、しかし、その言葉使いの奇妙さは気にかかったまま、送信ボタンを押して、出勤した。……

……先程帰宅し、彼の知人からのメールで、彼が自死したことを知った――

今、その理由が静岡空港建設反対への身を賭した死であったことを報道記事で知った――

少なくとも、このメールに記された小説[やぶちゃん2007年2月12日追記:【後記】↓を必ず参照されたい。]に、そうした仄めかしは、全く記されてはいなかった――しかし、その最初に示したメールの冒頭や末尾の言葉の覚悟の言い回しに、その自死の決意を感じ取れなかった僕は愚そのものである――

僕は、ともかく茫然自失した――何故?! と叫びたかった――誰に?!  向かって?!……いや、あなただ! 僕を含めたあなた方、皆が、その怒りの、自身が発した言葉の木霊を受けるのだ!!!

既に兄の死を知って2時間が過ぎた……何かを言わねばならぬ。

僕は、今、三島由紀夫の自死を笑った自分を、全く別な意味で嫌悪する。そうして、三島の死への揶揄に怒りを持って唾棄した澁澤龍彦の気持が、今、僕には、はっきり分かる。僕は非力な僕として僕なりに言わねばならぬ。兄のために。兄の優しき最後の言葉に答えねばならない。

馬鹿正直に本当に馬鹿正直に一本気に生きた いのさんよ
せめて僕と一杯ぐらいやってほしかったよ 
何デオイテユクンダヨ……僕タチヲ……

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焼身自殺 静岡県庁前で 空港建設に抗議

6日午前3時50分ごろ、静岡市葵区追手町の県庁別館北側の歩道で、「黒い煙と火柱が立っている」と通行人の男性(57)が119番通報した。消防署員が消火し、成人男性の焼死体を確認した。近くに止めてあった原付きバイクの前かごから静岡空港建設に反対する内容の知事あての抗議文などが見つかった。県警静岡中央署は焼身自殺とみて調べている。
 調べによると、死亡したのは静岡空港建設予定地の元地権者の一人で、静岡市葵区与一4、自営業、井上英作さん(58)。遺体付近にライターが落ちており、ガソリン臭がした。バイクの前かごから、知事あての抗議文のほか、産廃放置問題への対応を批判する市長あての抗議文が見つかった。井上さんの自宅玄関には「お世話になりました」などと書かれた張り紙があったという。
 現場は市中心部の官庁街。当時は人通りはほとんどなかったという。(毎日新聞2月6日17時6分配信)

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彼の僕への最後の手紙となったメールの送信時刻は同日午前3時13分だった――

【後記 2007年2月12日追記】

ここで再度申し上げておく。このメールに記された、彼の小説について、何人かの方から内容を問うメールを頂いた。が、これ、「フィリピーナ・ラプソディー」(この題名は既に彼のHPで述べられている)は彼の馬鹿正直で純粋なラヴ・ストーリーであり、読みながら、微笑ましくなるようないい作品である。彼の今回の自死と、この小説との間に何かを求めようと思っている方がいるとすれば、はっきりと申し上げておく。「全く、120%、無縁である」。そうして、その公開に関しては、いのさんの「必要と認めた時」という条件もついている。その権利は、僕ともう一人の方だけに任されている。僕は勿論、そう任された者の一人としての義務を背負っていると認識しているつもりである。現在、(今この追記を書いているまさに瞬間!)この「義務」にある進展が見られそうな素敵な連絡があった。このことについては、暫く、お時間を頂きたい。

井上英作「フィリピーナ・ラプソディー」

2007/02/03

芥川龍之介 僕の好きな女/佐野花子「芥川龍之介の思い出」の芥川龍之介「僕の最も好きな女性」

芥川龍之介「僕の好きな女」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

佐野花子「芥川龍之介の思い出」の、「佐野さん」の一件を記述したその直後に、彼女は次のように記している。

『その後、大正八、九年の何月号でございましたか、淑女画報に左のような文が載りました。

 僕の最も好きな女性    田端居士

 僕は、しんみりとして天真爛漫な女性が好きだ。どちらかと言へば言葉すくなで内に豊かな情趣を湛へ、しかも理智のひらめきがなくてはいけません。二に二を足すと四といふやうな女性は余り好ましく思へないのです。

