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2009/09/30

「こゝろ」 上 三十四 冒頭の謎

 私は其夜十時過に先生の家を辭した。二三日うちに歸國する筈になつてゐたので、座を立つ前に私は一寸暇乞の言葉を述べた。
『又當分御目にかゝれませんから』
『九月には出て入らつしやるんでせうね』
 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て來る必要もなかつた。然し暑い盛りの八月を東京迄來て送らうとも考へてゐなかつた。私には位置を求めるための貴重な時間といふものがなかつた。
『まあ九月頃になるでせう』
『ぢや隨分御機嫌よう。私達も此夏はことによると何處かへ行くかも知れないのよ。隨分暑さうだから。行つたら又繪端書でも送つて上げませう』
『何ちらの見當です。若し入らつしやるとすれば』
 先生は此問答をにや/\笑つて聞いてゐた。
『何まだ行くとも行かないとも極めてゐやしないんです』

今日の今まで、気づかなかった――

これは極めて意味深長な会話ではないか!

「先生」は叔母の病気の看病が落ち着いて家に戻った靜と旅に出たのではなかったか?

そうして――そうして、そこで「先生」は自死を決行したのではなかったか?

その楽しい旅の中の、不意の蒸発=失踪こそ、正に「頓死」したかのような、「氣が狂つたと思はれ」るようなシチュエーションを導きは、せぬか?

いや、何より「必ず九月に出て來る必要もなかつた」九月に、彼は正にやってくる――しかし、先生も靜も、実は、そこには、居ないのではなかったか?

僕はもう大分以前から、真剣に――「こゝろ」の「中 十九」以下の続きの詳細なシークエンスを描いてみたい悪魔的誘惑にかられているのである――

耳嚢 觀世新九部修行自然の事

「耳嚢」に「觀世新九部修行自然の事」を収載した。

 觀世新九部修行自然の事

 近き頃名人と稱し、公(おほやけ)より紫調(むらさきのらべ)賜はりし新九郎事、權九郎といひし頃、日々鼓を出精(しゆつせい)しけれ共未心に落ざる折から、年久敷召仕ひし老姥(ろうぼ)朝々茶持來りて權九郎へ給仕しけるが、或時申けるは、主人の鼓も甚上達の由申ければ、樺九郎もおかしき事に思ひて、女の事常に鼓は聞けど手馴し事にも非ず、我職分の上達をしる譯を尋笑ければ、老女答て、我亂舞の樣知るべきやうなし。しかし親(したしく)新九郎鼓を數年聞けるに、朝々煎(せんじ)ける茶釜ヘ音(ね)毎(つね)に響き聞へ侍る。是迄權九郎鼓は其事なく、此四五日は鼓の音毎に茶釜へひゞきける故、扨こそ上達を知り侍ると答へけると也。年久敷耳なれば自然と微妙に善惡も分る物と、權九郎も感けると也。

□やぶちゃん注

・「觀世新九部」底本で鈴木氏は、観世流小鼓方六世新九郎『豊重。新九郎豊勝(鉄叟宗治)の第四子。十四歳から観世の頭取をした名人。』とする。岩波版で長谷川氏はそれを引用しながらも『ただし豊重と決める根拠を知らぬ』と記す。私はこの豊重であったと考えてよいと思う。勿論、100年前を「近き頃」とは言うかと言われれば、それまでであるが、ウィキの「観世流」の「大鼓方」(注意! 「小鼓方」の項ではない)に天和3(1683)年に『宝生流を好んだ徳川綱吉に小鼓方観世流六世・新九郎豊重が宝生大夫相手の道成寺を断り、追放される事件が起こった。翌年、宝生座付として復帰したが、その際、姓も宝生と改めさせられた』という記載があり、この気骨ある人物こそ、本話に相応しいと考えるからである。また、次の注も参照されたい。

・「自然」仏教、特に禅宗で言うところの、他の力に依拠せず、自身と宇宙が直結した生成・流転・消滅の根本原理に自ずから従うこと。

・「紫調賜はりし」「調」は鼓の両面の革と胴とを固定するための麻紐のこと。鼓を打つときに、締めたり緩めたりして調子を整える。今の人間国宝のように、名人の明かしとして、禁色である紫色の調を特に将軍家から賜ったということである。ズバリ、新九郎豊重のそれが法政大学能楽研究所観世新九郎家文庫所に現存する。そしてそこには『これは観世新九郎豊重が1678年[延宝6年]の江戸城の催しに際して許されたもの』というキャプションがついているのである。

・「姥」は、付き添って世話をする女。

・「亂舞」は、能の一節を謡い舞うことを言う。転じて、謡曲能楽の意。

■やぶちゃん現代語訳

 観世新九郎修行上達を自ずから知る老女の事

近き頃まで名人と称えられ、将軍家より紫の調べを賜った小鼓方観世六世新九郎が、未だ権九郎と名乗っておった若き頃のこと、日々鼓の修練に精進怠らずあったけれども、いっかな、未だに己れの満足出来る音色を打ち出すことが出来ずにいた、そんな折りのことであった。

 観世の家には長年召し使っている老女がおり、毎朝欠かさず煎茶を入れては権九郎に給仕しておったのだが、その老女が、ある朝のこと、権九郎に茶を捧げながら、

「ご主人様の鼓も大層上達なさいました。」

と、しみじみ申し上げる。――権九郎は内心、下賤の老婆の笑止な、と思いつつも、すこし妙に感じた。老女は長年当家に奉公し、確かに日頃鼓の音(ね)は聞き慣れてはおるが、自ら小鼓を手に取ること等、ない。如何なれば、私の小鼓の上達を知ったというのか?――そこで権九郎は軽く笑いながら、その訳を訊ねてみた。

「さても、何故に?」

老女答えて、

「勿論、私めには能楽の良し悪しなど、分かろうはずは御座いません――されど、私めはお父上新九郎様のお鼓の音(ね)を数年の間親しゅう聞いておりましたが――毎朝毎朝、煎じておる茶釜へ、そのお鼓の音が、一打ちごとに美しゅう響いて聞こえまして御座いました――されど、これまで権九郎様のお鼓の音は――悲しいかな、そのようなことが御座いませなんだ――ところが、この四、五日内は、お父様のお鼓の如く、美しゅう茶釜に響きまする――さればこそ、上達なされましたこと、お釜の響きに聴き知ったので御座いまする――」

と答えたのであった。

 下賤の者なれども、年久しく鼓を聞いてきた耳なれば、自然、その音(ね)の微妙な違いに良し悪しを聞き分けることが出来るようになるもの、と権九郎も感じ入ったということである。

2009/09/29

耳嚢 惡敷戲れ致間敷事 附惡事に頓智の事

「耳嚢」に「惡敷戲れ致間敷事 附惡事に頓智の事」を収載した。

お読みあれ。僕の好きな「あの」話である。

 惡敷戲れ致間敷事 附惡事に頓智の事

 是も同じ比(ころ)の事とや。神田邊の頓作(とんさく)滑稽をなして人の笑ひを催し家業とする者あり。獨り者にて常々酒を好、飽事なし。同所に相應に暮ける鳶の者友どち申合、伊勢へ參宮するとて路次(ろし)の慰に右獨者を召連んとて誘引(さそひ)ければ、路銀無之由を答ふ。路銀は兩人にて如何にも賄わんと誘ひければ、さらばとて三人打連、品川より神奈川まで、急がぬ旅なれば、爰にては一盃傾けかしこにては一樽を空しくして、神奈川宿に泊ける。翌夜明前に、何れも神奈川を立んと起出けるに、彼獨者は酒の過けるにや草臥(くたぶれ)伏して色々起せ共目不覺。兩人の連、風與(ふと)思ひ付、彼者醉中に出家にせば能(よこ)慰ならんと、密に髮剃(かみそり)を取出し、髮を剃り青同心として、日の出る頃猶又起しければ、漸起出、天窓(あたま)をなでゝ大に驚き、兩人の戲れになしぬらんと恨けれ共、曾て不知よしを答ふ。猶疑ひて品々申けれ共、聊覺なしと陳じける故、今は詮方なし、出家にては箱根御關所も通り難し、伊勢にても出家は禁じ給ふ事なれば、遙々詣ふで益なし。是より江戸へ歸り候半(さふらはん)と暇乞ければ、兩人も詮方なき事と悔けれど、明白(あからさま)に言んやうもなく、路銀抔與へて江戸へ歸しける。彼獨者つらく思ひけるは、斯(かく)我を慰(なぐさみ)、情なくも剃髮させぬる事恨し、此遺恨面白返さんと色々工夫して、芝の邊にて古袈裟衣を調へ誠の出家姿と成り、四五日も過て彼連二人の方へ至りければ、妻子驚き如何なれば斯る姿と成りて早くも歸りけるやと尋ねければ、彼者涙を流し、かくなるうへは推量なし給へ、道中船渡しにて岩へ乘かけけるや破船いたし、三人共浮ぬ沈ぬ流れけるに、我等は運強く岩に流懸りしを、皆々打寄り助(たすけ)船にて引あげられ、貳人の者を尋(たづねけ)れ共死生もしらず、其外の乘合行衞(ゆくへ)なき故、無常を觀じ出家して廻國に出候心得なれ共、友達の家内へ知せざるも便なしと立歸りしと、涙交りに語りければ、妻子どもの歎き、見るも中々痛しき有樣也。兩人妻餘り絶がたさに髮おし切、廻國せんと言けれ共、廻國の事は親類衆と相談し給へ、出家の事は兩人菩提のため可然(しかるべし)と申述、我等は廻國に出(いづる)よし申置、行方なく成りしとや。兩人妻菩提寺を賴、出家染衣(ぜんえ)の身と成、念比(ねんごろ)に菩提を吊(とむらひ)ければ、心有親類は餘りの思ひとり過するならん、まづ彼破船の様子をも聞飛脚をいたし候へかしと、彼是相談の内、二人の男伊勢参宮無滞(とどこほりなく)仕廻(しまひ)歸ければ、両人の女房は新尼と成て夫々(おつとおつと)を見て大に驚、いかなる事とおつと/\も尋ければ、始よりの事共申ける故、よしなきいたづら事なして彼者に謀られける事の浅間しさよと、後悔すれ共甲斐なく、右新尼還俗して、此頃は三四寸も髪の延びたりといひし比、其邊の者來りて語り笑ひぬ。

□やぶちゃん注

・「頓作滑稽をなして人の笑ひを催し家業とする者」ウィキの「落語」によれば、現在のような落語の明白な出現は17世紀後半で、『江戸の町では大坂出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋で「座敷仕方咄」を始めた。同時期に京都では露の五郎兵衛が四条河原で活躍し、後水尾天皇の皇女の御前で演じることもあった。大坂には米沢彦八が現れて人気を博し、名古屋でも公演をした。また、『寿限無』の元になる話を作ったのが初代の彦八であると言われて』おり、『18世紀後半になると、上方では雑俳や仮名草子に関わる人々が「咄(はなし)」を集め始めた。これが白鯉館卯雲という狂歌師によって江戸に伝えられて江戸小咄が生まれた。上方では1770年代に、江戸では1786年に烏亭焉馬らによって咄の会が始められた。やがて1798年に岡本万作と初代三笑亭可楽がそれぞれ江戸で2軒の寄席を開くと、その後寄席の数は急激に増えた』とある。本件は前記事と同じ頃、安永9(1780)年前後であるから、すでに江戸小咄の形が完成、既に噺家(はなしか)という職業が成立していた、この主人公の「獨り者」も噺家である、と考えてよい。そして、読み進めればお分かりの通り、この話自体、この男が熊五郎となり、二人の鳶も長屋の講中吉兵衛や次郎吉その他大勢となって、御存知、落語の「大山詣(まいり)」へとインスパイアされてゆくのである。但し、このルーツを訪ねれば能狂言の「六人僧」に辿り着く。その梗概を記すと、ある男が後世(ごぜ)の安楽のため、二人の同行を誘って諸国参詣を思い立つが、道々話をしているうちに、仏の本願に従い、決して腹を立てるまいという誓いを立て合う。さる辻堂で一休みした際、同行の二人は寝付けぬままに、悪戯(いたずら)を思いつき、寝入っている同行の頭を剃ってしまう。目覚めた男は、大層腹を立てるも、先の誓いの手前、二人を責めるわけにも行かない。仏参を続けるという二人と別れて帰った男は、他の二人の妻に、二人の夫は高野参りの途中、紀ノ川にて溺れ死んだと言葉巧みに信じ込ませ、妻たちは剃髪して尼になってしまう。さらに今度は戻って来る二人の夫を迎えると、お主らが馴染みの女と上方へ逐電したという噂をお主らの妻が聞き、蛇身となって復讐せんものと、妻同士刺し違えて死んだ、という法螺話を拵え、遺髪を見せてまんまと信じ込ませると、二人の夫をも出家させてしまう。最後は、それが総てばれたところで、なんと尼となった男の妻も現れ、これらも仏の方便と方々悟って、西日を仰ぎつつ、六人打ち揃って行脚に旅立つというストーリーである。しかし、鎮衛の本話を読むと何よりも、この話が当時、『噂話』=『都市伝説(アーバン・レジェンド)』として信じられていたという事実が浮かび上がってきて誠に興味深い。因みに、私は落語の「大山詣」が殊の外お気に入りである。それは熊の一世一代の大芝居の妙味もさることながら、普段は亭主を口汚く罵っている長屋の妻たちがこぞって、あっという間に剃髪するという、その江戸の市井の女たちの誠心と貞節に心から打たれるからである。

