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2008/12/30

牛乳屋の煙突と風呂屋の煙突 尾形亀之助

牛乳屋の煙突はあかさびてゐる 風呂屋の煙突は塗りたてのやうに黒い

雪どけのする明るい朝だ

    ×

牛乳屋にすばらしい浴槽があるやうな気がする

    ×      ×      ×

 年の暮から正月にかけての景色が私にはまぶしい。殊に雪どけのする日はあはれな感情に心を洗はれる。
 私が十八から十九に移る少年期の終る頃の出来事「ラブ」が、今にさうしたものを思はせるガラスのやうな季節である。
 私はクリスマスの夜、女のま白な体を見せられた。
 雪がよく降つた年であつた。私が東京から郷里に帰つた年の冬であつたらうと思ふ。私はそのときに、三週間の「ラブ」にとり残されてぼんやりしてしまつた。
 正月が過ぎると女は片々の手袋を忘れて行つたままそのままになつてしまつたのです。

(〈亜〉27号 昭和2年1月発行)

[やぶちゃん注:『私が十八から十九に移る少年期の終る頃の出来事「ラブ」』の年齢は数え年であるから、17~18歳の経験と考えられる。亀之助の学歴は幾分変わっている。喘息のために11歳の時に仙台から鎌倉へ転地療養させられ、宮城県立師範学校付属小学校尋常科五年から、明治45(1912)年4月に鎌倉尋常小学校(現在の市立御成小学校)尋常科五年に転入、五年生を再履修している。その後、逗子開成中学校入学(大正3(1914)年)するが、二年後の大正5(1916)年4月には明治学院中学校に転入、東京千駄ヶ谷の明治学院自習寮に転居している。ところが、翌大正6(1917)年5月には五年半ぶりに仙台の実家に戻り、私立東北学院普通部に転入、ここでまた中学三年生を再履修している。17歳は丁度、この時で、文中で「クリスマスの夜」がわざわざ示されるのも、この東北学院の前身が仙台神学校であったことと無縁ではあるまい。正津勉「小説尾形亀之助」でも、この頃尾形亀之助の文学への覚醒が生じたとし、同時に『いつとはなく彼も紅燈の巷を徘徊しはじめる。カフェー遊びをしたり仙台では有名な常磐丁遊廓に出入りしたり、そしてそのいつか童貞喪失にいたるのである。』として本詩を引用している。亀之助の記憶に誤りがなければ――人はこの時の記憶をそうそう錯誤するものではない。少なくとも僕は、そうである――それは大正6(1917)年12月25日のことである。序に言っておくと亀之助の誕生日は12月12日、彼の「私が十八から十九に移る」という謂いが疎かなものでないことが知れるではないか。]

僕はこの「詩」が尾形の中でも「すこぶる」附きで大好きだ。ところが、これは恐らく彼のアンソロジーには載りにくい。繰り返すが、これは思潮社版全集の「評論(映画評・詩集評・詩評/雑感・エッセイ)」に所収するのだ。どうしてこれが「拾遺詩」でないのか? 僕は大いに疑義を唱えたいのである。

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