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2009/05/28

上海游記 七 城内(中)

       七 城内(中)

 それから少し先へ行くと、盲目(めくら)の老乞食が坐つてゐた。――一體乞食と云ふものは、ロマンテイツクなものである。ロマンテイシズムとは何ぞやとは、議論の干(ひ)ない問題だが、少くともその一特色は、中世紀とか幽靈とか、アフリカとか夢とか女の理窟とか、何時も不可知な何物かに憧れる所が身上(しんしやう)らしい。して見れば乞食が會社員より、ロマンテイツクなのは當然である。處が支那の乞食となると、一通りや二通りの不可知ぢやない。雨の降る往來に寢ころんでゐたり、新聞紙の反古(ほご)しか着てゐなかつたり、石榴(ざくろ)のやうに肉の腐つた膝頭をべろべろ舐めてゐたり、要するに少少恐縮する程、ロマンテイツクに出來上つてゐる。支那の小説を讀んで見ると、如何なる道樂か神仙が、乞食に化けてゐる話が多い。あれは支那の乞食から、自然に發達したロマンテイシズムである。日本の乞食では支那のやうに、超自然な不潔さを具へてゐないから、ああ云ふ話は生まれて來ない。まづ精精(せいぜい)將軍家の駕籠へ、種ケ島を打ちかけるとか、山中の茶の湯を御馳走しに、柳里恭(りうりきよう)を招待するとか、その位の所が關の山である。――あまり横道へ反れすぎたが、この盲目の老乞食も、赤脚仙人か鐵拐仙人が、化けてでもゐさうな恰好だつた。殊に前の敷石を見ると、悲慘な彼の一生が、綺麗に白墨で書き立ててある。字も私に比べるとどうやら多少うまいらしい。私はこんな乞食の代書は、誰がするのだらうと考へた。
 その先の露路へさしかゝると、今度は骨董屋が澤山あつた。此處はどの店を覗いて見ても、銅の香爐だの、埴輪の馬だの、七寶(しつぽう)の鉢だの、龍頭瓶(りうとうへい)だの、玉(ぎよく)の文鎭だの、青貝の戸棚だの、大理石の硯屏(けんびやう)だの、剥製の雉だの、恐るべき仇英(きうえい)だのが雜然とあたりを塞いだ中に、水煙管(みづぎせる)を啣へた支那服の主人が、氣樂さうに客を待ち受けてゐる。次手にちよいとひやかして見たが、五割方は懸値であるとしても、値段は格別安さうぢやない。これは日本へ歸つた後、香取秀眞(ほづま)氏にひやかされた事だが、骨董を買ふには支那へ行くより、東京日本橋仲通りを徘徊した方が好ささうである。
 骨董屋の間を通り拔けたら、大きな廟のある所へ出た。これが畫端書でも御馴染の、名高い城内の城隍廟(じやうくわうべう)である。廟の中には參詣人が、入れ交り立ち交り叩頭(こうとう)に來る。勿論線香を獻じたり、紙錢を焚いたりするものも、想像以上に大勢ある。その煙に燻ぶるせゐか、簗間(れうかん)の額や柱上の聯(れん)は悉(ことごとく)妙に油ぎつてゐる。事によると煤けてゐないものは、天井から幾つも吊り下げた、金銀二色の紙錢だの、螺旋状の線香だのばかりかも知れない。これだけでも既に私は、さつきの乞食と同じやうに、昔讀んだ支那の小説を想起させるのに十分である。まして左右に居流(ゐなが)れた、判官(はんぐわん)らしい像になると、――或は正面に端坐した城隍らしい像になると、殆(ほとんど)聊齋志異だとか、新齊諧(しんさいかい)だとかと云ふ書物の插畫を見るのと變りはない。私は大いに敬服しながら、四十起氏の迷惑などはそつち除けに、何時までも其處離れなかつた。

[やぶちゃん注:
・「將軍家の駕籠へ、種ケ島を打ちかける」乞食の体をなした者が江戸幕府将軍の籠に銃を撃ったと言う事実が何かに書かれているのであろうか、不学にして私は知らない。識者の御教授を乞う。
・「柳里恭」柳沢淇園(やなぎさわきえん 宝永元(1704)年~宝暦8(1758)年)の元服後の本名。江戸中期の文人画家。大和郡山藩柳沢家(父曽根保格は大老柳沢吉保に仕え、信任篤く、柳沢姓を許された)の重臣。朱子学を中心にして仏典・本草・書画等、多芸多才であった。諸方から教えを乞う者多く、そうした人物を常に数十人食客として置いて養い、自宅では頻繁に宴席を設けた。将棋を好み、奇行に事欠かない人物であった。本件のような事蹟が何かに書かれているのであろうが、不学にして知らない。識者の御教授を乞う。
・「赤脚仙人」井上哲次郎編『哲學字彙』に『赤脚仙人』として『按、昔者印度有一種之學派、裸体而漫遊、故時人呼曰赤脚仙人、恐是佛家所謂裸形外道』の割注を記す。筑摩版では、芥川龍之介のヴォルテールの翻訳「ババベツクと婆羅門行者」に登場する「赤脚仙」と同じとし、“gymunosofiste”(ヴォルテールの原文からの引用であろう)、裸体で瞑想に耽った古代インドの行者、裸形外道論師、と記し、岩波版新全集注解では、同様に、裸足=赤脚かつ裸体で各地を漫遊した古代インドの仙人、とする。しかし、これは芥川が幼少より親しんだ「西遊記」に登場する「赤脚大羅仙」のことではあるまいか。 西王母主催の蟠桃会(ばんとうえ:3月3日の彼女の誕生日。)に招待されるが、途中で悟空に騙されて待ちぼうけをくらう裸足の仙人である。また「水滸伝」には宋の仁宗が赤脚仙人の生まれ変わりと記されているとある(「赤脚大羅仙」については「太雲道~仙人への道~」の「西遊記的神仙紹介」による)。
・「鐵拐仙人」は中国八仙の一人、李鉄拐のこと。医術を司る。やはり中国八仙の一人である呂洞賓(りょどうひん)の弟子とされる。名はアイテムとして鉄の拐=杖を持つことから。本邦では蝦蟇仙人とペアで描かれることが多い。魂だけを離脱させて自在に往き来出来たとする。中文サイトに、

