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2007/10/17

日光尊者再讃 増田晃

     日光尊者再讃   増田晃
       ―天平時代・三月堂佛像

一、月も日もすがたなき 夏のあかつきの空を見れば、一抹の薔薇油のみその束の間の うす赤きちぎれ雲よりしづくせり、日はまこと黑く艷ある夜にやをら 瀧なす産湯おとして捧げられしか。われいま三月堂大扉の前に在りて、ただ聖き磁力にうたれをののけるなり。

二、闇より産れ 闇を知り いま闇を拂はんとする日輪よ。いつかわれ御身を拒みしことありや。否! 否! されど われ哀れなる靴工のごとく、弱き寡婦の母さへ忘れ、ゴルゴタの夜にさまよひ、極光の襞(ひだ)をつたひて、今このアジアの渚にむせびなくなり。いつかわれ御身を呪ひしことありや。否! 否! されど われ哀れなる釘工のごとくわが工場に鐵滓あるなく、わがパン皿に白鳥の羽ちり、わが肌着はや釦なければ、この露はなる胸 雪に洗はれ凹みはてぬ。

三、されど見よ百合を! 夏に濯がれしかの白百合は、火なき光なき闇に在れども、おのがほのけき熱によりて 聖きその存在を語る。されどこの可憐なる手巾(ナフキン)の 盬ひかるごと白く薫るは、自らを誇りてかくあるにはあらず。たゞ日輪よ、御身のみ待ち御身のみ讃へ、電光相うつ嚝野にあるとも、掠奪に人絶えし國境にあるとも、空に浪うつ御身の出現を たゞ信じゐたればなり。われこの世にいのち亨けしより以來、御身が名もてわが名とすれども、いまだ御身のほのほを知らず。たゞ語れ、日はいづくにありや、曉はすでに始まりしや、すでにこの大扉よりわが足もとに 雪崩しひかりを明したまへ。

四、雪崩よるそのひかりを! 大いなる炬火を! 開かれたるこの大扉のおくに いま動く衝動と啓示を! 鳴きつぐ鶯にみちびかれつつ ベテレヘムへ急ぐナオミのごとぐ われこの啓示を早く知れり。朱の麥さして燻りたるその脣をあふぎみれば、また群がる闇を見貫(みつらぬ)くその眼をみれば、われすでにかの聖きひかりの如何(いかん)を曉る。草の杪(こづえ)を脈うたす柔き諸手をあふぎ、その合掌に遠き過去を知り未來を曉り、そを合はす優しく且は強き力に、創造の息吹の通ふを見れば、やかて御身天に立ち すべてを領ずる眞晝の時を信ぜずんばあらず。まこと燃ゆる雨ふらす日輪よ! すでに日輪は御身尊者の謂なりや。オーロラを赤めし御身なりや。群れゆく黒鹿に丹塗矢放つは 御身が夏の弓なりや。

五、御身尊者もし天日にあらば、わが賤しきからだこころを濯ぎたまへ。わが古き血をなべて落し、わが萎えし舌を切りとり、のちわが全身を鮫のごと、白きタイルのうへに濯ぎたまへ。鉛色のわが血管を刄もて裂き、腦膸より青葱のごとき蕊をぬき、疲れたる振袖の肺臟をゆすぎ、古き記憶を落さしめよ。天日よ、わが唾は疲れ、わが精液は穢れたり。そをただ水もて流し、わが狂ひたるピアノの簾(すだれ)を寸斷せよ。かくてわれを立たしめ われに新しき血を與へよ。われに新しき言葉を與へ、われに新しき聽力を與へよ。われに正しき歩行を教へ、のちかくてわが全心身を灼きたまヘ!

