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2007/05/05

芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章

田中純の小説「二本のステッキ」(昭和31(1956)年2月「小説新潮」所載)は、冒頭に山田芳子と思われる山口靖子という人物から、彼女の母(=佐野花子)が綴った芥川龍之介についての手記(ノート)を託された田中自身の前書部分を経て、その手記を簡略化して記したという一人称告白体(小説の最後まで山口靖子の母であるSさんの妻の一人称)部分から構成されている。これはもう、芥川龍之介の実名を挙げた実録物の趣である。読む者は誰もが、ここに書かれたことを基本的には事実であると思うであろう。
僕が問題にしたい箇所は、実はその前書部分にある。そこで、手記を託した山口靖子の手紙の文意をまとめるという体で、例の芥川の「佐野さん」事件を暗示させながら(勿論、告白体後文で手記の中に採録)芥川龍之介の突然の絶交について書いた最後の下りである。

『……殊にあれほど芥川を信じ愛した母は、その理由が全く分からないだけに一層苦しんでいたようで、最近まで一人娘である彼女に、
「どうして芥川さんは私たちにあんなことをなすつたのだろうねえ。」
 と言つて嘆いていた。この母は、昨年の春、老いのために廃人同様の身となつたし、父もまた数十年前に世を去っている。もちろん芥川も自ら生命を絶つた今日では、その理由を確かめるてだては全くなくなっているけれども、ただ一つ、母がその晩年に書き遺して置いたノートがあり、これは芥川と父母との交遊の様子を相當くわしく書いている。このノートを讀んでも、どうして芥川が父母に對してあんな仕打ちをしたのか、その理由が自分たちには判らないけれども、その頃の芥川と親しい交遊があり、且また文學者の心理にも通じている筈の貴下は、このノートによつて何かの解釋を得られるかもしれない。もし何かの結論を得られたら、母の最後の平和のためにも、それを知らせてほしい。そうした願いをこめて、右のノートや、その頃の父母の寫眞などを送るからよろしく頼む。
 手紙の文意は大體右のようなもので、(以下略)』

ここで田中は山口の手紙の内容という形で「この母は、昨年の春、老いのために廃人同様の身となつた」としているのである。だめ押しに「晩年」とさえ言っている。これは、僕には驚天動地だ。何故なら、佐野花子は「芥川龍之介の思い出」の末尾で、こう記しているからである。「月光の女」の文壇の詮索が著名女性にばかり向けられて、佐野花子自身に全く向いてこないことに苛立ち、

『私は自分でもこういうことに気づきまして病人になりましてから、ノートに覚えていることを書きはじめました。小説の形にしてまず書き残してもみました。また、文壇で問題にしている『或阿呆の一生』の中の四人の女性を私であるとも仮定して断定的な口調で書いても見ました。または、手当たりしだいの紙片に覚え書きを記しました。娘の耳にも語り聞かせました。病いは既に治りそうもなく先も長いとは思えず、書いたものは、ちぐはぐであるようです。私の言いたいことは一貫して頭の中にあるのですが、死後それはどのように語り伝えられて行くのでしょう。
 もっとも私は私の所持しているこの話題を田中純氏によって小説化されたことがございます。氏は「二本のステッキ」という題で、昭和三十一年二月『小説新潮』誌上に発表され、芥川の「知られざる一面」として興味を呼びました。』

そうして、その後には、同誌三月号の「二本のステッキ」評である十返肇氏の「芥川への疑惑」を恐らくほとんど引用しつつ、自分が何故この「芥川龍之介の思い出」を遺すこととしたかの思いを、再度訴えて、「芥川龍之介の思い出」の末尾は自作定型詩の前に「永の眠りも遠からぬことと思います。」で結ばれている。
佐野花子は昭和36(1961)年8月26日、66歳で亡くなっている。

佐野花子は何故「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的な言辞を受け入れているのか。そもそも。この叙述から佐野花子は「二本のステッキ」を少なくともしっかりした見当識のある中で読み、またその次号に載った評論も理解し、後に(同作品の発表から彼女の死去までは5年ある)それらを自作の「芥川龍之介の思い出」の末尾に自身の記述の素材として組み入れることも出来たということである。それは「廃人同様の身」では、できない。いや、自身が「月光の女」であることを自認し、それが世間に知られないことへの焦燥を隠さず、また「澄江堂遺珠」の女性暗示を自分自身に引き付けないではいられなかった彼女が、何故、「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的虚偽を問題にしないのか。

それが小説だから? そうではない。「二本のステッキ」の告白体部分は、客観的に見れば現行の佐野花子「芥川龍之介の思い出」の出来の悪い覗き見趣味の圧縮版である。

田中純自身は前書で「その追憶の甘さ、叙述のくだくだしさとははじめのうち多少私を退屈させた」とあるが、彼の小説の方が臨場感も山場もぶつ切りで退屈である。何より、この小説は、山口靖子の求めたような「どうして芥川が父母に對してあんな仕打ちをしたのか、その理由が自分たちには判らないけれども、その頃の芥川と親しい交遊があり、且また文學者の心理にも通じている筈の」田中純によって、「何かの解釋を」、少しも下されてはいないという点である。これは、告白体の直前で田中がいくら「從つてこの一篇の文章は全部作者たる私にあることを斷つて置く」と言っても、それはほとんど無効なのだ。これは佐野花子にとって『佐野花子の告白』なのである。

