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2008/10/31

芥川龍之介 大川の水 附注釈

芥川龍之介の最初期の作品「大川の水」を注釈を附して正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。オリジナル注を附したが、結果、本文の三倍近い分量になった。 「松江印象記」と比してお読み頂きたい。ここに芥川の『羊水の夢』がある――

黑鶫 また イワン・ツルゲーネフ

黑鶫 また

 私はまた床に臥つてゐる……、私はまた眠れない。夏の晨朝(あさ)は今も私を四方からおしつつんでゐる、私の窓の下には今も黑鶫が歌つてゐる、こころのなかには相も變らぬ傷手(いたで)が燃えあがつてゐる。

 けれど私のこころは黑鶫の歌にやはらぎもしない、それに私はいま私の傷手(いたで)を思ひもしない。

 ほかの數へきれないほどの生々しい傷手(いたで)が私を惱ますのである。傷からは眞紅の滴をなして、いとしい、惜しい血が、あの高い屋根から街の埃や芥のうへに落ちる雨水のやうに、たえ間もなく、味氣なく流れる。

 今や幾千の同胞や友だちは、遠いあなたの城塞(しろ)の堅固な墻壁のもとに亡んでゆく、幾千の同胞(はらから)たちは、無能な司令官たちのために、張りひろげられた死の罠に、はかない犠牲(いけにへ)として投げこまれる。

 彼らは呟きもせずに亡びる。彼らは惜しげもなく亡ぼされる、彼らは自分自身を悲しみもしない、またその無能な司令官たちとても彼らを悲しみはしない。

 そこには正しいものも、罪を犯したものもない。打禾機(うちて)は穗束(ほたば)をたたく、空穗であるか、粒がついてゐるかは、時が經てばわかるであらう。それにしても私の傷手は何なのか。私の苦惱は何を意味するのか。私は敢へて泣かうとはしない。しかも頭は熱し、氣は失ふ。また私は、罪びとのやうに厭はしい枕邊に頭をかくす。

 熱い、重々しい滴が私の頰にあつまり、流れる、……脣のうへにも滑り落ちる、……これは何なのか、涙か、……それとも血か?

   一八七八年八月

■訳者中山省三郎氏による「註」

・今や幾千の同胞や友だちは、遠いあなたの城塞の堅固な墻壁のもとに亡んでゆく:一八七八年七月下旬、ツルゲーネフはペエテルブルグにおもむき、翌八月にはモスクワを經て故郷スパッスコエに歸り月末にそこを發つてゐる。この散文詩は故郷で書いたものと想像される。このときの歸國は十六年間絶交してゐたトルストイと和解し、彼の家を訪問したことによつて記憶される。時は露土戰爭の終つたばかりで二人は戰爭について長い議論をしたと傳へられる。殊にブルガリヤのプレヴナ等に於て露軍が作戰を誤り、甚大なる損害を蒙つたことなどが話題の中心をなしたものと推察され、それが直ちにこの詩の内容を形づくつたものと考へられる。

□やぶちゃん注

◎黑鶫:(実はクロツグミではなくクロウタドリ)は昨日の詩「黒鶫」の私の注を参照のこと。

◎墻壁:「墻」は「牆」と同字で、「牆壁」は垣根・築地(ついじ)・土塀の意。ここではプレヴェン要塞の城壁を言う。

◎中山氏が言及する「露土戰爭」は、まさにそのブルガリア戦線を舞台にした私の電子テクストであるガルシンの「四日間」に詳しいので、是非、お読み頂きたい。

◎中山氏が言う「ブルガリヤのプレヴナ」は、バルカン半島のプレヴェンПлевен(ブルガリア語:アルファベット変換するとPleven)で、現在のブルガリアのプレヴェン州の州都である。1877年から1878年にかけての露土戦争の際には、ここのプレヴェン要塞が最大にして最後の激戦地となった。包囲したロシア軍に対して要塞を死守せんとするオスマン軍のオスマン・パシャの抵抗は凡そ5箇月に及び、ロシア軍は多くの戦死者を出した。

2008/10/30

庭園設計図案 (或る忘備帖) 尾形亀之助

 三人の若い男達はてんでにこゝへ梅の木そこへポプラどこへ何の木といふ風に庭を造るので樹を植えてゐました。さう広くはない庭なので、そこのとこへは楓にしやうと思つてゐたのに松を植えられてしまつたとか、こゝに噴水を造つて三角の花壇を置くことにするとか、それではばらを植える所がないからも少しそつちにやれとかやらぬとか、それから、一年に四度花の咲くがいゝとか、それでは池が糸屑のやうな形になつてしまふではないかとか、それなら池は庭の上に釣るして置くがいゝとかいふやうなそんなことになつて、樹や池や山林風の小山などの大部分は垣根の外側へはみ出し、子供のためには是非と言はれたぶらんこは四五軒先のよその家の庭に丁度よいぐあひに置けてしまつたりしてしまひました。又、亭(あづまや)はこんなところに造つて置くよりは四五丁離れた駅前の安カフェーの中に置くことにした方がよからうと男達の意見が一致して、彼等は朝から赤い顔をしてゐるのでした。私は実は、其処へは庭を作る以前からちよいちよい行つてゐたのだし、庭を造る下相談に男達を連れて一ぱい飲みに行つたのもその駅前のカフェーなのであつたのだからそれはいづれ又何んとか遣り直すにしても、垣から庭がはみ出してしまつたのには困つてしまひました。垣の外は路で、朝は早くから牛乳屋や新聞配達や豆腐鼻が通るし小学校へ行く近路でもあるし、後の原つぱがなくなれは袋露地の入口にもなるのだし、自分の家の門をどこへつけたらよいのか、ぶらんこが四五軒先の家の庭へ行つてしまつたことや池は場所がないから庭の上に釣り下げるといふ説明を聞かされた妻は腹を立てゝ私には口をきかない。植える木がなくなつたのか男達の姿が見えないところをみると例の亭へ引きあげて又ビールを飲んで酔つてゐるのだらうか。私はよい智恵もなく、困つたと言へばなるほど困つたことだが、しかしつくづく庭を見れば、三人の男達がかつてかつてに植えこんだ木々や小山の凸凹も新しい味があつて大変面白く垣からはみ出してゐる桜や欅の並木にも愉快になり「すばらしい出来だ、君達にたのんでよいことをしたよ、僕にもーぱい呉れ給へ」と、自分も亭(あづまや)へ出かけずには居れなくなつてくるのであつた。「ぶらんこが四軒目の家の庭へ行つてゐるのなんざあ何んといつても秀逸だ」と、一人々々に握手をして肩を組んで踊つてもみたくなるのだつた。が、「あきれた人だ」と妻に言はれたことを思ひ出し庭の上に釣り下がつた池などを想へば、どうしたものかと思案に粉煙草をふかし火鉢をつゝいて泣いてすむことならばと、そんなことも思つてみたが、自分の家にぶらんこがなく他の家にあるといふことも不思議なことではないし垣の外に桜や欅の並木のあることもさしつかひのないことだつた。庭の上に池を釣るすといふのも未だ仕事にかゝつてゐないからよくはわからぬが金魚鉢でも釣るさうといふのではなからうか。さうだとすれば全くなんのこともないし、庭のまん中ごろに、松、竹、梅と列びその後に梨、粟、李、柿と果のなる木が一列になつてゐるのなどもありふれた風流などでは思ひ付かぬところではないか。私はぽんと膝をたゝいて妻を呼んだ。妻はさつき見たときと同じやうな悲惨な顔をして子供をひとり抱へて、もう二度と詐(だま)しにはかゝらぬといふのであらう、ながながとした説明をてんで聞いてはゐないので私は幾度か垣の外に桜や欅の並木があつたつておかしくはないことぶらんこなども隣家にあつて自分の家にはなかつたこともあつたではないかと、くどくどと説いてやつとなつとくしてもらつたが、あの三人の若い男達を相当の月給で雇ひ入れて「新案庭園設計社」の看板をあげることには頑として聴き入れぬのであつた。そこで、私は尚も言葉をつくして自分の家の庭にはこれ以上彼等が手を入れぬこと桜や欅の並木は垣の外でもよいがぶらんこは自分の庭にないと不便だといふ彼女の申出に賛成するといふ条件付で、亭(あづまや)から彼等を呼寄せる使ひの老を出したが、私は忘れないうちに路々自分の抱負を語るためにいそいで家を出た。

(歴程1号 昭和10年5月発行)

黑鶫 イワン・ツルゲーネフ

 黑鶫

 私は寢床に横たはつてゐた。けれど眠れはしなかつた。心の煩ひが、私を責め苛むのである。空合(そらあひ)のさだまらない日に、灰色の丘陵のいただきを絶え間なく、次から次へと這ひめぐつてゆく雨雲のやうに、重苦しい、けうとい思ひが、私の腦裡を徐かに行き過ぎるのであつた。

 ああ、年老いて、心は冷え、頭に霜をいただくやうになつてからでなければできないやうな、やるせない傷ましい戀を私はしてゐたのであつた、……この世の苦しみにも触れずして、心は若さを失ひ、……いや、若くある必要もなければ、若かつたところで仕方もないやうな老年の日の戀を……。

 私の前には、ほの白い斑(ほし)のやうに窓の幻影があらはれてゐた。部屋のなかのありとあらゆる物象(もの)がおぼろげに眼にうつつてゐた。それらのものは、夏の晨朝(あさ)の灰色の薄ら明りにいよいよ靜まりかへつてゐるやうに思はれた。私は時計を見た。三時に十五分前であつた。家の壁のむかうにも深い靜寂が感ぜられた、……さうして露、はてしない露の海。

 この庭の露のなかに、私の窓のすぐ上のあたりには、もう黑鶫がさわがしく聲たかく、誇りかに歌を歌ひ、囀つてゐるのであつた。よく透る聲が、私の部屋に忍び込んで、部屋中に みなぎり、私の耳に、味氣ない不眠と、苦しい心の傷みに悩まされた私の腦裡にみちあふれた。

 その聲は永遠なるものを感じさせ、恆に新鮮なるもの、あくまでも冷靜なるもの、永遠なるものの力を感じさせる。自然それ自身の聲が黑鶫の聲に聞かれるのである。いつ始まつたともない、美しい無意識な聲は、決して終りはしないであらう。

 黑鶫は歌ひ、黑鶫は口ずさぶ、誇りかにこの黑鶫。かれはいつものやうに、あの變ることのない太陽がぢきに輝き出すことをよく識つてゐる。黑鶫の歌には、自分自身のものとては 何ひとつなかつた。千年の昔にこの太陽を喜び迎へた黑鶫は、やがてまた、ともすれば、い ささかの私の死灰が、風のまにまに眼にもとまらず、あのいきいきした聲をあげる黑鶫のか らだをとりかこむかも知れない幾千年の後にも、あの太陽をよろこび迎へることであらう。

 哀れな、魯かしい戀の奴の、ひとりの男、私はお前にいはう、ありがとう、小鳥よ、もの憂い時に、私の窓かげにふと聞えて來たお前の力強い氣ままな歌にお禮をいはう。

 小鳥の歌は私をしづめてはくれなかつた。私もまた、やすらひを求めもしなかつた。けれど、私の眼は涙に濡れてゐた。ゆくりなくも、胸にはしづかな死の辛苦(くるしみ)がうごめき、高まりかかつてゐた。ああ、あのひともまた、若々しく、みづみづしくはないのか、愉しい聲のやうに、夜あけの歌うたひよ!

 今日といはず、明日の日に私を涯ない大洋に運び去る冷たい波が、あたりからおしよせて來てあふれてゐる時に、自分自身を苦しみ、嘆き、わずらひ、考へるがものがないのではなからうか。

 涙は流れてゐた。けれど、いとしい黑鶫は、何ごともなかつたかのやうに、あどけない、幸福な、永遠の歌を歌ひつづけてゐた。

 ああ、やうやく現れた太陽の光が、私の頰の何といふ涙を照し出してくれたことであらう。

 しかも私は前のやうに微笑んでゐた。

   一八七七年七月八日

□やぶちゃん注

◎黑鶫:これが正しく本邦の和名のクロツグミと同一であればスズメ目ツグミ科ツグミ属 TurdusクロツグミTurdus cardisであるが、原題は“Черный дрозд”これはロシア語のウィキペデイアで検索すると、スズメ目ツグミ科Turdus merula(英名Blackbird)である。クロウタドリは大型のツグミの一種で、生息域は広範で、ヨーロッパ及びアフリカ地中海沿岸から中近東、インド・中央アジア南部・中国東南部・オーストラリア東南部・ニュージーランド等に生息する(オーストラリアとニュージーランドは人為的移入と推定されている)。ヨーロッパ西部では留鳥として通年見られるが、ロシア・中国にあっては夏鳥である(従ってこれはフランスで書かれたともロシアで書かれたとも読めるが、日付から押してフランスでの作と思われる。根拠は明日公開予定の「黑鶫 また」の中山氏の注を参照)。体長は28cm程度で、雄は黒色に黄色の嘴で、目の周りも黄色を呈する。雌は雄に比して全体に淡色で、嘴や眼の周囲の黄色部分は雄程に目立たない。本邦では迷鳥として稀にしか見られない。クロウタドリの画像と声は以下のnature rings”というドイツ語のページを参照されたい。クロウタドリの写真の下にある“Gesang des Maennchens”をクリックすると鳴き声が聴ける。

◎魯かしい戀の奴の:「魯(おろ)かしい」と読む。「奴」は「やっこ」と読むか、「やつがれ」と読むかであるが、ここは「恋の虜の」「恋の奴隷の」の意味で用いているので、自己卑称である「やつがれ」ではなく、「下僕」「召使」の意味の「やっこ」で読みたい。

2008/10/29

作家と批評家 イワン・ツルゲーネフ

 作家と批評家

 作家が自分の部屋の仕事机に向つてゐた。そこへ突然、批評家が入つてくる。
 「どうしたつていふんだ!」と彼はさけんだ、「君はやつぱり書いたり、作つたりしてるんだね。あんなに僕がやつつけたのに。大論文や覺書や通信のなかで、どう考へたつて君には何らの才能もないことや、もとだつてありはしなかつたこと、君が本國の言葉さへ忘れてしまつたことや、いつも君は無學をさらけ出すので有名だつたのに、今では氣もぬけて、古臭くなつてしまつて、眼もあてられなくなつたことを、二二が四といふやうにはつきりと證明してやつたのに!」
 作家は落ちつきはらつて批評家の方を向いた。
 「君は僕をやつつける論文や雜文をずゐぶん書いたね、」と彼は答へた、「ところで君は狐と猫の寓話(はなし)を知つてるだらうね? 狐には、かなりずるいところがあつたのに、まんまと罠に落ちこんだ。猫はただ樹に攀ぢのぼるよりほかなかつた。……そして犬も猫には寄りつけなかつた。僕はまあかういつたものさ。僕は君の論文に對する應答(こたへ)として、君のことを或る本の中ですつかり暴露しておいてやつた。君の賢明な頭へ僕は道化の帽子をかぶして置いたよ。だからその帽子をかぶつて子孫の前で威張つたらいいのさ!」
 「子孫の前で!」と批評家は哄笑(わら)つた、「さも君の本が子孫のころまで殘りでもするかと思つて! 四十年五十年と經(た)ちや、誰一人讀むものかね。」
 「大きに御尤もな話だ、」と作家は答へた、「けど僕はそれでもいいよ、ホメー口スは永遠のテルシテスを書いたけれども、君たちには五十年位が目安なんだから、どうせ君なんか道化にして貰つたつて、長持はないんだから。さよなら、……氏、まあ、僕に本名で君を呼ばせたらどうかね、尤もそれは必要もなからうがね。たとひ僕がゐなくたつて、みんなが名前は呼ぶだらうから。」
   一八七八年六月

2008/10/28

爬蟲 イワン・ツルゲーネフ

爬蟲

 私は身を斬られた爬蟲を見た。血漿と自身の排泄物の粘液とを浴びて、かれは猶ほ身をくねらせ、わなわなとふるへながら鎌首をもたげては舌を出してゐた、……かれはなほ脅かした、……力なく脅かしてゐた。
 私は侮辱された三文文士の雜文を讀んだ。
 自身の垂涎に咽び、自身の醜惡な膿汁のなかに抛り出されてゐる彼もまた、身をすくめ、身をくねらせてゐた、……彼は正當防衛をしてみせると言ひ立てた。彼は血鬪によつて、自己の名譽を! 名譽を恢復してみせると申し出たのである。
 私はけがらはしい舌を出してゐるあの斬られた爬蟲を思ひ出した。
   一八七八年五月

2008/10/27

滿足してゐる人 イワン・ツルゲーネフ

 滿足してゐる人

 一人のまだうら若い男が都の街を跳ねるやうに疾(はし)つてゆく。彼の動作は喜びに充ち、いきいきして、眼は輝き、脣は微笑み、昂奮した顏はここちよく紅らんでゐる……。彼は渾身これ滿足と喜悦に充ちあふれてゐるのだ。

 彼の身の上に何が起つたのか。遺産が手に入つたのか。陞進したのか。あひびきに急いでゐるのか。それともただ――うまい朝飯を食べて――健康の感じ、滿腹の感じが、からだ中に、たのしく沸き返つてゐたのか。彼の頸に、早くも御身の美しい八稜十字章でもかけられてゐたのか、ポーランドの王、スタニスラフよ。

 否、彼は知合に對して讒言を捏造し、それを一所懸命にひろめ歩き、その同じ讒言を他の知合から聽いて……今度は彼自身もそれを信じてしまつたのである

 ああ、この愛すべき前途多望の青年は、この瞬間において、いかばかり滿足し、いかばかり善良ですらもあつたらう!