・「賄わん」はママ。

・「風與(ふと)」は底本ルビ。

・「明白(あからさま)」は底本ルビ。

・「吊」これは誤植ではなく、「弔」の俗字である。「とむらふ」と読むのである。

・「出家にては箱根御關所も通り難し、伊勢にても出家は禁じ給ふ」既にこの頃、行脚僧の格好をして不逞を働く輩が横行しており、恐らく僧形であることが関所通行に五月蠅かったに違いなく、おまけに僧侶の参詣を許さなかった伊勢神宮への参拝というのでは、関所もお伊勢さんも難しいことになるというのは道理ではある――ではあるものの、これは彼の頓作滑稽復讐システムを発動させるための、方便ととった方がよかろう。

・「いひし比、」の「比」は、「ころ」か「ころおひ」と読むのであろうが、文脈上おかしい。岩波版にはなく、衍字か。岩波版のように「いひし。」とここで文は終始していると判断して訳した。

■やぶちゃん現代語訳

  悪い戯れは致すさぬがよい事 附悪事にも頓智のある事

 これも「盲人が詐欺を仕組んだ事」と同じ頃の話でったか。

 神田辺りで滑稽な話を創作したり、それを演じたりして、人の笑いを取って何がしかの日銭を得ることを生業(なりわい)としている者がおった。独り者で常々酒を好み、これがまた、酒あらばとことん飲んで飲み飽きるということを知らない男でもあった。

 さて、ある時、同じ町内に相応に暮らしておった鳶職の者二人、相談し合って、伊勢へ参宮しようということになり、ついては道中徒然の慰みに、この独り者の男を連れて行こうじゃねえかということで誘ったのだが、男は、

「儂にゃ金がねえ――」

と言う。鳶の二人は、即座に、

「路銀なら俺たちが何とでもしてやらあな!」

となおも誘ったので、それならば、ということで仲良く三人うち連れ、途中、早速、未だ品川から神奈川までの間で――急がぬ旅ではあれば――否、急がぬ旅とは言いながら――酒好きが昂じて、ここで一杯傾けては、あそこで一樽空にして、その日はやっと神奈川の宿に泊まった。――

 翌朝のこと、流石に鳶の二人は、昨日の分の足を稼ごうと夜明け前に出立しようと起き出したところが、例の独り者は、飲み過ぎたのか、すっかり疲れ果てて死んだように横たわったまま、幾ら起こしても目覚めない。その体たらくに、二人の鳶は、ちょいとした悪戯らを思い付き、この男が前後不覚で酔って寝ている内に、知らぬ間に自分が出家僧になっておったら、さぞかし吃驚り仰天、これまた、面白い見ものと、ひそかに取り出だした剃刀で、男が目覚めぬようにこっそり髪を剃り、美事なつるんつるんの青道心に仕上げたのであった。――

 日が昇る頃になっていま一度起こしてみると、男は漸く起き出して来て、ふと頭を撫でてみて大いに驚き、

「お主ら! 悪戯(いたずら)にことかいて、何をした!」

と恨み骨髄、なれど両人は、

「何(なん)も。俺たちゃ知らんぜ。」

と白を切る。勿論、男は納得出来ずに、あれやこれやと詰め寄ったものの、二人とも、

「全く以って知らん、な。」

と美事、口裏合わせ、知らぬ存ぜぬの一点張り。故に、すっかり切れてしまった男は、

「何も、知らんか……そうか……お主らの仕儀ではない……では……最早、是非もない。非僧の僧形にては箱根関所も通るに難く、そもそも伊勢神宮にては古えより出家の参詣を禁じておられることなれば、遙々訪ねみんも無益じゃ……されば、今から儂は、もう江戸へ帰ると致さん……」

とむっとしつつもきっぱりと訣別を告げるので、二人の鳶は、ここに到って、こりゃ馬鹿なことをしたわいと後悔したものの、これだけ白を切ってしまったからには、今更、本当のことを語り、謝って済こととも最早、思えず、とりあえず帰りの路銀を与えて江戸へ帰したのであった。――

 しかし、この男、帰りの独りの道中にも、よくよく考えるとまたぞろさっきの憤激がいとど昂じて来るのであった。

「これほどまでに俺を虚仮(こけ)にしやがって! あさましくもかく坊主にさせおったこと、恨んでも恨み切れぬわ! この遺恨、屹度、面白く返報せずにおくべきか!」

と、帰り道すがら、あれやこれやと日頃の頓作滑稽を発動してとんでもない創意工夫を巡らした。――

 男は江戸に着くと、まずは芝の辺りで古い袈裟衣など僧侶の姿に必要なものを買い揃えて、本物の出家の姿になると、日を測って、江戸帰着後四、五日ほど過ぎて後(のち)、徐ろに鳶の両人の留守宅へと向かった。屋前に佇む男を見ると、どちらの妻子も吃驚り仰天、

「どうして――まあ、このような姿になって――早くも帰って来なすった?」

と尋ねたので、かの男はしおらしく涙を流しながら、

「……かくなる上は、ご推察なされたい……伊勢への道中、さる川の舟渡しにて、我らの乗り合わせたる舟、俄かに流されて岩に乗りかかりて大破致し、三人共、激流に投げ出され、浮き沈み、浮き沈みしつつ、流れ流され……我は運良く下流の岩に流れ懸かり、咄嗟にしがみ付いたところを、助け船にて引き上げられ申したが……二人は……いや、その後も我は二人をあちらこちら、さんざんに尋ね求め致いたので御座ったのじゃが……それきり……生死も知れず仕舞……いや、それだけではない、その他の乗り合わせた数多の客も尽く行方知れずと相成ったが故……それを目の当たりにした我は……正に、正にこの浮世の無常を痛いほどに観じたれば……かくの如、出家致いて、さても万霊回向の諸国行脚の旅に出で立たんとの決心、なれど……何も知らず、空しく帰りを待つこととなる友どちの家内(いえうち)へ、この事、知らせずにおるも、よからずと思い……かく立ち帰ったので御座る――」

と、堰き合えぬ涙ながらに語ったので、両家の妻子ら歎き、一方ならず、見るも中々に痛ましい限りの有様であった。特に両人の妻は、男の謂いと、その姿も相俟って、夫を失った余りの悲痛の耐え難さに、我らも髪をすっぱりと切り、共に廻国行脚に同道せんと言い出す始末であったが、

「廻国行脚につきては、まずは落ち着いて、親類縁者の方々と相談なされよ。されど勿論、出家の儀は、亡き御二人の御亭主の菩提を弔うに然るべきことで御座れば――」

と申し述べて、

「されば――目的はすっかり果たし申したれば――我はこれより廻国行脚旅に出づればこそ、永の、おさらば――」

と言い残して、何処ともなく立ち去って行った、ということである。――

 ほどなく妻二人はそれぞれの菩提寺を頼って出家、墨染めの衣の尼の身となって、懇ろに亡き夫の菩提を弔うことと相成る。分別ある親族の中には、

「余りに思い込み過ぎようというものではあるまいか? まずは、その船渡し難破の儀につき、仔細を尋ねんがための飛脚を飛ばしてみるというのは如何なもので御座ろうか?」

なんどと、あれこれ相談していた、その矢先、二人の夫が滞りなく伊勢参詣を済ませて帰って来た。

 二人の鳶の女房は初々しい尼となっていて――それぞれの夫はぴんぴんして血色もいい――夫婦それぞれがそれぞれを互いに見て大いに驚き、

「……一体、これはどういうこと!?」

と夫婦それぞれがそれぞれに問い質す――さればいずれもが始めよりの事の次第を語り出すうち、

「馬鹿げた悪戯をしたばっかりに、あの野郎に謀られたたぁ、情けねえ!」

と後悔すれども、最早致し方なし。

――「勿論、この二人の尼は即座に還俗してね、近頃じゃ、三、四寸も髪が伸びた、と言っておった。」

と、当時、その元尼夫婦の近所に住んでおった者が、私の許に来て、笑いながら話していったのであった。

2009/09/28

「こゝろ」 中 五 から

 私は黑いうすものを買ふために町へ出た。それで旗竿の球を包んで、それで旗竿の先へ三寸幅のひら/\を付けて、門の扉の横から斜めに往來へさし出した。旗も黑いひら/\も、風のない空氣のなかにだらりと下つた。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあつた。雨や風に打たれたり又吹かれたりした其藁の色はとくに變色して、薄く灰色を帶びた上に、所々の凸凹さへ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黑いひら/\と、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から『あなたの宅の構は何んな體裁ですか。私の郷里の方とは大分趣が違つてゐますかね』と聞かれた事を思ひ出した。私は自分の生れた此古い家を、先生に見せたくもあつた。又先生に見せるのが恥づかしくもあつた。
 私は又一人家のなかへ這入つた。自分の机の置いてある所へ來て、新聞を讀みながら、遠い東京の有樣を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、何んなに暗いなかで何んなに動いてゐるだらうかの畫面に集められた。私はその黑いなりに動かなければ仕末のつかなくなつた都會の、不安でざわ/\してゐるなかに、一點の燈火の如くに先生の家を見た。私は其時此燈火が音のしない渦の中に、自然と捲き込まれてゐる事に氣が付かなかつた。しばらくすれば、其灯も亦ふつと消えてしまふべき運命を、眼の前に控へてゐるのだとは固より氣が付かなかつた。
 私は今度の事件に就いて先生に手紙を書かうかと思つて、筆を執りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已めた。書いた所は寸々(ずたずた)に引き裂いて屑籠へ投げ込んだ。(先生に宛てゝさう云ふ事を書いても仕方がないとも思つたし、前例に徴して見ると、とても返事を呉れさうになかつたから)。私は淋しかつた。それで手紙を書のであつた。さうして返事が來れば好(い)いと思ふのであつた。

2009/09/27

和漢三才圖會 巻第四十 寓類 恠類 獼猴(サル) 収載

「和漢三才圖會」の「巻第四十 寓類 恠類」に「獼猴(サル)」の完全収載を完了した。

これで少し、格好良くなったな。

耳嚢 兩國橋懸替の事 / 盲人かたり事いたす事

「耳嚢」に「兩國橋懸替の事」及び「盲人かたり事いたす事」を収載した。

 兩國橋懸替の事

 吉宗公御治世の頃、兩國橋懸替有けるに、或は出來不足の處有之、懸(かかり)役人不念(ぶねん)の義度々に及びければ、懸り役人も數度引替に及びし故、巷(ちまた)の説にも此度も又合口(あひくち)行違候抔色々口説(くぜつ)有けるを、御聽被遊けるや、近日御成の刻(とき)御覧可被遊旨被仰出、其節は懸りの者も場所へ相詰候樣被仰渡(おほせわたさらるる)故、何れも如何可被仰出哉(おほせいださるべきや)と心にあやぶみいける。其日限にも成ければ、御船を右場所へ被留、得と御覺の上、宜(よろしく)出來(しゆつたい)いたし候、何れも骨折の段上意有、何れも一同難有存ける。夫よりして彼浮説も忽(たちまち)止りけるとかや。

□やぶちゃん注

・「兩國橋懸替」隅田川に架かる両国橋の架橋は、万治2(1659)年説と寛文元(1661)年説の二説がある。以下、ウィキの「両国橋」より引用すると、『江戸幕府は防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めてこなかった。しかし1657年(明暦3年)の明暦の大火の際に、橋が無く逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人に及んだと伝えられるほどの死傷者を出してしまう。事態を重く見た老中酒井忠勝らの提言により、防火・防災目的のために架橋を決断することになる。架橋後は市街地が拡大された本所・深川方面の発展に幹線道路として大きく寄与すると共に』火除地としての役割も担った、とある。その後も度々火災や洪水により、流失・破損を繰り返した。底本の鈴木氏の補注に『広文庫に引用する耳嚢の本文では「有徳院様御治世の頃、享保十三年九月洪水にて両国橋落つる。同十二月より掛替有りけるに」とある。実紀によれば、同十四年七月六日隅田川に御狩、船中にで昼食をとり、大銃、水泳、烽火を見たとある』ことから、まさにこの享保141729)年7月6日こそが、この記事の一件があった日ではないかと推定されている。この後、鈴木氏は吉宗在任中の後の再度の両国橋の洪水による崩落による架け替え(延享元(1744)年)をも記しながら、総合的に考えて本件は享保時の際の出来事と同定されている。堅実にして美事な注である。なお、本橋の名については、ウィキに貞享3(1686)年に『国境が変更されるまでは』武蔵国と『下総国との国境にあったこと』に由来するとある。

・「不念」不注意による過失。

・「合口行違」両岸から伸ばして建造した橋梁が中央で食い違って合わなくなる。

・「口説」お喋り。噂。岩波版は「こうぜつ」とルビするが、不審。

・「あやぶみいける」の「い」はママ。

■やぶちゃん現代語訳

 両国橋架け替えの事

 吉宗公御治世の折、両国橋の架け替えがあったのであるが、しばしば工事が遅延する場面があり、また、橋普請担当の役人の度重なる過失もあって、何度も担当官の交代があったりした故、世間でも、