稱其爲呂洞賓的弟子。傳稱李凝陽應太上老君與宛丘先生之約、魂游華山。臨行、囑咐其守魄(軀殼) 七日。無奈其徒之母突然急病而欲速歸 、遂於第六日化師之魄。李凝陽游魂於第七日回歸時、無魄可依、即附於一餓殍之屍而起、故其形醜陋而跛右脚。

という風にある。荒っぽく訳して見るなら、ある時、鐵拐は仙界へと呼ばれ、立つに先立って、弟子に「七日間、私の魄(魂が空の肉体)を見守っておれ。」と言ったが、その弟子の母が急病となったためにすぐに帰郷したくなった。遂に弟子は六日目に鉄拐の魄を別なところに移して出発してしまった。七日目に鉄拐の魂が戻ってきた時、魄がないため仕方なく、近にころがっていた行路死病人の遺体に入った。それ故にその容貌は醜く、右足は跛を引いている、といった感じか。
・「龍頭瓶」恐らく瓶口に対になった突起状の龍の飾りを付けたものを言うのであろう。
・「仇英」明代の画家(生没年不詳)。特に人物画に於いて写実性に富んだ様式美を大成、美人風俗画に於いては独特の画風を完成させた。後の美人画は殆んどが彼のものに追従するものとなったという。形容の「恐るべき」は、あまりの下手さ加減に恐れ入るほどの贋作の、という意味で、恐らくはここに並んでいるものも美人画の安っぽいフェイクなのであろう。
・「香取秀眞」鋳金工芸師(明治7(1874)年~昭和29(1954)年)。東京美術学校(現・東京芸術大学)教授・帝室博物館(現・東京国立博物館)技芸員・文化勲章叙勲。アララギ派の歌人としても知られ、芥川龍之介の隣人にして友人であった。
・「城隍廟」中国の民間信仰である道教の土地神たる城隍神を祀るための廟所。上海城隍廟(俗に老城隍廟)は現在の黄浦区南部の豫園及びその商店街に隣接した地に建つ。
・「叩頭」中国式拝礼の一つ。跪いて両手を地につけ、頭を地面につくまで下げておじぎをすること。
・「簗間」梁(はり)の間。
・「紙錢」紙を現行の銭の形や紙幣に似せて切ったもの。十王思想(後の「判官」の注参照)の中から生れたものと考えられ、副葬品としたり、法事の際に燃やして死者の冥福や、自身の来世での来福を願うために用いた。現代では実際の紙幣と類似した印刷物も用いられるが、近年、中国共産党は旧弊として禁じたというニュースを聞いている。
・「聯」は対聯のことで、書画や彫り物を柱や壁などに左右に相い対して掛け、飾りとした細長い縦長の板状のものを合わせて言う語。
・「判官」は、ここでは主に地獄の裁判官の副官を言う。中国で形成された仏教の地獄思想である十王思想では、初七日から四十九日までの7日目ごと及び百ヶ日・一周忌・三回忌には生前の所業を精査されて十人の裁判官の裁きを受けることになっている。そこで生前から十王を祭り、死して後も遺族によって罪障を軽減が可能とされた(それが遺族の功徳になって自身に返ってくるのである。勿論、ここでは道教寺院であるのだが、十王思想は道教に逆輸入されていると考えていよい)。十王は秦広王・初江王・ 宋帝王・五官王・閻魔王・変成(へんじょう)王・泰山王・平等王・都市王・五道転輪王で、その副官として道教系から出向している副裁判官がおり、芥川がここで描写しているのは、そうした像である可能性が高い。そうすると、泰山父君(閻羅庁の閻魔王の脇で補佐する絵をよく見る)を筆頭に、地獄法廷の書記官・補佐官たる、司命・司録等の冥府の事務官を代表する者(罪人の氏名や罪状を読み上げたり記録したりする)、亡者の個別な検察側証人とも言うべき、倶生神(ぐしょうしん 同名天・同生天と呼ぶ二神で、人の誕生から死に至るまでその人の左右の肩にあってその人の全所業を全て記録する)、更には、牛頭(ごず)・馬頭(めず)・青鬼・赤鬼といった鬼卒(現在の刑務官相当)といった者達をイメージすればよかろう。
・「城隍らしい像」一般には勇猛な武将、高僧等で造形される。
・「聊齋志異」中国の清代の蒲松齢(1640~1715)が蒐集した怪異譚を編纂・翻案した志怪小説集。芥川は幼少期より親しみ、彼の創作に多くのインスピレーションを与えた。芥川龍之介「酒虫」は完全に本作を種本とする。日本の後代の多くの作家たちを魅了した作品でもある。
・「新齊諧」清代の袁枚(えんばい 1716-1797)の志怪小説集。本来は「子不語」であったが、同題の書があったために、作者が改題した。現在は、本来の「子不語」で呼ばれる。芥川は大学時代から親しんだ。]

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