 かつて或る海岸の小さな町に住んでいたことがありました。そう教育が高いといふのでもなく又さう美人といふのでもない一婦人と知り合ひになったことがありました。この婦人に対して坐ってゐると恰も滾々として尽きない愛の泉に浸ってゐる様な気がして恍惚となって来ます。僕はいつか全身に魅力を感じて忘れやうとしても今尚忘れられません。かういふ女性が多ければ多いほど、世界は明るく進歩して男子の天分はいやが上にも増してゆくことでせう。[やぶちゃん注:一部歴史的仮名遣いに誤りがあるが、表記はすべてママ。]

 右の文において私はふっと自分の胸に思い当たるものを感じます。名前も出さず、或る婦人とか、或る海岸の小さな町とか、ぼかして述べてありますけれど、私には思い当たる節があるのでございます。ははあ私のことだとわかるのでございます。これが文学的な方法でございましょう。これに比べて「佐野さん」という文は何とムキ出しに夫を刺したものだったかと、今更のごとく比べて思いました。』(以下略)

……「僕の最も好きな女性」という題名の作品は岩波版旧全集には所収しない(新全集は未見)。「大正八、九年」という佐野花子の言う期間の中で、該当する作品は、掲載雑誌名も異なるが、本テクスト「僕の好きな女」である。その内容は、僕のテクストでお読み頂きたい。そうして、この佐野花子の示す「僕の最も好きな女性」と比べて頂きたい。……この数日の間の、一連の考察によって、僕は、ある一つの可能性に達しているのだが、それはしかし、今は、まだ差し挟まずにおくこととしたい。……

では、僕はこれより、伊豆に湯治に出かけることとする。随分、ごきげんよう……

2007/02/01

芥川龍之介「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」のロケ地同定その他についての一考察

芥川龍之介の「寒さ」に関わっての「佐野さん」とは別の、もう一つの発見があった。
かつて僕は『夏の一冊「芥川龍之介の愛した女性」』で、以下のように書いた。

(「或阿呆の一生」の)「二十八 殺人」の周辺的な検証は、検証として大いに理解し得る部分があるが、大町教会という同定は、如何なものか。芥川龍之介が新婚時代に住んだ家が僕の父の実家のすぐ北隣であり、三十年近く郷土史研究で鎌倉を歩き続けてきた僕にとって、「爪先き上りの道を登つて行つ」てゆく先というシチュエーションの場所に、大町(現・由比ガ浜)教会は、はっきり言おう、ない。

これを訂正したいのだ。その前に、「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」を再掲しておこう。

   二十八 殺  人

 田舍道は日の光りの中に牛の糞の臭氣を漂はせてゐた。彼は汗を拭ひながら、爪先き上りの道を登つて行つた。道の兩側に熟した麥は香ばしい匀を放つてゐた。
「殺せ、殺せ。………」
 彼はいつか口の中にかう云ふ言葉を繰り返してゐた。誰を?――それは彼には明らかだつた。彼は如何にも卑屈らしい五分刈の男を思ひ出してゐた。
 すると黄ばんだ麥の向うに羅馬(ローマ)カトリツク教の伽藍が一宇、いつの間にか圓屋根を現し出した。………

私は、現在の鎌倉をどこかで考えていた。現在のロケーションに於いては「爪先き上りの道を登つて行つ」てゆく先というシチュエーションの場所に、大町(現・由比ガ浜)教会は、はっきり、ない、と言える。しかし、かつて芥川が鎌倉に居住していた頃にはあった可能性が、ここに浮上してきたのである。
「寒さ」は、芥川龍之介が海軍機関学校嘱託として勤務していた頃の出来事として設定されている。その時、彼は新婚の文と共に、鎌倉市大町字辻の小山別邸の借家に居住していた(現在の鎌倉市材木座1-8辺りである)。
さて、「寒さ」の後半冒頭には、「保吉は汽車を捉へる爲、ある避暑地の町はづれを一生懸命に急いでゐた。」とある。これが海軍機関学校への通勤の途路であろうことは、その後の時刻や汽車の叙述から間違いない。そして、この引用の直後は、次のように続く。

『路の右は麥畑、左は汽車の線路のある二間ばかりの堤だつた。人つ子一人いない麥畑はかすかな物音に充ち滿ちてゐた。それは誰か麥の間を歩いてゐる音としか思われなかつた、しかし事實は打ち返された土の下にある霜柱のおのずから崩れる音らしかつた。』

