フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 猫好きの貴女へ 哲学スル猫 | トップページ | 夏 »

2009/08/24

詩集 軍艦茉莉 尾形亀之助

 詩集の批評をするといふことは多くの場合誠に野暮なことだ。又、――面白いことには、その著作物の所謂価値といふものが全くそれらの批評の外にあることが多いのだから、時には腹の立つこともあるし、お可笑しくなることもあるし、なんでもないこともあるし、あきれてしまふこともあるし、なるほどと思ふこともあるし、読まされただけ損であつたといふこともあることになる。勿論かうしたことは、その筆者の無力と否とに重大な関係があるのだが、この場合に際して、私が無力であるなどと最初から自ら言ふべきではない。だが、ごたぶんにもれずこの一文はその出来のよしあしにかかはらず、殊更に野暮であることは私がそれと知り安西自身も亦さう思ふことであらう。時に漫評ともならう。

 詩集軍艦茉莉には北川が序を書いている。北川の詩集戦争の中には沢山のあの有名なグロツスの絵の焼き直しの如きものを散見するが、安西の作品の短いもの(詩集の中にはあまりない)にはパールクレーの絵に似たものが相当あつたやうに記覚する。私の作品を童心云々と罵つた北川への返礼と解されるもよしなきことではあるが、前者は全く下手なものまねに終つてゐるが後者はそれが一個の詩境として立派によい作品をわれわれに見せてゐる。又、最近は幾分その影をうすくしたが、ここ二三年安西のものにまねた詩がずゐぶん沢山あつた。が、それらの多くは初心者であつたことは注意すべき一つの現象ではあつた。安西は、それらの人々に依つて発行される雑誌へまで望まれるままに稿を寄せて、よく忍んで見事にぬけきつた。彼のものはわからないといふのであまり人々の注意を引かなかつたが、最近に到つて「安西」と言へば「よい詩」を書く人といふことになつてしまつてゐることは慶賀すべきことであるばかりでなく、かく一般にまで詩といふものの一歩の進みをもたらせた人として敬意を表すべきである。即ち未来派の初期の作品そのままの張り紙細工の如きシネ・ポエムなどといふものと、彼の作品を同一視してはならぬ所似である。

 又、「ランプを持つた彼の写真」の如き、十四五年以前の流行であつた「古風」を遠慮なく詩集に張りつけてゐるところに彼の一面がある。彼の新しさは、ノート・ブツクの新しい頁といふ感じのものではなく、彼の作品は書きふるしたノート・ブツクの余白に何か書きこんでゐるといふ感じのものであつて、ペン先を新しいのと取かへて旧いのを灰皿へでも捨てたときに、安西自身にのみわかる新しさがあるだけであるから決してそれは一般的ではない。即ち、一般が彼を新進詩人などと称ぶべきではない。人そのものは間違ひもなく新しい人ではあるが、ペン先は新しいが紙が古い。この点彼と私は少し似てゐるらしい。安西と私は年に四五度の音信をする。時に彼は私を「蔵六」君などと称ぶ。

 

 私は残念なことに軍艦茉莉を細評するだけの頁をもたない。困つたことだと思つてゐると、今朝、はからずも新聞広告の中から「△病新薬」といふ一文を見つけ出した。それをそのままに一部を転載して僅かにその字句を置きかへて読んでもらへば、詩集軍艦茉莉を推奨する名文となつてしまふので、敢て拙文を草せぬことにした。

     ※

 詩集 軍艦茉莉 ヲガタカメノスケ

「国際的××として果然問題となれる××××」専売特許・××博士推奨(××のところは右のルビの如く調子を合せて読んでいただく)

 最近長足の進歩を遂げた世界の×学界に万丈の気を吐いてゐるわが日本の新興×学は、今度更に驚異すべき××を完成して国内は勿論のこと欧米先進国をも瞠目せしめた。云云。――今や国をあげての大センセイシヨンを捲起さんとしてゐる××は直ちに日本政府の専売特許となり斯界に発表された。云云。××者は勿論、大家博士も驚嘆の声を放たざるはない。云云。敢て一九三〇年の貴重なる収穫として云云々々。

 ――現在世間に発×されてゐる××は千にも近い数であるさうであるが、大別すると和×と洋×の二種であつて、和×は殆んど問題にはならぬが、洋×のなかでは所謂××××が大多数でイロイロと自画自讃の限りを尽してゐるが、原料は問屋で調べるとすぐ分るが、どれもこれも皆似たり寄つたりで達ふのは名前だけである。

 ――云云。云云驚嘆せざるはなく、殊にその先人未踏の境地として今や全く国際的大センセイシヨンを捲起しつつあるのである。かく云へば誇大な宣伝に慣れたる読者は云云々々。云云々々。××××は完成後直ちに日本政府の専売特許を下附せられ、斯界の大家博士によつて云云々々。別頃の如き記載の推奨云云、単に名前だけを並べた推奨とか創×とはその根本に於て相違するのであるから、云云々々、御注意あれ。諸君!

