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« 其の夜の印象 尾形亀之助 | トップページ | 夏の午後を映してゐる或一つの平面的な詩篇 尾形亀之助 »

2009/01/17

洋画展覧会の記 尾形亀之助

 展覧会をやることゝ大きい画をかくことゝで五月の末に妻と一緒に仙台の家にかへりました。
 五月末に開催する筈であつたのが六月の始めに延びて更に六月二十四、五日(土曜、日曜日)にやることになりました、会場になる図書館のうちあはせやびら書きで六月も半ば過ぎになつてしまつて、東京からの目録が着いたのは十九日頃でしたので。二十四日から始めるのにまに合ふように目録を印刷して下れる所がなかつたので心配しましたが、それもうまく問にあつて、三百部又三百部又三百部又五百部とどんどん印刷して千四百部を二十三日の夜までに出来上りました。始め三百部を印刷することがおそろしいように思はれてもう少し少なくと思ひましたが鈴木信治君三浦一篤君二高の鈴木重夫君と仙台の同人方々の働きでどんどんと千四百部まですり上げたことを私はたまらなくうれしく思ひました、同時に緊張して働らいて下すつた方々に心からの感謝をいたしました。
 よい天気であればよい と皆んながそればかり心配してゐました。二十一日と二十二日が梅雨であると思へないほどすみとほつた晴天でしたが二十三日は午前からすつかり曇つてしまひました。十時頃下田君から電話があつて我孫子君と一緒に来仙したことを知りました。すぐ私の家に来ていたゞきました、昼から下田君と我孫子君はがくぶちの都合などで友人のところへゆく。
 二十三日の午後五時頃から会場の準備をするために図書館に集まりました。三浦君は物産陳列所からバックにする海老茶色の布を露西亜のラシヤ売りのようなかつこうをして借りて来て下れました、バックをはりつけて画をかけないうちに暗くなり始めました、すぐ暗くなつてしまつた、ろうそくをつけて十時すぎにやつと画をかけ終りました。星が出て夜の空は晴れてゐました、私の家に引き上げて明日の準備を終つたのは夜の一時過ぎました。

 二十四日は晴れました、会場にゆく途中警察によつて下見をして下れるようにたのみました、それから直ぐ玄土洋画展覧会と書いた立てかんばんを図書館の門の前に立てゝ会場のそうじをしてゐる頃から一二人と人が入り初めました。
 待つてゐた秋山君が鈴木年君の版画をもつて来て下れました。遊佐君は新夫人同伴で来場、会場が立派に出来上つて私達は事務室に受付におちつきました、家からもつて来て下れたにぎりめしを食ふ頃はよほど安心してゐました、深見君は試験中渡辺君は病気でゐなすつたが気にかゝるからと云つて来て下ださいました。
 六時頃閉場して労れてひきあげました。

 二日目は風が吹いて曇天でした、朝、香月君と磯村君から電話が来ました、直ぐ会場の図書館に来てもらうことにして私も出かけました(七時半頃)路に迷つたとかでそれからしばらくして両君に会場で逢ふ。
 午前中から会場はにぎ合いました、香月君と磯村君は松島見物に出かけました。
 午後六時頃の閉会まで二日間で千三百余杖の会員券を売り出して八百人ほどの入場者がありました、私達は感謝と喜びと安心と労れとで引き上げました、私の父は慰労の会を開いて下れましたので七時から会食してよせがきをしました、香月、磯村君は九時に汽車で上京暗くなる頃から雨がほつほつ降り出しました。

 二十六日は午前中会場のあとしまつをして私の家に集りをひらきました、久世君は福島からわざわざ来て下れました、ゆつくりした気特になつて休みました、其の夜十時の急行で秋山、下田、我孫子の三君帰京して仙台は又淋しくなりました。

 宮城図書館の人々、絵を見に来て下すつた人々バツクの布を貸して下れた物産陳列所、朝日新聞の菅野秀雄氏、東華新聞の小野平八郎氏、下田君の友人青山健治氏柏靖氏、目録を印刷して下れた弘文社の人々、この外の多くの親切に働いて下すつた方々に厚くお礼をいたします。
(二十七日夜記す)

(玄土第三巻第八号 大正11(1922)年8月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。三段落目冒頭「よい天気であればよい」の直後の空欄はママ。末尾の「(二十七日夜記す)」は底本ではポイント落ちで、最終行行末にインデント。前年大正10(1921)年10月の第二回未来派美術協会展に「朝の色惑」「競馬」20号二点を出品した亀之助は、この年1月、正式な未来派美術協会会員となって、十月の第三回未来派美術協会展(三科インデペンデント)開催へ向けて準備運営に当たる一方、自身の所属する仙台の文芸グループ『玄土』で、玄土洋画展覧会を開催した(宮城県立図書館にて6月24日・25日)。以上はその展覧会と、父十代之助が展覧会関係者を招いた慰労会の様子を伝えている(但し、亀之助がこの展覧会に出品した作品も点数も現在不明である。当初は40号の「自画像」を出品予定であったが会期までに描き得なかった)。この、絵画の世界に自律的な生を見出した亀之助の、小学生の修学旅行の作文のような文章を読むと、私は何だか微笑ましくなると同時に、この後、真っ正直な亀之助が前衛美術運動の中でいいように使い捨てにされてゆく哀感をも何処かに予兆させているかのように感じられて複雑な気持ちなる。そして、この準備のための帰郷中に、最初の決定的な妻タケとの不和が生じており(後日、家出のように旅に出ている。「旅をしたあと」を参照)、共時的に『玄土』への詩の投稿が増えるのである。]

***

丁度、今、これをアップする直前に、僕のブログの尾形亀之助の文章をずっと読んでくれている教え子からメール、
「幸せだといい作品は生まれないんだなと思った」
う~ん……以上の注を書いた直後だっただけに、何だか、余りにもはまり過ぎたアップになった感じ――

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