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2008/11/15

二つの四行詩 イワン・ツルゲーネフ

 二つの四行詩

 

 嘗て一つの町があつた、そこの住人たちは詩を熱愛するのあまり、何週間も新しい美しい詩が現れないで過ぎると、かやうな詩の不作を、世の災禍(わざはひ)と見倣したほどであつた。
 かやうな時には、彼らは最も醜い着物を着て頭に灰をふりかけ、群(むれ)をなして廣場に集まり、涙を流して、彼らを見すてた詩神(ミユーズ)に酷く苦情を竝べるのであつた。
 或る、かうした不幸な日に、若い詩人のユニウスは、悲嘆に暮れた群集の押し合ひへし合ひしてゐる廣場へやつて來た。
 彼は急ぎ足で特に設られた高壇(アンボン)に登り、詩を朗讀したいとの合圖をした。
 係の者は直ちに笏杖を振りだした、「しつ! 謹聽!」と彼らは聲高く叫んだ。群集は片唾を呑んで靜まりかへつた。

 

 「友よ! 同志よ!」とユニウスは高い、しかも、あまりしつかりしない聲で始めた。

 

   友よ! 同志よ 詩を愛する者よ!
   階調あるもの、美しきもの、すべてを崇むる者よ!
   しまらくも暗き憂愁に心を惱まさるることのなからむことを!
   待ちあぐみたる時の來りて、……光は闇を逐ひやらむ。

 

 ユニウスは口を噤んだ、……すると彼に應へて、廣場の四方八方から、ざわめきや、口笛や哄笑がわきあがつた。
 彼に對(むか)つた顏といふ顏は、憤怒に燃え、眼といふ眼は憤怒にかがやき、手といふ手は擧げられて、威嚇の拳を握つてゐた。
 「こんな詩でおどかさうつてつもりなのか!」と憤怒の聲が怒號した、「高壇(アンボン)からあのくだらないへぼ詩人を引きずり下せ! 馬鹿者を引つこませろ! このたはけ者を腐れ林檎と腐れ玉子でやつつけろ! おうい、石を取つてくれ! 石をこつちへ!」
ユニウスは獨樂のやうにすばやく高壇を滑り落ちて行つた……。けれど自分の家へまだ辿り着かないうちに、熱狂した拍手喝釆や讚美の聲や、叫びごゑを耳にした。
 疑惑の念にみたされて、ユニウスは、人に氣づかれないやうに氣をつけて(荒れ狂つた獸を怒らすのは危險なので)廣場へと引きかへして來た。
 さて、彼は何を見たであらう?
 群集の頭上高く、彼らの肩の上に、黄金の平たい楯に乘つて、紫袍をまとひ、うちなびく髮に月桂冠をいただいて立つてゐたのは、まぎれもない彼の競爭者、若い詩人ユリウスであつたのだ……。周囲の群集は叫び立てた、「萬歳! 萬歳! 不滅のユリウス萬歳! 彼こそわれわれの悲しみを、われわれの大いなる苦惱をやはらげてくれたのだ! 彼は蜜よりも甘く、鐃鈸(ねうばち)よりも響よく、薔薇(うばら)の花より香はしく、蒼穹(あをぞら)よりも清らかな詩を與へてくれたのだ! 彼を華々しく連れて行つて、秀靈な頭に香(かう)のやはらかな波を注ぎかけ、棕櫚の小枝でしづかに彼の額を煽ぎ、足もとにはアラビヤのあらゆる沒藥(もつやく)の香りをふり撒いてやるがいい! 萬歳!」
 ユニウスは讚美の聲をあげてゐる一人の方へ近づいて行つた。「おお、ここな市民のお方、私に聞かして下さい! ユリウスは一體、どんな詩であなた方を喜ばしたのでせう! 残念ながら詩を讀んだ時、私は廣場に居合はさなかつたのです。覺えておいででしたら、もう一度、聞かして下さい、どうぞお願ひです。」
 「あんな詩が、どうして忘られるもんですか?」と訊ねられた男は力んで答へた、「僕をどんな人間だと思つてるんです? まあ聞いて、喜びなさい、僕らと一緒に!
 『詩を愛する者よ』と神のやうなユリウスは始めたのです……

 

   詩を愛する者よ、同志よ。友よ  
   階調あり、調べ妙なる、優雅なるもの、すべてを崇むる者よ!
   しまらくの重き悲嘆(なげき)に心を惱まさるることのなからむことを!
   待ちあぐみたる時の來りて、晝は夜をば逐ひやらむ!

 