――今度も岸から延びた二つの橋が合わねえらしい――

なんどという噂がたっていたのを、上様もお聴き遊ばされるや、急に、近々両国へ御成りになり、その際、親しく橋普請の現場を御覧遊ばされる旨仰せになられ、その時には総ての担当官もその場に控えおるよう、と申し渡されたので、担当官はもとより御家来衆も、一体、どのようなきついお達しがあるのであろうか、と内心、戦々恐々としておった。

 御成りのその当日になると、上様は御船を普請場の岸に泊め置かれ、仕上げにかかっていた橋普請の様子を凝っとご覧になった上、一言、

「よく出来ておる。皆の者、何れも御苦労。」

 との御意であった。

 担当官御家来衆一同、何れも皆、上様の慈悲に満ちたお優しさに、心から打たれたということじゃった。また、それからというもの、かの流言蜚語も忽ちのうちに消え失せたとか聞いておる。

*   *   *

 盲人かたり事いたす事

 安永九年の事成りしが、淺草邊とや、年若の武家僕從兩三人召連れ通りしに、壹人の盲人向ふより來り、懷中より封じたる状壹通差出し、丁寧に右武家の側へより、國元より書状到來の處、盲人の儀少々心掛りの儀有之候間、恐入候事ながら讀聞せ給るやう願ひければ、家來抔彼是制しけれども、其主人、盲人尤の儀と、憐の心より何心なく封おし切讀遣しける。其文段に、金子無心の事申越候得共、在所も損毛にて調達いたし兼候間、漸(やうやく)貳百疋差遣候趣の文面也。盲人承り、扱々忝候。在所にても才覺調兼(ととのひかね)候段無據(よんどころなき)事といひて、右金子渡呉侯樣申ける故、彼若き人驚、文面には金子差越候段は有ながら、右金子状中には無之、別段に屆來(とどけき)侯には無之哉(これなくや)と答ければ、盲人聊承知不致、何とやら盲目故掠(かすめ)ける趣に申募る故、品々申なだめけるといへども疑憤候間、無據屋敷へ召連金子差遣侯由。憎き盲人ながら、若きものは右樣の折から心得有べき事なり。

□やぶちゃん注

・「安永九年」西暦1780年。

・「損毛」損亡とも。広く損失を受けること、利益を失うこと、を意味する。岩波版で長谷川氏は『農作物が被害を受けること。』とする。必ずしも、絶対的に承服出来る語釈とは言い難いが、訳では大変都合がいいので、これを採用した。

・「貳百疋」「疋」は錢を数える数詞。匹とも。古くは10文(後に25文)を1疋とした。ここでは10文とすると2000文=2歩で、丁度1両の半分に相当する。

■やぶちゃん現代語訳

 盲人が詐欺を仕組んだ事

  安永九年のことであるが、浅草辺りでのことだったという。年若い武家が従僕二人を連れ通りを抜けてゆくと、一人の盲人が向うからやって来る。と、徐に懐中から封をした手紙一通取り出し、慇懃にその武士の傍らに寄ってきて、

「実は……国許より書状が到来致しましたが……御覧の通りの盲人で御座いますれば……実は……少々気に懸かることも御座いますれば……恐れ入りまするが……誠に勝手ながら文面をお読み戴いて拙者にお聞かせ戴きたく……」

 としきりに乞う。二人の従僕はあれこれ言って追い払おうとしたのだけれども、この若主人、盲人の儀なれば、尤もなること、と同情心から素直に手紙を受け取ると、ふつっと封を切って、中の手紙をとり出だし声を出して読んでやった。

 その消息文は、

『――金を無心したき旨の申し文であったけれども、在所も不作続きでとても望みし全額は調達致し兼ねる故に、何とか工面した金二百疋分を差し遣る――』

といった旨の文面なのであった。

 盲人は謹んで聴き終えると、

「さてさて忝(かたじめな)きことで御座いました……在所も不作なれば手元不如意、思うように金を揃えることが出来ぬというも、尤もなこと……」

と独りごちたかと思うと、静かに、

「それでは、その金子(きんす)二百疋、お手数ですが、この手にお渡し下さいませ。」

と言った。かの若主人は驚いて、

「……いや、その確かに……文面には金子を差し遣るという段は、ある……あるが、その金子は状袋の中には入っておらなんだ……いずれ、別送か何かで送って来るのではないかのう……。」

と答えたのだが、盲人はその答えに、いっかな承知致さず、却って、

「盲目(めくら)だからと馬鹿にして! 金子を掠め取るッ!」

と言った、激しい剣幕で喚(おめ)き立てるので、従僕二人も一緒になっていろいろと宥(なだ)めてはみたものの、もうひたすら一方的に憤激するばかり。往来のことで世間体もあり、止むを得ず主人の屋敷へと連れ行き、結局、この盲人に金子二百疋分を渡した、ということで御座った。

 誠(まっこと)性悪(しょうわる)の盲人ではあるけれども、若い者たちは、今時、このような新手の詐欺もあるものなのだということは、この話から重々心懸けておく必要があるのである。

2009/09/26

和漢三才圖會 巻第四十 寓類 恠類 電子化プロジェクト始動

「和漢三才圖會」の「巻第四十 寓類 恠類」の電子化プロジェクトを始動した。これで僕が元日に約束した内容は総て曲がりなりにも果たされはした。後は、ただ継続は力なり、だ(というより力技というべきだな)。まだ、「獼猴」の原典復刻と訓読までで、注に到っては初めの方の一部しかしていないが、内容をプレでお知らせする意味で、目次を含む以上の公開を行った。

そもそも僕は小学校2年生の時に学校帰りに近所のおじさんが飼っていた猿に僕だけが引掻かれて以来、小学校6年生の日光の修学旅行ではハンカチを猿に奪われ、テッテ的に引き千切られる等、極めて相性が悪い。正に犬猿の仲である。であればこそ、何もこれを選ぶべくもないのであるが、とりあえず目次を見て戴こう。後半のライン・ナップがいいだろ? 僕好みの謂いな訳なのである。

こちらも「耳嚢」同様、なかなか進まないであろうことは、事前に申し上げておく。

耳嚢 有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事 / 積聚の事

「耳嚢」に「有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事」及び「積聚の事」を収載した。

 有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事

 

 或年、有德院(いうとくいん)樣御成の節、遙々隔(へだて)候樹の枝に鳶止り居けるを御覺じ、御弓を召寄(めしよせ)られ御意被遊けるが、鳶立けるに、立ける所を極められければ、唯中に當り鳶は川の内へ落ける故、何れも御射術を感心仕りしとかや。然るに同(おなじ)川通りに烏の止り居候を、御小性(おこしやう)の内見受、是はなを/\被遊よく侯半(さふらはん)、御弓差上べき哉(や)と伺ければ、かけ鳥抔(など)射るに都(すべ)て二度はならざるもの也、能心得よと、上意なりしとかや。同(おなじ)御代、御鷹野先にて御小人(おこびと)御筒(つつ)をかつぎ野間(のあひ)を徘徊せる所へ、御側廻り被召連(めしつれられ)被爲入(いらせられ)ける故、御小姓衆しつ/\と聲を懸ければ、右御小人驚(おどろき)、披(ひら)き候とて御筒の端を御顏へあてける故、御叱り被遊候處、御小姓衆立寄候得ば、誠に消入計(ばかり)に平伏し、身命(しんみやう)今に極りしと魂其身に不付、御小姓衆御咎めの儀相伺ければ、四方を御覧被遊、目付共は不居(ゐざる)やとの御尋に付、御近所には不罷在(まかりあらざる)段申し上ければ、然らば咎に不及との上意にて、御構(おかまひ)なきと、安藤霜臺(さうたい)乘興の物語、難有事と爰(ここ)に記(しるす)。

 

□やぶちゃん注

・「有德院」八代将軍徳川吉宗(貞享元(1684)年~寛延41751)年)の諡(おく)り名。

・「鳶」タカ目タカ科トビMilvus migrans

・「御小性」御小姓とも。武家の職名。扈従に由来する。江戸幕府にあっては若年寄配下で将軍身辺の雑用・警護を務めた。藩主付の者もこう称した。

・「かけ鳥」は「翔け鳥」で、飛んでいる鳥を射ることを言う。

・「御鷹野先」将軍が鷹狩りに行った先、の意。吉宗は鷹狩りを非常に好んだ。

・「御小人」小者。武家の職名。以下にあるように、将軍家の鉄砲を担いで付き従ったりする、極めて雑駁な仕事に従事した最下級の奉公人。

・「御側廻り被召連被爲入ける故、御小姓衆しつ/\と聲を懸ければ」これは、鷹狩りの際に、火縄銃(勿論、弾丸も込めていなければ着火しているわけでもない)の保守役である御小人が、手持ち無沙汰に辺りの一叢(むら)をぶらぶらしていたところが、まさかこちらに向かって来られるとは思っていなかった吉宗一行が急に鷹狩りで移動してきたのである。目障りであり、獲物も逃げるため、御小性たちが彼を俄かに叱って追い払おうとしたのである。

・「披き」身をかわす。避ける。

・「目付」武家の職名。江戸幕府では若年寄配下で、最高位の御目付はすべての旗本・御家人を監察・糾弾を職務とし、10名置かれた。その下に御徒士目附(おかちめつけ)及び御小人目附が複数配され、旗本よりも下の(お目見(めみえ)以下)者を観察した。ここでは御小人目附のこと。

・「安藤霜臺」(正徳4(1714)年~寛政4(1792)年)安藤郷右衛門(ごうえもん)惟要(これとし)。作事奉行・田安家家老・勘定奉行・大目付等を歴任している。「霜臺」とは弾正台の中国名で、本来は律令下の監察・警察機構を言ったが、戦国時代以降、多くの武家が武勇を示すその呼称を好み、自ら弾正家を呼称した。惟要は弾正少弼を称していたために、後輩友人である筆者は敬意を込めてこう称しているものと思われる。なお、底本では「安藤霜臺の物語」とあるだけであるが、話柄に臨場感が出る岩波版の「乗興」を正字で補った。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 有徳院様の弓術の格言の事 附有徳院様御仁心の事

 

 ある年、有徳院吉宗様がお出かけになられた際、遙か遠くの木の枝に鳶が止まっているのを目にされ、弓を持てと仰せられると、強く引き絞ってお狙い遊ばされたのだが――その瞬間、鳶は翔び去る――しかしまた、その翔び立った瞬間をお極めになられ――ひょうふつ! と、矢が放たれ――そうして、美事、鳶の体の真ん中に矢は当たって、鳶は川の中へと落ちた――それ故、周囲の誰もが、その神妙なる弓術の御技(みわざ)に感嘆し申し上げた、とか言うことであった。

 ところが、更にその折、同じ川の岸辺の木の枝に鴉がとまっておりましたのを、御小姓の内の一人が見つけ、

「これはまた、なおのことよき標的が御座いますれば、殿、再び御弓を差し上げましょうか?」

とお伺いを立てたところ、有徳院様は徐ろに、

「すばやき飛ぶ鳥なんどを射るに、総じて一度はうまくいっても、二度とは当たるものではない。よく心得置くがよいぞ。」

との御言葉であった、とか言うことであった。

 さてもまた、同じ頃のこと、有徳院様が鷹狩りにお出かけになられた先で、手持ち無沙汰な小者の者が、役目である上様の鉄砲を担いだまま、有徳院様のいらっしゃるところとは離れた野原辺りをぶらついておった、そこへ、豈図らんや、上様がお側廻りの者を引き連れになられ奔り入ってこられたため、お付の御小姓衆が、

「しっ! しっ!」

と人払いの声をかけた。――眼と鼻の先に上様が御立ちになっている――自分は急なことにただぼうっと鉄砲を持って立ち尽くしている――ここに、この小者は吃驚り仰天、畏れ多い上様の前から消えんがためにあせって身をお返し申そうとしたところが――何と手にした鉄砲の筒先を上様の御顔に当ててしもうた――勿論、上様御自身、この者をお叱り遊ばされたのであったが、御小姓衆は以ての外の一大事と小者の周りに立ち寄り押し合い、激しく責め立てられたので、小者は消え入らんばかりに地べたに這い蹲り、最早、身命この時に極まったと、魂も抜け落ちたようにがっくりしてしている。早速に、御小姓衆が声々にお咎めの儀に付、上様にお伺いをたてられたところ、上様は四方をお見渡し遊ばされ、

「目付どもはおらんか?」

とのお訊ねに付、御小姓の一人が、

「お近くには居りませぬ。」

由申し上げる。すると、

「然らば仕置きに及ばす。」

との鮮やかな御言葉、その場にて一切お構いなしとなったとのこと、これらは友人安藤霜台との談話の際、彼が興に乗って話してくれた物語である。徳院様の深い慈悲に満ち満ちた「仁」のお心の、この上もなく有難きこと故、ここに記しおくものである。

*   *   *

 積聚の事

 

 近き頃の事とかや。在邊に手習の師有ける、常に積聚(しやくじゆ)を愁て、死に至りて其子及び隨身(ずいじん)の弟子近隣の者を賴けるは、我死せば火葬いたし何卒腹中の積聚を打碎(くだき)給るべし、後來の人積を愁ふ助養(じよやう)手段にもならんと呉々(くれぐれ申置身まかりぬれば、遺言に任せその死骸を燒けるに、背中に一塊有。則積塊也とて、子弟其外共集りて、鐵鎚或は石を以打に聯も不碎、千術萬計なす共破れず。折節古老來りて其譯を尋、不審に思ひ、手に持たる杖を以突(つき)ければ、貳ツ三ツに破れける。皆々不審に思ひ、破れたるを集め石鐵鎚等にて打に、始のごとく聊も割れず。杖もてすれば微塵となる故、右杖は何の樹なりと尋るに、いたどりを以て造り候よし。虎杖(いたどり)は積を治する妙藥ならんと爰に記す。