六、御身尊者もし天日にあらば、わが全心身を灼きたまへ。魔藥くゆらす青き髪のうちに わが潔き齒ははや穢るることなし。屈辱と冷罵と拒絶のうちに わが頸(くび)ははや折らるることなし。蒼白に稻光する市街のうちに わが肺臟ははや蝕さるることなし。國境に硝煙たち戰あるとも、もしそれ歴史を展く力あらば、わが新しき血そこにもえよ。歴史を進ましむるもののみに、わが全心身を犠牲(にへ)とせよ。御身尊者もし天日あらば、わが血管に御身の新酒をそそぎ、御身の言葉のみたゞ語らしめよ。わがうちに白金のピアノの簾をかけ、火の鍵盤をそろへよ。また燃ゆる七絃琴(リイル)をめざましめ、のちかくて御身が指を、その輝ける絃のうへに馳らせたまヘ! この輝ける絃をしてただ、御身が歌に共嗚せしめよ!

七、はや火の絨毯の朝燒は、東の方に展けそめたり。見よ 麺麭のごと赤く湧き立つ かしこ貫(ぬ)かんとする第一の矢は、波を切りゆく弾丸(たま)のごとく 速さゆるめつつ中天に屆き、そを追はんとする第二の矢は、白馬の曳ける日の車の 行くべきみちに射上げられたり。かゝるときわが白金の絃のうへに、はじめなる共鳴は合唱す!「われを見よ、われは正しく天日にして 汝の仰ぎし尊者なり。わが合掌既に天に生き、わが大道に雨あることなし。わが新酒既に汝に宿りたれば、汝の歌わが夏の弓に晴れん! 汝既に無力と屈托のときを歌ふなかれ。懶惰と夢のとき分おもふなかれ。ただ未來なる開港に、工場に田園に、また戰鬪に愛撫に沈默に、わが息吹あるところにのみ汝の讃歌を在らしめよ! そは汝のなせし祈禱の聲に果されたればななり。」

[やぶちゃん注:まずは前掲の詩「日光尊者」の注を参照されたい。

・「薔薇油」はナラから蒸留して得られる高級香料であるが、ここは朝焼けのイメージの隠喩。なお、以下の「一抹の薔薇油のみその束の間の」を私は「一抹の/薔薇油のみ/その/束の間の」と文節を切って、朝焼けの空の色彩の隠喩としての薔薇油のイメージを、そしてそれを限定の副助詞「のみ」で先鋭化している句法(やや無理があるのだが)と読む。疑義のある方は、眼から鱗の解説をお願いしたい。

・「極光」はオーロラ。
・「鐵滓」は本来は「てつし」と読むべきだが、慣用読みで「てつさい」と多くの文献が読んでおり、増田もそう読んでいるかもしれない。これは鉄の精錬の際にこぼれ落ちる鉄屑で、金糞(かなくそ)とも言う。卑しい釘職人にさえ、僅かの劣悪な鉄滓さえないように、という意味か。

・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「ベテレヘムへ急ぐナオミ」は旧約聖書の「ルツ記」に登場する女性。HP「大分聖公会」の「聖書の人物(20)ナオミとルツ(ルツ記より)」の叙述が分かりやすい。この日本人の名前のようなナオミとはヘブライ語で「快い」という意。
・「燻り」は「燻(ふすぶ)り」で、遠い日に脣(くち)に引いた麦の穂のような朱が長い年月の中でいぶされて古色を成していることを指しているか。
・「曉る」は「曉(し)る」=知る、と読んでいる。
・「杪(こづえ)」のルビはママ。

・「刄」は「やいば」。
・「ピアノの簾」とは、グランドピアノの内部の平行に走るスチールの弦のことを言っているか。

・「蝕さるる」は「蝕(おか)さるる」。
・「七絃琴」は和琴としては古琴の一種(平安時代に流行したが現存する完品は少ない)であるが、ここでは「リイル」のルビがあるので“lyre”(リラ・リュラー・ライアー・リール等と発音)と称する洋琴、7弦の竪琴を指すと考えるべきであろう。

・「麺麭」は、「パン」。]

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