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2008/11/29

明滅 尾形亀之助 (宮澤賢治追悼詩)

    明滅   尾形亀之助

その一

――私はもう三つばかり先の駅で降りるのでなんとなくそは/\した気持になつて窓の外の景色へ眼をやつたり、棚から帽子を取つてかぶつたりしてゐました。そのうちに、私は自分が今降りるつもりになつてゐるSといふ駅から乗つたのだといふ風に思はれてくるのでしたが、しかしそれもなんだか変だしひよつとするといつの間にか駅に汽車が着いて、顔見知りの駅長さんや赤帽に挨拶をしたりなんかしながらうつかり乗り越してしまつてゐるやうな妙な不安な気持になつて、色々考へて見たあげくは、乗つたときとは反対に汽車が動いてゐるとしか思へないので、後向きに汽車が走つてゐるとすれば機関車は後ろから押してゐる筈なので、それを見やうと窓から首を出しても反対側へカーヴでもしてゐるのか、うねつた蛇の腹の一部分のやうな客車が前後に三つばかり見えるばかりで機関車までの見通しがつかず、人に聞くにも時によると月に三四回往復する場所なのでそれも気がひけてゐると、私の前に座つてゐた男が「Sへ行くのならまだ/\ですよ」と、私がポケットから出したり入れたりしている切符を見て言ふので、私が
 「MのSなんです」と言ふと
 「あゝそれならとつくに過ぎましたよ」
 「――」私が黙りこんでどうしたものかと思案にくれてゐると
 「お急ぎなのですか――」と言ふ。どうしたかげんか、私はその男に話しかけられるとおちついてしまつて
 「いや、ちつとも急いでなんかゐないのです。Sで降りても降りなくてもどうでもいゝのです――」
と言ふのであつた。
 「それじや、お退屈でせう」「えゝ」
 「ぢゃ、どうです、学校の生徒の算術の試験の答案なのですが、半分見てすけて呉れませんか、出来てゐるのには○間違つてゐるのには△をつけて下さい」――と、私は四五十枚の答案を渡され、赤鉛筆まで握らされてとうわくしてゐると、その男は手をのばして渡されたまゝに私の膝にのつてゐる答案をめくつて、
 「一年生のでやさしいんです。たゞ字が曲つたり太くなつたりして1だか7だか判断のつかないのがたくさんありますが、答さへ出来てゐれはいゝんですから○をつけて下さい。何――生徒は○でも△でも大きい方がいゝと思つてゐるんですよ。私も○と△とでどつちがいゝのか教へてゐないんです――」とその男のどこに愛嫡があるのか、ひき入れられるやうに、ひろげられた答案を見ると
 4+7=11 3+9=21 9-4=5
 といふやうなのが十ほど列らんでゐるのだつた。私は言はれるまゝに、渡された半分ほどに○と△をつけて、ふとその男を見ると、その男は私が顔をあげるのを待つてでもゐたやうに
 「出来ましたか」と言ひながら、切符をあひるのやうな形に切りぬいたのを私に渡して
 「僕はあひるを百羽ばかり育ててゐるんです。僕の帰るのを待ちかねて、門を入る足音を聞くと大変な囁き声をあげてかけ集るんですよ。そしてとりかこまれて僕は歩けなくなつてしまふのです―」[やぶちゃん注:「―」は表記の通り、一字分である。]
 「――」見ると、その切符は私の切符なのです。念のためにあつちこちポケットをしらべてもないのです。私が変な顔をしたので、その男は
 「あ、切符ですか。あひるのことを考へてゐたら、うつかり切りぬいてしまつたのです。こちらのを使つて下さい」
 とその男が私に呉れた切符は、彼がノートを切つて作つたもので、たんねんに切符に似せて発行日や行先を書きこんで番号なども123ときちやうめんに入れてあるのだつたが、作者であるところの彼の名なのか端のところへK・MIYAZAWAとサインがしてあり、余白を埋めて花をくはへて飛んでゐる鳥や、影絵の馬の首、顔のある星、長靴、旗などが細々と向かれてゐるのであつた。私がなんとも返事に窮してゐると、その男はそれとさとつてか
 「その切符でいゝのですよ。この汽車は僕の汽車なのです。ほんとうにしないのならちょつと止めてみませう――」
 と窓から半身乗り出して両手を交叉させて二三度ふつて
「どうです――」と言ふと、如何にも汽車は速力がゆるんで、どしんとブレイキがかゝつて止まつてしまつた。そして
 「今度は車掌を呼びませう」と言ふ。車掌が来ると、その男は私が乗り越してゐることを話して、駅の呼び名はもつと大きな声でするやうになどと注意をして
 「逆行!」と重々しく命令すると、車掌は敬礼をして走つて車室を出て行き、間もなく汽車はもと来た方へ動き出して、一だんと速力が加はると、その男は
 「これで僕失礼します。車掌によくたのんでありますから眠つてゐても大丈夫です」と言ふので他の乗客はどうするのかとあたりを見ると、だいぶこんでゐると思つたのに他に誰もゐないのです。あわてゝその男を追つて車室を出ると、客車の連結はそこで切れてゐるのにその男は何処へ消えたのか居なかつたのです――おかしいなと思ふと、私の眼の前に走つてゐる汽車の最後部を映写してゐるスクリンがあつて、其処にさつきのその男が帽子を片手に立つてゐるのです。
 「さよなら――」