     ※

 以上。で、これ以上にすばらしい推奨の文はないといふことにする。とまれ本集の評は甚だ困難なことである。色々と品を換へ言葉をかへてまするところよろしく御高覧の程を――。(ここで楽隊)

    1

 「軍艦茉莉」これが巻頭にあるのは、安西がこれを大変よい出来であると思つたからではあるまい。(私は艦長で大尉であつた)は、あそこに船が錨を入れてゐるといふやうな遠見の眼の中の風景から辣し去つて、それを読者の後頭部へもつて来てゐる上手な手法。見張の犬や妹やノルマンデイ産の機関長はこの集の中にいくつも出てくる彼の「話」である。第四節はスクリンの暗転。安西はここでペンを置いていそいで小便へ立つたやうな気がする。

 「閹人猧氏」A「ここで私の読めない字が四つある」B「だが、どうしてそれで君はこれを悪いと言へるんだ」

 「暮春の書」「私」が肋家を訪ねると犬と山羊が悦んで巫山戯(いちび)つて庭の辛夷を傷めるので「そんなに巫山戯るなら私はもう来ないから、どんなに先生がこの辛夷を……」と訓へるあたり。窘められてグウとも言はない哀しげな犬と山羊を見て「分つたらもういいから」と彼等を追ひやるあたりは安西のもち味と言へやう。そして、先生のお嬢さんが出て来て小さな会話になつて、朝刊は先生の四月二十九日の消息云云と、安西は読者を彼の例の応接室へとみちびくのだ。

 「庭」(桜の実)これは安西のもつ古めかしさ俳句の字句がそのままに列らんで固まつてゐる。次の「記念品」にくらべて、私は「記念品」の方を好く。

 「戦後」の「侵略」も「役」も、読んでみて面白いとは思わない。例へば「役」であるが、たいへんあつけないといふので、これを暗示として何かがかくされてあるのだらうと思ふことは断然いけない。又、本を読む間ちよつと顔を上げたら窓の外を牛馬が通つてゐたといふのではないことは勿論だ。「困つた詩だ」と思へばよからう。足らなくはあるが間違つてはゐない。

 「春」二篇は共に好ましい。

 「日食」は何んと面白さうではないか。

 「掩護陣地」(旧式)これは旧式活動写真旅順港総攻といふところ。スクリンいつぱいの煙、気がついてみると明るくなつてゐる白いスクリン。

 「物」の「卵に毛あり。鶏は三足」は詩を書くにはあまり物を知り過ぎてゐるの感じ。「輪廻」亦同じ。

    2

 「徳一家のlesson」辞書を引つばりながらの批評は恥かしい。で、ここには私の読めない横文字が沢山とある。それが自由に読めたら、「祖母に魚を喫べさせて中(あた)らなかつたら一家が啖ふといふやうな、チエーホフ風の衛生は、もうどこへいつた?」などと、何んだかやたらに面白さうではないか。

 「あの道」のメリーゴーラウンドは明治三十×年から毎日「マワツテタ」のが、最近すりへつて壊れてしまつた。米国へ修繕をたのんでももう直らないのだ、と安西から手紙。

 「海」ここまで来ると、安西ただ一人。もうまねるわけにはいかぬ。私は、この詩篇が最もよく表現された場合の彼の作品として、双手をあげて推奨をおしまぬ。かうは書けるものではない。

 「曇日と停車場」は前の「海」とくらべていくぶんの見劣りがする。少々安西が自身に甘いところを見せて呉れてゐます。

 「理髪師」ここにも彼の一つのテクニツクとも見られる新しさと古めかしさがある。だが、それはしかたのない事実だ。だから、私は彼のよく使用するテクニツクと言ひ直すのだ。白の上の白を書き物にするだけ私達は見てはゐないのだ。

 「Call」これなどはずゐぶんいいと私は思ふ。話しかけられて、うまく聞えないふりをしおほせた男。クソ奴!

