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2007/10/12

月光の幻影 増田晃

     月光の幻影   増田晃

夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり
大きな礎石に肘ついたまま長く
うつむいて私(わたし)はゐたやうだ。
あたりいみぢくも香煙のぼり
しかもこころ中太くふくらみながら
丹柱とさだまるのを見てゐたやうだ。
強ひられて私(わたし)の魂は肉體(からだ)をすて
おぼろげな長石の葛石になげられよれば
雲斗は音なく渦まきながら
花忍冬こづゑにあるごとく
しかもしわしわ私(わたし)の腦髄(なづき)を皺よらせた。
ねむる私(わたし)の腦髄(なづき)なぞへのきざはしに
わが涙の珠の紗かけて一人の姫はたたし、
幾たびか砂にくはれた私(わたし)のむくろの
朱(あけ)の燐々のなみだを振りこぼした。
緑のみぐしに橘の花
手になめらけき琥珀の横笛
姫よ それはいつの遠い測りあへぬ御世(みよ)であろう。
入鹿の反逆に自經(わな)きたまうた大兄につぎ
さだかならぬ野に露と御果(は)てし
貴き姫の御歎かひ、
または白鳥と化(な)りてもどりたまひし
その御靈(たま)のみふれぞとも。
私(わたし)の影は葛石より額あげ
雪煙のごと御(み)足がかたに打ちあがり、
極光の襞あげてかゞやく日輪ともみゆる
ひかりある御(み)瞳をば仰ぎつづける。
姫よ まこと御身がために斑鳩(いかるが)まもり
血の噴霧器(きりふき)となつたる舍人(とねり)らの
名もつたはらぬ一人(いちにん)こそ私(わたくし)が。
または長い失踪のはて前世の記憶に歸る
唯(たゞ)一人(いちにん)の悔あらぬ戰慄。
なべての怺へかねたる悲願より
私は仰いだまま うつむいたまま
とめどもない身震ひにさめたやうだ。
諸人(もろびと)ら滅びゆきし無明のさかひより
瞼の透きとほるほど泣いたやうだ。
夢殿のちかく 恐らくは若草伽藍のなごり
ななめに月光がこぼれてゐる………

法隆寺夢殿ちかくに今の法隆寺より大きな建築が予想される、その礎石は大阪の物持ちが庭石にしてゐるさうである。山背大兄御自害の跡か、否か、勿論文献にない。この建築が若草伽藍と名づけられるといふのは、故原田亨一先生の持説であつた。その名のあはれなるままに記してかなしい記念とする。

[やぶちゃん注:ここで舞台となる若草伽藍とは法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡で、原法隆寺と言うべき斑鳩寺の遺構とされるもの。考古学的にはその創立年代現在も多くの議論がなされている。
・「いみぢく」はママ。
・「葛石」寺社の建物に於いて基礎や壇などの最上部の縁で縁石(へりいし)を兼ねる長方形の石。
・「雲斗」は「くもと」と読み、和様建築(平安期に中国伝来の様式を日本的に改変し建築様式)でも特に飛鳥時代に特徴的(まさに法隆寺に代表される)な柱の上の大斗・肘木(ひじき)・小斗から構成される装飾部分「斗栱」(ときょう)の一様式。雲を象ったような意匠を持つ。
・「花忍」は狭義ならばナス目のハナシノブである。これは現在、阿蘇にのみ自生するレッドデータブック絶滅危惧ⅠA類である。比喩であるので、これでとっておくが、増田が実際にイメージしたのは同科のシバザクラ等ではなかったろうか。
・「腦髄」の「なづき」の読みは、古語。
・「なぞへ」は「準(なぞ)ふ」という動詞の名詞化したしたものか。「準ふ」は或るものに等しいものと見なす、擬す、の意であるから、私の脳になぞらへた階段に、の意味か。
・「紗」は「しや」で、薄衣。
・「姫はたたし」は、やや文法的に無理があるように思われるが、「姫は立たし」で、私の幻想の脳の階(きざはし)に私の涙の薄絹を纏わせた幻想の姫君を立たせ、の意ととる。
・「なよらけき」は「なよびかなり」の意味の「なよらかなり」という形容動詞を形容詞化(やや無理がある気がする)ものか。手に柔らかい、しなやかな印象を与えるという意であろう。
・「入鹿」は蘇我入鹿。以下は、彼が実権を握るために古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)擁立しようとし、その際に邪魔となった聖徳太子の皇子である山背大兄王(やましろのおおえのみこ)を襲撃、山背大兄王は逃走先の本作の舞台、斑鳩寺で自死した。
・「自經」の「わなく」は「罠」(紐を輪状にしたもの)で、自身の首をくくる。縊死する。
・「大兄」は山背大兄王。
・「姫」は、山背大兄王の妻である舂米王か、または、その間に生まれた皇女である佐々女王、三嶋女王のいずれかを指すか。狭義に考えれれば後者の娘たちか。
・「白鳥と化りてもどりたまひし」はヤマトタケルのことを指すのであろう。しかし、そうすると「みふれ」が分からぬ。白鳥と化して大和を指して飛んだヤマトタケルの魂が流す痛恨の涙、それを「みふれ」=「御降れ」と言ったものか。しかし、それが何故山背大兄王の「姫」の嘆きと並列できるのか、私には説明できない。
・「極光」はオーロラ。
・「斑鳩」は法隆寺の前身とされる斑鳩寺。「入鹿」の注参照。
・「舍人」は、天皇や皇族に近侍し雑務を司った者。
・「怺へ」は「怺(こら)へ」で、我慢する。
・「原田亨一」は「近世日本演劇の源流」「平安時代の芸術」「伎楽雑考」及び正倉院関連の論文等の著者である原田亨一教授と同一人物か。氏の経歴について御存知の方はお教え願いたい。]

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