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2007/04/28

ロストロポーヴィッチ追悼

あなたのあのLDのバッハの「無伴奏チェロ組曲」の演奏と語りは、バッハという現象の中の、最も美しい記念碑である。僕はあなたを忘れない。いや、あなたがタルコフスキイの追悼ためにそれを演奏したというその事実一つでさえも、僕の人生の悲泣の憂鬱を完成させてくれたのだ。

寺島良安「和漢三才圖會 巻第四十七 介貝部」

新たな自己拘束の始まりとして、寺島良安の「和漢三才圖會」から「巻第四十七 介貝部」を、正規のインデックスとして新たに起こし、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。これに伴い、内容見本は削除した。但し、未だ作業中である。ゆっくりと楽しみながら、やってゆきたい。部分的でしかないけれど、僕のパラノイア的な注は、暇潰しに読むには適していると思う。ご笑覧あれ。「老海鼠」以下の画像も、再補正して見易くした。

2007/04/25

やりたいことがいっぱいあるのに

芥川龍之介をモデルにした田中純の「二本のステッキ」を入手し、そこから例の芥川龍之介の幻の作品「佐野さん」へのある核心を捉えた推察が出来たし(「二本のステッキ」、思った通りこいつは大変に産まれてこないはずの架空の奇形児を孕んだ作品である)、「和漢三才圖會」も入れ込んで、今の倍のテクストは出来たし(注のテンションは揚がりっ放しで、久々に「新編国歌大観」まで繰ったぜ)、西尾正の新しい全集的な著作集を手に入れ、あの「骸骨」の驚くべき補正(題名さえ不完全だったなんて!)ができることを歓喜しながら……でも、僕は、もうすっかり、疲れてしまっている。今度の連休に、僕は、せめて、それらを何とかしたいのだ。僕に残された生の時間を、僕は、僕の好きなように使って、何が悪いのだろう!? 僕の時間を、誰が規定し、さらに既定するのだろう!? 僕は僕の、まさに我儘に使って何で、悪いのだろう!? 僕の生きる時間は、誰に左右されるのだろう!? ……勿論、僕だけが「それ」を知っている……僕の時間は、僕だけのものだ。僕はただ、それに「覚悟」を持つだけなのだ。即ち、僕は僕にだけ、責任を持てば、それで、いいのだ。

2007/04/22

芥川龍之介「新緑の庭」「春の日のさした往來をぶらぶら一人歩いてゐる」

芥川龍之介「新緑の庭」及び「春の日のさした往來をぶらぶら一人歩いてゐる」のニ作品を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。前者は一読、ルナールの「博物誌」の“Au Jardin”の剽窃であることが分かる。後者の観察も、ルナールの視線そのものであると言ってよい。かつて僕は、岸田国士が芥川龍之介(死後)のルナールの剽窃を微妙な友情をもって評しているのを読んだ記憶がある。一人芥川龍之介のみの恥ではない、日本の文学の不幸であると言ったかわし方であった。しかし、このようなあからさまな作品を見る時、岸田の評言に甘さを覚える。実際に、「博物誌」を知っていてこれらを読む時、ある苦いものを感じざるを得ないのである。

2007/04/19

大事なことは

誰に愛されたか、ではなく、誰を愛したか、「本当に愛した」のは誰かを考えることであり、何に怒ったか、「本当に怒った」のは何かを考えることである。そうして、誰も愛していないし、何にも怒っていない自分に今更ながら気づいた時、やっと僕らは、「僕ら」になれる。そこから歩き出せば、よい。誰かのために歩くのでは、ない。僕らは僕らのためにしか、歩かない。自身のためでさえろくに歩けない輩は、金輪際、他者のために歩くことは、できないのだから。

2007/04/18

armchair aquarium

「armchair aquarium [アームチェア・アクアリウム]」を「僕との因縁のサイト」に登録した。そのコメント。

僕が今、最大の嫉妬を感じるブログ。僕の博物学テクストを評価して頂き、マイミクになって頂いた女性であるが、その博物学の造詣とモダンアートの索敵から画像のイングラムM10的連射は、僕の心に致命的な風穴を空けている。