   一八七八年二月

■訳者中山省三郎氏による「註」

・ポーランドの王、スタニスラフよ:その頃の最も低い文官勳章であつたスタニスラフ勳章と、ポーランドの王スタニスラフとをかけた洒落。

[やぶちゃん注:傍点「ゝ」は下線に代えた。]

2008/10/26

風邪 尾形亀之助

いつかの夢で見たのかな
それとも噺にあつたのか
不思議となんでもおんなじに
風邪で寝てゐたことがある
丁度このやうに寝かされて
おんなじやうにそのときも
ガラスのくもりも陽のかげも
薬も盆も水飲も
シイツのぬれた形から二時をうつてる時計まで
何から何までそつくりとおんなじことがもう一度
あつたやうだと眼をつむり思ひ出せずにゐたのです

(暦程7号 昭和14年7月)

**

ジョアン・ジルベルトの公演中止で、頭がぼぅーとなったまま、尾形亀之助の詩を眺めている……僕もあの遠い日の、ぼぅーとした孤独な風邪の日を思い出す……枕元の甘ったるいどろりとしたオレンジ色の薬瓶、時々音を立てる魔法瓶の栓、寝かされた普段は母が寝ている布団の母の匂い、鴨居の小さな素焼きの不気味な面、雨だれの音、犬の遠吠え、豆腐屋の喇叭、ハエトリグモの跳躍……「何から何までそつくりとおんなじことがもう一度」……

浅冬 尾形亀之助

         ――こんな言葉はあつたらうか――
   しやぶつてゐる飴玉を落し、そのまゝ口に入れる
   ることは偉い。又、泥をぬぐつて口中にもどすこと
      も偉いことだ。たゞそのまゝすてゝしまふ子は悲し
   い。         

 急に寒むい日が二、三日つゞくと、あとは冷い雨になり、朝は暗いうちに六時が過ぎてゐたりするのだつた。
 ぶどうの葉も欅の葉もかさかさになつて落ち、雑草の叢は枯れて透き、板べいのもぎ取れた穴が方方に口をあけ、紙屑は庭いつぱいに散らばつてゐる。火鉢は煙草の吸殻で埋づまりこの冬は炭をたくとも思はれず、幾日も掃除をしない部屋の中の寒々しい子供等を思ふと、如何にも寂びしく暗い。昨日もー人の子はずぼんがひどくよごれたとかやぶけてゐるとか言つて三日も学校へ行かずにゐることがわかり、私は腹を立てゝ胸をすつぱくした。私は寒むくなることが怖くなつた。妻が去つて半年が過ぎたのだ。
 靴底に泥を吸はせ、ぬれた靴下のはき心地わるく、もう燈のともつた街に役所を退けて、私は消残る夕焼の山の頂に眼をすえて歩いてゐるのだ。
 子供等は、足を冷めたがり寝床に入つて私の帰りを待つてゐるだらう。私は小さい掌に饅頭などを一つゞつ渡し、うつかり眠つてしまつてゐる子の額を撫でてゆり起さなければならぬのだ。そして、夕飯を食べるのだ。

(歴程詩集 紀元二千六百年版 昭和16年2月発行)

雨ニヌレタ黄色 尾形亀之助

 花デハナイ。モミクチヤノ紙デハナカラウカ、
 景色ハ、ソノアスフアルトノ路ノ上ノ黄色イモノニ染マルコトモナク、イツサイガナントナク澄ンデヰル。
 自分ハ、ソレヲナガク見テヰタノカ、変ニ疲レタ気持サヘシテ、ナンダカ服ノ中ノ体ガ寒ムクナツタ。
 ト、突然私の眼ニアフレテ一群ノ兵隊ガ通ルト、モウ黄色イモノハナク、燈ノ消ユタヤウニソコラガ白々シイ薄暮ノ雨ノ路トナツタ。

(歴程16号 昭和16年9月発行)

[やぶちゃん注:「私の眼」の「の」はママ。]

やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺 松江連句 注追加

「松江一中20期WEB同窓会・別館」を運営されている知人の情報提供を得て、 「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」の「松江連句」に注を追加した。

……ジョアン・ジルベルトの「声とギター」を、哀しく聴きながら……

ジョアン・ジルベルト 横浜公演中止

の通知が先ほど……ジョアンじゃ、あるかもなぁ、と予想はしていたものの……ガックり……言葉なし(泣)……過去二回は、私事の海外旅行と、海外修学旅行にぶつかって涙を呑んだ……今度こそ! と思ってたのに……ジョアンは、僕の、この秘やかな10年の人生の思い出に結びつくものだった……僕は、結局、そんな星の下に生まれてるのか……

今は9:36、アクセス解析を見ると「ジョアン」のワードの検索で僕のブログに来た方が40人を越えていた。そうだよな、誰にも、きついんだよな……僕にも、きついんですよ……まあ、せめてもの気晴らしに、僕のブログやHPで別に一つでも面白いものを見つけてお帰り下されんことを(ある訳ねえな。僕だってぼぅーとしてるんだから)。つまらぬ述懐にて悪しからず。東京公演2回分は緊急延期で12月にそのままスライドさせたらしい……せめてそれらの人々の期待をまたしても裏切らぬことを望むのみ……

雙生児 イワン・ツルゲーネフ

 雙生児

 私は雙生児(ふたご)の口論してゐるのを見た。二人は顏の輪郭といひ、東表情といひ、髮の色合といひ、身の丈といひ、軀(からだ)つきといひ、全く瓜二つであつた。彼らは互ひに憎しみあつてゐた。
 彼らはひとしく憤怒(ふんぬ)に齒をくひしばつてゐた。間近につき合はした、奇妙なほどよく似た顏はひとしく憤怒に燃えてゐた。
 よく似た眼を共にかがやかし、眼にただ事ならぬ樣子を偲ばせてゐた。聲色(こわいろ)の同じ罵言(ののしり)の言葉は、同じようにゆがめた脣から洩れて來た。私は見るに忍びなかつたので、一人の手をとつて鏡の前に連れて行き、かういつてやつた、「もうこの鏡の前で罵倒した方がましなやうだぜ、……君には別に變りはなからうから、……ところが僕はさうなりや氣が樂になるんだ……」
   一八七八年二月

2008/10/25

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 昆布(コンブ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「昆布」(コンブ)を追加した。僕はコンブ・フリークである。家には常時4~5種の異なった昆布を置いてある。だしをとることもあるが、基本的にはしゃぶって味わうのである。やはりしゃぶって最上な甲斐ある昆布は羅臼である。真昆布は何だかよそよそしいし、利尻は粗野である。その日の気分でなめ変える。

私はあはれむ イワン・ツルゲーネフ

 私はあはれむ

 私はあはれむ、自分自身を、他人を、あらゆる人々を、獸を、鳥を……生きとし生けるものを。
 私はあはれむ、いわけなきものを、年老いしものたちを、幸(さち)うすきものを、惠まれしものを……幸うすきものにもまして、惠まれしものを。
 私はあはれむ、勝ち誇れる首領を、偉大なる藝術家を、思想家を、詩人(うたびと)を。
 私はあはれむ、人殺しを、その犠牲(いけにへ)を、醜なるもの、美なるもの、抑壓さるるもの、抑壓するものを。
 私はどうしてこのあはれみを逃れたらよいのか? あはれみゆゑに私は生きた空もないのだ……。あはれみよ、また更に憂鬱よ。
 ああ、憂鬱よ、あはれみをまじへた憂鬱よ! これにまさる苦しみがどこにあらう。
 もはや私は羨んだ方がましであらう、たしかに! そこで私は石を羨む。
   一八七八年二月

跛鼈千里

故蹞歩而不休、跛鼈千里、累土而不輟、丘山崇成。

故(ゆへ)に蹞歩(きほ)して休(や)まざれば、跛鼈(はべつ)も千里(せんり)し、累土(るいど)して輟(や)まざれば、丘山(きうざん)も崇成(すうせい)す。(「荀子」修身)

やぶちゃん訳:
であるからして、一歩に満たない半歩であっても休まず歩き続ければ、びっこのスッポンでも千里を歩くことが出来、土を積むことを不断なく続ければ、それは高くなって丘や山となるのである。

2008/10/24

奇遇 イワン・ツルゲーネフ

 夢

 私は夢を見てゐた。暗く低い空のもとに、大きなごつごつした巖の散在した荒寞たる草原を私は歩いてゐた。
 巖の間には小さな徑が通つてゐた、……私はどこへ何のために行くのかもわからずに小徑を辿つて行くのであつた……
 ふと、小徑のむかうの方に、淡い雲のやうなものが現れた、……私ははたと眼をつけ始めた。小さな雲はやがて、すんなりした背の高い白い服を著て、細い薄色(うすいろ)の帶をしめた女の姿となつた、女はいそぎ足に、私からどんどん遠ざかつて行く。
 私は女の顔を見なかつた、髪の毛すらも見なかつた、それは波のやうなやはらかな布につつまれてゐた。けれど私の心は女のあとを追つてゐた、女は美しく、あてやかな、なつかしいひとと思はれた、……私は切に追ひつかうとし、女の顏を……女の眼を……一目なりとものぞいてやらうと考へた……。私は女の眼をよく見たかつた。よく見ななければならなかつた……。
 しかも、どんなに私があせつても、女はいよいよ足早に進んでゆくのである。どうしても  追ひつくことができぬ。
 するうちに、小徑にあたつて、平たい、大きな石があらはれて、……女の行く手を遮つてゐた。女は石の前に蹈みとどまつた……、私は喜びと心待ちにふるへながら騙け寄つて行つ た。心のなかには、かすかな恐怖の念を覚えながら。
 私は一言(ひとこと)も、ものを言はなかつた、……が、女はしづかに私の方をふりむいた。
 私は未だに眼を見なかつた。眼は瞑ぢられてゐた。
 顏は白く、……身にまとふ物のやうに眞白であつた。あらはなな手はじつと垂れてゐた。まるで、すつかり石のやうになつてゐた。軀(からだ)といひ、顏だちといひ、全く大理石のやうであつた。
 女はいささかも肢體をまげずに、徐ろにうしろにさがつて、平たい石のうへに身をよせた。もう私も墓のうへの彫像のやうに身をのばして、女と竝んで、巖かに兩手を胸におしあて、仰向けに横たはつてゐるのである。私もまた石のやうになつてゐる自分を感じた。
 暫く經つた、……女はふと起きあがつて私のもとを離れていつた。
 私は女にとびつかうとした。.けれど少しも動けず、組みあはせた兩手を擴げることも出來なかつた。ただいひ知れぬ悲しみにみたされて、後を見送るばかりであつた。
 すると女はひよいと振りむいた。私は活々として、表情に富んだ顏に、明るい射るやうな 眸を見た。女は私に眸を向けて、口もとに微かな微笑をうかべてゐた……ひつそりと……。「起きてきて、こちらへおいでなさい。」
 けれど私はなほ身動きができなかつた。
 すると女はまた笑つたかと思ふと、愉しげに頭をうち振りながら足早に遠ざかつて行つた。 頭の上には、ふつと小さな紅い薔薇(さうび)の花冠が耀いた。
 しかも私は自身の墓石のうへに身じろぎもせず、ものをも言へずに居るばかりであつた。
   -八七八年二月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・夢[やぶちゃん注:題名に注記号。]:この詩の原稿には「小説に用ひる」と附記されてゐた。これによつてツルゲーネフが散文詩のいくつかを小説の素材として書きつけておいたことが推定される。この一篇は最初、「女」と題されてゐた。

□やぶちゃん注
◎蹈みとどまつた……:「蹈」は「踏」の書きかえ字。

2008/10/23

狂犬

戦略なき将軍は全ての戦士を犬死させる

犬死するために戦う馬鹿はいないはずだが

目の前の高級ドッグフード(その実メタミドホスが入っている)で騙される

救いようのない馬鹿犬が大勢いる

僕は狂犬で結構

僕は野良犬

僕は貴様のペットじゃあ、ない――

閾 イワン・ツルゲーネフ

 閾

      夢

 私は巨きな建物を見る。
 前の壁には、狹い扉が開け放してある。なかには陰氣な靄がこめてゐる。高い閾の前には娘が立つてゐる……。ロシヤの娘。
 さきも見えぬ靄は嚴しい寒さを感じさせ、凍みつくやうな寒い空氣の流れとともに、建物の奥からは、ゆるやかな、幽かなこゑが聞えて來る。
 「ああ、おまへ、どうしてこの閾を跨がうとしてゐるの、何がおまへを待ちうけてゐるか、知つてゐるのかい?」
 「知つてますよ。」と娘は答へる。
 「寒さ、饑ゑ、憎しみ、嘲笑(あざわら)ひ、嫌惡、辱しめ、牢獄、病患(わづらひ)、死そのもの?」
 「知つてますよ。」
 「遠離、全くの孤獨が?」
 「よく知つてますの。心を決めてゐますの。わたしはどんな打撃もみんな忍びますわ。」
「敵からばかりでなく、肉身からも、友だちからも離れる?」
 「ええ、みんなから。」
 「よろしい。犠牲にならうとしてゐるんだね。」
 「さうです。」
 「何の名もない犠牲にか? おまへは滅びるんだよ、――滅んだら最後、誰一人として、何者の記念として崇めたらよいのか知りもしないだらう。」
 「私に感謝だの、憐れみだのつて要りませんわ、私には名も要らないんです。」
 「おまへは罪を犯さうとしてゐるのかね?」
 娘はうなづいた、――「罪をも覺悟してゐますの。」
 もう彼の聲は直ぐに新しい問ひを發することができなかつた。
 「おまへは知つてるのかね、」と彼はたうとう言ひ出した、「いま信じてゐるものを、信じないやうになる時があること、おまへが瞞されて、若い日をつまらなく過ごしてしまつたことを悟れる時の來ることを。」
 「それは知つてますの、わたしはそれでもやつぱり入りたいんです。」
 「入るがいい。」
 娘は閾を跨いで行つた、――すると後から重たい幕が下りた。
 「腑抜け奴(め)!」と誰かが後で齒ぎしりした。
 「聖女だ!」どこからか應答(こたへ)が聞えて來た。
   一八七八年五月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・閾:この詩は多くの刊本に加へられなかつた。この詩には直接にはヴェーラ・ザスーリッチの訴訟事件、間接には一八七七年に起つたさまざまな政治犯事件に、女性がかなり活撥な役割を演じた事などがモチーフをなしてゐるのである。この詩は作者によつて一八八二年の夏、「ヨーロッパ報知」の編輯者たるスタシュレーヰッチに送られたが、後に作者の再三の要請によつて、省略されたのであつた。然るに、ツルゲーネフの死後いくばくもない一八八三年九月二十五日に急進黨たる「人民の意志」派によつて、宣言書と共に秘密に出版され、翌々二十八日、彼の埋葬の日に撒布された。やがて、ロシヤにおいて合法的に發表されたのは一九〇五年のことであつた。

□やぶちゃん注
◎1958年岩波文庫刊の神西清・池田 健太郎訳「散文詩」の当該詩の注が、この詩の数奇な運命をより細かに伝えていた。但し、私は当該書を友人に贈与してしまっており、現在所持していない。幸い、以下(http://d.hatena.ne.jp/flagburner/20080718)の個人の方のブログに要約(引用風に囲み罫線があるが、「で、『しきい』の発表過程は、岩波文庫版 P.196 の注によるとこんな感じ。」という枕、記号や「元ネタマ」の用語から見ても引用ではない)があるので、この方のものをそのまま孫引きする(正しくは当該書をお読み頂きたい。なお改行は省略した)。『この一編のモチーフとしては、直接にはいわゆる『ヴェーラ・ザスーリチ事件』(彼女は一八五一年生まれの女革命家で、警視総監トレホフがある政治犯に咎刑を加えたのを憤って一八七八年一月、彼を射撃負傷せしめ、同三月の陪審裁判の結果、無罪となった--)、間接には七七年に起こった種々の政治犯事件に女性の参加が顕著であった事実などであろうと推定される。したがってこの一編が公に発表されるまでには長い曲折の歴史がある。一八八二年夏ツルゲーネフが、『ヨーロッパ報知』の編集者あてに発送した原稿の中には加わっていたのだが、そののち校正の際に彼は自発的に撤回しようとし、スタシュレーヴィチに向ってたびたび撤回方を要請した末、発表された五十編は、これを除き新たに『処生訓(元ネタママ)』を加えたものであった。超えて八三年九月、すなわち彼の死の直後に、当時の急進派であった『民衆の意思党』は、この詩に宣言書を付して秘密出版し、彼の埋葬の日にペテルブルグに撤布した。この詩がようやく合法的に日の目を見たのは一九〇五年である。なおこの一遍は久しく一八八一年前年の諸作と誤認されていたもので、在来の刊本はいずれもこれをのちの『祈り』の前においている。また上述の数奇な運命を経る前に、これは少なからぬヴァリアントを生じたが、アカデミア版の編者の言葉を借りれば、この訳のテキストとした形が、作者の最後の意思に叶うものと思われる。』なお、この解説が言うところの「誤認」による誤った配置は中山氏版では補正されている。但し、最後の「この訳のテキストとした形」が中山氏が底本としたものと同一であるかどうかは不明であるので、該当書を必ず参照されたい。また、本誌はサブタイトルを持つが、これは本篇の「この世の終末(おはり)」に「夢」のサブタイトルが、「拾遺」の「……ひとりでゐると」に「分身」のサブタイトルが附く以外には見られない形式で、もしかすると複数の他篇が「閾」のタイトルのもとに存在した可能性を窺わせる。

2008/10/22

宇宙囚人303号

お前だけが俺を囚人番号で呼ばなかったから(しかしそれは至極当たり前じゃないか、キュラソ星人という俺の名は、キュラソの仲間たちへの大いなる侮辱だからな)……

でも、それだけでも俺はお前の罪を許してやりたいと思う――お前も風流も何にもないしがない恒点観測員340号だったもんな……いや、待てよ? この近似数はおかしいな? お前も本当は宇宙囚人340号だったりして!(爆) 冗談だよ、へへへ――

閑話休題といこうぜ、あの時は俺に喋らせてくれなかったからな。「凶悪」宇宙人は言語障害者か? それじゃあ、今や放送コードに抵触するぜ? お前は俺に喋らせたくなかった、んだろ? そうして、あれよ。お前の「正義は一つ」。ちゃんちゃらおかしい、ね……

それは、俺が言わずともてめえの身に染みているに違えねえ――

勿論、俺は生きるために人をあやめもし、ガソリンも飲んだ……

が、ブッシュという大悪党は「正義」を行使したと大言壮語するイラクで、てめえが元、重役してた石油会社にその利権を独占させていやがるじゃあねえか――

さあて、どっちが悪いか分かりません……俺は、確かに自他共に認める「悪党」に決まってるじゃあ、ねえか、よ!!!