 「春」安西のポケットの「煙草の屑」でございます。

 「自由亭」北川が本集の序で、安西がうつかり「思想」を嚥下した時手古摺つて彼が磨滅して、そしてその輝かしさが「稚拙感」となつて発する。と、言つてゐるが、私はさうは解さない。安西は思想と生活を離して考へられない男なのだ。学校の帽子の徽章のやうなものでしかないやうな流行思想をいやがつて帽子につけないのだ。そうしたうつりかはりのある時間的存在を、彼はむしろ古めいた俳境に似たものに彼自身をゆだねてゐるのだ。

 (……鴨を注文して――現れる間、私はここの娘が明治二十何年かに、もう洋装をしてゐた噂をする。娘はもう故人になつてゐる。「つまりスウラ風の瘤の出たお臀、アレなんだ」)コレなんだ。

 「普蘭店といふ駅で」等々は秋風のやうなもの。「室」「徳と法」は全く夕飯にはだいぶ間があるが、しかもご馳走といつては今日はこれといつて何もないのだが、飯の中の砂粒を夕飯に安西が嚙むのを知らずにゐるなんて――。と、いふところ。

    3

 「肋子」は安西の「馬鹿話(ワイダン)」。「うそ」と題して、ハガキは裸のやうな気がして、恥かしくてどうにも出せないといふ。――などとある。なんと――カナハナイ。

 「肋大佐の朱色な晩餐会」これはどうでもいい。

 「黄河の仕事」これはなかなかの大作。その中にふくむシヤレLolo族は巴里警視総監より優美である。とある。又、黄河は地球を削つてゐる。Catalyserを与へよミシシツピーと河底を共産させるために。とある。

 「養狐会社の書記」二年ほど前であれば、尚のこと好いてゐたであらう。空気が透いて隣家の座敷の中が見えるのがどうも不思議でたまらないとばかりに。

 「向日葵はもう黒い弾薬」秋をこんな風に語るところが安西。それにしても上手過ぎる。「散骨」亦前と同じ。読んでゐると、何んだか安西が死にかけてゐるのではないかといふ気さへする。

 「百年」亦同じい。象牙の紙ナイフで、トウストに牛酪を塗る――これは哂ふべき現象だ。――と彼は言ふ。そして、その口の下から、月の央になつて僅か自分の読んだのは、モウパツサンの「水の上」に過ぎぬと言つてゐる。そして、文明批評といふことになり、(降りるといふ代りに、私は堕ちると言ふ。これは不吉な言葉ではない)とことはつたりして、スローガンといふ言葉は移民の見せ金に似てゐる。と、言ひ、猫の横顔は蛤のやうだ。と言ひ、もう百年すると日本にもオペラが生誕するのださうだがその時は私は羊歯の葉になる時に。と、――。

 「途上」亦前の前のに同じ。どれもこれも同じいものに見えて来た。安西はペンの腹を外に向けて字を書くらしい。

 「犬」桃の熟するやうに、熟しかけてゐる生活の一部分であらうか。生活といふものが、何時になつてもここにあつて、かうした状態の時にのみ「生活」と称ばれるものなのだといふ私の考へ方は凡そ東洋的ではあるらしい。「マルヌの記念日」に於ても、同じことこの状態はここでは少しゴミ臭い程度に美しくかかれてはゐるのだが、はたして資本主義的世相の末期のみにある状態と限られてゐるのだらうか。云云。

 「門」さうだ。門といふものがあつた。お嬢さんと尨尤が戯れてゐる辞書の中の凸版。

    4

 「バグダット駐在将校苦大佐の脳」「韃靼国郵政事情」「徳一家の財産」「馬」「肋子」は見られる人の御意のままに――。で、次が「民国十五年の園遊会」全文を引用して支那音楽花火など色とりどりとなるべきであるが、少々調子に乗り過ぎて体をゆすつてゐるから――。

  「櫛比する街景と文明」

 魁(まつさき)に文明を将来した写真館が風景の中で古ぼけてゐる。

 (この飴色の街に、もう「市区改正」が到来してゐる)

 ――どうも。安西といふ男はすくなくも十四五年前に死んでしまつてゐるやうな気がする。ここには人一人鳥一匹もゐない。それなのに街の一部が「市区改正」のために取りはらはれたりしてゐるのだ。文明の描写が騒音にばかりあるのではないといふよいお手本。