この位置関係を記憶して頂きたい。そして、その少し後に次の一文が現れるのである。

『石炭殼などを敷いた路は爪先上りに踏切りへ出る、――其處へ何氣なしに來た時だつた。』

現在でも、鎌倉駅に材木座から向かう場合、横須賀線の線路を北方向へ横断し、大町四ツ角のある通りや、線路沿いの道(これは現在一部しかない)を西に歩いて、ガード下まで行き、若宮大路を渡って行く。「寒さ」の「路の右は麥畑、左は汽車の線路のある二間ばかりの堤だつた。」というのは、この現在の大町四ツ角方面から西に歩いて行く地域の描写と考えてよい。すると、この直後に現れる『石炭殼などを敷いた路』で『爪先上りに踏切りへ出』た場所とは、下馬四つ角に向かう現在も踏切がある地点から、ガードの北側上の部分までがその範囲となる。但し、駅についた保吉がプラットホームを下り逗子方向の端まで行き、そこから2~3町先に踏切が見えるという描写が後に出てくる以上、現在のガードよりも上り方向に(ほとんど駅の近くに)本作品に登場する踏切が当時あったとは考えにくい(昭和初期の鎌倉の地図を見る限り、そのように判断される)。従ってこれは下馬四つ角に向かう踏切と同定してよいように思われる。ちなみに、現在の鎌倉駅のプラットホームの北の端から、この踏切までは丁度300m、まさに2町半から3町弱の距離にある。

但し、現在のこの踏み切りは、大町四ツ角方向から来ると、比較的平坦で傾斜は大きくない(逆に渡ってからの西側が若宮大路に向けて下がる坂となっている)。しかし、この通りが、麦畑が右手に広がる、人気のない田舎道であったとすれば、この東側が当時もっとずっと低く、線路の堤の上へ出るのに「爪先上」の坂道になっていたと考えることは、決して不自然ではない。

そうして、ここが私の訂正箇所となる肝心の部分である。まさにその『石炭殼などを敷いた路』で『爪先上り』の坂道を登った先の『踏切』に出た時、そこから真西にある大町(現・由比ガ浜)教会が見えたことは疑いようがない事実である。なお、踏切がこの場所よりも鎌倉駅寄り(「二三町」という叙述から、逗子方向にはあり得ない)だったとしても、この位置関係に大きな変化はなく、どこにあったとしても大町教会は見下ろせる関係にあったと断言できる。

即ち、この「爪先上がり」の道という一致、更に言えば、「避暑地の町はづれ」(「寒さ」)と「田舎道」(「或阿呆の一生」)、「路の右は麥畑」(「寒さ」)と「道の兩側に熟した麥」(「或阿呆の一生」)の類似は、この「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」が鎌倉の下馬四ツ角の東にある踏切手前での情景であり、羅馬(ローマ)カトリツク教の伽藍が大町(現・由比ガ浜)教会であることを示唆するものと思われるのである。

しかし、最後にだからこそ、申し上げよう。この直前のブログで語った幻の作品である「佐野さん」が、実はこの「寒さ」であり、そうして「或阿呆の一生」の「二十八 殺人」のシーンとダブル・イメージであることが自然に感受される時、この「如何にも卑屈らしい五分刈の男」とは佐野慶造以外には、僕には考えられないのだ。葛巻義敏氏が提唱し、高宮壇氏が是認する「或阿呆の一生」時系列編年記述説は、僕は何処か是認できない部分があるのである。
しかし、高宮氏が会心の笑みを洩らそうなことも言う。この「爪先上がりの坂」のすぐ近くに「小町園」はあった。あなたが章題とした「月光の佳人」の野々宮豊の、あの「小町園」だ。

それでも僕は言う。

「月光の女」は、佐野花子個人では、勿論、ない。いや、これは佐野花子自身もその著作で述べているのだから、彼女を批難するには当たらない。

では誰が、「月光の女」だったか?

……それは千代でもあり、彌生でもあり、花子でもあり、文でもあり、しげ子であり、麻素子でもあり、みね子でもあり、豊でもあった……

……芥川龍之介よ、それは君の、「遂に逢はざる人の面影」であったのだ、ね?……

芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察

僕はかつてブログの「月光の女」で、芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」について語った。さらにミクシィの芥川龍之介コミュニティでもこの作品の情報を求めもしたが、このような老いさらばえた男の戯言に「人の好い微笑」と共に書き込んでくれる人間は、残念ながら皆無であった。僕は、ここに僕の「佐野さん」という作品の存在に多少なりとも迫る得るであろう、ある考察を以下に綴る。