実は昨日、マイミクになって頂いたばかり(!)なのだが、今日、彼女のブログ覗いて、どのページも、内臓が反転して消化液で自身が溶解するほど、ワクワクした。博物画はもとより、選び出されたモダンアートのほとんどが、悔しいくらい僕の知らない、それでいて、僕が異常心理学的に最大閾の刺激を受ける作品ばかりなのだ。他人のブログで新しいページを開くのが、これほど素敵に感じたのは、初めてのことだ。こんな化石のようになったと思っていた博物学の「智」の出逢いもあるのならば、僕も、棺桶の中から、少しばかり、棺桶の蓋に片足を移してもいいかとも思ったばかりなのだ。

冒頭の心にくい「いなし方」を見よ!

「飼育家でも釣り人でもなく、ネタを転がしてさかなを愛でる安楽椅子派のさかなブログ。」

ちぇ! ヤラレタぜ!
[やぶちゃん注:イングラムM10=アメリカ製サブマシンガン。1分間に1050発を連射する。]

民主主義への攻撃だ?

やさぐれ政治家共が、凶器準備集合愛国少年玉砕憲法「改正」を画策しようとしている国家では、温泉ヤクザが懐具合の寒さという糞のような理由からヒットマンになって、レゾンデトールを夢精するしかない(そこでは「長崎」という地名も、皮肉にもあの芭蕉の不易流行の説を想起させた)。つくづく思う、国民投票法の埒外に置かれた若者達の心の中だけにしか、真の民主主義は、最早ない。もう、攻撃するべき民主主義の実体さえ、ないではないか。寺山だったら、消えたマッチ棒を捨てることさえもしないだろう、マッチ棒さえ、可哀想だ。

浜辺の足あとのように

振り返ると 確かに記した足あとが 虚しく いや 鮮やかに 波に消えてゆく それが 僕らが 「人生」 と呼んでいる 他愛もないものなのかも知れない いや だからこそ 僕らは とてつもない 孤独地獄に 押しつぶされることなく めめしく 生きていけるとも 言えるのかも 知れない

2007/04/15

やぶちゃん版「和漢三才図会」電子テクスト化プロジェクト 内容見本《強力追加!》

『やぶちゃん版「和漢三才図会」電子テクスト化プロジェクト 内容見本』に「郎君子」(スガイ)・「海燕」(ヒトデとカシパン)・「霊螺子」(ウニ)・「石蜐」(カメノテ)・「寄居蟲」(ヤドカリ)・「貝鮹」(タコブネ)の6項目を追加した。「老海鼠」(ホヤ)・「幾左古」(キサゴ)・「錦貝」(ヤコウガイ)を合わせて9項目、これで「和漢三才圖會 介貝類 四十七 十八」から、同巻最後の「二十一」までを終わったことになる(やっていることの区切りが悪いと、どうもお尻がムズムズするので、今回の仕儀となった)。最後のタコブネ等、読んで面白い注を心懸けたつもりである。お読みあれ!

追記:今夕(2007年4月17日)、冒頭凡例その他に、再び補正を加えた。最早、見本ではなく、プロジェクトの作業に入ったと言っていいのかも知れない。近々、そのような形で、公開することになろう。

安宅関の弁慶 後注追加

南方熊楠「安宅関の弁慶」中の、イタリア史について、世界史の同僚から教授してもらった知見を後注で追加した。

2007/04/14

地獄の僕の居所

死ねだの、死ぬだの言っておいて、ああ、言い忘れた。まんず、地獄で僕を探すなら、親切な三途の川の脱衣婆(だつえば)のばあさんに聞くがいい。多分、彼女はこう答えるだろう、「芥川の龍ちゃんがオーナーの、針山高原下の長期滞在型ホテル、シー・パーク・チノイケ・ベイ・リゾート(スキューバー奈落ダイビングや釜底クリスタル・ボート“カンダタ”号によるオプション・ツアー有)のほとりの、髑髏(どくろ)をあしらった洒落た凌遅型ベンチで、人頭杖をステッキにし、いつも浄玻璃の鏡で髪の乱れを直している気障な亡者が、やぶちゃん、だよ!」って、ね。ふふふ♪ 千年、待ってるぜ! ほくそ笑んでる、お前も、それこそ一蓮托生さ♪

