ニンフ イワン・ツルゲーネフ
ニンフ
私は半圓形をなしてひろがる美しい山脈(やまなみ)の前に佇(た)つてゐた。若々しい緑の森が、頂から麓まで蔽つてゐた。
山々の上には南國の空が透明に青みわたつてゐた。太陽(ひ)は山の頂から光を投げかけて、たはむれ、麓には半ば草にかくれて、小さな早瀨がさざめいてゐた。
私には基督降誕後最初の世紀(ころ)に、ギリシヤの船が多島海を渡つてゐたといふ古い物語が思ひ起された。
時は眞晝、……靜かなな陽氣であつた。ふつと楫取(かんどり)の頭上高く、聲あつて、はつきりと呼ばはるのであつた。「御身(おんみ)、かの島に行かば、聲高く呼ばはれよ、(偉大(おほい)なる神、パンは死せり)と!」
楫取(かんどり)は驚いた……。畏れをなした。けれど、船がその島にさしかかると、彼は命(めい)に從つて、呼ばはつた、「偉大(おほい)なる神、パンは死せり!」と。
すると、直ちにこの叫びごゑに應じて、海邊のつづく限り(その島は無人島ではあつたが)高い歔欷(すすりなき)、呻吟(うめき)の聲、長くひいた哀※の聲がひびきわたつた、「死せり、偉大(おほい)なる神、パンは死せり」と。[やぶちゃん字注:※=「嗷」の(へん)の「口」を「日」に代える。]
私はこの物語を思ひ出した、……すると不思議な考へが私の胸に浮んで來た。
「私が若し大聲で觸れまはつたら、どうであらうか?」
それにしても、あたりのものの喜ばしげなのを眺めては、死について考へることはできなつた、――そこで私は力のおよぶかぎり叫んだのである、「蘇れり! 偉大(おほい)なる神、パンは蘇れり!」
すると直ちに、ああ、何たる奇蹟であらう! 私の叫びごゑに應じて、廣い、半圓形の、緑の山々のうちとけた笑ひのどよめきがひびきわたり、喜ばしげな話聲や拍手の音が起つて來た。「彼(ひと)は蘇れり! パンは蘇れり!」と若々しい聲がどよめきわたつた。眼の前にある、ありとあらゆるものは忽ち笑ひ出した、空高い太陽(ひ)よりも輝かしく、草葉のかげの小川のせせらぎよりも樂しげに。輕い足どりをせはしげに蹈むのが聞え、緑の、密林(はやし)の間には、大理石のやうに眞白く、ふんはりとした下衣(したぎ)がちらつき、生き生きと紅らむ露(あらは)な軀(からだ)がちらちらした、……それはさまざまなニンフたち、――森のニンフや樹のニンフ、バッカスの巫女たちが高いところから野邊をさして走り寄つて來るのであつた……。
彼女たちは、忽ちに森の縁(へり)といふ縁(へり)にあらはれた。毛房は神々しい頭にまつはり、しなやかな手は花環や鐃鈸を捧げてゐる、――笑ひごゑは、晴れやかなオリムピアの神々の笑ひごゑは彼女たちの足どりにつれて流れて來る。
一人の女神が先頭に立つて疾(はし)つて來る。彼女はとりわけて背が高く、美しい。肩には箙(えびら)、手には弓、波うつ捲髮(まきげ)には月の銀いろの鎌をもつて……。
「ディアーナ! おまへがディアーナなのか?」
けれど女神はふと立ちどまつた……。忽ち後にしたがつてゐたニンフたちもみな立ちどまつた。ひびきわたる笑ひごゑもやんでしまふ。私は口を噤んだ女神の顏が、忽ちにして、死人のやうに蒼ざめ果てたのを見た。いひ知れぬ恐怖に、彼女の脣は開き、眠が遠くを見つめて、大きく見開かれたのを見た……。彼女は何を見たのであらう? どこを見つめてゐたのであらう。
私は彼女の見つめてゐる方を向いた……。
遙か遠い地平線上に、野原のなだらかに盡きてゐるあたりに、キリスト教寺院の白い鐘樓に、一點の火のやうに金の十字架がきらめいてゐた……。この十字架を女神は眼にとめたのであつた。
うしろの方で、切れた絃(いと)のふるへるやうな長い嘆息(ためいき)が聞える、――ふり向いて見ると、ニンフたちはあとかたもなく消え失せてゐた……。廣い森は以前(まへ)のやうに青々しく、ところどころに、こまやかな網のやうに繁り合つた樹枝(えだ)の間に何か白いものばかりが見えかくれしてゐる。それはニンフの白衣でであつたか、谿の底からあがつて來た靄であつたか、……それは知らない。
しかし、消え失せた女神たちを思つて、私はどんなに悲しんだことであらう!
一八七八年十二月
□やぶちゃん注
◎哀※:このような漢字は私は不学にして知らない(「大漢和辭典」は未検索)。近似する熟語も和語としては見当たらないが、「哀嗷」で少数の中文サイトにヒットはする。「廣漢和辭典」の「嗷」の項を見ると、「設文解字」に「哀鳴嗷嗷」という語が見出せる(但し「嗷」の字は「口」が下部に付く字体)。それぞれの漢字の意味から構成するならば、多くの人々が哀しみ憂える叫び声、と解釈は出来る。翻って、原文は“жалостные”とあり、これはロシア語で①思いやりのある、慈悲深い。②訴えるような、悲しげな、哀れな、という意味である。ここでは②であろうから、「哀嗷」という熟語でぴったりくると思われる。私はとりあえず「哀嗷」(あいごう・歴史的仮名遣ならば「あいがう」)の誤植と判断しておく。
◎バッカスの巫女:バッカスBacchusはローマ神話の酒(ワイン)の神。ギリシア神話のディオニソスDionysosに相当する。各地を遍歴して人々に葡萄の栽培を教えたが、そこから生み出される葡萄酒の酔いに象徴されるような熱狂的ディオニソス信者が現われ、特にその女性の狂信的信仰者をマイナス(Maenad、複数形はマイナデス、ギリシャ語のわめきたてる者、の意)と呼び、一種のトランス状態の中で踊るその崇拝者集団を「バッカスの巫女」と呼んだ。
◎輕い足どりをせはしげに蹈むのが聞え:「蹈」は「踏」の書き換え字。
◎鐃鈸:「どうはつ」(歴史的仮名遣ならば「だうはつ」)と読む。①鈴。②銅製の銅鑼。シンバル。であるが、原文は“тимпаны”で、これは英語の“timbrels”=“tabourine”、タンバリンである。鈴のついたタンバリンはニンフの持ち物に相応しく、ここでの音響的にもぴったり来る楽器である。
◎オリンピア:狭義にはペロポネソス半島西部にあった古代ギリシアの都市を指す。オリンピック発祥の地であり、ゼウス神殿等、多くの遺跡がある。但し、ここでは伝説時代のギリシア世界という漠然とした意味で用いられている。
◎ディアーナ:ラテン語で“Diāna”、ローマ神話の女神。ギリシア神話のアルテミスArtemisに相当する。本詩の雰囲気にあるように、元来は樹木や森を司る神であったと思われ、特に農民に信仰され、後に多産の神となった。狩りをするダィアナがニンフたちを従えているモチーフは、ドメニキーノ・フェルメール・ブーシェ等、多くの画家の作品に描かれている。