大正12(1923)年5月の雑誌『改造』に載った芥川龍之介の「保吉の手帳」(後に「保吉の手帳から」に改変)は、「わん」に登場する愚劣極まりない海軍機関学校主計部主計官の粘着質な描写といい、「午休み――或空想――」に於ける「ファウスト」よろしき機関学校総体の完膚なきまでのカリカチャライズといい、「西洋人」及び「恥」の学校の教師(自身も含めた)・生徒の存在の、蛇のように耐えがたいダルの感覚といい、「勇ましい守衛」の実直と卑小の入り混じった大浦守衛への意地悪い笑みといい――そのどれもが、海軍機関学校がゆゆしき問題とし、また、謝罪を要求したとしても尤もな内容と言ってよい。
更に、大正13(1923)年4月の同じく雑誌『改造』に載った芥川龍之介の「寒さ」を見よう。その前半に登場する物理教官宮本は、最早、疑いようがなく、海軍機関学校時代の同僚であった佐野慶造である。叙述の冒頭の「口髭の薄い脣に人の好い微笑」(大正7年撮影の佐野慶造の写真を見る限り、彼の口髭は濃いといえない)とは、芥川龍之介にして、何と悪意と皮肉に満ちた表現であることか! 以下の、人間の男女の性愛に演繹した『傳熱作用の法則』を得意気に語る宮本のシークエンスは、まさに佐野慶造の『つまり、物理学なんてやっている人間の非常識な野暮ったい面を突いて強調したような書き方なんだ。ぼくも自分のことながら、なるほどなあと思って可笑しくなったぐらいだ。芥川君のような文学者から見たら、可笑しく見える要素が多分にあるのだろうな。お前から見たって、ああ見えるかも知れないなあ。』という台詞と完全に一致する内容である。

そうである。完全に一致するのである。
――実は、上記の佐野慶造の台詞は佐野花子の「芥川龍之介の思い出」(昭和48年短歌新聞社刊)の中の、かの芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」についての叙述から引用したものなのである。海軍機関学校から浮かぬ顔で帰宅した慶造は妻花子に向かってこう切り出す。

「芥川君はね。〝佐野さん〟という題で、ぼくの悪口を書いているのだよ。新潮誌上でね。今日、学校でそれを読んだ。学校当局も問題にしているよ。」
とあって、花子の無言を示す
「……………………」
(実際には、花子は既に「佐野さん」という作品を読んでしまっていることが、前に書かれている)の後、
『お前もその文を読んでごらん。解るだろうこの気持が。つまり、物理学なんてやっている人間の非常識な野暮ったい面を突いて強調したような書き方なんだ。ぼくも自分のことながら、なるほどなあと思って可笑しくなったぐらいだ。芥川君のような文学者から見たら、可笑しく見える要素が多分にあるのだろうな。お前から見たって、ああ見えるかも知れないなあ。こんなことぐらい、放って置いてもいいだけど、海軍機関学校というところも難かしいからね』

と続いている。
ちょっと、ここで発声してみて頂きたい。作品の題名である。

芥川龍之介幻の作品「佐野さん」――さのさん――Sano-san――
芥川龍之介作「寒さ」――さむさ――Samusa――

「芥川君はね。〝寒さ〟という題で、ぼくの悪口を書いているのだよ。……」

ここに至って僕は、幻の「佐野さん」という作品は、実は、この「寒さ」であったのだという強迫観念から逃れることが、最早、全く出来なくなっていると告白する。

勿論、この部分についてのみでも、発表雑誌が「新潮」であるという齟齬がある。しかし、多くの雑誌をその発表舞台としていた芥川のことを考えれば、ここでの誌名の記憶違いは容易にあり得よう。但し、佐野花子は耳にタコが出来るほど、粘着的に雑誌「新潮」の名前をこの本の中で繰り返している(いやだからこそ、この齟齬は実は佐野花子の確信犯的行為とも思える部分があるのである)。ちなみに、「保吉の手帳から」と「寒さ」は、大正13(1923)年7月に第7作品集である『黄雀風』に、共に所収され、出版されているのであるが、その出版社は、新潮社である。
更に言おう。後年、この佐野慶造と芥川龍之介を巡る佐野花子の話を元に、田中純が創作した小説「二本のステッキ」(僕は未だ未見である。近いうちに読もうと決心している。そこで新たな発見があることを期待もしている)が載ったのは、昭和31年2月の「小説新潮」であった。

