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2009/01/31

話(小説)――或ひは「小さな運動場」―― 尾形亀之助

「ね、――」
「…………」
「眠つていらつしやるの」
「さうだ」
「まあ――」
「………」
「眠つてゝ口をきいてゐなさるの」
「眠つてゐて口をきいてゐるんだ」
「ね、――」
「何んだ」
「ほんとに眠つてゐらつしやるの」
「眠つてゐる」
「眠つてゐても返事をして下さる」
「してやる」
「聞えて」
「…………」
「ね、聞えない」
「…………」
「耳だけ眠つてるの」
「耳もおきてる」
「どうしてこれが聞えないの」
「――少しうるさくなつた」
「まあ、聞えなくつてもうるさいの」
「聞えなくともどこかゞうるさい」
「どこがうるさいの――」
「俺の後ろの方がうるさい」
「あなたの後ろなら私なの」
「見えないからわからない」
「こつちを向いて下さらない」
「いやだ」
「ちよつとだけでいゝの――」
「いやだ」
「私、指でシイツに手紙を書いてゐるの」
「シイツに――」
「だつて、あなたへあげる手紙なの」
「ありがと――」
「何んて書いたか知つてる」
「知らない、けれどもありがと」
「ご返事は」
「返事はいらないだらう」
「せなかに書かしてね」
「いやだ」
「わかるやうに書くわ」
「せなかは手紙を書くところではない」
「ぢや何処へ書くの」
「――夢で俺に手紙を書け」
「あなたの夢の中へとゞくかしら」
「お前が寄こせばとゞくだらう」
「だつて、あなただけの夢ぢやないの、私の手紙を何処から入れるの」
「枕の下から入れるんだ」

    ×

「ね、――」
「何んだ」
「あなたあの方が好きなんでせう」
「好きだ」
「私よりも」
「あの方つて誰れだ」
「ふざけないで、真面目なのだから」
「真面目なのか」
「えゝ」
「いゝね」
「ごまかさないで、ね、ほんとのこと返事して」
「はい」
「はい――なんておつしやるけど、私泣き出すかも知れないの、後ろを見ればわかるわ」
「後ろは見たくない」
「私がゐるからなの」
「たぶんそうだ」
「あなたS子さんを嫌いだと言つて下さらない」
「誰れにだ」
「私に――」
「言つた方がいゝのか」
「言つて下すつた方がいゝわ」
「ぢあ嫌ひだ」
「ぢあ――つてどういふわけなの」
「それでは――といふ意味だ」
「ぢあ、S子さんのどこがお嫌ひなの」
「眼と鼻と口と手と足と首と声と肩が嫌ひだ」
「好きなところはあとの残りが全部なの」
「後、何が残つてゐるんだ」
「髪も残つてゐるし、胸も頰も額も残つてゐますわ」
「ずい分残つてゐるんだな」
「まだ心臓も胃もあるわ」
「心臓や胃も言ふのか」
「見えないところは言はないの」
「言つてもいゝさ」
「言つてちようだい」
「お前が今言つたのと脳と腸と――腸はまだゞつたな」
「えゝ」
「腸と、それから何んだらう」
「――もういゝわ」
「…………」
「どうしたの」
「――もう用がないのだらう」
「あなたはご本を読みながら私と話してゐらつしやるんでしよ」
「さうだ」
「今読んでなさるところに何が書いてあるの」
「エリナといふ女が結婚したところだ」
「…………」
「…………」
「私とあなたは結婚したんでせう――」
「さうだ」
「私、したやうな覚えがないやうな気がするの――」
「で、どうしたんだ」
「あなたはどうなの」
「俺はぼんやりしてゐる」
「ね、――」
「何んだ」
「どうしてぼんやりしてゐなさるの――」
「あてゝ呉れ」
「あなたはS子さんへ手紙をあげたんでしよ、遊びに来るやうにつて――」
「空想か、ほんとのことなのか」
「ね、私とS子さんをあなたはどんな風にくらべるの――」
「くらべるつて、どうするんだ」
「ね、私の眼とS子さんの眼とどつちがお好きなの」
「女に眼がないと可笑しいか」
「どうして、そんなことおつしやるの」
「なければ、お前の眼とS子さんの眼をくらべなくともいゝからだ」
「それぢや鼻は」
「鼻も同じことだ」
「あなたは、私とS子さんに眼と鼻がなくともいゝとおつしやるの」
「さあ、――」
「私に相談なんかなさらずにご自分でお考へなさい――」
「お前のいいやうにしやう」
「ね、――」
「何んだ」
「私この頃自分が何時死ぬかわからないやうな気がするの――」
「それで――」
「私死にたくないわ、だから死ぬやうなことがあつても何処へも行かないつもりなの」
「死ぬやうなことがあつても、何処へも行かないつもりつて何んのことなんだ」
「――あなたの書斎に来てゐたいと思つてゐるの」
「――書斎に来てどうするんだ」
「あなたを見てゐるの」
「俺を見てゐるのか」
「いや――」
「俺からはお前が見えないんだろ」
「時々見えるやうにするわ」
「それで、お前と俺は話でもするのか」
「えゝ、話もしてみるわ」
「でも、そのときはお前は幽霊なのだな」
「怖い――」
「さあ――」
「幽霊になるのはいやね――」
「お前、自分で怖いんだろ」
「あなたが怖がつて、逃げたりなさると困るわ」
「可笑しいな」
「だつて、幽霊つてほんとにあるんでしよ」
「お前に幽霊になる自信があるんだろ」
「でも見た人がゐるわ」
「お前はないのか」
「祖母さんが死んだとき見たやうな気がするわ」
「見たやうな気つてどんなことだ」
「障子のかげのところへ何か、来たの――」
「…………」
「祖母さんは私を一番可愛がつて呉れたのよ。今だつて眼をつぶると、祖母さんの笑つてゐる顔が見えるわ」
「それが幽霊なのか」
「ね、――」
「何んだ」
「ひやかさないで」
「ひやかしたか」
「知らないわ、眠つていゝ」
「いゝよ」

    ×

「ね、――」
「何んだ」
「何時も、私とあなたとゞちらが先に眠るのかしら」
「お前が先に眠るよ」
「あなたと私と、ね、あなたと私とは夫婦つていふんでしよ」
「…………」
「私、夫婦つていふ言葉嫌ひなの、私が夫婦のうちの一人だといふのが嫌なの」
「それで、何が好きなんだ」
「妻と夫といふのがいゝわ」
「…………」
「ね、――」
「何んだ」
「電燈を明るくしていゝ」
「どうするんだ」
「明るくしたくなつたの」
「…………」
「ね、――」
「何んだ」
「まぶしくない」
「まぶしいよ」
「あなた眼をつぶつてゐるの」
「あいたりつぶつたりしてゐる」
「ね、――こつちを向いて呉れない」
「どうするんだ」
「顔が見たいの」
「顔が見たいのか」
「眼なんかつぶらないで私の顔も見て――」
「お前眠くないのか」
「眠くないわ」
「先に眠つてもいゝかい」
「いゝわ、眠るのを見てあげるわ」
「ぢや、さよなら――」
「ね、――」
「何んだ」
「もう少し眠らないで、そして一緒に眠りたいわ」
「…………」
「ね、――」
「…………」
「ね、モシモシ――モシモシ――電話よ、ベルのかはりに耳をひつぱるわよ」
「…………」
「モシモシ――モシモシ」
「お話中だ」
「誰れとなの――」
「S子さんと――」
「まあ、モシモシ――モシモシ、ね、モシモシ、まだお話中なの」
「まだ、――」
「ね、そんなことを言ふと、あなた今晩S子さんの夢を見るわ」
「いゝな」
「よくないわ――あなたは何時かお話になつたやうに、夢で接吻なんかするんでしよ」
「誰れと――」
「誰れとでもなさるんでしよ――」
「夢だもの――」
「だつて、心に思つてゐなさるから……」
「どうしたんだ、泣きさうにならなくたつていゝよ」
「泣きさうになんかなつてゐませんわ」
「…………」
「…………」
「ね、眠らないで」
「ぢや、顔を見てやらう」
「いや、顔を見ないで――」
「…………」
「電燈をま暗に消して――」
「…………」
「あなた――」
「何んだ――」
「うそでしよ」
「何が――」
「……今の話がみんな」
「うそだ」
「ほんとうにうそだわね」
「ほんとうにうそだ」
「ね、うそでなかつたら私どうすればいゝの」
「…………」
「あなたは」
「俺かい、俺はどうにもならない」
「私だけがどうにかなるの――」
「…………」
「ね、あなたはほんとうに私を好きなんでしよ」
「…………」
「また眠つてしまつたの――」
「眠つた」
「耳をひつぱつてもいゝ」
「又、電話か」
「私と電話をして、ね」
「お前と――」
「えゝ、してみたいわ」
「…………」
「ね、私からかけるわ、モシモシ――」

(詩神第三巻第十二号 昭和2(1927)年12月発行)

**

これは事実を無視すれば、美事にベケット、だ――

犬の化けもの、躑躅、雀、燕 尾形亀之助

 世田ケ谷へ引越して来てからは、訪ねて来る友人も少くなり手紙なども来なくなつて、毎日風ばかり吹いてゐる。引越して来たと言つても、私が二週間ばかりの旅をしてゐる間に家族のものだけで先に引越して来てゐたので、私は旅から帰つて来た夜、かなり遅くなつてから友人に案内してもらつて、藪の中のま暗な細い路を通りぬけたり畑の中を通つたりして、門の脇に赤い躑躅の咲いてゐる家の前へ来た。部屋へ入ると自分の机やベツドや本が置いてあつたので淋しい気がした。暗くつてよく解らないが、私の部屋は月山の上のやうな所にあるのであつた。
 旅から帰つて毎日私は月山の上のやうな所にある部屋で暮してゐる。飛行機が来ると、今までうるさいほど騒いでゐた雀が這ふやうに低い松の木の枝にすれすれに飛んだりするのを見てゐた。それから、青い葉のかげに梅の実のなつてゐるのを見つけた。近所に白い猫がゐて時々庭を通つてゆく。風が吹けばアンテナも欅の林も揺れる。松の花粉が飛ぶ。写真を写すときのやうな恰好をして燕が電線にとまつてゐる。向ひ隣りの家の犬はよく吠えるが鎖でしばつてある。湯屋の煙突から煙が出る。家の前が八幡宮の森なので風は少しもあたらない。椽の下に大きい蛇が二匹ゐるといふ話は誰かに聞かされたのか、それとも聞かされたやうな気がするだけなのか。庭から森へ入れるやうに垣が破れて路がついてゐる。八ツ手の若葉に陽があたつてゐる。昼近くなる頃から家には陽があたらなくなるが、それでも庭へは日没まで陽がさしてゐて、昼は赤や肉色や紫や白の躑躅が美しい。時には郵便配達夫が寄つてゆくのだが、転居の知らせを見た――といふやうな葉書を一枚か二枚投げ込んでゆくだけで、それも二枚来た日の次の日は休みになる。郵便配達夫が素通りしてゆくのを見かけると、いくらぼんやり青い空の雲の動きを見てゐたり煙草が苦くなつてゐるときでも、行き過ぎて隣りへ寄つてから来るのではあるまいかと思はずにはゐられないし、郵便配達夫がうつむいてゐたり、私の家を見やうとしないでまつすぐ前の方を見てゐたりするときは淋しい予感がある。わけもなく郵便配達夫を憎いものに思はれる。私のところへ寄るのを忘れてゐるのではないかといふ気がする。郵便は、朝九時頃と午後は三時頃と二度来るのを私は二三日して知つた。郵便配達夫の姿を見かけても、家の前を通つて近所へ一二軒寄つて路を曲つてしまふほんの一分間位ひの間のことであるが、私はその後二三時間は失望してあはれな気持になつてゐる。私には、十日余も待つてゐる女の人からの手紙が一ぽんあるのだ。
 私は旅行から帰つて来て二週間余にはなるだらう。が、まだ一度も風呂に入らないでゐる。朝起きて、窓に机を持ち出して坐るとそのまゝ夜になるのだから、入るひまがないと言ふのが当つてゐると思ふ。昼寝をして首のない犬をつれて散歩をしてゐる夢を見たりするのだが、風呂に入る機会がなかつた。旅先が温泉場であつたから、一年分入つて来たなと言訳してゐた。時に風呂に入らうと思つてゐることがあつても「ご飯を先にしますか……風呂を先にしますか」と言はれると、着物をぬいだりするよりは「風呂は入らない」と言ふより他はしかたがない。近所にゐる友人が来て、鏡を見ながら頤髯がのびたと言つて撫でてゐるので私の方がのびてゐると言ふと、何時すつたと言ふから何時だつたらう私が下駄を買つた日だと言ふと、その友人は、俺が下駄を買つた二三日後だつたね、と言つた。そしてわりあひにあんたはのびないと言つた。友人が帰つてから私は何時間もかゝつて丹念に鋏で頤髯を摘んだ。
 夜になると蛙が鳴く。月が出る。毎日暑くも寒くもない日がつゞいてゐる。ぼんやりしてゐると、知らないうちに頭が痛くなつてゐたりする。かはいさうな妻は、体が方々痛むといつてひどく痩せて眼がくぼんでしまつた。ま顔になつてヒステリーかも知れないと、飯の給仕をしながら言つたりするので、私はもう少し喰べやうと思つてゐてもいそいで箸を置てしまう。この頃妻にそばへ寄られるのが気味がわるくなつてしまつた。妻には大変すまないと思つてゐるので、大きい声をたてたり子供を叱つたりするのを注意してゐるが、妻以外の人を愛してゐる罪はなかなか許されないことを私は悲しんでゐる。そんなことで旅へ出たのであつた。夏になればお宮の森では蝉が鳴くだらう。妻が骨と皮ばかりに痩せてしまふ日も近いのだ……と、私は真面目に考へてゐる。私は何かの瓦斯体に包まれてゐるやうに庭や隣りのアンテナを見てゐる。が、骨と皮ばかりになりさうになつてゐる妻のことを思ふと、心を痛めずにはゐれない。ぼんやりしてゐるが、あくびはちつともやらない。そして頭の髪をむしるやうなくせがついた。夕方になると何処からか木魚を叩く音が聞えて来る。蓄音器の安来節やマンドリンも遠くの方でやつてゐる。隣りの子供がうちの子供と同じやうな泣き方をする。庭の植込が暗くなる。世の中がさう面白くないわけではないと思はふとしたり心をこめて月を見たりするやうなことは、躑躅の花の上で喧嘩をしてゐる蜂と蜂が、見てゐるうちにどつちがどつちだかわからなくなつてしまふやうに果敢ない。毎日天気つゞきだ。忘れものをして引き返して来た向ひの細君へ隣りの細君が「私は不精だから忘れものがあつても知らないふりをして行つてしまふんですよ」と言つた。木の枝が少しゆれたり、部屋に蠅が静かに飛んでゐる昼は森の中が青い。一日窓にもたれてゐると、ちらちら光る若葉や通りの角まで来る広告屋の馬鹿囃子や黒い蝶にも何時までも心をひかれてゐる。毎日のやうに午後になると風が出る。近くの野砲隊で大砲をさかんに打つやうな昼は、私の灰皿はのみさしの煙草でいつぱいになる。驚ろいて飛び上つた雀が燕と列らんで電線にとまつた。
 夕陽がかげると黒ガラスの幕が降りる。部屋に電燈をつける頃は、もうすつかり煙草に厭きてしまつてゐる。三時過ぎの昼飯であつたが、私は夕飯をいそぐのだ。
(一九二七・五・一二……未完のまゝ稿を止む)

(文学祭六月号 昭和2(1927)年6月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。]

A Corner Shop 尾形亀之助

 庭の松の木にからんだ芋の葉が黄色になつた。庭と書斎と私とでは侘しくなつてくる。昼からの長時間の読書が、遠く路を歩いて居つたやうに日暮がくる。
 秋深くなつて、私は電燈をつけたままでなければ眠れない晩が多くなつた。毎夜のやうに私は書斎を飾る美しい電燈を見る。そして、私の泣いた記覚を呼んでくる。新らしく私を泣かせるものはなにもなく、私はこの日を経た記覚に親しんでゐる。
   ×
 私はこの頃はがきの後などに秋淋しといふやうなことを書く。「秋淋し」とゴム印を作つて、書くかはりに押すやうにしたらと友人が言つたとき一緒になつて笑つた。が、そんなことをすれば一層秋淋しがはつきりしてくるにちがひない。

[やぶちゃん注:本篇は底本では、「A Corner Shop」という題の元、イントロダクションのように在り、以下の「或る恋愛」以下、「書きかけの書きにくい手紙」までの10篇の構成で、以上の10篇の小題は底本ではポイント落ちになっている。「記覚」はママ。]

    或る恋愛

 彼は、彼の恋愛事件の世評を犬に例へてゐるとも解釈することの出来る「犬を逐ふ」といふ小説を書いた。それを読んで私は不愉快な気持になつた。美しいものを何も持つてゐない人のやうな気持さへした。
 其後、私は彼女が二度目の家出をしたといふ新聞記事に接した。そして、私は彼が老禄してゐるのではないかといふ疑問をもつやうになつた。

    詩集・たんぽぽ

 坂本遼君の第一詩集・たんぽぽ・・を批評するのは、私のやうにわがままなことを言ふ者にもかなり困難なことだ。坂本君の詩には特種の言葉が使用されてゐて、非常によい効果を得てゐる。効果を得てゐるといふことから、その特種(特種といつても、それは坂本君の居る地方の言葉である)の言葉を使つてゐるのを、正しいことではないと言つてゐる人があることを聞いた。しかし、それは日本語で書いた詩を西洋人が正しくないと(何故か)言ふことに似たことだと私は思ふ。
 又、この詩集を見て、詩集の中に進境がしめされてないと言ふ人もあるが、一つの詩集の中で読者に進境をしめさなければならない必要はない。又、坂本君の詩に今進境がないとしても、それは何時まで待つてゐてもいいことである。兎に角、詩集・たんぽぽは私の持つてゐる詩集の最もよい詩集の一つである。
 坂本君の詩はかなりに小説的なものであると言ふことが出来る。しかしそれは一つの詩が小説のやうに仕組まれてゐるといふのではない。が、たんぼぽを通読して一つの小説であつたやうな感じを受けた。で、詩の一つ一つがそれの一部分であるやうであるとも言へ得る。 ・定価一円・兵庫県加東上東条村横谷・著者宛

[やぶちゃん注:文中の中黒点「・」や空欄等はすべてママ。末尾の「言へ得る」もママ。「坂本遼」は兵庫県生まれの詩人。『銅鑼』同人。「たんぽぽ」は同氏の昭和2(1927)年刊の詩集で、兵庫の方言を用いた農民詩として高く評価されている。第二次世界大戦後は竹中郁らと関西を中心に児童自由詩運動を推進、詩集と同年の出版に小説集『百姓の話』もある。]

   詩人と小説との妙な関係に就て

 詩人であるからといつて、小説を書かなければならないわけはない。しかし、書いてわるいわけはない。百人の詩人の中に、現在小説を書いてゐる人、書かうと思つてゐる人、書きたいと思つて書けない人が百人ほどあるとしたら、小説の神様は詩の神様を憐れに思ふだらうと思ふ。それにしても、小説の神様に仕へるにはよい小説を書かなければならないことだけは忘れてはならないし、小説が書けないからといつて詩人でないやうな気持にならないやうにしなけれはなるまい。以上、詩人と小説との妙な関係に就いて――

    装幀

 大谷忠一郎君の詩集・北方の曲・・の装幀を涙香時代の探偵小説のそれのやうだと、著者に詩集をもらつたお礼と一緒にはがきに書きこんで出したのが、その出版記念会のときに話題になつたことを角田君から聞かされた。私はそんなことを言ふことを遠慮しなければならないものだと思つた。
 そして、装幀で中にある詩がどうなるといふことはあるまいけれども、他から何んと言はれても、著者はこれが好きなのだからしかたがないではないかと―心から言へ得る装幀をして欲しいと思つた。

[やぶちゃん注:文中の中黒点「・」はすべてママ。「しかたがないではないかと―」のダッシュ一字分及び末尾の「言へ得る」もママ。「大谷忠一郎」は福島県出身の詩人。萩原朔太郎門下。]

    註

 A Corner Shopをここでは「角店」と思はないで欲しい。(と、和訳しないで欲しいといふのではないのです)角にある一軒の店――といふやうなものに思つてもらひたい。

[やぶちゃん注:この「註」とは本篇全体の表題「A Corner Shop」に対する註である。]

    A-B-C-5

 子供が、1234のとABCのCを間違つて、時々節をつけてABC5を言つてゐる。妻に聞いてみたが、家では誰れも「ABC」も「123」も教ひないといふことであつた。妻は二十五、私は二十八、ABC5は五つ。この本が出来上る頃私達は今の家のすぐ近所へ引越すことになつてゐる。
    ×
 毎日のやうに曇天がつゞく。今度越して行く家は今建てかけてゐる。明日は横浜に観艦式がある。
 どれだけ体によいものなのか、毎朝卵を一つ食べてゐる。卵は殻をわらずに食べたい。

(以上、A CORNER SHOP第二輯 昭和2(1927)年12月1日発行)

    不思議な喫煙者

 煙草をもつてゐる手つきや、煙草から煙りの出てゐるのを見てゐて、自分の子供のくせにませた恰好をして煙草をのんでゐると思つてしまつた。夜遅く床の上に足をなげ出してゐて、体ばかりが大人で、かくれて煙草をのんでゐた頃の顔が首についてゐるやうな気がしてしまつた。
 煙草を手にもつてゐる間は、幾度やり直してもその不思議が消えなかつた。

[やぶちゃん注:「自分の子供のくせに」の「自分の」の「の」は主格の助詞であろう。]

    美少女

 昨夜、突然私は飛行機に乗つてゐて、Yといふ美少女と接吻をした。SとKがそれを見てゐた。SとKは男で私の友達だ。Yといふ美少女は「また皆んなが何んとか云ふわ」といふと、はたして飛行機を降りてからSとKが接吻したと云ひふらすのであつた。私は彼等を避けて高い塀をのり越ゑやうとするところで次の場面へ変つてしまつた。……(夢)。
私の夢に現れてくる主要な人物は何時も女の人だ。お宮のやうなところに、饅頭が沢山列らべてあるのを取つて食ふやうな夢もあるが、歯が痛かつたり楽しくないことを思ひ出したりして、つまらなくなつてゐる昼よりも、夢の方に重きを置いてしまひたいと私はつくづく思ふことがある。
この頃は森で啼く蝉も一匹か二匹しかゐなくなつた。そして、昼からこはろぎが啼いてゐる。雨ばかり降つてゐる。子供がカマキリをつかんで来たので、私は子供が泣いてもむりに捨てさせた。カマキリの腹には針金虫がゐるのだし、カマキリの交尾の話はどうにも気味がわるい。妻は「おとなしく遊んでゐるのを泣かさなくともいいのに」といふ顔をした。

[やぶちゃん注:形式段落2段落目と3段落目は表記通り、一字下げがない。文中、カマキリの腹腔内にハリガネムシが有意に寄生しているというのは極めて正しい生物学的見地である。]

    眼鏡をかけてゐる人―例へば福富菁児君―

 青ガラスがぎらりとしたときの感じがある。勿論何時でもさうであるといふのでほない。この人の一つの特長としてである。断るまでもないかも知れないが、これは福富君の場合である。
だが、私はここから「眼鏡をかけてゐる人」といふ題と(たとへば――)といふことを取り去つて、この一文の題を「福富菁児君」とすることは出来ない。さうするのにはこの一文を書き直さなければならない。それなのに、書き直すにも書き直すすべがない。

[やぶちゃん注:形式段落2段落目は表記通り、一字下げがない。「福富菁児」は大杉栄らとも関係があったアバンギャルド詩人。]

    書きかけの書きにくい手紙

 腹をかかへて、涙まで流して笑つたのだけれども、ただもう可笑しくつてたまらなかつたといふだけのことであつて、悪意があつたといふのではない。しかし、それをそんな風に笑はずにすませることが、出来なかつたかといふと、そんな風に笑はなくもよかつたと思ふ。笑つたのがわるいといふことなら、無理に笑はないことも出来たらうと云ふ他はない。だが、ぜんぜん笑ひ顔一つせずに君のそのくせの話をしてゐるのを君が見てゐたなら、その話が実に不愛想に語られたのを見たらう、さうでもしなければあの時は………

(以上、A CORNER SHOP第一輯 昭和2(1927)年11月1日発行)

**

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。なお、底本で、本篇が何故、「第一輯」と「第二輯」で逆転配置されているのかは不明。]

***

この一連の中の「不思議な喫煙者」及び「美少女」が、秋元潔氏曰く、出版されなかった『短編集』に所収される予定であったと推定されているものである。但し、何故、この二篇なのかは説明されていない。

芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん翻案

『芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん翻案』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

暴虎馮河である。誤釈を発見された方は、是非、御教授頂きたい。

それでも、僕なりにかなり楽しんで訳した。幾つかの箇所に、僕の授業のような僕的大脱線ギャグを仕組んである。少しはお楽しみ頂けるものと思う。

なお、本作は特に、新進気鋭の青年化学者にして我が有能なる助手であった

Tark C. O. Fullerene君に捧げる

ものである(本文注でも献辞した)。彼なくして、私の中に本作を発表する覚悟は生じなかった。君と一対一の二箇月の講義は、僕の教師生活の中でも忘れられない思い出となった。ありがとう。

2009/01/28

尾形亀之助作品集『短編集』復元について

秋元潔「評伝 尾形亀之助」によれば、尾形亀之助は当初、現在知られる第三番目にして最後の詩集『障子のある家』のような本を作るつもりはなかったと記す。

《引用開始》

『雨になる朝』のつぎに考えていたのは、『短編集』である。『短編集』は、昭和四年九月刊行のはずだった。(亀之助は『雨になる朝』刊行案内の文章の中で、「自分としては、九月に出版する短編集のために読んでおいて欲しいと思ふ」(「さびしい人生興奮」『詩と詩論』第四冊・昭和四年六月)と書いている。)

『短編集』の刊行は実現しなかった。『電燈装飾』という表題まで用意して、昭和二~三年頃刊行するつもりでいた第二詩集の場合と同じである。それは『雨になる朝』になった。今度は『短編集』が『障子のある家』になった。『雨になる朝』と『障子のある家』が、亀之助の一つの顔ならば、未刊の『電燈装飾』と『短編集』はもうひとつの顔である。[やぶちゃん注:中略。]

これらの作品[やぶちゃん注:『短編集』に所収された可能性のある作品群を指す。]『障子のある家』の散文詩とは異質である。『短編集』が刊行されていたら、亀之助の詩人像、作品評価は今と変わっていたろう。『短編集』に収められるはずの作品は、ロマンチックな雰囲気につつまれ、明るく、才能のひらめきを感じさせる。

《引用終了》

この中略部には秋元氏が推定する作品が、初出掲載誌とともに細かく掲げられている。[以下、友人が雑誌「尾形亀之助」を調べてくれている中で一部、僕が勘違いをしていた部分があったことに本日【2009年1月31日】気づいたので、記載を訂正してある。]

その殆んどは、現在の思潮社増補改訂版尾形亀之助全集の「物語(夢譚・無声映画シナリオ・戯曲・小品)1926-1930」に纏められている作品群である(先にブログでも問題にした「毒薬」は拾遺詩に、「不思議な喫煙者」「少女」の二篇は「評論(映画評・詩集評・詩評/雑感・エッセイ)1922-1939」パートの「A Corner Shop」の中に含まれている)。

僕は、次の尾形亀之助の電子テクスト化で、その復元を試みてみたいと思う。

2009/01/27

「評伝 尾形亀之助」についての対話

「お前は何で今頃になって「評伝 尾形亀之助」をうじうじと云々するんだ?」

――この本はね 独身の頃 20年の昔 ある少女から貰ったのだ

その少女とは その後に別れてしまったのだった

だから 再読するのは 僕の痛みだったのだ

それを遅過ぎるなんて あんたになんか 言われたくない

そう言えるのは 僕の人生の中で 唯 その少女だけなんだ――

尾形亀之助「羽子板」「毒薬」について

秋元潔「評伝 尾形亀之助」に、その衝撃的なページは用意されていた。数少ない全巻読破した個人全集であったはずの梶井基次郎の書簡に尾形亀之助が登場していた。僕が梶井旧全集を読んだのは19の時、尾形亀之助に出会う直前で、その名前に注視し得なかったのは仕方あるまい。しかし、そこには、ある亀之助の一つの拾遺詩の全体像が明らかになる鍵があった。
昭和41(1966)年刊筑摩書房版梶井基次郎全集二一五書簡を全文引用する(正字正仮名である)。
昭和2(1927)年2月2日附、発信先は伊豆湯ケ島温泉世古ノ瀧湯川屋内より。京都市上京區吉田近衛町二四番地中村方北川冬彦宛の封書である。