 

□やぶちゃん注

・「積聚」岩波版では「癪聚」とする。さしこみのこと。漢方で、腹中に出来た腫瘤によって発生するとされた、激しい腹部痛を言う(本来はその腫瘤そのものの呼称であろう)。現在は殆んどの記載が胃痙攣に同定しているが、私は胆管結石や尿道結石及び女性の重度の生理通を含むものではあるまいかと思っている。識者の御教授を乞う。

・「虎杖(いたどり)」痛取とも。双子葉植物綱タデ目タデ科ソバカズラ属イタドリFallopia japonica(シノニム多数有)。タデ科の多年生植物で、別名スカンポ(同じタデ科スイバRumex acetosaもこう呼ぶので注意)。茎は中空で多数の節を持ち、構造的にはやや竹に似て、2~3m迄成長したものを乾燥させると極めて硬くなり、実際に老人の杖とする。漢方では天日乾燥させた根茎を虎杖根(こじょうこん)と呼称し、緩下・利尿薬として使用される。ウィキの「イタドリ」によれば、この「イタドリ(痛取)」とは『若葉を揉んで擦り傷などで出血した個所に当てると多少ながら止血効果があり、痛みも和らぐとされる。これが「イタドリ」という和名の由来』である、と記す。いずれにせよ、「積」=「癪」の効能は見当たらない。なお、このルビは珍しく底本にあるもの。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 癪聚の事

 

 最近の事とかいうことである。とある鄙(ひな)に手習いの師匠があったが、この男は常に激しい癪聚(しゃくじゅ)の症状に悩んでおり、さて、遂にその病篤くなって死ぬるという間際に、己が子・手習いの弟子及び近隣の者を呼び寄せて、依頼した。

「――私が死んだならば、通例の土葬に従わず火葬と致し、何卒、遺骸から腹中の癪聚を掻き出だいて、その腫瘤を打ち砕き給わらんことを望むもの――それは後代に癪聚に苦しむこととなる人々の介抱や治療の手だての一助ともなろうほどに――」

 とくれぐれも申し置くほどによろしく願い奉る、というものであった。そうこうするうちに、男は亡くなったので、遺言に従ってその遺体を焼いたところ、その遺骸の背に相当した辺りに確かな異様な塊が見つかった。

「これぞ、癪塊じゃ!」

 と子や弟子その他大勢集まって、鉄槌或いは石を以ってこれを打つも、全くもって少しも砕けぬ。あらゆる方法で打ち挟み押し潰さんとするもこれっぽちも欠けぬ。――そんなこんなで大騒ぎをしている、折柄、そこに土地の古老がやって来て、騒ぎの訳を尋ねた。老人は不審なこと思いつつも、はたと何かに思い当たった様子で、自身が手にしておった杖を以って、とん、とその塊を一突きした――すると、あっという間に塊が二つ三つに砕け散った――人々は手を変え品を変えてさんざんっぱら力を加えておったからではと不審に思い、その破片を集めて、再び石や鉄槌などで打ちすえたところが、始めと同じで、それでは一向に砕けなかった。ところが――杖を以って再び突くと破片は微塵に砕けてしまったので、ある者が、

「この杖は何の樹で出来ておる?」

と尋ねたところ、老人は、徐ろに、

「痛取で以って製したもんじゃ――」

とのことでった。

 一般には知られていないが、虎杖は癪聚を治す妙薬なのであろうと思われる話であるが故に、ここに記しいくものである。

2009/09/24

猫の眼月

僕が最近とっても気に入った一枚の知人の絵なんだ!――

僕はこの鼠なんだ!――

窮鼠猫を愛すって知らないか? 知らなきゃ、見れ!

Kc3h00391

ちょっと色編集してころん

Nekoto

 

 

 

 

  

 猫の眼月   尾形亀之助

嵐がやんで
大きくくぼんだ空に
低く 猫の眼のような月が出てゐる

私の靜物をぬすんでいつたのはお前にちがひない ――
嵐のあとを
お前がいくら猫の眼に化けても

お前に眼鏡をとられるようなことのないやうにさつきから用心してゐる

決めた 「和漢三才圖會」新開地

「和漢三才圖會」新開地――これしか、ないな……さて、何処でしょう? 今日から作業を始めたけれど、もう水族のころの鋭い読解を忘れてる僕がいた……気長に待ちな……フツウじゃないところ、怪しいところサ……

耳嚢 小野次郎右衛門遠流の事 附御免にて被召歸事

「耳嚢」に「小野次郎右衛門遠流の事 附御免にて被召歸事」を収載した。

 小野次郎右衛門遠流の事 附御免にて被召歸事

 世に烏滸(をこ)の者ありて兩國の處に看板を出し、劍術無雙の者なり、誰にても眞劍を以て立向ひ可申、縱令(たとひ)切殺さるゝとも不厭(いとはざる)由を記。都鄙(とひ)の見物夥し。右の者を切得ずして彼が木刀にて仕付られし者は門弟と成て、專ら評判有しを次郎右衞門聞及て、斯るゑせ者を天下の御膝下に置ん事言甲斐なし迚(とて)、門弟を引連見物に行、棧敷にて右ゑせ者のなせる業を見て門弟一同微笑しけるを、彼者聞て大に怒り、何條(なんでう)笑ひ給ふや、既に看板を出し誰にてもあれ眞劍を以試合可致上(いたすべきうへ)は、笑ひ給ふ心あらば是非立合申されよとのゝしりければ、傍輩の者申は、あの棧敷なるは、將軍家の御師範次郎右衞門也と押留けれ共、聊不相用。縱令御師範たり共と申止らざれば、次郎右衞門も右の通嘲られては武備の恥辱、無據(よんどころなく)下へおりて、然る上は立合可遣(つかはすべし)とて鐵扇を以(もつて)被立向(たちむかはるる)時、ゑせ者は淸眼にかまへ唯一討と切付し故、あはやと思ふ内ゑせものが眉間(みけん)は鐵扇を以被打碎、二言となく相果けると也。此趣大猷院樣御聞に入、師範たる行状にあらずとて、遠流被仰付けるとかや。其後、嶋にて畑(はた)ものゝ瓜西瓜を盜喰ふ曲者ありて、右を捕んと嶋中の者集りけれ共、大勢に手を負せ、瓜小屋に籠り右小屋廻りには西瓜瓜の皮を並べ、捕手の者込入る時は、右瓜の皮上に上り身體自由ならざるを以、多人數死傷に及びける故、次郎右衞門方へ嶋の者共罷越、何分捕へ給候樣相歎ければ、次郎右衞門麁忽(そこつ)にも輕々敷(しく)脇差追取(おつとり)駈行しを、瓜の皮にて足場不宜(よろしからざる)由傍より申けれど、耳にも不懸駈行、果して瓜の皮に上り仰向に倒ければ、待設けたる曲者拜み打に打懸しを、小野派にて神妙となせる太刀の通ひ、辷りながら拔拂ひ上へ拂ひけるに、曲者の兩腕ははたと落ちける故、直(ぢき)に付入召捕りけるとかや。此趣江戸表へ入御聽(おききにいり)、被召歸、即時に元の禄を被下けると也。扨も次郎右衞門被召出ける時、大猷院樣思召にも、彼は遠流(をんる)にて暫く劍術の修行可怠、上(うへ)には日々夜々御修行の儀故、次郎右衞門と御立合御覧有べき思召にて、毛氈を敷、木刀を組合せ、いざ次郎右衛門可立合との上意也。次郎右衞門は謹て毛氈の端に手を付居たりけるを、上には唯一打と御振上げ御聲を懸られける時、毛氈の端を取、跡へ引ける故、上には後ろへ御ころび被遊ける。仍て、大猷院樣御信仰、一刀流御修行被爲在(あらせられ)けると也。

□やぶちゃん注

・「小野次郎右衛門」前項「小野次郎右衛門出世の事」本文及び注参照されたいが、この記事は、少なくとも遠島以降の話は事実に反する。

・「見物に行、棧敷にて」という描写から、これは道場ではなく、露天の見世物風のものででもあったか。道場を構えていたならば、もう少しそのような描写がなされようという気がする。私は一貫してそのようなシークエンスとして訳してみた。

・「武備」底本には右に「(武家カ)」の注を記す。

・「淸眼」底本には「淸」の右に「正」の注を記す。

・「大猷院樣」:三大将軍徳川家光(慶長9(1604)年~慶安4(1651)年)の諡(おく)り名。

・「瓜小屋」:瓜畑の農機具を置き、収穫した瓜を保存する小屋であろう。余りに小さいとシーンとして生きてこない。瓜の皮を敷き並べられる程に、内部に瓜や西瓜を保管出来るスペースの小屋と考えるべきであろう。

・「脇差追取」この「追取」は「押つ取り」で「押つ取り刀」=「おっとり刀」の意であろう。危急の際、刀を腰に差さずに手で持って行くことを言う。

・「西瓜瓜」底本には右に「(ママ)」の注を記す。「瓜西瓜」の衍字。

・「小野派」狭義には、小野忠明の子の小野忠常が継承した系統の一刀流剣術の一派を言う。一般的には小野派一刀流と呼称されるが、忠明自身、小野派一刀流なる呼称を用いておらず、後に小野派一刀流又はその傍系と目される流派群の開祖も忠明の師である伊東一刀斎である。

・「大猷院樣思召にも、彼は遠流にて暫く劍術の修行可怠、上には日々夜々御修行の儀故、次郎右衞門と御立合御覧有べき思召にて」は、「大猷院樣思し召しにも、『彼は遠流にて暫く劍術の修行怠るべし、上には日々夜々御修行の儀故、次郎右衞門と御立合御覧有べき。』てふ思し召しにて」の意で、心内語には自敬表現が多用されている。訳では自敬部分は廃した。また、この心内語の前後に「思召にも……思召にて」と重複するのは、口碑伝承に特徴的なものではあるが、逆に「家光の思いの中には……といった思いようがあったようで」という婉曲表現の現われともとれる。私はそのように訳してみた。

■やぶちゃん現代語訳

 小野次郎右衛門遠流の事 附御赦免にて召し帰された事

 世間にはとんでもない虚(うつ)け者があるものである。両国辺りで、

――剣術無双の者これに在り。誰なりと真剣にて立ち合ひ申し、たとえ我斬り殺されんとも厭わず――

と記した看板を掲げて他流試合をしていた。江戸はもとより近隣の田舎からも毎日夥しい数の見物人がやってくる。飛び入りで立ち合いをし、この男を斬り得ず、逆に男の持った木刀で打ちのめされた者はその門弟となる、その数もみるみる増えておると、専らの評判となっておった。

 さて、将軍家剣術指南役小野次郎右衛門がその噂を聞くに及び、

「かかる似非(えせ)者を天下の御膝元にのさばらせておくこと、言い様もなく忌々(ゆゆ)しきことじゃ。」

と、門弟を引き連れて見物に行き、見物人の多さに設えられた桟敷から、この似非者のなす駄技を見て、門弟一同せせら笑いを浮かべておったところ、かの虚けがそれを聞き知ってひどく憤り、

「なにを以って笑うか! あの通り看板を出(いだ)し、誰(たれ)にてもあれ真剣を以って試合致さんと言うておる上は、お笑いになる心あらば、是非、我と立ち合いせられい!」

と大声を挙げて騒いだ。ところが、周囲にいた彼の門弟の一人が、桟敷を見て、慌てて申し上げる。

「先生、あの桟敷にいるのは、将軍家の御師範、次郎右衛門でげす。」

と押し留めたが、全く以って言うことをきかない。

「たとえ御師範であろうが!」

と、「勝負! 勝負!」の一点張り、罵詈雑言も飛び出(いだ)いて止む気配もない。次郎右衛門も流石に、

「かくの如く嘲られては武門の恥――」

致し方なしとて、桟敷を下りて、

「かくなる上は立ち合い仕ろう――」

と、懐より出いた鉄扇を手に立ち向かうその時、虚けは正眼に構え、ただ一振りにばっと斬りつけた故、会衆、皆、あわや! と思うたその瞬間、既に虚けの眉間は小野が先に突き出いた鉄扇にて美事打ち砕かれており、虚けは、うっ、と言うたままに二言もなく、生き絶えておったということである。

 この出来事が大猷院家光様のお耳に入り、

「師範たる者の行いにもあらず。」

とのご勘気を被って遠島仰せ付けられたということであった。

 さて、その後(のち)、次郎右衛門が流された島での出来事である。

 ある時、畑に植えていた瓜や西瓜を盗む曲者がおって、右の者を捕らえんと島中の百姓どもが集ったが、曲者は大勢の者に手傷を負わせた上、瓜小屋に立て籠もって、更に小屋の周囲には生の西瓜や瓜の皮を多量に並べた。捕り手の者が押し込まんとする時は、この敷き並べた皮で足が滑り、ずるずるぬらぬらとして、体が思うように動かせない中、曲者に襲われて、またしても多数の死傷者が出るというていたらく故に、次郎右衛門方に百姓どもがやって来て、