しかしな、キリシタン処刑の蓑かさ踊りよろしく踊り焼け死ぬ俺を見ながら、……お前は、辛気臭いあの説教たれた……

これは、皮肉じゃあ、ないんだよ――

これは、ウルトラセブン、お前の十字架、なんだ……

お前は地球を去る権利なんか、ない――

見届けるが、いい――

お前が愛した地球のおぞましい末路を――

お前が愛し、そうしてお前を鮮やかに裏切る人類を――

ラゴン

私は海底原人

私は母

私はカタストロフ

私はガイア

私は産むもの

私は襲うもの

私は音楽

私は国境を遥かに越えるもの

私は原水爆

私は全てを破壊するもの

私は原母(グレート・マザー)

私は自然

私は地球

私は母

私は私

私は私だけが私なのよ……

あなたはちっぽけな生き物に過ぎないの……

恒点観測員340号

それが僕の本名だ

339人の僕がいて

341番を越える無数の僕がいる

しょぼいじゃないか

「恒点観測員」

どこかの、国費もろくに出やしないボロボロの天文台で

近くの星好きの少年たちを相手に、黴の生えた望遠鏡で、ちいさな赤い火星を見せて悦に入っているんだ(いや、それはそれで本当は正しく至福であると僕は思っているのだが)――

僕を庇ってくれたソガ隊員も瀧に身を投げた――

キリヤマ隊長も高度な政治的判断で抹殺されたのだ――

だから僕は「ただの恒点観測員340号」に戻るに、若くはないのだ――さよなら! 僕の愛した地球よ! アンヌよ!……

ペギラ

【AP電 2008年10月22日9:30】

ロシア政府は、セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島の北極第33観測所からの報告として、米ロ軍事境界線近くの自国領土(とロシアが主張する)内の大型氷塊上に於いて、昭和41年(1966年)4月3日に日本で、所謂、“Tokyo ice”(東京氷河期現象)を発生せしめた巨大猛禽類ペギラ(学名・Pegira antisabu,NOMURA 1963)の遺骸を発見したと報じた。報告書によると遺体はオゾン・ホール直下に位置する大氷山の一角にあり、ペギラの遺体は紫外線によって激しく糜爛しており、凄惨を極めたが、完全個体として収容したと伝えた。なお、米軍は即座に、氷山は以前にアラスカ沿岸の領海内にあったものが、温暖化現象によってロシア領内に浮遊したものに過ぎないとし、所有権の請求をロシア政府に求めている模様。

・フイ・ヤン氏(軍事アナリスト)の談話

ペンタゴンは低温域での強い活性と機動力を示す生物個体としてのペギラに以前から着目し、その遺骸を永く秘密裡に探索してきていた。紫外線による損傷はあるものの、これでペギラのDNA復元による対ロシア戦生物兵器としての軍事転用のチャンスを完全に失ったと言ってよい。現在のロシアの遺伝子工学は未知数なものの、極東の軍事バランスには脅威と言える。

最後の會見 イワン・ツルゲーネフ

 最後の會見

 嘗て私たちは極めて親しい、隔てのない友達であつた……。けれど面白くないことがあつて、私たちは怨敵(かたき)同志となつて別れてしまつた。
 幾年かは過ぎた。或る時、彼の住んでゐる町へ来て、私は彼が病篤(あつ)く私に會ひたがつてゐるといふことを耳にした。
 私は彼の許を訪れて、彼の部屋に通つた……。二人の視線は落ち合つた。
 私はやつと彼の顏がわかつたのであつた。ああ! 病氣のために見る影もなくなつてゐるのだ!
 黄色く、やせ衰へ、頭はすつかり禿げてしまひ、白い髯を細々とのばした彼は、一枚の特に仕立てた襯衣(したぎ)を着て坐つてゐた。彼は極めて輕い着物の重味にすらも堪へられなかつたのである。彼は嚙み減らされたやうにひどく瘦せた手を劇しく私に差しのべて、辛うじて二言(こと)三言(こと)、わけのわからぬことを呟いた、――それは挨拶であつたのか、それとも非難であつたのか――誰が知らう。疲憊した胸は波うち――血走つた眼の、縮んだ瞳は、二しづくの、ほんのしるしばかりの痛々しい涙がこぼれてゐた。私の心は沈んだ……。私は傍の椅子に腰をかけて、怖ろしい、見苦しい姿を前にして、心ならずも眼を落しながら、同じやうに手を差し出した。
 二人の間には背の高い、物ごしの静かな、白い女が坐つてゐるやうに思はれた。長い覆布(おほひ)が彼女の頭の先から爪先まで纏(つつ)んでゐる。その深い蒼ざめた眼はどこを見てゐるともなく、蒼白い引き締つた脣は一言(こと)も物をいはない……。
 この女が私たち二人の手を繋いだのである……。この女が私たち二人を永遠に和解させたのである。
 さうだ……。死が私たち二人を和解させたのだ。
   一八七八年四月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・最後の會見:ここで「嘗ての友達」といつてゐるのは、有名な民衆詩人ネクラーソフ(一八二一-七七)のことであつて、彼はツルゲーネフの長年の發表機關であつた雜誌「現代人」の主幹で、一八五〇年代に同誌の編輯に參加したチェルヌィシェフキイに對するツルゲーネフの反感、同じくドブロリューボフとの反目、一八六〇年同誌に掲げられた「その前夜」についてのドブロリューボフの批評に對する忿懣、さては一八六二年、長篇「父と子」を「現代人」ならぬ「ロシヤ報知」に發表したこと、この小説によってまき起された事件等によつて、二人は絶交したのであつた。然るに、この頃から、十年、十五年の月日が經つて、一八七七年の五月下旬、パリからペテルブルグに歸つたツルゲーネフは雙方の友人の斡旋によつて、病篤きネクラーソフを見舞つたのであつた。そのときの情景をネクラーソフ未亡人は次のやうに記してゐる。
 「死ぬまへ幾許もない時に、二人はめぐり會ふ運命にあつたのです。ツルゲーネフは二人の共通の知人から、良人が不治の病床にあると聞いて、良人に會つて、和解をしようと希望されました。しかし、良人はあまりにも衰弱してゐましたから、うまくお膳立てをしてからでないと、お通し申すことが出來ません。ツルゲーネフは宅へいらして、もうまへの控室にお待ちでした。で、私が良人にむかつて『ツルゲーネフさんがあなたにお會ひしたいさうですよ』と申しましたら、良人は悲痛な笑ひ方をして『やつて來て、おれがどんな風になつたか見て貰はう』と答へました。そこで私が寢卷を着せて、もう自分では歩けませんでしたから――肩を貸して、寢室から食堂に連れ出しました。良人はテーブルについて、ビフテキの汁をすすりました、――その頃はもう固形物はとれなかつたのです。良人はやせて、血の氣もなく、衰へて、――見るも怖ろしいほどでした。私は窓の外を覗いて丁度そこへツルゲーネフが見えたかのやうな振りをして申しました、『さあ、ツルゲーネフさんがいらつしやいましたよ』と。それから暫くすると、背が高くて、風采の立派なツルゲーネフはシルクハットを手にして、控室に隣つてゐる食堂の戸口にあらはれました。が、良人の顏を覗いたかと思ふと、さすがに驚いた樣子をして、固くなつてしまひました。一方、良人はと見ると、その顏は苦しさうな痙攣が通り過ぎて、いひ知れぬ心の激動と鬪ふ力もなくなつたやうに見えました……。彼はやせ細つた手をあげて、ツルゲーネフの方に別れの身振りをしましたが、良人はツルゲーネフに對して、どうしても話をする元氣がないと言ひたさうな樣子でした……。ツルゲーネフの顏もやはり興奮に歪んで居りましたが、彼は良人の方へ祝福の十字を切つて、そのまま戸口の方へ消えて行きました。この會見のあひだ、ひと言も二人の口にのぼりませんでしたが、二人ともその胸中はどんなであつたでせう。」
 この場合ネクラーソフが手をあげたのは、生理的にもはや話など出來ぬといふことを示すのか、或は不可能といふのではなく、「話したくない」の意味か……と或るジャーナリストがネクラーソフ未亡人に向つて愚かしい質問を投げたとき、暫く默想の後、やはり衰弱の極に達してゐたので、ああいふ仕草によつて別れの言葉を述べたのです、と未亡人が嚴然と答へたのは三十數年後の一九一四年であつた(エヴゲーニェフ・マクシモフの「ネクラーソフと同時代人」による)。[やぶちゃん補注:文中、底本では「その頃はもう固形物はとれなかたのです」「彼はやせ細つて手をあげて」「エヴゲーニュフ」とあるが、先行する昭和21(1946)年八雲書店版との対比して誤植と判断されるので、それぞれ「その頃はもう固形物はとれなかつたのです」「彼はやせ細つた手をあげて」「エヴゲーニェフ」と訂正した。]

2008/10/21

「耳傾けよ、愚かしき者の審判に……」 イワン・ツルゲーネフ

 「耳傾けよ、愚かしき者の審判に……」
                     プーシキン

 御身はつねに眞實を語つた。ああ、偉大なるわが詩人(うたびと)よ、御身はいまもまた眞實を語つた。
 「愚しき者の審判と、衆人(もろびと)の嗤ひに」……誰か、この二つを經驗しなかつた者があらう。
 これらはみな人の堪へ得ることであり……、また堪へなければならないことである。敢へて軽蔑するがよいのだ。
 しかし一層いたいたしく胸をうつ打撃があるのだ……。或る人はでき得る限りのことをした、懸命に心を打ちこんで忠實に働いた……、すると實直な人たちは厭はしげに顏をそむけ、實直な者の顏は、彼の名を聞くと憤怒に燃えあがる。「退け! 向うへ行け!」實直な若者の聲は彼に向つて叫ぶのである、「お前に俺たちは用がない、お前の仕事にも用がない、お前は俺たちの住處(すみか)を汚す……、お前は俺たちを識らない、俺たちを理解しない、お前は俺たちの敵だ!」
 かかる時に、この人はどうしたらよいのであらう。仕事をつづけるがよい、自己を辯明しようとしないがよい……ましてや、より公平な評價を豫期することなどはしないがよい。
 嘗て農夫たちは、麺麭の代用品であり、貧しい者の常食物である馬鈴薯を齎らした旅の者を呪つた……。彼らは、彼らにさしのべた手から、貴い贈物をたたき落し、泥の中に投げ込み、足で蹈みにじつた。
 いま彼らはそれを食べて暮してゐる。しかも恩惠を與へてくれた者の名を知りもしない。
 それでよいのだ。彼らにとつて彼の名が何であらう。彼はたとひ名はあらはれずとも、彼らを饑ゑから救つてゐるのである。
 われわれは、われわれの齎らすものが、眞に有用な食物であるようにと、ただそれだけを心がけて行かう。
 愛する人たちの脣(くち)にのぼる不當な非難は悲しい……。しかし、それもまた堪へられる。
 「俺を打て! しかし、心をとめて最後まで聽いてくれ!」アテネの將はスパルタ人に向つていつた。
 「俺を打て! しかし、健かに、満腹してゐるがいい!」とわれわれはいはなければならない。
   一八七八年二月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・「耳傾けよ、愚かしき者の審判に……」[やぶちゃん注:題名に注記号が附いていたものと思われる。私の底本では確認できない。]:プーシキンの詩「詩人(うたびと)に」(一八三〇年作)の一節である。この詩の中で、プーシキンは、詩人たるものは多くの人に愛を思ふべからず、却つて愚しき者の審判と多くの者の冷やかな嗤ひに耳を傾け、しかも毅然たるべく、ひとり己れのみ帝王として生きよとの痛々しい言葉を述べたのであつた。

□やぶちゃん注
◎敢へて軽蔑するがよいのだ。:本底本に先行する昭和22(1947)年八雲書店版ではこの部分、前に以下のような句が挿入されている。「軽蔑することのできる者は、敢へて軽蔑するがよいのだ。」。日本語ではこの方が分かりはいいように思われる。
◎蹈みにじつた:「蹈」は「踏」の書きかえ字。
◎眞に有用な食物であるようにと:「ように」はママ。

2008/10/20

メフィラス

サトル君、君はあの時「地球をあげます」と頑として言わなかった――

が、しかしあの頃既に街角の男女は「二人のため♪世界はあるの♪」と嘯いていたではないか――

そして、その二年後に君はゴーゴー喫茶で京都さえ売っていたのだ――

今は、サトル君、君の子の世代だろう。さても、どうかね?――

翻って問おう――宇宙人同志たるウルトラマンよ!

君の戦いは真に報われたと言えるのか?

残虐な殺戮や邪まな犯罪は、正しき少年少女によって無原罪へと駆逐されでもしたか?

――どうした? 黙ってしまったな? 

安心し給え。私は「必ずまたやって来る」と約束したが……あの約束は、反故にしよう――

こんな誘惑も詮ない、荒れすさんだ子供らの心に、「地球をあげます」と自律的に言ってごらんなどという誘惑をしかけたとて、如何にも無益ではないか――

何十回も己が母星を破壊できる核兵器を蓄えこんだいかれた神経の宇宙人など、征服し支配する微塵の魅力もないではないか――

ウルトラマンよ、逃れよ、この地上を――そうして、出でよ!荒れすさぶ、荒野へ!

きゃべつ汁 イワン・ツルゲーネフ

 きゃべつ汁

 百姓の孀(やもめ)の一人息子で、二十歳になる、村一番の働き手が死んでしまつた。
 その村の女地主である奥樣が、百姓女の不幸を聞きつけて、丁度、葬式の日に見舞に行つた。
 行つて見ると彼女は家にゐた。
 小舍の眞中の食卓の前に立つて、彼女は、ゆつくりと、右手を絶えず同じやうに動かしながら(手は鞭繩のやうに力なく垂れてゐた)、煤けた壺の中から實も入つてゐないきゃべつ汁をすくつては、一匙一匙と呑み込んでゐた。
 百姓女の顏は瘦せこけて、黑ずんでゐた。眼は紅く腫れあがつてゐた……。しかも、教會にでもゐる時のやうに、きちんと身じまひを正して、いささかも取りみだしたところがなかつた。
 「ああ!」と奥樣は考へた、「あの女は、よくこんな時に物が食べられること。この手合は何てがさつな心を持つてるんだらう!」
 そこで奥樣は、自分が數年前に生れて九箇月になる娘を失くした時、悲しみの餘り、ペテルブルグの近くにある立派な別莊を借りることもことわつて、ひと夏を市内で暮したことを思ひ出した! 百姓女は相變らずきゃべつ汁を啜りつづけてゐた。
 奥樣はたうとうこらへ切れなくなつた。「タチヤーナ!」と彼女はいつた、「まあ、呆れたもんだねえ! お前は自分の息子が可愛くはなかつたのかい? どうしてお前、物を食べる氣なんかがあるんだらう? きゃべつ汁なんか、どうして食べられるんだらう!」
 「うちのワーシャは死んぢまひました、」と百姓女はしづかに語るのやあつた、新たに痛々しい涙が落ち窪んだ頰を傳はつて流れて來た、「ですから、もう私はおしまひなんでございます。もう生きてる空もなくなつてしまひました。けど、スープを無駄にしとく譯には參りませんわ、これにはお鹽が入つとりますから。」
 奥樣は、ただ肩をすくめたばかりで、それなり出て行つてしまつた。彼女には鹽など廉く手に入つたからである。
   一八七八年五月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・鹽:昔のロシヤの大衆の間では、鹽を用ひることが容易でなく、贅澤とされてゐた。

[やぶちゃん注:本詩は題名のみならず詩中にあっても平仮名書きの「きゃべつ汁」の「きゃべつ」ははっきりすべて拗音表記となっている。中山氏は本文のカタカナの外来語には拗音を用いるので、平仮名表記にしながらも、これを外来語としてそのように表記しているのであろう。恐るべき厳密な仕儀である。なお、「きゃべつ汁なんか、どうして食べられるんだらう!」は底本では「きゃべつ汁なんか、どうして食べられんだらう!」となっているが、脱字と判断して補正した。]

2008/10/19

ガラモン

僕ハちるそにあ星カラコノ星ヲ完膚ナキマデニ破壊スルタメニ送ラレテキタノダガ

僕ハ何ヲスレバイイノカ分カラナカッタノデ

だむトイウちゃちナ壁ノ隙間カラコノ地球トイウ星ノ日本トイウ場所ヲ望遠鏡ノヨウニ覗イテミタリシタケレドモ何モ分カラナクテ情ケナク

東京たわートイウ稲藁ノ依代ミタヨウナモノヲぐらぐらサセテミモシタンダガ何ダカ寂シイノニ変ワリハナク

アノ頃ノ円谷ぷろトイウトコロニ居タ金城哲夫サントイウ誰ヨリ僕ラ差別サレタ孤独ナ者タチノコトヲタダ一人思ッテクレテイタ人ニソレデナクテモチッコイ平身ヲ低頭シテ頼ンデミトコロガ

金城サンハ少シハニカミ乍ラ

僕ヲぴぐもんニ転生サセテクレタノダ……

ソウシテ僕ラハ今

にらいかないトイウイイトコデ

恩人ノ金城サント一緒ニくばノ葉ノ草鞋ヲ編ンデルンダ

にらいかないニ来ル人ヲ

僕ハ金城サント珊瑚礁ノ砂浜デ待ッテルンダ

来タ人ニコノくばノ草鞋ヲ履イテモラッテ

僕ノ背中ヲ踏ンデミテモラウンダ

痛クナイヨ

僕ト金城サンノ草鞋ハにらいかない一ナンダヨ

誰と議論をすべきか イワン・ツルゲーネフ

   誰と議論をすべきか

――君よりも賢い人と議論するがよい。彼は君に打ち克つであらう……しかし君の打撃そのものから君は自分自身の利益を收めることができる。
――智慧の同等の人と議論するがよい。いづれに勝利があらうとも、――君は少くとも鬪ひの愉しさを經驗するであらう。
――智慧の劣つた人と議論するがよい。勝利を望まずに議論をするがよい、しかも君は彼にとつて有益な人間となることができる。
――馬鹿ものとすらも議論をするがよい! 榮譽も利益も得はしないであらう、……けれど時折は氣晴しもよいではないか。
――ただウラヂミル・スターソフとだけは議論をせぬがよい。
   一九七八年六月

この詩は、実は、“SENILIA”には所収されず、後年の未発表分を公刊した“Nouveaux poémes en Prose”にも載らない。中山氏の解説によれば、“SENILIA”の発表を正直なところ心待ちにしていたツルゲーネフが、本作発表の責任者であった雑誌『ヨーロッパ報知』の編集者スタシュレーウィッチへの1882年10月14日附の手紙で、『「もちろん發表するためにではなくお笑ひ草」として』送ったものである。この一篇は同年12月、『ヨーロッパ報知』に発表された「散文詩」には含まれていなかった。しかし、この詩は、後年、その詩の中に読み込まれた『有名な音樂美術の批評家で、ツルゲーネフと交渉の深かつたスターソフ(一八二四-一九〇六)自身によつて發表された』のであった。

なかなか、いいじゃないか、心ある友どちの名を「ウラヂミル・スターソフ」のところに入れるがよい――そのような友どちのいない僕には少し寂しいけれど――

尾形亀之助句集(附 尾形蕪雨一句・尾形余十五句)

