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2009/07/12

江南游記 十四 蘇州城内(中)

       十四 蘇州城内(中)

 我我は北寺(ほくじ)の塔を見てから、玄妙觀を見物に行つた。玄妙觀はさつき通つた、寶石屋の多い往來から、ちよいと横町をはいつた所にある。觀前(かんぜん)の廣場に露店の多い事は、上海の城隍廟(じやうくわうべう)と違ひはない。うどん、饅頭、甘蔗(かんしよ)の莖、地栗(デリイ)! さう云ふ食物店(くひものみせ)の間には、玩具屋や雜貨屋も店を出してゐる。人出も勿論非常に多い。が、上海と違ふ事は、これ程ぞろぞろ練(ね)つてゐる中に、殆(ほとんど)洋服の見えない事である。のみならず場所も廣いせゐか、何だか上海のやうに陽氣でない。華やかな靴下が並べてあつても、韮(にら)臭い湯氣が立つてゐても、いや、漆のやうに髮が光つた、若い女が二三人、鶸色(ひわいろ)や薄紫の着物の尻をわざと振るやうに歩いてゐても、何處か鄙びた寂しさがある。私は昔ピエル・ロテイが、淺草の觀音に詣でた時も、こんな氣がしたのに違ひないと思つた。

 その群集の中を歩いて行つたら、突きあたりに大きい御堂(おだう)があつた。これも大きい事は大きいが、柱の赤塗りも剥げてゐれば、白壁も埃にまみれてゐる。その上參詣人もこの堂へは、たまに上つて來るばかりだから、一層荒廢した感じが強い。中へはいるとべた一面に、石版だの木版だの肉筆だの、いづれも安物の懸け軸が、惡どい色彩を連ねてゐる。と云つても書畫の奉納ぢやない。皆新しい賣物である。店番は何處にゐるのかと思つたら、薄暗い堂の片隅に、小さい爺さんが坐つてゐた。しかしこの懸け物の外には、香花は勿論尊像も見えない。

 堂を後へ通り拔けると、今度は其處の人だかりの中に、兩肌脱ぎの男が二人、兩刀と槍との試合をしてゐた。まさか刄(は)はついてもゐるまいが、赤い房のついた槍や、鉤(かぎ)なりに先の曲つた刀が、きらきら日の光を反射しながら、火花を散らして切り結ぶ所は、頗(すこぶる)見事なものである。その内に辮子(ベンツ)のある大男は、相手に槍を打ち落されると、隙間もない太刀先を躱(かは)し躱し、咄嗟に相手の脾腹を蹴上げた。相手は兩刀を握つた儘、仰向けざまにひつくり返る、――と、まはりの見物は、嬉しさうにどつと笑ひ聲をあげた。何でも病大蟲薛永(びやうだいちうせつえい)とか、打虎將李忠(だこしやうりちゆう)とか云ふ豪傑は、こんな連中だつたのに相違ない。石段の上に、彼等の立ち廻りを眺めながら、大いに水滸傳らしい心もちになつた。