 拝啓
 此の間はお手紙有難う ぼんやりしてゐて返事出すのを怠つてゐた あしからず
 此の間御承知かも知れないが小山田夫婦がびよつこりやつて來て四日間一緒に暮した 隨分淋しさを忘れた 小山田の奥さんはなかなかいいお孃さんだ 小山田はナンジ[やぶちゃん注:ママ表記。「汝」か? ここ、小山田ある男とが奥方を「汝」と呼んでいるということか?]なんか云つてゐる 小山田らしくて面白いだらう なかなか君のうはさもした、東京へ來ることを小山田は望んでゐたが會社ばかりで面白い友人に餓ゑてゐるだらうと思ふ
 小山田は池谷氏と新式テニスをした これは碁石でやるので僕がここでは開祖だつたがたうとう小山田がレコードを作つてしまつた
 その池谷氏との戰は池谷氏ハンドルンクがうまくゆかず途中で放棄してしまつて戰にはならなかつた、池谷氏は碁で僕を敗し、小山田も川端氏の面前で僕を敗した どうも碁は難しい 頭や眼がどうも集中しない 僕はそれで敗けるのだ、それもここへ來てからはじめたばかり、小山田はそれも僕が教へてやつたのだ
 彼等が去つて再び空山、人聲を絶つた 毎夜默々と村の人の湯のなかへ入つて裸男裸婦を見て眼を喜ばせてゐる
 青空が來た
 君のもの 馬 非常にいいと思つた これこそ最近の最も強力な收獲だらうと思つた 馬といふ初號の活字は見てゐると漢字が象形文字的な效果で迫つて來る 變な氣持だ 君はそれを意識的にやつてゐるのかどうか知らないが檢温器と花に於て女と雲といふやうな字はその效果が非常に、僕には、出る
 これは推測だが、村山知義はこの漢字の象形文字的效果を知つてゐる一人ではないかと思ふ 葵館の緞帳がそれだ
 君の大活字の使用はとにかく君の詩の效果を強めてゐる それで見る度氣になるのだが犀ではどうして並みの活字にしてゐるのだらう
 次には 坂 この構圖は僕にはまだはつきり冩つて來ない 水兵が背を向いてゐるのか坂を上るのか下るのか 然しそれもまもなく一定の構圖が讀む度に出て來て僕の好きなものになるに違ひない、然し濡れた甍。海といふのはその效果は徹底的に考へられたものかどうか。それまでこめてゐた力を濡れた甍。海。で抜かなかつたらうか 僕はそんなことを考へた、それは僕には少し列擧的に見える。つめもののやうに見える。
 それから最後の、蟹が屋根に登つてゐる風景は非常に好きでそれが蚊帳と猫との風景と心のなかで組合はない。少くとも僕には蚊帳と猫との情景が浮いて來ないのだ。
 然しこれは寫實的なものととつてよからうから眺めてゐるうちによくなつてくるだらうと思ふ
 妄評多謝 どうも讀み返して見ると海。濡れた甍。などはあれでよさそうに思へて來るがこれが最後の批評ぢやないからこのまゝ出します、然し馬は僕の驚異だつたことは特記しておきたい
 東京では今度新同人が一人入つたそうだね 皆贊成とのこと勿論僕も贊成した 君は知つてゐる人といふがどういふ人?
 淀野は五日にまたこちらへ來ると。
 こんどは愛人とともに落合樓といふのへ泊る筈 なにか合作して送るから待つてゐて下さい
 合作と云へばあの亞といふ雜誌は編輯が實に面白いね。
   開けた扉
   サンルイグロアの花のやうに
   ここ過ぎて「たのしみつくるなき樂園」
 そんな句が口癖のやうに僕についてしまつた。
   松は摧けて薪となる
   シユミネにねむる黑い猫
 みんな昔の物語――といふ風にこれは誰かの詩かね 實にいい情緒を持つてゐる あの體温表といふのは羽子板は君の方が優れてゐるが毒藥は尾形亀之助 どうもうまいと思つた そのかはり羽子板はだめ[やぶちゃん注:太字下線やぶちゃん。]
 瀧口氏のはなんだか片言みたいで意に滿たぬ 短詩とは片言にあらずてなことを云つて瀧口氏にしつかりしたものを要望したく思ふが合作のところにはかなりいいのを見た 三好は青空語で瀧口氏の以前のものをほめてゐるね 淀野もこの間來てほめてゐた――なにしろ亞といふ雜誌は面白い。趣味的で柄が小さいところがある(君などは柄が大きいからはみ出すと思ふが)が實に愛すべき雜誌だと思ふ ちよつと類なし。
 僕の身體は七度一分の熱 痰 それらがまだいけない 今度は割にしつこかつた 飯島の周到なる勸告に從つて散歩入浴を愼しみ神妙にしてゐるが飯島のいふやうに毎日判こをおしたやうに規則的な生活はまだやうしないでゐる
 その時刻が來ればその一定のことをするといふ生活だ、なる程かうやれば身體が勞苦に慣れてそのコツを呑みこんでエネルギーの消費がなくなるやうな氣がする 然し看護婦でもゐないと實行が難しい
 まだいけないから二月一ぱい位こちらにゐるかと思ふ 一度大阪へ歸つていい醫者に見て貰ふことを思ふがそうなれば實に大變だ、
 身體よ愚圖愚圖せず早くよくなつてくれ、そんな気になる
 然し病所が固まるのは實に微妙に緩漫[やぶちゃん注:ママ表記有り。]なものだ やきもきしてもはじまらぬ
 さらば日よ照れ 小禽よ啼け
 のんきにのんきによくなつて行きたい 
 それから君にお願ひ一つ、この間呉れた手紙はハトロンの少し強いやうな黄色い封筒 非常に氣に入つたからあまりたくさんでなくつて結構。ついでがあれば迭つてくれないか そして値段の程參考にでもきかせてほしい どうも僕の使つてゐる封筒は手輕くなくつていけない 惜しみつつどんな下らない手紙にもこれを使つてゐる始末だ これは醜態で と云つてハトロンは僕嫌ひだし君の封筒非常に氣に入つたままお願ひする次第
 まだいろいろ書きたいことあれど今日はこれで卷紙を切る
……(以下便箋缺)

これは梶井の病の積極的な克服願望と、文学への命を賭けた精進の志向が如実に窺われる心打たれる書信であるのであるが、この、僕が太字下線で示した部分について、秋元氏は以下のように述べておられるのである。

《引用開始》

『なんのことかはっきりしなかったが、安西美佐保氏から送られた『亜』27号(昭和二年一月)の写しによってそれがわかった。『亜』には「体温表」という競作欄がある。「羽子板」「毒薬」は北川冬彦氏と同題二作を競作、『亜』27号に掲載された。こんな作品である。[やぶちゃん注:以下全体の一字下げが行われているが、ブラウザの関係上、無視した。御覧の通り、引用部は正字である。]

●體温表3

    羽子板          北川冬彦

 少年よ。
 天鵞絨のあの柄のところを舐めるときが復きたね。

    羽子板          尾形龜之助

 黑足袋の男の子が新しい下駄をはいて女の子と追ひ羽子をしていゐる。

    毒藥           北川冬彦

 何とかして手に入れたいものだ。

    毒藥           尾形龜之助

 私は毒藥の夢を見たことがある。覺えてゐるのは小さな罎に入つてゐる毒藥を握つてゐるうちになくして、すつかり困つてしまつたのだつた。
 手にめりこんでしまつたのではないかといふ心配で、青くなつてゐるのであつたらしい。
  ×
 私は毒藥は見たことがない。(これは飲んだことがないといふ意味かも知れない)食卓の茶わんの底に水が拭きのこされてゐるのを、毒藥のやうな氣味のわるさを感じる。

 《引用終わり》

これは、僕にとって大変な新知見であった。即ち、拾遺詩である「羽子板」及び「毒藥」は題詠であったと考えてよいということである。インスピレーションの素材ととるか、拘束された規矩と感じるかは別として、始めに題ありき、それも恐らく編集部の題ありきで作られた詩であることは、これらの詩を鑑賞する上で、情報として必要にして不可欠である。僕は、「羽子板」の如何にも小学生の作文然とした詩に正直、奇異な感覚を持ったのだった――これで亀之助はどのような情調を僕らに示そうとしているのであろうか――深読みしようにも、パリパリした古い初等教科書の稚拙な挿絵を見るように、陳腐なノスタルジー以外を感じ取ることが出来なかったのである。だからこそ、逆に、気になっていた――しかし、こうした事実を知り、北川の対の詩を見た時、いや、梶井の言を待つまでもなく、北川のプエル・エテルヌスの勝利であるな、と思うのである。そうして逆に、「毒藥」は梶井が激賞する如く、尾形の詠が美事に神妙に入っているといってよいではないか。尾形という資質が「毒藥」という願ってもない詠題を貰って、水を得たように自在に毒液の茶碗の中を蠢く様が見える(北川は前作の「羽子板」の妖艶なエロス的転換に溺れたか、はたまた自己抑制を加えてしまったものか、尾形の「羽子板」と実に等量に陳腐化してしまっている。いや、二人が示し合わせて、自己劇化をしたかのようにさえ見受けられるではないか)。ちなみに僕には第二連(×以降の三段落目)で死体累々たる凄惨な帝銀事件の現場がフラッシュ・バックするほどだ。

ちなみに――これはやはり、全集で当然、補注すべき内容であると僕は思うのである。

尾形亀之助の不明の詩11篇について

先のブログでは、感冒の熱に沸騰しかけた脳の影響で、言葉足らずとなった。尾形亀之助の未公開詩についての不審を、どうしてもしっかりと明確にしておきたい。
秋元潔「評伝 尾形亀之助」では、「色ガラスの街』の刊行前に彼が雑誌等に発表した詩は総数三十篇(概数ではなく実数表示)、その中で彼が『色ガラスの街』に採用したのは5篇のみであるとして、224pにそれらを全て掲げている(区別する為に以下の記号をそれぞれの詩の後ろに僕が配した。○〔拾遺詩として思潮社増補改訂版尾形亀之助全集に所収するもの〕。●〔『色ガラスの街』収録作〕。×〔全集に所収しない現在不明のもの〕 また、見易さを考えて発表雑誌毎に改行してある)。

「POWER」○(『踏絵』第二輯・大正八年三月)、

「若いふたりもの」○「春のある日」○(以上二篇、『玄土』大正十一年四月)、

「無題詩」×「死」○(以上二篇、『玄土』大正十一年五月)、

「散歩」×(『玄土』大正十一年六月)、

「一ぽんのやぐるま草」○「題のない詩」○「ある詩」×「無題」●「六月」×(以上五篇、『玄土』大正十一年八月)、

「無題」×「昼」●「無題」×(以上三篇、『玄土』大正十一年九月)、

「カフエーの一ところ」○「夏の夜」×「さびしい路」●「初秋」○(以上四篇、『玄土』大正十一年十月)、

「老婆」×「妻」×「影」×(以上三篇、『玄土』大正十一年十一月)、

「十一月」×(『玄土』大正十二年三月)、

「手」○「颶風の日」○(『詩人』大正十二年四月)、

「嵐のおばさん」○(『玄土』大正十二年十二月)、

「酒場から」○(『上州新報』大正十三年一月一日)、

「曇天」●「俺」○「酒場」○「無題」○(以上四篇、『詩集左翼戦線』大正十三年六月)

まず、この●〔『色ガラスの街』収録作〕の五篇について補足しておくと、それぞれ下に示すものが、『色ガラスの街』の決定稿の詩題である。
「無題」   →「小石川の風景詩」
「昼」    →「昼」(同題)
「さびしい路」→「白い路」
「曇天」   →「曇天」(同題)
この内、「無題」「昼」「さびしい路」は初出が思潮社版全集に「拾遺詩」として別掲されている(僕の「尾形龜之助拾遺詩集」参照)が、「曇天」は編註に『異文あり』とあるだけで、拾遺詩には載らない。しかし、秋元氏は先の引用部直後に『詩集に収められた五篇は、きびしい自己裁断のもと、見事な推敲がなされている(付録参照)』とあり、この初出も大きく異なっている可能性が高い(また、以前のブログで述べた如く、この『(付録参照)』が僕にはまたまた意味不明なのである)。読者としては、この「曇天」の初出形を、拾遺詩として読みたいと思うのは、当然ではあるまいか?
そして、僕にとっての大いなる不審として、この×〔全集に所収しない現在不明のもの〕を附した詩が11篇も存在する事実がある。これらは当然、全集の拾遺詩に挙げられねばならない詩である。ここは、もう少し秋元氏の叙述を見よう。

『詩集刊行前の三十篇と、『色ガラスの街』の諸篇は明らかに一線を画している。詩集刊行前に雑誌などに発表した三十篇の詩は総行は五百八十四行、一篇あたり平均行数十八・三行。短い詩は「一本のやぐるま草」で七行、長い詩は「散歩」で四十六行である。これに対し『色ガラスの街』の序詞二篇と長篇散文詩「毎夜月が出た」を除く九十五篇の詩総行数は六百八十四行、一篇あたり平均行数は七・二行。短い詩は「煙草」「雨」で各二行、長い詩は「風」で二十二行である。』『『色ガラスの街』を編むとき、亀之助はそれまでの、行替えが多く冗漫な長い詩形から脱却、意識的に短い詩形式を採用している。』

と締めくくっている。ここで秋元氏が極めて厳密な数値を提示していることに着目して欲しい。これは明らかに、本書執筆時に秋元氏の手元に、先の「×」の原稿が〈一篇も欠けることなくすべて〉「ある」のである。でなくて総行数や平均行数を提示しようがない。

試みに全集の『拾遺詩 初期 1919-1924』を(題+「×」等の記号単独行を含め、空行や作者の行末インデントの作詩年月日クレジット行を除いて数えてみると234行であった。

584-234=350

350行分の未だ見ぬ11篇の詩!

「無題詩」

「散歩」

「ある詩」

「六月」

「無題」

「無題」

「夏の夜」

「老婆」

「妻」

「影」

「十一月」

――本書の出版は1979年である。思潮社増補改訂版全集の出版は1999年である。この20年の間に何かが起こったのか? 納得出来る可能性は、理由は全く分からないが秋元氏が意図的にこれら拾遺詩を全集に採らなかった可能性、または、これら11篇の詩が尾形亀之助の詩でないとその間に認定された可能性、の二つに一つしかないように思われる。

この未だ見ぬ11篇350行分の詩を読みたいと望まない者は、亀之助ファンの中には一人も、おるまい。

尾形亀之助の研究者の間ではもしかすると、このことは何でもない自明のことで、下らない空騒ぎを僕やらかしているだけ、なのかも知れぬ――そうならばこそ、識者の方は、速やかに御教授下されんことを願うのみである。

――なお、僕は、秋元氏の孤高な尾形亀之助への相応に孤高な愛情を心から羨ましく思う。それだけは言っておく――

2009/01/25

託児所をつくれ 小熊秀雄

秋元潔氏は「評伝 尾形亀之助」に言う(同320p)。『昭和三年十二月、亀之助は吉本優(本名、好本綢)さんと一緒に暮らすようになった。大江氏[やぶちゃん注:大江満雄。詩人。尾形の友人。]は「私と尾形さんとの共同生活は忘年詩人会の夜を境に一変した」と書いている。』として昭和50(1975)年6月発行の雑誌『尾形亀之助』所収の大江満雄「尾形亀之助の思い出」から以下のように引用する。

「その夜、あつまった詩人の中で数人、上馬の尾形の家へ泊った。その中に芳本優さんがいた。尾形と芳本さんは、初めて会ったのだろう。二人は擬似恋愛的になった。そういうより、二人は、とうぜん出会うべき人に出会った、という宿命的な〝落ち着き〟を示していた、というべきかもしれない」
以下、芳本優を連れてきたのが草野心平であったことや、芳本優の簡単な事蹟の後、『小熊秀雄の「託児所をつくれ」はこの時の詩たちの生態を書いたものという。』として、部分的な(といっても改行を省略した3ページ強に亙る)引用をなさっている。勿論、秋元氏は引用の後にこれは『詩であり、事実ではない。書かれたものとしては事実ではあるが、日常的事実ではない。だけど、この詩が亀之助と優さんとの出会い、二人の周辺にいた詩人たちをモデルにしていることは明白だ。それにしても、風聞を種に潤色した、このような作品を、戦火が中国大陸まで拡大していた昭和十四年という時期に小熊秀雄が発表していることは問題だ。』と語られる。

――そうだ、それは確かに凄いことなのだ。この月のノモンハン事件に始まって、その年の内に第二次世界大戦が始まる――今の痙攣的な平和の中にあって、「戦争責任」の名の下に戦争中の詩人のスケープ・ゴートを求め続けようとする未だにイデオローグに凝り固まった評論家の愚言に較べれば(僕はそれがそれぞれ誰を指しでいるかを敢えて言うことをここでは略す。そのような議論を私は無化したいからである。そもそも「平和の現代」という妄想の射程から「当時の体制」という面影への転向者は誰だったかを指弾する時、その人は永遠にミューズから見捨てられ、芸術家であることを捨てるのだと言っておきたいということだ)、秋元氏の言葉は遥かな覚悟をもって深いではないか。

そこで僕は「託児所をつくれ」を引用せずにはいられない。これは雑誌『槐』(昭和14(1939)年5月)に掲載されたものである。
僕は該当詩を所持しないので、「青空文庫」に所収する「小熊秀雄全集-7」の「詩集(6)長篇詩集」に所収する「託児所をつくれ」を引用する。
青空文庫のファイル取り扱い基準に従い、以下のテクストに示されたクレジットを表示しておく(底本:「新版・小熊秀雄全集第1巻」創樹社 1990(平成2)年11月15日第1刷 入力:八巻美恵 校正:浜野智 ファイル作成:浜野智 1999年6月18日公開 1999年8月28日修正)。

言っておくが、とんでもなく長いので、御覚悟を。

 託児所をつくれ

   一

この長詩を書くための材料に
本棚を熱心にかきまはしたが
探す本は発見らない
黒表紙で五十頁余りの
吉田りん子といふ詩人の
『酒場の窓』といふ詩集だ、
捨て難いものがあつて
時々本棚の整理で本を売り飛ばす時も
傍に除けてをくのだから
何処かにまぎれ込んでゐるに相違ない
私は彼女を『奇蹟の女王』と名づけてゐる。

   二

彼女が突然詩人のグループに現はれると
詩人達が彼女の周囲に集つた。
布切れの真中をつまみあげると
布の周囲が寄つてくるやうに――、
詩人は女好きだとは頭から決められない
詩人は女に対しては相当選り好みがやかましいのだ、
一個所欠点があると
その一個所を蛇蝎のやうに憎む詩人やら、
他人が欠点と見るところも
勝手に美化し合理化し拝み奉る詩人もある。

   三

――何てすばらしい縮れ毛だ
 彼女の髪をみてゐると
 荒れ果てた庭を見るやうだ、
 何となく寂寥と哀愁が湧いてくる。
さういふ理由で縮れ毛の女も愛される、
――僕は、彼女を直感的に好きになつたよ、
 皮膚の色が普通の状態ぢやないね、
 あくまで白く、透明だ、
 陶器の白さではない、
 玻璃器の白さだね
 つまり肺の悪い女の美しさが
 僕の心を一番捉へるよ、
こゝでは肺の悪い女性も歓迎される、

   四

――私の異常な美を発見する女といふのは
 妊娠三四ケ月目の女だ
 彼女の細胞が新しく変つてゆく感じだ、
 皮膚の色の美しさ、
 喘いでゐる呼吸が
 女を感情的に見せる。
詩人は電車の中で
異常な美しさの女をみつけた
女の顔に注いだ視線を
胸元から腹部に落す
彼女の帯は蕗のトウを抱へてゐるやうに
ふつくらとふくれてゐた
妊娠も詩人にとつては美しい。

   五

ところで女詩人吉田りん子は
どの種類の美しさの所有者であつたか
特別これといつて変哲もない
小柄な体、脚を活発にはこぶ女
小さな頭、黒い顔、二十二歳にしては
落着いたもの言ひ、
小説家の林芙美子を近代的にして
彼女から卑俗さをぬきとつた、
脱脂乳のやうな淡白な甘みをもつた女、
適宜に男に向つて性慾的な
容子をすることも知つてゐる。

   六

すぱりと男のやうな決定的なもの言ひ
それで何の悪意も感じられない、
男に対してはいつも批判的態度を失はぬ
彼女はこれが唯一の武器だ
女に負けることを
楽しみにしてゐる男にとつては
彼女は女将軍で
男達はしきりに彼女の従卒になりたがる、
なんて気の利いた断髪の刈りやうだらう
断崖のやうでなく
柔らかな草の丘の斜面のやうに、
彼女はなだらかに刈りこんでゐる。

   七

実は私も彼女が嫌ひではない
もつと正確に言へば、
嫌ひな部類に属する女性ではない
しかし私は少しばかり時間が遅れたやうだ、
切符売場にはずらりと
男達の列がならぶとき
列の後で私は待つてゐる根気がない、
彼女を中心にして
座席争ひで男達は戦はねばなるまい、
憂鬱な話だ
私は男達の女争ひの
観戦武官に如くものはなからう。

   八

薄つぺらな詩集を出版した位で
特別に美しくもない彼女が
何故こんなに詩人達に騒がれるのだらう、
彼女が奇蹟を行ふ女のやうに
特別な雰囲気を身につけて
突然に現はれたからだ、
そこには時代的な理由も大いにある、
彼女は現はれ、彼女を中心にして
展開された恋の闘ひの
勝負けのタイプが
恋愛合戦に加つた詩人の運命を
急速に変化させてしまつた、
彼女は詩人達の運命を
決めるため忽然と現はれた不思議な女であつた、

   九

恋の観戦武官である私は
当時手に負へない象徴派の詩人であつた、
彼女の出現頃から急激に思想的転廻をして
コンミニスト詩人の陣営に入つたのだ、
思想の三角洲の真中に吉田りん子が立つてゐる
――あなたは、あちら
――君は、そちら。
彼女が男の詩人達にそれぞれ階級的所属を指図し、
片つ端から整理したやうなものだ、
詩人の大西三津三彼もまたコンミニスト入りの
契機を彼女に与へられた。

   十

悪意の無い男を
誰かに求められたら
私は躊躇なく大西三津三を挙げる、
現実は狡猾で詐欺的なところだ
そこねられない人間が
狡猾な世界に一人でもゐるといふ事が既に奇蹟だ
彼は二十五歳だ、
少年のやうな可愛い眼をしてゐる、
女に対しては謙遜で
女の命令は絶対的にまもる
彼に言はせると
女は真実で真理そのものだ――、といふ
『女を欺すのもよからう、
 僕は女に欺されよう、女に最後まで欺されよう』
その結果はどうなるだらう、
男はほんとうに心から
女に欺されたものなどは一人だつてゐない
多くは欺されさうになると
切りあげてしまふ――と彼はいふ。

   十一

大西の欺され方は徹底してゐる、
女は最初彼を欺むく
女が欺す手段がつきたときは
彼女は純情になるさ――、
根気のよい男だ、
トコトンまで女の感情に
追従してゆく強さをもつてゐる。
彼が予見したやうに
女が純情を捧げだしたとき
彼は逆に優位者の立場に立つ、
彼は勇者のやうに
今度は一歩も退却しない、
彼は幾人かの女に欺され
最後には女に感謝された。

   十二

彼は水が引くやうに
あつさりと女から手をひく
女には勝利の想出が永遠にのこるのだ、
りん子の詩集出版記念会が
新宿の小さな喫茶店で開かれた、
大西は詩集を彼女から贈られ、
彼女の噂もきいてゐたので
多分に興味も手伝つて会に出掛かけてゆく、
三十人程の詩人が集つた、
彼女は少女のやうに
自分の席から眺めまはす
個々の男との交際は多からう、
しかし斯う沢山の男が自分を中心に集つたといふ
始めての経験が彼女にとつては珍らしく
顔を栗色に輝やかす。

   十三

彼女は来会者をながめ
知人や好意のもてる人には
強く意味ふかい視線を送る。
会は楽しくない、白けきつてゐた、
彼女を褒めることは彼女に惚れ
批評することは悪くいふことになつた、
詩人達は早く会が
終ることを望んでゐた、
温和で陰鬱で飛躍的な動作をとる詩人達の性格が
焦々とその飛躍の時を待つ
誰か素晴しいテーブルスピーチで
その場を弾力的なものにしなければ
無言劇に終りさうだ。

   十四

六人の詩人が卓上演説をやつた、
大西三津三も何やら自分にも他人にも判らないことを
口の中で言つてのけた、
『エロテック』『エロテック』
といふ言葉が
彼がしやべつた沢山の言葉の中で
特にはつきりと人々にきこえた
人々は始めて声を揃へて哄笑し
幾分会はなめらかになつた
だがその頃は会を閉ぢなければならない。

   十五

人々は会が閉ぢても未練がましく
会場を去らないのが
文学者の会のしきたりだ、
先輩にあいさつしたり後輩を手なづけたり
帰りに何処かで一杯飲まうといふ
暗黙の間の相談など
会場を去り際の時間に行はれる
りん子の会は珍らしく
人々は潮が引くやうに会場を出てしまふ
りん子を中心に十人の詩人達が
ぞろぞろ喫茶店に繰り込んだ、
其処を出て次には酒場に入つた頃は
十人は六人に整理され減つてゐた。

   十六

りん子や男達は酔つ払つて
バーの女給達のサービスを
必要としないほど
隅にをけない余興がとびだした、
酒場を出た、全く夜になつてゐた、
――りん子さん、今夜は貴女は何処へかへるつもり
――わたしだつて帰る家位あつてよ、
――いや、いや、これは失礼しました。
帰るところを尋ねるなんて
対手をたいへん軽蔑したことになる、
美しい彼女が泊るところがないなんて
想像するさへ愚劣なことだ
男の住んでゐる世界であれば
彼女の泊るところはある筈だのに

   十七

――いや、実は、りん子さん
 誤解しないで下さい――。
 どうです諸君、今夜は『酒場の窓』の
 著者を中心にして夜を徹して語りたいと思ふが
 諸君、賛成してくれ給へ――
何といふ素晴らしい提案だ、
女を中心に徹夜で語る
話題が尽きたら男達は
殴り合ひをしたら退屈は救はれる、
どうやら、さういふ危険な座談会になりさうだ、
怖気づいて二人の詩人は去つた。
そこで六人は四人に整理された、
残つた者は何れも勇敢にして選ばれた者だ。

   十八

――誰かこのうちで独身者が居ないかね
 そこの室を借りよう、
  みんな四人共独身者だよ、
  親がゝりや、間借人は駄目だよ、
 夜通ししやべるんだから
 周囲に気兼ねをするやうぢやね
  誰か、一軒家を借りてるものがゐないのか
  尾山清之助、君のところがいゝ
  さうだ賛成だ
 尾山は最近独身者になつたのだから、
衆議一決した、
尾山は一ケ年程前に妻を喪ひ
六つのサクラ子といふ
遺児と暮らしてゐた
四人の勇者達は
たがひにりん子をいたはりながら
東中野の尾山の家へ繰り込んだ。

   十九

尾山の家は男住ひの寒々とした感じであつた、
尾山は隣家にあづけてをいた
わが児のサクラ子を連れて来た
サクラ子は不意の沢山のお客に
眼をみはつてをどろいた、
間もなくはしやぎ出した
りん子も妙に落着いた気持になつて
勇敢に安坐を組んでよくしやべつた、
『動物詩集』を出した草刈真太は
りん子の傍を離れまい/\と
おそろしく努力を払つてゐた。
尾山は妻を喪つた後の寂寥さに
ときならぬ女客を迎へて
部屋の空気の和やかさを
楽しんでゐる風であつた、
アナアキスト詩人の古谷典吉は
彼女を半分だけ愛し
残りの半分は彼女の態度を眼に余つた
苦々しいものゝやうに沈黙してゐた
大西三津三は、たゞもう無邪気に
女の若さと語ることの嬉しさで一杯であつた。
次第に夜は更けてきた
反対に人々の眼は益々冴えて
沈黙勝になつていつた。

   二十
 
夜は悪戯者で意地悪だ、
夜の計画は、夜は遂行できないが
昼の計画したことは夜できる
四人の中幾人かの詩人は
明るい間に計画してをいたこと
彼女を独占的に愛したいといふこと、
夜が来た、計画を遂行しなければ――、
選ばれた勇者は四である
それを一に帰さなければならない
りん子に対する四人の男の
心の探り合ひは一通りすんでゐた
だが、まだ/゛\勝負は決められない
飛躍といふこともあるからだ

   二十一

一番りん子を愛してゐない男の
勝に帰するといふこともあるから
愛してゐないものが勝つなんて
さういふことは真理にそむく
真理を守るには戦はねばなるまい
戦ひ尽して負けてゆくことは本望だ
勇者の消極性は一番滑稽だ
弱者の精一杯の積極性が
時には勇者に勝つことがある
女を愛するには遠慮がいらない
戦へ、戦へ、今宵一夜の戦場であるぞ――。
と何処かで戦の神が叫んでゐるやうだ。
尾山の家は六畳、四畳半、廊下つきの家、
瓦斯も電燈も四ケ月前に切られてゐる、
ローソクを立てゝ詩に関して一同は熱弁をふるひ
果てはアナアキスト詩人古谷典吉と
大西三津三との激論になつた、

   二十二

――ぢや何だな、大西君
 君はしきりにアナアキズムを攻撃するが、
 君は一体思想的には何主義を奉じてゐる詩人なんだ。
――僕は何主義も奉じてはゐない
 たゞ僕はアナアキズムの自由は
 真の自由ではないと思ふ
 僕は真の自由といふものは
 精神の規律化、精神の典型化を生活上に
 当てはめたものだと思ふ
 そのやうな思想を信じたい
――そんな馬鹿なことがあるものか
 規律、典型、秩序、道徳、そんなものは必要でない、
 一切のものゝ破壊だ
 それが自由さ。
――僕はあくまでその種の自由を
 自由とは認めない
 アナアキズムは観念の世界の自由だ
 手綱なしで乗る馬さ
 君等は人間の本能を
 制御する力もないんだから
 秩序ある自由の下に
 真の闘ひを展開させることなどはできない
――いや、よく解つたよ、
 大西三津三君はどうやら
 怪しげな思想体系をもち始めたよ、
 然し思想体系をもつものは
 集団行動をしなければ意味がないんだ、
 我々アナアキスト詩人は
 いゝ友情の下に組織的行動をとつてゐるんだ、
 ところで君は何主義でもないといふ
 なんの集団行動もやつてをらん
 つまり君のは個人的法螺だな。

   二十三

――僕は、真の自由主義者だよ
 君が是非共僕に主義を
 声明しろと言ふんなら言ふさ、
 僕は、アナアキズム反対主義さ
――何をッ、大西、もういつぺん言つてみろ
 君はアナアキスト詩人壺川茂吉が
 我々の陣営を裏切つて
 コンミニストの方へ走つた
 そして我々に足を折られたことを覚えてゐるだらう。
大西はアグラの膝を立てた
――それで君も僕の足を
 折らうといふのかね
 君達に他人の足を折る自由と
 権利があつたら、さうし給へ
 壺川の場合だつて彼は豪いさ、
 信ずる方向へ進むためには、
 足を折られても妥協のない行動をとつたのだ。
何時果てるとも判らぬ議論の間に
りん子の甘つたれた声が仲裁に入つた
――みなさん、遅いのよ、寝まない
彼女の声で二人の論敵たちは
夢から醒めたやうに
たがひに顔を見合せてにやりと笑つた
――みなさん、遅いのよ、寝まない
二人はもう一度口の中で
彼女の言葉を繰り返してみた。

