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2008/10/23

閾 イワン・ツルゲーネフ

 閾

      夢

 私は巨きな建物を見る。
 前の壁には、狹い扉が開け放してある。なかには陰氣な靄がこめてゐる。高い閾の前には娘が立つてゐる……。ロシヤの娘。
 さきも見えぬ靄は嚴しい寒さを感じさせ、凍みつくやうな寒い空氣の流れとともに、建物の奥からは、ゆるやかな、幽かなこゑが聞えて來る。
 「ああ、おまへ、どうしてこの閾を跨がうとしてゐるの、何がおまへを待ちうけてゐるか、知つてゐるのかい?」
 「知つてますよ。」と娘は答へる。
 「寒さ、饑ゑ、憎しみ、嘲笑(あざわら)ひ、嫌惡、辱しめ、牢獄、病患(わづらひ)、死そのもの?」
 「知つてますよ。」
 「遠離、全くの孤獨が?」
 「よく知つてますの。心を決めてゐますの。わたしはどんな打撃もみんな忍びますわ。」
「敵からばかりでなく、肉身からも、友だちからも離れる?」
 「ええ、みんなから。」
 「よろしい。犠牲にならうとしてゐるんだね。」
 「さうです。」
 「何の名もない犠牲にか? おまへは滅びるんだよ、――滅んだら最後、誰一人として、何者の記念として崇めたらよいのか知りもしないだらう。」
 「私に感謝だの、憐れみだのつて要りませんわ、私には名も要らないんです。」
 「おまへは罪を犯さうとしてゐるのかね?」
 娘はうなづいた、――「罪をも覺悟してゐますの。」
 もう彼の聲は直ぐに新しい問ひを發することができなかつた。
 「おまへは知つてるのかね、」と彼はたうとう言ひ出した、「いま信じてゐるものを、信じないやうになる時があること、おまへが瞞されて、若い日をつまらなく過ごしてしまつたことを悟れる時の來ることを。」
 「それは知つてますの、わたしはそれでもやつぱり入りたいんです。」
 「入るがいい。」
 娘は閾を跨いで行つた、――すると後から重たい幕が下りた。
 「腑抜け奴(め)!」と誰かが後で齒ぎしりした。
 「聖女だ!」どこからか應答(こたへ)が聞えて來た。
   一八七八年五月

■訳者中山省三郎氏による「註」
・閾:この詩は多くの刊本に加へられなかつた。この詩には直接にはヴェーラ・ザスーリッチの訴訟事件、間接には一八七七年に起つたさまざまな政治犯事件に、女性がかなり活撥な役割を演じた事などがモチーフをなしてゐるのである。この詩は作者によつて一八八二年の夏、「ヨーロッパ報知」の編輯者たるスタシュレーヰッチに送られたが、後に作者の再三の要請によつて、省略されたのであつた。然るに、ツルゲーネフの死後いくばくもない一八八三年九月二十五日に急進黨たる「人民の意志」派によつて、宣言書と共に秘密に出版され、翌々二十八日、彼の埋葬の日に撒布された。やがて、ロシヤにおいて合法的に發表されたのは一九〇五年のことであつた。

□やぶちゃん注
◎1958年岩波文庫刊の神西清・池田 健太郎訳「散文詩」の当該詩の注が、この詩の数奇な運命をより細かに伝えていた。但し、私は当該書を友人に贈与してしまっており、現在所持していない。幸い、以下(http://d.hatena.ne.jp/flagburner/20080718)の個人の方のブログに要約(引用風に囲み罫線があるが、「で、『しきい』の発表過程は、岩波文庫版 P.196 の注によるとこんな感じ。」という枕、記号や「元ネタマ」の用語から見ても引用ではない)があるので、この方のものをそのまま孫引きする(正しくは当該書をお読み頂きたい。なお改行は省略した)。『この一編のモチーフとしては、直接にはいわゆる『ヴェーラ・ザスーリチ事件』(彼女は一八五一年生まれの女革命家で、警視総監トレホフがある政治犯に咎刑を加えたのを憤って一八七八年一月、彼を射撃負傷せしめ、同三月の陪審裁判の結果、無罪となった--)、間接には七七年に起こった種々の政治犯事件に女性の参加が顕著であった事実などであろうと推定される。したがってこの一編が公に発表されるまでには長い曲折の歴史がある。一八八二年夏ツルゲーネフが、『ヨーロッパ報知』の編集者あてに発送した原稿の中には加わっていたのだが、そののち校正の際に彼は自発的に撤回しようとし、スタシュレーヴィチに向ってたびたび撤回方を要請した末、発表された五十編は、これを除き新たに『処生訓(元ネタママ)』を加えたものであった。超えて八三年九月、すなわち彼の死の直後に、当時の急進派であった『民衆の意思党』は、この詩に宣言書を付して秘密出版し、彼の埋葬の日にペテルブルグに撤布した。この詩がようやく合法的に日の目を見たのは一九〇五年である。なおこの一遍は久しく一八八一年前年の諸作と誤認されていたもので、在来の刊本はいずれもこれをのちの『祈り』の前においている。また上述の数奇な運命を経る前に、これは少なからぬヴァリアントを生じたが、アカデミア版の編者の言葉を借りれば、この訳のテキストとした形が、作者の最後の意思に叶うものと思われる。』なお、この解説が言うところの「誤認」による誤った配置は中山氏版では補正されている。但し、最後の「この訳のテキストとした形」が中山氏が底本としたものと同一であるかどうかは不明であるので、該当書を必ず参照されたい。また、本誌はサブタイトルを持つが、これは本篇の「この世の終末(おはり)」に「夢」のサブタイトルが、「拾遺」の「……ひとりでゐると」に「分身」のサブタイトルが附く以外には見られない形式で、もしかすると複数の他篇が「閾」のタイトルのもとに存在した可能性を窺わせる。

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