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2009/08/22

信仰

私はみづから神にしたい一人であった。

   ×

私は神社の拝殿の前でわざわざ唾を吐いたことも再三ではない。

   ×

私は神社で合掌した経験は生涯に二度だけある。一度は大学受験の年に生涯一度きりの初詣に出かけた伏木の気多神社でであり、今一度は先般訪れた那智の飛瀧神社に於いてである。但し、後者は御神体が瀧である点を考慮されたい。

   ×

私は大学受験の年に両親に促されて生涯一度きりの初詣に出かけた伏木の気多神社で合掌した。合掌するに際して、お賽銭を入れなさいと言う母に対し、私は勿体ないから五円でいいとほざいたのを覚えている。おまけに心の内では手を合わせていないことに変わりはなかった。――受けた大学は一つを除いて総て落ちた(受かった大学を除いた他は総て心理学科であった)。そうして――そうして進学した大学はその昔神職を養成する大学であった。そうして――そうして私はしがない国語教師となった。――この矛盾は如何にも多様な興味を有している。――神があるならば、如何にも捻くれた私のこの不遜に天罰が下されてしかるべきであろう。しかし――しかし相変わらず、私はその大学の校内にあった拝殿の前を通ると必ず拝礼をする同期生をせせら笑っていたことに変わりはなかったのである。

   ×

私は仏像に手を合わせたことも再三ではない。しかし、賽銭を投げ入れたことは拝観料込の立札があった場合を除いては、ない。

   ×

私は野仏に手を合わせたことも再三ではない。しかも、朽ち果てた滅びつつある野仏に対しては激しい尊崇の念を覚えたことも再三ではない。

   ×

私は鎌倉を愛するが、その寺社仏閣には聊か冷淡である。冷淡ではあることは不遜とは言えない。私はその鎌倉の寺社仏閣の背後に広がる僅かばかりの残った自然に素朴に畏敬を覚えることも事実である。畏敬は信仰である。私は本質的に縄文人である。

   ×

私は鎌倉十二所の十二所神社の奥を抜けたお塔やぐらにある籾搭と光触寺の頰焼阿弥陀を愛した。それ以上に十二所神社の奥のそのお塔が窪の湿地と丸木橋と光触寺の背後の暗く湿気た旧朝比奈切通しのあの寒々とした氷柱の列を愛した。

   ×

私は又如何なる敬虔荘厳なるイタリアの教会でも祈りを捧げたことは一度としてない。同様にモスクもシナゴークもラマ寺も然りである。しかしタイの蔦に覆われた崩れかけた数々の寺々では不思議に合掌することの違和感を覚えることが殆んどなかった。しかしやはり賽銭を投げなかったことについては同前の叙述に矛盾しない。

   ×

私はしかしマチュピチュの全容を拝した時、心の中で合掌していたことを素直に告白する。

   ×

私はマチュピチュで最も衝撃的な敬虔さに触れた。それはコンドルの形をした祭壇であった。それはケツアルコアトルへ捧げる青年の心臓を抉って捧げた祭壇であった(と勝手に信じ込んでいる)。私はそこに確かに青年の未だピクピクと蠢く真赤な心臓と迸り溝を流れる血潮を視たからである。――私の人生に唯一の「神の啓示」があったとすれば――その瞬間だけである。

   ×

私は心霊譚や超常現象を蒐集することに於いて人後に落ちない。いや、高校生の頃は大真面目に「未確認飛行物体研究調査会」という墨痕鮮やかな(白チョークを塗った杉板の上に墨の色が鮮やかだっただけで健筆は私であるから「鮮やかな」だけである)看板を自室の勉強部屋の入口にぶら下げていた。しかし怨霊もUFOも信ずるに足らない。神仏は――もっと足らない。

   ×

私は聖書を愛する。特に「ヨブ記」は素晴らしい。しかしそれはヨブがヤハウェを越えて素晴らしいからである。確かにヨブは神を越えている。ユングの「ヨブへの答え」を読むがよい。

   ×

私は親鸞を愛する。それは悩める私と同じ大凡夫であるからである。そうして確かに彼の思想は悩める現代のインテリゲンチアの一つの光明でもあるかも知れない。再度言う。私は親鸞という個人と思想を愛している。彼に繋がるあらゆるおぞましい総ての有象無象の教団は唾棄嫌悪し全否定し去って拒否する。親鸞――それは自らを荒蕪の地に逃したツアラトゥストラである。

   ×

私はあらゆる宗教の教団・教派・組織を激しく嫌悪する。親鸞の凄いところはそうしたもろもろの教団・教派・組織をも全否定している――絶対の無化性にある。そうして自らを最も救いがたい大凡夫としている――絶対の孤独性にある。そうして総ての衆生と同じ気持ちで念仏を称えている――絶対の無名性にある。親鸞――という絵は衆生というカオスの中に遠近法の消失点さえなくなって絶対の無色となったキャンバスに消失している。しかもなお親鸞という絵はある。

   ×

私はバッハを愛する。数々の受難曲もコラールもアリアも。――それは彼が真に自らの内なる信仰に真に孤独に忠実に生きた結果物であるからである。

   ×

私は基督を愛する。しかしそれは彼の信仰が未だ嘗て如何なる人間によっても真に正しく理解されていない限りに於いて――即ち彼が真に孤独者である限りに於いてである。

   ×

私はヤコブの梯子を持っている。それは私のこの右腕である。

   ×

私はヤコブの梯子を持っている。しかしそれは折れている。――「私の以上の諸命題は、私を理解する君が其処を通り、其処の上に立ち、其処を乗り越えて行く時、最後にそれが常識を逸脱していると認めることによって、解明の役割を果たす。(君は、言ってみれば、梯子を登り切った後には、その梯子を投げ捨てなくてはならない。)君はこれらの命題を乗り越えなければならない。その時君は世界を正しく見ている。」(Ludwing Wittgenstein 「論理哲学論考」)――ウィトゲンシュタインが言ったこの「梯子」こそヤコブの梯子である。

   ×

私はみづから神にしたい一人である――それを聞いて「悲しむ」君は正しく君の信仰を持っている。
私はみづから神にしたい一人である――それを聞いて「笑う」君は正しく真正の無神論者である。
君は今日唯今笑ったか?――君は真に絶対の正しい信仰者であるか?
君は今日唯今悲しんだか?――君は真に絶対の正しい無神論者であるか?
――もし君が今の自分が真に「悲しむ」自分であるか「笑う」自分であるかを正しくつらまえられているとしたら――
――君はとっくに正しく神である――

   ×

私はみづから神にしたい一人である。が、しかし私は私が神であると思っている訣ではない。それは私の中に私だけの神が「在る」という謂いである――神は「名指す」ことは出来るが、「示す」ことは出来ない――更にウィトゲンシュタインはこうも言った――「語ることができないものについて、我々は沈黙せねばならない」――
   ×

私は人生にあって神韻という気持ちを感じたことは二つの例外を除いてはない――レオンハルト版マタイ受難曲のテルツ少年合唱団のソプラノのアリアと――そうして夏の朝のこの蜩の声――それ以外には――

(2009・8・22・AM4:43)

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