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« 妻の誕生日プレゼントは | トップページ | 人生興奮(その二) 尾形亀之助 »

2009/02/15

人生興奮(その一) 尾形亀之助

映画フアンほど憐れな存在はない。とつくづく憐れを感じた男が、映画フアンにはなるなといふやうな意味で、次のやうな遺言をして死んでいつた。(一九二七年の秋に)

 (例へば、――)「最後の人」を見せて呉れたエミール・ヤニングスが「ヴァリエテ」を見せて呉れた。「最後の人」を見せられたわが軍(私達などといふよりはもつとはつきりした私の複数)は「ヴァリエテ」を見せられた。そしてその次に「肉体の道」といふのを見せられてしまつた。次に「タルチユフ」といふのが、巨人篇として網をはつてゐる。
 「肉体の道」がつまらなかつたと言つた場合に、映画嫌ひはだから映画なんてつまらないものだ見るのが馬鹿だと言つた。フアンは黙つてしまつた。しかし、そう一言に言ふのは乱棒すぎると思つて、ひそかに、「肉体の道」を次のやうに私評をした。
 「ヴァリエテ」で、子供をあやしてゐるヤニングスや、ヤニソグスに追ひすがるプツテイに喜ばされた自分は、「肉体の道」の前半ヤニングスのオーガスト・シリングの家庭生活に当然期待した。いや、自分の誤りは一個の俳優演技がだんだん上手になるものと思ひ込んでゐる習慣だ。これがフアンの一目わるい心がけである。で、自分は幾度目かの反期待の憂目に会つた。
 「肉体の道」の筋は、失敗した映画となる型にあてはまつてゐる。ヤニングスもそれで失敗してゐるのであつた。すくなくともと期待した前半はつまらないものであつたが、これは私の期待するのがわるかつたとして後半彼が汽車の中で会つた蠱惑されてゆく有様は「肉体の道」六巻として、二時間足らずに彼が家出して十年もの生活を取り入れてゐるのだから、相当いそがなければならないものかも知れないが、いやみが過ぎてゐた。髯をそつて、ずいぶん若くなつたところはよいとして、彼の酒場での場面は醜態である。あの場面は、彼が酒を飲んで泥酔しなければならないシナリオがわるい。(どうせ原作通りではないのだから)自分は、彼が酒場で茫然としてゐる間に、うまく彼女に商券を取らせる方が面白くはあるまいかと思ふ。その方が見る方もゆつくりと見ることが出来るし、我慢すればヤニングスにもその位のことは出来さうに思ふ。又、ヤニングス得意の場面である筈の(わが軍はあまりすかないが)次の朝の彼は、或一部の人達を喜ばせたであつたらうか。斃された彼が、夜になつて線路へ運ばれるのは彼が意識をなくしてゐるのだからしかたがないが、朝からその夜までの妙な時間のあきに、蠱惑の女に何か面白いことをさせてもよいと思ふ人はなからうか。
 線路のカクトウ。浮浪。ヴアヨリニストの息子。自動車。クリスマス。等々々々。この監督はヴイクター・フリーミソグである。
 尚、一躍ヤニングスの相手役に選ばれたといふフイリス・フエバーは、何んのことはない何処にでもゐさうな踊子のやうなものに過ぎなかつた。が、筋としても、それでオーガスト・シリングを迷はすに十分であらうが、彼女に必要であつた「悪」が、少しも発揮されてゐなかつた。又、次の朝彼女が新らしい着物を着て出るのは意味のあることではあるが、仲間の者に買つて来たとさかんに見せびらかすのは無趣味であらう。
 自分は、主役といふ役のあることをわるいことだと思ふやうになつてゐる。なぜならば、最も長時間スクリンに現れるのが主役のしなけれはならない事の一つである、といふのはよい条件ではない。で、最も見事な端役(?)をやるのを例のスターといふことにして、今の主役といふやうなものはやがてなくなるべきものだと思ふ。そして、特種な場合と新しいスターの紹介といふ意味でのみ今の主役といふやうなものが存在すべきであらう。
 アメリカの手に入つて育つたものは、必ずすたりが来る。映画もその一つである。その意味で映画は未だおちつくところにおちついてはゐない。根底が更にない。