   二十四

蝋燭が尽きさうになつた、
パチパチと爪を切るやうな音をたてた、
理由ははつきりとしてゐるのだが
一同はそれを口に言ひ表はすことができない
――誰が彼女にもつとも接近したところに寝るか
由来恋は地理的である、
地の利を占めることが最も必要だ
尾山は年輩者らしく
早くも其の場の人々の関心事を見てとつた、
一切を彼女の自由意志にまかすことだ
彼女がどこにどのやうな塹壕をつくつて
男達を防ぐか
それとも彼女が全く城門を開放してしまふか

   二十五

戦術家としての彼女の意志を知る必要がある
――りん子さん、あなたは何処へお寝みになる
彼女の答は活溌だ
――私に、六畳の部屋をくださいな
 わたし一人の部屋よ
 みなさんは四畳半に寝たらいゝわ
おゝ、なんといふ公平な処置だらう、
彼女は聡明である、
りん子は押入から夜具を引き出さうとした
押入れには掛布団が一枚入つてゐるばかり
――寒かつたら何でも
 引ずりだして掛けて下さい
 毛布が一枚あるよ
 我々はみんなゴロ寝だ、
一人の女王のために
四人の兵士は野営の状態だ
それもよからう、心から王者に仕へるといふ
馬鹿者の心理は幸福だから、

   二十六

りん子は六畳の真中に夜具を敷き
火鉢の火に手をかざしながら
何やら雑誌を読みだした、
男達とサクラ子は四畳半に鮨詰めになつて
穏やかならぬ興奮状態で低い声で話合ふ
――君は吉田りん子といふ女を
 どう思ふかね
 悪党でもないやうだね、
草刈真太は低い吃り声で
古谷典吉に向つて語りだす、
――おれは、あの女が好きなんだ、
――ところで大西君も
 あの女に満更でもないだらう、白状しろ

   二十七

草刈の質問で大西三津三は悲しさうな顔をした
――まあ、待つてくれよ、
 おれといふ男はね
 女を好きになるまでには
 とても時間がかかるんだ
 それは悲しいことだよ
 りん子だつて好きとも嫌ひとも
 まだ判断がつかないんだ
 漠然たる不安の間に
 時に怖ろしく勇気が出ることもあるが
 あゝいふ、颯爽とした女と
 つきあつた経験がないんだよ
――さうかね、尾山清之助先生の感想は
尾山は答へない
愛児のサクラ子を寝せつけながら
ただくす/\と笑つてゐる
サクラ子は次第に眠気を催ほして
可愛い黒い瞼毛のまぶたを
とぢたり、あけたりして間もなく寝入つてしまつた

   二十八

――ところで俺だ、
 俺はあの女好きだよ
 彼女はいつも濡[#底本の「漏」を訂正]れてゐるカハウソといつた情味と
 精悍さを兼ね備へてゐる
『動物詩集』の作者、草刈真太は
絶讃する言葉に苦しんでゐるやうな
真に迫つた表情をする
草刈の形容は当つてゐる
彼女の小さな体は
いつも充実した感情で
水を出入りするカハウソによく似てゐる、
そして小さな体が怖ろしく強いはげしい
抱擁力を隠してゐるかのやうだ、
アナアキスト古谷はしだいに
憂鬱な表情に変つていつた、
彼はいかにも行動者らしい沈黙の中に
何か確信的な太い呼吸を
そつとときどき洩らしてゐる。

   二十九

男達の部屋の蝋燭は消され
いくらか遅れてりん子の部屋の蝋燭も消えた
長い時間男達の眼は
闇の中で開らかれたまゝであつた
男達の瞼を『おやすみなさい――』と
柔かい指で睡魔が撫で廻してあるいたが
男達の眼は反抗的であつた。
しかし男達の瞼も夜に征服され
鎧戸が下りたやうに閉ざされた、
小犬のやうにクンクン鳴いたり
馬のやうに低く嘶いたり
猫のやうにゴロゴロ言つたり、
さまざまな動物的な音をたてながら
詩人たちは寝入つてゐる。

   三十

大西三津三は不意に体の何処かにショックをうけ
痙攣的に飛び起きた
時刻はわからないが真夜中にちがひない
こはれた笛のやうな寝息をきいた
ぐずぐずと呟くやうな
鼻の鳴る音がきこえた、
――誰だらう、蓄膿症奴が、
彼はひとりごとを言ひながら
廊下伝ひに便所に行つた
彼女の部屋では火鉢の上で鉄瓶が
チンチンと可憐な音をたてゝゐた
すると彼女の元気のよい声で
――誰、まだ起きていらつしたのは、
 寒いでせう、お入んなさい
大西三津三は『は』と軍隊式簡単明瞭に答へて
襖をあけて女の部屋に入つていつた
大西の主義はいつも
『女に対して従順であるから――』

   三十一

何といふ四畳半の馬鹿者共の高い寝息だらう
飛躍と奇蹟がいつぺんに訪れて
武装解除した敵地に入城する快感のために
大西の両の膝頭がかすかに
カスタネットのやうに鳴るのだ、
彼女がカハウソであらうが
鵞鳥であらうがかまはない
寂寥な独身者である自分の傍に
生きものが寝てくれるといふことは
なんといふ最大なる幸福だらう、
あゝ、すばらしい
明日からおれの運命は方向転換するだらう
懶惰と憂鬱との無味乾燥は去り
俺の美しい一生はひらけるだらう
大西は彼女の寝床に従順であつた

   三十二

ところでどうやら寝床の中の
状勢は怪しいのだ
彼が彼女の傍に入つてゆくと
彼女の肉体が衝撃をうけた尺取虫のやうに
硬直してしまつた
大西はラヂオ技師のやうに
しきりに彼女の肉体にノックしたが
あゝ、世界の何処からも応答がない
我が北極探険船は
氷の寂寥に閉されて進むことも退くことも
出来ない破目に陥つた
彼の兼々主張する女に対する『漠然たる不安』
そんなものはとつくにけし飛んでしまつた
これ以上明瞭な不安はない
――およしなさいよ。お帰へりなさい
彼女は美しい声で
邪剣な退去命令を大西に下した。

   三十三

――はッ、失礼致しました
兵卒が上官に面責されたやうに
大西三津三はガバと彼女の寝床から離れ
オイチ、ニ、オイチ、ニ、の軍隊式の足取りで
四畳半に引きあげた
不思議な時間といふものもあるものだ
最大の幸福と最大の不幸との
継ぎ目といふものは
こんなに見分けがつかないものか
たしかに彼女が
『お寒いでせう、お入んなさい――』
といつたのに、そして従順であつたのに、
勇士が馬に乗つて
見事に障碍物をとんだと思つたのに
馬は見事にとんだが
乗手は鞍から離れて
いやといふほど痛い障碍物の上に
乗つかつてしまふとは
真夜中の乗馬遊びでよいやうなものの
白昼の観客注視の只中であつたら
帽子で顔を隠して
競馬場を逃げ出さなければならなかつたのだ
曾つて愚かにきこえた四畳半のわが友の寝息よ
いまは平安な男達の
賢明な寝息にきこえるばかり。

   三十四

春の朝の明るい部屋の中へ
濶達な女王さまは起きてゐる
男達はのろのろと
陰気な動物のやうに四畳半から出てくる
みると彼女の傍には夜着などをきこんで
意外や草刈真太が
特別製の威厳と幸福とを顔中にみなぎらして
彼女に寄添ふやうに坐つてゐる
常態でない
一夜にして草刈真太は亭主然としてゐる
太陽の光りの屈折が位置を変へたのだ
なぜといつて草刈奴の顔へばかり、
なごやかな平和な淡虹色の
光りが集注してゐたから
草刈は輝やいた顔で彼女と喋々喃々する。

   三十五

りん子は一同を見渡して
女には珍らしく威厳のある声で
――わたし達の共同生活は、といふ
――よろしく組織的でなければ、ならないわね、とつゞける
――古谷さん、貴方は掃除係り、
――尾山さんは炊事当番、
――大西さん、貴方は育児係りをして下さいな、
アナアキスト古谷典吉は情けない顔をして
――おれは、つまり便所掃除もするわけだな
――勿論、それから庭もね、玄関の前のドブ板のこはれたのも修理して下さい、
――よろしい
――大西さんは育児係りだから
 サクラ子ちやんを連れて
 一日中遊びあるいて頂戴、
大西は彼女の命令を快諾した
――しかしりん子さん。子供のお守りには
 オヤツがいるから経費がかゝりますよ。
りん子は財布の中から出した
五十銭玉を一つポンと投げだした
――今日一日中の育児料を差し上げますわ
――ありがたい。大西三津三はニヤリと笑つた
炊事係尾山は市場に買出しにでかける。

   三十六

ところで掃除係りの古谷から苦情がでた
――りん子さん。仕事の割り当ての済まない男が一人残つてをりますよ
 草刈真太君は何役ですか?
りん子はコケッティッシュにうそぶいて
――草刈さんは、わたしの亭主。
古谷典吉はをどろいた
――りん子さん、それは酷い
 我々を雑役に追ひやつて
 草刈の奴だけ丹前を着て収まるなんて、
 草刈があなたの亭主、なるほど、
彼はゴクリと唾をのみこんだ
――亭主なんて穏やかでない
 しかも我々の共同生活には
 亭主などゝいふ封建的な動物はゐなかつた筈だ、
 りん子さん、我々は不平です
 もつと穏やかな言ひ方をして下さい
りん子はそこで斯う言ひ方を訂正した、
――私たちの共同生活会社では
 わたしが女社長だから
 草刈さんを、わたしの秘書といふことにしてをきませうね、
――ところで貴女の草刈秘書は
 あなたに対してどんな仕事をするのですか
――いえ、それは当会杜の機密に
 属してをりますから公開できませんの。

   三十七

詩人達の朝飯が始まつた、
炊事係りの尾山清之助は
ハンペンの味噌汁をつくつた
喰ふとき草刈秘書から抗議がでた
――いつたい、ハンペンなどが人間の喰ひ物かい、
 いつたいハンペンが人類の食ひ物として
 歴史に現はれ始めたのはいつのことかは知らない、
 しかしかゝる変てこなものを
 平気で喰ふ人間の神経のにぶさが問題だよ、
尾山炊事係りは憤然として
――それは[#底本の「それに」を訂正]大いに違ふ、ハンペンを攻撃する
 君の神経の方がどうかしてゐる
 食物とは、決して歯や舌に負担を
 かけるやうな固いものを選むべきではない
 つまりハンペンは舌より柔らかい食物だ、
 文明人ほど柔らかいものを喰ふ
 みたまへ、西洋人の喰べ物を
 ジャム、マヨネーヅソース、ミルク、
 バタ、チーズ、シュークリーム、
――なんだい、その最後のシュークリームといふのは
――いや、僕が大好きだからさ、
 さういふ具合に文明人ほど
 食物に流動体を選むやうになる
 ハンペンとは現段階に於ける
 固形食物としては最も柔らかい方の存在だよ、
尾山炊事係りと草刈秘書とは論争する
――草刈君、それでは僕は炊事係りをやめる
 明日から君が炊事係りになり給へ
 僕はりん子さんの秘書になるから
尾山がかういふと『それには及ばぬ』と
草刈秘書は議論を打切つてしまつた。
夜が来た、
大西三津三がサクラ子のお守りで
綿のやうに疲れて帰つてくる、
夜になつたのだ、秘密を手なづけ
運命をおもちやにし、
薄弱な意志を深刻さうに持ち廻るには
都合のよい夜がやつてきた
りん子社長は六畳の間で芳香を放ち
四畳半の男たちは匂ひのする方向に
鼻づらをならべて寝た。

   三十八

第二夜は明けて朝となり、運命は逆転してゐた、
きのふの秘書草刈真太はしよんぼりとして
新らたに古谷典吉が丹前を着込んで
りん子の傍に亭主然と坐つてゐる
草刈秘書は失脚して掃除係りにまはされた
草刈は便所のキンカクシに
タハシをかけて洗ひながら呟いた、
――女は深い淵のやうで
 その心、はかり知れないなどゝは嘘の骨頂
 女の心なんて皿よりも浅い
 男は女を操縦しようとして
 あまりにも長い竿をもちすぎて失敗する
 浅い川には、小さな船、短かい竿がいちばんいゝ、
 きのふの秘書は、今日の雑役夫、
 愛は一日にして、古谷奴に横取りされたが
 あすはまた取り返してやる
 よろしい、愛が刹那によつて最高だとすれば、
 まずもつて俺の愛は完全であつた、
 これからは女といふものを
 あまり深刻には考へまい
 千切れ雲を追ふやうな寂寥の心で
 たゞ熱心に追つかけたらいゝ

   三十九

古谷秘書はりん子の傍でやにさがり
尾山清之助は台所でぶつくさ言ひながら
大根オロシで大根を擦つてゐる
大西三津三は縁側で
サクラ子を相手にオハジキをやつてゐる
食事がすむと育児係大西は
サクラ子を連れてぷいと家を飛び出す
郊外の土手伝ひに
二人は足にまかせて歩るきだす
とつぜん立ちどまつて蟻の戦争を見物する
――サクラ子ちやん、どつちの蟻が勝つと思ふ
――あたい、わからないわ
――そりや、おぢさんだつてわからないさ
 しかし結局。強い方が勝つにきまつてる、
 それが真理だ、
――ぢや、おぢちやん
 どつちの蟻も弱かつたらどうなるの、
――うむ、さういふことも確かにあるな
そこで大西は考へこんだが
適当な答へを引きだすことができなかつた。

   四十

そのとき路を横切らうとする一匹のガマをみつけた、
――おぢちやん、大きな蛙ね、
――蟇といふんだよ、
 僕はこ奴のためにかう歌つてやらう
 『ガマよ、お前は動物ではない
  うごきまはる古い靴だ
  死の怖れを知らない、強い奴』とね
 全くだ古靴は死なうとか生きようとか
 面倒臭いことは考へないからな
――おぢちやん、何をしやべつてゐるのよ
 おぢちやんとガマとどつちが強い
――勿論、人間の方が強い
――ぢや、戦争をしてごらんよ
――よし戦つてやる、サクラ子ちやん見てゐてごらん、
――あたい、おぢちやんの味方になるわね
――いや一人でたくさんだ
大西三津三はたちまち洋服の上着を脱いで
蟇の前方にまはつて
強い視線をもつて
凝然と蟇を睨めつけた。

   四十一

まず第一に奇襲を試みる必要がある
大西は蟇の頭の上へ、しやあしやあと小便を始めた
蟇は落下するものを、脂つこい皮膚ではじきとばし
ときどき手をもつて
うるささうに顔を拭つた
そのとき大西は小さな太鼓を
打つてゐるやうな快感を肉体に感じた
蟇は半眼をひらきじつと
大西の股間にぶら下つてゐる異様なものを
睨めつけてゐた
大西がふと気がつくとサクラ子もまた
不思議さうに大西の股間のものを珍しさうに
首をかしげて眺めてゐたのに気がついて
育児係りの任務を思ひだし
あわてゝ水責めの奇襲を打切つて
こんどはどこからか大石を運んできた
投げをろさうとして蟇の頭上にもつていつた
蟇は全く死を怖れざる古靴であつた
悠々として歩るきまはる
『生命の中には死はなし
 死とは生命の外より来るものなり』
と哲人めいた達観ヅラで
ちよいちよい横眼で石をみあげながら進む
大西は石をもちあげたが
心の疲れでそれを蟇の上に落す力を失つた
――サクラ子ちやん、おぢさんは蟇に負けたよ。

   四十二

蟇が死を怖れない永遠の強者なら
詩人はよろしくそのやうに強くならねばならない
こ奴の厚い無神経な皮膚はどうだ
鉄仮面をかぶつたやうに
陥没した奥のところに光つた眼がある
西洋の歴史物語にでてくる
暴れる囚人に着せる皮の外套、狭搾衣、
蟇も詩人も生れながらにして
運命の狭搾衣を着せられたやうなものだ
そのとき蟇はかう言つてゐるやうだ
――肉体のあるかぎり、行為はあるさ、と
ところで詩人は運命に対しても行為に対しても
あゝ、蟇よりも、蛙よりも、オタマジャクシよりも劣弱だ
大西三津三は別れる蟇に敬意を表し
サクラ子の手をひいて歩るきだした。

   四十三

周囲は暮れかゝつてきた
思ひがけないさびしい郊外の原つぱに来てゐた、
遠くには瓦斯タンクが黒くそそりたち
家々も離れ点在してゐた
蟇と戦つて思はぬ時間を費したのだ、
街の灯がはるかに空に映つてゐる
――サクラ子ちやん、遅くなつてしまつたよ
 いそいで帰らう
大西がサクラ子を引きたてた
サクラ子はお河童の髪を横にふつて
――あたい、お家に帰らないの、と言ひだした、
大西はおどろいてあわてゝ手をひつぱると
サクラ子は草の上にぺたりと坐つてしまつた
――どうしてお家に帰らないのサクラ子ちやん
――あたいお家が嫌になつたのよ
 ママちやん死んじまつたし
 パパはもうあたいを可愛がつてくれないし
 よそのおばちやんが
 あたいの毛布をとつてしまつたの
 だからおぢちやんとこゝに寝るの
 ――仕方がない、彼女が野宿をしようとするなら、止むを得まい。

   四十四

大西は枯草を集めてきて敷いた
その上にサクラ子を寝せ
大西の片腕を枕にさせて
一枚のレインコートを二人でかけた
それでどうやら夜冷えは避けられさうだが
心と眼とは益々冴えるばかり
――ねえ、おぢちやん何かお話をして頂戴
――おぢさんはお話をさつぱり知らないんだよ
――どんなでもいゝから話してよ
――何か無いかな、短かくてもいゝかい
――どんなんでもいゝの
――それぢや話さう、昔々あるところに
 お爺さんとお婆さんとがをりました
 お爺さんが歳をとつて死にました
 それからお婆さんが歳をとつて死にました
――まあ、おもしろいわね――。

   四十五

仰向いて寝ながらみる夜空の美くしさを
サクラ子は早くも発見した
大西は子供の美に対する感受性の早さに
大人の詩人は到底敵はないと心に思つた
地上に寝ながら満天の星をみてゐると
物理的な錯覚にとらへられる
地球もまた空間に浮んでゐるものとすれば
自分は地球の外側に浮彫りにされて動きがとれず
寝て眺めてゐるのに、空は星をちりばめた
一枚の直立した壁で
それに真向ひに立つてゐるやうな気がする
――おぢちやん、あのお星さまは奇麗だわね
指さすサクラ子の指の先には
たがひに手をひきあつて労はりあつてゐるやうに
七つの星がふらふらとゆれてゐた
――あれを北斗七星といふんだよ
 ほら、あそこに光つた親星があるだらう
 そのそばに小さな星が光つてゐるだらう
 小さな方を支那では『輔星』といふんだよ
 ひとつ星占ひをやつてやらうかな
 親星の方を支那では
 支那の天子さまと呼んでゐて
 傍の輔星は『宰相』つまり内閣総理大臣
 といふわけだ
 ところでどつちが光つてゐるか
 昔の支那人はそれをためして占つた
 かう言つたんだよ
「輔星明かにして斗明かならざれば
  則ち臣強く君弱し」
「斗明かにして輔明かならざれば
  則ち君強く臣弱し」
「輔星若し明かに大にして
  斗と会ふ時に、則ち国兵暴かに起る」
 星を仰ぎながら天下の社会状勢を
 占つた支那人はロマンチックな人種だな

   四十六

――ひとつサクラ子ちやんの純真無垢の眼をもつて
 どつちのお星さんが光つてゐるか当てゝごらん
 しかしよさう、
 かういふ幼児に真実を言はせるといふ
 大人の押しつけは憎まれるべきだ
 我々大人が真実を言はなければならん
――おぢちやん、何をひとりでしやべつてゐるのよ、
 サクラ子眠くなつたの、おぢちやん何か歌つてよ、
 ママちやんはいつもおやすみのとき
 サクラ子に歌をうたつてくれたの
 かうやつてね、布団をたたいてくれたの
――サクラ子ちやん、
 それではおぢ[#底本の「じ」を訂正]ちやんが、朝鮮のお友達から
 教はつたアリランの歌といふのを歌つてあげよう
 そこで大西三津三は
 星を仰ぎながら小声で歌ひだした
 「アリラン
  アリラン
  アラリヨ
  アリラン峠を越えてゆく
  かくも蒼空に、星はあれど
  われらが胸は
  斯くもむなし」
 歌ひ終ると大西は寝ながらチヱ[#「ヱ」は小文字]ッと
 空にむかつて唾をとばし
 「斯くも蒼空に星はあれど
  我等が胸は斯くもむなし」かと
口の中で繰り返した、
サクラ子の肩を手で軽くたたきながら
もう眠つたらうと顔をのぞきこむと
サクラ子は冴えた眼をしてゐて
つづけて歌へとせがむ

   四十七

――ぢや、もう一つだけアリランの歌のつゞきを
 歌つてあげるから今度は温和しく眠るんだよ
大西は眺めるともなく空を視線で撫でまはしてゐると
視線は空の一角で一つの星が地上にむかつて
青白い光りの線と化して
流れ墜ちるのとぶつかつた
眼に強い刺戟をうけた
すると倦怠と脅えと疲労とが
彼を眠りの中に一気に引きこんだ
大西は睡魔と闘ひ、非常に努力しながら
とぎれとぎれにアリランの歌をうたひだした、
 「アリラン
  アリラン
  アラリヨ
  アリラン峠をこえてゆく
  富と貧しさは
  まはりかはるものなれば
  汝等、なげくなかれ
  いつかは君等にも来るものを」
歌ひ終つたとき全く眠りが彼をとらへてしまひ
どこか遠くの方でサクラ子の声をきいた、
サクラ子はじつと大西の歌をきいてゐたが
「おぢちやん、こんどはあたいが歌ふ番だわ
 おぢちやん、おぢちやん、
 ―坊やはよい子だ、ねんねしな
  坊やの、お守はどこへ行つた
 おぢちやん、おぢちやん、おや、ねんねしてしまつたの
 ―あの山こえて、里行つた、
  里のみやげに、何もらうた」
サクラ子は小さな手で大西の胸を
歌ひながら夢うつつで軽くたたきながら
サクラ子が育児係大西を寝せつけた
やがて大西は雷のやうな、いびきをかき始め
つづいてサクラ子も小鼻をピクピク動かしてゐたが、
まもなく二人とも深く寝入つてしまつた、
すると周囲の草が、吹き過ぎる風の
衝撃をうけて生きもののやうに動き始めた、
人々がこんこんと寝入るときに
自然が怒る時を得たかのやうに、

   四十八

翌る朝、原つぱの上に陽が
高くあがつてしまつても
二人は死んだやうに寝入つてゐた、
まもなくサクラ子が眼をさまし
寝入つてゐる大西の枕元に
行儀よく、きちんと坐つたまゝで
大西が起きるのを何時までも待つてゐた、
大西があわてゝとびをきて
面目なささうにあたりを見まはし、
それから二人は沈黙がちに歩るきだした、
とつぜん理由のわからぬ怒りがこみあげてきた、
「おれたちは野宿をしたのだ、
 誰がそんなことをさしたのだ
 母親をなくしてしまつた可哀さうなサクラ子、
 ぐうたら詩人尾山を父親にもつた可哀さうなサクラ子
 最初の人生を野原に寝て味はつた可愛[#[愛」に「ママ」の注記]さうなサクラ子
 この子をこれから誰が育てるのか、
 託児所をつくれ」
大西はカッと眼をみひらいて空を睨んだ
そのとき朝の太陽は
「そいつは俺の知つたことぢゃない、
 お門違ひだ、託児所のことは政府に頼め」
と太陽はゲラゲラ笑つたやうに思はれた、
「おぢちやん、何をそんな怖い顔をしてゐるのよ、
 サクラ子、お家に帰りたくなつたの」
「お家へ帰らう、そして厳重に抗議してやる
 第一にサクラ子ちやんの毛布を
 あの助平女流詩人から取りかへしてやる、
 それから育児係りの辞表を叩きつけてやる、
 尾山に父親の正統なる義務を果せと要求してやる」

   四十九

尾山の共同生活の家にたどりついた頃は
大西はすつかり元気を失つてゐた、
「あんた達はゆふべ何処へ泊つたのよ」
りん子が六畳間からかう声をかけた
「野宿をしたんだ」
「まあ」といふりん子の声につゞいて
尾山の声で「大西君それだけはしないでくれ給へ」
大西は答へた「教育上よくないかね」
部屋に上つてみると、また運命が変つてゐた、
昨日の古谷は失脚して尾山清之助が
りん子の傍に丹前を着て坐つてゐた、
「すると今度は俺が丹前を着る番だな」
大西は心にさう思ふと穏やかならぬものが
胸から背骨の間を馳けまはるものがあるやうに
思はずぶるると身ぶるひした、

   五十

その翌る朝がやつてきたが
大西は丹前を着る機会を失つてゐた、
しかも形勢は異状に展開し
依然として尾山清之助であつた、
その翌る朝もまたその次の日の朝も尾山は連勝し
古谷典吉、草刈真太は共同生活を去つてしまつた、
しかし大西三津三は育児係りの辞表を叩きつけ
りん子から毛布をとりかへす勇気もなく
サクラ子にせがまれると毎日散歩にでかけた、
きのふは新宿、けふは銀座、
銀座尾張町の時計店の前までやつてくると
サクラ子はとつぜん大西に向つて
「あたい踊りたくなつたわ」と
可憐な顔で訴へだした、
「踊つたらいゝさ」
「あたい踊るわ、おぢちやん何か歌つてね」
「よし来た、何がいゝだらうな
青い眼をしたお人形が、でゆくか」
銀座の昼の雑踏の真中で
大西は大きな声で「青い眼」を歌ひだした、
通行人はおどろいてその男の顔を眺めると
その男の足元に小さな女の児が
首を傾げたり、袂を口にくはひたり
手を上にかざしたりして踊つてゐるのを発見した。

   五十一

たちまち物見高い都会では
通行人が退屈を救ふいゝ見世物が
こつぜんと鋪道の上に出現したといはぬばかりに
大西とサクラ子を取り巻いて人垣をつくる
その円陣の真中に大西は最大の熱情と
深刻さを顔に出現しながら歌ひ
サクラ子は無心な喜びで
手足ものびのびと可愛らしく踊りつゞける
大西はそのとき突然何を思つたのか
かぶつてゐた帽子をぬいで手にもつて
「諸君」と群集にむかつて叫びかけた
「諸君」僕は母親をなくしたこの子供の育児係りであります、
この子の父親は助平女流詩人に惚れてゐて
この子を構はんのであります
しかもその女はこの子の毛布をうばひました
われわれは野宿をいたしました
諸君。母親の働いてゐる家庭のために
母親をなくした家庭のために
 託児所をつくれ!
 託児所をつくれ!」
かう怒鳴つて群集の輪を大スピードで
大西は帽子をまはし始めると
チャリン、チャリン、と金属の音が帽子の中にとびこんだ
大西は敏捷な動作で帽子を二三回まはし
集まつた金を数へもせず鷲掴みで
ズボンのポケットの中へ落しこみ
「サクラ子ちやん大成功だ、もう踊らなくてもいゝよ」
とさつさと群集の輪を突切つてその場を去つた、

   五十二

それからガードの入口にもたれてゆつくりと
金を数へてみると、銀貨銅貨とりまぜ一円七十五銭
カフェーのマッチが一個に、キャラメル三粒、
意気揚々と省線電車に乗りこんだが
乗客が多くて電車は押すな押すな
見ると一個所大きく席があいてゐる
そこには酔つぱらひが吐いたヘドが
一間四方の放射状に散つてゐて
誰もその前に坐るものがゐない
エビフライの断片とウドンのまじつた嘔吐で
おそらくビールと泡盛と日本酒を
ちゃんぽんにのんだ悪酔がさせたわざであらう、
大西はサクラ子をつれて
そのヘドの前に十人分の坐席を
二人で占領してしやあしやあと
のびのびと悠々と済ました顔で乗つて帰る

   五十三

大西とサクラ子が家にたどりつくと
まだ明るいといふのに
不思議にも家中の雨戸がしまつてゐる
尾山とりん子が外出して留守かと思ふと
雨戸のすき間からチラホラと灯がもれ
人のゐる気配がする
怪しいぞと大西が足音を忍ばせ
雨戸のすき間から中を覗くと不思議な光景だ、
昼だといふのに雨戸をしめきつて
部屋の真中の瀬戸の大火鉢を
尾山とりん子が挾んで坐つてゐる
尾山が火箸を一本
りん子が火箸を一本
それぞれ一本づゝの火箸を手にして
無言劇のやうにだまりこくつてうなだれて
火鉢の中の灰をそれでひつかきまはしてゐる
かたはらのチャブ台の上には蝋燭の灯、
たがひに語ることも尽きてたゞ運命の倦怠、
尾山が灰の上に火箸でAと書けば
りん子が灰の上にBと書く
尾山が灰の上にZと書けば
りん子が灰の上に○を書いてしくしくと啜り泣く
大西は雨戸のすきまからじつとそれを覗く、

   五十四

大西はすべてのカタストロフ「終局」がやつてきたと思つた
あの女を叩きだしてしまふか、
サクラ子の毛布をうばひかへすか、
あの女と尾山と結婚させてしまふか、
育児係りの辞表を叩きつけてしまふか、
最後の勇気がいるときがやつてきたと考へた、
「君たちも変だよ、昼日中、雨戸をしめて
 睨めつくらをしてゐるなんて」
かういつてガラガラピシャンと雨戸をあけてしまひ、
ズボンのポケットから金をだして
ざらざらと畳の上に出す、
「サクラ子ちやんが、とつぜん踊るといひだしたんだ、
 所は銀座の真中で、
 そこで僕が歌ひサクラ子ちやんは踊つたよ、
 帽子をまはしたところが
 群集は僕の「託児所をつくれ」の
 名演説に感動してこんなに金を投りこんだよ」
すると尾山の顔にさつと暗い影が走つた、
「大西君、それだけはやめてくれ給へ!」
「教育上、よくないかね」
「さうはいはない、たゞ困るのだ」

