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2009/01/17

夏の午後を映してゐる或一つの平面的な詩篇 尾形亀之助

 曇りかけた午後陽がいくぶん斜になつて庭へおちてゐた。庭には物干が立つてゐた。私の訪づねて行つた男は昼寝をしてゐるのであつた。昼寝をしてゐるのを見たのは幾年以前であつたのか、何をしてゐることなのか思ひ出せないやうな気もちで畳にころがつてゐる男を見た。
 考へるまでもなく、眼のさめるまでは私のゐるのを知らずにゐる眠つてゐる男は、起されなければ何時まで眠つてゐるのかわからないのであつた。

(現代文芸七ノ三 昭和5(1930)年3月発行)

[やぶちゃん注:本篇は、底本の本文及び補遺には所収せず、「編注」の中の、「物語」の「地球はいたつて平べつたいのでした」の注の中で、この散文の持っている『平面感覚は散文詩「辻は天狗となり 善助は堀へ墜ちて死んだ 私は汽車に乗つて郷里の家へ帰つてゐる」や、つぎの詩に通じる。』として掲げているものである。どこをひっくり返しても、この詩篇はここにしか所収していないのであるが、これはもう、編者秋元潔氏がまさに『つぎの詩』と呼称している以上、尾形亀之助の拾遺詩に間違いないわけで、どうしてこのような配置がなされているのか、不審である。私としては「拾遺詩」の該当時期にこれを配することとする。]

上記注で記したような次第で、今日始めて、これが遺漏に当たる詩であることに気づいたので、本日「尾形龜之助拾遺詩集」に挿入した。

なお厳密に言うと、それ以外に底本とした思潮社版全集には、詩集「雨になる朝」と「障子のある家」の初出稿と詩集の決定稿の違いをそれぞれ掲げて示している「異稿対照表」があり、この「初出稿」の資料を元に拾遺詩として初出の詩稿を復元して採ることが可能である(前者詩集の初出7タイトル、後記の異稿1篇を含む後者詩集の初出9タイトル、計16タイトル。但し、前者には底本が「拾遺詩」に再録している「煙草と十二月の昼」一篇を含む)。私のテクストを見て頂いても分かるが、実際に底本の「拾遺詩」のパートには詩集「色ガラスの街」の初出異稿複数が掲載されている。ただ、この「異稿対照表」はやや読みづらく、復元には注意が必要と思われるので、少し時間をかけて挑戦してみたいと考えている。

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