「何とか曲者をお捕え下さいませ。」

とひどく困窮致し嘆きおるので、次郎右衛門は、己が軽はずみな行いからここに流されたことも忘れ、軽率にも気軽に脇差をひっ摑んでおっとり刀で百姓どもを尻目に真っ先に駆けて行く、百姓の一人が、

「瓜の皮で足場が悪うございますよ!」

の由、お側に駆け寄って言ったものの、次郎右衛門は何を言うやら気にもかけず、逸散に瓜小屋まで駆け行く、と、いや、果たして瓜の皮に滑って仰向けに倒れたところ、小屋内で待ちに待ってしびれをきらしておった曲者は、文字通り、待ってましたとばかり、大上段に振りかぶって余裕の一太刀を振り下ろす――と、ところが、現在も小野派一刀流にあって「神妙」と名付ける伝説的な太刀筋の通り、滑りながら手にした脇差を抜き払うたかと見るや、同時に上へと払う――と、曲者の両腕は、はたりと落ちた――故に、じきに曲者はめし捕えられた、ということであった。

 今度は、この出来事が江戸表へ伝わり、再び大猷院様のお耳に入るや、即座に御赦免にてお召し帰しになられ、次郎右衛門帰るや即刻、元のままの禄を下賜された、とかいうことである。

 さても、その次郎右衛門が帰参後、初めて大猷院様の御前に召され、まかり出でた折のこと、大猷院様は、

『彼は遠流となり、久しく剣術の修行を怠っておったに違いない。我に於いては日夜修行に励んでおった故に、一つ次郎右衛門と立ち合い、目に物を見せてやるに若くはなし。』

とお思いにでもなられたのであろう、お庭先に毛氈を敷き、その中央には二本の木太刀を組み合わせて配し、

「いざ、次郎右衛門、我に立ち合うべし!」

との御沙汰を下された。

 次郎右衛門は登城すると、そのお庭先の毛氈の敷物の、その端に手をついて、毛氈の外に座っていた――のだが、すっと現れた上様は、木刀をお取りになると、ものも言わず、ずずいと次郎右衛門方へと近寄り、ただ一打ちにせんと木刀を振り上げ、気合一声!――その瞬間、次郎右衛門は敷物の端を手に取ると、ぐいと後ろへ引いた――上様は美事、ずでんと後ろへお転び遊ばされたのじゃった――。

 これより、大猷院様はいよいよ小野次郎右衛門を尊崇され、一刀流御修行に専心されるようになられた、とのことである。

2009/09/23

耳嚢 小野次郎右衛門出世の事 附伊藤一刀齋の事

「耳嚢」に「小野次郎右衛門出世の事 附伊藤一刀齋の事」を収載した。

 小野次郎右衛門出身の事 伊藤一刀が事

 伊藤一刀齋劍術弘めんと諸國修行せし折柄、淀の夜船にて大坂へ下りける。右船頭は力量勝れたる者にて、一刀齋木刀をたづさへたるを見て、御身は劍術にても修行し給ふや、劍術は人に勝道理なるべければ、我等が力にて普く劍術の達人にても叶ふべしとは思はず。手合致さるべくやといふ。一刀齋樣子を見るに、飽まで強剛に見へければ、如何とは思ひしが、迚(とて)も劍術修行に出、縱令(たとひ)命を果すとも辭退せんも本意(ほい)なしと、互に死を約束し陸にあがりけるが、船頭は械(かい)を片手に持て拜み打に一刀齋を打けるを、身をひらきはづしければ、力の餘りけるにや大地へ械を打込、引拔んとせし處を、木刀を以械を打落し諸手を押ければ、船頭閉口して弟子と成、隨身(ずいじん)し諸國を歩行(あるき)けるが、元來力量勝れし故、國々に於て立合の節も一刀齋は手を下さず、多分は右の者立合、いづれも閉口して門弟と成者も多しとかや。然れ共元來下賤の者にて、其上心ざま直(すぐ)ならざりし故、一刀常に閉口しけるを遺恨に思ひ侯と見へ、立合には叶はねど、夜陰旅泊りにて一刀齋が眠(ねむる)を見得ては付ねらひし事數度(すど)なれ共、一刀齋身の用心透間(すきま)なければ、空敷(むなしく)供して江戸表へ出けるとなり。然るに、將軍家より一刀齋を被召けれ共、同人儀は諸國修行の望(のぞみ)有之由(これあるよし)を以、御斷申上、門弟の内を御尋有ければ、小野次郎右衞門を吹擧(すいきよ)ありて、可被召出(めしいださるべき)に極(きはま)りける時、彼船頭大に恨み、我は最初より一刀齋に隨ひ倶に流儀を弘(ひろむ)る功有、此度、將軍家の御召に末弟の次郎右衞門を吹擧の事心外なり、辿も生て益なし、次郎右衞門と眞劍の試合を以生死を定度(たき)旨申ければ、一刀齋答て曰、其方儀最初より隨身の者なれ共、是迄度々我を付ねらふ事覺へあるべし、今生置(いかしおき)しは甚の恩德也、しかし次郎右衞門と生死を爭んは望に任すべし迚、次郎右衞門を呼て委細の譯(わけ)申談(まうしだんじ)、勝負可致旨申渡、頓(やが)て次郎右衞門へ傳授の太刀を免(ゆる)しければ、則(すなはち)立合の上、次郎右衞門が一刀の下に船頭露と消にけり。扨次郎右衞門は被召出て、尚又牢内に罪有劍術者を撰(えらま)れ、立合被仰付、是又次郎右衞門が妙術を顯しければ、千石にて被召出廿るとなり。

□やぶちゃん注
・「附」は「つけたり」と読み、合わせてとか追加しての意。以下、多出するが注は省略する。

・「小野次郎右衛門」小野忠明(永禄121569)年又は永禄81565)年~寛永51628))のこと。将軍家指南役。安房国生。仕えていた里見家から出奔して剣術修行の諸国行脚途中、伊藤一刀斎に出会い弟子入り、後にここに登場する兄弟子善鬼を打ち破り、一刀斎から一刀流の継承者と認められたとされる。以下、ウィキの「小野忠明」によれば、二文禄21593)年に徳川家に仕官、徳川秀忠付となり、柳生新陰流と並ぶ将軍家剣術指南役となったが、この時、それまでの神子上典膳吉明という名を小野次郎右衛門に改名した。慶長51600)年の関ヶ原の戦いでは秀忠の上田城攻めで活躍、「上田の七本槍」と称せられたが、忠明は『生来高慢不遜であったといわれ、同僚との諍いが常に絶えず、一説では、手合わせを求められた大藩の家臣の両腕を木刀で回復不能にまで打ち砕いたと言われ、遂に秀忠の怒りを買って大坂の陣の後、閉門処分に処せられた』とある。但し、底本の鈴木氏補注では、この記事の小野次郎右衛門・伊東一刀斎・将軍の人物には齟齬があることを指摘されており、この伊東一刀斎を召し出そうとした将軍が『家光を指すのであれば、家光に仕えたのは忠明の子忠常(寛文五年没)で』あるとし、更に、本文にあるように『小野家が千石を領した事実は、子孫にいたるまで』見られないとする。おまけに『忠常は家光の御前でしばしば剣技をお目にかけたが、その剣術は父から学』んだものであって、小野忠常自身は『一刀斎の門人ではない。』と記された上、『この種の武勇譚では』、話者も読者も話柄の武勇談自体の力学が肝心なのであって、『史実と矛盾する点はあっても看過され不問に付されることが多い。』といった主旨の注釈をしておられる。

・「伊藤一刀齋」(生没年不詳 「伊東」とも)一刀流剣術の祖でもある。底本の鈴木棠三氏の補注によれば、彼は寛永9(1632)年の家光の御前試合に召されたが、既に伊藤一刀斎は90歳を越えていたとする。

・「械」底本では横の「(櫂)」と注する。「械」は確かに音では「カイ」であるが(櫂の「かい」は訓)、全くの誤字。「械」は「かせ」で、刑具の手かせ足かせのことである。

・「今生置しは」岩波文庫版では「今迄生置(いけおき)しは」とある。

■やぶちゃん現代語訳

 小野次郎右衛門出世の事 伊藤一刀斎の事

 伊藤一刀斎が己が剣術の流儀を広めんがために諸国行脚をしていた折、淀の夜船に乗って大阪へ下ったことがあった。この夜船の船頭、相当な腕力の持ち主で、一刀斎が木刀を携えているのを見ると、

「貴殿は剣術でも修行しておられるんか? 剣術とは必ず人に勝つことを道理とするものであろうがほどに、――されど、儂の腕力(うでじから)には、如何なる剣術の達人だろうと、かなわねえと思うねえ。――さても、どうじゃ、一つ、お手合わせなさって見るかね?」

と言う。

 それを聞いた一刀斎が男の様子を伺い見るに、いや、言うに劣らぬ強者(つわもの)に見えはし、その傲岸な物言いにも思うところがあったので、市井の者でもあり、如何したものかとも思ったが、

「そも、剣術修行に出でた身にありながら、たとえ命を落とすとも、誰(たれ)彼とて、挑まれた勝負を辞退するは本意にあらず。」

と言上げして、二人して死をも約定(やくじょう)致し、陸(おか)に上がったのであった。

 船頭は櫂を片手に持つと、そのままさっと振り上げ、拝み打ちに一刀斎へと打ち込む――が、一刀斎は風のようにひらりと身をかわすと難なくその一太刀を外す――と、船頭は力余ってずぶりと深く櫂を地に打ち込む――と、それを引き抜かんとするころを、一刀斎はぱーんと木刀で櫂を打ち落とすと同時に、返すその木刀にて船頭の両腕をぐいと押さえた――そこで船頭は降参――爾来、この船頭は一刀斎の弟子となって同行二人、諸国を行脚することとった。

 さてもこの男、生来、優れた臂力と才能の持ち主であった故に、諸国に於いての立ち合いの際にも、一刀斎は手を下すことなく、概ね、この男が師匠に代わって試合を受け、その勝負、いずれも相手は降参して、そのまま一刀斎門弟となった者も多かったということで御座る。

 されど、この男、生来、身分卑しく、加えて、その性根も腐りきった人物であった。

 不遜にも、かの大阪で一刀斎に降参したことを内心、ずっと遺恨に思うておったものと見え、流石に一対一の立ち合いではかなわない故、夜陰野宿や旅籠(はたご)に泊った折りなどには、一刀斎が眠るのを覗き見て待ち、隙を突いて狙わんとせしこと、度々であったが、一刀斎の用心には聊かの隙もなかったため、空しく供して江戸表へ出るに至った、ということである。

 ところが、この折、将軍家より一刀斎召し抱えの儀、お声がかかったのであったが、一刀斎儀は、諸国修行を続くる望みこれある由を以ってお断り申し上げた。すると、なれば門弟の内には如何とのお訊ねがあったところ、一刀斎は迷わず小野次郎右衛門を推挙し、そのまま小野次郎右衛門の召し抱えが決した。その時、かの船頭は大いに恨んで、

「儂はいの一番に一刀斎に従って、一緒に一刀流の流儀を広めた功績があるんだ。今回、将軍家召し抱えに、あろうことか末(すえ)の弟子の、あの次郎右衛門なんぞを推挙した事、心外の極みじゃ! とても今日只今、生きておる甲斐もないわ! 次郎右衛門との真剣勝負を以って生死を決せんと望まん!」

と一刀斎に詰め寄ったところ、一刀斎は答えて曰く、

「お主は確かに最初より随行の者なれど、これまで度々我が命をつけ狙ろうてきたこと、覚えがあろうほどに。今生(こんじょう)までお主を生かいておいたは、無上の慈悲じゃて。なれど、次郎右衛門と生死を決せんとするは、その望みに任せよう。」

と、次郎右衛門を呼び、事を談じた上、この兄弟子と勝負致すべき旨申し渡し、その場にて一刀斎秘伝の奥義一太刀の技を伝授した。

 さればこそ、二人の立合い――それは一瞬にして終わった。次郎右衛門の一閃の下(もと)に船頭の命は、露と消えたのであった。

 さて、次郎右衛門は召抱えられると、将軍はすぐにまた、当時、牢内に囚われていたあまたの剣術者の中からこれぞという兵(つわもの)をお選びになられ、その者たちとの立合いを仰せつけられたのであったが、これもまた、次郎右衛門は妙技を示して、悉く楽々と勝利を得た故に、何と一千石で召抱えが決まった、ということである。

2009/09/22

母を亡くされたあなた方へ

今日の最後に――

くしくも先日前後して二人の知人の御母堂が亡くなられた――

僕は何もあなた方にしては上げられぬ――

せめて僕からあなた方のお母さんへ村上昭夫の「お母さん」を捧げよう――

*   *   *

   お母さん   村上昭夫

お母さん
海の音を聞かして下さい
海の貝殻の音を
母という名を聞かして下さい

私は思い出す
二億年ばかり前のこと
あなたが二億年変わらない海だった日を
ひろびろと広がるあなたのなかに
可憐な三葉虫の姿が
奇蹟のように生まれていた日のことを

私は思い出す
それからの火や泥の世界のことを
試みられていた愛のつぶつぶが
氷河よりも固く凍ってしまった
永い暗かった時間のことを

お母さん
その時あなたのなかに鳴り続けた
小さな貝殻の終わりのない音が
どんなにやさしくて強かったか
今日も波が寄せています
とても永かったあなたの疲労のように
貝殻がさやさや鳴っています