尾形亀之助句集(附 尾形蕪雨一句・尾形余十五句)

    枇杷の果

ふとんほして留守にしてゐる隣家かな

残されて芽をふく桐や分譲地

葉桜や眼を病む人の美しき

水さして茶釜ぬるめり庭若葉

枇杷の果の一つ一つの黄いろかな

蚊帳中にこほろぎの来て児のむなし

五人来て五人で帰る獺祭忌

茶の花の垣添ひに行く引越荷

春雷や雲たひらかに湖(みづ)の上

(「蕉舎句帳」 昭和10年2月-11年8月より)

[やぶちゃん注:底本は思潮社1999年刊「尾形亀之助全集 増補改訂版」を用いた。「蕉舎句帳」は父尾形余十が主催した句会の記録帳。昭和9(1934)年2月16日から昭和11(1936)年6月14日までの吟行会15回を記す。尾形亀之助がここで用いている俳号は底本の編注によれば「無臍子」「むの子」「凹臍」「への字」「へそ」。]

月の山人驚かすうさぎかな   尾形蕪雨

炭つぎて思ひ出せる事のあり

夏の風座敷尋ねて歩きけり

ころがりて手の届かざる林檎かな

送り火や姉は廓に居ると聞く

涼しさや親子もろとも水の底  尾形余十

[やぶちゃん注:尾形蕪雨は本名尾形安平(あんぺい)、尾形亀之助の祖父で、雑誌「仙台文学」社友であった。尾形余十は本名尾形十代之助(とよのすけ)、尾形亀之助の父で、『ホトトギス』の虚子選句にしばしば登場していたとする。底本は河出書房新社2007年刊正津勉「小説 尾形亀之助 窮死詩人伝」のなかに引用されるものを用いた。正津氏が作品の最後で引用する最後の父の句、これは如何にも象徴的ではある。]

「入定の執念」と「木乃伊(ミイラ)の恋」

『入定の執念 「老媼茶話」より』の注で述べた通り、「恐怖劇場アンバランス」の第一話「木乃伊(ミイラ)の恋」(原作・円地文子「二世の縁拾遺」/脚本・田中陽造/監督・鈴木清順  放映1973/1/8)と「入定の執念」の連関が気になっていたが、検索をかける内に、ズバリ正解であることが分かった(私は女流作家が苦手で読まないし、自宅に本作はなかったので)。原作の円地文子の「二世の縁 拾遺」の中にしっかりと登場していることが分かったのである。個人ブログの「まちこの香箱(かおりばこ)」の「宗像教授の中の恵達」という書き込み。嬉しくなっちゃうのは、僕の今回の疑問の入り口となった星野之宣の「宗像教授異考禄 第七集」が同じ出発点となっているところだ。孫引きをお許し頂こう。ちなみに、円地文子の「二世の縁拾遺」という呼称が、上田秋成の「春雨物語」の「二世の縁」の「拾遺」であることに永く気付かなかった僕は全くもって大呆けであった――実は「春雨物語」は大学時代に読みかけて、厭になって放置した。その厭になった理由は読んでいる横から同窓の女性が「貴方が三島由紀夫が絶賛しているこれを読むなんて意外」と言われたからであることもしっかり覚えている――

『博学の先生は秋成のこの物語の原話らしい、『老媼茶話』の中の「入定の執念」という話をしてくれた。それは承応元年に大和郡山妙通山清閑寺の恵達という僧が入定の際、参詣の美女にふと執心して成仏しかね、五十五年の後の宝永三年になっても未だ魂魄散ぜず鉦鼓を叩いていたという話である。

「『老媼茶話』という本は寛保のはじめの序がついているから秋成の子供の頃に書かれたのだろう。しかし何ぶんあの時分のことだから秋成のよんだのは何十年も経ったあとのことかも知れない。『雨月』を書いたころの秋成なら、この物語の美女に執心の残る件をもっと丁寧に描いたろうと思う……」』

「――いや、宗像教授と同じく、わしもこの話が好きでね……」

薔薇 イワン・ツルゲーネフ

 薔薇

 八月の末つ方、……秋はもう近づいてゐた。太陽は沈んだ。はげしい夕立が、雷鳴も電光(いなびかり)も伴はず、この曠野を今しも過ぎて行つたばかりである。
 家の前の庭園(には)は、空をも焦す夕映えの光と、あふれるやうな雨水にすつかり浸されて、燃えかがやき、うち煙つてゐた。
 女は客間の卓子(つくゑ)に向ひ、深い思ひに耽りながら、半ば開かれたドア越しに庭園(には)の方を眺めてゐた。
 私はその時、女の心に思つてゐることをよく知つてゐた。女が辛くはあつたが、暫しの間の苦鬪ののち、いまこの刹那に、最早たうてい制御することのできない或る感情に身を任せてゐることをよく知つてゐたのである。
ふと、女は立ち上つて、足早に、庭園(には)に出て行つて、見えなくなつてしまつた。
 一時間たち、……また一時間たつた。女は歸つて來なかつた。
 そこで、私は立ち上つて、戸外(おもて)に出て、女が通つて行つた――私がたしかにさうだと考へてゐた――竝木道を進んで行つた。
 あたりは、すつか暗くなつて、もう夜になつてゐた。けれど道の濕つた砂の上には、ひろがる夕靄の中にさへも、くつきりと紅らむ、圓味を帶びたものが見うけられた。
 私は身を屈めた。それは咲き立ての、生(い)き生(い)きした薔薇の花であつた。まぎれもない二時間まへに、女の胸に見たあの薔薇の花であつた。私はそつと泥濘(ぬかるみ)に落ちてゐた花を拾ひ上げて、客間に引き返し、それを女の椅子の前の卓子(つくゑ)のうへに置いた。
 すると、たうとう女も歸つて來た。輕い足どりで部屋をぐるりとめぐつて、卓子(つくゑ)に向つて腰をおろした。
 女の顏は一そう蒼く、また一そう生き生きしてゐた。嬉しさにどぎまぎして、伏目がちに、いくらか前より小さく見える眼は、さつとあたりに注がれた。
 女は薔薇の花を見ると取り上げて、揉みくしやになつて、汚れた花びらを眺め、私を眺めるのであつた。その眼は急にじつと据わり、涙に輝いた。
 「何をあなたは泣くのです?」と私は訊いた。
 「あの、…‥この薔薇をごらんなさいな、こんなになつてしまひましたわ。」
 そこで私は深刻なことを言はうと考へた。
 「あなたの涙は、その泥を洗ひませう。」と私は意味ありげな言ひまはしで言つた。
 「涙は洗ひはしませんわ、涙は燒いちまひますわ。」と女はかう答へて、煖爐の方をふり向くと、消えかかつてゐる焰の中に薔薇の花を投げこんだ。
 「火は涙よりもよく燒いちまひますわね。」と彼女はきつぱりと叫んだ。まだ涙に輝いてゐる美しい眼は、憚ることなく、幸福さうに笑ふのであつた。
 私は女もまた、すつかり燒き滅ぼされてゐたのだといふことを悟つたのである。
   一八七人年四月

2008/10/18

ベックリン 死の島 最終ヴァージョン(ライプチヒ造形芸術館蔵)

Di2

 

 

 

Die Toteninsel Arnold Böcklin

(1886) 80 x 150 cm, Museum der bildenden Künste, Leipzig.

Di1

 

 

 

 

 

1996年、ライプチヒ造形芸術館にて写す(部分:上は中央、漕ぎ行く舟。下は「死の島」右岸)。どのヴァージョンであったか、この右岸には中腹の断崖の端に一輪の花があったはずなのだが――僕は、その花を、見失ってしまったよ……

「死の島」の最終ヴァージョン(全景:リンク・ドイツ版ウィキ“Melancholie”の大画像)――「父と娘」の漕ぐ少女へ、そして貴女へ、この僕の二枚を贈ろう……

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 海帯 末滑海藻(アラメ/カジメ/サガラメ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「海帯 末滑海藻」(アラメ/カジメ/サガラメ)を追加した。

足のない馬 尾形亀之助

 それは見たところ、けだものといふよりは魚類の何かに似ているのだ。足のあるあたりは、なでてみたいやうな腹部からの丸味がのびてそのまゝ背につゞいてゐるので、水の上なら首のつけねの辺のところをはげしくうづつかせて泳ぐのではあるまいかと思はれるが、地面の上ではいつたいどんな風にして歩くのであるか。考へてみれば、腹を地面につけてゞは、子供のぎつこんばつたんのやうにしかならぬであらうし、何かでこぼこしたものに咬みついて首を締めてみたところがそれで十分前進するものとは思はれぬ第一それでは腹の皮がすり切れるだらうし痛いではないか後になつて、つり上げられてゐたのでもないのに、不思議に腹のところは何にも触れてゐなかつたやうなおぼろげな記憶は、腹の下に赤いふとんか何かを敷いてゐたのではなく、又たいして腰をかゞめずに腹を見たのだから、馬は、腹を上にして寝かされてゐたのだつたらう。さすがにそれは翼などが生えてはゐなかつたのだ。

(獣帯2号 昭和8年1月発行)

こんな馬を果たして当時飼育していたであろうか。いや、その馬を愛する者ならば当然、安楽死させていたであろう。されば、これはフリークスとしての見世物か。いや、そうではあるまい。これは尾形亀之助自身の表象であることは言うまでもない。昨日アップした亀之助の遺品、「大キナ戦 (1 蠅と角笛)」の末尾を見よ。

……「角笛を吹け」いまこそ角笛は明るく透いた西空のかなたから響いて来なければならぬのだ。が、胸を張つて佇む私のために角笛は鳴らず、帯もしめないでゐる私には羽の生えた馬の迎ひは来ぬのであった。

彼は、この馬=自身をペガサスにしたかった。そうして、それは見果てぬ夢であることを、彼自身が重々知っていたということである……この詩は、尾形の詩の中で、すこぶる哀しいものに、僕には見えるのだ――

追伸:この詩誌(と思われる)の題名は、あの連続殺人鬼のゾデイアックだろうが(Zodiac:占星術の黄道十二宮の謂い)、この尾形の詩を載せた瞬間、その名はまさに「足なき獣の腹帯」という慄然とする響きを僕に与えるのだ……

入定の執念 やぶちゃん訳

「入定の執念 「老媼茶話」より」を僕なりに現代語訳してみた。試験問題化した際に、解説で2/3を現代語訳しているが、今回、全文を訳し直した。こういう現代語訳は本当に心底、楽しい。

 入定の執念 やぶちゃん訳(copyright 2008 Yabtyan)

 大和の国、郡山の高市(たかいち)郡にあった妙通山清閑寺観音堂の堂守りの僧で、恵達(えたつ)という出家が、「観音菩薩様の夢のお告げがあった。」と言って、承応元年三月壬辰(みずのえたつ)三月二十一日、阿弥陀ヶ原という所で穴を掘って入り、空気の通ずる穴のみを残し、生きながらに埋まって、即身成仏の行に入った。恵達、時に六十一歳。
 しかしその後、入定の年より宝永三年に至るまで、実にその年五十五年を経ても、その入定塚の中にあって鉦鼓(しょうご)を鳴らし、念仏を唱える恵達の声が聞こえ続けた。
 故に人々はそこを阿弥陀ヶ原の念仏塚と名付け、数年の後、土を盛って祭壇を築き、そこに印の松を植えた。しかしその松も、更に年経て大木となり、当初は年々になされていた供養の卒塔婆もはや苔蒸して、露繁く、草茫々たる凄絶な気配の地となったのである。――

 宝永三年の秋、八月のこと、大風が吹いて、念仏塚の松を根こそぎ吹き倒してしまった。村人どもが集まってきて何やかやと言い合っているうち、その中の一人の小賢しい百姓が、
「人には七つの魂があって、そのうちの六つの魂は体を離れるが、ただ一つの魂だけは残って死者の遺骸を守るとは聞く。じゃが、それは弘法大師様の御入定にのみ語られてきた即身成仏の末代までの不思議じゃ。大師様以外の凡僧の及ぶような境地では、ない。これ幸いじゃ、この塚を崩して中を見るに若(し)くはない。」
と言う。人々も
「もっともなことじゃ。」
ということで、手に手に鋤・鍬を持って、石を除け、土を退かして、石棺の蓋を取る――
すると、棺の内に、座った恵達が、いる――
髪も髭も銀の針のように真っ白になって、炭の木っ端の如くに痩せ衰え、それでもなお首にかけた鉦鼓を鳴らしながら、念仏を唱えている――
……と、恵達は人々の声に目を開く――
 庄屋の源右衛門という者が恐る恐る恵達に近づき、次のように語りかける。
「そなたは決定(けつじょう)往生即身成仏の願を立て、承応の初めに入定した。にも拘わらず、何故に今まで、このように浮世から離れられぬ執念を残して、往生せずにおるのじゃ?」
 恵達は答えて言う。
「我はもと、備前の国、児島の生まれ。……七歳の折に同国大徳寺で剃髪し、十九の春より諸国行脚の旅に出、……あの山この峯と、尊い多くの社寺仏閣を拝み廻り、……高野へ七度、熊野へ七度、吉野の御嶽金峰山へ七度詣でて、……そうして浅間の山では、噴き出だすおぞましき現在地獄の有様を目の当たりに見るやいなや、いよいよこの世は誠に仮の宿りであることを悟って厭うこと頻り、早う極楽浄土の弥陀の御国に参りたいと心せくようになったのじゃ……さても、そうして、観音のお告げを受け、いざ入定せんとする、その砌(みぎり)、……我の即身成仏の噂を聞き及んだ人々が、我の入定祈念の回向のためと称して貴賤を問わず大勢集まって参り……我は十念称名(じゅうねんしょうみょう)をそれらの人々に授け……実に数万の者が押し合いへし合い、我が前に称名を受けようと進み寄ってくる……と、その時……その中に……十八、九の美しい娘が一人、群衆の中を押し分けてやって来る……私の前へやって来ると……私の衣の裾にすがり……ほろりと涙して……十念をお授け下さいまし、と願うた……
――我は、この時、この娘に、心、奪われた……
……定めて、その執心が、未だに成仏の妨げと、なっておるのであろう……」
と。
 庄屋は、ちょうどその時、来合わせていた五十五年の昔から未だに生き残っていた老人にその頃のことを尋ねてみたところ、老人は、
「その頃、この近郷で美人と噂され、加えて信心深かった者と申せば、米倉村の庄八郎の娘『るり』と申す者にございましょう。今も、幸いして、存命でござりまする。ここに連れ参らせましょうぞ。」
と言う。庄屋が
「うむ、その女を、ここへ連れてくるがよい。」
と言ったところ、やがて連れ来ることを頼まれた者が、一人の老婆を連れてやって来る――
 老婆は真っ白になった髪をぼさぼさに乱して、目は爛れ窪み、歯に至っては一枚もなく抜け落ちて、腰は二重に曲がって、やっとのことで人に助けられ、杖にすがって、恵達の前によろぼいつつ寄って来る――
 庄屋が、恵達に言う、
「この老婆こそ、そなたが入定の砌、執念を留めたと申す、米倉村庄八郎の娘『るり』、といった『美女』であるぞ。その頃は十九、今は七十三。この姿を見ても、そなたには『るり』への愛着の心があると申すか!? 妄念たる愛の執着を離れ、速やかに成仏するがよいぞ!」
と老婆を指さしたところ――恵達は、この醜く老いさらばえた老婆をつくづくと眺めていたが、朝日に霜の消えるが如く、皮も肉もたちまちのうちに消え失せて、ひと揃いの白骨ばかりが残ったのであった……まこと、人の執念ほど、恐ろしきものはない。

注:
・鉦鼓=勤行の際に叩く円形の青銅製のかね。
・決定往生=疑いなく極楽に往生すること。
・現在地獄=浅間山の硫黄を含んだ水蒸気を噴き出している場所。
・回向=仏事を営んで死者の成仏を祈ること。ここでは恵達の即身成仏を祈念すること。
・十念=十念称名。南無阿弥陀仏の名号を十回唱えること。ここでは恵達の即身成仏を祈念する衆生にそれを授けることで、祈念する人の往生を逆に確かなものとすることを言う。

髑髏 イワン・ツルゲーネフ

 髑髏

 豪華な、燦爛たる廣間。紳士淑女、大勢。
 顏といふ顏は生氣にあふれ談話(はなし)ははずんでゐる……。ある有名な歌姫のことが賑やかな話題に上つてゐる。彼らは神のやうな女、不朽の女だと讚へてゐる……。ああ、昨日は何てすばらしく、最後の顫音(トレモロ)をやつてのけたことであらう!
 すると、不意に――魔法使の笏杖(つゑ)の指圖によるかのやうに――誰もの頭から、誰もの顏から、薄い皮膚が滑り落ちて、――忽ちにして蒼白い髑髏があらはれ、あらはになつた歯齦(はぐき)や顴骨(ほほぼね)が青味を帶びた錫のやうにきらめいた。
 恐怖の念を懷きながら、私は歯齦(はぐき)や顴骨(ほほぼね)の動くのを見た、――洋燈や蠟燭の光に、節くれだつた骨の球が、かがやきながらぐるぐる廻るのを、またその球のなかに別の一そう小さな球の――譯のわからない眼球の廻るのを見た。
 私は敢へて自分の顏に觸れまいとし、鏡の中に自分の姿を覗くまいとしてゐた。
 しかも、髑髏は、やはりぐるぐる廻つてゐた……。そして前のやうな騒ぎをし、剥き出された歯の間から、紅い端布(はしぎれ)のやうに、舌をちらちらと覗かせて、早口に、ぼんやりと、あの不朽の……さうだ、あの不朽の歌姫はなんてすばらしく、なんて及びもつかぬばかりに最後の顫音(トレモロ)をやつてのけたのだらうと語つてゐるのであつた。
   一八七八年四月

Иван Сергеевич Тургенев“Касьян с Красивой мечи”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・カーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)誤植訂正・注追加

同僚の尊敬する数学の先生が丁寧に僕のИван Сергеевич Тургенев“Касьян с Красивой мечи”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・カーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)をお読み下さり、二箇所の誤植と中山氏の本文への疑問をお伝え下さった。その訂正とその疑義(僕も違和感を感じていた部分であった)に関わる僕のオリジナルな注を追加した。またしても「智」の増殖である。僕にとって職員室という場が「智」の増殖に感じられる瞬間は、正直、この先生とお話している時「のみ」である。如何にも哀しいことではある――

2008/10/17

犬 イワン・ツルゲーネフ

 犬

 部屋のなかには私たち、ふたり、いとしい犬と私と……。戸外(そと)には凄まじい嵐が咆えてゐる。
 犬は私の前にすわり――私の眼をまともに見まもつてゐる。
 私もまた犬の眼を見てゐる。
 犬は何か私に言ひたげに見える。犬はものを言はない、犬には言葉がない、犬には自分自身がわからない――しかも私は犬をよく識つてゐる。
 私には、この瞬間(ひととき)に、犬にも私にもーつの同じい感情が流れてゐて、私たちの間には何らのへだたりもないことを識る。私たちは同じものである、お互ひの中には同じやうな、ふるへる火焰(ほのほ)が燃え耀いてゐるのだ。
 死は飛びおりて來る、冷たい廣い翼をはばたく……。かくて最後である。
 やがて私たちふたりのうちに燃えてゐた焰がどんなものであつたかを誰が識別しうるであらう。
 否、互ひに眼を見交はすふたりは動物でもなく、人間でもないのだ。
 互ひに見交はす眼は同じ眼の二對なのだ! この對(つい)のいづれにも、動物にも、人間にも、一つの同じい生命が、おづおづと互ひに寄り添つてゐるのである!