 水滸傳らしい――と云つただけでは、十分に意味が通じないかも知れない。一體水滸傳と云ふ小説は、日本(にほん)にも馬琴の八犬傳を始め、神稻水滸傳(しんとうすゐこでん)とか本朝水滸傳とか、いろいろ類作が現れてゐる。が、水滸傳らしい心もちは、そのいづれにも寫されてゐない。ぢや「水滸傳らしい」とは何かと云へば、或支那思想の閃きである。天罡地煞(てんこうちさつ)百八人の豪傑は、馬琴などの考へてゐたやうに、忠臣義士の一團ぢやない。寧(むしろ)數の上から云へば、無賴漢の結社である。しかし彼等を糾合(きうがふ)した力は、惡を愛する心ぢやない。確(たしか)武松(ぶしよう)の言葉だつたと思ふが、豪傑の士の愛するものは、放火殺人だと云ふのがある。が、これは嚴密に云へば、放火殺人を愛すべくんば、豪傑たるべしと云ふのである。いや、もう一層丁寧に云へば、既に豪傑の士たる以上、區區たる放火殺人の如きは、問題にならぬと云ふのである。つまり彼等の間には、善惡を脚下に蹂躙すべき、豪傑の意識が流れてゐる。模範的軍人たる林冲(りんちゆう)も、專門的博徒たる白勝(はくしよう)も、この心を持つてゐる限り、正に兄弟だつたと云つても好(よ)い。この心――云はば一種の超道德思想は、獨り彼等の心ばかりぢやない。古往今來(こわうこんらい)支那人の胸には、少くとも日本人に比べると、遙に深い根を張つた、等閑に出來ない心である。天下は一人(にん)の天下にあらずと云ふが、さう云ふ事を云ふ連中は、唯(ただ)昏君(こんくん)一人(にん)の天下にあらずと云ふのに過ぎない。實は皆肚(はら)の中では、昏君一人の天下の代りに彼等即ち豪傑一人(にん)の天下にしようと云ふのである。もう一つその證據を擧げれば、英雄頭(かうべ)を囘らせば、即ち神仙と云ふ言葉がある。神仙は勿論惡人でもなければ、同時に又善人でもない。善惡の彼岸に棚引いた、霞ばかり食ふ人間である。放火殺人を意としない豪傑は、確にこの點では一囘頭(くわいとう)すると、神仙の仲間にはいつてしまふ。もし譃だと思ふ人は、試みにニイチエを開いて見るが好い。毒藥を用ゐるツアラトストラは、即ちシイザア・ボルヂアである。水滸傳は武松が虎を殺したり、李逵(りき)が鉞(まさかり)を振廻したり、燕青(えんせい)が相撲をとつたりするから、常人に愛讀されるんぢやない。あの中に磅礴(ほうはく)した、圖太い豪傑の心もちが、直に讀む者を醉はしめるのである。………………

 私は又武器の音に目を見張つた。あの二人の豪傑は、私が水滸傳を考へてゐる内に、何時か一人は青龍刀を、一人は幅の廣い刀をふり上げながら、二度目の切り合ひを始めてゐる。――

[やぶちゃん注:「十三 蘇州城内(上)」の冒頭注で示した通り、5月9日の嘱目。私は「江南游記」の中でも、本篇が殊の外、気に入っている。それはここで語られる芥川の「善悪の彼岸」、豪傑の哲学に魅せられるからである。私は今の中国や中国人の中に、連綿と続くこの「力」を感じるし、それに一種の羨望さえ抱いていると言ってもよいのである。なお、本篇には沢山の「水滸伝」中の人物が登場するが、私はまともに「水滸伝」を読んだことがなく、ドラマ等も完全に通して見たことはない。そのため、それらの登場人物の事蹟については、大々的にウィキの「水滸伝」関連の記載を参照させて頂いた(その際、一部の難解な漢字に私が振ったことが分かるように《 》で読みを補った箇所がある)。なるべく芥川の叙述と関わる内容を心掛けたため、恣意的な一部の引用になっていることをお断りし、また、ここで美事な解説をなさっているウィキの執筆者の方々に心から敬意を表するものである。

・「玄妙觀」西晋の咸寧年間(275280)に創建された道教寺院。但し、玄妙観という呼称は元代以降のもの(それまでは真慶道院)。明の1371年に道教の聖地として興隆し、盛時は建物三十数棟、敷地面積4haに達したと言われる。太平天国の乱等により、多くの建物・文物の損壊と修復を繰り返したが、宋から清にかけての道教文化を伝えるものとして、また長江以南に現存する最大の建築群として、現在、全国重点文物に指定されている(以上と以下の「大きい御堂」の注は主に『中国・蘇州個人旅行 ユニバーサル旅行コンサルジュ「蘇州有情」』の「玄妙観の記載を参照した)。

・「上海の城隍廟」中国の民間信仰である道教の土地神たる城隍神を祀るための廟所。上海城隍廟(俗に老城隍廟)は現在の黄浦区南部の豫園及びその商店街に隣接した地に建つ。芥川龍之介「上海游記」の「七 城内(中)」を参照。

・「甘蔗」イネ目イネ科サトウキビSaccharum officinarumのこと。

・「地栗(デリイ)」“dìlì”は水生多年草の単子葉植物綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属クワイ(慈姑)Sagittaria trifolia。「地栗」は上海での呼び名で、中日辞書ではクワイはやはり「慈姑」で、拼音(ピンイン)は“cígū”、「ツク」である。