   五十五

大西は興奮を始めた
「尾山君は、父親として自分の子供サクラ子ちやんと
 君の友人としての、この大西三津三を軽蔑してはいけない
 我々の行為が乞食の行為ででもあつたといふのか、
 サクラ子ちやんは踊りたいといふ純真の発露さ、
 僕は託児所の必要を痛感し
 帽子をまはして広く浄財を集めたゞけだ、
 働く母親をもつた労働者農民の家庭のためにも、
 君のやうなグータラ詩人の母親をなくした
 家庭のためにも
 託児所の建設は是非必要なんだ、
 僕は君の子供の育児係りとしてそれを痛感した
 僕は明日も銀座にでかけるよ、
 それが悪かつたら育児係りを辞職する」
「君の気持はわかつてゐる、
 僕もサクラ子の父親として恥じるものがある
 だが銀座にでかけることだけは勘弁してくれ」
「それでは僕は辞職する
 尾山君、サクラ子ちやんは
 至急母親が必要なんだよ
 君達の恋愛は結婚にすゝむべきだな、
 そしてりん子君は母親としての任務を果すべきだ」
そのとき女流詩人吉田りん子は不意に立ち上つた、
そして玄関の方に歩きながら
「大西さん、わたしは恋愛の自由は認めるけれどもね、
 女が母性の義務を負はなければならない
 そんな感情はもちあはさないの!」
すると大西三津三は瀬戸の火鉢を
平手ではげしく叩きながら
彼女の背後から「出て行け」と吐[#「吐」に「ママ」の注記]鳴りつけた、
「すべての女はみんな母親になれるんだ、この中性女の、子宮後屈奴」
吉田りん子は「さよなら」と
静かな声でいつて出て行つた
それから十分も経つて辞職した大西三津三も
玄関口で見送るサクラ子に
投げキッスをして何処となく去つて行つた、

   五十六

読者諸君、この詩はこゝで打切ることができるが、
詩が終つてもまだ十行程現実が残つてゐるから
しやべらしてくれ給へ
其後尾山と吉田りん子とは結婚して
都を落ちて田舎に帰つた
不運な詩をやめて尾山は家業をついだ、
医者の診断では彼女の内臓は完全無欠で
尾山との間に三人の子供を分娩して
サクラ子を加へて四人の立派な母親となつた
「すべての女はみんな母親になれるんだ」
と叫んだ大西三津三は
依然として独り者で詩をつくりながら
都会を転々としてアナキストにも
コンミニストにもファシストにもリベラリストにも
なりきれないでゐる
ときどき夜の都会の盛り場に姿を現はし
十銭スタンドの安ウヰスキーで酔つ払ひ
突[#底本の「空」を訂正]然、女給をとらへて
「すべての女はみんな母親になれるんだ」
と怒号すると女給たちは何ともいへない嫌な顔をする
ふらふらとバーの扉をあけて戸外にでゝ
夜のネオンサインの上に
ちらばり光る星をみると
「託児所をつくれ!」と絶叫し
かたはらの電信柱にもたれかゝつてゲーといふ。

虚構と捉えている以上、モデルを同定することを秋元氏は拒否しておられるが、あえて言わずもがなのことをしてしまおう。文字通り、言わずもがなである。

「吉田りん子」は芳本優をモデルとする。芳本優には「酒場の扉」という詩集がある。
「大西三津三」は大江満雄である。この前月中旬より、尾形亀之助と共同生活をしている(「評伝 尾形亀之助」318p)。
「尾山清之助」は尾形亀之助である。
「サクラ子」は尾形亀之助の長女、泉である。
「草刈真太」は草野心平である。「動物詩集」は1928年刊行の「第百階級」に連なる前年1938年出版の「蛙」であろう。
「古谷典吉」は高橋新吉か。
話中の「壺川茂吉」は壺井繁治か。

しかし、この詩を掲げなければ、尾形亀之助を愛する人だからといって、なかなかこの詩には容易に辿り着かない気がするし、今時、小熊秀雄のこのだらだらの叙事詩を、尾形を知っていて小熊を知らない人が虚心に読むとはとても思えないのである――。

身体軋轢または「評伝 尾形亀之助」の不審

先週一週間、秋元潔氏の「評伝 尾形亀之助」(冬樹社1979年刊)を再読していた。

すると、拾遺詩をテクスト化した僕には如何にも不審な箇所が見つかるのである。

詩集「色ガラスの街」刊行以前、亀之助が雑誌等に発表した詩篇を、秋元氏は数え上げており、その中の大半を占める「玄土」に発表されたものについて、「玄土」の所載号数及び詩題をすべて掲げている。ところが、その掲げた題名には思潮社増補改訂版尾形亀之助全集に所収しないものが11篇も含まれている。

「無題詩」(「玄土」大正11(1922)年5月)

「散歩」(「玄土」大正11(1922)年6月)

「ある詩」(「玄土」大正11(1922)年8月)

「無題」(「玄土」大正11(1922)年9月)

「無題」(「玄土」大正11(1922)年9月)

 *上記「無題」とは異なることが明記されている。

「夏の夜」(「玄土」大正11(1922)年10月)

「老婆」(「玄土」大正11(1922)年11月)

「妻」(「玄土」大正11(1922)年11月)

「影」(「玄土」大正11(1922)年11月)

一見、「色ガラスの街」に所収しているかのように見える「散歩」「無題」(実際には「色ガラスの街」には「題のない詩」「無題詩」はあっても「無題」はない)ものも、秋元氏ははっきりと、別な詩であると断言している。しかし、これらについて、秋元氏は思潮社版全集では一言も言及していない。また、同書には詩集に再録した五篇(「無題」「昼」「さびしい路」「颶風の日」「曇天」)は、『きびしい自己裁断のもと、見事な推敲がなされている(付録参照)。』とあるが、この「付録」とは何か。「評伝 尾形亀之助」には付録はない。思潮社版旧全集には「付録」があって、そこに「玄土」初出形が示されていたということか? 分からない――ギシ

それらしい記述は全集の「尾形亀之助年譜考」の「三、初恋、習作時代」の「玄土」の註なのであるが、そこで氏は、「玄土」は現在、創刊号と第一巻第四号の『この二冊しか発見されて居らず、終刊・号数とも不明である。亀之助がこれに詩を発表していた可能性もなくはない。』と記している。これはまた、如何にも不可解である。何故なら、全集には「玄土」所収の拾遺詩が実際に11篇掲げられているからである。但し、これらは全て「玄土」第三巻第四号~第十二号で、大正11(1922)年4月から12月のものである。従って『この二冊しか発見されて居』ないというのは、何か言葉足らずなのではあるまいかと思わせる。前回の全集編集時の不完全さと、その後の第一級資料の決定的散逸といった最悪の事態が襲ったのであろうか? 分からない――ギシギシ

先に掲げた「30篇」と全集の拾遺詩の決定的な齟齬は何なのか。ここで標題だけの詩群について、秋元氏には全集でせめて一言欲しかった。何らかの誤解であってこれらの詩群は存在しないということが分かったということなのか? 分からない――ギシギシギシ

全集の書簡12通の少なさも気になる。書簡が置かれている位置も、(資料)のほとんどどんずまりにあり、失礼ながら書簡収集がなされたのだろうかと疑われる。いや、相応な収集が行われたけれど、亀之助のこと、名誉毀損にでもなりそうな実名ボコボコ言いたい放題で、とっても書簡に載せられないのかしらん、と邪推したくなるのである。分からない――ギシギシギシギシ

秋元潔氏は、しかし、既に昨年、他界されていた。――

本評論は、尾形亀之助を中心に大正期の芸術思潮をある種「政治的に」俯瞰するに、美事な論である。そこで僕らは、どこかで超然として不定形な稀代のトリック・スターとしての尾形亀之助ではなく、いいように使われ踏みつけられながら自律的にムクムクと起き直ってきた誠実な芸術家尾形亀之助を見るであろう――

といった記述を金曜日にはし、「評伝 尾形亀之助」から得られた新知見(全集にない)をテクストかしようと思っていたのだが、金曜午後より寒気と咳と全身の関節の痛みが襲い始め、昨日と本日午前中一杯、床に伏せるはめと相成ってしまった。生徒小論文を添削しなくてはならず、午後になってパソコンを立ち上げたが、どうにも体調は上手くない。一週間もブログを書かなかったことは、右腕の手術の時にもなかったことで、何としても書かねばなるまいという使命感で、ここまで書いたが……

……身体軋轢、身体がギシギシいうという言葉が、実に言いえて妙、である。

2009/01/18

尾形龜之助拾遺詩集 17篇追加

以上、ブログに掲載した、尾形亀之助の詩集「雨になる朝」及び「障子のある家」所載の詩の内、初出形の分かる復元した詩篇17篇を、「尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注」の該当時期の位置に追加した。

尾形亀之助詩集『障子のある家』所収の詩の初出形9篇

思潮社版尾形亀之助全集末尾の『雨になる朝』異稿対照表を参考にして初出復元した詩9篇を公開する(行間がうまく空かないので、掲載詩の標題を太字斜体にする)。

    三月の日

 昼頃寝床を出ると、空のいつものところに太陽が出てゐた。何んといふわけもなく気やすい気持ちになつて、私は顔を洗らはずにしまつた。
 陽あたりのわるい庭の隅の椿が二三日前から咲いてゐる。
 ひき出しの中には白銅が一枚残つてゐる。
 切り張りの沢山ある障子に陽ざしが斜になる頃は、この家では便所が一番に明るい。

(学校詩集 昭和4(1929)年12月発行)
(新興詩人選集 昭和5(1930)年1月発行)

[やぶちゃん注:上記2誌に所載するらしいが、この2誌が全く同じ稿であるということらしい。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、以下のように改稿されている。

    三月の日

 昼頃寝床を出ると、空のいつものところに太陽が出てゐた。何んといふわけもなく気やすい気持ちになつて、私は顔を洗らはずにしまつた。
 陽あたりのわるい庭の隅の椿が二三日前から咲いてゐる。
 机のひき出しには白銅が一枚残つてゐる。
 障子に陽ざしが斜になる頃は、この家では便所が一番に明るい。

本来なら、部分校異で示して終わりにするところであろうが、尾形亀之助の場合のように、校異を示せるものが少ない(詩集所載の詩は書き下ろしか未発表のものが多い)ケースは煩瑣を厭わず、こうする方がより正しいと私は考える。但し、筑摩書房版萩原朔太郎全集のように、本文の脚注ポイント落ちでそれをやられるのはどうかと思う。あれは詩を詠むに堪えない。]

    題はない

 鳴いてゐるのは雞だし、吹いてゐるのは風なのだ。部屋のまん前までまはつた陽が雨戸のふし穴からさし込んでゐる。
 私は、飯などもなるつたけは十二時に昼飯といふことであれば申分がないのだと思つたり、もういつ起き出ても外が暗いやうなことはないと思つたりしてゐた。昨夜は犬が馬ほどの大きさになつて荷車を引かされてゐる夢を見た。そして、自分の思ひ通りになつたのをひどく満足してゐるところであつた。

 今朝も、長い物指のやうなもので寝てゐて縁側を開けたいと思つた。もしそんなことで雨戸が開くのなら、さつきからがまんしてゐる便所へも行かずにすむような気がしてゐたが、床の中で力んだところで、もともと雨戸が開くはずもなく結極はこらひきれなくなつた。から瓶につまつてゐるやうな空気が光りをふくんで、隣家の屋根のかげに桜が咲いてゐる。雨戸を開けてしまふと、外も家の中もたいした異ひがなくなつた。
 筍を煮てゐると、青いエナメル塗りの「押売お断り」といふかけ札を売りに来た男が、顔の感じの失せた顔をして玄関に入つてゐた。そして、出て行つた私にだまつて札をつき出した。煮てゐる筍の匂ひが玄関にもしてきてゐた。――私は筍のことしか考へてゐないのに、今度は綿屋が何んとか言つて台所を開けた。半ずぼんに中折なんかをかぶつてゐるのは綿の化けものなのだからだらう。いいかげんの返事をしてゐたら、綿の化けものは戸を開けたまま行つてしまつた。

(学校5号 昭和4(1929)年5月発行)
(学校詩集 昭和4(1929)年12月発行)
(全日本詩集 昭和4(1929)年12月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。本篇は「学校5号」では題は、表記の通り「題はない」という題である。再録の「学校詩集」及び「全日本詩集」では「五月」となる。以上の二つのアンソロジーに所載するらしいが、どちらも初出と全く同じ稿であるということらしい。形式段落の三段落目にある「……便所へも行かずにすむような」の「ような」、同段落の「結極」はママである。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、以下のように改稿されている。

    五月

 鳴いてゐるのは雞だし、吹いてゐるのは風なのだ。部屋のまん前までまはつた陽が雨戸のふし穴からさし込んでゐる。
 私は、飯などもなるつたけは十二時に昼飯といふことであれば申分がないのだと思つたり、もういつ起き出ても外が暗いやうなことはないと思つたりしてゐた。昨夜は犬が馬ほどの大きさになつて荷車を引かされてゐる夢を見た。そして、自分の思ひ通りになつたのをひどく満足してゐるところであつた。

 から瓶につまつてゐるやうな空気が光りをふくんで、隣家の屋根のかげに桜が咲いてゐる。雨戸を開けてしまふと、外も家の中もたいした異ひがなくなつた。
 筍を煮てゐると、青いエナメルの「押売お断り」といふかけ札を売りに来た男が妙な顔をして玄関に入つてゐた。そして、出て行つた私に黙つて札をつき出した。煮てゐる筍の匂ひが玄関までしてきてゐた。断つて台所へ帰ると、今度は綿屋が何んとか言つて台所を開けた。半ずぼんに中折なんかをかぶつてゐるのだつた。後ろ向きのまゝいゝかげんの返事をしてゐたら、綿の化けものは戸を開けたまゝ行つてしまつた。

「異稿対照表」では、削除部分『今朝も、長い物指のやうなもので寝てゐて縁側を開けたいと思つた。もしそんなことで雨戸が開くのなら、さつきからがまんしてゐる便所へも行かずにすむような気がしてゐたが、床の中で力んだところで、もともと雨戸が開くはずもなく結極はこらひきれなくなつた。』について、『三連目のこの部分全文削除』と記載がある。通常このように有意な空行が認められる場合、「連」は形式段落ではなく、その空行単位で呼称すると私は理解しているが、そのように秋元氏は用いずに、形式段落を「一連」と数えているようである(即ちこの「障子のある家」版は4連構成ということになる)。また、「対照表」初稿の冒頭には一字空けがないが、前後の表現から補った。後半の改稿は表現上の補正という感じであるが、「――」よりも「断つて台所へ帰ると、」としたのは、スラーのような音楽的な流れとして効果的である。]

    秋冷

 寝床は敷いたまま雨戸も一日中一枚しか開けずにゐる紙屑やパンのかけらの散らばつた暗い部屋に、めつたなことに私は顔も洗らはずにゐるのだつた。
 なんといふわけもなく痛くなつてくる頭や、鋏で髯を一本づゝつむことや、火鉢の中を二時間もかゝつて一つ一つごみを拾い取つてゐるときのみじめな気持に、夏の終りを降りつゞいた雨があがると庭も風もよそよそしい姿になつてゐた。私は、よく晴れて清水のたまりのやうに澄んだ明るい空を厠の窓に見て朝の小便をするのがつらくなつた。

(門6号 昭和4(1929)年11月発行)
(学校詩集 昭和4(1929)年12月発行)
(日本現代詩選 昭和5(1930)年4月発行)

[やぶちゃん注:初出は、以上の二つのアンソロジーに所載するらしいが、どちらも初出と全く同じ稿であるということらしい。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、以下のように改稿されている。

    秋冷

 寝床は敷いたまゝ雨戸も一日中一枚しか開けずにゐるやうな日がまた何時からとなくつゞいて、紙屑やパンかけの散らばつた暗い部屋に、めつたなことに私は顔も洗らはずにゐるのだつた。
 なんといふわけもなく痛くなつてくる頭や、鋏で髯を一本づゝつむことや、火鉢の中を二時間もかゝつて一つ一つごみを拾い取つてゐるときのみじめな気持に、夏の終りを降りつゞいた雨があがると庭も風もよそよそしい姿になつてゐた。私は、よく晴れて清水のたまりのやうに澄んだ空を厠の窓に見て朝の小便をするのがつらくなつた。

亀之助にしては珍しく、第一段落を増補している。第二段落の「明るい」は朗読してみると分かるが、停滞を起こさせて確かにいらない。]

    障子のある家(仮題)――自叙転落する一九二九年のヘボ詩人・其七

 納豆と豆腐の味噌汁の朝食を食べ、いくど張りかへてもやぶけてゐる障子に囲まれた部屋の中に半日机に寄りかゝつたまゝ、自分が間もなく三十一にもなることが何のことなのかわからなくなつてしまひながら「俺の楽隊は何処へ行つた」とは、俺は何を思ひ出したのだらう。此頃は何一つとまとまつたことも考へず、空腹でもないのに飯を食べ、今朝などは親父をなぐつた夢を見て床を出た。雨が降つてゐた。そして、酔つてもぎ取つて来て鴨居につるしてゐた門くゞりのリンに頭をぶつけた。勿論リンは鳴るのであつた。このリンには、そこへつるした日からうつかりしては二度位ひづつ頭をぶつつけてゐるのだ。火鉢、湯沸し、坐ぶとん、畳のやけこげ。少しかけてはゐるが急須と茶わんが茶ぶ台にのつてゐる。しぶきが吹きこんで一日中縁側は湿つけ、時折り雨の中に電車の走つてゐるのが聞えた。夕暮近くには、自分が日本人であるのがいやになつたやうな気持になつて坐つてゐた。わけもなく火鉢に炭をついでゐるのであつた。

(文芸月刊一巻一号 昭和5(1930)年2月発行)
(日本現代詩選 昭和5(1930)年4月発行)

[やぶちゃん注:「二度位ひづつ」はママ。初出は、上記アンソロジーに所載するらしいが、全く同じ稿であるということらしい。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、「ひよつとこ面」と改題され、以下のように改稿されている。

    ひよつとこ面

 納豆と豆腐の味噌汁の朝食を食べ、いくど張りかへてもやぶけてゐる障子に囲まれた部屋の中に一日机に寄りかゝつたまゝ、自分が間もなく三十一にもなることが何のことなのかわからなくなつてしまひながら「俺の楽隊は何処へ行つた」とは、俺は何を思ひ出したのだらう。此頃は何一つとまとまつたことも考へず、空腹でもないのに飯を食べ、今朝などは親父をなぐつた夢を見て床を出た。雨が降つてゐた。そして、酔つてもぎ取つて来て鴨居につるしてゐた門くゞりのリンに頭をぶつけた。勿論リンは鳴るのであつた。このリンには、そこへつるした日からうつかりしては二度位ひづつ頭をぶつつけてゐるのだ。火鉢、湯沸し、坐ぶとん、畳のやけこげ。少しかけてはゐるが急須と茶わんが茶ぶ台にのつてゐる。しぶきが吹きこんで一日中縁側は湿つけ、時折り雨の中に電車の走つてゐるのが聞えた。夕暮近くには、自分が日本人であるのがいやになつたやうな気持になつて坐つてゐた。そして、火鉢に炭をついでは吹いてゐるのであつた。

本篇の原題が、詩集の総題であるということは、本詩が詩集「障子のある家」で持つところの重要な役割を感じ取る必要がある。その副題に自叙としての「転落する一九二九年のヘボ詩人」とあるのは哀しい。ある識者は、このリンに痛快無比な諧謔味を読むべきであるとする。しかし私は微妙にそれを留保したい。私は、この詩を何度読んでも、愉快になるどころか、当時の尾形を考えると、如何にも哀しいのである。この軽快な表の顔は「ひょっとこ」のお面に過ぎないのだと、私は思う。]

    詩人の骨(仮題)転落する一九二九年のヘボ詩人の一部

 自分が三十一になるといふことを俺にはどうもはつきり言ひあらはせない。困つたことには、三十一といふことはこれといつて俺にとつては意味がなさそうなことだ。他の人から「君は三十一だ」と言ってもらうほかはないのだ。
 今年と去年との間が丁度一ヶ年あつたといふことも、俺にはどうでもよいことがらなのだから少しも不思議とは思はない。隣家で、カレンダーを一枚残らずむしり取つて新らしく柱にかけたのに一九三〇年一月×日とあつたにすぎない。つまり「俺は来年六ツになるのだ」と言つても、誰も(殊に隣家のおばさんは)ほんとうにしないのと同じことなのだ。
 だが、俺が曾て地球上にゐたといふことが、どんなことで名誉あることにならぬとは限るまい。幾万年かの後に、その頃の学者などにうつかり発掘されないものでもないし、大変珍らしがられるかもしれないのだ。そして彼等はひよつとすると言ふだらう「これは大昔にゐた詩人の骨だ」と。

(詩と散文1号 昭和5(1930)年1月発行)

[やぶちゃん注:第一段落『「君は三十一だ」と言ってもらう』の「もらう」、第二段落「ほんとう」はママ。また、「対照表」初稿の冒頭には一字空けがないが、前後の表現から補った。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、「詩人の骨」と改題され、以下のように改稿されている。

    詩人の骨

 幾度考へこんでみても、自分が三十一になるといふことは困つたことにはこれといつて私にとつては意味がなさそうなことだ。他の人から私が三十一だと思つてゐてもらうほかはないのだ。親父の手紙に「お前はもう三十一になるのだ」とあつたが、私が三十一になるといふことは自分以外の人達が私をしかるときなどに使ふことなのだらう。又、今年と去年との間が丁度一ケ年あつたなどいふことも、私にはどうでもよいことがらなのだから少しも不思議とは思はない。几帳面な隣家のおばさんが毎日一枚づつ丁寧にカレンダーをへいで、間違へずに残らずむしり取つた日を祝つてその日を大晦日と称び、新らしく柱にかけかへられたカレンダーは落丁に十分の注意をもつて綴られたゝめ、又何年の一月一日とめでたくも始まつてゐるのだと覚えこんでゐたつていゝのだ。私は来年六つになるんだと言つても誰もほんとうにはしまいが、殊に隣家のおばさんはてんで考へてみやうともせずに暗算で私の三十一といふ年を数へ出してしまうだらう。
 だが、私が曾て地球上にゐたといふことは、幾万年かの後にその頃の学者などにうつかり発掘されないものでもないし、大変珍らしがられて、骨の重さを測られたり料金を払らはなければ見られないことになつたりするかも知れないのだ。そして、彼等の中の或者はひよつとしたら如何にも感に堪へぬといふ様子で言ふだらう「これは大昔にゐた詩人の骨だ」と。

第一段落「てんで考へてみやうとも」及び「数へ出してしまう」はママ。]

    ――(躓く石でもあれば、俺はそこでころびたい)――

 庭には二三本の立樹がありそれに雀が来てとまつてゐても、住んでゐる家に屋根のあることも、そんなことは誰れにしてみてもありふれたことだ。冬は寒いなどといふことは如何にもそれだけはきまりきつてゐる。俺が詩人だといふことも、他には何の役にもたゝぬ人間の屑だといふ意味を充分にふくんでゐるのだが、しかも不幸なまはり合せにはくだらぬ詩ばかりを書いてゐるので、だんだんには詩を書かうとは思へなくなつた。「ツェッペリン」が飛んで来たといふことでのわけのわからぬいさましさも、「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が昇天したとかいふ「すばらしい散歩」――などの、そんなことさへも困つたことには俺の中には見あたらぬ。
 今日は今年の十二月の末だ。俺は三十一といふ年になるのだ。人間というものが惰性に存在してゐることを案外つまらぬことに考へてゐるのだ。そして、林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に恋しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ条件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか。
 三十一日の夜の街では「去年の大晦日にも出会つた」と俺に挨拶した男があつた。俺は去年も人ごみの中からその男に見つけ出されたのだ。俺は驚いて「あゝ」とその男に答へたが、実際俺はその人ごみの中に自分の知つてゐる者が交つてゐるなどといふことに少しも気づかずにゐたのだ。これはいけないといふ気がしたが、何がいけないのか危険なのか、兎に角その人ごみが一つの群集であつてみたところが、その中に知つている顔などを考へることは全く不必要なことではないか。人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、人一個の顔は数万の顔となり更に幾万かの倍加に「友人」になることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、「友人」なとおといふ友情に依る人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことになつてしまはぬものか。

(門7号 昭和5(1930)年2月発行)
(詩文学一巻六号 昭和5(1930)年3月発行)
(現代新詩集 昭和6(1931)年6月発行)

[やぶちゃん注:初出以下、二つの刊行物に所載するらしいが、どちらも初出と全く同じ稿であるということらしい。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、「年越酒」と改題されて、以下のように改稿されている。

    年越酒
 
 庭には二三本の立樹がありそれに雀が来てとまつてゐても、住んでゐる家に屋根のあることも、そんなことは誰れにしてみてもありふれたことだ。冬は寒いなどといふことは如何にもそれだけはきまりきつてゐる。俺が詩人だといふことも、他には何の役にもたゝぬ人間の屑だといふ意味を充分にふくんでゐるのだが、しかも不幸なまはり合せにはくだらぬ詩ばかりを書いてゐるので、だんだんには詩を書かうとは思へなくなつた。「ツェッペリン」が飛んで来たといふことでのわけのわからぬいさましさも、「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散歩」――などの、そんなことさへも困つたことには俺の中には見あたらぬ。
 今日は今年の十二月の末だ。俺は三十一といふ年になるのだ。人間というものが惰性に存在してゐることを案外つまらぬことに考へてゐるのだ。そして、林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に恋しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ条件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか。
 三十一日の夜の街では「去年の大晦日にも出会つた」と俺に挨拶した男があつた。俺は去年も人ごみの中からその男に見つけ出されたのだ。俺は驚いて「あゝ」とその男に答へたが、実際俺はその人ごみの中に自分の知つてゐる者が交つてゐるなどといふことに少しも気づかずにゐたのだ。これはいけないといふ気がしたが、何がいけないのか危険なのか、兎に角その人ごみが一つの同じ目的をもつた群集であつてみたところが、その中に知つている顔などを考へることは全く不必要なことではないか。人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、一個の顔は無数の顔となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ。

底本にしている思潮社版の「障子のある家」本文には、この篇以外でも途中に有意に不審な字間(3/4字分程)が複数個所存在するが、一応、底本の組版の齟齬ととって無視した。
 さて、本詩の『「戦争」とかいふ映画的な奇蹟も、片足が途中で昇天したとかいふ「すばらしい散歩」』という僕にとって永く不明であった箇所について、美事な解釈(「未詳」「当てずっぽう」と謙遜されているが)が2007年河出書房新社刊の正津勉「小説 尾形亀之助」でなされている。以下に引用する。
『前者は、北川冬詩集『戦争』(昭和四年三月刊)では。ここで「映画的な奇蹟」とある、これはときに北川が標榜した前衛詩運動なる代物(しろもの)「シネ・ポエム」への嘲笑ではないか(じつはこのころ全章でみたように北川と亀之助のあいだで『雨になる朝』をめぐり意見の対立をみている)』。ここで改行して、『後者は、あやふやななのだがこれは安西冬衛のことをさすのでは。これは「片足が途中で昇天した」うんぬんから、なんとなれば安西が隻脚であること。やはりこの三月、詩集『軍艦茉莉』が刊行されている。前章でもみたが亀之助はこれを絶賛している。「『軍艦茉莉』安西冬衛はすばらしい詩集を出した」と。だとすると「すばらしい散歩」とは散歩もままならない安西への声援となろうか。ほかに懇切な書評「詩集 軍艦茉莉」(『詩神』昭和五年八月)もある。』
やや、最後の「安西への声援」という謂いには微妙に留保をしたい気がするが、正津氏の解釈はこの詩の最も難解な部分を確かに明快に解いてくれている。著作権の侵害にならぬよう、宣伝しておこう。前章云々の話は、是非、本書を購入してお読みあれ。なお、同書によれば、チェッペリン飛行船Zeppelinが日本に飛来したのは、昭和四年八月で『新聞各誌には「けふ全市を挙げてツエペリン・デーと化す/三百万の瞳が大空を仰いで/待ちこがれる雄姿!」などと熱く見出しが躍った。』とする。
 しかし、僕がこの詩を愛するのは、第二段の末尾の「いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。しかし、それも所詮かなわぬことであるなれば、せめて「詩人」とは書く人ではなくそれを読む人を言ふといふことになつてはみぬか。」という詩と詩人を巡る存在論の鋭さ故である。そうして第三段末尾の「人間一人々々の顔形の相異は何時からのことなのか、そんなことからの比較に生ずることのすべてはない方がいゝのだ。一つの型から出来た無数のビスケツトの如く、一個の顔は無数の顔となり「友人」なることの見わけもつかぬことにはならぬものか。そして、友情による人と人の差別も、恋愛などといふしみつたれた感情もあり得ぬことゝなつてしまふのがよいのだ。 」の思い切った「ノン!」の拒絶の小気味よさ故である――しかしそれはまさに「全くの住所不定へ。さらにその次へ。」(「詩集「障子のある家」の「自序」より)という強烈な覚悟の中にある凄絶な小気味よさであることを忘れてはならないのだが――。
 最後に、本篇の原題が「障子のある家」のエピグラム的巻頭の一行「あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)」であることは、本詩がこの「詩集」に持つ重要な位置を再検討すべきことを示唆している。]

