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2008/08/06

尾形亀之助 相対性理論 特撮

三題話である。

今、河出書房新社2007年刊の正津勉「小説尾形亀之助 窮死詩人伝」を読んでいるのだが、昨日通勤の途次、思わず「おぉ!」と車中で、感嘆一声してしまった――それは彼の義理の叔父が岸信介であった(されば佐藤栄作も縁者)等という生臭いつまらぬことに、ではない。

尾形亀之助20歳の大正9(1920)年、彼は仙台芸術倶楽部の同人誌『玄土』(くろつち)に参加する。この雑誌は、この年8月、歌人石原純や原阿佐緒が中心となって創刊された総合文芸雑誌で、亀之助はここに短歌を発表している。

この一夜風吹きやまずさわがしく戸のゆるる音に眼さめて居たり

陽ざしよき縁のふとんに置かれたる土人形のいろはげし顔

(玄土創刊号より。思潮社版「尾形亀之助全集」による。以下、同じ)

僕には、この短歌に既に亀之助の窮死への順調な道程は始まっているように感じられる。彼の意識は彼の肉体を離れて、絶対と偽装する現実から軽々と離反してゆく。風へ。土人形へ――

反(そむ)きたる若き命のさ迷ひに十字の路を知らずまがれり

これはそれ以前19歳の折の、大正8(1919)年5月29日の詠草であるが(東北学院時代の同人『FUMIE(踏絵)』の短歌会)、まさしく「二十心已朽」の謂いではないか――世界に直線は引けない――それは「知らず」曲がっているのである――

さて、『玄土』で出逢った石原純は、実は明治44(1911)年に長岡半太郎の推薦により、30歳で創設されたばかりの東北帝国大学理科大学助教授に就任した新進気鋭の理論物理学者である。その後ヨーロッパに留学、1914年にはチューリッヒでアインシュタインに師事した。一方、彼は学生時代から短歌を好み、明治36(1903)年には伊藤左千夫主宰の『馬酔木』同人、同誌終刊後の明治41(1908)年には同じ左千夫主宰の『アララギ』の同人となって旺盛な創作力を見せていた。大正6(1917)年12月、東北帝大に戻っていた彼は、そこで原阿佐緒と出逢う。

原阿佐緒。アララギ派の閨秀歌人にして、与謝野晶子も羨む恋多き才媛。石原と出逢うまでに、既に二度結婚するも、そのたびに破れ、それぞれに長男千秋と次男保美という二人の男児を産み育てていた。

石原は既婚者であったが、のっぴきならない阿佐緒への思いを性急に迫った。亀之助がその短い交遊の中で、石原から恐らく親しく短歌や物理学の話を聴いたであろう翌年、大正10(1921)年、『大阪朝日新聞』7月27日付第二面のトップ記事は「愛と理性に悩まされた石原純博士と原阿佐緒女史 若い男女の血を湧かす」という如何にも下卑た見出しで、気鋭の科学者のスキャンダルを報じた。石原は7月23日付で東北帝大教授辞職を申し出る(以上の石原の事跡は主に1997年朝日新聞社刊の朝日選書『科学朝日』編「スキャンダルの科学史」に基づく)。その後、石原は妻を捨て千葉の保田海岸で阿佐緒と同棲生活を続けるが、8年足らずで破局した。

さて。僕は特撮オタクである。特に円谷プロの昭和43(1968)年秋に放映が開始された「怪奇大作戦」は、苦悩するウチナンチュ金城哲夫の関わった実質的な最後の作品の一つであり、僕の愛する怪優岸田森の名演技も忘れ難い名作である。さて、あのS.R.I.――科学捜査研究所Science Research Instituteの所長である的矢忠を演じた俳優を覚えておられるだろうか? いや、もっと遡れば1958~1966年のNHKの人気ドラマ「事件記者」の当たり役であった長谷部記者役と言えば、お分かり頂ける年長者の方も多いはずだ。イカすマスクに抑制の利いたダンディな台詞回しは、小学生の僕でさえ、憧れたもんだ。――彼が原保美である――この原阿佐緒の二度目の夫(画家の庄子勇)との間に出来た男児が、彼である。

石原の語る相対性理論のように現実から自律的に曲がって虚空へと去った尾形亀之助――名誉も名声もかなぐり捨てて恋路のブラック・ホールへ果敢に飛び込んだ歌人にして理論物理学者石原純――男をβ崩壊させずには措かない、しかし心優しきファム・ファータル原阿佐緒――役者という仮想の虚数世界、特撮の目くるめく世界に遊んだ原保美――

僕が、車中で「おぉ!」と叫んだのも、「僕にとっては」至極無理のないことなのである――

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