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2009/08/23

大至急左の詩集の批評をせよとの「悲しきパン」「叛く」「雲に鳥」「蒼馬を見たり」「真冬」「全日本詩集」の指定を快諾、更に加へてかなしくも人生を語る 尾形亀之助

 先づ私が非常に愉快になつてしまつたといふことを述べなければならない。勿論いゝきげん(酒ではない)なのでもある。「悲しきパン」は野長瀬正夫、「叛く」竹内てるよ、「雲に鳥」は佐藤清、「蒼馬を見たり」林芙美子、「真冬」は渋谷栄一。「全日本詩集」は詩壇百四十数家よりなるものである。私はこれらを十枚で書かなければならないのであるが、私は更に加へてかなしき人生などを語つて御高評に給するのである。つとめて悪評などせぬことはすでに読者知るところであるし、愉快でもなければ私はこんなことはなかなかしないことだらう。愉快で書くといふ為めのオチド其の他もし無礼などのあつた場合はよろしく許されよ。「悲しきパン」野長瀬正夫とは丁度昨夜の烈風々景の会でテーブルの差し向ひであつた。昨夜は、宮崎、橙一郎、「真冬」の栄一の諸君にも逢つた。春月さんもゐた。まだ大勢ゐたがさう急には思ひ出せぬ。そして電車がなくなつてから帰宅、玄関にこの一文を依頼するといふ手紙が落ちてゐたといふ次第である。開封してこれは大変だと思つたのであつたが、瞬間に前述の「愉快」がこみあげてきたのである。つまらぬことを書いてゐて紙数をなくすなどといふ心配は不用。十枚四千字はまだまだ残り少くない。渋谷にしても野長瀬にしても、今日私が彼等の著書を批評しやうなどとは思つてはゐないのだ。おかしいことだ。

 「悲しきパン」はプロレタリヤ抒情詩集とある。表紙には二階の窓から手を出した人間がはみ出し、大都会の背景に煙突が立ち、煙突の上に太陽が光つてゐる赤い木版がある。とびらには「此の詩集をやさしき友等への感謝と私信に代へて 正夫」とある。いくら抒情詩集であるといつても、このやさしきの文字はやたらにはあるまい。先づ諸君はこの著書のとびらに十分の注意をしなければならぬ。岡本の跋詩は相変らずうれしいものである。この集の中に批評といふことを私に考へさせない、そのまゝを好いてゐる詩篇を三四もつてゐる。それがどれとどれであるかをこの著者に知らせることは好ましいことではない。それは野長瀬正夫自身が尾形といふ野郎の好いてゐるのはこれだなと(こんなものなのか――といふ意味をもふくんでゐれば尚のことよいことなのだ)いふひとつの間違ひのない見通をつけることが必要であるからである。勿論このことは彼の全ての友人不友人にもあてはめてもらひたい。いらざることゝして、詩境もかなりよく技巧もそれに相当であることを附け加へて置かう。唯言ひたい放題のことを書けばよい――ときに、如何なる表現が一番それによいかといふことをもつと考へて欲しい。たやすく書ける詩であつてもそのためにたやすくなく書いて欲しいのだ。昨夜私は君にパンに対するセンチメンタルはいけないなどと言つたことを思ひ出した。馬を少しやすめてやるために犬を馬ほどの大きさにしてそのかはりにしたいと思つてゐたことを、夢に見たなどといふ間のぬけた話は何んとなく恥かしがつてしないでしまつたことも思ひ出した。

 「叛く」この詩集はその一つ一つを批評すべきではない。彼女が死にかけてゐるために「竹内てるよを死なせない為の会」のあることは有名である。私は此頃人間のその一人一人が無意識のうちに生まれてゐた事実に対しては、自殺的に(それもなし得るだけ少しでも早く)死ななけれはならないのだといふことを信じてゐるその為に、「誰々を死なせぬための会」の趣意には多くの相異をもつてゐる。事、人情に関することがらであるから私のかうした言葉は同時に多くの非難を受けることであらう。が、死にかけてゐるといふことも、私のかうしたものも共に人間のもつかなしみであるのだらう。生きなけれはならないと自らを思ふにはあまりに時間やそれによつて生ずる人間の多すぎることである。又、各自思ふやうにはならぬことに何かそのことにうらみのやうなもの執念のやうなもの、もつと異つたものでは大将になりたいとか大臣になりたいとかいふものは人間の何なのであらう。こんなことは詩集「叛く」の批評にはならぬが、この著者にも聞いて欲しいと思ふ。自分の為に「死なせない為の会」などのあることをあじけないことに思つてもらひたいと思ふのである。

 かうした一文を書きすゝむ間々には、私はいくつかの矛盾を生ずることであらう。しかし、それは生ずるまゝに私はこれを書き終るつもりであるし、自分に多くの矛盾のあることは私には隠すまでもないことである。短時間に於てさへ隠しきれぬ矛盾、つまり矛盾とは「滑稽」といふことであるのではないか。