    俺は自分の顔が見られなくなつた

 屋根につもつた五寸の雪が、陽あたりがわるく、三日もかゝつて音をたてゝ桶をつたつてとけた。庭の椿の枝にくゝりつけて置いた造花の椿が、雪で糊がへげて落ちてゐた。雪が降ると街中を飲み歩きたがる習癖を、今年は銭がちつともないといふ理由で、障子の穴などをつくろつて、火鉢の炭団をつゝいて坐つてゐたのだ。私がたつた一人で一日部屋の中にゐたのだから、誰も俺に話かけてゐたのではないかつたか。それなのになんといふ迂濶なことだ。私は、何かといふとすぐ新聞などに馬車になんか乗つたりした幅の広い写真などの出る人を、ほんとうはこの私である筈なのがどうしたことかで取り違へられてしまつてゐるのでは、なかなか容易ならぬことだと気がついたのだ、そして、自分にそんなことがあり得ないとは言へきれなくなつて、どうすればよいのかと色々思案をしたり、そんなことが事実であれば自分といふものが何処にもゐないことになつてしまつたりするので、困惑しきつて何かしきりにひとりごとを言つてみたりしてゐたのだつた。
 水鼻がたれ少し風邪きみだといふことはさして大事ないが、何か約束があつて生れて、是非といふことで三十一にもなつてゐるのなら、たとへそれが来年か明後年かのことに就いてゞあつても、机の上の時計ぐらひはわざわざネヂを巻くまでもなく俺がとまれといふまでは動いてゐてもよいではないのか。人間の発明などといふものは全くかうした不備な、ほんとうはあまり人間とかゝはりのないものなのだらう。――だが、今日も新聞には俺のことを何も書いてはゐない。そして、何が「これならば」なのか、俺は尾形という印を両方の掌に押してゐたのだつた。

(旗魚6号 昭和5(1930)年5月発行)

[やぶちゃん注:二箇所の「ほんとう」「言へきれなくなつて」「位ひは」はママ。「舌めて」は「舐(な)めて」と読ませるつもりであろう。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、「印」と改題されて、以下のように改稿されている。

    印

 屋根につもつた五寸の雪が、陽あたりがわるく、三日もかゝつて音をたてゝ桶をつたつてとけた。庭の椿の枝にくゝりつけて置いた造花の椿が、雪で糊がへげて落ちてゐた。雪が降ると街中を飲み歩きたがる習癖を、今年は銭がちつともないといふ理由で、障子の穴などをつくろつて、火鉢の炭団をつゝいて坐つてゐたのだ。私がたつた一人で一日部屋の中にゐたのだから、誰も私に話かけてゐたのではない。それなのになんといふ迂濶なことだ。私は、何かといふとすぐ新聞などに馬車になんか乗つたりした幅の広い写真などの出る人を、ほんとうはこの私である筈なのがどうしたことかで取り違へられてしまつてゐるのでは、なかなか容易ならぬことだと気がついて、自分でそんなことがあり得ないとは言へきれなくなつて、どうすればよいのかと色々思案をしたり、そんなことが事実であれば自分といふものが何処にもゐないことになつてしまつたりするので、困惑しきつて何かしきりにひとりごとを言つてみたりしてゐたのだつた。
 水鼻がたれ少し風邪きみだといふことはさして大事ないが、何か約束があつて生れて、是非といふことで三十一にもなつてゐるのなら、たとへそれが来年か明後年かのことに就いてゞあつても、机の上の時計位ひはわざわざネヂを巻くまでもなく私が止れといふまでは動いてゐてもよいではないのか。人間の発明などといふものは全くかうした不備な、ほんとうはあまり人間とかゝはりのないものなのだらう。――だが、今日も何時ものやうに俺がゐてもゐなくとも何のかはりない、自分にも自分が不用な日であつた。私はつまらなくなつてゐた。気がつくと、私は尾形といふ印を両方の掌に押してゐた。ちり紙を舐めてこすると、そこは赤くなつた。

この篇、尾形亀之助を人口に膾炙させた1975年刊の思潮社現代詩文庫版「尾形亀之助詩集」を見ると、「ネジ」となっていたり、「ちり紙を舌めて」で「舌」の右にママ表記があったりと、有意な相当な相違点が認められる。現代詩文庫版は旧尾形亀之助全集を元にしていると思われるが、とりあえず私は現新全集を信じておく。]

    貧乏第一課

 太陽は斜に、桐の木の枝のところにそこらをぼやかして光つてゐた。檜葉の陽かげに羽虫が飛んで晴れた空には雲一つない。見てゐれば、どうして空が青いのかも不思議なことになつた。縁側に出て何をするのだつたか、縁側に出てみると忘れてゐた。そして、私は二時間も縁側に干した蒲団の上にそのまゝ寝そべつてゐたのだ。
 私が寝そべつてゐる間に隣家に四人も人が訪づねて来た。何か土産物をもらつて礼を言ふのも聞えた。私は空の高さが立樹や家屋とはくらべものにならないのを知つてゐたのに、風の大部分が何もない空を吹き過ぎるのを見て何かひどく驚いたやうであつた。
 雀がたいへん得意になつて鳴いてゐる。どこかで遠くの方で雞も鳴いてゐる。誰がきめたのか、二月は二十八日きりなのを思ひ出してお可笑しくなつた。私は月末の仕払いを今月も出来ぬのだ。

(詩神一巻五号 昭和4(1929)年5月発行)

[やぶちゃん注:「お可笑しくなつた」はママ。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」に所収される際、「第一課 貧乏」と改題されて、以下のように改稿されている。

    第一課 貧乏

 太陽は斜に、桐の木の枝のところにそこらをぼやかして光つてゐた。檜葉の陽かげに羽虫が飛んで晴れた空には雲一つない。見てゐれば、どうして空が青いのかも不思議なことになつた。縁側に出て何をするのだつたか、縁側に出てみると忘れてゐた。そして、私は二時間も縁側に干した蒲団の上にそのまゝ寝そべつてゐたのだ。
 私が寝そべつてゐる間に隣家に四人も人が訪づねて来た。何か土産物をもらつて礼を言ふのも聞えた。私は空の高さが立樹や家屋とはくらべものにならないのを知つてゐたのに、風の大部分が何もない空を吹き過ぎるのを見て何かひどく驚いたやうであつた。
 雀がたいへん得意になつて鳴いてゐる。どこかで遠くの方で雞も鳴いてゐる。誰がきめたのか、二月は二十八日きりなのを思ひ出してお可笑しくなつた。

改題以外は最終一文の削除のみである。]

    父と母と、二人の子供へおくる手紙

 人間に人間の子供が生れてくるといふ習慣は、あまり古いのでいますぐといつてはどうにもならないことらしい。又、人間の子は人間だといふ理屈にあてはめられてゐて、人間になるよりほかないのならそれもしかたがないが、人間の子とはいつたい何なのでだらう。何をしに生れて来るのか。親達のまねをしにならばわざわざ出かけて来る必要もないではないだらうではないか。しかもおどけたことには、その顔形や背丈がよく似るといふは、人間には顔形がこれ以上あまりないとでもいふ意味なのか。それとも、親の古帽子などがその子供にもかぶれる為にとでもいふことなのか。全く、顔が似てゐるからの、「親子」でもあるまいではないか。又、人間が、その文化を進めるために次々に生れて来るのなら、今こそそのうけつぎをしている俺達は人間の何なのだ。遺伝とは何のことなのだ。物を食つてそれがうまいなどといふことも、やがては死んでしまふことにきまつてゐるといふ人間のために何になることだ。俺達に興奮があるなどとは、人間といふものが何かにたぶらかされてゐるのではなくてなんだ。俺達は先づ「帽子」だなどといふ、眼に見えて何にもならない感情を馬鹿げたこととして捨ててしまはふではないか。

(桐の花9号 昭和5(1930)年4月発行)

[やぶちゃん注:末尾「捨ててしまはふ」はママ。本篇は、後の昭和5(1930)年8月に完成した第三詩集私家版「障子のある家」には末尾に「後記」があり、そこには「泉ちゃんと猟坊へ」という文章に続いて「父と母へ」という標題の文章が続く。その前半は以下のように本篇とかなり一致するが、後半は大きく異なる。なお、断っておくが、以上は「父と母と、二人の子供へおくる手紙」標題の詩の全篇である点に注意したい。

    父と母へ

 さよなら。なんとなくお気の毒です。親であるあなたも、その子である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいして自信がないのです。
 人間に人間の子供が生れてくるといふ習慣は、あまり古いのでいますぐといつてはどうにもならないことなのでせう。又、人間の子は人間だといふ理屈にあてはめられてゐて、人間になるより外ないのならそれもしかたがないのですが、それならば人間の子とはいつたい何なのでせう。何をしに生れて来るのか、唯親達のまねをしにわざわざ出かけてくるのならそんな必要もないではないでせうか。しかもおどけたことには、その顔形や背丈がよく似るといふことは、人間には顔形がこれ以上あまりないとでもいふ意味なのか、それとも、親の古帽子などがその子供にもかぶれる為にとでもいふことなのでせうか。だが、たぶんこんなことを考へた私がわるいのでせう。又、「親子」といふものが、あまり特種関係に置かれてゐることもわるいのでせう。――私はやがて自分の満足する位置にゐて仕事が出来るやうにと考へ決して出来ないことではないと信じてゐました。そのことを私は偉くなると言葉であなたに言つて来たのですが、私はそれらのことを三四年前から考へないやうになり最近は完全に捨てゝしまひました。私の言葉をそのまゝでないまでもいくらかはさうなるのかも知れないと思はせたことは詫びて許していたゞかなければなりません。

「父と母と、二人の子供へおくる手紙」は詩としての技巧を残しているが、障子のある家」版は最早、遺書として書き直されて、その本質は他者の批評の埒外にあると言ってよい。そしてその一語一語の透明さと平静な魂――消極的自死へ向けての意志――に私は驚愕する。]

尾形亀之助詩集『雨になる朝』所収の詩の初出形8篇

思潮社版尾形亀之助全集末尾の『雨になる朝』異稿対照表を参考にして初出復元した詩8篇を公開する(行間がうまく空かないので、掲載詩の標題を太字斜体にする)。

    落日

ぽつねんとテーブルにもたれて煙草をのんでゐると
客はごく静かにそつと帰つてしまつて
私はさよならもしなかつたやうな気がする

部屋のすみに菊の黄色が浮んでゐる

(銅鑼10号 昭和2(1927)年2月発行)

[やぶちゃん注:本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、以下のように改稿されている。

    落日

ぽつねんとテーブルにもたれて煙草をのんでゐる

部屋のすみに菊の黄色が浮んでゐる

第一連の如何にも意味あり気な演劇的シークエンスを思い切って圧縮して、題名と第二連との等価的モンタージュに仕上げているが、俳諧的な観念的連合としても陳腐で、詩想の膨らみはないように思われる。]

    親と子

太鼓は空をゴム鞠にする
でんでん と太鼓の音が路からあふれてくる
空気がはじけて
眠つてゐる子をおこしてしまつた

飴売は
「今日はよい天気」とふれてゐる

私は
「あの飴はにがい」と子供におしへた

太鼓をたゝかれて
私は立ツてゐられないほど心がはずむのであつたが
眼をさました子供が可愛いさうなので
一緒に縁側に出て列らんだ

二月の空が光る
子供の心が光る

梅の花の匂ひがする

私は遠のいた太鼓から離れて
キクの枯れた庭に昼の陽影を見た
子供は私の袖につかまつてゐた

(文芸倶楽部 昭和2(1927)年4月発行)

[やぶちゃん注:本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、以下のように改稿されている。

    親と子

太鼓は空をゴム鞠にする
でんでん と太鼓の音が路からあふれてきて眠つてゐた子をおこしてしまつた

飴売は
「今日はよい天気」とふれてゐる
私は
「あの飴はにがい」と子供におしへた

太鼓をたゝかれて
私は立つてゐられないほど心がはずむのであつたが
眼をさました子供が可哀いさうなので一緒に縁側に出て列らんだ

菊の枯れた庭に二月の空が光る

子供は私の袖につかまつてゐる

底本の「本文」は以上の表記であるが、「異稿対照表」では、第一連の二行目が「でんでん と太鼓の音が路からあふれてきて眠つて ゐた子をおこしてしまつた」という不自然な一字空けが存在し、第四連の「可哀いさう」が「可愛いさう」となっている。後者の齟齬は初出も「可哀いさう」であった可能性を示唆するようにも思われるが、原本を確認出来ない以上、このままとした。説明的な時間経過と詐術的弁解に誤解されそうな詩語を気持ちよく削ぎ落として俳諧的。これで「遠のいた太鼓」の音ではなく、「遠のく」太鼓の音が読むものの心に逆に確かに響くはずである。]

    白(仮題)

松林の中には魚の骨が落ちてゐた
あまり白かつたからだらうか私は拾はふとしたのだつた

(詩と試論二冊 昭和3(1928)年12月発行)

[やぶちゃん注:「拾はふ」はママ。本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、「白に就て」と改題した上、以下のように改稿されている。

    白に就て

松林の中には魚の骨が落ちてゐる
(私はそれを三度も見たことがある)

現在形への変更は、鮮烈なワン・ショットにブラッシュ・アップされ、括弧の効果的な使用と「三度も」の神経症的な畳み掛けは不気味な白さをクロース・アップして、比類ない。]

    白(仮題)

あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
たまたま机の上に水仙をさして置くことがある
床に入つて水仙を見てゐるとことがある
(何時までも眠らずにゐると朝の電車が通つてゐる)

(詩神 昭和3(1928)年2月発行)

    白(仮題)

夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ

そして机の上の花を見てゐるとことがある

(詩と詩論 昭和3(1928)12月発行)

[やぶちゃん注:御覧の通り、以上の2篇は同一作品の改稿による投稿である。更に、本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、再々度、以下のように改稿されている。

    白(仮題)

あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
そして 机の上の水仙を見てゐることがある

彼が殊更に推敲で追求したのは、如何にその最も無駄のないミニマムの時空間を切り出すということであった、ということがこの三案によって美事に浮かび上がって来るように思われる。詩語の選択も疎かにしていない。「あまり」は必ず「そびれてしまふ」感情を引き出すのに不可欠であり、「あまり」に更けた夜であればこそ「水仙」は妖艶な白さで詩人を、我々を射る。]

    昼は街が大きすぎる

私は足を見た
自分の足が靴をはいて歩いてゐるのを見た
そして これは足が小さすぎると思つた
電車位に大きくなければ醜いやうな気がした

(詩神 昭和2(1927)年1月発行)

[やぶちゃん注:本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、「昼の街は大きすぎる」と改題した上、以下のように改稿されている。

    昼の街は大きすぎる

私は歩いてゐる自分の足の小さすぎるのに気がついた
電車位の大きさがなければ醜いのであつた

初稿では、如何にも説明的な言辞選択と表現を繋げてしまった結果、地上から視線が殆んど上がらずに、電車位の巨大な足を持った巨人を見上げていない。]

    愚かな秋

秋空が晴れ
今日は何か――といふ気もゆるんで
縁側に寝そべつてゐる

眼を細くしてゐると
空に顔が写る
「おい、起ろよ」
空は見えなくなるまで高くなつちまへ!

(〈亜〉24号 大正15(1926)年10月)

[やぶちゃん注:本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、「愚かな秋」と改題した上、以下のように改稿されている。

    愚かなる秋

秋空が晴れて
縁側に寝そべつてゐる

眼を細くしてゐる

空は見えなくなるまで高くなつてしまへ

尾形亀之助の詩には、自身の子供たちという例外以外、肉身の他者が不在の、単独者である。従ってそこでは呼びかけとしての直接話法は原則的に馴染まない。この初稿の『「おい、起ろよ」』は空の移った顔の台詞とも、詩人自身のモノローグととることも可能であるが、それは如何にも解読的で空しく異質である。「空に顔が写る」という詩的イメージ自体は私は嫌いではないが、分からないから説明せよと言われると私も困るような表現と言ってもいいか。全体に初稿は弛んでしまって、且つ、それがパート・パートで歪んで不定形な固まりになってしまい、詩想の流れが淀んでしまっているように感じられる。]

    夜がさみしい

眠れないので夜が更ける
私は電燈をつけたまま赤い毛布をかけた
仰向けになつて寝床に入つてゐる

電車の音が遠くから聞えてくると
急に夜が糸のやうに細長くなつてその端を
電車にゆはへつけてゐるやうな気がする

(詩神 昭和2(1927)年1月)

[やぶちゃん注:本篇は、後の昭和4(1929)年5月誠志堂書店刊の第二詩集「雨になる朝」に所収される際、以下のように改稿されている。

    夜がさみしい

眠れないので夜が更ける

私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寝床に入つてゐる
電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて
その端に電車がゆはへついてゐる

決定稿の終行の「ゆはへ」はママ。糸のように細くなった夜を主体的に描く時、その螺旋しつつ生き物のように伸びてゆく夜、その端に電車は結び付けられていなくてはならない。それが「その端を」という格助詞「を」では、端を電車に結び付けている逆ベクトルのイメージとなって連続性が失われることに気づいた亀之助が、書き直した際に歴史的仮名遣いを誤ったか。ちなみに「異稿対照表」では更に「ゆはへついている」とあるのである。]

2009/01/17

夏の午後を映してゐる或一つの平面的な詩篇 尾形亀之助

 曇りかけた午後陽がいくぶん斜になつて庭へおちてゐた。庭には物干が立つてゐた。私の訪づねて行つた男は昼寝をしてゐるのであつた。昼寝をしてゐるのを見たのは幾年以前であつたのか、何をしてゐることなのか思ひ出せないやうな気もちで畳にころがつてゐる男を見た。
 考へるまでもなく、眼のさめるまでは私のゐるのを知らずにゐる眠つてゐる男は、起されなければ何時まで眠つてゐるのかわからないのであつた。

(現代文芸七ノ三 昭和5(1930)年3月発行)

[やぶちゃん注:本篇は、底本の本文及び補遺には所収せず、「編注」の中の、「物語」の「地球はいたつて平べつたいのでした」の注の中で、この散文の持っている『平面感覚は散文詩「辻は天狗となり 善助は堀へ墜ちて死んだ 私は汽車に乗つて郷里の家へ帰つてゐる」や、つぎの詩に通じる。』として掲げているものである。どこをひっくり返しても、この詩篇はここにしか所収していないのであるが、これはもう、編者秋元潔氏がまさに『つぎの詩』と呼称している以上、尾形亀之助の拾遺詩に間違いないわけで、どうしてこのような配置がなされているのか、不審である。私としては「拾遺詩」の該当時期にこれを配することとする。]

上記注で記したような次第で、今日始めて、これが遺漏に当たる詩であることに気づいたので、本日「尾形龜之助拾遺詩集」に挿入した。

なお厳密に言うと、それ以外に底本とした思潮社版全集には、詩集「雨になる朝」と「障子のある家」の初出稿と詩集の決定稿の違いをそれぞれ掲げて示している「異稿対照表」があり、この「初出稿」の資料を元に拾遺詩として初出の詩稿を復元して採ることが可能である(前者詩集の初出7タイトル、後記の異稿1篇を含む後者詩集の初出9タイトル、計16タイトル。但し、前者には底本が「拾遺詩」に再録している「煙草と十二月の昼」一篇を含む)。私のテクストを見て頂いても分かるが、実際に底本の「拾遺詩」のパートには詩集「色ガラスの街」の初出異稿複数が掲載されている。ただ、この「異稿対照表」はやや読みづらく、復元には注意が必要と思われるので、少し時間をかけて挑戦してみたいと考えている。

洋画展覧会の記 尾形亀之助

 展覧会をやることゝ大きい画をかくことゝで五月の末に妻と一緒に仙台の家にかへりました。
 五月末に開催する筈であつたのが六月の始めに延びて更に六月二十四、五日(土曜、日曜日)にやることになりました、会場になる図書館のうちあはせやびら書きで六月も半ば過ぎになつてしまつて、東京からの目録が着いたのは十九日頃でしたので。二十四日から始めるのにまに合ふように目録を印刷して下れる所がなかつたので心配しましたが、それもうまく問にあつて、三百部又三百部又三百部又五百部とどんどん印刷して千四百部を二十三日の夜までに出来上りました。始め三百部を印刷することがおそろしいように思はれてもう少し少なくと思ひましたが鈴木信治君三浦一篤君二高の鈴木重夫君と仙台の同人方々の働きでどんどんと千四百部まですり上げたことを私はたまらなくうれしく思ひました、同時に緊張して働らいて下すつた方々に心からの感謝をいたしました。
 よい天気であればよい と皆んながそればかり心配してゐました。二十一日と二十二日が梅雨であると思へないほどすみとほつた晴天でしたが二十三日は午前からすつかり曇つてしまひました。十時頃下田君から電話があつて我孫子君と一緒に来仙したことを知りました。すぐ私の家に来ていたゞきました、昼から下田君と我孫子君はがくぶちの都合などで友人のところへゆく。
 二十三日の午後五時頃から会場の準備をするために図書館に集まりました。三浦君は物産陳列所からバックにする海老茶色の布を露西亜のラシヤ売りのようなかつこうをして借りて来て下れました、バックをはりつけて画をかけないうちに暗くなり始めました、すぐ暗くなつてしまつた、ろうそくをつけて十時すぎにやつと画をかけ終りました。星が出て夜の空は晴れてゐました、私の家に引き上げて明日の準備を終つたのは夜の一時過ぎました。

 二十四日は晴れました、会場にゆく途中警察によつて下見をして下れるようにたのみました、それから直ぐ玄土洋画展覧会と書いた立てかんばんを図書館の門の前に立てゝ会場のそうじをしてゐる頃から一二人と人が入り初めました。
 待つてゐた秋山君が鈴木年君の版画をもつて来て下れました。遊佐君は新夫人同伴で来場、会場が立派に出来上つて私達は事務室に受付におちつきました、家からもつて来て下れたにぎりめしを食ふ頃はよほど安心してゐました、深見君は試験中渡辺君は病気でゐなすつたが気にかゝるからと云つて来て下ださいました。
 六時頃閉場して労れてひきあげました。

 二日目は風が吹いて曇天でした、朝、香月君と磯村君から電話が来ました、直ぐ会場の図書館に来てもらうことにして私も出かけました(七時半頃)路に迷つたとかでそれからしばらくして両君に会場で逢ふ。
 午前中から会場はにぎ合いました、香月君と磯村君は松島見物に出かけました。
 午後六時頃の閉会まで二日間で千三百余杖の会員券を売り出して八百人ほどの入場者がありました、私達は感謝と喜びと安心と労れとで引き上げました、私の父は慰労の会を開いて下れましたので七時から会食してよせがきをしました、香月、磯村君は九時に汽車で上京暗くなる頃から雨がほつほつ降り出しました。

 二十六日は午前中会場のあとしまつをして私の家に集りをひらきました、久世君は福島からわざわざ来て下れました、ゆつくりした気特になつて休みました、其の夜十時の急行で秋山、下田、我孫子の三君帰京して仙台は又淋しくなりました。

 宮城図書館の人々、絵を見に来て下すつた人々バツクの布を貸して下れた物産陳列所、朝日新聞の菅野秀雄氏、東華新聞の小野平八郎氏、下田君の友人青山健治氏柏靖氏、目録を印刷して下れた弘文社の人々、この外の多くの親切に働いて下すつた方々に厚くお礼をいたします。
(二十七日夜記す)

(玄土第三巻第八号 大正11(1922)年8月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。三段落目冒頭「よい天気であればよい」の直後の空欄はママ。末尾の「(二十七日夜記す)」は底本ではポイント落ちで、最終行行末にインデント。前年大正10(1921)年10月の第二回未来派美術協会展に「朝の色惑」「競馬」20号二点を出品した亀之助は、この年1月、正式な未来派美術協会会員となって、十月の第三回未来派美術協会展(三科インデペンデント)開催へ向けて準備運営に当たる一方、自身の所属する仙台の文芸グループ『玄土』で、玄土洋画展覧会を開催した(宮城県立図書館にて6月24日・25日)。以上はその展覧会と、父十代之助が展覧会関係者を招いた慰労会の様子を伝えている(但し、亀之助がこの展覧会に出品した作品も点数も現在不明である。当初は40号の「自画像」を出品予定であったが会期までに描き得なかった)。この、絵画の世界に自律的な生を見出した亀之助の、小学生の修学旅行の作文のような文章を読むと、私は何だか微笑ましくなると同時に、この後、真っ正直な亀之助が前衛美術運動の中でいいように使い捨てにされてゆく哀感をも何処かに予兆させているかのように感じられて複雑な気持ちなる。そして、この準備のための帰郷中に、最初の決定的な妻タケとの不和が生じており(後日、家出のように旅に出ている。「旅をしたあと」を参照)、共時的に『玄土』への詩の投稿が増えるのである。]

***

丁度、今、これをアップする直前に、僕のブログの尾形亀之助の文章をずっと読んでくれている教え子からメール、
「幸せだといい作品は生まれないんだなと思った」
う~ん……以上の注を書いた直後だっただけに、何だか、余りにもはまり過ぎたアップになった感じ――

2009/01/16

其の夜の印象 尾形亀之助

「部屋を出て路に出た。雪が未だ降つてゐる。一時過ぎた頃だ。

寒いほら穴のような路をつれの男と歩く。

外燈の上にもポストの上にも雪がたまつてゐる穴の中を歩く熊のように。

二人の人間は化けもののようだつた。

演劇、展覧会、音楽会、詩、歌、小説、感想、同人、金、人、表紙、画などと部屋の中で話されたことが外へ出ると頭に浮んで来ない、寒いばかりだ。ほら穴のような路のごとく遠くの方に未来があるような気がする。

『玄土』――こゝで自分は育つか。『玄土』――それも育つか。

それから三年半ほど過ぎた、その間に色々なことが起つたがそんなことはかゝない方がよいと自分は思つてゐる。」

(玄土第三巻第六号 大正11年6月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。『玄土』(くろつち)は仙台芸術倶楽部の同人誌に参加する。この雑誌は、大正9(1920)年8月に歌人にして相対性理論の紹介者である物理学者石原純や原阿佐緒が中心となって創刊された総合文芸雑誌である。ここで尾形亀之助が意味深長に語る「かゝない方がよい」「色々なこと」の大きな一つは、まさにこの石原純と原阿佐緒の道ならぬ恋であった。そうして後の亀之助の詩空間を髣髴とさせる石原の時空間理論と、ファム・ファータルたる原阿佐緒の魅力……その辺りは、私のブログ記事「尾形亀之助 相対性理論 特撮」等も参照されたい。]

芥川龍之介句集追加

「やぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句」末に岩波版新全集第七巻に所収する「文壇眞珠抄」(編者仮題)の異型句「殘雪や墓をめぐれば龍の髯」一句を含む8句、「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」に「花葛のからみ合ひたる夜明かな」(「會ひたる」の表記違い)を追加した。

2009/01/13

緑の子らの成人式にて

僕が裏切って2年生の担任で転勤してしまったにも拘らず、その教え子たちの成人式に昨日、呼ばれた。

   男どもへ 1

 お前たちは、何故、下劣な大人になりたがるのだ! あんなに美しいプエル・エテルヌスのお前たちが!

   男どもへ 2

 お前たちはどうつっぱっても、あの会場のどの女よりも子供であるという冷厳にして幸いな事実を、受け止めるべきである。

   女どもへ 1

 僕は仕事を投げ打って刑務所に入ってもいいから、君たち全員にキスをしたかった。

   女どもへ 2

 和服の帯を胸の下で締めるのはよせ! ランドセルじゃないんだから!

   みんなへ

 ありがとう! 大学で「智」を自在に遊べ! そして――僕のようには、なるな。――そうして、さっさと僕なんか忘れてしまえ。それが大人だ!