・「鶸色」黄緑色。スズメ目アトリ科カワラヒワ属マヒワ(真鶸)Carduelis spinusの羽の色の連想から名づけられた色名。

・「ピエル・ロテイが、淺草の觀音に詣でた時」Pierre Lotiピエール・ロティはフランスの海軍士官にして作家であったLouis Marie-Julien Viaudルイ・マリー=ジュリアン・ヴィオー(18501923)のペンネーム。艦隊勤務の中、彼は明治181885)年と明治331900)年の二度の来日しているが、ここで言う彼の浅草観音来訪の様子は、明治181885)年の体験を元にした1889年刊の“Japoneries d'automne”「秋の日本的なるもの」の「江戸」の章にある。

・「大きい御堂」玄妙観の主殿である三清殿。南宋の1179年の造立、設計は著名な北宋の画家趙伯駒(ちょうはくく)。神田由美子氏の岩波版新全集注解では、『中国最古最大の御堂』であるとする。

・「辮子(ベンツ)」“biàz”弁髪(辮髪)のこと。モンゴル・満州族等の北方アジア諸民族に特徴的な男子の髪形。清を建国した満州族の場合は、頭の周囲の髪をそり、中央に残した髪を編んで後ろへ長く垂らしたものを言う。清朝は1644年の北京入城翌日に薙髪令(ちはつれい)を施行して束髪の礼の異なる漢民族に弁髪を強制、違反者は死刑に処した。清末に至って漢民族の意識の高揚の中、辮髪を切ることは民族的抵抗運動の象徴となってゆき、中華民国の建国と同時に廃止された。

・「病大蟲薛永」「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。ウィキの「薛永」によれば、渾名の「病大蟲」とは「病」が『顔色が薄黄色い事、またはそれに『~匹敵する』という意味。大虫とは虎の事である。没落武官の孫で、槍棒の使い手』であったが、その演武を見世物にした膏薬売りに身を落としていたところを、宋江に見出される。

・「打虎將李忠」「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。ウィキの「李忠」によれば、渾名の打虎将とは虎殺しの意で、棒術の使い手であった。薛永同様、『膏薬売りなどをしつつ、各地を放浪していた』が、魯智深との縁で入山する。

・「神稻水滸傳」文政121829)年より明治141881)年頃まで刊行され続けた読本。28140冊。岳亭定岡(がくていさだおか:五編迄)・知足館松旭(ちそくかんしょうきょく:五編以降)作、岳亭定岡他画。「水滸伝」を室町時代の結城合戦(ゆうきがっせん 永享121440)に関東で勃発した室町幕府に対して結城氏を中心とした豪族が起こした反乱)に翻案したもの。正しくは「俊傑神稲水滸伝」。

・「本朝水滸傳」安永21773)年に建部綾足(享保41719)年~安永31774)年)が死の前年に発表した、「水滸伝」を換骨奪胎するとともに日本史をも改変した伝奇小説の先駆的作品。

・「天罡地煞百八人」「百八人」は「水滸伝」に登場する豪傑の数(これは最大の陽数9の12倍)。それを二種の星。天罡星(てんこうせい:本来は中国語で北斗星を意味する。)と地煞星(ちさつせい:「煞」=「殺」で禍々しい神で、真理に向かう過程では必要とされるべき存在を意味するか。何れにせよ、この二星は本来、道教の神である)に分けて、人物を配する。天罡星は36人、地煞星(ちさつせい)は72人。それを示す神文を刻んだ作中明らかにされる(その伏線は作品の冒頭に現れる)。その碑に記された「替天行道」(天に替りて道を行ひて)と「忠義双全」(忠義双つながら全し)の言葉が梁山泊の御旗となる。

