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2009/04/22

無門關  十二 巖喚主人

     十二 巖喚主人

瑞巖彦和尚、毎日自喚主人公、復自應諾。乃云、惺惺着。喏。他時異日、莫受人瞞。喏喏。

無門曰、瑞巖老子、自買自賣、弄出許多神頭鬼面。何故。※。一箇喚底、一箇應底。一箇惺惺底、一箇不受人瞞底。認着依前還不是。若也傚他、惣是野狐見解。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]

頌曰

學道之人不識眞
只爲從前認識神
無量劫來生死本
癡人喚作本來人

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十二 巖(がん)、主人を喚ぶ

 瑞巖彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃ち云く、
「『惺惺着(せいせいぢやく)。』『喏(だく)。』『他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ。』『喏喏(だくだく)。』」
と。

 無門曰く、「瑞巖老子、自ら買ひ自ら賣りて、許多(そこばく)の神頭(しんづ)鬼面を弄出す。何故ぞ。※(にい)。一箇の喚ぶ底(てい)、一箇の應ずる底。一箇の惺惺たる底、一箇の人の瞞を受けざる底。認着(にんじやく)せば、依前として還りて是(ぜ)ならず。若し他(かれ)に傚(なら)はば、惣(すべ)て是れ、野狐の見解(けんげ)ならん。」
と。
[淵藪野狐禪師字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]

 頌して曰く、

學道の人眞を識らざるは
只だ從前より識神(しきしん)を認(と)むるが爲なり
無量劫來(ごふらい)生死の本(もと)
癡人喚んで本來人と作(な)す

淵藪野狐禪師訳:

  十二 瑞彦(ずいがんげん)、己を主人と呼ぶ

 瑞彦和尚は、毎日、自分自身に対して「主人公」と声をかけ、そうしてまた、自分自身でそれに「はい」と返事をする。例えば、こんな風に。
彦和尚「おい! 主人公! 心静かに醒めておれ!」
彦和尚「はい。」
彦和尚「おい! 主人公! どんな時でも人に騙されちゃあ、いかんぞ!」
彦和尚「はい、はい。」

 無門、商量して言う。
「瑞老爺(ラオパン)、千両役者、人身売買、一人芝居、無数の変臉(へんめん)、鬼神の宴(うたげ)、マスカレードじゃあるめえに。爺さん、何が言いたいの?――おい! 主人公! どうだ? 一己の『呼ぶ存在』、一己の『応える存在』――一己の『醒めている存在』、一己の『絶対に他者に騙されることがない存在』――おい! 主人公! このいずれかの『存在』を、ただ識(し)るのでは、まるで駄目! それならいっそと、彦(げん)の真似、大根役者がしてみても、徹頭徹尾の野狐の禅!」

 次いで囃して言う。

修行行う者にして 少しも真実(まこと)を知らぬのは
お前の意識そのものに 誑(たぶら)かされているんだよ
♂ ♀ * † ∞ ――あらゆる業(ごう)の積み重ね(=罪重ね)
その存在を馬鹿どもは 愚かに本来「人」と呼ぶ

[淵藪野狐禪師注:「頌」の訳に用いた「♂ ♀ * † ∞」は私の世代から上にしか分からないであろう。これは、1962年にTBS系列で放送され、大ヒットを記録した外科医を主人公にした医療ドラマ「ベン・ケーシー(Ben Casey)」(アメリカABC:1961~1966)のオープニング、医師が「♂ ♀ * † ∞」を黒板にチョークで記しながら、日本語吹き替えで「男 女 誕生 死亡 そして無限」と語るシーンからとった。]

★  ★  ★

僕は何故かよく分らないが、この則、「無門関」の中で、唯一、好きでない。敢えて分析すると、この瑞巌の「主人公!」という呼びかけの言葉が、何故か分らないが、もの凄く厭なのだとまず思う。また、それに答える瑞巌の「喏」「喏喏」の文字が如何にも気持ちが悪いからだとも思う。そうしてこの一人芝居が如何にも死臭芬々たるものだからである、とも思う――ということは――多分、ここに「僕」が「いる」のだろう――この則こそが僕の「無門關」なのかも知れない――

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