しかし、僕がこれを「強迫観念」と言う所以は、次のような一大齟齬が存在するからである。佐野花子は次のように書く。

『あれ程、夫に対して理解のあったと思う彼が、夫のことを、
 「この男が三十を過ぎて漸く結婚できると有頂天になっているのは笑止千万だ。果してどんな売れ残りがやって来るのやら」
と結んであるのですが、これは私を見る前の文です。ずい分、前のことを書いたもので、それだけに顔を合わせていた期間の短かくないことを思うと余計腹立たしいのです。題も明らかに「佐野さん」とあるのです。新潮誌上に麗々と本名を使って発表した随筆。あまつさえ夫を見る影もない変な男とし、そして刺し殺すほどの憂き目に合わせていました。』

勿論、どこをどう読んでも「寒さ」にこのように読める部分は存在しない。そもそも、「寒さ」の物理教官宮本は結婚しているのである。
そうして、芥川のその作品の文章に対して『どのような皮肉冗談にも必ず伴う礼儀好意の片鱗さえ影を潜めてしまった文章』であり、『誹謗冷笑に満ちた文辞には改めて茫然としてしまう』ほど、『ムキ出しに書いた』もので、『名前を本名にし、世間の昼の光の中にさらけ出してしまっている』と続けている。これが、「佐野さん」なる作品の文体・叙述の特徴であることを押さえておきたい。それこそ、「寒さ」をここまで誹謗するのはお門違いも甚だしいであろう。

この後に、その数日後に、芥川龍之介が海軍学校に来校し謝罪した、という驚天動地の一件が記されるのである。そこで佐野慶造は『夕食どきに夫は声をひくく』して花子に語る。

「今日、芥川君が学校に来た」
私は驚いてなお語ることばに耳を立てましたのです。
「例の新潮の随筆の件で謝罪に来たのだ。学校で手を廻したと見える。芥川君は、学校当局にも、ぼくにも謝罪をしてね、以前のような元気はなく帰って行ったよ。ぼくはちょっと送って出て、是非うちにも寄ってくれ、ぼくは何とも思っていないし、あれもすっきりすることだろう。一泊してもよいからゆっくり話してやってくれと言ったけれど、奥さんには君からくれぐれもよろしくお詫びしておいてくれと帰って行ってしまった。淋しかったね。うしろ姿も淋しかったよ」

それを受けて、花子は芥川が最早、自身から夫婦との縁を断つことを覚悟しての言葉と感じて、涙ぐみ、『まことにやるせないその夜の思い出でございます。』と感懐を記す。
さて、その直後に、佐野花子は以下のように言う。

『機関学校の校長はじめ一同があの文を読んで憤慨し、芥川を呼びつけて謝罪させたことは、私にとってはせめてもの慰めでありました。学校では佐野を弁護し、かばってくれたわけですが、夫が信用を受けて居り、捨てておけない人物であったからと思えます。焼き捨ててしまった例の新潮はその後、一冊も眼にふれることなく、また、見たいとは思いませず、終わりのところの文のみ覚えているのでございますが、天下の芥川を庇う文壇ジャーナリストらの方でも、同時に申し合わせたように、あの随筆のみは彼の全集にはおろか、何の小集にも載せることなく消してしまいました。おそらく、あの文を覚えている人、所持している人もいないのではございますまいか。あれば解っていただけると思います。』

これが「佐野さん」という芥川龍之介幻の作品伝説のルーツとなった。しかし、それこそ「保吉の手帳」に描かれたような愚昧な集団である海軍機関学校の教職員が、「寒さ」程度のモデル内容で、『校長はじめ一同があの文を読んで憤慨』するなどとは到底思われない。いや、一年も前に同じ雑誌に発表された「保吉の手帳」の方が、学校当局として、余程憤慨する内容ではないのか? しかし、冒頭に記した如く、このニ作品は合わせて、作品集『黄雀風』に所載されて出版されている。『黄雀風』が回収・絶版化されたという話も当然の如く、ない。『黄雀風』は今も古書で普通に手に入る。
加えて、僕がここに都市伝説の匂いを嗅ぐのは、『例の新潮はその後、一冊も眼にふれることなく』というまことしやかな筆禍回収を暗示させるような口調と、全集未収録封印作品となったとする点である。この時代にあって、ここまで芥川龍之介という人気作家の作品を完璧に封印することなど、出来ない芸当だ。試しに幾つかの図書館の雑誌『新潮』を検索してみても、この大正10年代のバックナンバーに所蔵していない号(現在読めない号)は、ないのである。この伝説は極めて胡散臭い。存在しないが故にこそ、佐野花子はこう書かざるを得なかったのではなかったか、とも思わせる部分なのである。

僕は僕なりの、ケリをつけたいと思っている。「新潮」の総覧と、田中純の「二本のステッキ」だ。

この問題については、その時まで、では、随分、ごきげんよう。

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