 「雲に鳥」の著者は「詩は韻文で書く」と言ふ。このことに就て、誰がそれはいけないことだと言ふのだらう。断るまでもなく「どうぞ」と誰れもが言ふであらう。韻文で書かれたもの以外に「詩」といふものがないならば、かうしたことを言ふ人もないであらうことはこれ又ここに云々するまでもない。著者にかく言はしめたことに就ては、著者のために私は現在の世相の誠に遺憾であるの意を述べなけれはならぬ次第である。――こゝで気づいたことであるが、杉江重英君が本誌十二月号に書いてゐる「一九二九年度詩壇覚書」といふ一文の中にあげてゐる十一冊の詩集の中に、今私が編輯子の指定に依つて書くべき六つの詩集の四つまでもふくまれてゐることである。が、杉江君がそこで「雲に鳥」に就て言つてゐることにはよらずに、巻頭の(囚人の体操)をごく簡単に批評しやう。

 第一節の日が射すことのない中庭だといふ二度のくりかへしはまづい。又、ポツンポツンと夕方囚人が体操するをはさんでゐるのもよくない。これは最後の一つで十分であらうと思はれる。著者がここでつかまいてゐるものはかなりよいものには思はれるが、詩作になれてゐないまづさは、この著者には致命的なものの如くに思はれる。杉江君がこの著者の独得な表現手法と言つてゐることは私の言ふそのまづさではなからうか。

 「蒼馬を見たり」は、私はこの本を持つてゐない。それは私にとつてもこの著者にとつても残念でもなんでもない。それに丁度いゝことには春月さんの「彼女の見た青馬」の中の詩の引例を拝見して参考とすることが出来る。

 先づ第一にそのまゝに彼女はますます彼女らしくなつたことである。彼女のためには表現が簡ケツになつたこともよいと言はなければならない。彼女に幾年目かでこの間出つくはしたら、日本髪がボツブになり足袋が靴下になつてゐたのだつた。これもわるいことでは勿論ない。春月さんは大変ほめちぎつて居られる。が、男どもに負けてゐないといふことだけでも、十分に一人の女詩人として存在してゐて欲しく私も思はせられてゐる。いづれコク評をしてみたい一人として後に預る。

 次は「真冬」である。彼には昨夜新宿駅の上の食堂で金三円をキフさせた。で「真冬」であるが、これも亦一篇一篇をひき出しての批評は私には出来かねる。これを出発とする著者は、私のためにもこの一本で屑カゴへ捨てゝ呉れるであらう。私は彼の出発に際して一二希望をする。それはこの「真冬」にふくまれてゐる詩篇のみならず、彼の詩篇に概して詩作される場合の材料が消化されずに残つてゐることである。どんな意味にとつてもらつてもよいのであるが、何かを言はふとして言ひ得ずにくどくどすることである。もう一つは、詩作をしてゐる際、自分の書かうとしてゐることを大したことの如くに思ふのではなからうかと読者に感じさせることである。「ぬかるみ」などを読んでみてもわかるではなからうか。

 「全日本詩集」の批評とはどうすればよいのか。困らせられることである。本を開いて、よくこれだけ集めたものだと思つたが、考へてみるまでもなく、ふくまれてゐる百幾十人といふ詩人はお菓子ではないから、この詩集出版に際して作られたものではないのであつた。目次は(ABC順)に「安」が一人「赤」が一人「会」が一人「江」が一人「福」が四人「藤」が一人「深」が一人「古」が一人「後」が一人「萩」が二人「春」が一人「堀」が一人「平」が二人「広」が一人「浜」が一人「石」が一人「生」が二人「井」が一人「今」が一人で……百四十六人。ひたすら編者の労に謝します。なるつたけ執筆者には一部を頒つやうにたのみます。

 ★以上。私は九枚で書きました。六冊の詩集を一日で批評するのは始めてでした。

  又、見出五十幾字といふこともやはり始めてのことです。兎に角愉快でした。

(詩神第六巻第二号 昭和5(1930)年2月発行)

[やぶちゃん注:昭和4(1929)年12月刊の東亜学芸協会編「全日本詩集」という詩集のアンソロジーの書評。

・『「悲しきパン」』詩人で児童文学作家の野長瀬正夫(明治391906)年~昭和591984)年)の第二詩集(昭和4(1929)年民謡月刊社刊)。尾形の記載する通り、プロレタリヤ抒情詩集のタイトルを持つ。

・『「叛く」』詩人・小説家の竹内てるよ(明治371904)年~平成132001)年)の処女詩集(銅鑼社ガリ版印刷百部限定)。近年、20029月のスイス・バーゼルで行われた国際児童図書評議会(IBBY) 創立50周年記念大会に於いて現天皇の妃美智子様が、そのスピーチの中に竹内てるよの詩「頰」を引用したことで脚光を浴びた。