2008/10/16

パウル・ツェラン

今日、僕が慶応大学の小論文の過去問を指導した貴女に贈ろう。

あの、ツェランの詩だ――

http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2005/08/post_7180.html

大キナ戦 (1 蠅と角笛) 尾形亀之助

 五月に入つて雨やあらしの寒むい日が続き、日曜日は一日寝床の中で過した。顔も洗らはず、古新聞を読みかへし昨日のお茶を土瓶の口から飲み、やがて日がかげつて電燈のつく頃となれば、襟も膝もうそ寒く何か影のうすいものを感じ、又小便をもよふすのであつたが、立ち上がることのものぐさか何時まで床の上に座つてゐた。便所の蠅(大きな戦争がぼつ発してゐることは便所の蠅のやうなものでも知つてゐる)にとがめられるわけもないが、一日寝てゐたことの面はゆく、私は庭に出て用を達した。
 青葉の庭は西空が明るく透き、蜂のやうなものは未だそこらに飛んでゐるらしく、たんぽぽの花はくさむらに浮かんでゐた。「角笛を吹け」いまこそ角笛は明るく透いた西空のかなたから響いて来なければならぬのだ。が、胸を張つて佇む私のために角笛は鳴らず、帯もしめないでゐる私には羽の生えた馬の迎ひは来ぬのであった。

(歴程19号 昭和17年9月発行)

本詩は、生前の尾形亀之助の、最後に公開された詩である――

ピーチ姫に抱きつく検索

今日、「ピーチ姫に抱きつく」で検索してきたあなた!

いい検索してますね!

それは、確かに俺だよ!(笑)←[やぶちゃん注:生まれて初めて使った、僕が最もおぞましいと思っているネット常用語。]

やっとアクセスが日常的に200以下になった。それでこそ僕のブログらしい。そんなに面白いブログじゃあ、ないぜ。

雀 イワン・ツルゲーネフ

 雀

 私は獵から歸つて、庭園(には)の竝木道を歩いてゐた。すると、私の前を犬が騙けて行つた。
 ふと、犬は刻み足になつて、恰も野禽(とり)を嗅ぎつけたかのやうに忍び足し始めるのであつた。
 私は竝木道づたひに、ずつと眼を配つて見た。そして、まだ嘴のあたりの黄いろい、頭に絨毛(ふふげ)の生えた一羽の仔雀を見つけた。仔雀は巣から落ちて(風はひどく竝木道の白樺をゆすぶつてゐた)やつと生え出したばかりの翼を、たよりなげに擴げたまま、じつとしてゐた。
 犬は静かに仔雀に近づいて行つた、急に近くの樹から、すばやく胸の黑い親雀が、飛礫(つぶて)のやうに犬の鼻先へ飛び下りて來た。絶望の餘り、全身、羽毛を逆立ててしどけなく、哀れげに啼きさけびながら、犬の大きな齒を覗かせて、開いた口に二度ほども飛びかかつた。
 親雀は仔雀を助けようと、身をもつて庇ふのであつた、けれど小さな全身が恐怖にわななき、聲は亂れ、嗄れて、たうとう氣絶してしまつた。彼は身を犠牲(いけにへ)にしたのである。
 彼の眼には、犬がどんなにか大きな怪物に見えたにちがひない! しかもなほ彼は安らかな枝の上に止まつてゐることができなかつたのである……。意思よりも強い愛の力が枝から飛び下りさせたのであつた。
 私のトレゾル(犬の名)はじつと立ちどまつて、後退りした。……犬もまたこの力を認めたものと見える。
 私は急いで、うろたへてゐる犬を呼び戻し、敬虔の念にうたれながら立ち去つた。さうだ。笑つてはいけない。私はあの小さな悲壯な小鳥に對して、小鳥の愛の衝動に對して、尊敬の念を懷いたのである。
 私は考へた、愛は死よりも、死の恐怖よりも強いと。それによつてのみ、愛によつてのみ、生活は保たれ、おし進められて行くものであると。
   一八七八年四月

2008/10/15

この世の終末 イワン・ツルゲーネフ

 この世の終末(をはり)

      夢

 私はロシヤの、どこか、人里遠く離れたところにある、簡素な田舍家にゐるやうに思はれた。
 部屋は大きく、天井が低く、窓が三つついてゐて、壁は白く塗られ、家具ひとつなかつた。家の前には荒涼たる平原があり、次第に勾配がゆるやかになつて、遠くの方へ續いてゐた。灰色の、單調な空が、その上に寢帳(たれぬの)のやうに垂れ下つてゐた。
 私はひとりではない、部屋の中にはなほ十人ほどゐるのであつた。みな、あたりまへの人たちで、素樸な身なりをしてゐた。口をつぐみ、拔足をしてゐるかのやうに、しづかに行きつ戻りつしてゐる。互ひに避け合つてはゐるが、――みな一樣に絶えず不安げな眸を見交はしてゐる。
 誰ひとりとして、どうしてこの家へ來たのか、一緒にゐる人がどんな人たちなのか知らずにゐる。顏にはみな不安と喪心の色が見える、……誰もがつぎつぎに窓のところへ近づいては、外から來る何ものかを待ちうけてゐるらしく、注意ぶかく、あたりを見廻してゐる。
 やがて又ぶらぶらと行きつ戻りつしはじめる。その間を背の大きくない男の子がぐるぐるとへめぐつてゐる。絶えず、この男の子は細い、一本調子な聲で、「お父ちやん、怖(こは)いよう、」といつてゐる。この細い聲に私の胸もむかついて來る――私もまた怖ろしくなつて來る、……何が怖ろしいのか、自分もわからない。ただ大きな、大きな禍難(わざはひ)が、次第次第に近づいて來ることを感ずるだけである。
 男の子は、やめたかと思ふと、またなけ喚き出す。ああ、どうかして、ここから逃げ出したい。何て、息苦しいんだらう。何て、懶いことだらう。何て重苦しいことだらう……、けれど、どうしても逃げ出すことができないのだ。
 この空はまるで經帷子(きやうかたびら)のやうだ。それに風もないし、……空氣は息絶えてしまつたのか、どうしたのか。
 急に男の子は窓に馳け寄り、例の哀れげな聲で叫んだ、「あれ、あれ、地面が陷つこちた。」
 「え? 陥ちたつて?」たしかに、今までは、家の前に平原があつた筈なのに、いま、家は怖ろしい山の頂に立つてゐるのだ。地平線は落ちこみ、低く降(さが)つて、家のすぐそばから殆んど垂直な、まるで切りとつたやうな、黑い險岨になつてゐる。
 私たちはみんな窓のところに押し寄せた……。恐怖のあまり心臓は凍つてしまふ。
 「ほら、あれよ……あれよ、」と私のわきにゐた者が囁く。
 見れば、はるか遠い地極に沿うて、何ものかが動き出した。何かしら、小さな、圓味をおびた丘のやうなものが、起伏しはじめたのである。
 「これは――海だ。」と私たちには同時に考へられた。「すぐにわれわれを呑んでしまふだらう……。しかし、どうしてこんなに高く、わき騰つて來られるものか。こんな險岨の上にまで。」
 しかも海はいよいよ氾濫する、氾濫する……。今は、遠くにきれぎれの丘が起伏してゐるのではないのだ……。連りつづく、恐るべき一脈の波が、見渡す限りの地平線をすつかり抱きこんでゐるのだ。
 波は私たち目がけて奔騰する。奔騰する。波は凍(し)みつくばかりに寒い颶風に乘つてやつて來る。波は地獄の闇のやうに渦卷く。周圍のあらゆるものは慄へ出した――この襲ひよる怒濤のうちには轟聲(とどろき)がある。雷鳴がある。幾千の咽喉(のど)から洩れる鐵のやうな號叫がある……。
 ああ、何といふ吼號、慟哭であらう。これは大地そのものが恐怖のあまり遂に悲鳴をあげたのだ……。
 大地の終末! 一切の終末!
 男の子はもう一度、泣き聲を出した……。私は仲間のものにすがりつかうとしてゐた、――けれど、私たちはみな、墨汁(すみ)のやうに眞黑い、氷に充ちた、轟く波に壓し潰され、葬られ、取りさらはれてゐるのであつた。
 暗黑(やみ)! 永遠の暗黑(やみ)!
 呼吸(いき)もたえだえに、私は眼を覺ました。
   一八七八年三月

[やぶちゃん注:「何て、懶いことだらう。」は「懶(ものう)い」と読む。本誌はサブタイトルを持つが、複数の他篇が「この世の終末(をはり)」のタイトルのもとに存在した可能性を窺わせる。]

2008/10/14

年越酒 尾形亀之助

 庭には二三本の立樹がありそれに雀が来てとまつてゐても、住んでゐる家に屋根のあることも、そんなことは誰れにしてみてもありふれたことだ。冬は寒いなどといふことは如何にもそれだけはきまりきつてゐる。俺が詩人だといふことも、他には何の役にもたゝぬ人間の屑だといふ意味を充分にふくんでゐるのだが、しかも不幸なまはり合せにはくだらぬ詩ばかりを書いてゐるので、だんだんには詩を書かうとは思へなくなつた。「ツェッペリン」が飛んで来たといふことでのわけのわからぬいさましさも、「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散歩」――などの、そんなことさへも困つたことには俺の中には見あたらぬ。
 今日は今年の十二月の末だ。俺は三十一といふ年になるのだ。人間というものが惰性に存在してゐることを案外つまらぬことに考へてゐるのだ。そして、林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に恋しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ条件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか。
 三十一日の夜の街では「去年の大晦日にも出会つた」と俺に挨拶した男があつた。俺は去年も人ごみの中からその男に見つけ出されたのだ。俺は驚いて「あゝ」とその男に答へたが、実際俺はその人ごみの中に自分の知つてゐる者が交つてゐるなどといふことに少しも気づかずにゐたのだ。これはいけないといふ気がしたが、何がいけないのか危険なのか、兎に角その人ごみが一つの同じ目的をもつた群集であつてみたところが、その中に知つている顔などを考へることは全く不必要なことではないか。人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、一個の顔は無数の顔となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ。

(詩集「障子のある家」より)

本詩の『「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散歩」』という僕にとって永く不明であった箇所について、美事な解釈(「未詳」「当てずっぽう」と謙遜されているが)が2007年河出書房新社刊の正津勉「小説 尾形亀之助」でなされている。以下に引用する。『前者は、北川冬詩集『戦争』(昭和四年三月刊)では。ここで「映画的な奇蹟」とある、これはときに北川が標榜した前衛詩運動なる代物(しろもの)「シネ・ポエム」への嘲笑ではないか(じつはこのころ全章でみたように北川と亀之助のあいだで『雨になる朝』をめぐり意見の対立をみている)』。ここで改行して、『後者は、あやふやななのだがこれは安西冬衛のことをさすのでは。これは「片足が途中で昇天した」うんぬんから、なんとなれば安西が隻脚であること。やはりこの三月、詩集『軍艦茉莉』が刊行されている。前章でもみたが亀之助はこれを絶賛している。「『軍艦茉莉』安西冬衛はすばらしい詩集を出した」と。だとすると「すばらしい散歩」とは散歩もままならない安西への声援となろうか。ほかに懇切な書評「詩集 軍艦茉莉」(『詩神』昭和五年八月)もある。』やや、最後の「安西への声援」という謂いには微妙に留保をしたい気がするが、正津氏の解釈はこの詩の最も難解な部分を確かに明快に解いてくれている。著作権の侵害にならぬよう、宣伝しておこう。前章云々の話は、是非、本書を購入してお読みあれ。なお、同書によれば、チェッペリン飛行船Zeppelinが日本に飛来したのは、昭和四年八月で『新聞各誌には「けふ全市を挙げてツエペリン・デーと化す/三百万の瞳が大空を仰いで/待ちこがれる雄姿!」などと熱く見出しが躍った。』とする。

しかし、僕がこの詩を愛するのは、第二段の末尾の「いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか。」という詩と詩人を巡る存在論の鋭さ故である。そうして第三段末尾の「人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、一個の顔は無数の顔となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ。 」の思い切った「ノン!」の拒絶の小気味よさ故である――しかしそれはまさに「全くの住所不定へ。さらにその次へ。」(「詩集「障子のある家」の「自序」より)という強烈な覚悟の中にある凄絶な小気味よさであることを忘れてはならないのだが――。

競爭相手 イワン・ツルゲーネフ

 競爭相手

 私には友だちの競爭相手があつた。別に、仕事や職務(つとめ)や戀の上での相手ではなかつたが、何ごとによらず二人の見解は一致せず、會へば必ず二人の間には、はてしもない議論が起るのであつた。
 二人は事ごとに言ひ爭つた、藝術や、宗教や、科學ついて、現世(このよ)や、來世(あのよ)の生活について、わけても來世(あのよ)の生活について。
 彼は信心家で、熱情家であつた。あるとき、彼は私にかういつた、「君は何から何まであざ笑ふけれど、若しも君より僕が先に死んだら、きつと僕はあの世から、君のところへやつて來るよ……その時に君が嗤ふかどうか知りたいものだ。」
 果せるかな、彼は私よりも先に、未だ若い身空で死んで行つた。けれど、いく歳(とせ)か過ぎて、私は彼の約束を――彼の威嚇を忘れはててしまつてゐた。
 或る夜のこと、私は床に就いたが、眠れなかつた。もつとも、眠りたくもなかつたのである。部屋の中は暗くも、明るくもなかつた。私は灰色の薄ら闇を見つめ始めた。
 すると不意に、二つの窓の間に、私の競爭相手が佇つてゐて、しづかに、悲しさうに顏を上に下に振つてゐるやうに見えるのである。
 私は怖れはしなかつた、驚きもしなかつた……。けれど、そつと起き上つて、肘をついて、不意にあらはれて來た幻影(まぼろし)を一層氣をつけて見つめはじめた。
 幻影(まぼろし)は頭を振りつづけてゐた。
 「何だといふんだ。」私はつひに口を切つた。「君は勝ち誇つてゐるのか、嘆いてゐるのか、どうなんだ、おれを警戒するのか、責めるのか。それとも君が間違つてゐたとか、二人とも間違つてゐたと識らしたいのか。君は何を經験してゐるんだ、地獄の苦患(くるしみ)か、天國の法悦(よろこび)か。せめてただ一言(ひとこと)でも言つてくれ!」
 しかし競爭相手はただ一言(ひとこと)も發せず……相變らず悲しげに、素直に、頭を上下に振つてゐるばかりであつた。
 私は笑ひ出した……。彼は消えてしまつた。

2008/10/13

家出娘 自解

曇天模様の空の下――

僕は君の乾いて血の滲んだ唇を――

狂おしく吸う……

僕は君の着た冷たい濡れたアノラックを――

そもまま強く抱きしめる……

――強く抱きしめよう びっしょりのそのままで、いい…… 

そうして行こう――

僕と君と……

あの二人の、二人きりの、あの、「死の島」へ――

……君がまだその頬を染めているうちに――そうして、ちょいとNHKのラジオ体操を勉強して、背筋ぐらいは伸ばして……最後には僕の後に首を吊る練習をしてもいいさ……

眠つてゐるうちに夜になつた 尾形亀之助

夕陽は眠つたまま盗まれて行つた
山は黒く霞んでしまひ雲は犬のはんてんとなつて
暗い空には忘れてゐるやうに灯がともらない

(〈亜〉27号 昭和2年1月号)

ケムール

君は正しく大学に受かるための知性が欲しいのかね?

その通りだ! それ以外に何があろう!

だから、君の知性は僕にくれ! 肉体など不用だ! 耳なんか動かす筋力は不要だ!

2010年にはそうなるのははっきり見えてるじゃないか!

だからさ、東大と一橋と早稲田と慶応に特化した知性だけで、いいのだヨ!――

僕の欲しいのはネ♪

雜役夫と白い手の人 イワン・ツルゲーネフ

言っておこう。僕は意味なく「散文詩」を公開しては、いない!

僕の「散文詩」の公開は、おまえに解らないほどに覚悟に満ちているんだ――だから、今日は二つ目だ! 僕の好きな、これだ!――

 雜役夫と白い手の人

     會話

 雜役夫 何だつて手前(てめえ)は俺(おい)らんとこへ出しやばりやがるんだ。何の用があるんだ。お前(めえ)は俺らの仲間ぢやねえんだ……あつちへ行け!
 白い手の人 兄弟、俺あ、君らの仲間なんだよ。
 雜役夫 とんでもねえ! 仲間だつて! 何をぬかすんだ! まあ、俺の手を見ろ、どうだ、穢ねえだらう。肥料(こえ)の匂ひだの、煙脂(タール)の匂ひがすらあね――ところが、お前(めえ)の手は眞白だ。一體、何の匂ひがする?
 白い手の人 (手を差し出して) 嗅いで見てくれ。
 雜役夫 (その手を嗅いで)こりや何事だ? 鐵みてえな匂ひがする。
 白い手の人 うん、鐵なんだ。俺はまる六年といふもの、手錠嵌めてたんだ。
 雜役夫 そりやまたどうして?
 白い手の人 なあに、君らの幸福を案じたのさ、君たち、當り前(めえ)の、なんにも知らねえ人間を自由にしてやりたいと思つて、君たちを壓迫してゐる奴らに逆つて、謀反をしたんだ、……すると奴ども、俺をぶち込みやがつたのさ。
 雜役夫 ぶち込みやがつたつて? またよくも臆面もなく、謀反ができたもんだな!