お母さん
あなたの音を聞かして下さい
あなたの白い貝殻の音を
静かに聞かして下さい

耳嚢 下風道二齋が事

どうもちゃちな洒落の狂歌では、花が、ない。一槍の舞いの花を添えて、今日のテクストの終わりとする。

「耳嚢」に「下風道二齋が事」を追加した。

 下風道二齋が事

 

 道二齋は寶藏院の末弟子にて、鎗術修練、大猷院(だいいふゐん)樣の達御聽に、被爲召(めさせられ)於御前に、其此浪人にて素鑓(すやり)の達人一同に試合被仰付候節、御前にての儀故、高股立(たかももだち)并に懸聲等制止の儀御側向より沙汰有之、双方畏候旨にて立合故、勝負に望て、素鎗の浪人は右制止に隨ひ、道二齋は高股立にて懸聲も十分にいたしける故、御近邊より時々制止有之候得共不相用、難なく道二齋勝に成ければ、跡にて右制止を不用譯御尋有しに、道二齋愼で、御尋の趣御尤に奉存候。隨分共相愼み候存心(ぞんしん)には候得共、勝負に望みてはやはり稽古の心にて十分に藝を盡し、御前をも不恐樣に相成、制止を不用には無之、右不屆を以如何樣被仰付侯共是非に及び不申趣御答におよびければ、大猷院樣にも尤に被思召、殊の外御賞美にて、下風は名人の由上意有て御褒美被下けると也。

 

□やぶちゃん注

・「下風道二齋」は「おろしだうにさい」と読む。下石(おろし)平右衛門三正。始め山田瀬兵衛と称して宝蔵院流二世胤舜(いんしゅん)に鎌鎗術を学ぶ。松平家に仕えた後、江戸に出て下石道二と称し、無敗の鎗術師として知られた。槍術であってみれば、槍遣い際のブウンブンという音から「下風」とも名乗ったのであろうか。

・「寶藏院」江戸前期の僧にして武道家であった胤舜(天正171589)年~正保5(1648)年)のこと。奈良興福寺の子院宝蔵院の院主であったからこう言う。宝蔵院流槍術の十文字鎌槍の完成者。宮本武蔵との手合せでも知られる。

・「大猷院」三大将軍徳川家光(慶長9(1604)年~慶安4(1651)年)の諡(おく)り名。

・「達御聽に」は「御聽(おきき)に達し」と読む。

・「於御前に」は「御前に於て」と読む。

・「素鑓」槍の穂先が真っ直ぐな通常の槍。穂の形状により十文字槍・鎌槍等の別種がある。

・「高股立」動きやすくするために袴の股立ちを高く取って素足をむき出しにすること。また、その姿を言う。

・「御側向」は「おそばむき」と読む。将軍の側近、近習。

・「存心」心中に正しく正に思うところ。考え。

・「是非に及び不申趣」の後半は「申さざる趣(おもむき)」と読み、「異義は御座らぬという趣旨の」という意。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 下風道二斎のこと 

 

 道二斎は、かの槍術の祖、宝蔵院胤舜の最後の弟子であって、その槍術の修練の神技が、大猷院家光様のお耳に達して、御前に召され、当時、素槍の達人の呼び名が高かった浪人達なども一同に会し、試合の儀を仰せ付けられた。

 さて、御前のこと故、高股立ちや掛け声など下品なる振る舞いは禁ずる旨、事前に御近習からお達しがあって、対戦する双方共に畏まって承知の上、立ち合いの段となった。

 ところが、勝負が始まると、相手の浪人は先の禁に従って粛々とにじり寄ったが、道二斎はといえば、ざっと袴の裾を高くからげるや、遠慮会釈ないたっぷりとした大音声(だいおんじょう)を挙げて闘う始末。ために、大猷院様御付の者達が度々制止致いたが、道二斎は何処吹く風、あっという間に、難なく道二斎の勝ちと相い成った。

 さて、試合の後、御近習の者を介して大猷院様より、何故に制止に従わざる、とのお尋ねがあった。すると道二斎は、畏まって平伏すると、

「お尋ねの儀、尤も至極と存じ上げ奉りまする。拙者も勿論、随分、お達し従い、慎み致さんとの誠心は御座ったのではありまするが、事、勝負に臨んでは、やはり、平素の稽古の一期一会の心を大切に致し、技芸の力を十全に尽くさんと致せし故に、御前であることをも恐れざるように相い成り申した。――方々の制止は聞き入れなかったのでは御座なく、その声も最早、耳に入らざればこその仕儀。――この度のこの不届き、如何様(よう)の御仕置仰せ付けられ候とも、是非に及ばず。」

との大猷院様へのお答えに及べば、大猷院様は、

「尤もなること。」

と思し召しになられ、殊の外、お褒め遊ばされた上に、

「下風(おろし)は正に名人なり!」

との上意のお言葉と共に褒賞を下賜された、とのことである。

短い話しながら、名人の槍が撓る音、そして溌溂とした大音声(だいおんじょう)が、聴こえてくるではないか――

根岸鎭衛「耳嚢」10巻1000条全テクスト化全やぶちゃん訳注プロジェクト始動 禪氣狂歌の事

「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に、正字正仮名に基づく根岸鎭衛の「耳嚢」の「巻之一」の頁を創設、これより10巻1000話のプロジェクトを開始する。勿論、オリジナルのやぶちゃん注及びやぶちゃんの現代語訳附きである。まずは「禪氣狂歌の事」を公開した。

 禪氣狂歌の事

 

 芝邊に柳屋何某(なにがし)といへる打物商せる者有しが、禪學を好み家業の間には專ら修業し侍るよし。或日遍參の僧柳屋が見世に來て、並べ有し打物をあれ是見て、一ツの毛拔を手に取りて、此毛ぬきはくふべきやと尋ければ、柳や憤りけるや又は禪僧故兼て嗜む禪氣にや、答て、其毛拔本來空と有ければ、流石禪僧言下に、

  空ならばたゞ紅ゐのはな毛拔柳が見せは見取也けり

と一首の狂歌を詠じ、右毛抜を持立去りけるとなん。

 

□やぶちゃん注

・禪氣狂歌:禅僧が修行者等に対して放つ、独特の鋭い一言や悟達を促すための動作を「禅機」と称し、禅の無我の自在な境地から出る働きを言うが、ここはそれに引っ掛けて、禅機染みた、禅の好事家らしい味な狂歌一首の意。

・芝:現在の東京都港区。当時は豊島郡柴村。

・打物商:金属を打ち鍛えたり延ばしたりして作った刃物や金物を商売した店。

・くふ:しっかりと間に挟む。

・本來空:禅家の核心概念で、先の禅機や公案の常套句の一つである。万物の実質・実在等といったものはもともとマテリアルな実態把握の可能ものではない、一切空である、の意。勿論、「空」は毛を「くう」(食う・喰う)に掛けてある。

・空ならばたゞ紅ゐのはな毛拔柳が見せは見取也けり:「花は紅柳は緑」といった語句は、あるがままに存在し、そのために在るといった意味でやはり禅家の公案等で好まれる語である。ここはその「紅の花」に、「ただ(で)くれ」る「はな(毛抜き)」の意を、更に「緑」=「みとり」を、「柳」屋の店先で「見取り」=「自由に品物を見て好きなものを選び取る」の意に掛けてある。

やぶちゃんの解釈:総ては空だと、言うのであらば、タダで呉れりょう、鼻毛抜き。柳は緑、店は見取り――ああら、あらあら、めでたやな!

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 禅臭芬々たる狂歌の事

 

 芝の辺りに柳屋何某といった金物商いを生業(なりわい)とする者があったが、その柳屋何某という主人、これが商人にも似合わず禅を齧ることを甚だ好み、家業の合間には専ら禅の書を読み耽り、実際に座禅なども致しておったようで御座る。

 さて、ある日のこと、一人の行脚の禅僧が、この柳屋の店先にやって参り、店頭に並べてあった打ち金物をさんざんぱら見た上、仕舞いには、一本の毛抜きを手に取ると、

「この毛抜きは、ちゃんとくうんかね?」

と訊ねた。柳屋は商売物にさんざん手油を付けられた上に、商品にケチを付けられたと思って怒ったのか、はたまた、相手を傲岸な禅僧と見て取り、兼ねてより嗜んでおる禅の機をそこに見出したのか、すかさず答えて、

「その毛抜き、本来、空!」

とやらかしたところ、流石、禅僧、たちどころに、

空ならばただくれないのはな毛抜き柳がみせは見取りなりけり

という一首の狂歌を吟じると、その毛抜きを手にしたまま悠然と立ち去ってしまった、ということで御座る。

後3ヶ月。元日の約束を守らねばならぬ。……しかし、花火は上げたものの花が、ないな……1000里の道も一歩からとは言うものの……しかし、余りに路は遠い……

……いや、まだ始めなければならないものがある。「和漢三才圖會」のどこかの始動、だ……さて、何処にしよう?……

2009/09/21

絶対に演じることは出来ないが故に演じてみたい役というものがある

――芝居をやったことのある者なら、必ず秘かに、絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい役というものが、ある――

――僕は――思い出せば、その最初は中学生に遡る。その頃に見た、あのローレンス・オリビエの映画「ハムレット」の、ハムレット、であった。そうである。あの近代的知識人としての画期的に内省的な、あの、かっちょいい「オリビエのハムレット」、を演じてみたいと思ったのである。そのためには「オリビエ自身」でなくてはならないのだ――オリビエとなってハムレットを演じること――それは実際に「シチーグロフ郡のハムレット」として生きることよりも遙かに魅力的である――僕の「絶対に演じることが出来ないが故に演じてみたい」という謂いが、お分かり頂けるだろう――

――後は――そう、タルコフスキイの「惑星ソラリス」のクリスだ。いや、ロシア語どころかあの撮影の頃、僕はまだ中学生だ。ビデオ回想シーンのクリスの息子時代の役ぐらいしか出来ない(あれはクリス役のドナタス・バニオニスの実の息子が演じていて、当たり前のようによく似ている)。本当は冷徹な内的変態であるサルトリウスをやりたいが、演じているアナトーリ・ソロニーツィンはタルコフスキイ組で絶対無理だから、役を降ろされそうになったドナタスしか、ないのだ――タルコフスキイの映画に端役としてでも出演して夭折すること――それは愚劣な人生を生きることよりも遙かに魅力的である――おまけに相方ハリー役のナタリア・ボンダルチュクはチョー魅力的だしね――遺憾ながら彼女の現在の写真だけは見ない方がよいことだけは付け加えておこう――

――閑話休題。実は僕がやりたいがやれない役の話をここで持ち出したのは――ほかでもない――その役は、今日、リニューアルした芥川龍之介の「淺草公園」の、あの少年の役、なのだ――僕は抱きしめたくなるくらい、この少年が愛しい。そうして僕は、この少年の役をやりたくて、やりたくて仕方がないのである――

――因みに僕はもう、自身の台詞の記憶力のなさに絶望的になっており、この右手の不具合も、演技者としては致命的である――しかし――しかし、それでもやってみたい役は、実は一つだけ、ある――それは正しく今のこの老いさらばえ、身体もぼろぼろの僕に相応しい――台詞も長台詞の殆んどは録音テープだしな――サミュエル・ベケットの――「クラップ最後のテープ」――なのである――

――クラップ――69歳の誕生日――独身にして老人ボケにしてアル中にしてインポテンツ(バナナを銜えるのはその暗示であろう)――彼は若い時から自分の誕生日になると、過ぎた一年を回顧して小型のリール・テープへメッセージを吹き込むことを習慣としていた。老いさらばえた薄汚いクラップは、薄汚れた自分の部屋で、30年前のテープを引っ張り出して聴く。そこで生臭い精液の匂いをプンプンさせる若き日の自分自身の自信に満ちた、希望と傲慢に満ち満ちた饒舌――しかし、今のクラップはもうその饒舌を自分自身が語ったことさえも――分からなくなっているのである――断絶するクラップとクラップ――断ち切れた現在と過去――前衛劇・不条理演劇の神様、あの「ゴドーを待ちながら」のアイルランドのベケットの、僕が1歳の時、1958年に初演された一人芝居である――

手ヲ食ハレル! (グロ注意!)

ノシャップ寒流水族館でドクター・フィッシュ!

このルー大柴的響きを伴ったキッチュな出逢いに乾杯!

Df1

Df2

食われている手は

はい、僕の手です!