2009/01/12

跡 尾形亀之助

 過ぎてしまつたことは、あきらめなければならないやうな心残りがあるとしてもどうにもしかたがないのだからしまつがいゝ。又、ざまあみろとばかりに、地の中へ込んでしまつたやうな「去年」に舌を出すのも一興であるかも知れない。私は今郷里へ帰つて火燵に入つてゐる。下半身は温いが背なかゞ寒い。
 過ぎてしまつたその年がよい年であつたにしてもわるい年であつたにしても、私は自分の生活に進歩などといふものがあるとは思つてゐないのだから「去年」をどうかう言ふつもりは更にない。たよりないことだが「今年こそ……」などと力むほど腹に力がない。自分がこの一ケ年(勿論それ以前から)暮して来たにはちがひないが、何もかもはつきりとしてゐない。大概のことは忘れてしまつてゐるが、忘れそびれてゐることがらもある。で、その二、三を書きつけて序に忘れてしまはふ。さうすればもう「去年」を誰へ呉れてもいゝ。
 全く、生きてゐることがなかなかめんどうなのはわかりきつてゐるが、それかと言つて何時まで生てゐるものか自分のことながら不明だ。

  「全詩人聯合はその後どうなつたか」

 私は全詩人聯合の第一号発刊の直後から事務をとらなかつたばかりでなく、その後の状態にも通じてゐないわけがあるのだけれどもくはしく述べることが出来ない。丁度その時事情があつて私は妻と別れたのだ、私は家をたゝむ前に単身家から逃げ出してゐた。突然に起つたことなので、他の世話人へ事務を引きついだこと以外に何もしなくつてもいゝと思つたのだ。
 そして、妻とのことの一切の結末をつけて上京したのが七月の初めであつたが、しばらくは出歩く気もちにはなれなかつた。詩集などをもらつてもお礼さへしなかつたこともあると思ふ。私の手もとへとどかなかつた郵便物もあつたらう。
 かんべんしてもらひたい。

    ×

 妻と別れたことに就ては私はその間の事情を見てゐた二三人の人以外には語らなかつたが、私はそれ以後数人の友人から悔みを言はれた。勿論、別れるやうになつた事情を私よりも先に知つてゐた人達があつたのだし、近所の店屋などまでに感づかれてゐたやうな不しまつだつたのだから、何処からもれたものだらう。が、あまり広告してもらひたくない。でなければ、私は諸君があてられるやうな美人を意地にも妻にしてみせることになるかも知れない。――が、久しぶりで一人者になつたのだし、運でもよくなければ、さうやすやすとかうした味は試されないのだ。

    ×

 この一ケ年私は二三篇の詩作しかしなかつた。五月頃には間違ひなく出せる筈であつた詩集も机の中にそのままになつてしまつた。太子堂から山崎の家へ引越したのが一昨年の十二月で、山崎の家をたゝんだのが去年の四月の初めであつた。それからちよつとばかり旅館にゐたり郷里へ帰つたり田舎の温泉にゐたりして、五つになる娘と二人で上京したのが先に述べたやうに七月の初めで、一ヶ月ほど友人の家にゐて駒沢の今の家を見つけたのであつた。
 去年の夏は雨ばかり降つてゐたが子供は汗をさかんにかいた。私は冬服しかなかつた。子供の家庭教師をたのんだが、その三十九になる婦人は一ヶ月でことはつた。給料も高かつたし子供のことは何も知つてゐない人だつた。それに不幸であつたためか何んとなく不愉快な感じがしてならなかつた。顔も普通の人とはちがつてゐるやうな気さへするのだつた。その後に老婆が来たが、一切魚類も牛や雞の肉類も食べない人であつた。みそ汁が辛かつた。飯の度に憂鬱になつてしまつたので半月で帰つてもらつた。
 私は台所と洗濯と掃除と子供のことなどで一日中ひまのない男のママさんになつた。七間もある家に子供と二人でゐるので近所を不思議がらせた。子供を幼稚園にやつてみたが送り向ひが出来ないのでやめてしまつた。
 そんなことをして十月になつた。高橋新吉詩集の会のあつた晩、その頃上京してゐた母を送つて郷里へ帰つた。そしてすぐ上京するつもりであつたのが、子供が赤痢になつたので十一月過ぎても上京せずにゐる。もうこゝは寒い。親父に新調してもらつた外套の出来上るのを待つてゐる。子供もやつともとの体になつた。

    ×

 妻と別れた経験は生れて初めてゞあつた。
 噂やなにかでは私を酒のみといふものにしてゐるけれども一人飲むやうなことはほとんどない。だから一人でゐるときは半月も、時には半年も酒を飲まずにゐることがある。今度も、そんなことなどで私は酒をのむ折が一層なかつた。やけ酒を飲んでゐるやうに見かけられるのも気がひけるし、子供を直接めんどうみてゐる間は十分つゝしまなければならないと思つたわけだつた。が、私は近頃になつて考へ直した。子供を動物園などにつれて行きたいと思ひながら、ソーダを飲みに入つたカフエなどで酒の相手をさせるやうなことがあるやうになつた。子供も女給さんと遊ぶのを面白がつて、為替が来ると一緒になつてうれしがつた。だが、カフエへ出かけるのも月初めと月末の二三日であとは金がなかつた。女児の小便を不便だとつくづく思つた。チリ紙のなくなるやうなこともあつた。
 子供のことを考へると眼のさきが暗くなる。顔を見てゐると可愛い。泣くこともある。こんなことを書いてゐると、母親がゐなくなつて一ケ月ばかりは毎晩のやうに泣かれて、自分が女親になりたいと一心に念じたことを思ひ出す。子供のことを考へ出すと、十年も二十年も後のことを想像しなければならないからやめる。

    ×

 兎に角私は今元気でもなければへこたれてゐるのでもない。つまり私は何んでもなくつてゐる。寝て待つてゐるが果報はなかなか来ない。
 書くことを書いてしまつたような気がする、読みかへしてみたが、これが私の書かうとしたことなのかどうかわからなくなつた。――読みかへしたのがわるい。書くことを書いてしまつたやうな気がしたゞけでいい。

(詩神第五巻第一号 昭和4(1929)年1月発行)

[やぶちゃん注:「地の中へ込んでしまつた」は「込(はひりこ)んでしまつた」と読ませるか。「忘れてしまはふ」「一ヶ月でことはつた」「送り向ひが」はママ。「全詩人聯合」はアカデミックな詩人協会に対抗して昭和3(1928)年1月に世田谷山崎の尾形亀之助宅を事務局として結成された詩人団体。会員には伊藤信吉・岡本潤・木山捷平・竹中郁・菊田一夫・草野l心平・サトウハチロー・三好十郎・萩原恭次郎・吉田一穂・小野十三郎等、錚々たる面々であったが「私は全詩人聯合の第一号発刊の直後から事務をとらなかつた」と言う通り、同年4月の『全詩人聯合』創刊直後の5月、タケとの離婚直後に転居してしまい、そのまま頓挫、雲散霧消してしまう。「別れるやうになつた事情」は、「小説 尾形亀之助」に詳しいが、妻シゲが、生活破綻者であった尾形に愛想をつかし、尾形が信頼していた友人で全詩人聯合結成にも尽力した詩人大鹿卓(金子光晴の弟)に靡いた結果の協議離婚の顛末を言うのであろう。なお、前掲の評論『詩集「兵隊」のラッパ』注を参照されたい。]

詩集「兵隊」のラッパ 尾形亀之助

 私には大鹿君の「兵隊」を批評することはとうてい出来まい。私に言はせると、大鹿君の詩は私が批評しやうとして使ふ言葉よりもはつきりしてゐるし、うがつてゐる。銃口につまつたラムネ玉はころがして遊ぶより他に私には出来ない。銃身の西洋錐のやうにねぢれた光にそうて、魂を吸ひ込まれてしまふばかりである。

 しかし、「しかし」と云つては大げさ過ぎて、何か一言これから批評めいたことを言ひ出すやうではあるが、そんなことではなく、「批評が出来なければしなければいゝではないか ――誰も君にたのんでは居ないよ」と、言はれたくないのだ。私には友情がある。この意味で大方の読者並びに大鹿君にも許してもらはなければならない。
 大鹿君はおそろしい眼と耳と触角のやうな不思議な鼻をもつてゐる。そして、水晶のやうな脳をもつてゐるに違ひない。「兵隊」「漁師」「猟師」「潜水夫」「線路工夫」「公園」……そこには、にじみ出てゐる親しみがあり、唇を青くするやうな苦しみがある。そして又、何んといふ淋みしさだらう。泣かされるやうなところがあるではないか。この彼の熱情を私は拒めない。

  爽やかな秋の空気を圧縮した空気銃で
  私は雀のやうな木葉を打落した。
(空気銃)  
 私は大鹿君をたゞもううらやましいと言はふ。彼は銃口から青空をのぞいてラムネ玉を見つけてゐる。目の前で馬の尻が笑つてゐると言つてゐるではないか。
 「兵隊」編の1の第一番に

  兄弟! 何を考へてゐるんだ。

と、書き出してゐる。
 「兵隊」123は実によく分けてある。こんなによく分けるには何年かゝつても出来ないでしまふ。私はこゝにその全部を書き写そう。

  兄弟! 背囊のやうに草の中へ転がらう。

  からだの垂味で草汁が背中へ浸み移つてきても
  草から砲丸のやうな頭をもたげるのは嫌だ。
  兄弟! お互が傍の呼吸と体臭を忘れてゐよう
  空が余り青いから顔の色も染つただらう。
  頭脳の中の(故郷)へ土の冷えが浸みこんでくる……。

  はつと持上げた首がポプラの影を草に見る
  其処に草を喰ふ馬の首はなかつた。もつとも今日は安息日
  俺は彼の馬へ愛着を発見した。
  俺に生れたこの悲しい習性に呪あれ!
  銃銃銃……靴靴靴……みんな呪はれてあれ!

  兄弟! お前のよく寝てゐる頰をなぐらしてくれないか!

 「漁師」私は又すくなくともその一編を書き写さなければならない。だが、紙面をそう取ることは許されないことであるし、それではあまりくどすぎることになるだらう。
 この漁師は女のことばかりを妙に思ひこんでゐた。魚はあまり取らないやうであつた。
 「嬶は今頃海へ潜つてゐるだらう。二本の足が油雲へ突きさゝり……青い水の中を尻が空を向いて落ちてゆく……」そして舟に乗つてからも、そして「指の股の鱗は煙草入の中へしまつて置かう」と「夜明けだ! 夜明けだ! 夜明けだ!」と三つかさねて、黒いインキの水の中へ漬けて置いた錨と心を引上げた。「兵隊の会」のときの都こしまきの貴族といふのを思ひ出して、「漁師」をこんな風に書いてしまつたけれども、得難い名編であることは言ふまでもないのである。
 「猟師」123。1も2もそうではあるが、3まで読んでいつて、私はしーん……としてしまつた。このま暗になれ! と言へば、黒薔薇の花束が何処からともなく集つてきて、この頁を埋づめてしまふやうな変事が起るであらう。
 大鹿君はこゝにも女精を巧みに使つてゐる。白犬!
 私は何度も読み返した。私は大鹿君の詩集を初めて読んだ次の日自分の詩集の返本を一行李縁側へ運んで虫乾した。よく晴れた秋空であつた。黄色い表紙の色を縁側から座敷まではみ出させて、ひととほり列べ終へてから座蒲団を枕にして、私は又「兵隊」のところから読んでゐた。私は十年前の昔、啄木歌集に赤線を引いたことを思ひ出す。

 私は赤いアンダーラインを引きすぎてはならない。思つてゐることがみな文学になるだけに充分注意しなければならない。が、「潜水夫」には水のやうなところがあり「線路工夫」には砂利のくづれるやうなところがある。この二編に比べれば比べるほど前者は海の詩となり、後者は陸の詩となつてしまふ。
 私は先に「漁師」と「猟師」を読み、こゝに「潜水夫」と「線路工夫」を読んだ。そして次は「公園」になつてゐるが、その間にはさんで「飛行師」といふ一編があつたとすれは、やはり私をうならせたことだらうと思ふ。私は前の節までを前夜書きつけて、この節から次の日の昼から書き初めてゐる。昨夜のところを未だ読みかへしてみないが、今日は何んといふ書きにくさだらう。私は「公園」に入る前に「準水夫」と「線路工夫」に、彼のために歓声をあげやう。

       「公園」編……「浴場」

  銅の湯槽が私のものになつた。
  タイルの白い床にざあざあと溢れる湯が
  ガラスのせゝらぎを作つて朝を流す。

  女の児がゴム人形になつて坐り
  桶に被せたタオルを風船玉の頰が吹いてゐる。

  トンボの眼玉のやうな石鹸玉がもり上り
  天井の色硝子を映して女の児の瞳へ近づく。
  幼い頃は自分の夢を作るのが上手だな!

  からだ中を真白な石鹸にしたので
  私も南洋土人になつた。

  皮膚には生毛の感情が甘へてゐる
  ぷすぷす不平を云つて消えるものがある。

  感触を失つた思ひは洗ひ流して了はふ
     (中略)
  私は小鼠のやうな自分の……を見る。

 まことによい巫山戯方ではないか。珍らしい健康さではないか。浴場を平らにして、陽に透して見るやうである。これは大鹿君のあの鼻のするしわざなのであらう。もし、そんなことではないといふやうなことだつたら、私は黙つて大鹿君の鼻をぬすみ見るばかりである。
 「穴」のパイプを私は非常に好んだ。
 「時計」「紅茶」「唾」「帰路」「雨」「旅」「軽い熱病」「げんごろう」「W・C」。……

      「空気銃」編……「日曜日」

  投上げたゴム鞠は瓦の階段をころがり
  息もつかず飛下りてくる雀……
  少年の両手は日曜日を摑へた。

 この他、「夏」「森の中」などの好編がある。
 「焚火」編「焚火」「鞦韆」「杉林」「夕暮」など十数編が又私を喜ばした。

      「夕霧」

  緋の空に火竜(ドラゴン)の息は衰へる。

  岩々の城壁に夕霧が懸つてゆく……。
  遠か奈落の浪打際で
  柩の蓋の響が轟々と鳴る。
       (一行略)
  星はこの夜の黒檀の柩に、一つ一つ釘を打つ。

 又夜が来て、今夜は雨が降つてゐる。私は昼から二枚と少ししか書けなかつた。一つには私はかつてこの種のものを一度も書いたことがなかつたからだらう。だが、初めから終りまでたゞほめて書いてゐるのに云々……と思ふ人があるならば、それは間違つてゐる。よいものをよいと言ふのに私は何の不思議もないと思つてゐる。私には、今まで私がこの種のものにぜんぜん手を触れないで来てゐるその為の臆病さの真面目がある。幸にして、私は大鹿君の詩集に初めての筆をおろしてゐる。こゝに書いてきた中にいやらしい言葉を一つも使はずにすんでゐるのである。拙なさは自分ながらも恥じ白らけて、筆をとめやうとさへする。しかし私はこゝでもラッパを吹こう。
 筆をとつて第三日目である。私はだいぶ疲れてしまつた。「拾遺」の「隅田川」と「島の画家」に就いては、機会を待つことにしよう。「隅田川」は私のやりかけてゐることに似かよつてゐるため、「島の画家」は私が過去一年間小説に手をつけてきてゐるために、又異つた興味から書くことが出来る大鹿君の輝やかしい将来を祝し、よい詩人を持つわれわれの喜悦を述べた。この二編は次へ割愛する。
(一九二六、一〇、六)

(詩神第二巻第十二号 大正15(1926)年12月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。これは文芸社大正15(1926)年8月刊の、友人大鹿卓の詩集『兵隊』の評である。詩の題や引用を示す( )書きの詩の題は、底本ではポイント落ちである。大鹿卓(明治31(1898)年~昭和34(1959)年)は、金子光晴の弟で、草野心平の紹介で亀之助と出逢った。亀之助が信頼していた友人の一人で、後の全詩人聯合結成にも尽力したが、その後、亀之助の妻シゲが尾形に愛想をつかし、彼の元へと走ることとなる、尾形亀之助にとってエポック・メーキングな詩人でもある。私は大鹿卓の詩をこれ以外に読んだことがないが、残念ながらここに示された大鹿氏の詩には亀之助のように打たれるものが全くない。「油雲」「女精」といった語彙は私には不審、識者の御教授を願いたい。「自分の詩集の返本」は前年11月に出版した第一詩集『色ガラスの街』を指す。限定500部であった。「この二編は次へ割愛する」とあるが、その二編を語った評論は底本の尾形亀之助全集にはない。恐らく書かれていないと思われる。そうして、次に全集に載る雑誌『詩神』への寄稿は、昭和4(1029)年1月までなく、それは「跡」である。『妻と別れた経験は生れて初めてゞあつた。』と思わず記した、そうして『書くことを書いてしまつたような気がする、読みかへしてみたが、これが私の書かうとしたことなのかどうかわからなくなつた。――読みかへしたのがわるい。書くことを書いてしまつたやうな気がしたゞけでいい。』という痛みの中で終わる述懐の「跡」である。そこでは、最早、現実の舞台上の重要な登場人物であるはずの大鹿は、登場しない。]

牡蠣の殻 蒲原有明 《2バージョン》

  牡蠣の殼〔「草わかば」バージョン〕

牡蠣の殼なる牡蠣の身の
かくもはてなき海にして
獨りあやふく限りある
その思ひこそ悲しけれ

身はこれ盲目すべもなく
巖のかげにねむれども
ねざむるままにおほうみの
潮のみちひをおぼゆめり

いかに黎明あさ汐の
色しも淸くひたすとて
朽つるのみなる牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼

たとへ夕づついと淸き
光は浪の穗に照りて
遠野が鴿の面影に
似たりとてはた何ならむ

痛ましきかなわたつみの
ふかきしらべのあやしみに
夜もまた晝もたへかねて
愁にとざす殼のやど

されど一度あらし吹き
海の林のさくる日に
朽つるままなる牡蠣の身の
殼もなどかは碎けざるべき

  牡蠣(かき)の殼(から)〔「草わかば」バージョン ルビ附〕

牡蠣の殼なる牡蠣の身の
かくもはてなき海にして
獨(ひと)りあやふく限りある
その思ひこそ悲しけれ

身はこれ盲目(めしひ)すべもなく
巖(いはほ)のかげにねむれども
ねざむるままにおほうみの
潮(しほ)のみちひをおぼゆめり

いかに黎明(あさあけ)あさ汐(じほ)の
色しも淸くひたすとて
朽つるのみなる牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼

たとへ夕づついと淸き
光は浪の穗に照りて
遠野(とほの)が鴿(はと)の面影に
似たりとてはた何ならむ

痛(いた)ましきかなわたつみの
ふかきしらべのあやしみに
夜もまた晝もたへかねて
愁にとざす殼のやど

されど一度(ひとたび)あらし吹き
海の林のさくる日に
朽つるままなる牡蠣の身の
殼もなどかは碎(くだ)けざるべき

  牡蠣の殼〔「有明詩抄」バージョン〕

牡蠣の殼なる牡蠣の身の、
かくも涯なき海にして、
生のいのちの味氣なき
その思ひこそ悲しけれ。

身はこれ盲目、巖かげに
ただ術もなくねむれども、
ねざむるままに大海の
潮の滿干をおぼゆめり。

いかに黎明朝じほの
色靑みきて溢るるも、
默し痛める牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼。

よしや淸しき夕づつの
光は浪の穗に照りて、
遠野が鳩の面影に
似たりといふも何かせむ。

痛ましきかな、わだつみの
ふかきしらべに聞き恍れて、
夜もまた晝もわきがたく、
愁にとざす殼の宿。

さもあらばあれ、暴風吹き、
海の怒の猛き日に、
殼も碎けと、牡蠣の身の
請ひ禱まぬやは、おもひわびつつ。

  牡蠣の殼〔「有明詩抄」バージョン ルビ附〕

牡蠣(かき)の殼(から)なる牡蠣の身の、
かくも涯(はて)なき海にして、
生(なま)のいのちの味氣(あじき)なき
その思ひこそ悲しけれ。

身はこれ盲目(めしひ)、巖(いは)かげに
ただ術(すべ)もなくねむれども、
ねざむるままに大海(おほうみ)の
潮(しほ)の滿干(みちひ)をおぼゆめり。

いかに黎明(あさあけ)朝じほの
色(いろ)靑みきて溢(あふ)るるも、
默(もだ)し痛(いた)める牡蠣の身の
あまりにせまき牡蠣の殼。

よしや淸(すが)しき夕(ゆふ)づつの
光は浪の穗に照りて、
遠野(とほの)が鳩の面影に
似たりといふも何かせむ。

痛(いた)ましきかな、わだつみの
ふかきしらべに聞(き)き恍(ほ)れて、
夜(よ)もまた晝(ひる)もわきがたく、
愁(うれひ)にとざす殼(から)の宿(やど)。

さもあらばあれ、暴風(あらし)吹き、
海の怒の猛(たけ)き日に、
殼も碎(くだ)けと、牡蠣の身の
請(と)ひ禱(の)まぬやは、おもひわびつつ。

[やぶちゃん注:有明はこの一篇のみでも永劫に記憶される詩人であろう。
しかし、有明は自選の「有明詩抄」でやらずもがなの改作をしてしまった。今回は、その両方を示す。
まずは、何も考えずに声に出して朗読してみる。何も考えずに、である。その音の響きを味わう。
「有明詩抄」バージョンは、一切の淀みや立ち止まりが、ない。洗練されたシンフォニーである、いや、でしか、ない。
対する「草わかば」の真正の牡蠣は、己が蠔山(僕の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「牡蠣」を参照)の如、己の殻を砕かんとする怒濤の如、声調は詰屈にして聱牙、内と外、波とあらゆる自然に律動を伝えて、ポリフォニックである。
そこには、ほと走らんとする若き血の生々しい匂いが、する。それは流浪する悲劇の若き騎士のサーガの響きだ。
しかし対する「有明詩抄」バージョンは、僕には、既に館を構え、王となってしまった老いさらばえた彼の、最早帰らぬ若き日への痛ましい自己幻想のようにさえ感じられるのである。
詩人は永遠に若い。魂の若い時にのみ真に詩人であることが出来る(俳人はその逆である)。ミューズは、老いた魔羅を愛さない――]

2009/01/11

古塔 蒲原有明

  古塔   蒲原有明

惱み吸ふくちづけの

わびしかる音の嘆きと、

膚に染みいる蒼白き影の笛のね。――

その淫けたるながき吐息よ。

かかるをりなり、あな、あな、

わが額のうへに

生温き滴したたる。――

灰色のしづくの痛み。

かくてまた鬱憂の

狹霧の中を、

おぼろげに匂ふ塔のかげ、

魂のかげ滅えぎえにして。

わが額の上、灰色の痛み隙なし。

塔も、今、溺れゆく霧の蒸し香に、

しみじみとおぼゆるは、

露盤の鏽の緑青の古き悲しみ。

  古塔

惱(なや)み吸(す)ふくちづけの

わびしかる音(おと)の嘆(なげ)きと、

膚(はだ)に染み(しみ)いる蒼白(あをじろ)き影(かげ)の笛(ふえ)のね。――

その淫(たは)けたるながき吐息(といき)よ。

かかるをりなり、あな、あな、

わが額(ぬか)のうへに

生(なま)温(ぬる)き滴(しづく)したたる。――

灰色(はいいろ)のしづくの痛(いた)み。

かくてまた鬱憂(うついう)の

狹(さ)霧(ぎり)の中(なか)を、

おぼろげに匂ふ塔(たふ)のかげ、

魂(たましひ)のかげ滅(き)えぎえにして。

わが額の上、灰色の痛み隙(ひま)なし。

塔も、今(いま)、溺(おぼ)れゆく霧の蒸(む)し香(が)に、

しみじみとおぼゆるは、

露盤(ろばん)の鏽(さび)の緑青(ろくじやう)の古き悲しみ。

今日、久しぶりにネット・サーフィンをしてみたら、有明の詩は、ネット上でまとまったテクスト化がなされていないことに気づいた。何ともやるせない気になったので、少し打ってみようかなと思ったのだが……彼の詩はルビなしには読めない。そこでルビ付きを試みて見たものの、ココログのHTML編集システムではどうやっても上手くいかないことが分かったので、とりあえずルビ排除版を前に置き、後ろに底本通りのルビ版を配してみた。

底本は1928年岩波書店刊の岩波文庫版「有明詩抄」を用いたが、これは概ね二段組で、相当に無理な版組がなされているために、句読点や記号が狹苦しそうに配されているため、一部を僕の判断で補正した。

う~ん、これは結構面倒だぞ。でも、また、ぼちぼちやるか……

芥川龍之介 雜筆 附やぶちゃん注

芥川龍之介「雜筆」附やぶちゃん注を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

取り残していた纏まった初期アフォリズム集である。注ではヴィジュアルにも楽しめる配慮をした。ご覧あれ。

旅をしたあと 尾形亀之助

おれは旅に出て幾回となくホームシツクにおそはれた
帰つたところで面白くない思ひをするばかりなのにひしひしとねばり強く俺の心をついた
家までに二晩もかゝるところに来て居ておれのその気もちには間に合はないたまらないもどかしさを感じた
実際何の得るところもなくすつかり予想をうらぎられて帰つて来た
旅に出なかつたのと何のかはりもなくおれは自分の部屋に腰をかけてゐるのだ
暑い夕陽のさし込むところに額いつぱい汗をかいてカアテンも引かずにゐるのだ
いつものように妻をしかりつけて最もいやな思ひをして一人ぼつちでわいわいでたらめになきさはぐ蝉にあきあきしてゐる
外も部屋も部鼻のものも自分も全く平凡にすつかり透きとほつて一つものになつてしまつてゐるのだ

妻がひつそりとかげの部屋にひつこんでゐてやはり同じようにいやな思ひをしてねばねばしたあぶら汗を流してゐるかと思ふともうやりきれないほどいやだ
そしておれは動けなくなり口もきけなくなつてゐる
蝉が自由におれの顔にたかつてなめてゐる
うるさい蝉だ
正面からよく見ると馬の顔のようなかつこうをしてゐる
羽のあるのをよいことにしてうまく飛び廻つてゐる
だが
おれの顔をなめてゐることを思ふと何処かになつかしみもある
上京したくなつた
(一九二二、八、一二)

(玄土第三巻第九号 大正11(1922)年9月発行)

[やぶちゃん注:秋元潔氏は「評伝 尾形亀之助」の中で、この詩の一部を引用し、亀之助が、この年の春には「若いふたりもの」「春のある日」「死」で見せた愛妻ぶり(「尾形亀之助拾遺詩集」参照)と打って変わって『気むづかしいさうに妻のことを書いている』と記し、同時期に『玄土』に妻タケがたった一度だけ投稿した詩を掲げている。一方的な亀之助サイドからばかりでは、不公平である。大鹿長子(再婚後のタケの本名)女史の著作権は消滅していないと思われるが、対等な視点から、その詩を引用する。

    曇朝   尾形長子
 寢まきのまま
 窓に腰を掛けて
 ぼんやり
 眼をあいてゐた

 その時
 私のくちびるに
 何かつめたいものが
 觸れた

 いつの間にか
 むしり取つた
 朝顏が
 ふるへてゐる

 私は
 目茶苦茶に
 もみつぶして
 ほうり出した

ちなみにこの急激な亀之助のタケに対する変節について、秋元氏は、この時期、生まれて始めて自立的な自由な未来派の画家としての活動を始めた亀之助であったが、彼の美術界への導師であった未来派の画家木下秀一郎氏は妻タケの叔父であり、亀之助が寄ったところの未来派美術協会会長となった高山開治郎は、亀之助の祖父安平の甥で、兜町で株や商品相場の仲買いをやっていた極めて生臭い人物であった。『姪の連れ合いだから引き立てててやろうという木下氏の態度、亀之助を利用して尾形家から金を引き出そうとする高山開治郎――駆け引き好きな、この二人の身内の人物は、亀之助の心のわだかまりとな』り、『亀之助のプライドにさわったろう。その吐け口が妻タケへの八つ当たりである。』として、先のタケの詩を引用後、『亀之助は人一倍、優越欲求や認知欲求が強かったのに、幼児期から少年期にかけてそれは一度も満たされなかった。ようやく、絵を描きはじめたとき、それは妻のお蔭であり、木下氏の引き立てによるという、劣等感からくる』悪感情のはけ口が妻へと向かい、その行き違いの中で、相互不信を引き起こす何か決定的な出来事が生じ、ひいてはそれが6年後の離婚という破局へと繋がっていると推論されている。秋元氏当該書の「第4章 結婚、美術活動」は裏面史も含めた大正期前衛美術史の美事な一幅となっているのであるが、そこで当時の美術運動の政治的駆け引きの中で、尾形亀之助は自分がいいように使われたことに気づき、それが絵筆を折る原因となったとする分析に、以前から亀之助の美術からの離反に不審を抱いていた私は、大いに賛同するものである。末尾の「(一九二二、八、一二)」は底本ではポイント落ちで、最終行行末にインデント。]

2009/01/10

芥川龍之介筆漢詩「不見萬里道 唯見萬里天」 芥川龍之介句「木の枝の瓦にさはる暑さ哉」  萩原朔太郎揮毫「我れはもと虚無の鴉」

芥川龍之介筆漢詩「不見萬里道 唯見萬里天」及び芥川龍之介の句「木の枝の瓦にさはる暑さ哉」萩原朔太郎揮毫「我れはもと虚無の鴉」の画像を心朽窩旧館の俳句・篇と小説・評論・随筆篇のトップページにサムネイル・リンクした。

勿論、実物ではない。色紙に複製されたものである。30年程前、三茶書房で、一枚700円程でバラで買ったもの(同一の会社の巧芸品と思われるが、「木の枝の」は他の二枚とは異なり、後ろに「巧藝画 不許複製」の文字が刻印されている)。複製ながら、30年経つと、相応の古色蒼然たるセピア色になっており、ほぼ原寸大であるが、補正に苦労した。筆の擦れがより強調されてしまった嫌いがあるが、龍之介と朔太郎の筆勢は十分に伝わってくる。

カルルス煎餅 尾形亀之助

 「交友」といふもの、私にはあると言へばあるないと言へばない。めつたなことに人を訪ねても行かない。たまに、酒なんかの勢ひで夜遅くなんかに出むくこともあるが、そんな折りはたいていは留守なのだし、たまたま留守でなかつたとしても半年か一年時には三年四年ぶりで一寸話して帰つたところが、それが交友と一般に目されるべきものかどうかはつきりしない。訪ねて来る友人があれば夜中であらうとうれしくなつてしまふのだが、それも、その人が訪ねて呉れゝばのこと。
 こゝに一筋、二十数年以前の小さな「話」を記する。現在私は私の彼女と一緒にぼんやり暮してゐる。彼女は私を「お坊ちやん」と称ぶ。そこで私は「お嬢ちやんーはあい」と答へることになつてゐる。それらに因むわけでもあるのです。