(二年の後)
 同じ雜役夫 (別の雜役夫に向つて)おうい、ピョートル、一昨年(をととし)の夏、手前(てめえ)と話をあいた生白い手の奴を覺えてゐるかい?
 別の雜役夫 覺えてるよ、それがどうした?
 第一の雜役夫 あのなあ、あの野郎が今日、首む絞められるつてことよ。さういふお布令だ。
 第二の雜役夫 やつぱり謀反をしたんだな?
 第一の雜役夫 謀反をしたんだ、やつぱり。
 第二の雜役夫 成程……ところで、おい、ミイ公、野郎を絞める繩の切れつ端は取れめえかな? 何でもそいつを持つてると、家へどえれい福が舞ひこむつていふぜ。
 第一の雜役夫 そりやあ、全くだ。ひとつやつて見なくちやなんねえ、なあ、ピョートル。
  一八七八年四月

[やぶちゃん注:人物見出しは底本ではすべてややポイント落ちである。なお、終局で、絞首刑の繩の話が出てくるが、これは勿論、古い民俗的な迷信を皮肉に用いたのであると思う。彼等百姓に革命の先鋭的意図の認識は、全くない(萌芽を求めたい輩はそう思うがいい)。私は本作を読むと自然、処刑される革命家の人肉饅頭を食べさせられる肺病病みの少年を描いた魯迅の「薬」が思い出されてならない。]

ゴロー

僕はイーリアン島になんか行かなかったんだよ

あの高度経済成長時代に、僕をあそこへ連れてってくれるおめでたい世界はなかったんだ……

僕は、あのまま、ミルクに混入された劇薬の睡眠薬の副作用で死んだのだ――

五郎兄さん、いや、金ちゃん[やぶちゃん注:金城哲夫。]――兄さんだけが僕を愛してくれたんだ……

モングラー

僕が大きくなったのは僕のせいじゃない

友達のゴローもそうだった――

僕らは人間の、いや、その中でも僕は、えげつない男と女の関係、それも最も反吐が出る三角関係とやらの中で「生み出された」奇形児だ――

ミサイルでも何でも持ってくるがいい、僕は死にたくて死ぬのじゃないし……

逆にせせら笑って生き残るお前らを――心からせせら笑う……

入定の執念 「老媼茶話」より

先日のブログ「星野之宣 宗像教授異考録 第七集・第八集」の最後で語った話を、贈ろう――三坂春編(みさかはるよし)(1704?~65)が記録した会津地方を中心とする寛保二(1742)年の序を持つ奇談集「老媼茶話」(ろうおうさわ)から。

僕の現代語訳はこちら

老媼茶話七
   入定の執念
 大和国(やまとのくに)郡山(こうりやま)高市(たけち)の郡(こおり)、妙通山清閑寺観音堂の守(も)り坊主に恵達(えたつ)といふ出家、「観音夢相(むそう)の告有り。」と云ひて、承応元年壬辰三月廿一日、阿弥陀ヶ原といふ処にて深く穴を掘り、生(いき)きながら埋まる。恵達、年(とし)六拾壱なり。しかるに恵達、入定(にゅうじょう)の年より宝永三年迄、年数五拾五年に及ぶ迄、塚の内にて鉦鼓(しょうご)をならし、念仏申す声きこゆ。是れに依りて阿弥陀ヶ原の念仏塚と名付け、壇を築(つ)き、印(しるし)に松を植ゑたり。其の松、年経(ふ)りて大木と成り、卒塔婆(そとば)苔むして、露深々(しんしん)草茫々たる気色なり。
 宝永三年秋八月、大風吹きて念仏塚の松を根こぎに吹き倒しける。村人共(ども)打ち寄り、その内にこざかしき百姓申けるは、「人に七魂(しちこん)有りて、六魂(ろっこん)からだをはなれ、一魂死骨(しこつ)を守るといへり。弘法の入定、末代(まつだい)の不思議なり。其の外の凡僧(ぼんそう)の及ぶべき事にあらず。幸ひ、此の塚を崩(くず)し内を見るべし。」といふ。「尤も也。」とてん、手に鋤(すき)・鍬(くわ)を持ちて、石をのけ、土を引き、石郭(せきかく)の蓋(ふた)をとれば、棺の内に、恵達、髪髭(かみひげ)、銀針(ぎんしん)のごとく、炭の折れの様にやせつかれ、首にかけたる鉦鼓をならし、念仏申し居(い)たりけるが、人声を聞きて目をひらく。庄屋源右衛門といふもの、恵達に近付き申す様、「汝、決定(けつじよう)往生、即身成仏(そくしんじょうぶつ)の願ひを立て、承応の始め入定す。いままで何ゆへに此の世に執念をとどめて往生せざる。」。恵達申すやう、「我、元(もと)備前児嶋のもの。七歳より同国大徳寺にて剃髪(ていはつ)して、十九才の春より諸国修行して山々嶽々の尊き霊仏霊社を拝み廻り、高野へ七度、熊野へ七度、吉野の御嶽(みたけ)へ七度詣でて、浅間のたけにて現在地獄をまのあたり見てより、尚々(なおなお)此世の仮(かり)なる事を厭(いと)い、はやく極楽浄土弥陀の御国へ参らん事をいそぎ、入定せしむる砌(みぎり)、此の事、聞き及び、回向(えこう)の貴賤、近郷よりつどひ集り、十念(じゅうねん)授(さず)くる。数万人押し合ひ、もみ合い、我が前に進みよる。其の内、十八、九の美女、群集(ぐんじゅ)の人を押し分け、我が前へ来(きた)り、衣の袖にすがり、ほろりと泣きて十念を望む。我、此の折り、此の女に念をとどむる心有り。定めて此の故に成仏をとぐる障(さわ)りと成りしものなるべし。」といふ。
 庄屋、其の折り、生き残りし老人に尋ぬるに、老人申すは、「その折、近郷の美人と沙汰いたし、そのうへ後生願(ごしょうねが)ひにて候ふは、米倉村庄八郎娘に『るり』と申せしにて候ふべし。今、幸ひ、存命仕つる。つれよせ給へ。」といふ。庄屋、「その女、爰元(ここもと)へつれ来(きた)るべし。」といふに、やや有りて壱人の古姥(ふるうば)をつれきたる。髪は雪をいただき、荊(おどろ)を乱し、目はただれくぼみ入り、歯は壱枚もなく、腰は二重に曲がり、漸(ようよう)人に助けられ、杖にすがり、坊主が前によろぼひ来(きた)る。庄屋、恵達に申すは、「此の姥(うば)こそ、汝、入定の砌(みぎり)に執念をとどめし米倉村庄八が娘『るり』といひし美女なり。其の節は十九、今、七十三歳なり。是れを見て愛着(あいじゃく)の心あらんや。妄念・愛執をはなれ、はやく仏果(ぶつか)に至るべし。」と示しければ、恵達、此の姥をつくづくと詠(なが)めけるが、朝日に向ふ霜のごとく、皮肉(ひにく)、忽(たちま)ち消え失せて、一具の白骨斗(ばか)り残りたり。誠に人の執心程おそろしきものはなし。

[やぶちゃん注:底本は1992年国書刊行会刊の「叢書江戸文庫26 近世奇談集成[一]」を用いたが、高校生にも読めるように、送り仮名や読み及び漢字表記を僕の勝手自在に改めた。その際、読みも底本に準じて(底本自体がルビに現代仮名遣を用いている)僕のポリシーを無視し、現代仮名遣に徹した。これを読んで円谷プロの1973年放映開始の「恐怖劇場アンバランス」の、あのぶっとんだ第一作「木乃伊(ミイラ)の恋」 (原作・円地文子『二世の縁拾遺』 脚本・田中陽造 監督・鈴木清順)を思い出された方は→2008年10月19日附の僕のブログ『「入定の執念」と「木乃伊(ミイラ)の恋」』など、御笑覧あれ。 ]

夜のプレゼント

さても夜にはささやかなプレゼントを用意したよ、君に――

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 石蓴(ワカメ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「石蓴」(ワカメ)を追加した。

暗夜行進 尾形亀之助

 自分があてもなく夜の路を歩いてゐるのであつてみれば、街がどんなに広くともどうにもしかたがなかつた。力を入れてゐるのは歩いてゐる足なのかそれとも心のどこかであつたのか、いつの間にか「自分がかうして歩いてゐて踏切のやうなところへ出てそこで死んでしまふ」ことになつてゐるのだつた。
 自分がもう小便をやりたくないのはどこかでしてしまつたのだつたらうか。どうしてこんなことになつたのか、とき折り立ちどまつてはみるものゝ、家の近くまで帰つてきて小便をしに入つた露地から何処までもきりもなくつゞいてゐるのだつた。

(門第6輯 昭和4年11月発行)

老婆 イワン・ツルゲーネフ

 老婆

 私はただひとり曠い野原を歩いてゐた。
 すると、ふと私のうしろに輕やかな、愼ましやかな、跫音(あしおと)が聞えるのであつた……誰かが私のあとを跟(つ)いて來たのだ。
 ふりかへつて見ると、灰色の襤褸を着た、小さな、腰のまがつた老婆であつた。襤褸の中から老婆の顏ばかりが見えてゐた。
 黄いろな、皴だらけの、鼻の尖つた、齒のない顏。
 私はそばへ近づいた……老婆は立ちどまつた。
 「お前さんは誰だね? 何が欲しいの? お前さん、乞食? 施與(ほどこし)を待つてるの?」
 老婆は答へなかつた。私は老婆の方に身をかがめて見て、眼が兩方とも半透明の白ちやけた薄皮か、或る種の鳥に見られるやうな膜に蔽はれてゐるのに氣がついた。鳥はさうした膜によつて極めて明るい光から眼を庇護(まも)つてゐるのである。けれど、この老婆にあつては、この膜は動かずに、瞳を蔽つてゐるばかりであつた……、そこで、私は彼女が要するに盲目(めくら)なのだと考へた。施與(ほどこし)が欲しいのかね?」と私はもう一度訊いて見た、「お前さん、どうしてあとを跟(つ)いて來るの?」老婆はやはり返事をしなかつた。ただわづかに身を縮めるばかりであつた。
 私は身を返して、さつさと歩き出した。
 するとまた例の輕やかな、規則正しい、忍び足ともいふべき跫音(あしおと)が聞える。
 「またこの死女郎(しめらう)が!」と私は考へた、「何だつて、おれにつきまとひやがるんだ!」しかし、そこでまた私は心の中にすぐに附け加へた、「たぶん眼が見えないので、道に迷ひ、一しよに人里へ出ようと思つて、私の跫音をたよりに、かうして歩いているんだらう、さうだ、てつきりさうだ。」
 けれど妙に不安な氣持が私の心をだんだんと捉へてしまふのであつた。この老婆は、私に跟いて來るばかりでなく、私を指圖し、右に左におしやつて、私は知らず識らずのうちに彼女に従つてゐるのだと考へ出した。
 それでもなほ私は歩きつづける……。しかも、見よ、私の行く手には、何かが黑くひろがつてゐる……穴のやうなものが……。「墓!」といふ言葉が私の頭にひらめいた、「たしかにおれをあそこへ追ひやらうといふのだな!」
 私はさつと振りかへつた。老婆はまたも私とむき合つた。しかも今は眼が見えるのである! 老婆は、大きな、殘忍な、忌まはしい眼で、……鷙鳥(とり)の眼で、私を見てゐる……。私は彼女の顏を、彼女の眼をきつと見た……。するとまた例の曇つた膜、例の盲目(めくら)の、魯鈍な顏つき……。「ああ」と私は考へる、「この老婆は……おれの運命だ。人間には遁れられない運命なんだ!」
 「遁れられない! 遁れられない! 何といふ狂氣の沙汰だ……。それにしても、試してみなければならぬ!」そこで私は、わきの、違つた方へ進んで行つた。
 大いそぎに私は歩いて行く……。けれど私のあとに、近く、近く、またあの輕い跫音がかさかさと聞える……。前にはまた穴が黑く。
 私はまた方向(むき)を變へる……。後にはまた、あの跫音がかさかさと。前には同じ怖ろしい點(ほし)が。追ひつめられてゐる兎のやうに、どんなにもがいても……、やはり同じことだ! 同じことだ。
 「待てよ」と私は考へる、「ひとつ誑(だまか)してやらう! どこへも行くまい!」私はすぐ地べたに坐つてしまふ。
 老婆は私から二歩ほどうしろに立つてゐる。……もうけ跫音は聞えないが、そこに老婆のゐることを感ずる。
 ふと見ると遠くの方に黑く見えてゐた點(ほし)が漂ひながら、私の方へ這つてくる。
 ああ! 私はふりかへる、老婆はじつと私を見てゐる……。齒のない口は、微笑に歪んでゐる。
 「遁れられないんだ!」
   一八七八年二月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・老婆[やぶちゃん注:題名に注記号。]:親友であったピッチは、ツルゲーネフが絶えずこのやうな夢に惱まされたこと、この「老婆」の内容を或る年の夏ベルリンで語つてくれた由を傳へてゐる。[やぶちゃん補注:人物といい、恐怖対象といい、精神医学の教科書に出てくるような典型的な追跡妄想のパターンである。]

□やぶちゃん注
◎黄いろな、皴だらけの、鼻の尖つた、齒のない顏。:この行、冒頭の一字空けがないが、明らかに改行しているので、補った。
◎死女郎:正しくは「しにめろう」と読むようである。女を罵って言う差別語である。
◎「たしかにおれをあそこへ追ひやらうといふのだな!」:底本は「あすこ」。本底本に先行する昭和22(1947)年八雲書店版で補正した。
◎鷙鳥:音読みは「しちょう」で、ワシタカ類等の肉食性の猛禽類や性質の荒い鳥を指す語。

2008/10/12

ブルトン

そのシュールレアリスム生物は一筋繩ではいかない

戦車を空に走らせ、ジェット機を地に這わせる

だから異次元空間に迷い込んだイデ隊員は

断崖絶壁を飛び降り科特隊本部へ生還した

僕も

ちょいと飛び降りることにした――

ガルシン 神西清訳 夢がたり

Всеволод Михайлович Гаршин“То, чего не было”ガルシン作・神西清訳「夢がたり」を「心朽窩 新館」に公開した。オーウェルの「動物農場」(ひいては「ベイブ」)はこの作品の焼き直しではないのかな?

會話 イワン・ツルゲーネフ

 會話

          ユングブラウもフィンステラールホルンも
          未だ嘗て人跡をしるせしことなし!

 アルプスの高嶺(たかね)……ただうち續く峨々たる嶮崖……。山脈(やまなみ)のまつただ中。
 山々の上にひろがる淺緑の、明るい、物いはぬ空。身に沁みわたる嚴しい寒氣。さんらんたる堅雪(かたゆき)。雪をつきぬけて聳える、氷にとざされ、風に吹きさらされた磊々たる岩塊。
 地平線の両端にそば立つ二つの大山塊、二人の巨人、ユングフラウとフィンーステラールホルンと。
 ユングフラウは隣人に向つていふ、「何か新しいことでもあつて? あなたには、わたしよりはよく見えるでせうね。あの、麓には何がありませう?」
 幾千年は過ぎる、瞬く間(ひま)に。すると答へるフィンステラールホルンの轟き、
 「叢雲(くも)が地を蔽うてゐる……。しばらく待て!」
 また幾千年は過ぎる、ただ一瞬にして。
 「さあ、今夜は?」ユングフラウが訊ねる。
 「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまに、水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。それらの周圍には今もなほ、てんたうむしがうごめいてゐる。ほら、あの未だ、君や僕を穢すことのできなかつた二足動物がさ。」
 「それは人間のことなの?」
 「うん、人間だ。」
 何千年かは過ぎてゆく、たちまちにして。
 「さあ、今度は?」ユングフラウが訊ねる。
 「てんたうむしは前より少ししか見えないやうだ。」
 フィンステラールホルンは轟く、「下の下は、はつきりして來た、水はひいて、森はまばらになつた。」
 更にまた何千年かは打ち過ぎる。霎(しば)しの間(ひま)に。
 「あなた、何が見えますの?」ユングフラウがいふ。
 「僕たちの身のまはりは綺麗になつたやうだ。」フィンステラールホルンが答へる、「けれどあの遠く谿間にはやはり斑點(しみ)がある、そして何だか動いてゐるよ。」
 「さあ、今度は?」と、また幾千年かがたちまちにして過ぎ去ると、ユングフラウが訊ねる。
 「今度はいいぞ、」フィンステラールホルンが答へる、「どこもかしこも、さつぱりして來た、どこを見ても眞白だ……、ここもかしこもこの雪だ、一面に、それにこの氷だ……何もかも凍つてしまつた、今はいい、ひつそりしてゐて。」
 「いいわね、」ユングフラウがいひ出した、「ところで、おぢいさん、あんたとずゐぶんお喋りをしましたね。もう一寢入りする時分です。」
 「さうぢやな。」
 大きな山々は眠つてゐる、緑いろの、澄みわたつた空も、永遠におし默つた大地のうへに眠つてゐる。
   一八七八年二月

□やぶちゃん注
◎ユングフラウ:スイスのベルン州ベルナー・オーバーラント地方にあるアルプス山脈の高峰(ユングフラウ山地の最高峰)。4,158m。ドイツ語“Jungfrau”は、 「乙女」「処女」の意である。初登頂は1811年に成されている。
◎フィンステラールホルン:Finsteraarhornはユングフラウと同じくスイスのベルン州ベルナー・オーバーラント地方の最高峰。4,274m。アルプス山脈で3番目のピーク。公式な初登頂記録は1829年。ドイツ語の“Finster”は、「暗黒の」「不機嫌な」「不気味な・はっきりしない」という意。詩冒頭のエピグラフはそれ以前の誰かの謂いであるか、若しくはどちらもたかだか67~50年程前までは未踏峰であった事実を踏まえての、この詩全体が太古の時間を幻視しているツルゲーネフ自身の思いの現われであることの表明なのかもしれない。
◎嶮崖:「けんがい」と読むが、中山氏は単に「がけ」と読ませたいのかも知れない。険しく切り立った崖(がけ)のこと。
◎さんらん:「燦爛」。鮮やかに輝くさま。
◎磊々たる:「磊々(らいらい)たる」と読む。多くの石ころが積み重なっているさま。
◎「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまに、水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。……」:この部分、先行する昭和22(1947)年八雲書店版では「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまと。水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。……」となっている。私は同格で並列される語句のバランス及び和文脈の自然さから見て、ここは先行する「こまごまと。」で句点で終止するのがよいと思う。

2008/10/11

スギ

とんでもなく忙しかった妻に無理矢理に頼み込んで、修学旅行の帰りの公設市場から買ってきてもらった天然もののスギを食す。

スズキ目スズキ亜目スギ科スギ属 スギ Rachycentron Canadum (Linnaeus)

