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2009/04/12

無門關 禪宗無門關(無門慧開自序)

禪宗無門關

佛語心爲宗、無門爲法門。既是無門、且作麼生透。豈不見道、從門入者不是家珍、從縁得者始終成壞。恁麼説話、大似無風起浪好肉抉瘡。何況滯言句覓解會。 掉棒打月、隔靴爬痒、有甚交渉。慧開、紹定戊子夏、首衆于東嘉龍翔。因納子請益、遂將古人公案作敲門瓦子、隨機引導學者。竟爾抄録、不覺成集。初不以前後敍列、共成四十八則。通曰無門關。若是箇漢、不顧危亡單刀直入。八臂那※、擱他不住。縦使西天四七、東土二三、只得望風乞命。設或躊躇、也似隔窓看馬騎、貶得眼來、早已蹉過。[やぶちゃん字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

頌曰、

大道無門
千差有路
透得此關
乾坤獨歩

淵藪野狐禪師書き下し文:

禪宗 無門關

 佛語心(ぶつごしん)、宗と爲し、無門、法門と爲す。
 既に是れ無門ならば、且らく作麼生(そもさん)か透(とほ)らん。
 豈に道(い)はれざらんや、『門より入る者は、是れ家珍ならず、縁より得る者は、始終成壞(じやうゑ)す。』と。
 恁麼(いんも)の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡(きず)を抉るに似たり。何ぞ況んや言句(ごんく)に滯りて解會(げゑ)を覓(もと)むるをや。 棒を掉(ふる)ひて月を打ち、靴を隔てて痒(やう)を爬(か)く、甚(なん)の交渉か有らん。
 慧開、紹定(ぜうてい)戊子(つちのえね)の夏(げ)、東嘉(とうか)の龍翔(りゆうしやう)に首衆たり。納子(のつす)の請益に因みて、遂に古人の公案を將(も)
つて門を敲く瓦子(がす)と作(な)し、、機に隨ひて學者を引導す。爾(ここ)に抄録を竟(を)はるに、覺へず、集を成す。初めより前後を以って敍列せず、共(あは)せて四十八則と成る。通じて「無門關」と曰ふ。
 若し是れ、箇(こ)の漢ならば、危亡を顧みず、單刀直入せん。八臂(はつぴん)の那※(なた)、他(かれ)を攔(さへ)ぎれども住(とど)まらず。縦-使(たと)ひ、西天の四七、東土の二三も、只だ風を望みて命を乞ふを得るのみ。設(も)し或ひは躊躇せば、也(ま)た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼(まなこ)を貶得(さつとく)し來らば、早くも已に蹉過(さか)せん。[やぶちゃん字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 頌(じゆ)して曰く、

大道 無門
千差(せんさ) 路有り
此の關を透得(とうとく)せば
乾坤に獨歩せん

淵藪野狐禪師訳:

禅宗「無門関」――禅僧無門慧開自序

 仏の説くその心、それのみを肝要とし、入る門はない、ということを禅宗は法門とする。
 ではまさに、既に入る門がないことを法門とするならば、どのようにしてその門を通過すればよいか?
 ある法語にも『門から入って来るような者は、家の宝となるような人では毛頭なく、ろくな奴じゃあない。ある機縁から生じた現象には、必ず始めと終わりが在り、容易に創成完成したり、反対にあっけなく消滅崩壊したりもするものだ。』と言うじゃないか。
 ここに記した以下の説話にしてからが、全く風がないのにあたら物騒ぎな波を立てたり、美しい肌(はだえ)を抉って醜く消えない瘡(きず)をつけるような厄介なものなんである。ましてや、その言葉の尻に乗っかって、何かを会得したいなんぞと期待するのはもってのほかじゃ!  棒を振り回して月を打ち落とそうとしてみたり、靴の上から痒いところを掻いてみたところで、何で真理(まこと)と交渉を持つことが出来ようか、いや、出来ぬ。
 拙者無門慧開は、紹定(じょうてい)戊子(つちのえね)の夏安居(げあんご)を温州(:現・浙江省)永嘉郡にある名刹江心山龍翔寺(りゅうしょうじ)で過したが、拙僧はまた、そこでの修行者達の束ね役でもあった。修行僧達は、一度教えを請うた後も、不分明な点について再び教えを請うてくることが多く、そこで思い余って古人の公案を示して、無門を敲く瓦(かわらけ)となし、それぞれの学生の禅機の段階に応じた教導をした。その際の公案と教導の幾つかを抄録し終えたところが、思いがけないことに、相応の分量とは成った。当初より、順序を考えて書き記した訳ではないが、都合、四十八則と成った。これを称して「無門關」と言う。
 もしも本気で禅と組み合おうと覚悟した好漢であったなら、必ずや不惜身命、単刀直入にこの無門に飛び込むはずである。その時は、喧嘩っ早くて怪力の、八本腕の那※(なた)太子と雖も、ザッと進み入らんとする彼を遮ろうとしても、押し留めることは出来ない。たとえ釈尊から達磨大師に至る西来二十八人の伝灯祖師と雖も、本邦の達磨大師から六祖慧能に至る六人の禅の祖師と雖も、その彼の暴風のようなまっしぐらの覚悟にかかっては、ただひたすら命乞いをするばかり。しかし! もし、万が一、この無門に入ることを少しでも躊躇したならば、それはまた、窓越しに白楽が跨った駿馬が過ぎ去るのを見ようとするのと同じで、おろかに瞬いたその瞬間にも、早くも真理(まこと)はお前の前を擦れ違って遠く去ってしまっているであろう。[やぶちゃん字注:「※」=「口」+(「托」-「扌」)。]

 次いで囃して言う。

大きな道には 門はない
無数の道がぴったり並び どこもかしこも道だらけ
ここに在る 無門の関所を抜けられりゃ
乾坤一擲 天上天下 唯我独尊 独立独歩

[やぶちゃん特別補注:以下、訳で用いた「商量」というのは、いろいろ考えて推し量ることを言う。また、やはり以下、原文で繰り返される「頌」(じゅ)というのは、仏教用語で、古代サンスクリット語(梵語)の“gāthā”の漢訳語。偈(げ)と同じで、仏法の徳やその教理を賛美する詩のことを指す。「那※(なた)」[「※」=「口」+(「托」-「扌」)]は道教の神仙の一人。nalakuubaraナラクーバラで、本来はインドの神話の神。後に仏教の主護神として中国に伝えられ、更に道教に取り入れられて那※三太子等とも呼ばれる。中国に於ける毘沙門天信仰が高まると、毘沙門天は唐代初期の武将李靖と同一視され、道教でも托塔李天王の名で崇められる様になった。それに伴い、その第三太子という設定で那※太子も道教に取り入れられた。現在は「西遊記」「封神演義」などの登場人物として人口に膾炙する。分りやすい「西遊記」の出自では托塔天王の第三太子(「封神演義」では陳塘関の、後に托塔天王となる李靖将軍の第三太子)。生後三日で海中の水晶宮で蛟龍の背筋を抜く凄まじい臂力の持ち主であったが、その非道ゆえに父が彼に殺意を抱いたため、自ら身体を切り刻み、その肉を父に、骨を母に返したとする。後、その魂はその行為に感じた仏性により再生し、父とも釈迦如来の慈悲により和解したという設定で、例の天界で大暴れする孫悟空の討伐に出陣するが敗れる。後半の三蔵法師取経の旅にあっては、悟空の仲間・取経の守護神に一変、何度か見舞われる危機を救う好漢として登場する。]

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