 

○コイ目コイ科ラベオ亜科ガラ属ガラ・ルファGarra rufa

“Doctor fish”はガラ・ルファの通称で、何とこの名前は株式会社エコマネジメントの登録商標(!)である。トルコ南部・イラン・イラク・シリア北部・ヨルダン・レバノン周辺の西アジア地域の河川に分布。
全長10cm~14cm。自然界にあっては、幼魚は群れで生活するが、♂は成長すると縄張りを持つようになり、多少攻撃的な性質を帯びるようになる。通常は約20から25℃前後の水温を持つ河川や池沼に生息するが、37℃という高温域でも生息可能なため(普通の魚類は28℃が限界)、トルコなどでは温泉中にも見出せる(私も実際にトルコの保養地でセラピー用の温泉タブで実見した)。摂餌時には活発に動き回るが、普段は石などの上や岩陰に凝っとしていることが多い。雑食性で、珪藻・植物性プランクトン・動物性プランクトンを常食する。口吻部分が吸盤状になっており、岩石等に付着した藻類を舐め取るように摂餌したり、底性の微生物及び昆虫類の幼虫等のベントスを吸引する。卵生で水草や苔を産卵床として直径2~3㎜の卵を産む。孵化に要する期間は水温により異なるが、25℃前後の水温では概ね3~5日程で5㎜前後の稚魚に孵化する。寿命は約7年で、人の角質を舐め取る行動は警戒心の少ない生後2ヶ月から2年半程度迄と考えられる。近年、この習性が世界的に知られるようになり、アトピー性皮膚炎・乾癬等の皮膚病の治療効果が期待されて「ドクターフィッシュ」の通称で知られる。既にドイツでは本種による皮膚科治療に対して正式な医療行為として保険適用が認められてもいる。但し、ヒトの角質を食べる行動は高温の温泉水では餌となる生物があまり生息しないからと考えられており、通常の餌が豊富にある環境下ではこのような行動は殆んど見られないという(ということはノシャップ寒流水族館では飢えさせてるの?)。近年、日本でも皮膚病の治療効果が注目されており、一部の入浴施設等では「フィッシュ・セラピー」として、サービスが提供されており、温泉成分とは無関係に本邦の水道水の本種でもその皮膚治療効果があると、「ドクター・フィッシュ」を登録商標とする「株式会社エコマネジメント」のサイトの内には記載がある。

(以上はウィキペデイアの「ドクター・フィッシュ」及び「ドクター・フィッシュ」を登録商標とする「株式会社エコマネジメント」のサイトの記載を参照した)。

もう一本如何? 又は 絵コンテ募集

芥川龍之介監督作品「誘惑」は如何でしたか?

もしよければ、もう一本芥川龍之介の映画を御覧なさい。決して、退屈ではありません。

「淺草公園――或シナリオ――」

先程、今回の「誘惑」公開に合はせて、スクリプトやページを変更、誤字の訂正も行ひました……ほら、上演時間を知らせるベルが鳴つてゐます……

――教え子の美術系や絵心のある誰でもよい、この二本の映画の全絵コンテを描いて見ないか? 買取で、それなりの手間賃は出すぞ。作品は僕のテクストの脇に嵌め込む。素敵だと思うがなあ……

芥川龍之介 誘惑――或シナリオ――

芥川龍之介「誘惑――或シナリオ――」に注を附し、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。以前からアップしたいテクストであった。

私は本篇を自分の中で以前から勝手に

芥川龍之介画「聖セバスチャンの誘惑」

又は

芥川龍之介監督作品「メフィストファレスと聖セバスチャン」

又は

芥川龍之介脚本「聖セバスチャンの信仰と殉教」

という副題で呼んでいる。

いや、私はこれを

モンタージュの名手エイゼンシュタイン

映像詩人タルコフスキイ

そして

不条理の魔術師アラン・レネ

の三人それぞれに映画化してもらいたいと、本気で思っているのである。

2009/09/20

無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクス

昨日、両親の敬老に藤沢の中華料理を昼食に予約した。バスの徒然にと手にとったのは、妻の文庫本で、池内紀「作家の生きかた」(2007年3月集英社文庫)。出掛けに本棚に見つけて、ぱらぱらめくって見たら「妬み 芥川龍之介」という一章、「澄江堂遺珠」を引用したのが目に入ったので持って出た。

大型連休で藤沢~渡内線はひどく混んでいる。…………

…………「徒然に」読む積りが、ものの十数分後にはそこを読み終わって見て、まずは激しい憤りを発したのである。

――池内紀よ! とんでもない間違いだ!

――片山廣子の夫は医者なんかじゃない! 日本銀行理事だ!

――10000歩譲ってあんたの間違いに目をつぶっても、その後の「いとしい」廣子「は、夜ごと、この馬づら」の夫と「とともに寝て」、なんかいないのだ!

――何故かって? あんたの言う通り、「大正十三年(一九二四)七月、芥川龍之介は軽井沢へ出かけ、ひと月あまり滞在した」が、「そのとき」「知り合った」片山廣子(やぶちゃん補注:厳密にはこの時が全くの「初めて」ではない。芥川は大学生の時に彼女の歌集「翡翠」の書評をものしており、その礼の遣り取りを示す手紙も残っている。この事実は芥川研究家の間でも問題にされないことが多いから、池内氏に文句言わぬ。しかしこの問題にされないという事実は実は問題であると僕は思っている。)は、「夫ともども家族で避暑に来て」なんかいないんだ! 片山貞次郎は大正9(1920)年3月にとっくに死んどるんだよ!

――そんな初歩的な愚劣なミス(やぶちゃん補注:彼は文庫本のあとがきで、この本にとりあげた二十人は、わが偏愛の作家たちである」と断言している。僕も芥川を偏愛しているが、こんな間違いをして平然と芥川についての著作をものしている輩と同列に「偏愛している」などとは死んでも思いたくない。)をしたことに気づかずに(やぶちゃん補注:これは2004年に雑誌に連載され、単行本化され、文庫本化されている。その間、芥川研究者でも編集者でも池内ファンで同時に芥川ファンの読者でも誰でも何で教えてやれないのだろう? それがこの国の文芸なるもののレベルなのか?)池内は「澄江堂遺珠」を自分勝手に読み進めるのである!

――ところが、である。

――ところが、こうなると噴飯どころかパラレル・ワールドの芥川龍之介論を読んでいるような気になってギャグに、いやいや、逆に面白いのである!

――いや、皮肉じゃない……皮肉の積りでいたが……それが、真面目に近いのだ……

――「澄江堂遺珠」の歌群の芥川が焦がれる恋人は……

――誰でもない……

――「月光の女」なのだ……

――佐藤春夫が途方に暮れた乱れた文字や抹消に次ぐ抹消の意味は……

……その女の映像が眼前の廣子であり、そうではなくあの花子であり、そうではなく、あの豊子であり、そうではなく、しげ子であり、そうではなく千代であって弥生であるように……(やぶちゃん補注:以上の名は、実際に芥川が愛した女性の名である。但し、勿論、これっぽちでは、ない。)

――芥川の意識の中で目くるめく変化(へんげ)を起していたからではなかったのか……

……恐らく勿論、実際の断ち切るべき対象は片山廣子であった。しかし、その断腸の断絶のために、彼は過去の総ての「煩悩即菩提」の無数の恋慕対象であった女性を悉く想起させた。それこそがあの……

――あの、芥川の言うところの謎の「月光の女」の正体……

――ではなかったのか…………

…………なんどと独りごちているうちに、バスはやっと藤沢の賑やかな駅前に辿り着いていた……言っとくがね、池内さん、僕はあんたの名声に妬みを感じている、わけじゃ、ないゼ……

*  *  *

【2010年10月3日追記】

この「馬づら」の医者をつきとめた。以下に示すのは私の電子テクスト「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」の追加注である。

腹立たし身と語れる醫者の笑顏(ゑがほ)は。
馬じもの嘶(いば)ひわらへる醫者の齒ぐきは。

[やぶちゃん注:「馬じもの」の「じもの」は接尾語で名詞に付いて「~のようなもの」という意を表す。「あたかも馬のように」の意。この人物は恐らく岩波版旧全集書簡番号一三六二の大正14(1915)年8月29日附塚本八洲(妻文の弟。結核で長い闘病生活を送った)宛書簡に登場する後者の歯科医であろう。以下にその軽井沢からの書簡の一部を示す。

目下同宿中の醫學博士が一人ゐますが、この人も胸を惡くしてゐたさうです。勿論いまはぴんぴんしてゐます。この人、この間「馬をさへながむる雪のあしたかな」と云ふ芭蕉の句碑を見て(この句碑は輕井澤の宿(シユク)のはづれに立つてゐます)「馬をさへ」とは「馬を抑へることですか?」と言つてゐました。氣樂ですね。しかし中々品の好い紳士です。それからここに別荘を持つてゐる人に赤坂邊の齒醫者がゐます。この人も惡人ではありませんが、精力過剰らしい顏をした、ブルドツクに近い豪傑です。これが大の輕井澤通(ツウ)で、頻りに僕に秋までゐて月を見て行けと勧誘します。その揚句に曰、「どうでせう、芥川さん、山の月は陰氣で海の月は陽氣ぢやないでせうか?」僕曰、「さあ、陰氣な山の月は陰氣で陽氣な山の月は陽氣でせう。」齒醫者曰「海もさうですか?」僕曰「さう思ひますがね。」かう言ふ話ばかりしてゐれば長生をすること受合ひです。この人の堂々たる體格はその賜物かも知れません。僕はこの間この人に「あなたは煙草をやめて何をしても到底肥られる體ぢやありませんな。まあ精々お吸ひなさい」とつまらん煽動を受けました。

「惡人ではありませんが」と断っているが、如何にも生理的に不快な相手であることが髣髴としてくる音信で、本歌の「腹立たし」「馬じもの嘶ひわらへる醫者の齒ぐき」が美事にダブって来るように思われるのである。]

芥川龍之介 湖南の扇

芥川龍之介の中国土産小説群第二弾として、芥川龍之介「湖南の扇」を注を附し、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。本篇は断じて魯迅の「薬」のインスパイアではない。本篇は一読、玉蘭が赤いビスケットを齧るそのアップの鮮烈さを忘れることが出来ない佳品である。しかし、魯迅の「薬」の持つ強烈な印象には劣る。しかし、それは芥川龍之介が「薬」の二番煎じだから、では断じてない、ということである。私の注(今回も本文と同じ分量の注となった)を是非、お読み戴きたい。

2009/09/18

「コレ」ハ――『こゝろ』ノ引用――デハ「ない」

――「私は淋しい人間です。……私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間ぢやないですか、私は淋しくつても年を取つてゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたは左右は行かないのでせう。動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打つかりたいのでせう。……あなたは私に會つても恐らくまだ淋しい氣が何處かでしてゐるでせう。私にはあなたの爲に其淋しさを根本から引き拔いて上げる丈の力がないんだから。貴方は外の方を向いて今に手を廣げなければならなくなります。……」――

――私の胸の内には數年前から時々此昔の先生の謎めいた言葉が閃めくやうになりました。初めそれは何の關係もなく偶然外から襲つて來るのでした。私は驚ろきました。私はぞつとしました。然ししばらくしてゐる中に、私の心は其物凄い閃めきの影に應ずるやうになりました。しまひには外から來ないでも、自分の胸の底にとうに生れた時から潛んでゐるものゝ如くに思はれ出して來たのです。――

――さうして私はまた何うかすると、もう一度あゝいふ若き日の己れの姿に立ち歸つて生きて見たいといふ心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知つてゐる私は塵に汚れた後の私です。きたなくなつた年數の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でせう。――

――私に私自身の暗い情調の譯が能く解らないやうに、あなたにも私がいふ憂鬱の完成なるものの意味が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右だとすると、それは時勢の推移から來る人間の相違だから仕方がありません。或は箇人の有つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。――

……何うも君の顏には見覺がありませんね。人違ぢやないですか……

……丁度好い、遣つて呉れ……

……隱さず云つて頂戴!……

……結婚は何時ですか――何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません……

……記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです……

2009/09/17

尾形亀之助 詩集 「色ガラスの街」 〈初版本バーチャル復刻版〉

尾形亀之助 詩集 「色ガラスの街」 〈初版本バーチャル復刻版〉を「心朽窩 新館」に公開した。これを以って僕の尾形亀之助についての憂鬱はほぼ完成したと言ってよい。『雨になる朝』と『障子のある家』の2詩集が残るが、これらは『色ガラスの街』の比ではない程レアレアな稀覯本であるから、初出を確認しながらテクストを起こすことは不可能に近い。尾形を愛する僕としては甚だ残念ではあるが――。

一言、この『尾形亀之助 詩集 「色ガラスの街」 〈初版本バーチャル復刻版〉』は、現在唯今望み得る、最良の尾形亀之助『色ガラスの街』のテクストであるということだけは、ここに闡明しておきたい。

2009/09/14

芥川龍之介 桃太郎

芥川龍之介「桃太郎」(初出版)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

疲れて9:30に寝れば、夜中の1:00に目覚めてしまう。もう眠れない。仕方がないから、中途で抛りだ出したまんまになっていたテクストを仕上げた。芥川龍之介の中国土産小説群テクスト化の第一弾である。

流石に、しかし、ここに来て眠くなってきた――お休み……

狂師像三連覇!

そうして君等すべての瞳に乾杯!

2009/09/13

芥川龍之介 岩見重太郎

/13 芥川龍之介『支那游記』参考資料として、芥川龍之介「岩見重太郎」(「僻見」より)を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

本日、これより昨日のリベンジ、体育祭。もう源氏を舞ってから、一年になるのだな――(感慨無量)

子らよ! 岩見重太郎のように、肉弾になるがよい!

DU WARST mein Tod   Paul Celan

DU WARST mein Tod   Paul Celan

DU WARST mein Tod:

dich konnte ich halten,

während mir alles entfiel.