 「陸橋風景」「夜行列車」「門」は共に同じやうなもの。「陸橋風景」は安西がちよつとよそ見をしたの形。

 「河口」私はこれを或る雑誌で発見した。そして、安西といふ男はすごい奴だといよいよ感心した。集中或ひは第一のものであらう。この強い信念は他に見ることは出来ぬ。

 「雪毬花」は「河口」にくらべていくぶんらくな作品。残りの十二篇のうち私は「晩春」を拾ふ。

    5

 「易牙」「長髪賊」共にわるからう筈はない。

 「菊」ここに到つて、私は前の「河口」と同じ平面にある異つた位置に出逢つた。「菊」は「河口」よりも散文に近い。これら(5)に編まれてゐるものを私は「短編」と言ふてゐる。「菊」の如きものを書き得るのは安西の外誰もゐない――と、私は又感心してしまつた。くそみそにほめ上げてまだ足らぬのである。

 「地球儀」は「菊」と列らぶ。次に、私はメリイ・ゴオ・ラウンドをメリゴランドだとばかり思つてゐたといふ書き出してゐる「遊戯」という好篇がある。

 私は(5)に入つてますます批評めいたことを言へなくなつた。最後の智をしぼつて、「菊」は甲の上、「地球儀」は甲、「遊戯」は甲ノ下、「易牙」と「長髪賊」は乙――と、やれば「文明」にはもうやらうにも点がないといふしまつ。それなのに「文明」の次の頁には「松の花」といふのがある。

 「鵜」――いつの間にか私はふたところ蚊にやられてゐた。なんだかしやくにさわつて来た。「鵜」は又、ひどく感心させるのだ。「菊」が甲ノ上なら「鵜」も甲ノ上だ。二つならべてさへ困難なところへ、あとからあとから感心させられるのでは、蚊に喰はれたふたところが同じ自分の体の上なのをどつちがどつちよりもカユいといふサクゴよりももつと愚なことにちがひない。

 後にまだ五篇もすばらしいのが残つてゐる。「冬」も「物集茉莉」もかつてすでに感心させられたものだ。安西万歳。万歳安西。自らを苦笑する他はない。即ち擱筆す。

(詩神第六巻第八号 昭和5(1930)年8月発行)

 

[やぶちゃん注:安西冬衛(明治311898)年~昭和401965)年 本名勝(まさる))の昭和4(1929)年4月に出た代表的詩集『軍艦茉莉』(厚生閣刊)の詩評。私は親しく『軍艦茉莉』を読んだことがないので、幾つかの尾形の評に現れる標題さえ読めぬものがあるが、それらすべてに注するとなると『軍艦茉莉』の注へと逸脱してゆくので、最小限に止めた。幾分、不親切な注になっている点はお許し頂きたい。

・「北川」北川冬彦(明治331900)年~平成21990)年 本名田畔忠彦)。ここにも記される彼との確執は前掲の「童心とはひどい」や『馬鹿でない方の北川冬彦は「読め」』を参照。

・「グロツス」George Grosz(ジョージ・グロッス 18931959) ドイツの画家。ワイマール体制下の資本家・軍人を痛烈に批判した風刺画で著名。1933年以降、アメリカに移住した。

・「パールクレー」Paul Klee(パウル・クレー 18791940)スイス出身の画家。

・「未来派の初期の作品そのままの張り紙細工の如きシネ・ポエム」これは暗に北川冬彦への批判を含んでいる。「尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注の「標――(躓く石でもあれば、俺はそこでころびたい)――」で『「戦争」とかいふ映画的な奇蹟』の部分の注を参照されたい。

・『「蔵六」君』四肢と頭と尾の六つを甲羅の内部に隠すところから、「藏六」は亀の異称。

・『「国際的××……』これはたかがお遊び、であるが、されどお遊びである。オートマチスムや寓喩としての面白さ以外に、この仕儀全体が痛烈な官憲の検閲による伏字のパロディになっていることを意識せずにはいられないからである。

・『「軍艦茉莉」』「ウラ・アオゾラブンコ」にある。そのままコピー・ペーストして掲げる(但し、コピー時に読み込まれるピリオド様の記号は排除し、丸括弧は全角に変換した。なお、後の注は私のオリジナルである)。

 

  軍艦茉莉

 

   一 

 

「茉莉」と読まれた軍艦が、北支那の月の出の碇泊場に今夜も錨を投(い)れてゐる。岩塩のやうにひつそりと白く。 

 

私は艦長で大尉だつた。娉娉(すらり)とした白皙な麒麟のやうな姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思はれた。私は艦長公室のモロッコ革のディワ゛ンに、夜となく昼となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。 さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私はいつからかもう起居(たちゐ)の自由をさへ喪つてゐた。私は監禁されてゐた。 