[やぶちゃん注:底本編注によれば、底本が底本とした「宮沢賢治追悼」(編集発行人草野心平)では、この間に一ページ分、宮澤賢治作「牧歌」の楽譜が収められている、とある。]

その二

 スクリンに映つた列車の最後部からくり出すやうにレールが走り出る。トーキーではないのか、帽子をふつてゐるがその男は声を出さない。「さよなら――」との感じは見てゐる俺の胸の中であつた。そしてスクリンの中で列車は少しづゝずれるやうに俺との間かくが出来、だん/\に遠ざかつて行つて、その男はしぼられたレンズの列車の中にとけて消えてしまつた。――伴奏だけが残つた。
   (牧歌)
 種山ヶ原の雲の中で刈つた草は
 どごさが置いだが忘れだ 雨ふる
 種山ヶ原のせ高の芒あざみ
 刈つてで置ぎわすれで、雨ふる雨ふる
 種山ヶ原の霧の中で刈つた草さ
 萱草も入つたが 忘れだ 雨ふる
 種山ヶ原の置ぎわすれの草のたばは
 どごがの長根でぬれでる ぬれでる

   ×

 心平は口笛でそれに合せたが、俺は口笛が吹けないので黙つて歩いた。一本づつビールを下げて、ラッパ飲みをすると口のまはりがぬれるのでその度に服の袖でぬぐつた。街角へ来て立ちどまると、酔つてゐる体がよたくした。心平は「汽車はこゝを曲つて行つたんだ、どれちよつと電柱にきいてみる――はゝあ、さうか、うん、こゝを五分半ばかり前にゼン速力で通つた。帽子をふつて、さうか、ふん、いや有難ふ、さよなら――こつちだ、こつちだ」と歩き出す。そして、ときどき大声に「おーい、宮沢ア」と呼ぶのだ。どこへ来てゐるのか、街燈のまばらな暗い晩だ。心平は呼んでも返事がないので馳け出さうとする。俺はあわてゝ「待て、待て」と待たして、帽子をふつて汽車に乗つて通つた男の有無を聞くためにいきなり八百屋や煙草屋へ飛び込んで、ぱつと明るい店先で酔つてるんだと気がついて、八百屋ではりんご煙草屋では煙草を買つて、心平には「通つたことは通つたんださうだ。が、ずいぶん前なので馳けてもおつつかないんだ」と、うで組になつて歩き出す。一分もたゝないで心平は又「おーい」と大声をはりあげて、今度はうで組のまま走り出す。「よつしよ、よつしよ」向ふに明るい街角が見えると、心平はあれが汽車だ。あれに乗つてゐるのだといふ。ひと憩して、ラッパ飲みをして、ビール瓶を一二三で石垣にたゝきつけて万才をしろと残つてゐるビールを俺の口へつぎこんで背中の方までぬらし、両手をあげて踊つて、汽車が止つてゐるから今のうちに追ひつくんだと、立小便などをするひまがないとせがむ。明るい街角へ出て、心平は「こんなプラットホームはない――汽車もゐないし宮沢もゐない――」と泣いてしまふ。俺は困つてしまつたが大丈夫だからとだまして、おでん屋のやうなところを探して入ると、心平は熱心におでんを食ひビールを飲みポスターの美人に見とれたりしてゐる。どうしても今晩宮沢と会ふのだと言ふのに、自分も何時のまにかその気になつて夕方から一緒に歩きつゞけてゐたのだ。