どうです?」
 「冗談ぢやない」とユニウスは叫んだ、「それは僕の詩ぢやないか! きつとユリウスは僕が詩を讀んだ時、群集の中に居つたに違ひない。奴はそれを聽いてゐて、もう勿論、よくはならないが、言ひまはしを少しばかり變へて、繰り返したんだ!」
 「ははあ、それで君の正體がわかつた……君はユニウスだな!」と彼が呼びとめた市民は眉を顰めて言つた、「嫉妬深い奴だな、でなきや大馬鹿だ!……さもしい奴、まあ、ちよいと考へて見ろ! ユリウスの方がどんなに高尚にいつたか、『晝は夜をば逐ひやらむ!』君の方は何てえたは言だ、『光は闇を逐ひやらむ』だなんて!? どんな光がだ!? どんな闇をだ!?」
 「けど、それは全く同じぢやありませんか?」とユニウスは言ひかけた……
 「さあ、もう一言(こと)ぬかして見ろ、」と市民は遮つた、「俺はみんな呼ぶぞ! さうしたら、手前を八つ裂にしちやふだらう!」
 ユニウスは賢明にも默つてしまつた。すると彼の話を聽いてゐた白髪の老人が、哀れな詩人のところへやつて來て、彼の肩に手を置いて、口をひらいた。
 「ユニウス! 君は自分自身のものを歌つた。けれど時機に合はなかつた。彼(あれ)は自分自身のものを歌つたわけではない。――しかも時機に合つてゐた。だから彼(あれ)はよかつたのだ! 君には、その代りに自分自身の良心の慰安(なぐさめ)が殘つてゐる筈だ。」
 然し、良心が全力を傾けて、――實をいへば、極めて覺束なかつたが――わきへ押しのけられてゐるユニウスを慰めてゐる時に――はるか遠く、狂喜の拍手喝釆を浴びて誇りかな太陽の金粉(きん)のやうな光に包まれ、紫金に輝き、ゆたかな香のにほひの漂ふ中を月桂冠に面を翳らし、玉位に登る皇帝のやうに、重々しげに、しづしづと、誇らしげに身を正したユニウスの姿は動いて行つた……。棕櫚の長い枝は、つぎつぎに彼の前に傾けられた。恰も彼に魅了されてゐる市民の心を充し、絶えず新しくわきあがつて來る讚仰の情(こころ)を、靜かにあげられ、愼ましやかに下される棕櫚の枝があらはしてでもゐるかのやうに!
   一八七八年四月

 

□やぶちゃん注
◎挿入されるユニウスとユリウスの詩は底本では全体が三字下げのポイント落ちであるが、ポイントはそのままとした。
◎ユニウス:原文“Юний”。これはラテン語の“Junius”で、これは恐らく実在した古代ローマの風刺詩人・弁護士であったデキムス・ユニウス・ユウェナリスDecimus Junius Juvenalis(50年?~130年?)がモデルであろう。暴虐であったローマ帝国第11代皇帝ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスTitus Flavius Domitianus(51年~ 96年)治下の荒廃した世相を痛烈に揶揄した詩を書き、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の格言で有名な詩人である(但し、この格言は誤解されており、ユウェナリス自身の謂いは、腐敗した政治の中で堕落した生活を貪る不健全な人(=肉体)に健全な魂と批判精神を望むものであったことはあまり知られていない)。ちなみに彼は「資本論」にも言及されている。
◎高壇(アンボン):原文“амвона”であるが私の露和辞典には所収せず、ラテン語辞典を調べても類似した単語は見当たらなかったが、ネットの機械英訳にかけると“pulpit”と訳され、これは(教会の)説教壇の言いである。そこで英語の辞書を見ると、“ambo”という単語があり、初期キリスト教会等の説教壇、アンボ、朗読台と言った訳が見出せた。英語の場合、発音から言えば、「アンボウ」か「アンボ」と表記するのが正しい。
◎しまらくも暗き憂愁に心を惱まさるることのなからむことを!:友人が本底本に先行する昭和22(1947)年八雲書店版(但し、これは完全な同一稿ではなく、表記に微妙な違いはある)で確認をしてくれたところ、この「憂愁」には「憂愁(うれひ)」というルビが振られている。これは後のユリウスの詩の「悲嘆(なげき)」に美事に対応するものであり、ルビがある方がよいと思われる。なお、「しまらく」は「暫く」の上代語である。
◎ユリウス:原文“Юлий”これはラテン語の“Julius”で、ローマ人にはありがち名であり、私は特定人物ではなく、「ユニウス」の詩の剽窃をする者としての剽窃された名と捉えている。
◎残念ながら詩を讀んだ時、私は廣場に居合はさなかつたのです。:底本では「私は廣場に居合はさかつたのです。」とあるが、友人が本底本に先行する昭和22(1947)年八雲書店版(但し、これは完全な同一稿ではなく、表記に微妙な違いはある)で確認をしてくれ、「な」があることを確認したので、脱字と考え補った。
◎彼は自分自身のものを歌つたわけではない。――しかも時機に合つてゐた。だから彼はよかつたのだ!:この「しかも」という接続詞は意味深長である。「しかも」という接続詞は順接にも逆接にも用いるので、私はこれを誤りだと言っているのではない、よく考えると、この「漁父之辞」の老荘的思想の持ち主を髣髴とさせる老人は「ユリウスは時機に合った、自分の詩ではない他人の詩を歌ったからこそよかったのだ!」という謂いで解いているのではなかろうかということなのである。真実の自分の心の叫びでは「時機に合う」ことは実は不可能なのだ、という深遠な真理を語りかけているようにも見えはしないか?
◎愼ましやかに下される棕櫚の枝があらはしてでもゐるかのやうに!:私の底本では、最後の句点は見えない(紙を透かしたりして検鏡して見たが、印字が擦れた跡も見られない)。原文では“то непрестанно возобновлявшееся обожание, которое переполняло сердца очарованных им сограждан! ”で、感嘆符がある。従って、もともと句点がなかったとも、句点または感嘆符があったが植字で脱落したともとれる。原文に忠実な中山氏の習慣から言えば「!」の脱落と普通には考えられる。句点を打たない断ち切れたような感じもユニウスの絶望の表現として捨て難いが、中山氏は「散文詩」の他でそのような手法を取ってはいない。友人が本底本に先行する昭和22(1947)年八雲書店版(但し、これは完全な同一稿ではなく、表記に微妙な違いはある)で確認をしてくれ、「!」があることを確認したので、ここは中山氏の原文忠実主義を尊重し、底本にない「!」を附した。

 

 

知人の協力でなった一篇を更に特別追加公開。

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