 

   二 

 

月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。 私はたつたひとりの妹が、其後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンディ産れの質のよくないこの艦の機関長に夙うから犯されてゐた。 しかしそれをどうすることも今の私には出来なかつた。 それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を変へてゆく、極悪な黄色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる――悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。 

 

   三 

 

夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。 ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる――私は陰気な水面に下りて行く残忍な木函を幻覚した。一瞬、私は屍体となつて横はる妹を、刃よりもはつきりと象(み)た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、 釦のやうに冷酷に私をディワ゛ンに留めてゐる――『(ああ)!』私はどうすることも出来ない身体を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏倒していつた。 

 

   四 

 

月はずるずる巴旦杏のやうに堕ちた。夜陰がきた。 そして「茉莉」が又錨地を変へるときがきた。「茉莉」は疫病のやうな夜色に、その艦首角(ラム)を廻しはじめた――

 

●やぶちゃん語注:

○「ディワ゛ン」フランス語“divan”で、背もたれのないクッション付長椅子のこと。

○「黄色賊艦隊」東洋人を成員とする海賊船団。

○「巴旦杏」は本来、中国語ではバラ目バラ科サクラ属ヘントウPrunus dulcis、アーモンドのことを言う。しかし、実は中国から所謂スモモが入って来てから(奈良時代と推測される)、本邦では「李」以外に、「牡丹杏」(ぼたんきょう)、「巴旦杏」(はたんきょう)という字が当てられてきた。従って、ここで安西はバラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)Prunus salicinaの意でこれを用いているとも考えられる。いや、恐らく当時の読者の殆んどは安西の意図とは無関係にスモモの意味でとっていると私は思う。

○「艦首角(ラム)」“ram”。一般には衝角と言う。軍艦の艦首に付けてある構造物で、突き出た槌状のものを指す語(角度ではない)。相手艦に衝突させて沈没させるための武器である。

 

・「閹人猧氏」詩の内容ではなく語注として附す。「閹人」は「あんじん」と読み、宦官のこと。「猧」は音は「ワ」「カ」で、ここでは人の姓に見えるが、有り得ない姓である。「猧」は矮小なる犬の謂いで、狆(チン)のことである(宦官の後宮での渾名としてあったとしても不思議ではないが)。因みに「狆」は和製漢字で中国にはないが、ペットとしてのチンの流行で現代中文でも「日本狆」と書く。

・「巫山戯(いちび)る」関西方言にあってかなり悪い意味で、調子に乗る・出しゃばる・図に乗る・付け上がる等の意。安西は奈良県出身。

・『「春」』内一篇は最も人工に膾炙したあれである。

 

  春

 

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

 

・「スウラ風の瘤の出たお臀」フランス新印象派の点描画家Georges Seurat(ジョルジュ・スーラ18591891)の極めて著名な作品“Un dimanche après-midi sur l'île de la Grande Jatte”「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(188486)の右手端で紳士と並んで黒い日傘をさして女性の臀部のコルセットの張り出しを言っている。

・「馬鹿話(ワイダン)」の(ワイダン)」は「馬鹿話」に均等割り付けされたルビ。

・「Lolo族」アルファベットでこう綴る民族で大陸に居住する民族はイ族である。以下、ウィキの「イ族」から解説部分全文を引用する(改行部は「/」とした)。『イ族(イぞく、彝族, 拼音: Yízú )は中国の少数民族の一つ。2000年の第5次全国人口普査統計では人口は7,762,286人で、中国政府が公認する56の民族の中で8番目に多い。/名称/彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、自ら漢民族の王朝ではない満州人がこの呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。彝は雅字。「ロロ族」という呼称もあり、かつては自称であったが現在は蔑称。「ロロ」とは、イ族自身が先祖崇拝のために持つ小さな竹編み。当て字の「玀猓」は、多分に蔑視的な要素を含んでいる。/歴史/イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。/精霊信仰を行い、Bimawという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。/雲南北西部に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられていた。白イと他民族は奴隷として扱われたが、高位の奴隷は自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。/使用言語/シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派ロロ・ビルマ語支に属する彝語を使用。ビルマ語と緊密な関係をもつ。6種類の方言がある。/彝文字(ロロ文字)と呼ばれる表音文字を持つ。』果たして安西の意図したLolo族がこのロロ族であるかどうかはこの際問題としない。私はこのロロ族に魅せられたのである。この彝文字(ロロ文字)なるものも何と魅力的なことか!