・「武松」行者武松(ぎょうじゃぶしょう)は「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人であり、また「金瓶梅」等にもスター・システムのように登場する一種の侠客である(渾名は修行者の格好をしていることから)。「金瓶梅」では人食い虎を退治し都督となり、最後のシーンでは兄を殺した主人公ら西門慶・潘金蓮を小気味よく惨殺する。「水滸伝」では、その後に自首した彼が、巡り巡って憤怒から再び大量殺人を犯して逃亡する内に、魯智深ら梁山泊の仲間となっている。京劇では豪傑にして義人として描かれ、その立ち回りが人気のキャラクターである。なお、「水滸伝」では林冲の死を見取り、80歳で天寿を全うしたことになっているが、浙江工商大学日本文化研究所のHP「中国の日本研究」の王勇氏の「《水滸伝の文化誌》 第十六回 武松の墓を再訪して」に、筆者の幼少の頃に聴いた話として、『湧金門の水城を攻めるとき、両腕を失った武松は杭州を放浪中、宿敵に遭遇して両足を切り取られ、「瓢箪人間」となり、西湖に身を投げて命を絶ったそうである。また一説では、四肢を失った武松は魯智深の手を借りて、惨めな生涯を閉じたとも言われる。『水滸伝』とは逆に、武松は魯智深より先に逝ったことになる』という興味深い伝承を伝えている(「湧金門」は「十二 靈隠寺」の同注参照)。

・「區區たる」小さくてつまらないさま。

・「糾合」ある目的のために人々を寄せ集め、纏めること。

・「林冲」豹子頭林冲(ひょうしとうりんちゅう)は「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。渾名はヒョウのように鋭く勇猛な顏の意。梁山泊中、武芸はトップクラス、槍棒を得意技とする。ウィキの「林冲」によれば、『首都開封で禁軍の教頭として妻と暮らしていたが、その妻を上司である高俅《こうきゅう》の養子、高衙内《こうがない》に横恋慕されてしまう。林冲の親しい友人であった陸謙らの協力を得て高衙内は夫人に迫るが、間一髪の所で林冲に見破られ未遂に終った。しかし、それを知った高俅により罠に嵌められ、滄州へ流罪となった。護送中に命を狙われるが魯智深により助けられる。流刑先では柴進《さいしん》の世話になり、まじめに刑に服していたが、開封から陸謙らに命を狙われ、彼らを返り討ちにして逃亡する』という生涯の前段を見ても、芥川の言うように高潔な軍人である。妻との悲恋のエピソード等、日本人にはその悲劇性故に人気が高い人物である。

・「白勝」白日鼠白勝は「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。ウィキの「白勝」によれば、「白日鼠」という名は『昼間からこそこそつまらない悪さばかりしていたのでこの渾名がついた。この威厳の無い渾名通り非力で、これと言った特技も』ない上に、官憲に捕縛されて同賊の名前を自白する等、芥川が言うところの「専門的博徒」=『博打好きのチンピラ』として『席次は梁山泊でも最下位に近い人物だが』、芥川が「九 西湖(四)」で取り上げた『「智取生辰綱」《ちしゅせいしんこう》という、有名な場面で重要な役回りを演じた男であり、また使い走りとしては非常に良く働き、時たま思わぬ手柄を立てる事もあるので意外と出番は多く読者認知度もかなり高い』(「智取生辰綱」の内容については「九 西湖(四)」の「阮小二」の私の注を参照されたい)。そのウィキに記された演技力や奇策を見るに、決してただの『博打好きのチンピラ』とは思われない。

・「昏君」道理に暗い主君。愚かな君主。

・「英雄頭を囘らせば、即ち神仙と云ふ言葉がある」筑摩全集類聚版は出典未詳とし、神田由美子氏の岩波版新全集注解は注としてさえ挙げていないが、これは北宋の詩人・書家として「詩書画三絶」と讃えられた黄庭堅の「絶句」の結句である。

   絶句

半竿春水一蓑煙

抱月懐中枕斗眠

説與時人休問我

英雄囘首即神仙

○やぶちゃんの書き下し文

半竿(はんかん)の春水 一簑(りふ)の煙(えん)

月を懐中に抱きて 斗に枕して眠る

説與(せつよ)す 時人(じじん) 我に問ふを休せよ

英雄 首を囘せば 即ち神仙

○やぶちゃんの現代語訳

竿(さお)半分 春まだ浅き川流れ 粗末な蓑の一つきり 霞の中の小舟の上(へ)