 何のわけもなく、たゞ女の子がそこにゐたので喧嘩になつたのです。最初男の子が一人でゐるところへ女の子が出て来て、女の子が来て間もなくもう一人のその男の子が通りかゝつて、男同志がお互に気まりのわるい妙な顔をしたのと、不意に男の子が出て来たので女の子がすねたやうにほんのちよつと後向になつたことの他は何の原因もないのです。
 通りすがりに、何時も一緒に遊んでゐる気安さで相手の肩をたゝかうとしたのが、手もとがくるつて頭にあたつたのです。たゝかれた方も、肩だつたなら「やあ」とその返事をしたのでせうが、女の子の見てゐる前で頭を調子よくぽかりとやられたのですから黙つてはゐられなかつたのです。どつちも八つになつたばかり、女の子は五つか六つなのです。とつさに、うつかりなぐつてしまつた方が逃げ足になつたのですけれども、ひきかへして相手の竹の棒に肘をつつぱつて向つたのです。女の子はたゞ立つてゐたのです。
 棒を持つた方は相手の正面からでなく後ろか横の方から殴りかゝらうとするので、肘をつき出した方ではそれにしたがつて少しづつ向をかへて廻らなければなりませんでした。棒は相手の肩をかすめて二三度ふり降されましたが棒が五尺近くもあつたし少々太くもあつたのでわきの下にたぐりこんでふりまはしてゐるのですから、さう思ふやうにはならないのです。肘を顔の前につつぱつた方はかなりけはしい眼つきをして、その棒で殴るんなら殴つてみろといふいくぶんすてばちな意気ごみでだんだん棒の手もとへ肘と肩で押しこんで来るのです。そこで、さう押されてみると何んだか棒なんかを持つてゐるためにうつかり相手をそれで殴れば相手がひどくむ気になつてしまひさうなので棒の方は押されて後へ退るのです。
 どつちも一言も口をきかずに固くなつてゐるのですが、時折り二人共何か悪口を言つて馳け出しさうなそぶりになるのでした。だから手の方は留守になつて眼と眼の喧嘩といふわけです。でも、棒の方はゆるんだわきの方を時々しめたり、肘の方はその度に肩を張つたりはしてゐるのです。この際、捨てぜりふに何か変なことを言はれるのが三人が三人共、致命的なことになつてゐるのでした。肘をはつた方を中心にして、棒の方は棒の長さだけの大きさに七八度もぐるぐる廻つてゐました。場所は女の子の家のちよつとくぼんだ裏門のところで、前がすぐ長い土堤になつてゐて大きな河が流れてゐるのです。そこはすぐ警察の裏のとこにもなつてゐて留置所があつたりしたのでふだんは近よらないところでした。女の子は最近新らしく来た署長さんの娘さんなのです。と、そのうちに、とうとう肘の方が小石を拾はふとしたとき前こゞみになつた頭を棒の重さで一つぽこんとやられました。
 それで、早く逃げ出してしまへばよいものを、相手が泣くかどうかをみやうとしたのか、それとも殴つたために動けなくなつてしまつたのかじっとそのまゝ立つてゐたので、相手は拾つた石を棒の方の膝の辺にけんとうをつけて四尺ばかりの距離から投げつけたのです。石を投げた方も、石を投げたときの手を肩に背つたまゝの恰好で棒立ちになつてゐるのです。そして、ひどく間の抜けた様子をしてゐたわけなのです。ふとみると、女の子は裏門から中へ入つてゐなくなつてゐました。棒の方が棒をそのまゝ小わきにはさんで唾の出ない唾をすると、相手もいそいで唾の出ない唇だけの唾をつゞけて三度ばかりしました。
 一人が頭をさすつて、一人が土のついた着物の膝を俺はこんなにひどくやられたのだといふやうにたゝいてゐると、そこへ女の子は自分に二枚あとは一枚づつの割合でカルルス煎餅を持つて来たのです。まるくつて、どこもかけ損じてゐないカルルス煎餅には、中にまるく唐草の模様とその困りに「英語」が浮んで出てゐました。裏のその河は夏になると出水して、その裏門のところまで水が来るのでした。そして人参のやうな柳の根などが出水のあとの河原や橋の杭にひつかゝつて残るのです。一人が、この辺まで水が来るんだと言つて地べたに線を引いたのですが、女の子がそれをほんとうにしないので、二人は一緒になつて黙つて聞いてゐる女の子の前で互に合槌をうちながら、嘘でないといふことを言ふために一生懸命になつてしまつてゐるのでした。

(詩神第六巻第九号 昭和5(1930)年9月発行)

[やぶちゃん注:尾形亀之助30歳。私はこの二人の男の子と一人の女の子の話が、無性に好きでたまらない。]

POWER 尾形亀之助 注追加

「尾形亀之助拾遺詩集」冒頭の「POWER」に本篇のペンネームに纏わる注を追加した。

    POWER

日向葵草

お前の黄色の花びらは散つた

それからは

お前は首をうなだれた

さびしいのか

お前が持つてゐるよ

黒くなりかけたお前の種に

いまにわかる

花びらばかりでなく

お前も……

…………

(FUMIE〈踏絵〉第二輯 大正8(1919)年3月発行)

[やぶちゃん注:『FUMIE〈踏絵〉』は同年二月に在学していた私立東北学院中学の学友らと創刊した短歌雑誌である。時に尾形亀之助十八歳、これは現存する彼の最初期の詩作品ということになる。但し、秋元潔1979年冬樹社刊の「評伝 尾形亀之助」によれば、底本でのこの詩の作者は「ジイノオブ」とあり、このペンネームが尾形亀之助のものであるという実証は成されていないが、『たぶん亀之助の筆名なのだろう』とされている(最初の同定者としては藤一也・村主さだ子氏両名の名を掲げている)。それに続いて、氏は同誌掲載の短歌三首を掲載し、その中に「しのぶ優たろ」なる歌人がいるが、『しのぶの濁音はじのぶ、少し訛るとじぃのぉぶ=ジイノオブである』として、ジイノオブとしのぶ優たろは同一人物ではないか、なれば、『ジイノオブが尾形亀之助ならば、しのぶ優たろは尾形亀之助になる』と記されている。参考までにその短歌三首を以下に掲げる。
ああ戀の惡人のいとしき物語り戀の惡人の悲しき物語り
我が戀ふと君は知らずともああ我は君を慕ひて泣かまし泣かまし
ほこりもすてて從順に君が前にわがやるせない戀をひざまづかん
以下、この「しのぶ優たろ」のペンネームは、この人物が関係を持った当時の仙台の娼妓の源氏名であろうとし、実在のモデル候補五人をマニアックに追跡されてもいる。ただ、この恋の歌の直情性は亀之助らしからぬ、しかしこういう歌を彼が作らなかったとも言えぬと続け、『しのぶ優たろは亀之助でないのかもしれない』、この二つのペンネームのことは『踏絵をめぐる謎として留保しておく』とあるのである。しかし、秋元氏は底本全集の一人編者でもあるのであるが、ご覧のように詩「POWER」は本文に掲げながら、この短歌三首は全集に所載していない(拾遺や解説にも記載なし)。私は秋元氏の興味深い推理を面白く思うし、この短歌の作者が亀之助である可能性を大いに感ずる者でもあるので、暫く注として掲げておきたい。「日向葵」はママ。]

2009/01/09

影を 尾形亀之助

 風ひとつない庭を静かに犬が通つて行つた。

 誰か、名を呼ばれても返事をしないでゐるのではあるまいか………深く曇つた空はとうとう雨になつて彼は窓近くぼんやり椅子に腰かけてゐる。

 今はもうないのだが、幻想の中に訪れて来る或る女性がゐた。そして、薔薇色の明るい夕暮などには窓の下に来てゐるやうにさへ思つた。窓から首を出せばそこらに立つてゐはしないかと。遠くかすんだ大きい木の下を歩いてゐるやうにも思へたし又、丁度いま、彼女は彼にあてた手紙を胸をはづませながらポストに入れて美しい花などで飾つた部屋に帰つて、赤い唇で彼の家の見える窓に接吻したな、と思つたりしたのだが。

    ×

 夜が更けて、幾度か耳をすましても彼には彼女のやはらかな寝息が聞えなくなつてしまつた。

 それからといふものは、繰りかへし繰りかへし来る毎日を彼はほとんど手から煙草をはなさなくなつた。そして、夜も昼も眠つたふりをしてゐるやうにながかつた。三時間ばかりのうちに二度も飯を喰べたりした。昨日の今頃――一昨日の今頃――その前の今頃も、その前の日のも一月も二月も前の、明日あさつての、その次の日の――と何時も彼はらつきよ臭い息を吹きかけられてでもゐるやうに顔をそむけた。全く同じやうに、彼にはほんのわづかの違ひも見ひ出せなかつた。そしておちついて本を読むことも、散歩に出かけることも彼はしなくなつた。

 此頃、夜になると蛙が啼いた。

 雨の降りそうな晩など彼は仰向けに寝ころんでゐて、電燈のあたりから彼の目ぶたへたれてくる睡蓮の花に手をさしのべたりした。

 彼にはどうにも出来なかつた。痛みこそないがたしかに春が頭をなぐつたのだ、とそう思つた。そして肩のはるやうな重い心持になつて部屋を出て、便所へなど行つて勢のない小便をした。

 しん・かんと蛙は啼いてゐた。彼は煙草をいくほんものんでゐた。彼の心の中までが暗く雨が降つてゐるやうであつた。

 蛙が、――彼は部屋の中にも蛙がゐるやうな気がした。ひつそりと自分と列らんで………何処かの宮殿の階段に、右と左に蛙と自分が大理石の上にちやんとブロンズか何かになつて乗つてゐて、蛙も大変とりすましてゐるし自分も顔がやせて見えるほど真面目な。――と、彼は椅子にかけたままかたくなつた。出来るだけ顔をまつすぐ向けて、丁寧に両手をひざの上に揃へて、息をとめた。

 ――そのあと、彼はつくづくそのまま漠を鏡に写して見た。

 彼は、どうにも顔の中に自分といふものが居ないといふやうなことに気がついた。顔は、実際は、煙草をのんだり鏡に写つたりしてゐるのだがほとんど全部が不審な形であつた。

 これは俺ではなく、いつも自分につきまとつてゐる少しぐらいは魔法を心得てゐる怪しいものなのだ、ほんの一部分だけが自分で、それもはつきりとはしてゐずにたいていは影のやうで、ことさらに手や顔には恐怖や幻想を感じてゐるほどだ、と。

 彼は詳細に鼻の穴の奇妙などを考へた。そして鼻からは口、歯、耳と見てゐるうちに気もちがわるくなつてしまつた。舌、はぐきはまるで犬と同じものであつた。いそいで寝てしまはふかと思つたが、床に入つてから眠るまでの苦労を思ふとそれも出来なかつた。

 窓もあつた。遠く大きい木も立つてゐたが、もう何処にも彼女の影を思ふことは出来なかつた。

 例とへ魔法の杖の先から出た憧れであつた、としても、今は淋びしい夕暮であつた。彼はやがて彼女に逢へるものとばかり思つてゐたのだ。今日はだめでも明日は――といふやうにして、突然自分が立つてゐるやうな寂びしさで待ちつづけてゐたのだ。彼女から来る手紙は、とうに彼女がポストに入れてしまつた。ポストの底まで落ちてゐなくても、手紙をポストに投げ入れて、はつとした。もも色の顔をたもとにつつんで家の中に馳けこむのを、わざと見ないふりをしさへしてゐたのだ。そして、通りかかる郵便配達をさへ見ないふりをしてゐたのだ。が、今度の郵便では彼女の手紙がとどくと思つてゐたのだ。「郵便やさん、どうせ又忘れて来たんだね」つて、郵便配達が路をまがつて来るのを二階から見てゐて、そう云ひかけて居たんだ。そしてしまひには郵便配達が彼女の手紙をとつてしまつたのではないかしらと怪しむやうになつて、あの顔が――と、配達がおこつてゐるやうな顔をしてゐるが何かわけがあつて、彼女から来る手紙をぬき取るためにあんな顔をしてゐるのかも知れない。これはひよつとすると決闘ぐらひはしなければなるまいものを、と、そして或時には、ちやんと郵便配達の黒い鞄の中に入つてゐたのに――、今日こそは呼びとめて鞄の中を探して見たい、きつとあるのにと焦燥した。――「どうだ。これ、これは、この桃色の梅の花の模様のは。何処へもつて行かうと云ふのだ。見給へ、一年も前の日附を、そら、スタンプだつてこんなにはつきりと一年の前なのだ。俺はとうから君があやしいと思つてゐたのだ、とうから君のその鞄の中にあるのを知つてゐたんだ。ちやんと知つてゐたんだ。彼女がこれをポストに入れたときのことを――息のねがとまりそうになつたほどしんけんな恥かしさを。倒れそうにさへなつたんだぜ。何んと云つて君は申しわけをするんだ。君の命はもらつた。――さあ、一緒に彼女のところへ行くんだ。」

 と、力いつぱい配達の鼻を引つぱつて彼女のところへ昇非行きたいと思つた。

 彼は又、こんな夢ばかり毎夜のやうに見たのだ。――彼の神経のどこかがポストになつて立つてゐると、彼女が彼にあてた綺麗な封筒を入れて行つたので彼は集配人がポストを開けにくるのを大変待ちこがれてゐた。が、いくら待つてゐても集配人がポストを開けに来ないので、彼はすつかりあせつてしまつて丁度、胸のやうにせはしく息をしてゐた………。

 彼はまだ椅子に腰かけたままだ。青い毛糸のシャツを着てゐる人を遠くで見るやうな頼りなさだ。彼は何時までもそうしてゐなければならないだらう。

 しかし、おお、彼は不意の思ひつきをうれしそうにしばらく爪を鋏んだ。

(月曜第一巻第二号 大正152月発行)

[やぶちゃん注:私には最後の「爪を鋏んだ」が不審であった。これは「爪を鋏(はさ)んだ」としか読めず、爪切りを持ち出して爪を鋏んで切り始めた、というのでは如何にもたるんで言葉足らずとしか思われない。これは「爪を嚙んだ」の誤りではなかろうかなどと考えていたのだが、「不意の思ひつきをうれしそうに」という心情で「爪を嚙む」のでは、これはなおのこと、おかしい。はたと気づいた。何のことはない、やはりこれは悠々と爪を切っているである。我々は不満足な苛立ちの中で敢えて普通は爪は切るまい。どこかで爪を切れるのは、そこに会心の安堵の余裕があったからだったとすれば、納得が行く。これは多分、爪を摘む、「爪を鋏(つ)んだ」と読んでいるのであろう。さても、この永遠に配達されない恋文の相手は既に吉行あぐりであろうか?]

2009/01/07

青狐の夢 尾形亀之助

 ぼんやりとした月が出て、動物園の中はひつそり静寂につゝまれてゐた。
 しかし、彼は秋晴れの美しい空に三日月の銀箔を見、そよ風に眼をほそくして自動車に乗るところであつた。彼は水色の軍服を着た青年士官になつてゐるので、心もち反身になつて小脇に細いステツキを抱へ煙草に火をつけてゐた。
 そして、彼の瀟洒な散歩は事もなく捗どつて、自動車が門を走り出ると彼ははつとした。はつとして狐にかへつてゐるのであつた。
 又、或るときは街のペーブメントを歩いてゐて、あまり小さすぎる靴をはいてゐるのに気がついて姿をかくさなければならなかつた。

 彼は青年士官になり紳士にもなつて、幾度となく催した企てが何時も煙のやうにふき消された。動物園の昼の雑踏に、彼は首をたれ眼をつむつてゐた。青い空が眼にしみた。さみしかつた。
 あるとき彼の檻の前に立つてラツパを吹きならす子供があつた。そのとき彼は頭にふる草鞋を載せる芸当を思ひ出して苦しい笑ひを浮べた。人間になりたい希望はもはや見はてぬ夢となつて、彼の親も死ぬまでその希望をすてなかつた。彼もその禁断の血をひいてゐるのであつた。
 日暮れになつて、今までどよめいてゐた園内がひつそりすると、彼はぽつねんとした。そしてつむってゐた眼をあけた。夕やみの奥から鶴の啼き声などが聞えてくる。外燈の瓦斯が蒼白に燃え初める。彼はペタペタと冷めたい水を嘗めると背筋まで冷めたくしみるので藁床に入つて尾に包まれるのだつた。眠らうとしても眠れない。あはれな記憶が浮ぶ。呼ぶ。悪血が彼の尾を二倍も大きくするだらう。彼はふらふらと立ちあがる。
 「女に化けやう――」
 そして、彼は喰ひ残りの雞の骨を頭に載せる。

(青きつね二の巻 卯のとし睦月一日 昭和2(1927)年1月発行)

[やぶちゃん注:「青きつね」は、底本編注に『編集人天江富弥、仙台郷土趣味の会』とあり、この天江富弥は郷土史研究家と思われ、特に伝統こけし研究では先駆者とされ、秋元潔「評伝 尾形亀之助」には『亀之助の友人』(同書77p)という記載がある(後掲する尾形亀之助の「こけし人形」の注も参照)。]

2009/01/04

悪い夢 或ひは「初夏の憂欝」 尾形亀之助

 私はあなたを愛してゐる。私のすべてはあなたに捧げてゐます。
 と、私はほとんど泣きかけて女の袖に追ひすがつたが、女はじやけんにふりちぎつて行つてしまつた。

 「かまきりよ。お前は情け知らずですましてゐればいいのならいいけれども、それにつけても私はさみしい」
 と、私は女に書き送つた。
 すると、女からこんな返事が来た。
 「私はあなたのあの手紙を見るとたゞもうをかしくつてふき出してしまつた。私を愛するあなたの心に大に同情する。世はあわれである。」
 私は涙をのんだ。
 なまじ泣いたつて笑はれるばかりであつた。それからは、私は昼を恥じて夜はなるのを待つてこつそり泣いてゐた。

 私は青くやせた。
 待つともなく待たれてならない女を待つて、私は幾度か窓ガラスを嚙みくだこうとさへした。血に染めた口をゆがめて
 「フフフフフ、あいつ奴未だ来ぬわい」と、やりたい発作を幾度かあやうくさけた。

 夏が来た。
 私はこと更に好ましいかの女の夏の姿を思ひ慕つた。そして一夜こんな夢を見た。
 ――ふと、私を捨てたかの女の後姿をみかけてすぐ追ひつこうとしたが、そんなことをしてはわるいと思つて立ちどまると、女は街の中にまぎれ込んでしまふのであつた。

    ×

 朝になつて、かの女の後姿を茫然と見てゐた夢を見た自分が不愉快であつた。
 起きたあとで枕を見るのはいやだ。
(〈亜〉24号 大正15(1926)年10月発行)

[やぶちゃん注:「なまじ泣いたつて笑はれるばかりであつた。それからは、私は昼を恥じて夜はなるのを待つてこつそり泣いてゐた。」の「夜はなる」は「夜離る」や「夜放る」では意味が通らない。「夜になる」の単純な誤植と見たい。この女は誰か? それは「かまきり」ではある。――しかし、この笑い、私には、「評伝 尾形亀之助」の中で、著者秋元潔が、吉本あぐりに亀之助とのことを直撃インタビューした際の、『含み笑い』と美事にダブる――。]

ではごきげんよう――

2009/01/03

ツルゲーネフ「散文詩」挿絵全挿入終了

ツルゲーネフの「散文詩」の残っていた45葉の挿絵を夕刻よりかかってすべて挿入した。

年賀状で「先生、パソコン向かいすぎ!」と書いてきた貴女、その通りだ、起きている8~10時間は向かいっぱなしだ。肩も凝るし、腱も張る、眼もチラついて、魂も狂おしくなる――されば、明日から北に湯治に参る。では、ごきげんよう――

芥川龍之介 墨陀の櫻

春らしい一篇を。

芥川龍之介17歳の折の「墨陀の櫻」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

清新にして、敬慕してやまなかった泉鏡花の面影ではないか。

西暦一九二七年 尾形亀之助

 自分は一生懸命に仕事をしたいと思ふのは毎年のことだ。もし、いたづらに月が過ぎ年が経つものとすれば生れて来て、泣いても追ひつかない。
 昨年は今年の前の年といふ以外に何のこともない。こんなことではしかたがないとつくづく思ふ。しかし私に何が出来るものかと不遠慮に言つて下さるな。それは私自身で心配するので沢山だと思ふ。むしろおだててもらひたい。少し位わるくともよい意味であれば大変いいと言つてもらひたい。悲観してしまふと中々心をもち直すに骨が折れる。僻みなどは持ちたくない。又、「かつてに何んとでも言へ。俺の仕事がお前にわかつてたまるものか」とは私にはそうは思へない。
 親切に見てゐてもらひたい。数十年後こつこつと詩を書いてゐる自分の姿を考へると、私は暗然とするものがある。又、ここで一箇年のケリがついて私はペン先をとりかへるのだ。私にばかりではない皆んなにも今年がよい年であつて欲しい。

(〈亜〉27号 昭和2(1927)年1月発行)

[やぶちゃん注:「私にばかりではない皆んなにも今年がよい年であつて欲しい」と最後に亀之助が言う時、しかし、彼は、「私」が破滅へと順調な落下をし、時は悪い時代へと向かい、人々にとって「悪い年」になることを予感していたのではなかったか――この昭和2(1927)年、日本は金融恐慌に揺れ、第一次山東出兵で高らかな軍靴の音が響き始めていた。私的にも、自身の主宰した雑誌『月曜』の廃刊・吉行あぐり他への恋慕から生じた家庭不和、それに起因する抑鬱気分が、年末には一気に躁状態での無謀な「全詩人聨合」立ち上げとなる。正津氏も「小説尾形亀之助」の中で述べるように、この夏の「ぼんやりとした不安」を理由に自殺した芥川龍之介の報知は、少なからずこの詩の尾形亀之助の思いに通底し、亀之助をして激しく揺さぶったであろうことは想像に難くない。]

否――

81年後の今日、芥川龍之介と尾形亀之助の「ぼんやりとした不安」は、少しも変わっていないのではないか?

と僕は思えるのである――

取り替えるペン先があるならばいっそ取替えたいとは思わないか?――

2009/01/02

朝馬鹿 尾形亀之助

    朝馬鹿〔①底本準拠版〕

 夏の夜があけて、一時間ばかり経つた頃だつた。羊吉はひとりでに眼が覚めてしまつた。

 羊吉はもうひと眠りしなければならなかつた。ので、しぶい眼をそつとつむつて顔を埋めてゐたが、何か思ひ出すことでもあるやうに腹這に起きなほつて、眼の前にたるんだ蚊帳に二三べん煙草のけむを吹きかけてみたりしてそれから初めてしんとした蚊帳の中を見まはした。

 一晩寝みだれた姿がそのままぐつたり疲れてゐた。そして朝の薄い光の中に蚊帳いつぱいに、彼の肩のところにはこの春やつと誕生を一つ過したばかりの赤子の足が来て居れば、少し離れて、ことごとく身についてゐる心といふものをさらけ出して、妻のおこうが眠つてゐた。

 彼は前の晩、友達とビールを飲みに出かけておそく家に帰つて来たことを頭のどこからともなく思ひ出した。羊吉は体を伏せたまま頭を蒲団につけて眠つてゐる妻を重い眼でぼんやり見てゐた。そして少し眠くなつた。

 ………にわとりが鳴いてゐる………羊吉は火の消えてしまつた煙草を灰皿に落した。そして、静かに眼をつぶつてにわとりの頓狂な鳴き声を聞いてゐて、これは何んといふおかしな田舎者だらうと思つた。「こけこつこうーオ」「こけ、こ、こう――」奇妙なふしまはし………。羊吉は見直すやうにそつと妻のあらはな寝姿を見た。

 そして、まるでにわとりの鳴き声を馬鹿にしきつて――軽蔑しきつたかつこうまで思ひうかべながら床をぬけてだらしのない前はだかりで赤子を跨いだ。蒲団がおかしいほどやはらかかつた。羊吉は、眠つてゐるほどけたやうな妻の体に×××××。

    ×

 にぎやかなにわとりの鳴き声が、盛んに遠くにしてゐた。

 おこうは不気嫌であつた。

 羊吉が妻の手をふり離して蚊帳を出るとおこうも彼を捕へるやうにして続いて蚊帳から出た。そして、羊吉がとぼけたふりをして煙草をくはいて便所へ行かふとする後から、いやといふほど力を入れておこうは彼の頭をなぐつた。羊吉は不意をなぐられた。ので、ちよつとよろめいたが、むやみにおかしいのがこみあげて来て、落した煙草を拾ひあげると後ろも見ないでいそいで便所に入つてしまつた。

 そしてはつとして、羊吉は息と一緒にこらいてきた、喉につかいてゐたおかしさをはきだすと、妻になぐられたことがやつとびつくりしたやうな気持になつた。が、なぐられた頭をなでてゐるうちに、ゆつくりとおちついた気持にひたつていつた。そして、松の茂つたわづかばかりの空を見たり遠くのもの音に耳をかたむけたりして何んとはなく重苦しい心持を憩めた。おこうがどんな顔をしてゐるだらう――と思ふと、羊吉は又ひとりでに喉がなるほどおかしくなつた。今日も暑いんだな海へ行たいなんて云つて居たが、おこうも中々楽くではない。………と、そんなことを考へたりして羊吉は便所の中にゐた。

 おこうは、しんそこから腹が立つてしまつた。

 ちよつとしたはづみからなのはよくおこうにわかつてゐたが、考へてみると今のことばかりではなかつた。結婚して五年もの間に何ひとつ慰さめられたことはなかつた。何時も羊吉は不気嫌で、意地がわるくつて、自分を愛してゐるやうな言葉をちよつともかけては呉れない。――と思ふと知らずに涙がこぼれてきて頰をつたつた。

 今、羊吉の頭を力いつぱいなぐりつけたことはまるで夢のやうであつた。ほんとうになぐつたのかどうだつたのか判断がつかないほどで、力いつぱいなぐらうと心で思つただけで、実際はそんなことをしなかつたのだ。といふのがそれらしく思へた。だから、うまくやつたといふくわい心のほほゑみもちよつとやりすぎたといふ後悔もなかつた。そして、もうそんなことは頭からぬけてしまつて、羊吉の便所から出て来そうなけはひに、おこうは涙をふいた。

 羊吉は便所を出て戸をしめるとき、大きな音をたててしまつた。あ、やつたと思ふひまもなく、妻の舌うちがして赤子が泣き出してしまつた。彼は何時もこれで、生焼けの魚を食はされるやうな小言を聞かなければならなかつた。

 羊吉はわるい時に――と思つたが、しかし出来るだけ平気に、足音をたてないやうにして蚊帳に入ると、妻の方に背をむけて寝たつきり、もう眠つたやうに動かなかつた。おこうは羊吉が戸をがたがたさせて、赤子を起したのをいかにもよい証拠にして、蒲団から眼ばかりを出して見てゐたのに、羊吉は何事もなかつたやうな顔をして脊を向けて寝てしまつたので、物足りない欝憤が胸いつぱいつまつた。どこまでも羊吉がにくかつた。たしかにそれを眼で見たといふやうな気がした。

 そして、こんな男と五年も一緒に暮してゐたといふことが、無ふんべつな愚な女だつた。何故今まで気がつかなかつたのだらう――こうしてゐれば何時までだつて同じことなのだ。婦人雑誌の色々な告白文などが一緒になつて頭に浮んで来てゐた。――夫を捨てて家出………おこうは自分がそうしたことを考へてゐるのに、知らずに眠つてゐる羊吉を見ると、これで今までのながい間の復讐が出来るのか、と思ふと深い思慮もなく、「さあ――いよいよ………」、こんなことを口に浮べて、おこうは赤子を抱きあげた。

 だが、羊吉がどんな顔をして眠つてゐるか見たいと思つた。あんな顔をして眠つてゐるところを私は出て来たのだ――と自分が家出したときの羊吉の眠つてゐた顔を見覚えてゐる方が、好都合だと思つた。又、そのまま蚊帳を出て行つてしまふのも物足りない気がした。

 おこうは後向きになつてゐる羊吉の頭のところまで這つて行つて、顔をのぞいた。口でもあいて眠つてゐて呉れればよいのに、眠つてまでなんてむづかしい顔をしてゐるのだらう――こんな顔ならわざわざ見なくもよかつたと思つた。もしここで、おこうのために不気嫌といふ言葉を創つてやれば、おこうはあきらかに羊吉の寝顔を見て不気嫌になつた。すつかりいやな気持になつてしまつたが、彼女が蚊帳を出て墨汁と筆を持つて来て、羊吉の顔に「馬鹿」と大きく書き終つたとき、全てがもとにもどつてゐた。

 おこうはやつと安心したやうに、ほつとした。何も考へるやうなものは残つてゐなかつた。そしてむきになつて腹を立てたのがおかしくなつてしまつた。

 羊吉はそのまま眠つてゐた。

 おこうは今になつて、ただもう気が弱くなつてしまつた。ここ一時間や二時間ながく眠つてゐるとしても、今日一日中眠つてゐるのではなし、どうかしたかげんで一日中寝通しても、明日は起るにきまつてゐる。おこうは途方に暮れて、腰の浮いたままももをつねつて自分をせめてみたが、さてどうにもならなかつた。涙こそ流してゐたが考へてみれば本気になつて家出するつもりは少しもなかつたのに、他のことなら兎に角「あなたの顔に馬鹿と書きました」とは、とても喉を通つて出て来そうもなかつた。間違つて、ちよつとしたはづみで、のぼせてしまつて――と、こんなことを前につけたつて、すらすら云ひよくはならない。「あなたの顔に馬鹿と書かなければ、私はもう家出してしまつてゐるのです。馬鹿と書いておかしくなつてしまつて……」…と、こんなことも云ひまいし、家出しやうとしたなどといふことは今更何にもならないし、そんなことを云へば羊吉に意地のわるい口をきかれるにきまつてゐた。

 又、洗面所に鏡をつるして置くのさへ自分が家の中にゐては出来そうもなかつた。今にも起きさうな羊吉を前にして、おこうは眼をふせて考へこんでしまつた。

 羊吉が床を出たのは、おこうが羊吉に置手紙して、羊吉の親しくしてゐる近所のKのところへ出かけて行つて間もなかつた。

 今朝は蚊帳もはづしてなければ、寝床も取りちらされたままになつてゐた。羊吉は、おこうが腹を立ててそのままにして何処かへ出かけて出つたのだらう。と、少しおかしなりながら何時ものやうに書斎に入るとすぐ、電灯の傘からぶらさがつてゐる奇妙な手紙を見つけたが、誰れから来たのかいくら考へても、わからないやうな気がした。

 封を切つて見ると、「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります」と初めの一枚にはそれだけしか書いてないので、羊吉は又これは誰かのいたづらだなと思つた。こいつは安心して読まなければ後でとんでもない謀りごとにかけるつもりなのだなと、気がついたので、煙草をゆつくり吸ひながら誰れだかわからない手紙の書き主に、――仲々面白くなりそうな企てをそろそろ拝見してゐる。退屈な朝などにはもつて来いといふやうな、ずいぶんねうちのある。――と、こんなやうな挨拶をして充分罠にかからないまじないをすませて、それから二枚目を見ると、「私はKさんのところに行つて居ります」と書いて「こう」と妻の名がしるしてあるので、羊吉はこれはちよつと変んだ何かの間違ひではないかと思つたが、起きたときもおこうが居なかつたし、未だ帰つて来たやうなけはいがない。――で、いそいで三枚目を開くと、鏡といふ字が一つ書いてあつて、少し離れて「どうぞ許して下さい………おねがひです」と小いさく書きくはいてあつた。

 「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります――私はKさんのところへ行つて居ます――こう――鏡」まではよいとしても「どうぞ許して下さい………おねがひです」がどうしてもわからない。

 「お前の寝ぼけた顔はなかなか見ものだ。俺はKのところへ行つてゐるから――(こう)これは妻の名をしやれて来ないかの意で――やつて来ないか。冷めたい水で寝ぼけた顔をよく洗つて………」と、きつと誰かが妻のゐないところへ来て、自分の眠つてゐる顔をのぞいて見て行つたのではないか、と思へるが「どうぞ許して下さい………お願ひです」がどうにもげせない。