佐野花子は、先の引用に示したように、かつてこの「芥川龍之介の思い出」のプロトタイプである「芥川樣の思い出」(写真版で見る原ノートの題名)を『小説の形にしてまず書き残してもみ』たと述べている。田中の手に渡ったのは、そうした小説化されたもの、もしくはそれも含んだもろもろの覚書(そこには小説的虚構の覚書さえも含まれる)であったと思われる。それが、彼女の思い通りのストーリーで田中純によってさらに虚構化されたのである。ところが、それは前書を無視すれば、佐野花子の私小説そのものなのである。

結論を言おう。この「二本のステッキ」を佐野花子は『小説』として読んでいない。

佐野花子の原小説「芥川樣の思い出」→田中純「二本のステッキ」→抽出された「二本のステッキ」内の佐野花子『芥川樣の思い出』→佐野花子の体験錯誤→佐野花子によって実録として認識された佐野花子「芥川龍之介の思い出」

へと至り、それが強固に彼女の意識に定着してしまったのであると僕は思う。
そこに、彼女の晩年の病気なるものがどのように関与しているかについて、僕には病跡学的な興味はあるが、作家ではない一般人の彼女に対してこれ以上の詮索を行うことは失礼であろう。

序でながら、今回、そのような悪意(彼女にとって真実であることを真実でないと言う以上、悪意と言い得る)の目で見た時、「芥川龍之介の思い出」の中に現われる(勿論、これは「二本のステッキ」にも現われる)「谷崎潤一郎との論争」で「ヘトヘトに疲れちゃった」という芥川龍之介というのが気になる。谷崎との交流は大正6(1917)年7月に佐藤春夫らと谷崎邸を訪問して以降のことである。急激に親しくなったことは、10月に谷崎自身が芥川龍之介の田端邸を訪問していることからも分かるが、翌年2月には文と結婚しており、これを境として、芥川と佐野夫妻と関係はとっくに疎遠になっている。谷崎との『論争』といえば、有名な「文学的な、余りに文学的な」であるが、これは昭和2(1927)年のことである。
さて、この部分を記した「二本のステッキ」の書評十返肇氏の「芥川への疑惑」は、『「二本のステッキ」のなかに、谷崎と論争して、芥川がヘトヘトになったことが書いてある。そして『谷崎は偉い。僕をこんなにヘトヘトにするのだから』と芥川がいうところが、芥川の本音であろう。』(これは原文に当たっていない。佐野花子の「芥川龍之介の思い出」からの孫引きである)と記すのだが(厳密には「二本のステッキ」では『しかし谷崎というやつはえらい奴ですよ。僕をこんなに參らせるんですからね。』である)である。ところが、これに相当する、芥川龍之介の谷崎評は佐野花子の「芥川龍之介の思い出」には、ないのである。且つ、佐野花子がこの「谷崎潤一郎との論争」で「ヘトヘトに疲れちゃった」という芥川龍之介を回想するのは文との結婚話が表面化する以前に配されている(「二本のステッキ」も同様)。
何が言いたいかお分かり戴けると思う。十返の認識する論争とは「文学的な、余りに文学的な」を意味している。それは、おかしいのである。勿論、出逢った当初から粘着質の谷崎を実際には苦手とし、「論争」はあったに違いない。しかし、この佐野・田中・十返の言っているのは、どう考えても「文学的な、余りに文学的な」を中心とした文学「論争」ではないか。

僕の至った見解を纏めよう。
幻の芥川龍之介「佐野さん」は存在しない。それは佐野花子の創作中の産物であり、しかし佐野花子はそれを自身の体験した現実と『錯誤したのである』。そのモデル作品は既に考察したように「寒さ」である。
芥川龍之介が海軍機関学校からの抗議を受けたかもしれないこと、それへの謝罪のために訪れたかもしれないことは、保吉物の他作品から先の論考で見た通り、在り得ないことではない。
従って、「芥川龍之介の思い出」の「佐野さん」に纏わるシークエンス全体が妄想であるとは僕は思っていない。

最後に一言。僕はかつてブログで佐野花子の容貌について「芥川龍之介の思い出」の見開き写真について「彼女は、恐らく、芥川に関わった女性たちの中でも、超弩級の美形である(御覧になりたければ、著作権上の問題があるので、私的に添付ファイルでお示ししよう)。」とまで書いた。冒頭前書で、田中純は妻に山口靖子の手紙に同封された写真を見せる。

「綺麗な人じアないか。」
 私はそばにいる妻に寫眞を示した。
「ほんと。」
 と、妻も、もう少し黄色を帶びて來ている古い寫眞に見入つて、「とてもゆたかな感じの人じアないの。」
「クラシカルだけど利巧そうだし、好い感じだね。」
「これが芥川さんの戀人?」
「さア、ノートを讀んでみなければ判らないが……」

……僕は、今、現在でも、佐野花子が芥川龍之介にとって忘れ難き「月光の女」の大切な一人であると確信している。そうして、今も、私の中で、彼女は、美しい……

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