さても月を 懐に抱きしめて 北斗を枕に 一眠り

言っておきたいことがある――世の者たちよ この儂(わし)に 訊いてくれるな

英雄の そっ首 ぐるりと回したら あらら 見る間に 即 神仙――

黄庭堅(10451105)は、字は魯直、号は山谷。23歳で進士に登第、地方官を経て国史編修官となったが、王安石(10211086)ら新法派(財政・軍事・農業・教育行政に及ぶ改革派)と対立し、四川の辺境に流謫されて没した。蘇門四学士(張耒(ちょうらい 10541114)・晁補之(ちょうほし 10531110)、秦観(10491100))中の第一、蘇軾は弟子としてではなく友人として接したという。因みに、宋の釈恵洪(しゃくえこう 10711128)はその著「冷斎夜話」(見聞雑記であるが多くは詩話)で黄庭堅の言葉として「然不易其意、而造其語、謂之換骨法。窺入其意、而形容之、謂之奪胎法。」(然るに其の意を易へずして、而して其の語を造る、之れ、換骨法と謂ふ。其の意を窺ひ入れて、而して之を形容す、之れ、奪胎法と謂ふ。)を引く。これこそが、芥川文学の核心を成すところでもある、「換骨奪胎」の語源である。

・「シイザア・ボルヂア」Cesare Borgiaチェーザレ・ボルジア(14751507)はイタリアルネサンス期の専制君主。枢機卿からロマーニャ公となり、権謀術数をもって支配領域を拡大したが、父であった教皇Alexander VIアレクサンドロ6世(14311503 Rodrigo Borgiaロドリーゴ・ボルジア)の死とともに失脚した。弟妹の暗殺疑惑やボルジア家秘伝の毒と呼ばれた“Cantalera”「カンタレラ」(かつて屍毒とされたが、現在は一種の細菌毒と考えられている)による政敵の毒殺等、私には芥川の言わんとするようなピカレスクなロマン性よりは、異常なサディスト・殺人嗜好症の変質者の印象が強い。

・「李逵」黒旋風李逵は「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。ウィキの「李逵」によれば、『二挺の板斧(手斧)を得意と』し、そのすばしっこさと荒々しい強さに加えて、『色の黒さからよく「鉄牛」とも呼ば』れた。『怪力で武芸に優れた豪傑であるが、性格は幼児がそのまま大きくなったように純粋であり、物事を深く考えることは無く我慢もきかないため失敗も多い。』『一方で幼児独特の残虐性や善悪の区別の曖昧さもそのまま引き継いだために、人を殺すことをなんとも思っておらず、無関係の人間を巻き添えにしたり女子供を手にかけることも厭わない』ため、なついて尊崇する宋江等からも『叱責を買うことも多い』。ある意味、『破茶滅茶で失敗も多いが憎めない部分もあるトリックスター的存在で、この手の破壊的快男子が喝采を浴びる中国では群を抜く人気を誇っている。しかし日本ではあまりに行動が短絡的で、無節操に人を殺すせいか辟易する読者も多く、好き嫌いがはっきり分かれる人物のようである』とある。その宋江との意外な別れは魅力的であり、『死後も徽宗《きそう》の夢の中に現れ奸臣にいいように騙された事を罵って斬りかかったり』するなど、如何にも芥川好みのプエル・エテルヌス・ピカレスクではある。

・「燕青」浪子燕青(ろうしえんせい)は「水滸伝」中の梁山泊の豪傑の一人。ウィキの「燕青によれば、渾名の浪子は『伊達者を意味』し、『年齢は登場時で22歳と、時期的に考えて梁山泊でも最年少の部類に入る。体格は小柄で細身、色白で絹のような肌を持った絶世の美青年。全身に見事な刺青を入れている。多芸多才な人物で弩《いしゆみ》の腕は百発百中、小柄ながらも相撲(拳法)の達人であり肉弾戦も強い。また遊びや音楽、舞踊等の芸事、商売人の隠語や各地の方言にまで精通している。頭の回転も非常に速く、ここぞというときに機転を利かせることができる。また、粗暴なことで知られる李逵を制御する事ができ「天才」といっても過言ではない人物である。故に人気は非常に高い』。『梁山泊の朝廷への帰順の最大の功労者となった』が、最後には不思議な蒸発をする。この若衆も、その消え方といい、芥川はしびれたに違いない。

・「磅礴」は「旁礴」「旁魄」とも書く。混ぜて一つとすること、の意と、広く満ちて限りないさま、の意があるが、ここは渾然一体となって、水滸伝世界に遍く広がっている、というダブルの意を示していよう。]

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