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2008/10/06

幼な兒の泣くこゑ イワン・ツルゲーネフ

 幼な兒の泣くこゑ

 その頃はスヰスに暮らしてゐた。私は餘りにも若く、餘りにも氣儘に餘りにも孤獨であつた。朝夕は重苦しく、怏々として慰むことなく、何もしないうちから退屈し、やるせない心になつて、いらいらしてゐるばかりであつた。この世のなかのあらゆるものが、何の役にもたたない、はかないものに思はれた、……さうして、若いものにはよくあることながら、私も秘そかに惡意をもつて、一つの考へに執着してゐた……それは自殺をねがふ心であつた。「見てをれ、……復讐をしてやる……」と私は考へた。けれど何を見てをれといふのか、何に復讐するのか? 私にもわからないことであつた。ただ私の軀のうちに、血が、樽に密閉された葡萄酒のさうに沸き立つてゐただけであつた、……この酒は外に出してやらねばならぬ、それを壓へつけてゐる樽をうち割るべき時である……といふ風に考へられた……。バイロンが私の神であつた。マンフレッドが私の英雄であつた。
 ある晩のこと、私はマンフレッドのやうに、あの氷河のはるか上の方の、人里遠く離れた山の巓(いただき)に出かけて行かうと決心した。そこには草も木もない、ただ生氣のない巖石が累々としてゐる。物音はすこしも聞えない、瀧の音さへも耳には入らない!
 一體そこで何をするつもりだつたのか、……自分にもわからない、……おそらくは息を引き取るつもりででもあつたらう……
 私は出かけて行つた……
 私は永いこと歩いた。初めは大きな道を、次には小徑(こみち)を、いよいよ高く登つて行つた、――最後の小舍や木立が見えなくなつてからもう大分經つた、……あたりはただ石ばかりになつた。間近な雪のはげしい冷氣が吹きよせてくる。けれど雪はまだ見えぬ。――眞黑な塊をなして夜の影がどこからともなしに押し寄せてくる。
 つひに私は立ちどまつた。
 何といふ怖ろしい靜寂だ!
 これが死の王國だ。
 此処處では極度の悲哀と幻滅と輕蔑の念をいだいた、生きた人間といへば、私一人だけなのだ……。私は浮世を逃れ、生きてゆくことを欲(ねが)はない、ただ一人の生きた意識のある人間なのだ。不思議な恐怖が私を凍らせてしまつた。けれど、私は自分を偉大な人間のやうに想像して見た!
 マンフレッドのやうな――それで充分だ!
 一人だ! 私は一人だ! と繰り返した。
 死というものに顏をつき合はしてゐるただ一人の人間だ。もはや最後の時ではないのか?
さうだ……最後の時だ。さらば、はかない世界よ。私はおまへを蹴飛ばさう。
 すると丁度その瞬間に、急に私の耳に奇しげな、なかなか合點のゆかない、しかも確かに生きた、……人間の聲が忍び込んで來た、……私は驚いて、耳をすました、……その聲は繰返して聞えて來た、……さうだ、……これは……これは子供の聲だ、赤兒の泣きごゑだ、……遠く、太古の昔から、浮世を離れてゐたやうに思はれてゐたこの人里離れた荒涼たる峯の上に子供の泣きごゑ!……
 驚愕は俄かに他の感情と入れ替つた。それは息もつまるばかりの歡喜の情であつた! この叫びごゑを、弱々しい哀れな、しかも私に救ひを齎す泣きごゑをたよりに、私は足の趨くままに驀地(まつしぐら)に馳けて行つた!
 間もなく私の行手に、ちらちらと小さな灯影が耀き出した。私はなほも足を早めて、――やがてひしやげた小舍を見つけ出した。石を積み重ねて、屋根に板をのせた……このやうな小舍はアルプスの牧人(まきびと)たちの、しばしの身の置きどころとなつてゐる。
 私は半ば開いてゐる扉を推して、おづおづと小舍に入つて行つた、まるで死が私の後にのしかかつて來てでもゐるかのやうに。
 木椅子(ベンチ)に腰をおろして、若い女が子供に乳をくれてゐた、夫らしい牧人(まきびと)が竝んで坐つてゐた。ふたりはさつと私を見つめる。けれど、私は何ひとつ言ふこともできず、……ただ微笑み、頭えを振つてゐるばかりであつた……。
 バイロンよ、マンフレッドよ、自殺の夢よ、私の自衿(ほこり)よ、私の威勢(ちから)よ、おまへたちは何處へ行つてしまつたのか!……
 こどもは泣きつづけてゐた、……私はその子を、その母親を、その夫(つま)を祝福した。
 ああ、今の今、この世に生れたばかりの人の子の、もえつくやうな泣きごゑよ、おまへは私を救つてくれたのだ! 私を癒(いや)してくれたのだ。
   一八八二年十一月

□やぶちゃん注
◎「マンフレッド」“Manfred”はイギリスのロマン主義詩人バイロンGeorge Gordon Byronが1817年に書いた同名の長大な劇詩の主人公の青年の名。マンフレッドはかつて恋人を死に追いやってしまった罪の記憶を抱えて悩む。神霊と交感する能力を会得している彼は精霊を呼び出し、その記憶の「忘却」を求めるが、精霊は不可能と答える。「会得」は自在であっても「喪失」は思うままにならないことを知った彼は、このツルゲーネフの詩のように、「喪失」の最上の形態としての「死」に立ち向かうため、アルプスの山中を彷徨い続けた末、遂にその恋人の霊と再会を果たし、許しを乞うと共に自らも息絶えるのであった。なお、「拾遺」の三番目にある「呪詛」は、当初「マンフレッド」という題であった。参照されたい。
◎趨くままに:「趨(おもむ)くままに」と読む。
◎驀地に:音は「ばくち」で形容動詞ナリ活用。急に起こるさま、まっしぐらに進むさま、一気に突き進むことを言う。

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