いゃー! この「須義」が、うまいんだ! 魚体はコバンザメみたいな感じで、捌いてもらうのに妻は引いたと言う(勿論、コバンザメみたいな吸着器官はない。全くの別種だからね)。以前は「トロカンパチ」とか「クロカンパチ」という売れ筋呼称で呼ばれていたが、堂々と「スギ」で行こうじゃないか! 今回は満を持して、天然藻塩、限定醸造有機薄口醤油と天然山葵、特製カルパッチョ・ソースの三種で試してみたが、即、これは決定(けつじょう)! スギはやっぱり薄口醤油に山葵に限る! そうして嬉しいことに持ちがいい(というより僕の経験では少し日が経てアミノ酸変異が起こったころが、真面目にうまい!)。更に同じく妻の買って来た島唐辛子と、夕方買いこんだ古酒(クース)の泡盛で2ボトル分の超々二乗辛口の真っ赤なやぶちゃんオリジナルのコーレグースを生成、居間のプレーヤーの上にて熟成させる。二週間後が楽しみだわい! いや、文句なしに至福である――

ノンマルト

僕らはここに平和に生きて来た

僕らはここに昔から生きて来た

だが自慢も卑下もする気はない

何故? それこそ僕らの自然な

「生」そのものだったからさ――

その「自然」を踏みにじる者たち――

 

  少年の立ちつくしや陽に熱き 唯至

星野之宣 宗像教授異考録 第七集・第八集

小学館刊の星野之宣氏の「宗像教授異考録」第七集(2008年3月)及び第八集(2008年9月)を読む。兼ねてより、SFをテーゼとする星野氏の系列の中では、読んで「してやったり!」という気分が起こりにくい(「ヤマタイカ」や「2001夜物語」、『幼女伝説シリーズ』に僕が感じるようには)、熊楠の面影を湛える伝奇(ただくす)教授にも「鉄」の民俗学にも大いに惹かれながら、どこかでやや食い足りない、と感じてきたこのシリーズなのであるが、第八巻の、「鉄」シリーズからは傍流と言える一篇「廃線」を、通勤の電車の中で読み乍ら、「プルートゥ」の「ノース2号の巻」以来、久しぶりに涙腺が緩んでしまって、思わず落涙した。一読、手塚治虫先生の「カノン」を想起したが、あれにはある種の悲惨なネガティヴな生臭さが読後に付きまとうのに対し、この「廃線」は読み終えて後、いかにも爽やかだった。北の冷えた、しかもツンとしながら懐かしい青臭い叢の匂いが漂ってくる。古河市等に残るよく知られた近代民話としての「ニセ汽車」が、なんと美しく登場することだろう! キタキツネ・廃線・汽車という伏線に気づかなかった迂闊な自分がそこにいた。いや、気づかなかったからこそ「ニセ汽車か!」と思わず東海道線の中でつぶやいて、「やられた!」と心地よく思うことがも出来たのであった。

如何にも確信犯的な「アッシャー家の崩壊」の、文字通りの「ブラック」・パロディの「九呂古志家の崩壊」も最後まで飽きさせない美事な展開である。エンディングでお定まりの教授による薀蓄の謎解きがなされているうちに火の手が九呂古志家に回ってしまい、去来(さき)と月岡を救い出すことが出来なくなるというのは、いささか往年のご都合主義のテレビ・ドラマを見るようでもあるが、「アッシャー家の崩壊」を構造的にパロッていることを公然と表明しており、またこの去来(さき)と月岡、当然の如く九呂古志家と共に命運を共にせねばならぬのであってみれば、瑕疵とは言えない。ただ、この壮大にして百足のように海の鼻(半島)に伸びた偏奇な館の崩壊はもう少し書き込んで欲しかったというのが、欲である(ちなみにここにはネタバレしないように、しかし、ある種のヒントが僕の文章には隠してある)。

「第七集」の方では赤ずきんをモチーフとした「赤の記憶」もタブーのスイッチが入ることによって集団そのものが狂気へと走る恐怖を描いて、また最終コマの皮肉な警告が効いている(今気づいたが「青頭巾」もカニバリズムだわい)。

また、思わずニンマリしたのが、第七集最終話の「吉備津の釜」の最後の方に語られる即身仏の執着の話である(これは同話の題にある上田秋成の「吉備津の釜」とは別話である。が、それを二十螺旋構造のように纏め上げるのが星野氏の驚くべき職人技なのである)。僕は3年前にこの原話を「老媼茶話」で読み(星野のこの作品の初出は2007年の『ビッグコミック』の8・9月号とある)、その面白さから、当時の高校二年生の実力テストにこの話の全文を用いてオリジナル問題を作って出題したのだった。テストでありながら何人かの生徒が、「先生、あの骨がばらばらっていっちゃう問題文、面白い話でしたね!」と言ってくれたのが何より嬉しかった――

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 紫菜(アサクサノリ/カワノリ/スイゼンジノリ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「紫菜」(アサクサノリ/カワノリ/スイゼンジノリ)を追加した。海藻は僕の守備範囲では脆弱なので、今回は直の引用が多くなったが、増殖する「智」としては豊穣となったと思う。

巖 イワン・ツルゲーネフ

 巖

 あなたたちは、うららかな春の日の滿潮時(しほどき)に、海邊の年經た灰色の巖に、荒浪が四方八方からうちつけ――うちつけ、戲れ、撫でさすつて――苔むした巖の頭上(うへ)に、こまごまな眞珠を撒き散らすやうに、かがやく泡沫(あわ)を撒き散らすのを見たことがあらうか?
 巖はいつも變らぬ巖ではあるが、――暗灰色おもてには鮮やかな色彩(いろ)ああらはれて來る。
 その色彩(いろ)は溶けてゐた花崗岩(みかげ)がやうやく凝(かた)まりかけたばかりで、紅焰(ほのほ)の色に燃えてゐたあの遠い太古(むかし)を物語る。
 かやうに、私のこの頃の老いた心にも、若い女の心の波があたりからおしよせて來て、そのやはらかな愛撫の手に、私の心はすでに久しく褪せてゐた色彩(いろ)、むかしの火の名殘を浮べて、赤らみかけたのであつた。
 浪は遠ざかつた、……けれど、その色彩(いろ)はまだ褪せなかつた、――烈しい骨を刺すやうな風に乾かせられてはゐるにしても。
   一八七九年五月

2008/10/10

ジャミラ

いや、手遅れなんだ、僕はジャミラだ――

いや、政治的に葬られる前に、僕は復讐する――

いや、僕が復讐しようとする相手が考えることを裏返しながら、僕はそれを食い尽くす――

いや、そうして、お前たちは水に流せばよい、――汚い権力にしがみつき、権力を結果として温存することになる愚劣なお前たち……いや、それだけじゃない! 権力を排除することを至上とし、嘔吐を催させる「民主主義」なるものに凝りかたまったもう一人のお前たちで、さえも……

僕が嫌悪するのは、お前ら、すべてなのだ――

ロシヤ語 イワン・ツルゲーネフ

 ロシヤ語

 疑ひ惑ふ日にも、祖國の運命を思ひ惱む日にも、御身のみがわが杖であり柱であつた。ああ、偉大にして、力強き、眞實にして自由なるロシヤ語よ! 御身がなかつたならば、今、わが國に行はるるあらゆる事どもに面して、どうして絶望に陷らずに居られようか? 然しながら、かかる言葉が偉大なる國民に與へられたものでないとは、到底信じえられぬことである。
   一八八二年六月

本作は、所謂、最初の「散文詩」、“SENILIA”の掉尾を飾る作品である。

2008/10/09

ザラブ

僕の周りはあの狡猾なザラブ星人ばかりになってしまいそうだ――

だから僕はM78星雲に帰ろうと思う――僕のあの故郷へ、帰ろう!

マヤ

そうして……「君」はきっと僕のマゼラン星人マヤなのだ……

これは「ウルトラセブン」を知っている人にしか分からない符牒――

ペガッサ

僕はペガッサ

ここじゃ、もう一人ぼっちの宇宙人

でも、嬉しいことに一人ぼっちなら愛も、いらない

それは

覚悟ならないこともない……あのKの台詞と同んなじ、なんだよ――

ブログアクセス一日平均150

現在、

累計アクセス数: 131619

1日当たりの平均: 150.25

何だかとんでもないことになっている……この数日、毎日200アクセスを遥かに超えて(現役の教え子諸君、お訪ね頂き、ありがとう!)、遂に平均アクセスが150を超えた。毎日、フレーズで訪れる未知の方も、50人を越える。――互いの智を(僕のは「痴」ですが)交感(交換ではありません)し合いましょう! 君の瞳に乾杯!!!

私の樹 イワン・ツルゲーネフ(「私の」に傍点)

 私の

 むかしの大學の友達で、今は富裕な地主の貴族である男から手紙が來た。彼は自分の領地に私を招いたのであつた。

 私は、彼が永いこと病氣で、失明し、中風に罹つて歩くことさへもできないやうになつて居ることを知つてゐた、……私は直ぐに出かけて行つた。

 廣い庭園の或る竝木路で私は彼に逢つた。夏だといふのに、毛皮の外套にくるまつて、瘦せこけて、猫背になつた彼は、眼のうへに緑色の光線除(ひかりよ)けをかけて、小さな手押車に乘つてゐた。華やかな仕著(しきせ)を着た二人の召使が車を押してゐた。

 「この私の承け繼いだ土地(ところ)、私の何千年を經た樹のかげに、あんたはよく來てくれましたね!」と彼は死人のやうな聲でいふのであつた。

 彼のうへには天幕のやうに、幾千年を経た檞の老樹(おいき)が枝をさし擴げてゐた。

 そこで私は考へた、「ああ、何千年を経た巨人よ、聴いてゐるかね? おまへの根もとに蠢いてゐる死にかけた蛆蟲は、おまへを私の樹と呼んでゐる!」

 するうちに、そよ風が重なり合つた巨人の葉のかげを、音爽(さは)やかに馳けぬけて行つた。年老いた檞の樹が、ものやさしい、静かな微笑(ほほゑみ)をもつて、私の情懷(こころ)に――そしてまた病めるものの矜誇(ほこり)に應へたかのやうに思はれた。

   一八八二年十一月

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。本篇は「散文詩」の「拾遺」(遺稿)の掉尾を飾る作品である。]

字体が明朝体なのは何故というメールを頂戴した。毎回読んでいていてくれる人がいることが、心から嬉しい。「散文詩」を打ち込んでいるのがワードの明朝体であり、普段はメモ帳に一度移して張り付けるという作業をしているのであるが、今回は下線が存在し、酔っていたため(即ち面倒だったから)、下線部を落とすのがいやだったからに過ぎない。特に意味はありません。【2008年10月9日PM10:04】

2008/10/08

車に轢かれて イワン・ツルゲーネフ

 車に轢かれて

 「その呻きごゑは何だ?」
 「私は苦しんでゐるのだ、ひどく苦しんでゐるのだ。」
 「小川の水が石にあたつて立てるざわめきを聞いたことがあるかね?」
 「ああ……けどそれが一體どうしたつていふんだ?」
 「そのざわめきと君の呻きごゑが、同じ音だからさ、それだけの話さ。違ふところはただ、小川の水のざわめきは人の耳を樂しませることができるだらうけど、君の呻きごゑは何人の憫れみをもうけやしないだらうつていふんだ。君はその呻きを抑へちやあいけないよ。けど覺えておいで、これはみんな單なる音だ、打ち碎かれた樹の軋む音のやうに、……音……音に過ぎないんだ。」
   一八八二年六月

2008/10/07

NESSUN MAGGIOR DOLORE イワン・ツルゲーネフ 補注追加

◎NESSUN MAGGIOR DOLORE:この題名は実際には“Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria.”と続き、イタリア語で「逆境にあって幸せな時代を思い出すこと程つらいことはない。」といった意味である。シチュエーションは次の注を参照されたいが、昭和62(1987)年集英社刊寿岳文章訳「神曲」の訳では、地獄の苦界の只中にいる彼女がダンテの『フランチェスカよ、あなたの苦患(くげん)は、悲しさと憐れみゆえに、私の涙をひき出す。/だがまず語りたまえ。甘美なためいきの折ふし、何より、どんなきっかけで、定かでない胸の思いを恋とは知れる?』という問いに対する答えの冒頭で、『みじめな境遇に在(あ)って、しあわせの時を想いおこすより悲しきは無し。』と訳される。以下、フランチェスカはパオロ・マルテスタとのなれそめを語る。なお、特にこの台詞について寿岳氏は以下の注を附している。『ダンテは多くの古典をふまえてこれらの言葉を書いたと考えられるが、ポエティウス(四八〇-五二四)の『哲学の慰め』二の四、三-六行とのかかわりは最も深い。』
◎中山氏の註にある「神曲」中の「フランチェスカ・ダ・リミエ」(「エ」はママ。)について、寿岳文章訳「神曲」の脚注を引用しておく。ダンテがヴィルジリオに『つねに離れず、頬よせて、いともかろがろと風を御するかに見える、あの二人とこそ語りたい。』の「二人」に附された注である。『フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マルテスタ。北イタリアのラヴェンナ城主グイド・ミノーレ・ポレンタの娘フランチェスカは隣国の城主で狂暴かつ醜男ジャンチオット・マラテスタと一二七五年頃政略結婚させられた。初めジャンチオットは結婚の不成立をおそれ、眉目秀麗の弟パオロを身代わりに立てたが、婚後事実を知ったフランチェスカのパオロに対する恋情はいよいよつのり、フランチェスカにはジャンチオットとの間にできた九歳の娘が、そしてパオロにも二人の息子があったにもかかわらず、一二八五年頃のある日、ジャンチオットの不在を見すまして密会していたところ、不意に帰宅したジャンチオットにより、二人は殺された。フランチェスカはダンテがラヴェンナで客となっていたグイド・ノヴェロの伯母なので、特に親近の感が強かったに違いない。(後略)』。

NESSUN MAGGIOR DOLORE イワン・ツルゲーネフ

 NESSUN MAGGIOR DOLORE

 碧の空、柔毛(にこげ)のやうに輕い雲、花の芬香(にほひ)、若人の妙(たへ)なる聲音(こわね)、偉大なる藝術作品の輝かしい美、麗しい女(をんな)の顏に浮ぶ幸福の微笑と魅するばかりの雙の眸、……何のために、何のためにこれらのものはあるのであらう?
 二時間おきに忌まはしい、效能(ききめ)のない藥の一匙――いま要るものは、いま要るものは、ただそれだけだ。
   一八八二年六月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・NESSUN MAGGIOR DOLORE:「これにまさる惱みはあらじ。」ダンテ「神曲」地獄篇、第五歌一二一行以下、ダンテが地獄の第二圏に至つて、フランチェスカ・ダ・リミエに逢ふ條に出てゐる句。この詩は最初「嗟嘆」(STOSZSEUFZER)と題されてゐた。

□やぶちゃん注
◎NESSUN MAGGIOR DOLORE:この題名は実際には“Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria.”と続き、イタリア語で「逆境にあって幸せな時代を思い出すこと程つらいことはない。」という意味である。
◎中山氏の註にある“STOSZSEUFZER”であるが、これはドイツ語で、正しくはエスツェットを用いて“Stoßseufzer”(シュトース・ゾイフツァ)と綴る。「深いため息」「危急の際の短い祈り」という意味である。

2008/10/06

バルンガ

僕はバルンガ

本来の食物に

気づいたのだ

呪詛 イワン・ツルゲーネフ

 呪詛

 私はバイロンの「マンフレッド」を讀んでゐた……。マンフレッドの殺害された女の怨靈があらはれて、彼に奇怪きはまる呪詛の言葉を述べる場面に到つて、私はおのづからなる戰慄を覺えてゐた。
 あの、記憶してもおられることであらう、「これから眠れぬ夜々が來ればよい、御身(おんみ)の邪惡な魂が、眼に見えず執拗につきまとふ妾を感じ、魂そのものが御身自身の冥府ともなるやうに」
 さて、私には別のことが胸に浮んだのである。……あるとき、ロシヤにゐた時分に、私は父と子、二人の農夫の酷い爭ひを目撃したことがあつた。
 つひに息子は父に忍ぶべからざる罵言をあびせかけた。
 すると老母が「呪つてやんなさい、ワシリーヰッチ、呪つて、不孝者めを!」と叫んだ。
 「まあ、いいさ、ペトローヴナ、」老父がかすかな聲で應へて大きく十字を切つた。
 「母親の眼の前で父親の白くなつた髯に唾をかけるやうな息子が、こいつにも出來るんだ!」
 この呪ひの言葉は私には「マンフレッド」の呪詛よりも怖ろしかつた。
 息子は何か言ひかかつてゐた、が、よろめいて顏を眞蒼にしたかと思ふと、出て行つてしまつた。
   一八七八年二月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・この詩は最初「マンフレッド」と題されてゐた。

昨日の今日だ。補注はいるまい。但し、こちらは遺稿の「一八七八年二月」、あちらは「一八八二年十一月」――正直言えば、この「カラマーゾフの兄弟」のワン・シーンのような芬々たるロシア的教訓臭さより、死を覚悟したツルゲーネフの「拾遺」篇の昨日の「幼な兒の泣くこゑ」の悲泣一聲の方が、全く以て、僕は好きなのである。

