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2007/08/24

くるり 家出娘

もう一枚。好きなると居ても立ってもそれを口ずさまずには居られないのが僕の病気である。もうずっと毎日、くるりの「家出娘」が脳みその中で鳴りっぱなしで、これはCDを買ってエンドレスで聴くしかないのだ。事実、さっき2時間以上、「家出娘」のリピートでラジカセは熱を発している。今日の夕暮、アリスの散歩でこれを口笛で吹きながら歩いていたら、すれ違った若い女性がにっこり笑って「あら、くるり!」と小声で言ったのが聞こえた。悪くないね♡

僕が僕に感謝するのは、気に入った曲はイッパツでメロディラインを暗誦できることなのである。がしかし、実は哀しいことがある。それは、その曲に歌詞がある場合、たとえそれが短い歌詞であっても、覚えられないということ、いや、実は、僕は、例えばこの「家出娘」の歌詞は、これほどリピートで聴いても、その数箇所が「分からない」のだ。僕には先天的に、音楽合わせて歌われた歌詞を判読する能力が欠落しているらしい。標準的アクセントを外されると僕には日本語は外国語らしいのだ。

例えば、こうさ。さっき、やっとライナーノーツを見て、

へえぇ、「秘密の道草」って歌ってるの!?

「……ままで」って「着た」だったのか!

「君は染めた」!ってダメ押ししてたんだ?

夢じゃないかって、の「て」じゃないんだ? 「手」なんだ!

「曇天模様の下」だったのか! 意味不明の「下」だった……

僕はそうして、こう納得しても、すぐに忘れてしまう……そうして最初の「何が何でも出て行こう君は家出娘」というフレーズだけでしかこの曲の歌詞を認知しないのだ。僕にとって好きな音楽の歌詞は実は全くと言っていいほど――好きなこととほとんど無縁なのだということに気づく。はっきり言うと、さっき書いた「千の風になって」も例外ではないのだ。僕はその詩句の一部分についてある限定を述べたが、それはこの「家出娘」の「何が何でも出て行こう君は家出娘」と同じ、このメロディに刷り込まれた「メロディを名指すためだけの」特異命題なのだと言っていいのだ。それは決してそれを「示さない」のである。

くるりという彼らがどれほどに若い連中に流行っているか、まるで知らない。知らないが、僕は、好きになれそうだ。そんな気がしているよ……

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