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2008/10/30

黑鶫 イワン・ツルゲーネフ

 黑鶫

 私は寢床に横たはつてゐた。けれど眠れはしなかつた。心の煩ひが、私を責め苛むのである。空合(そらあひ)のさだまらない日に、灰色の丘陵のいただきを絶え間なく、次から次へと這ひめぐつてゆく雨雲のやうに、重苦しい、けうとい思ひが、私の腦裡を徐かに行き過ぎるのであつた。

 ああ、年老いて、心は冷え、頭に霜をいただくやうになつてからでなければできないやうな、やるせない傷ましい戀を私はしてゐたのであつた、……この世の苦しみにも触れずして、心は若さを失ひ、……いや、若くある必要もなければ、若かつたところで仕方もないやうな老年の日の戀を……。

 私の前には、ほの白い斑(ほし)のやうに窓の幻影があらはれてゐた。部屋のなかのありとあらゆる物象(もの)がおぼろげに眼にうつつてゐた。それらのものは、夏の晨朝(あさ)の灰色の薄ら明りにいよいよ靜まりかへつてゐるやうに思はれた。私は時計を見た。三時に十五分前であつた。家の壁のむかうにも深い靜寂が感ぜられた、……さうして露、はてしない露の海。

 この庭の露のなかに、私の窓のすぐ上のあたりには、もう黑鶫がさわがしく聲たかく、誇りかに歌を歌ひ、囀つてゐるのであつた。よく透る聲が、私の部屋に忍び込んで、部屋中に みなぎり、私の耳に、味氣ない不眠と、苦しい心の傷みに悩まされた私の腦裡にみちあふれた。

 その聲は永遠なるものを感じさせ、恆に新鮮なるもの、あくまでも冷靜なるもの、永遠なるものの力を感じさせる。自然それ自身の聲が黑鶫の聲に聞かれるのである。いつ始まつたともない、美しい無意識な聲は、決して終りはしないであらう。

 黑鶫は歌ひ、黑鶫は口ずさぶ、誇りかにこの黑鶫。かれはいつものやうに、あの變ることのない太陽がぢきに輝き出すことをよく識つてゐる。黑鶫の歌には、自分自身のものとては 何ひとつなかつた。千年の昔にこの太陽を喜び迎へた黑鶫は、やがてまた、ともすれば、い ささかの私の死灰が、風のまにまに眼にもとまらず、あのいきいきした聲をあげる黑鶫のか らだをとりかこむかも知れない幾千年の後にも、あの太陽をよろこび迎へることであらう。

 哀れな、魯かしい戀の奴の、ひとりの男、私はお前にいはう、ありがとう、小鳥よ、もの憂い時に、私の窓かげにふと聞えて來たお前の力強い氣ままな歌にお禮をいはう。

 小鳥の歌は私をしづめてはくれなかつた。私もまた、やすらひを求めもしなかつた。けれど、私の眼は涙に濡れてゐた。ゆくりなくも、胸にはしづかな死の辛苦(くるしみ)がうごめき、高まりかかつてゐた。ああ、あのひともまた、若々しく、みづみづしくはないのか、愉しい聲のやうに、夜あけの歌うたひよ!

 今日といはず、明日の日に私を涯ない大洋に運び去る冷たい波が、あたりからおしよせて來てあふれてゐる時に、自分自身を苦しみ、嘆き、わずらひ、考へるがものがないのではなからうか。

 涙は流れてゐた。けれど、いとしい黑鶫は、何ごともなかつたかのやうに、あどけない、幸福な、永遠の歌を歌ひつづけてゐた。

 ああ、やうやく現れた太陽の光が、私の頰の何といふ涙を照し出してくれたことであらう。

 しかも私は前のやうに微笑んでゐた。

   一八七七年七月八日

□やぶちゃん注

◎黑鶫:これが正しく本邦の和名のクロツグミと同一であればスズメ目ツグミ科ツグミ属 TurdusクロツグミTurdus cardisであるが、原題は“Черный дрозд”これはロシア語のウィキペデイアで検索すると、スズメ目ツグミ科Turdus merula(英名Blackbird)である。クロウタドリは大型のツグミの一種で、生息域は広範で、ヨーロッパ及びアフリカ地中海沿岸から中近東、インド・中央アジア南部・中国東南部・オーストラリア東南部・ニュージーランド等に生息する(オーストラリアとニュージーランドは人為的移入と推定されている)。ヨーロッパ西部では留鳥として通年見られるが、ロシア・中国にあっては夏鳥である(従ってこれはフランスで書かれたともロシアで書かれたとも読めるが、日付から押してフランスでの作と思われる。根拠は明日公開予定の「黑鶫 また」の中山氏の注を参照)。体長は28cm程度で、雄は黒色に黄色の嘴で、目の周りも黄色を呈する。雌は雄に比して全体に淡色で、嘴や眼の周囲の黄色部分は雄程に目立たない。本邦では迷鳥として稀にしか見られない。クロウタドリの画像と声は以下のnature rings”というドイツ語のページを参照されたい。クロウタドリの写真の下にある“Gesang des Maennchens”をクリックすると鳴き声が聴ける。

◎魯かしい戀の奴の:「魯(おろ)かしい」と読む。「奴」は「やっこ」と読むか、「やつがれ」と読むかであるが、ここは「恋の虜の」「恋の奴隷の」の意味で用いているので、自己卑称である「やつがれ」ではなく、「下僕」「召使」の意味の「やっこ」で読みたい。

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