2007/04/12

すべての人々が国民である〔改〕

僕は今日、この国に心底、失望した。

国民とは、全ての日本に生きる民である。すべての国民とは、国家によって「教育」を受けた(現に受けている)人々である(物心ついたとは言わせない! いいか! 人を馬鹿にするな! 「国民」と数える、すべてだ! そもそも文部科学省〔この名前! 鉄腕アトムのあの頃、科学省なんて出来ると思ってた奴がどれくらいいただろう〕は教育公務員に「国旗」「国歌」の強力な指導を強い、処分までして正義面しているんだから、小中高校生の投票は少しも怖くあるまいよ。お前らの施策通りに行っているのなら、彼らはみんな「改正」に投票するんじゃないの? 勿論、僕は事実は反対だと思っているがね)。憲法を変えるためには、「すべて」のこの国に生きる人々の、3分の2の賛同なしにはあるべきではない。何より、これからの「日本」を生きる子供や若者達にこそ、真っ先に投票の権限が与えられなければならない(棺おけに片足突っ込んだ僕等マラ萎えジジイどもの投票権を0.5以下に減じたっていいくらいだ)。これは重要審議事項だ。勿論、その、3分の2に、論理的な決定的根拠があるとも思っているわけでは、ない。しかし、僕は全ての3分の2に、とりあえずの価値をおく。彼らが、テッテ的に好戦的な憲法を選び取り、そうあるべきだと、思うならそれが「日本」という国家という幻想であろう(勿論、平和憲法の「日本」が同様に幻想であることも言を待たない。ただ同じはかない幻想ならば僕は迷わず後者を選ぶということだ)。そう、あれば、よい。愛さない奴(それは僕であるかも知れない)は、去れば、いい。その対象が僕であるなら、僕は、いつでも、気持ちよく、去る。こんな、極下劣な排除論理の世界(それは現世というべきか)は、もう、沢山だ! めめしく(もしくは偉そうに)生きていたい奴だけが、めめしく(もしくは偉そうに)生きよ。さて、俺が、どうするか? そんなことを批判するまえに、お前のことを考えるが、いい! いつまでも永遠に生きていたいと思っている、下劣なお前のことを! いいか!? その「下劣なお前」とは、「僕」に繋がる、あらゆる「愚劣な生」を求める、「愚かな僕」に繋がる「生」そのものの、ホモ・サピエンスというみじめな、狂った「種」存在そのものなのだ!……僕は、君が批判するなら、何時でも、「君と」確かに死のう、君さえ、「この愚かで愚劣な僕と」死ねるならば、だ……その程度の覚悟もなしに、自己を表明するな。何時でも、俺は、待ってる――硬性憲法を、なし崩しに杜撰な国民投票法によって安易に「改正」しようとする今回の愚劣な行為は、明らかな「憲法」違反である。現政権や賛同した国会議員は、「非国民」的行為を行使している国家転覆罪を犯している。君等は、すべて死に値する。

〔2007年4月14日8:30改 酔って怒って書いたので、言葉足らずであった。一部修正し、補足した。したが、そうするうちに、またぞろムラムラと怒りが込み上げて来た。結局、また更に過激になった。悪しからず。〕

2007/04/10

『やぶちゃん版「和漢三才図会」電子テクスト化プロジェクト 内容見本』画像挿入

『やぶちゃん版「和漢三才図会」電子テクスト化プロジェクト 内容見本』に画像を挿入し、前書に追加した。これで、本格的に楽しくなった。

2007/04/08

芥川龍之介 少年

芥川龍之介「少年」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

2007/04/07

インターネット上の基礎知識(恥!)