・『「雲に鳥」』詩人にして英文学者の佐藤清(明治18(1885)年~昭和35(1960)年)の詩集(昭和4(1929)年自家版)。

・『「蒼馬を見たり」』作家林芙美子(明治361903)年~昭和261951)年)の詩集(昭和5(1930)年南宋書院刊)。

・『「真冬」』渋谷栄一(明治341901)年~昭和181943)年)は

『青騎士』『詩神』や農民文芸会機関誌『農民』等を舞台に精力的に作品を発表した詩人。『真冬』は昭和4(1929)年の自家版詩集。

・「すでに読者知るところ」は「すでに読者〔の〕知るところ」の脱字か。

・「オチド」はママ。

・「烈風々景の会」これは詩人大島庸夫(おおしまつねお 明治351902)年~昭和281953)年)が同年に発行した詩集『烈風風景』の出版記念会ではなかろうか。

・「橙一郎」月原橙一郎(明治351902)年~?)は詩人。本名、原嘉章。詩集『冬扇』(昭和3(1928)年大地舎刊)等。

・「春月さん」詩人生田春月(明治251892)年~昭和51930)年)。本名、清平。1930519日瀬戸内海播磨灘にて投身自殺した。私のブログを参照。

・「岡本の跋詩」恐らくは詩人岡本潤の跋。

・「不友人」はママ。

・『「竹内てるよを死なせない為の会」』竹内てるよは大正131924)年5月に20歳で父親の借金の相手と結婚、24歳で腰椎カリエスに罹患し離婚、病床で詩作を始めた。昭和3(1928)年に『詩神』に作品を発表、『銅鑼』同人ともなった。同年、『詩神』と『銅鑼』で関わった詩人神谷暢と共同生活を始めるが、てるよは寝たきりのままであった。翌昭和4(1929)年、草野心平らが「竹内てるよを死なせぬ会」を発足して、5月に彼女の処女詩集『叛く』が草野心平の銅鑼社からガリ版で刊行されることとなった(以上は個人サイト「[アナキズム]Anarchism「竹内てるよ」の頁の記載を参照した。)

・『彼女が死にかけてゐるために「竹内てるよを死なせない為の会」のあることは有名である。私は此頃人間のその一人一人が無意識のうちに生まれてゐた事実に対しては、自殺的に(それもなし得るだけ少しでも早く)死ななけれはならないのだといふことを信じてゐるその為に、「誰々を死なせぬための会」の趣意には多くの相異をもつてゐる。事、人情に関することがらであるから私のかうした言葉は同時に多くの非難を受けることであらう。が、死にかけてゐるといふことも、私のかうしたものも共に人間のもつかなしみであるのだらう。生きなけれはならないと自らを思ふにはあまりに時間やそれによつて生ずる人間の多すぎることである。又、各自思ふやうにはならぬことに何かそのことにうらみのやうなもの執念のやうなもの、もつと異つたものでは大将になりたいとか大臣になりたいとかいふものは人間の何なのであらう。こんなことは詩集「叛く」の批評にはならぬが、この著者にも聞いて欲しいと思ふ。自分の為に「死なせない為の会」などのあることをあじけないことに思つてもらひたいと思ふのである。/かうした一文を書きすゝむ間々には、私はいくつかの矛盾を生ずることであらう。しかし、それは生ずるまゝに私はこれを書き終るつもりであるし、自分に多くの矛盾のあることは私には隠すまでもないことである短時間に於てさへ隠しきれぬ矛盾、つまり矛盾とは「滑稽」といふことであるのではないか。』(右下線部はやぶちゃん)詩評の中に埋もれて、今まで余り顧みられることのなかったであろう、この部分――特に私が下線を引いた部分――ここに現れた尾形亀之助の覚悟は、後にやってくる彼自身の奇体な死を考える時、非常に重い意味を持ってくると言ってよい。新しい尾形亀之助論の地平を開くには、このやや曖昧な部分を含む素敵に慄っとする彼の言葉の核心を、鮮やかに抉り出す必要があるように私は思われるのである。

・「杉江重英」(すぎえしげふさ 明治311897)~昭和321956)年)は詩人。宮崎孝政らと詩誌『森林』を創刊。詩集に『夢の中の町』(大正151926)森林社刊)・『骨』(昭和5(1930)年天平書院刊)等。

・「つかまいて」「簡ケツ」はママ。

・「ボツブ」“bob”はボブ。女性の髪形の一つで、襟首から下に達しない長さで切り揃えたもの。

・「目次は(ABC順)に……」妙な書き方である。気がつくのは「尾」がないことである。

・「★以上。……」底本ではポイント落ち、全体が一字半下げ。]

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