幼な兒の泣くこゑ イワン・ツルゲーネフ

 幼な兒の泣くこゑ

 その頃はスヰスに暮らしてゐた。私は餘りにも若く、餘りにも氣儘に餘りにも孤獨であつた。朝夕は重苦しく、怏々として慰むことなく、何もしないうちから退屈し、やるせない心になつて、いらいらしてゐるばかりであつた。この世のなかのあらゆるものが、何の役にもたたない、はかないものに思はれた、……さうして、若いものにはよくあることながら、私も秘そかに惡意をもつて、一つの考へに執着してゐた……それは自殺をねがふ心であつた。「見てをれ、……復讐をしてやる……」と私は考へた。けれど何を見てをれといふのか、何に復讐するのか? 私にもわからないことであつた。ただ私の軀のうちに、血が、樽に密閉された葡萄酒のさうに沸き立つてゐただけであつた、……この酒は外に出してやらねばならぬ、それを壓へつけてゐる樽をうち割るべき時である……といふ風に考へられた……。バイロンが私の神であつた。マンフレッドが私の英雄であつた。
 ある晩のこと、私はマンフレッドのやうに、あの氷河のはるか上の方の、人里遠く離れた山の巓(いただき)に出かけて行かうと決心した。そこには草も木もない、ただ生氣のない巖石が累々としてゐる。物音はすこしも聞えない、瀧の音さへも耳には入らない!
 一體そこで何をするつもりだつたのか、……自分にもわからない、……おそらくは息を引き取るつもりででもあつたらう……
 私は出かけて行つた……
 私は永いこと歩いた。初めは大きな道を、次には小徑(こみち)を、いよいよ高く登つて行つた、――最後の小舍や木立が見えなくなつてからもう大分經つた、……あたりはただ石ばかりになつた。間近な雪のはげしい冷氣が吹きよせてくる。けれど雪はまだ見えぬ。――眞黑な塊をなして夜の影がどこからともなしに押し寄せてくる。
 つひに私は立ちどまつた。
 何といふ怖ろしい靜寂だ!
 これが死の王國だ。
 此処處では極度の悲哀と幻滅と輕蔑の念をいだいた、生きた人間といへば、私一人だけなのだ……。私は浮世を逃れ、生きてゆくことを欲(ねが)はない、ただ一人の生きた意識のある人間なのだ。不思議な恐怖が私を凍らせてしまつた。けれど、私は自分を偉大な人間のやうに想像して見た!
 マンフレッドのやうな――それで充分だ!
 一人だ! 私は一人だ! と繰り返した。
 死というものに顏をつき合はしてゐるただ一人の人間だ。もはや最後の時ではないのか?
さうだ……最後の時だ。さらば、はかない世界よ。私はおまへを蹴飛ばさう。
 すると丁度その瞬間に、急に私の耳に奇しげな、なかなか合點のゆかない、しかも確かに生きた、……人間の聲が忍び込んで來た、……私は驚いて、耳をすました、……その聲は繰返して聞えて來た、……さうだ、……これは……これは子供の聲だ、赤兒の泣きごゑだ、……遠く、太古の昔から、浮世を離れてゐたやうに思はれてゐたこの人里離れた荒涼たる峯の上に子供の泣きごゑ!……
 驚愕は俄かに他の感情と入れ替つた。それは息もつまるばかりの歡喜の情であつた! この叫びごゑを、弱々しい哀れな、しかも私に救ひを齎す泣きごゑをたよりに、私は足の趨くままに驀地(まつしぐら)に馳けて行つた!
 間もなく私の行手に、ちらちらと小さな灯影が耀き出した。私はなほも足を早めて、――やがてひしやげた小舍を見つけ出した。石を積み重ねて、屋根に板をのせた……このやうな小舍はアルプスの牧人(まきびと)たちの、しばしの身の置きどころとなつてゐる。
 私は半ば開いてゐる扉を推して、おづおづと小舍に入つて行つた、まるで死が私の後にのしかかつて來てでもゐるかのやうに。
 木椅子(ベンチ)に腰をおろして、若い女が子供に乳をくれてゐた、夫らしい牧人(まきびと)が竝んで坐つてゐた。ふたりはさつと私を見つめる。けれど、私は何ひとつ言ふこともできず、……ただ微笑み、頭えを振つてゐるばかりであつた……。
 バイロンよ、マンフレッドよ、自殺の夢よ、私の自衿(ほこり)よ、私の威勢(ちから)よ、おまへたちは何處へ行つてしまつたのか!……
 こどもは泣きつづけてゐた、……私はその子を、その母親を、その夫(つま)を祝福した。
 ああ、今の今、この世に生れたばかりの人の子の、もえつくやうな泣きごゑよ、おまへは私を救つてくれたのだ! 私を癒(いや)してくれたのだ。
   一八八二年十一月

□やぶちゃん注
◎「マンフレッド」“Manfred”はイギリスのロマン主義詩人バイロンGeorge Gordon Byronが1817年に書いた同名の長大な劇詩の主人公の青年の名。マンフレッドはかつて恋人を死に追いやってしまった罪の記憶を抱えて悩む。神霊と交感する能力を会得している彼は精霊を呼び出し、その記憶の「忘却」を求めるが、精霊は不可能と答える。「会得」は自在であっても「喪失」は思うままにならないことを知った彼は、このツルゲーネフの詩のように、「喪失」の最上の形態としての「死」に立ち向かうため、アルプスの山中を彷徨い続けた末、遂にその恋人の霊と再会を果たし、許しを乞うと共に自らも息絶えるのであった。なお、「拾遺」の三番目にある「呪詛」は、当初「マンフレッド」という題であった。参照されたい。
◎趨くままに:「趨(おもむ)くままに」と読む。
◎驀地に:音は「ばくち」で形容動詞ナリ活用。急に起こるさま、まっしぐらに進むさま、一気に突き進むことを言う。

2008/10/05

BO BARTLETT

最近は自分のHPの構築に忙しく、とんとネット・サーフィンをしていなかった。今日は久しぶりに知人がブログで紹介していたアメリカの画家

BO BARTLETTのHPを訪れてみる――

Bo Bartlett (ボー・バートレット)
1955年ジョージア州 (Georgia GA) のコロンバス(Columbus) 生まれの realist painter。
現在はワシントン州 (Washington) のヴァション島 (Vashon Island) で創作活動をしている。(この事蹟は個人ブログtraveling with the ghostより引用)

この人の“Water Series”――なかなか、いい……同シリーズではないが、トップにも用いている“Sleeper Awake”という作品の少女の視線には魅せられた……この絵、正直、欲しい!

上記のブログの方も作品を掲げているので、著作権がちと気になるが、該当の“Sleeper Awake”ページ中のクレジットを附して掲げたい――それほどこの少女に惹かれた僕である――

Sleeper Awake
2003
Medium: oil on linen
Dimensions: 40 x 84 inches
Price: Private Collection

Copyright © 2000-2007 Bo Bartlett

Sleeper_2

「藪の中」殺人事件公判記録』改訂

9月20日に、8回目の授業を経て、芥川龍之介「藪の中」オリジナル授業案『「藪の中」殺人事件公判記録』を改訂したことをブログで落としていたのでここに追加しておく。

鷓鴣 イワン・ツルゲーネフ

 鷓鴣

 恢復の望みのない、永わづらひに疲れはてた私は、床についてゐて、考へた。これな何の報いなのか? 何の因果で私は、この私は、こんな罪(とがめ)をうけるのか? たしかに間違つてゐる、間違つてゐる!
 稚い――二十羽ほどの――鷓鴣の一族が、刈株の茂みのなかに群がつてゐた。彼らは互ひに身を寄せ合ひ、幸福さうに、柔らかい土の中を掻きあさつてゐる。俄かに犬が彼らを驚かす。彼らは一せいに飛び立つ。鐵砲の彈丸(たま)が飛んで來て翼を射たれ、すつかり傷ついた一羽の鷓鴣は堕ちる。苦しいながらも足を曳きずつて、苦蓬(にがよもぎ)のしげみに身をかくす。
 犬が探し廻つてゐる間に、この不幸な鷓鴣も、きつとかう思ふであらう、「わたしのやうな鷓鴣が二十羽ゐた、……けれど、なぜこの私だけが、鐵砲に射墜(いおと)されて、死ななければならないのか? 何の報いで、ほかのきやうだいたちの前で、私はこんな憂き目を見るのか? いやいや、間違つてゐる。」
 病める者よ、死の手がお前を探し出さないうちは、横になつてゐるがよい。
   一八八二年六月

2008/10/04

13000アクセス記念テクスト ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・メーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)

ブログ130000アクセス記念として、Иван Сергеевич Тургенев“Касьян с Красивой мечи”ツルゲーネフ作・中山省三郎訳「クラシーワヤ・カーチャのカシヤン」(「猟人日記」より)を正字正仮名で「心朽窩 新館」に公開した。

この作品は近づいてくる野辺の送りの悲泣の声々、そして焼き切れる車軸の臭いに始まって、佯狂の聖者カシアンと主人公が辿りながら語る、あのマグリットの「署名された白紙」のような不思議な感覚の中での森の匂いが、僕には確かに分かるのだ、その立ち込める森の「気」が――そうして無垢なるアンヌゥシカの若々しい素肌の匂いが、その笑顔とともに流れて来る、採れたての何とも言いようのないあの茸の香りと一緒に。エンディングは夕暮れの大気の匂い、そして再びしかし今度は生木の焼けた軸の独特の臭いで閉じられるのである――

カシヤンは「あかい花」の生を賭して世界を守った主人公であり、はたまたゴーリキーの「どん底」の巡礼ルカであり、そうしてまた、フェリーニの「道」のリチャード・ベースハート扮する『キ印』にも、黒澤の「デルス:ウザーラ」のデルスにもなり、遂にはタルコフスキイの「ストーカー」の主人公に、「ノスタルジア」のドメニコに、最後に「サクリファイス」のアレクサンデルにも蘇ったのである――

それは永遠に再生し我等を救うための奇蹟の精神、ロシア生まれのイエス・キリストである――このロシアの深奥な森、それに負けぬロシアの人々の心の、その精神の底知れぬ神秘的な奥深さを、僕は驚懼の内にも、感じずにはいられないのである――

彼を誰に演じさせるか? これを演じ切れる役者を僕はたった一人しか知らない。アレクセイ・パターロフ監督によるゴーゴリの「外套」で主人公パシュマーチンを、タルコフスキイの「アンドレイ・ルブリョフ」で重要な役どころの旅芸人を演じたРолан Быков(Rolan Bykov ロラン・ブイコフ)その人以外には僕は考えられない(1998年に既に亡くなっていることを上記サイトで知った。心より哀悼の意を表したい。このページが文字化けする場合はエンコードでキリル言語(Windows)を選択されたい)――いや、彼で「クラシーワヤ・メーチャのカシヤン」を撮ったら……と考えた時、僕には確かにその1シーン、1シーンのロランの演技が表情が、既に撮られたもののように「見える」のである――

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 櫻苔(サクラノリ/マツノリ)

130000アクセス判明の直前に作業して、寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「櫻苔」(サクラノリ/マツノリ)を追加した。勿論、こんなしょぼいものが記念テクストでは、ありません!

130000アクセス

ついさっき

2008/10/04 13:19:56   僕の見た三丁目の夕日: トップページ

をご覧になったあなたが、2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来、記念すべき130000アクセスの方です! 末永くお付き合いの程! あなたに幸(さち)あらんことを! これで気持ちよく、アクセス記念テキストの公開作業に入れます! 本当にありがとう!

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 龍鬚菜(シラモ/コナハダ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「龍鬚菜」(シラモ/コナハダ)を追加した。高校生諸君、ね、僕はヘンなことをしているだろ?

眞理と眞實 イワン・ツルゲーネフ

 眞理と眞實

 「なぜ、あなたは靈魂不滅といふことをそんなに尊重するんですか。」と私は訊いた。
 「何故ですつて? さうすれば、永遠の疑ふべからざる眞理をつかむことができるからです。……それに、私の考へではここに最高の幸福があるといふわけです!」
 「眞理を把握するといふことにですか?」
 「勿論、さうです」
 「失禮ですが、あんたはこんな場面を想像することができますか? 數人の若者たちが集まつて互ひに議論をしてゐる、……そこへふいと一人の仲間が入つて來る、ただごとならぬ眼つきをして、感激のあまり息もつまりさうで、口もきけない位である。『どうしたんだ? どうしたんだ?』『いや、諸君、聞いてくれたまへ、おれはすばらしい眞理を發見したのだ! 投射角は反射角に等しい。それからまだある、二點間の最短距離は直線だ!』『ほんとかい! ああ、何ていふ幸福なこつた!』と若者たちは異口同音に叫ぶ。感激のあまり互ひに抱擁す合ふ! といふやうな場面をです。あなたにさういふ場面は想像できないでせうね。あなたは笑つてらつしやる……だが無理もない話です。たしかに、眞理は幸福を授けることはできない、……與へるのは眞實といふものです。幸運といふものは人間の、この地上のことですからね、……私は眞實のためには死をもいとひません。眞實のうへにこそ全生活が築かれてゐるのです、しかしどうしたら『それを把握する』ことができるのでせうか。それにまだどうしてここに幸福を見出したらいいのでせうか。』
   一八八二年六月

想定外130000アクセス目前

予想外の特殊な検索ワード/フレーズの組み合わせで僕のブログにアクセスしてきた現役の教え子がいた。そのことを昨日授業で語ってしまった関係上、僕のHPとブログの存在を授業中に教えたため、アクセス数が急激に増えてしまった(申し添えておくと、これは全くの偶々で殊更に切り番に近づきたかった訳ではない)。そのため想像していた以上に早く、恐らく本日の午後、130000アクセスに到達予定である。夕刻からは外の仕事があるので、すっきりと早めに来てくれると、すんなり記念テクストも公開できるのだが……。

2008/10/03

愛 イワン・ツルゲーネフ

 愛

 すべての人はいふ――愛は最も神聖な、最も高邁な感情であると。爾(おんみ)の「自我」のうちに他の「自我」が入りこむ。爾(おんみ)は擴がり、毀(やぶ)れる。爾(おんみ)の肉は今は遠くへ去つてゐる。爾(おんみ)の「自我」は殺されてゐる。しかも、血と肉をもてる人間が、このやうな死にさへも心をかき亂される。復活するのは不滅の神々ばかりである。
   一八八一年六月

2008/10/02

寺島良安 和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類 十六島苔(ウルップイノリ/アマノリ)

寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草類 藻類 苔類」に「十六島苔」(ウルップイノリ/アマノリ)を追加した。

が……厳密にはアマノリ類の分類学的考察をおろそかにした感がある。後日に、追加する予定である。

愛への道 イワン・ツルゲーネフ

 愛への道

 あらゆる感情は愛に、情熱に歸することができる。嫌惡も、憐憫も、冷情、尊敬の念も、友情も、恐怖も、――また憎惡すらも。さうだ、あらゆる感情が……けれどもただ一つの例外がある。即ち感謝の念である。
 感謝は負債(おひめ)である。すべての人は自身の負債(おひめ)を返す、……しかも、愛は――金ではない。
   一八八一年六月

実は、僕にはこのアフォリズムの総体の意味(ツルゲーネフがイワンとした、じゃあなかった謂わんとした意味が。特に後段で)良く飲み込めない。彼は「感謝」を絶対的に侮蔑しているのであろうか? 誰か教えてくれないか、君の解釈を……

実行行為

未必の故意ではない。故意である。それは確信犯である。これは僕のことである。

ナイチンゲール語自動翻訳機

サヨナキドリ(小夜啼鳥)

Luscinia megarhynchos

ロシア語で“Соловьев”

ナイチンゲールNightingaleのこと。これを調べていて(これは僕の130000アクセス記念テクストのヒントである)、面白いサイトを発見した。

Nightingale songs

ウィンドウに任意の文字列を打ち込むと、それをナイチンゲール語(!)に翻訳して、聞かせてくれる。その音声のダウンロードも可能だ。学名を打ち込んだら、とっても嬉しそうにナイチンゲールが囀る! 因みに日本語で打ち込んでもしっかり翻訳してくれるよ!!!

ヒラニア・ガルパ?

君も僕も生ぬるい人生に生きたいとは思わない。しかし生ぬるい人生に生きるのが最も生き易い。その生き方は不断に自己否定されるにしても、自己否定すべきお洒落な自己さえ持たぬ我々は格好をつけるのも馬鹿げている。なればこそ、不断に他者も自己も裏切ればよい――僕らは――神を持たぬ我らは、永遠に罰せられることはないが故に――君も僕も自身を裏切れば、それでよい――ヒラニア・ガルパ? いや開きの「ガルパ」という淡水魚の一種(きっとそれは体内に侵入するアマゾンの殺人魚カンジールの仲間に違いない)であるというのが、テッテ的に正しい表現だ……

2008/10/01

累計アクセス数129007

今朝、2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来、129000を越えた、近日中に130000アクセスに到達する。記念テクストは準備してある。ツルゲーネフ「猟人日記」の一篇だが、今回は本文校正も終了している。さて、どの一篇か? それは「ホーリとカリーヌイチ」に勝るとも劣らない、僕には殊の外、作中、心惹かれる「陽光(ひざし)」の物語、「人」の語りの物語なのである……。

ひとりでゐると…… イワン・ツルゲーネフ

ひとりでゐると……

    分身

 ひとりでゐると、永いこと全くひとりでゐると、急に誰かもうー人ほかの人間が同じ部屋にゐて、竝んで坐つてゐるやうな、または背後(うしろ)に佇(た)つてゐるやうな氣がして來る。
 ふり向いたり、或は不意にゐる氣はひのするあたりへ眼を遣つても誰も眼につかふ筈がない。そこで人が身近にゐるといふ感じは消えてしまふ……、けれどしばらくするとまた還つてくる。
 時をり私は兩手で頭を押さへながら、その人間のことを考へて見る。
 抑々何人(なんびと)であらう? 何者であらう?……彼はわたしに無縁のものではない、……彼は私を知つてゐる、……私も彼を知つてゐる、……彼は私と血を分けたもののやうである、……しかも兩人(ふたり)の間には深淵が横たはつて居る。
 私は彼から物音や言葉を期待してゐない、……彼は口をきくことも、動くこともできない、……しかもなほ彼はわたしに語る、……何かしらぼんやりした、わけのわからないこと、……わかつてゐることを語る。彼は私の秘密をすつかり知つてゐる。
 私は決して怖れはしない、……が、一緒に居るのは不安であり、また私の心の奥まで見拔いて居るやうな人間を有(も)つてゐたくはない、……それにしても私に全く縁のない獨立した存在であるとは考へられない。お前は私の分身ではないか? 私の過去の自我ではないか? たしかにそれに相違ない、私のよく識つてゐる過去の自分と――今の自分との間には、こんな深淵が横たはつてゐるのか?
彼はわたしの命令によつてやつて來るのではない、自分で勝手にやつて來らしい。
 厭はしい獨り居の佗しさに包まれてゐるのは、兄弟よ、お前にも私にも決して愉しいことではない。
 しかし、待つてゐるがいい、……私が死んだなら、過去の私よ、今の私よ――私たちは一しよにならう。さうして永遠に歸らぬ幽魂(たましひ)の世界に向つてひたすらに歩みを運んで行かう。
   一八七九年十一月

[やぶちゃん注:本誌はサブタイトルを持つが、これは本篇の「この世の終末(おはり)」に「夢」のサブタイトルが附く以外には見られない形式で、もしかすると複数の他篇が「ひとりでゐると……」のタイトルのもとに存在した可能性を窺わせる。なお、第六段目末尾の「私の過去の自我ではないか?」は、私の底本では「ないか」の部分が「か」の植字からかすれて、以下は句読点も記号も見えない。前後の中山氏の訳の表現法から判断して「?」を配した。]

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