 ひよつとすると、おこうの奴が腹立ちまぎれに俺の顔に馬鹿と書いてしまつて、後でどうにもしまつがつかなくなつて、Kのところへ行つたのかも知れない。いや、きつとそれにちがひない。やつたな! と思つたが、羊吉は鏡を見る前にしばらく眼をつぶつて、ほんとうに自分の顔に馬鹿と書いてあるかどうかを考へてゐた。

 もし、顔に馬鹿と書いてあるのなら鏡を見るのはいやだつた、鏡を見るのはいかにも間がぬけてゐるやうな気がした。おこうに消させやう――そして自分は少しも気づかなかつたふりをしてしまはふ。羊吉はそれがいいと思つたので、又寝床に入つた。菓子器から一握りして来たビスケツトを喰べながら、Kのところでおこうがどんな話をしたらう――いいかげんの出駄らめを自分でもくすぐつたい思ひをして話してゐるんだらう。そして、Kと一緒に帰つて来るかも知れないが、Kが来たらほんとの話をしてやらう。それもいいな――と、そのうちにうとうとしてしまつた。

 もう蝉がさかんに啼いてゐた。

 それから三十分ばかりして(羊吉はそう思つた)羊吉が眼をさますと、もう蚊帳を何時の間にかはづして、部屋は綺麗にかたづけてあつた。台所の方に妻がゐるらしい音がしてゐた。

 何時もと少しもかはりがなかつた。おこうは彼に洗面の湯をくんで呉れた。羊吉は顔の馬鹿はどうなつたかと思つたので、それとなく妻の鏡台の前を通つて見たが、顔には何も書いてなかつた。だが、何時のまに消したのだらう――そして妻は何て上手に白つぱくれてゐるのだらう。きつと書斎のあの手紙もうまくしまつしてしまつただらうと思つて、行つて見ると、手紙は勿論さつきの煙草の吸ひがらもなかつた。

 羊吉は、もう一度妻の顔をさぐつて見やうと思つて書斎を出ると、それをじやまするやうにKが今入つて来たばかりの様子で立つてゐた。

(一九二五・九・――)

(月曜第一巻第四号 大正151926)年4月発行)

   *   *   *

    朝馬鹿〔②誤記誤用補注版〕

 夏の夜があけて、一時間ばかり経つた頃だつた。羊吉はひとりでに眼が覚めてしまつた。

 羊吉はもうひと眠りしなければならなかつた。ので、しぶい眼をそつとつむつて顔を埋めてゐたが、何か思ひ出すことでもあるやうに腹這に起きなほつて、眼の前にたるんだ蚊帳に二三べん煙草のけむを吹きかけてみたりしてそれから初めてしんとした蚊帳の中を見まはした。

 一晩寝みだれた姿がそのままぐつたり疲れてゐた。そして朝の薄い光の中に蚊帳いつぱいに、彼の肩のところにはこの春やつと誕生を一つ過したばかりの赤子の足が来て居れば、少し離れて、ことごとく身についてゐる心といふものをさらけ出して、妻のおこうが眠つてゐた。

 彼は前の晩、友達とビールを飲みに出かけておそく家に帰つて来たことを頭のどこからともなく思ひ出した。羊吉は体を伏せたまま頭を蒲団につけて眠つてゐる妻を重い眼でぼんやり見てゐた。そして少し眠くなつた。

 ………にわとり〔→にはとり〕が鳴いてゐる………羊吉は火の消えてしまつた煙草を灰皿に落した。そして、静かに眼をつぶつてにわとり〔→にはとり〕の頓狂な鳴き声を聞いてゐて、これは何んといふおかしな〔→をかしな〕田舎者だらうと思つた。「こけこつこうーオ」「こけ、こ、こう――」奇妙なふしまはし………。羊吉は見直すやうにそつと妻のあらはな寝姿を見た。

 そして、まるでにわとりの鳴き声を馬鹿にしきつて――軽蔑しきつたかつこう〔→かつかう〕まで思ひうかべながら床をぬけてだらしのない前はだかり〔→はだけ(り)〕で赤子を跨いだ。蒲団がおかしい〔→をかしい〕ほどやはらかかつた。羊吉は、眠つてゐるほどけたやうな妻の体に×××××。

    ×

 にぎやかなにわとり〔→にはとり〕の鳴き声が、盛んに遠くにしてゐた。

 おこうは不気嫌であつた。

 羊吉が妻の手をふり離して蚊帳を出るとおこうも彼を捕へるやうにして続いて蚊帳から出た。そして、羊吉がとぼけたふりをして煙草をくはい〔→くはへ〕て便所へ行かふ〔→行かう〕とする後から、いやといふほど力を入れておこうは彼の頭をなぐつた。羊吉は不意をなぐられた。ので、ちよつとよろめいたが、むやみにおかしい〔→をかしい〕のがこみあげて来て、落した煙草を拾ひあげると後ろも見ないでいそいで便所に入つてしまつた。

 そしてはつとして、羊吉は息と一緒にこらい〔→これへ〕てきた、喉につかいて〔→つかへて〕ゐたおかしさ〔→をかしさ〕をはきだすと、妻になぐられたことがやつとびつくりしたやうな気持になつた。が、なぐられた頭をなでてゐるうちに、ゆつくりとおちついた気持にひたつていつた。そして、松の茂つたわづかばかりの空を見たり遠くのもの音に耳をかたむけたりして何んとはなく重苦しい心持を憩《やす》めた。おこう〔→おこう〕がどんな顔をしてゐるだらう――と思ふと、羊吉は又ひとりでに喉がなるほどおかしく〔→をかしく〕なつた。今日も暑いんだな海へ行[き]たいなんて云つて居たが、おこうも中々楽く〔→「く」削除〕ではない。………と、そんなことを考へたりして羊吉は便所の中にゐた。

 おこうは、しんそこから腹が立つてしまつた。

 ちよつとしたはづみからなのはよくおこうにわかつてゐたが、考へてみると今のことばかりではなかつた。結婚して五年もの間に何ひとつ慰さめられたことはなかつた。何時も羊吉は不気嫌で、意地がわるくつて、自分を愛してゐるやうな言葉をちよつともかけては呉れない。――と思ふと知らずに涙がこぼれてきて頰をつたつた。

 今、羊吉の頭を力いつぱいなぐりつけたことはまるで夢のやうであつた。ほんとう〔→ほんたう〕になぐつたのかどうだつたのか判断がつかないほどで、力いつぱいなぐらうと心で思つただけで、実際はそんなことをしなかつたのだ。といふのがそれらしく思へた。だから、うまくやつたといふくわい〔→会〕心のほほゑみもちよつとやりすぎたといふ後悔もなかつた。そして、もうそんなことは頭からぬけてしまつて、羊吉の便所から出て来そうなけはひに、おこうは涙をふいた。

 羊吉は便所を出て戸をしめるとき、大きな音をたててしまつた。あ、やつたと思ふひまもなく、妻の舌うちがして赤子が泣き出してしまつた。彼は何時もこれで、生焼けの魚を食はされるやうな小言を聞かなければならなかつた。

 羊吉はわるい時に――と思つたが、しかし出来るだけ平気に、足音をたてないやうにして蚊帳に入ると、妻の方に背をむけて寝たつきり、もう眠つたやうに動かなかつた。おこうは羊吉が戸をがたがたさせて、赤子を起したのをいかにもよい証拠にして、蒲団から眼ばかりを出して見てゐたのに、羊吉は何事もなかつたやうな顔をして脊を向けて寝てしまつたので、物足りない欝憤が胸いつぱいつまつた。どこまでも羊吉がにくかつた。たしかにそれを眼で見たといふやうな気がした。

 そして、こんな男と五年も一緒に暮してゐたといふことが、無ふんべつな愚な女だつた。何故今まで気がつかなかつたのだらう――こうしてゐれば何時までだつて同じことなのだ。婦人雑誌の色々な告白文などが一緒になつて頭に浮んで来てゐた。――夫を捨てて家出………おこうは自分がそうしたことを考へてゐるのに、知らずに眠つてゐる羊吉を見ると、これで今までのながい間の復讐が出来るのか、と思ふと深い思慮もなく、「さあ――いよいよ………」、こんなことを口に浮べて、おこうは赤子を抱きあげた。

 だが、羊吉がどんな顔をして眠つてゐるか見たいと思つた。あんな顔をして眠つてゐるところを私は出て来たのだ――と自分が家出したときの羊吉の眠つてゐた顔を見覚えてゐる方が、好都合だと思つた。又、そのまま蚊帳を出て行つてしまふのも物足りない気がした。

 おこうは後向きになつてゐる羊吉の頭のところまで這つて行つて、顔をのぞいた。口でもあいて眠つてゐて呉れればよいのに、眠つてまでなんてむづかしい顔をしてゐるのだらう――こんな顔ならわざわざ見なくもよかつたと思つた。もしここで、おこう〔→おこう〕のために不気嫌といふ言葉を創つてやれば、おこうはあきらかに羊吉の寝顔を見て不気嫌になつた。すつかりいやな気持になつてしまつたが、彼女が蚊帳を出て墨汁と筆を持つて来て、羊吉の顔に「馬鹿」と大きく書き終つたとき、全てがもとにもどつてゐた。

 おこうはやつと安心したやうに、ほつとした。何も考へるやうなものは残つてゐなかつた。そしてむきになつて腹を立てたのがおかしく〔→をかしく〕なつてしまつた。

 羊吉はそのまま眠つてゐた。

 おこうは今になつて、ただもう気が弱くなつてしまつた。ここ一時間や二時間ながく眠つてゐるとしても、今日一日中眠つてゐるのではなし、どうかしたかげんで一日中寝通しても、明日は起るにきまつてゐる。おこうは途方に暮れて、腰の浮いたままももをつねつて自分をせめてみたが、さてどうにもならなかつた。涙こそ流してゐたが考へてみれば本気になつて家出するつもりは少しもなかつたのに、他のことなら兎に角「あなたの顔に馬鹿と書きました」とは、とても喉を通つて出て来そうもなかつた。間違つて、ちよつとしたはづみで、のぼせてしまつて――と、こんなことを前につけたつて、すらすら云ひよくはならない。「あなたの顔に馬鹿と書かなければ、私はもう家出してしまつてゐるのです。馬鹿と書いておかしく〔→をかしく〕なつてしまつて……」…と、こんなことも云ひ〔→云ふ〕まいし、家出しやうとしたなどといふことは今更何にもならないし、そんなことを云へば羊吉に意地のわるい口をきかれるにきまつてゐた。

 又、洗面所に鏡をつるして置くのさへ自分が家の中にゐては出来そう〔→さう〕もなかつた。今にも起きさうな羊吉を前にして、おこうは眼をふせて考へこんでしまつた。

 羊吉が床を出たのは、おこうが羊吉に置手紙して、羊吉の親しくしてゐる近所のKのところへ出かけて行つて間もなかつた。

 今朝は蚊帳もはづしてなければ、寝床も取りちらされたままになつてゐた。羊吉は、おこうが腹を立ててそのままにして何処かへ出かけて出〔→行〕つたのだらう。と、少しおかしく〔→をかしく〕なりながら何時ものやうに書斎に入るとすぐ、電灯の傘からぶらさがつてゐる奇妙な手紙を見つけたが、誰れから来たのかいくら考へても、わからないやうな気がした。

 封を切つて見ると、「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります」と初めの一枚にはそれだけしか書いてないので、羊吉は又これは誰かのいたづらだなと思つた。こいつは安心して読まなければ後でとんでもない謀りごとにかけるつもりなのだなと、気がついたので、煙草をゆつくり吸ひながら誰れだかわからない手紙の書き主に、――仲々面白くなりそうな〔→さうな〕企てをそろそろ拝見してゐる。退屈な朝などにはもつて来いといふやうな、ずいぶんねうちのある。――と、こんなやうな挨拶をして充分罠にかからないまじない〔→まじなひ〕をすませて、それから二枚目を見ると、「私はKさんのところに行つて居ります」と書いて「こう」と妻の名がしるしてあるので、羊吉はこれはちよつと変んだ何かの間違ひではないかと思つたが、起きたときもおこうが居なかつたし、未だ帰つて来たやうなけはいがない。――で、いそいで三枚目を開くと、鏡といふ字が一つ書いてあつて、少し離れて「どうぞ許して下さい………おねがひです」と小いさく書きくはい〔→くはへ〕てあつた。

 「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります――私はKさんのところへ行つて居ます――こう――鏡」まではよいとしても「どうぞ許して下さい………おねがひです」がどうしてもわからない。

 「お前の寝ぼけた顔はなかなか見ものだ。俺はKのところへ行つてゐるから――(こう)これは妻の名をしやれて来ないかの意で――やつて来ないか。冷めたい水で寝ぼけた顔をよく洗つて………」と、きつと誰かが妻のゐないところへ来て、自分の眠つてゐる顔をのぞいて見て行つたのではないか、と思へるが「どうぞ許して下さい………お願ひです」がどうにもげせない。

 ひよつとすると、おこうの奴が腹立ちまぎれに俺の顔に馬鹿と書いてしまつて、後でどうにもしまつがつかなくなつて、Kのところへ行つたのかも知れない。いや、きつとそれにちがひない。やつたな! と思つたが、羊吉は鏡を見る前にしばらく眼をつぶつて、ほんとう〔→ほんたう〕に自分の顔に馬鹿と書いてあるかどうかを考へてゐた。

 もし、顔に馬鹿と書いてあるのなら鏡を見るのはいやだつた、鏡を見るのはいかにも間がぬけてゐるやうな気がした。おこうに消させやう――そして自分は少しも気づかなかつたふりをしてしまはふ〔→しまはう〕。羊吉はそれがいいと思つたので、又寝床に入つた。菓子器から一握りして来たビスケツトを喰べながら、Kのところでおこうがどんな話をしたらう――いいかげんの出駄らめ〔→出鱈目〕を自分でもくすぐつたい思ひをして話してゐるんだらう。そして、Kと一緒に帰つて来るかも知れないが、Kが来たらほんとの話をしてやらう。それもいいな――と、そのうちにうとうとしてしまつた。

 もう蝉がさかんに啼いてゐた。

 それから三十分ばかりして(羊吉はそう思つた)羊吉が眼をさますと、もう蚊帳を何時の間にかはづして、部屋は綺麗にかたづけてあつた。台所の方に妻がゐるらしい音がしてゐた。

 何時もと少しもかはりがなかつた。おこうは彼に洗面の湯をくんで呉れた。羊吉は顔の馬鹿はどうなつたかと思つたので、それとなく妻の鏡台の前を通つて見たが、顔には何も書いてなかつた。だが、何時のまに消したのだらう――そして妻は何て上手に白つぱくれてゐるのだらう。きつと書斎のあの手紙もうまくしまつしてしまつただらうと思つて、行つて見ると、手紙は勿論さつきの煙草の吸ひがらもなかつた。

 羊吉は、もう一度妻の顔をさぐつて見やうと思つて書斎を出ると、それをじやまするやうにKが今入つて来たばかりの様子で立つてゐた。

(一九二五・九・――)

(月曜第一巻第四号 大正151926)年4月発行)

   *   *   *

    朝馬鹿〔③補正修正版〕

 夏の夜があけて、一時間ばかり経つた頃だつた。羊吉はひとりでに眼が覚めてしまつた。

 羊吉はもうひと眠りしなければならなかつた。ので、しぶい眼をそつとつむつて顔を埋めてゐたが、何か思ひ出すことでもあるやうに腹這に起きなほつて、眼の前にたるんだ蚊帳に二三べん煙草のけむを吹きかけてみたりしてそれから初めてしんとした蚊帳の中を見まはした。

 一晩寝みだれた姿がそのままぐつたり疲れてゐた。そして朝の薄い光の中に蚊帳いつぱいに、彼の肩のところにはこの春やつと誕生を一つ過したばかりの赤子の足が来て居れば、少し離れて、ことごとく身についてゐる心といふものをさらけ出して、妻のおこうが眠つてゐた。

 彼は前の晩、友達とビールを飲みに出かけておそく家に帰つて来たことを頭のどこからともなく思ひ出した。羊吉は体を伏せたまま頭を蒲団につけて眠つてゐる妻を重い眼でぼんやり見てゐた。そして少し眠くなつた。

 ………にわとりが鳴いてゐる………羊吉は火の消えてしまつた煙草を灰皿に落した。そして、静かに眼をつぶつてにはとりの頓狂な鳴き声を聞いてゐて、これは何んといふをかしな田舎者だらうと思つた。「こけこつこうーオ」「こけ、こ、こう――」奇妙なふしまはし………。羊吉は見直すやうにそつと妻のあらはな寝姿を見た。

 そして、まるでにはとりの鳴き声を馬鹿にしきつて――軽蔑しきつたかつかうまで思ひうかべながら床をぬけてだらしのない前はだけで赤子を跨いだ。蒲団がをかしいほどやはらかかつた。羊吉は、眠つてゐるほどけたやうな妻の体に×××××。

    ×

 にぎやかなにはとりの鳴き声が、盛んに遠くにしてゐた。

 おこうは不気嫌であつた。

 羊吉が妻の手をふり離して蚊帳を出るとおこうも彼を捕へるやうにして続いて蚊帳から出た。そして、羊吉がとぼけたふりをして煙草をくはへて便所へ行かうとする後から、いやといふほど力を入れておこうは彼の頭をなぐつた。羊吉は不意をなぐられた。ので、ちよつとよろめいたが、むやみにをかしいのがこみあげて来て、落した煙草を拾ひあげると後ろも見ないでいそいで便所に入つてしまつた。

 そしてはつとして、羊吉は息と一緒にこれへてきた、喉につかへてゐたをかしさをはきだすと、妻になぐられたことがやつとびつくりしたやうな気持になつた。が、なぐられた頭をなでてゐるうちに、ゆつくりとおちついた気持にひたつていつた。そして、松の茂つたわづかばかりの空を見たり遠くのもの音に耳をかたむけたりして何んとはなく重苦しい心持を憩《やす》めた。おこうがどんな顔をしてゐるだらう――と思ふと、羊吉は又ひとりでに喉がなるほどをかしくなつた。今日も暑いんだな海へ行きたいなんて云つて居たが、おこうも中々楽ではない。………と、そんなことを考へたりして羊吉は便所の中にゐた。

 おこうは、しんそこから腹が立つてしまつた。

 ちよつとしたはづみからなのはよくおこうにわかつてゐたが、考へてみると今のことばかりではなかつた。結婚して五年もの間に何ひとつ慰さめられたことはなかつた。何時も羊吉は不気嫌で、意地がわるくつて、自分を愛してゐるやうな言葉をちよつともかけては呉れない。――と思ふと知らずに涙がこぼれてきて頰をつたつた。

 今、羊吉の頭を力いつぱいなぐりつけたことはまるで夢のやうであつた。ほんたうになぐつたのかどうだつたのか判断がつかないほどで、力いつぱいなぐらうと心で思つただけで、実際はそんなことをしなかつたのだ。といふのがそれらしく思へた。だから、うまくやつたといふ会心のほほゑみもちよつとやりすぎたといふ後悔もなかつた。そして、もうそんなことは頭からぬけてしまつて、羊吉の便所から出て来そうなけはひに、おこうは涙をふいた。

 羊吉は便所を出て戸をしめるとき、大きな音をたててしまつた。あ、やつたと思ふひまもなく、妻の舌うちがして赤子が泣き出してしまつた。彼は何時もこれで、生焼けの魚を食はされるやうな小言を聞かなければならなかつた。

 羊吉はわるい時に――と思つたが、しかし出来るだけ平気に、足音をたてないやうにして蚊帳に入ると、妻の方に背をむけて寝たつきり、もう眠つたやうに動かなかつた。おこうは羊吉が戸をがたがたさせて、赤子を起したのをいかにもよい証拠にして、蒲団から眼ばかりを出して見てゐたのに、羊吉は何事もなかつたやうな顔をして脊を向けて寝てしまつたので、物足りない欝憤が胸いつぱいつまつた。どこまでも羊吉がにくかつた。たしかにそれを眼で見たといふやうな気がした。

 そして、こんな男と五年も一緒に暮してゐたといふことが、無ふんべつな愚な女だつた。何故今まで気がつかなかつたのだらう――こうしてゐれば何時までだつて同じことなのだ。婦人雑誌の色々な告白文などが一緒になつて頭に浮んで来てゐた。――夫を捨てて家出………おこうは自分がそうしたことを考へてゐるのに、知らずに眠つてゐる羊吉を見ると、これで今までのながい間の復讐が出来るのか、と思ふと深い思慮もなく、「さあ――いよいよ………」、こんなことを口に浮べて、おこうは赤子を抱きあげた。

 だが、羊吉がどんな顔をして眠つてゐるか見たいと思つた。あんな顔をして眠つてゐるところを私は出て来たのだ――と自分が家出したときの羊吉の眠つてゐた顔を見覚えてゐる方が、好都合だと思つた。又、そのまま蚊帳を出て行つてしまふのも物足りない気がした。

 おこうは後向きになつてゐる羊吉の頭のところまで這つて行つて、顔をのぞいた。口でもあいて眠つてゐて呉れればよいのに、眠つてまでなんてむづかしい顔をしてゐるのだらう――こんな顔ならわざわざ見なくもよかつたと思つた。もしここで、おこうのために不気嫌といふ言葉を創つてやれば、おこうはあきらかに羊吉の寝顔を見て不気嫌になつた。すつかりいやな気持になつてしまつたが、彼女が蚊帳を出て墨汁と筆を持つて来て、羊吉の顔に「馬鹿」と大きく書き終つたとき、全てがもとにもどつてゐた。

 おこうはやつと安心したやうに、ほつとした。何も考へるやうなものは残つてゐなかつた。そしてむきになつて腹を立てたのがをかしくなつてしまつた。

 羊吉はそのまま眠つてゐた。

 おこうは今になつて、ただもう気が弱くなつてしまつた。ここ一時間や二時間ながく眠つてゐるとしても、今日一日中眠つてゐるのではなし、どうかしたかげんで一日中寝通しても、明日は起るにきまつてゐる。おこうは途方に暮れて、腰の浮いたままももをつねつて自分をせめてみたが、さてどうにもならなかつた。涙こそ流してゐたが考へてみれば本気になつて家出するつもりは少しもなかつたのに、他のことなら兎に角「あなたの顔に馬鹿と書きました」とは、とても喉を通つて出て来そうもなかつた。間違つて、ちよつとしたはづみで、のぼせてしまつて――と、こんなことを前につけたつて、すらすら云ひよくはならない。「あなたの顔に馬鹿と書かなければ、私はもう家出してしまつてゐるのです。馬鹿と書いてをかしくなつてしまつて……」…と、こんなことも云ふまいし、家出しやうとしたなどといふことは今更何にもならないし、そんなことを云へば羊吉に意地のわるい口をきかれるにきまつてゐた。

 又、洗面所に鏡をつるして置くのさへ自分が家の中にゐては出来さうもなかつた。今にも起きさうな羊吉を前にして、おこうは眼をふせて考へこんでしまつた。

 羊吉が床を出たのは、おこうが羊吉に置手紙して、羊吉の親しくしてゐる近所のKのところへ出かけて行つて間もなかつた。

 今朝は蚊帳もはづしてなければ、寝床も取りちらされたままになつてゐた。羊吉は、おこうが腹を立ててそのままにして何処かへ出かけて出〔→行〕つたのだらう。と、少しをかしくなりながら何時ものやうに書斎に入るとすぐ、電灯の傘からぶらさがつてゐる奇妙な手紙を見つけたが、誰れから来たのかいくら考へても、わからないやうな気がした。

 封を切つて見ると、「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります」と初めの一枚にはそれだけしか書いてないので、羊吉は又これは誰かのいたづらだなと思つた。こいつは安心して読まなければ後でとんでもない謀りごとにかけるつもりなのだなと、気がついたので、煙草をゆつくり吸ひながら誰れだかわからない手紙の書き主に、――仲々面白くなりさうな企てをそろそろ拝見してゐる。退屈な朝などにはもつて来いといふやうな、ずいぶんねうちのある。――と、こんなやうな挨拶をして充分罠にかからないまじなひをすませて、それから二枚目を見ると、「私はKさんのところに行つて居ります」と書いて「こう」と妻の名がしるしてあるので、羊吉はこれはちよつと変んだ何かの間違ひではないかと思つたが、起きたときもおこうが居なかつたし、未だ帰つて来たやうなけはいがない。――で、いそいで三枚目を開くと、鏡といふ字が一つ書いてあつて、少し離れて「どうぞ許して下さい………おねがひです」と小いさく書きくはへてあつた。

 「あなたのお顔に馬鹿と書いてあります――私はKさんのところへ行つて居ます――こう――鏡」まではよいとしても「どうぞ許して下さい………おねがひです」がどうしてもわからない。

 「お前の寝ぼけた顔はなかなか見ものだ。俺はKのところへ行つてゐるから――(こう)これは妻の名をしやれて来ないかの意で――やつて来ないか。冷めたい水で寝ぼけた顔をよく洗つて………」と、きつと誰かが妻のゐないところへ来て、自分の眠つてゐる顔をのぞいて見て行つたのではないか、と思へるが「どうぞ許して下さい………お願ひです」がどうにもげせない。

 ひよつとすると、おこうの奴が腹立ちまぎれに俺の顔に馬鹿と書いてしまつて、後でどうにもしまつがつかなくなつて、Kのところへ行つたのかも知れない。いや、きつとそれにちがひない。やつたな! と思つたが、羊吉は鏡を見る前にしばらく眼をつぶつて、ほんたうに自分の顔に馬鹿と書いてあるかどうかを考へてゐた。

 もし、顔に馬鹿と書いてあるのなら鏡を見るのはいやだつた、鏡を見るのはいかにも間がぬけてゐるやうな気がした。おこうに消させやう――そして自分は少しも気づかなかつたふりをしてしまはう。羊吉はそれがいいと思つたので、又寝床に入つた。菓子器から一握りして来たビスケツトを喰べながら、Kのところでおこうがどんな話をしたらう――いいかげんの出鱈目を自分でもくすぐつたい思ひをして話してゐるんだらう。そして、Kと一緒に帰つて来るかも知れないが、Kが来たらほんとの話をしてやらう。それもいいな――と、そのうちにうとうとしてしまつた。

 もう蝉がさかんに啼いてゐた。

 それから三十分ばかりして(羊吉はそう思つた)羊吉が眼をさますと、もう蚊帳を何時の間にかはづして、部屋は綺麗にかたづけてあつた。台所の方に妻がゐるらしい音がしてゐた。

 何時もと少しもかはりがなかつた。おこうは彼に洗面の湯をくんで呉れた。羊吉は顔の馬鹿はどうなつたかと思つたので、それとなく妻の鏡台の前を通つて見たが、顔には何も書いてなかつた。だが、何時のまに消したのだらう――そして妻は何て上手に白つぱくれてゐるのだらう。きつと書斎のあの手紙もうまくしまつしてしまつただらうと思つて、行つて見ると、手紙は勿論さつきの煙草の吸ひがらもなかつた。

 羊吉は、もう一度妻の顔をさぐつて見やうと思つて書斎を出ると、それをじやまするやうにKが今入つて来たばかりの様子で立つてゐた。

(一九二五・九・――)

(月曜第一巻第四号 大正151926)年4月発行)

[やぶちゃん注:表記・表現の誤用と思われるものが本篇に限っては異常に多いので、三種のテクストを用意した。①底本準拠版、次に②誤記誤用補注版を配し、以下の記号を用いて文中で補正を指示した。本篇にはルビがないので《 》は私のつけたルビであることを示す。〔→ 〕内は直前の字の書き直し又は補正した字及び文字列を指す。脱字と思われるものは[ ]で補った。最後に③補正修正版を参考に附した。但し、これは私なりに正しい、詠み易いと考える読み・補正であって、尾形亀之助の表記は方言の要素も多分に加わっており、勿論、絶対の補正というわけでは毛頭ない。そのつもりでお読みになりたいものでお読み頂きたい。さて、この「おこう」はタケである。繰返しになるが、亀之助は昭和3(1928)年、この妻タケと離婚するが、彼女は亀之助が同年1月に結成した「全詩人聯合」の最大の協力者にして詩友であった大鹿卓(金子光晴実弟、後に小説家に転身)の元へと走っている。年譜を見ると、この大正151926)年9月には大鹿卓詩集「兵隊」の出版記念会に出席している。さすれば、この「K」はどう見ても「大鹿卓」である可能性が高くなってくるように思われるが、これも繰返しになるが、大鹿とは草野心平の紹介で逢っており、心平と亀之助の邂逅は前年の十一月十日の「色ガラスの街」出版記念会でのことなので、それほど短期間に、急速にタケと大鹿が接近したというのも不自然には思われる。思われるのではあるが……。]

2009/01/01

ジュウル・ルナアル エロアの控え帳 岸田国士訳《芥川愛好家必読》

今年最初のテクスト「エロアの控え帳」ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 附やぶちゃん注を「心朽窩 新館」に公開した。

芥川龍之介を愛する人でお読みでない方は必読である。

騙されたと思ってお読みなさい。決して騙しませんから。

迎春

今年もよろしく。恐らくまた別れと出逢いがある。

尤も、立ち止まって振り返ることもなければ、人は別れも出逢いも経験することはない。

僕らは少しだけ、感傷的になってみる必要がありはしないか?

年頭のテクストはもうすぐ完成する。

かねて予告した芥川龍之介のアフォリズムの源泉――だ。

ご期待あれ。

本年の僕のテクストの自己拘束――ベケット「ゴドーを待ちながら」のルーツとされるシングの戯曲「聖者の泉」(松村みね子訳)、芥川龍之介の一連のニグザイル中国紀行「江南游記」「上海游記」、水族以外の「和漢三才図会」の新たな始動、数篇の江戸怪談――

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、現在の累計

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本月中に15万アクセスとなるであろう。

未知の「智者」との邂逅を、僕は楽しみにしている。それ以上に、世界の始まりから永遠に知己であったはずの僕の世界の「仁者」との抱擁を、僕は秘かに期待しているのだ――

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