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2009/04/03

無門關 十一 州勘庵主

  十一 州勘庵主

趙州、到一庵主處問、有麼有麼。主、竪起拳頭。州云、水淺不是泊舡處。 便行。又到一庵主處云、有麼有麼。主亦竪起拳頭。州云、能縱能奪、能殺能活。便作禮。

無門曰、一般竪起拳頭、爲甚麼肯一箇、不肯一箇。且道、※訛在甚處。若向者裏下得一轉語、便見趙州舌頭無骨、扶起放倒、得大自在。雖然如是爭奈、趙州却被二庵主勘破。若道二庵主有優劣、未具參學眼。若道無優劣、亦未具參 學眼。[やぶちゃん字注:「※」=「言」+「肴」。]

頌曰

眼流星
機掣電
殺人刀
活人劍

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十一 州、庵主(あんじゆ)を勘す

 趙州(でうしう)、一庵主の處に到りて問ふ、
「有りや、有りや。」
と。
 主、拳頭を竪起(じゆき)す。
 州云く、
「水淺くして是れ舡(ふね)を泊する處にあらず。」
と。
 便ち行く。
 又、一庵主の處に到りて云く、
「有りや、有りや。」
と。
 主、拳頭を竪起(じゆき)す。
 州云く、
「能縱能奪(のうじゆうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)。」
と。
 便ち禮を作(な)す。

 無門曰く、
「一般に拳頭を竪起(じゆき)するに、甚麼(なん)と爲(し)てか一箇を肯ひ、一箇を肯はざる。且らく道(い)へ、※訛(かうか)、甚(いづ)れの處にか在る。若し者裏(しやり)に向かひて一轉語を下し得ば、便ち趙州の舌頭に骨無きを見て、扶起し放倒すること、大自在なることを得ん。(か)是く然ると雖へども、爭奈(いかん)せん、趙州、却りて二庵主に勘破せらるることを。若し二庵主に優劣有りと道はば、未だ參學の眼(まなこ)を具せず。若し優劣無しと道ふも、亦、未だ參學の眼を具せず。」
と。[やぶちゃん字注:「※」=「言」+「肴」。]

 頌に曰く、

眼(まなこ) 流星
機 掣電(せいでん)
殺人刀(せつにんたう)
活人劍(かつにんけん)

淵藪野狐禪師訳:

  十一 趙州、二庵主(あんじゅ)を校勘する

 趙州(じょうしゅう)和尚が、とある庵主の元を訪れて、訊ねた。
「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』!か?」
 その庵主は、鮮やかに握り拳を突き立てた。
 すると趙州は、
「――何とまあ、ひどい浅瀬じゃ、こんなところに舟泊りは出来ぬわい。」
と一人ごつと、ずんずん先へ行ってしまった。
 趙州、暫く行く。
 すると、また別なひとりの庵主の元に辿りついて、即座に訊ねた。
「お前! 確かに、ここに『在(い)る』か!? 確かに、ここに『在(あ)る』か!?」
 その庵主も、先の庵主と全く同様、鮮やかに握り拳を突き立てた。
 すると趙州は、
「――解き放ことも、奪い去ることも、殺すも、生かすも、自由自在じゃ!」
と讃するや、この庵主に低頭した。

 無門、商量して言う。
「どっちの庵主も、ゲンコツ挙げた――だのに如何(どう)して応えが違う? 如何してあっちがバッチリで、如何してこっちはボロクソか?――己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――この詭弁、この逆説、何処に一体、『キモ』は『在る』!?――もしもコイツの鼻面に、ガツン! と一発、ゴッツいゲンコ、間髪入れずに喰らわせられりゃ、舌先三寸中身無き、『騙りの趙(ジョウ)』の面(つら)引ん剥き、骨抜き、タマ抜き、牛蒡抜き。――それを見抜けたその日にやぁ、ヨロぼう弱きを支えもし、エバる輩はブッとばす、あんたは大した自由人(クール・ガイ)。――ところがよ、話の本(もと)に戻って見れば、何のことはありゃせんゼ! 智謀術数齢(よわい)を重ね、奸智に長けた『騙りの趙(ジョウ)』が、ここじゃ、二人の庵(いおり)の主(ぬし)に、ケツの穴まで見抜かれたぁ!――さてももし、お前が二人の庵の主に、「優劣あり」とのたもうならば、お前の振った骸子(さいころ)の、目に禅の機はゼンゼンない。――さてももし、お前が二人の庵の主に、「優劣なし」とのたもうとても、お前の振った骸子の、目に禅の機はゼンゼンない。」

 次いで囃して歌う。

眼(まなこ)に 光る マークは流星
自慢の機(ジェット)で 敵を撃つ
怪獣 退治の 専門家
来たぞ 我らの ウルトラマン!

★  ★  ★

[やぶちゃんの特別補注]

言っておくが、僕はおちゃらけてなんか全くいないのだ――

淵藪野狐禪師は淵藪野狐禪師なりの覚悟を持った真剣さで、この訳を真面目に何時間もかけて呻吟している。今回の「頌」も、勿論、当初はスマートに原文をそのままにして格好良く訳すつもりであった。

しかし、まず、この趙州の公案を最初に読んだ14年前を僕は思い出したのであった――

14年前のその時、僕が真っ先に髣髴としたのは、ブッ飛んだ名盤“Monk's Music”であったのだ――

お経のアドリブの小節を勘違いした和尚の

「喝!(コルトレーン!)」

の叫び声――

ひたすらオロオロしてアセりまくる他のサイドメンを尻目に、冷静にテナーのコブシを正確に吹き「挙げる」高弟の、あの一瞬なのであった――

僧(モンク=セロニアス・モンク)と機(トレーン=ジョン・コルトレーン)――

そうして、もう一つ、この公案の答えを導くものは間違いなく、ジャズのアドリブの真髄たる、

「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)

に他ならない、という直覚に近い印象であった。趙州和尚の「有りや、有りや」の言い方でも、その拳の挙げ方でも、その庵主の実際の禅境でも、趙州の答えでも、ない――これはそれらすべての「呼びかけと応答」(コール・アンド・レスポンス)の一体の『在り方』なのではないかという直感である。

何はともあれ、僕は愚かな僕のその愚かな早合点に、聊かのエクスタシーを覚えたのである――

……それを思い出したら、「頌」はすっかり分かりやすいウルトラマンの響きになっていたのである。スペシウム光線も八つ裂き光輪も文字通り「殺人刀」であった(歌詞自体の「怪獣退治の専門家」は勿論、歌詞の上では一義的には科学特捜隊のことを言うのであってこの解釈は牽強付会とも謗られよう。いや、であるからこそただの引用ではないのである)。その「殺人刀」を持つウルトラマンが人類の真の平和のためにM78星雲からやってきた、弥勒のように我らを真に生かすためにやってきた「活人劍」であったではないか!(成田亨のウルトラマン原型造形には明らかに仏教的なアルカイック・スマイルが示唆されている)……

……僕にとってのこの訳は、極めて自然であった。だから僕はいっこうに誤訳とも不敬とも思っていない……趙州和尚には、きっと指の二三本スッパリ切られるであろうが、僕はそれでよい……いや、切られてこそのあの童子ではなかったか……

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