    ×

 レイモンド・グリフィス。
 自分はこの人のはつきりした評判をあまり聞かない。例によつて例の如く珍事百出の――と言つたやうなことであるから、世間のうけがどうなのかよく知らない。自分も残念ながら幾つもこの人のものを見てゐない。この人はチヤプリンとロイドの間にゐて真面目に仕事をしてゐる。その人のものはチヤプリンのやうに深刻(?)ではないし、ロイドほどに軽薄(?) ではない。自分は最近この人の「結婚勘定書」といふのを見て感心した。シナリオも珍らしいほどよいものであつた。
 アメリカの俳優で、所謂アメリカ式のシナリオを立派にやつてのける人としてすつかり感心してしまつた。監督は誰れであつたか忘れてしまつたが、珍らしくよい喜劇であつた。前にロイドのやつたやうに、高い建物に登つたりするのは見てゐて変なものであつたが、それもロイドよりは上手であつた。

    ×

 「カルメン」(ラケル・メレエ)はよい映画であつた。自分は近来まれのものと思つた。
たゞ、カルメンが仲間の女工と喧嘩をして、煙草専売局から獄へ送られて行く途中の道の移動撮影はなんといふ名称なのか、わが軍は眼をまはしてしまつた。見てゐて苦痛を感じた。こんざつを表す方法であるのなら他に方法もあらうに、二度目にはあの場面がうらめしかつた。終りを、ホセがカルメンを殺して切つてしまつたのはよい。又、ドン・ホセがカルメンを逐つて闘牛所へ行く前に、ホセを訪ねて来て、カルメンが市場で闘牛士と云々と話して青くなつた俳優がよかつた。又、あの聯隊長といふ役はあのやうに妙にニヤケてゐなければならないものかと気をもんだ。

    ×

 アメリカの女優はこの頃一層美しくなつた。「チヤング」の反対をいつて、美しいものをあんな風にやつてみてもよいではないか。

    ×

 ものすごく悲観させられたのは「本塁打王」でベーブ・ルーズと共演してゐるアンナー・キユー・ニルスンである。一般映画として取扱ふべきではないかも知れないが、ベーブと共演してゐるニルスンの光栄をわが軍はあまり感じない。「本塁打王」のニルスンの演技は、ベーブの鼠を追ふ態に似せてわざとあゝしたのであらうが、それにしてもわるふざけとしかうけとれない。フアンはあんなものを見ることを希望してはゐなかつた。ふざけ女優である。

    ×

 何時の頃からか、わが軍は映画を見た帰りに酒を飲むくせがついてゐる。何時も新宿駅の二階に寄つて、二時間ほど其処で過すことにしてゐる。そして、大低は酔つて家へ帰ることになつてゐる。飯時以外の時間はひつそりしてゐて、たまたま月の昇るのを見ることもある。美しいイルミネーシヨンが見える。
 わが軍は映画を見た後の自分をあまり好いてゐない。こんなことを言ふと変ではあるが、たしかに好いてはゐない。もう少しかつてなことを言ふと、自分の他にもう一人の連れのやうなものがゐるやうな気が何時もする。――で、洒を飲んでゐる間にその連れのやうなものが先にプラットホームに出て待つてゐたり、先に家へ帰つてしまつたりするので、自分はそこでやつと一人になれる。
 この気持は、階段にいつぱいつまつて帰りを急いでゐる人々に自分がまじつてゐるときや、どやどや館から出たりするときの気持に似てゐる。だから、帰りに酒を飲む金のないときは、わが軍は侘しくなつてゐる。

(映画往来第四巻第三十七号 昭和3(1928)年1月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。冒頭の『(一九二七年の秋に』のクレジットを持つエピグラフは、底本では全体が二字下げのポイントおちである。私は残念ながら尾形亀之助がここで挙げている無声映画の一本も見ていない。せいぜいドイツ映画「嘆きの天使」(1930)で妖艶なディートリッヒに縋る悲しくも哀れな主人公を演じたエミール・ヤニングスと、見ているアメリカ映画「西部戦線異状なし」(1930)に出たはずのレイモンド・グリフィスの名を知る程度である。私は映画館で(ここが肝心である)見ていない映画を云々することが大嫌いである。従って、注をする権利を全く持たない。底本では秋元氏がマニアックな作品及び俳優についての編注を施されている。是非、「尾形亀之助全集」をお読みあれ。――私は見たことのない尾形の映画評より何より、この最後の映画館を出た後の亀之助の心持ちが、何とひどく分かることか――]

*  *

尾形亀之助作品集『短編集』最後の注のために急遽テクスト化した。拙速に過ぎ、誤字脱字があるやも知れぬ。その時はお教え頂きたい。

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