俺はつくづくと赤毛の交つた心平の髯についたビールのあはやおでんをつゝいてゐる手先や、ほこりにまみれたずぼんや靴を見てさめかけた酔ひになぶられ、外へ出れば又汽車を追ひかけるのだらうが、心平一人を馳けさせてしまつては、朝までにはこの間のやうに眼鏡も上着もずぼんも何処へ失くしたかなくしてしまふだらう。どんなことから宮沢が汽車になど乗つて帽子をふつて行つてしまつたことになつたのだつたかと、そんなことを考へてゐると、心平はコップを握つたまゝ机にもたれて眠つてしまつてゐる。疲れてゐるのだ。俺はほつとした。そして俺の囲りにビールの空瓶がやたらに列らんだ。

(宮沢賢治追悼 昭和9(1934)年1月 次郎社発行)

[やぶちゃん注:宮澤賢治は昭和8(1933)年9月21日に逝去、本作の初出は同年10月27日付『岩手日報』である。初出の原稿が存在し、形式(「その一」「その二」の区別がない)や一部表現に異同があるが(底本編註に掲載されている)、特に初出を提示しなければならない程の大きな異同とは認められないし、僕自身、この「宮沢賢治追悼」版の方を尾形亀之助の決定稿として推したい。なお、これと前のブログの「宮沢賢治第六十回誕生祝賀会(第二夜)」は底本の思潮社版全集では「評論」の部に所収されているのであるが、追悼文であっても、これもかれも私は明白にして哀しく美しい「詩」であると思う。部立への神経症的なこだわりなんかではない。こうなっていることが、尾形亀之助の詩集の中にこれらの作が所載される可能性が有意に減衰することを惜しむのである。]

宮澤賢治の「オツペルと象」「ざしき童子のはなし」「寓話(猫の事務所)」という極めてよく知られる三作が、尾形亀之助が編集人として創刊した月間文芸誌『月曜』が初出であることは余り知られていることとは思われない。亀之助が賢治の才能を早くから見抜いていたことはいわずもがな、亀之助と賢治の資質の違いもいわずもがな、である。これと前のブログの「宮沢賢治第六十回誕生祝賀会(第二夜)」に、彼我の懸隔を云々するのはアカデミズムの連中に任せておけばよい。差し当たり、僕にはまるで興味がない(亀之助自身にも賢治自身にもなおのことそれは興味がないことであると断言できる)。――何より僕は作家の追悼でこれほど素晴らしい「詩」を読んだのは、読んでいて落涙したのは、萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」に次いで、未だ生涯二度目である。これぞ誠の追悼文である。僕には――とめどない涙に、へんに歪みながら、見えるのだ、……スクリーンの上を遠ざかってゆく「帽子を片手に立つてゐる」「その男」が……

蛇足。

OCRで読み込ませたら、

「4+7=11 3+9=21 9-4=5」

の部分が、

「A+→=-- ∽+¢=N- ¢-A=∽」

となっていた。

僕はそのままにしておきたい欲求にかられたことを告白しておく。

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