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2008/11/30

石川善助に 尾形亀之助

    一、洗ひはげた紺がすり

 洗ひはげた紺がすりのすそは、何か彼が「さうでござりすとも」などと言ひながら歩いてゐて、ふと二三軒先の煙草屋へかけこむときは勿論いそがしく彼のすねにひらひらする。酒などを飲んでゐて、一升近くにもなつて、彼が大きく唇をなめ初めてゐても、誰か第三者が来席すれば、彼はときには三尺も後へ退つて、いそがしくきちようめんな妙な手つきで襟をただし、横坐りの膝の辺りをなでるやうにしてすその乱れを直して、片手はそのまま膝の上に止り、も一つは後頭部から首の辺へ行つて、ちよつと見ないふりをするやうな遠慮で障子の外を見てゐたりしてゐる。

    一、小春日

 だいぶよごれの目立つのを火のしでもかけたやうにたゝんだ跡をはつきりさせて、あたらしい足袋などをはいて、それになんとなくはな緒のゆるんだ足駄をはいて傘を持つた彼は、私ともう一人とで街を歩いてゐる。小春日といつた感じの日和の午後なのだが、それは朝から晴れてゐるのであつた。

   一、いましめ

 詩に対する彼の愛着はひどくガンコであつた。ときにはそのために馬鹿げた駄作(失敗)をして平気でしてゐる。魚をとつてゐるのにいたつてとれない。空に群れる渡り鳥を見あげて、それを投網で取つたらなんぼかいゝんだらう――といふ意味の詩の類のものなどを私はさう思つてゐる。殊にこの種のものは、自然でちよつとの無理もあつてはならない。彼ばかりではなく、ときとしての反都会人としての感情での作品は常によくない。

   一、にぎやかし

 何の会であつたか、例によつてといふので、彼はゑびコとかんじかコの踊りをやつた。私はいやな感じがしたので、帰途彼に「今度からあんな風に踊を所望されたら会費を返してもらふんだね」と言つたら、彼は「はあ――」と言つたきりで黙つてしまつた。彼が席をひきたてるとか座をにぎやはすとかをするときのその半分、遠慮なく言へば七分まで彼のすることがいやみとなるか例の例によつての類になつてしまつてゐた。つまり彼はあまりさうしたことをした回数が多過ぎたのだと思ふ。なぜか――となると、彼が何か言ひ残したことを言はふとして、そこらに来てゐるやうな気がして、背筋がさむくいくぶん泣きたいやうな気持になつてくる。彼がなぜあんな風に酒に親しんだか。

   一、化けもの

 よい人であつた、おしい人をなくした、親切な人であつた、すぐれた詩人であつた、と言ふ。私も同感してゐる。だが、凡そ意味ないことだ。私達は彼の死によつて彼そのものをなくしてしまつてゐるのだ。何時の間にか地上に生れ出て、私達の眼の前で死んで行つた彼とはいつたいなんだらう。まさしく化けものであると思ふほかない。

(鴉射亭随筆 昭和81933)年7月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。「大きく唇をなめ初めて」「馬鹿げた駄作(失敗)をして平気でしてゐる」「ときとしての反都会人としての感情での作品」「座をにぎやはす」「言ひ残したことを言はふとして」はママ。石川善助は尾形亀之助の一つ歳下の同郷の詩友。仙台市生。足が不自由であったが、漁船員・雑誌記者等、職業を点々とした後、昭和3(1928)年に上京、草野心平に出会い、その頃心平がやっていた屋台の焼鳥屋の手伝い等をしつつ、『日本詩人』『詩神』などに詩を発表していたが、昭和7(1932)年6月の深夜、乱酔して大森八幡坂近くの線路沿い側溝に落下、死去した。享年33歳であった。死後、詩集『亜寒帯』が出版されている。本篇末の底本表記にある「鴉射亭随筆」は石川善助の追悼文集。鴉射亭は石川の号。遺稿及び「友人感想」として宮澤賢治・尾形亀之助ら知人の追悼文を掲載する。尾形亀之助の拾遺詩には「辻は天狗となり 善助は堀へ墜ちて死んだ 私は汽車に乗つて郷里の家へ帰つてゐる」(私のブログ掲載分)がある。尾形亀之助の追悼文は悲憤慷慨や慟哭悲泣と無縁である。しかし私はまさにそこに、無声(サイレント)の痛みの真心が聞こえる気がするのである。]

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