・「Catalyser」はフランス語の化学用語で、「触媒する」「触媒作用を及ぼす」の意の動詞。

・「二年ほど前であれば、尚のこと好いてゐたであらう」安西の原詩を確認出来ないので見当違いかも知れないが、三年前(昭和2(1927)年1月)の尾形亀之助には狐が青年士官になったり紳士になったり女に化けたりする動物園の狐の物語「青狐の夢」がある。「尾形亀之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇)附やぶちゃん注」を参照されたい。

・「月の央」安西の原詩を確認出来ないので意味不明。ある月の中旬の謂いか。識者の御教授を乞う。

・『モウパツサンの「水の上」』フランスの詩人にして作家Henri René Albert Guy de Maupassantアンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(18501893)の著名な短編集“La maison Tellier”(1881)年「テリエ館」の中の一篇“Sur l'eau”(1881)「水の上」のこと。モーパッサンの狂気とそれ故の才能が十全に生かされた霧深い川のボート上の幻想と恐怖の物語である。

・「尨尤」安西の原詩を確認出来ないが、これは「尨犬」の誤植ではなかろうか。

・「文明の描写が騒音にばかりあるのではない」これは所謂、ダダイズムや未来派、プロレタリア詩の実験的作品群への揶揄。私は一番に大正141925)年に刊行された萩原恭次郎の『死刑宣告』を想起した。

・『「河口」』これだけ尾形が褒め上げる以上、読むに若くはない。「ウラ・アオゾラブンコ」に幸いある。そのままコピー・ペーストして掲げる。因みに「歪(いびつ)な」「蹂躪(じゅうりん)」「汪洋(おうよう:水量が豊かで、水面が遠く遙かに広がっているさま。)」「慰(なぐさみ)」「纔(わずか)に」である。――確かに、私もこの詩は気に入った。

 

  河口

 

歪な太陽が屋根屋根の向ふへ又堕ちた。

乾いた屋根裏の床の上に、マニラ・ロープに縛られて、少女が監禁されてゐた。夜毎に支那人が来て、土足乍らに少女を犯していつた。さういふ蹂躪の下で彼女は、汪洋とした河を屋根屋根の向ふに想像して、黒い慰の中に、纔にかぼそい胸を堪へてゐた――

 

河は実際、さういふ屋根屋根の向ふを汪洋と流れてゐた。

 

・「雪毬花」バラ目バラ科シモツケ亜科シモツケ属コデマリSpiraea cantoniensisのこと。雪毬花は一般には日本の北国での表記。

・「しやく」はママ。

・「サクゴ」はママ。

・『「物集茉莉」』読みは「ぶっしゅううまり」でよいのであろうか。「もづくしまり」では気が抜ける。詩集『軍艦茉莉』の最後に掲載されている散文詩である。コナン・ドイルの研究家のひろ坊氏のブログ『安西冬衛とドイル。「物集茉莉」より』に冒頭が引用されているので、孫引きさせて頂く(但しひろ坊氏によって省略されている)。

 

  物集茉莉

   第一章

最初、その少女に遭ふたのは、旅順行貨物列車の最後部の便乗室だつた。秋雨のぐしょぐしょ車床をよごす日で、私はさういふ日に私の有つてゐる事務所に通ふことに、ひどく小説めいた気持がした。(略)尤もこれは必ずしも、私の架空癖からばかりではなかつた。といふのは当時実際自分は「Conan Doyle を持てる茉莉」といふ伝奇的な作品を結構してゐた、その央だつたからである。

すると列車が夏家河子といふ駅に着いた時、突然濡れたレーン・コートを羽織つた黒いリボンの少女が車室に入つてきた。そして私の前にゆつくり座席した。手に副読本(サイドリーダー)らしい、褪紅色の薄い洋書を持つてゐる。彼女はそれを膝に裏返した。私は危なく『あツ』と声を発てようとした。何故なら、さういふ彼女は、不思議にも私作中に出てくる茉莉といふ少女だったからである。咄嗟に私はその洋書を調(たしか)めて、確かにその表紙に

  The Adventures of a Scandal in Bohemia

と刷られてゐなければならない筈の事実をはつきりとつきとめて、この運命的な邂逅に、邃い面を合わせたい衝動を感じた。しかし遽に、それをどうすることも出来なかつた。(以下略)]

« 猫好きの貴女へ 哲学スル猫 | トップページ | 夏 »