京都大学図書館機構内「京都大学建築系図書室ホームページ」の「インターネット上の基礎知識 NDC800-999 言語/文学 Language, Literature」に僕の「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集」がリンクされているのを、偶然、見つけた(ずーっと下の「日本文学* Japanese Literature NDC:910」の中央やや下)。これは十進分類法の基づく優れたもので、私のサイト内のテクスト作家も列挙されている。電子テクストの老舗やお堅い大学のサイトに混じって、基礎知識と呼べる体系もなく、「やぶちゃん」では如何にも素人くさくてお恥ずかしいが……。テクスト調べには大いに活用できる優れたサイトである。一度、お訪ねあれ。

南方熊楠 安宅関の弁慶

南方熊楠「安宅関の弁慶」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

ちなみに、僕が中学・高校時代を過した富山県高岡市伏木こそ、ここに登場する「義経記」の如意の渡しであった。ついでに言えば、友人と道草をした町中の旧刹勝興寺は大伴家持の旧跡でもあり、すぐ近くに国府跡があった。高校のあった丘の下の浜辺まで来たと思われる芭蕉は「早稲の香や」の名句を詠んだ。卒業した県立伏木高等学校の校歌には「奈呉の浦」「有磯の海」「如意が丘」が詠み込まれていた。当時としては斬新な伏木中学校の校歌(実は校歌ではなく「伏木中学校の歌」である。校歌がそもそもないのである。僕は如何なる出身校にも勤務校にも愛着を持たないが、何故かこの「伏木中学校の歌」は忘れずに覚えていて、歌える)を作詞した堀田善衛は町の廻船問屋の息子で、初期の短編小説に登場する先の浜辺、国分浜の連れ込み旅館の蔭で、僕はしばしば煙草をくゆらせたものだった。丁度その頃、その浜から北朝鮮に拉致された人がいたこともつい先日知った。へたをすれば、間違いなく僕は拉致されていた。それほどあの浜が、僕は好きだったから。それにしても僕はこのような、文学的香気とは全く無縁に、あそこで6年を過したのだった。僕の青春は、日本海の、あの人を拒絶する濃い海の色と、荒れ荒(すさ)んだ沖合いの三角波に象徴されていた気がする。しかし、もう行くこともないであろう、あの北陸の沈んだ港町が、今の僕には妙に懐かしくもあるのである。

南方熊楠 大きな蟹の話

南方熊楠「大きな蟹の話」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

2007/04/04

闇のなかの灯 村上昭夫

闇のなかの灯   村上昭夫

闇のなかに灯の歌はある

あまりに遠い荒野なのだから

あまりに遠い沈黙なのだから

灯がある限り

人は真実を待つだろう

灯が消えない限り

人は思い出したように

歩むのだ

明日、新しく出逢うであろう誰かに、これを贈る。僕は「灯の歌」を詠いながら、明日からまた、よろよろと、歩き出すのだ。

2007/04/02

梶井基次郎「Kの昇天――或はKの溺死」

梶井基次郎「Kの昇天――或はKの溺死」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。僕は、遠い昔、この作品と同じ思いの中で、鎌倉の由比ヶ浜に朝開けまで立ち尽くしたことがあった。だから、これは僕の青春への、確かなオマージュであることを、僕は疑わないのである。残念ながら、僕は死ななかったけれど。これをアップしたのは(既に正字正仮名で公開しているサイトを発見した)、しかし、西尾正「骸骨」の注にリンクさせるためである。ただの私的なノスタルジアばかりでは、ない。

また、『やぶちゃん版「和漢三才図会」電子テクスト化プロジェクト 内容見本』の注の幾つかを補正した。

累計アクセス数40000

父の前立腺癌の転移状況と今後の療法の手順を医師に聞きに行く。転移なし。ステージB1とは、不幸中の幸いの典型だ。

父と喧嘩しながら鮨を食い、八海山でへろへろになりながら、ブログを開ければ、あっという間に累計アクセス数40405。父よ、こんな僕のブログでも、読むヤツは、いるんだよ。

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