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2009/08/21

宮崎孝政論 尾形亀之助

 おゝ宮崎孝政論……どんな結末になることであらう。俺達(勿論その中に宮崎もゐるのだ)の中では、新らしい下駄と新らしい帽子と新らしい着物を同時に体につけるといふことは何年にもないことなのであるから、今この一文を書くに際してあわてゝ宮崎に他行の着物を着てもらつたところが何時もの彼と少しも変りがないのである。それなのに、あらたまつて彼を論じなければならぬといふので「やあ――」といふことなどになつて、私と彼がどこかその辺のカフエへ入つてしまつて十二時が一時近くならなければ出て来ないやうなことであつては困るのだとは、まあそれもしかたのないことゝして、せめて彼と相談でもしながらこの一文を書きたいのであるがそれも出来ぬことであるとは、なんと思ひもかけぬ不しあわせなことであらう。

 だが、如何に私のものする宮崎孝政論であつてみても論とかいふからにはすくなくともかなりに正確でなければならぬのであらう。そこで私は積極的に彼を云々して間違ひだらけの批評をするよりは、宮崎からちよつとも離れずに筆を運んでゆくたしかな方法をとるのである。即ち私は直接に彼の芸術を云々すること少くして規定の枚数を越してしまへばよいわけなのである。かりにも一個の人間を論じて、その作品を上手だとか下手だとか言ふことは全くコケ者の弁舌であつて、おそらくはその筆者がなんと言つてよいのかわからなくなつてからの批判でしかないのであらう。又、第三者の眼になれぬことであるからといつて、宮崎孝政のすることが宮崎孝政らしくないといふことは一つとしてあり得ないのである。

 詩人としての彼は勿論他の誰にでもあるやうにいくつかの短所をもつてゐるのであらう。だが、それらの短所はひとつとして彼自身には欠点とはならぬのである。この不思議は彼の強力な自信がなすのであるが、このことなどがいつも私をうれしがらせるのである。そんなわけで、彼は沢山のよいところをもつてゐるのであるが、彼の作品が時には人間の息をしてゐるといふことも立派にその一つなのであるが、彼のその一つ一つを列きよして困難な言葉で私が無理に諸君に説明しなければならないわけのないことは当然なことであらう。それこそ彼自身によつて心ゆくまで彼の手でなされるべきであるだらう。彼は詩人としては既に定評があり、最近は「鯉」といふ第二詩集を出版したのだ。私が彼に就て論ずるべき何ものをも残さずに、彼はその全部を彼自身でなしてゐるのである。

 又、彼のことを鋼だとか岩のやうだとか松の木の株だとか古武士の面影だとか魚類であれば大きいさざえだとかそれから獣類ならなんだとか言ふのである。が、宮崎孝政とは、宮益坂の上の松友館の二階の部屋に一人で炬燵に入つてゐたり、肉鍋屋でやさしい顔をしてゐたり、橙一郎と肩を列らべて歩いてみたり、勿論その他何か胸にこたへて眼をむいてゐたり、久しぶりで詩を一つものしたときの、何か腹をたててゐるときの、郷里からの便りを読んでゐるときの――、鉱物でも魚類でも面影でもない、何に例へることも出来得ない宮崎孝政その人でなけれはならないのである。

 彼は他の人々の作品に就てはほとんどそのよしあしをロにしないが、それは彼の用心深さを示すのである。彼は又、彼の作品に対しての他の人々の評言にはその人のいゝやうに言はして置けばよいと言ふ一つのきまりを用意してゐるのである。それは言ふといふ――他に言ふことであつて、彼自身のそれに対しての耳はその言ふこととは相違のある何か(これは彼の大切な秘密)なのである、この彼の大切な秘密とはなんであるか。秘密とは「心」のことであり、彼の強力な自信と関係のあることであらう。だが、その心は彼の胸の中にあつてこそ相当の値があるのであつて、こゝに鈍刀をふりかざして諸君の眼前に彼の胸を切り開いたところで、諸君は何ものをも眼にみることは出来ぬであらう。諸君のために色をつけ、言葉を飾つて心を語ることは、青色の色紙を諸君に示して「この紙は青を塗る前は白かつたのだ」といふやうなことにしかならぬのである。勿論賢明なる諸君であるからには、白以外のあらゆる色を諸君に示して「こゝにない色が即ち白である」といふ方法もあるのであるがそれが玉手箱の如きものであるからには蓋をあけて諸君を白髪の爺としてしまつてはならぬのだ。又、「宮崎孝政の玉手箱」こんな言葉も誤り伝へられあまつさへはやり出したりなどしてはならぬのだ。

(詩神第五巻第十一号 昭和41929)年11月発行)

[やぶちゃん注:宮崎孝政(明治331900)年~昭和521977)年)は教員をしながら詩作、大正101921)年に『現代詩歌』誌上で詩壇デビュー。盟友であった詩人杉江重英(明治301897)年~昭和311956)年)らが創刊した詩誌『森林』同人となる。大正151926)年には教職を辞して上京、本篇所載の『詩神』に拠る。同年9月に処女詩集『風』(森林社)より刊行、昭和3(1928)年には、実は『詩神』の編集に辣腕を揮っており、ここで尾形も述べている通り、早くもこの昭和4(1929)年9月には第二詩集『鯉』(鯉発行所)を刊行していた。そうした身内の雰囲気がこの狙ったように一見冗漫な詩人論には漂っている。戦後は昭和281953)年に発表した作品を最後に筆を折った。

・「列きよ」はママ。

・「松友館」未詳。『詩神』の編集室が渋谷宮益坂のこのビルにあったか。私には大学時代に通った友のバイトする珈琲店のあった懐かしい場所だ。

・「橙一郎」月原橙一郎(明治351902)年~?)は詩人。本名、原嘉章。詩集『冬扇』(昭和3(1928)年大地舎刊)等。]

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