訳は例えば

僕の御用達祭谷一斗氏の「パウル・ツェラン詩文集」の「あなたは」

2009/09/12

次期公開テクスト掉尾抜粋

……僕の岩見重太郎を知つたのは本所御竹倉(おたけぐら)の貸本屋である。いや、岩見重太郎ばかりではない。羽賀井一心齋を知つたのも、妲妃(だつき)のお百を知つたのも、國定忠次を知つたのも、祐天上人を知つたのも、八百屋お七を知つたのも、髮結新三を知つたのも、原田甲斐を知つたのも、佐野次郎左衞門を知つたのも、――閭巷(りよこう)無名の天才の造つた傳説的人物を知つたのは悉くこの貸本屋である。僕はかう云ふ間(あひだ)にも、夏の西日のさしこんだ、狹苦しい店を忘れることは出來ぬ。軒先には硝子(がらす)の風鈴が一つ、だらりと短尺をぶら下げてゐる。それから壁には何百とも知れぬ講談の速記本がつまつてゐる。最後に古い葭戸(よしど)のかげには梅干を貼つた婆さんが一人、内職の花簪(はなかんざし)を拵へてゐる。――ああ、僕はあの貸本屋に何と云ふ懷かしさを感じるのであらう。僕に文藝を教へたものは大學でもなければ圖書館でもない。正にあの蕭條たる貸本屋である。僕は其處に並んでゐた本から、恐らくは一生受用しても盡きることを知らぬ教訓を學んだ。超人と稱するアナアキストの尊嚴を學んだのもその一つである。成程超人と言ふ言葉はニイチエの本を讀んだ後、やつと僕の語彙になつたかも知れない。しかし超人そのものは――大いなる岩見重太郎よ、兩手に大刀(だいたう)をふりかぶつたまま、大蛇(おろち)を睨んでゐる君の姿は夙(つと)に幼ない僕の心に、敢然と山から下つて來たツアラトストラの大業(たいげふ)を教へてくれたのである。あの貸本屋はとうの昔に影も形も失つたであらう。が、岩見重太郎は今日(こんにち)もなほ僕の中に潑溂と命を保つてゐる。いつも目深い編笠の下に薄暗い世の中を睨みながら。

明日か明後日に公開予定のテクストの掉尾。芥川龍之介?……そうだな……でも……知られているものとは、ね……ちょっと違うぜ……勿論、注はバッチリついてる……

最も正確な尾形亀之助『色ガラスの街』の掉尾の詩「毎夜月が出た」

    毎夜月が出た

           1-

 月が出て 夜が青く光つてゐる
 はつきり生きてゐるとは云へないが 肉色のものが 數へきれないほど
奇妙な形をして動いてゐる
何か惱やんででもゐるやうに そしてどこかしらに性のちがひを示して 
極く接してゐるものもある
 しかし このときも天性は愉快な夢を見てゐた そして何かわからぬが
苦が笑ひをしてゐた

 寢不足をしてゐるのかもしれない
 夢の中に おかしいことがあつてこらへきれずに 笑ひを口もとに浮べ
てしまつたのかも知れない
 でも 胸は靜かに息をしてゐた
 廣廣した中に胸だけが大きく息をしてゐるのが見えた
           2-A
 月の匂ひの寂びしげな中に しつとりと春がとけこんで 淋びしい者は
自分の名を呼ぶ笛のやうな響をかすかに心に聞いた ――

 淋みしい 淋みしい ――
 春
 何處かに一人ぐらゐは自分を愛してゐる者があるだらう ――  青年は
山に登つて遠くを見つめてゐる
 空と 地べたに埋もれてゐるのは
 と 青年は自分の大きな手をひろげてつくづくと見入る
 そして青年の言葉は彼の指さきから離れて 遠く高い煙突などにまぎれ
て極まりなく飛んで行つてしまふ

 まもなく青年は彼の部屋に 寢台の上に弱々しく埋づまつてゐる
 青年の夢は昨日からつづいてゐる
 とぎれた心と心がむすびつかふとする まつ白な夢だ

 夜半 青年は夢に疲れて寢言を云つた
 彼のさし伸べた手の近くにすすけたランプと 山で別れた言葉が幽靈の
やうに立つてゐた
 すすけたランプの古臭い微笑が さし伸べた彼の指さきに吸ひ込まれた
やうに消えると部屋は再びうす暗くなつて
 いま 彼はひとり部屋の中に眠つてゐる
           2-B
 或る所に
 月が出るやうになると 女が男のもとへ通つた
 そして 夜の青じろい月を女は指した
 黑い男と女の影のやうなものが 男と女の足もとのところから出て地べ
たを這つてゐた
 紙のやうに薄い 白い女の顏が男の顏へ擁ひかぶさると ――
 月はそれを青く染め變へた
           3-A
 ゆらゆらと月が出た

 月が空に鏡をはりつめた
 高いのと遠いので虫のやうに小いさく人が寫つてゐた
 家家では窓をしめて燈をともした
 娘は 安樂椅子に腰かけて歌をうたつた

 この わるい幻想の季節の娘について 親達は心を痛めてゐたが
 娘はその手招きを見てゐた
 そして 少しづつかたむいてゆく心に何かしら望みをかけてゐた

 娘は白粉をつけていたが青く見えた
 娘はうつむいて 死んだ目白のことを思つてゐた
 あわれでならなかつた
 月にてらされて地べたに淺く埋づまつてゐることを思つた
 娘は庭へ出た
 そして 娘は月に照らされた
 娘は 月夜のかなしい思慕に美しい顏を月にむけて
 そこには梅の木や松の木の不思議にのびた平らな黑い影があつた
 そして その上に月が出てゐた

 娘はかなしい歌をうたつた
 そして瞳はぬれて 靜かに歩るいてゐた

 娘は欝蒼と茂つた森林に這入つた
 そして そこで娘は彼女のやさしい心にささやいた
 「美しい月夜」
 立木は眠つてゐた 彼女は失なつたものをやさしい彼女の心にたづねた
 娘は 蒼白な月につつまれてにつこりともしない
 そして娘はそつと部屋に這入つた
 月の光りは部屋の中に明るい海のやうに漂つてゐた
 窓近く娘は椅子をひき寄せた
 十八になつた 娘はかなしい
 月が遠い
 娘は顏を掩つた
 と ――  祭りのやうなうたごゑが次第にたかまつてきて 娘の耳にも
聞きとれさうであるが それは靜かな雨の夜にポツンと雨の一しづくがと
よをうつやうな わけもなく淋みしい音色を引いてゐた
 娘の心の底から湧いてくるやうに でもあつた
 娘は眠つてゐるやうに動かない
 娘の影が少しづつずれて そして彼女から離れてしまつた
 そして 月の光りの中に娘の影は笛のやうに細く浮んでゐた
           3-B
 娘が窓から月を見てゐた
 はなやかな月夜の夕暮れである
 「ああ 消えてゆきさうな ―― 」と娘は身をかばうやうに窓を閉めた

 明るく照らされた窓を 月が見てゐた
 そして 娘の見た幻想の中に 自分を見つけた
 針金のやうに細く 青く 水のやうに孤獨な人格をもつた自分を ――
 月が娘の窓近く降りて來ると 部屋の中に力なくすすり泣く娘のなげき
を聞いた
 「戀人よ ――
 戀人よ ――
 今宵は月までが泣いてゐる」
 娘は泣きぬれて顏をあげた
 月は窓を離れた そしてさりげなく月は笛のやうにせまく細く青い 娘
の幻想をよこぎつて通つた
 月は天に歸るまで娘の鳴咽を聞いた
 月の忍びの足音は消された
 あたりはしんとした
 空に青い月が出てゐた
           4-
 青い月夜の夕暮がつゞいてゐた
 人人は 娘の泣く不思議な感情になやまされた

 老人の一人娘も その隣りの娘も
 美しいばかりに 冷めたい顏をして泣きくれてゐた
 娘はみな泣いてゐた
 泣きごゑがふるへて風に吹かれた

 そして空の方へ消えていつた

 人人は空を見あげた
 娘らの泣くこゑの消える はるか空のかなたを見た
 猫がゐる ―― 人人は空のひととこを指さした
 黑い猫がゐる ―― 人人が集まつた そして月を指さした

 娘らの泣くこゑはさびしく響いた
 やさしい娘らの泣くこゑがなまめかしい衣裳につつまれて 夜鳥のやう
に吹かれて消えていつた

「最も正確な」ものにするためには、初版本の一行字数に合わせてブラウザの文字サイズを最小に設定する必要がある。

さて、全集を含めた従来知られているものとはまたしても異なるのである。各自でお比べ戴きたいが、容易に気づくのは漢字や一字空けが違う(一つだけ挙げるなら、2-B の後ろから二行目「白い女の顏が男の顏へ擁ひかぶさると ――」の「擁ひかぶさる」である。ここは1999年思潮社版全集でも「掩」であるが、『色ガラスの街』初版本では、「擁」である。そうして断っておくが、「擁」には「おおう」の意味がちゃんとあり、誤字では決してない、のである)また、見開き頁での改ページについては、私が初版本で読んで、その意味内容や1ページ推定行数・印刷位置等を総合的に勘案して行空けとすべきところを判断したものであり、そこでも従来の全集の『色ガラスの街』所収のものとは異なる

更に――「最も正確な」と名打ったのには取り分けて訳がある、のである。これから公開する予定の『色ガラスの街』初版本バーチャル復刻版の「毎夜月が出た」は、これとは異なる、からである。そしてそれは初版本の版組の誤りであり、それを補正したものが上記の詩だから、である

従って、如何にも偉そうに見えるけれど、本日、唯今、このブログに載る尾形亀之助の「毎夜月が出た」こそが、本当に――本来の『色ガラスの街』に載るはずであった、最も正しい形での、「毎夜月が出た」――今現在、世界で唯一つの――正しい尾形亀之助の「毎夜月が出た」――である、と言えるのである。

そうして――この詩――最後にやっぱり――黒猫が姿を現わす……色ガラスの街には黒猫が……よく似合う……

2009/09/10

情慾 尾形亀之助

何んでも 私がすばらしく大きい立派な橋を渡りかけてゐました ら ――

向ふ側から猫が渡つて來ました

私は ここで猫に出逢つてはと思ふと

さう思つたことが橋のきげんをそこねて

するすると一本橋のやうに細くなつてしまひました

そして

氣がつくと私はその一本橋の上で

びつしよりぬれた猫に何か話しかけられてゐました

そして猫には

すきをみては私の足にまきつこうとするそぶりがあるのです

*  *  *

僕だけの『色ガラスの街』――

もう直きだ――

仔猫よ! 後生だから、しばらく踏み外さずに待つてゐろよ。お前は直ぐ爪を立てるのだから。――

色ガラスの街とは?――尾形亀之助『色ガラスの街』「序の二」をシナリオに再構成して見えてくる僕の色ガラスの街――

(画面オフで)

(モノローグ。尾形亀之助の肉声・「だ」体で)

「その街は人のゐない街だ」――

(間を置いて。今度は、あらたまった「です」体で)

その街は……「一人の人もゐない 犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて來たやうな氣味のわるい街です」――

(続けて)

その街は……「街路樹も緑色ではなく 敷石も古るぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐ る どことなく顏のやうな街です」――
その街は「風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です」――
その街は「何時頃から人が居なくなつたのか 何故居なくなつたのか 少しもわからない 街です」――

(長い沈黙)

『それは    
「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく
私の旅びとである』街――

(暫く沈黙)

「そして
私の退屈を淋しがらせる」街な「のです」――

(画面オフのまま雨の音。F.I.)

(外。尾形亀之助の家の裏庭。ズーム・アウトして窓、亀之助の二階の書斎、和机に座る和服姿の尾形の後姿――)

(真っ白な原稿用紙。ペンを執った和服の手が右手から入ってブラック・インクで書き出す。最初、原稿用紙3行目5マス目から『序 の 二』と書き、ちょっと間を置いてから5行目3マス目から、『煙草は私の旅びとである』と書く。暫く間を置いてから7行目冒頭から一気に。一行おきに以下(「そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻が居る」は続いた一文で)。カメラは書かれてゆく一字一字のみを追う。その間、ただペン先の擦れる音と、オフで聞こえて来る雨音。)

「朝早くから雨が降つてゐた

そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻が居る

私は二階の書齋に 妻は臺所にゐる」

(「る」の字から、ゆっくりズームアウト。『序 の 二』から4行から成る詩『煙草は私の旅びとである』原稿用紙全体が映ったところで、静止。この間もオフで聞こえて来る雨音、そしてズームの途中から幽かに遠くから俎板に当たる包丁の音)――――――

(F.O.)

[やぶちゃん注:モノクロ。「敷石も古るぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐ る どことなく顏のやうな街です」の「る」の前の一字空けは初版『色ガラスの街』のママである。これは誤植と思われるが、明らかに空いている。但し、行末であるため、殆んど誰にも気づかれることはない。]

これから 僕がお見せしようとする『色ガラスの街』は 僕の『色ガラスの街』で 他の誰の『色ガラスの街』でも ないのです――

2009/09/09

深夜の孤独な道士

もう僕の傍には誰もいない

僕の背中で一匹の黑猫が 尾をくるくると 圓を描いて ゐる以外には――

2009/09/08

Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰る手を留めたでせう。……私はよくそれを思ふのです。

 最初の夏休みにKは國へ歸りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだと云つてゐました。私が歸つて來たのは九月上旬でしたが、彼は果して大觀音の傍の汚ない寺の中に閉ぢ籠つてゐました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狹い室でしたが、彼は其所で自分の思ふ通りに勉強が出來たのを喜こんでゐるらしく見えました。私は其時彼の生活の段々坊さんらしくなつて行くのを認めたやうに思ひます。彼は手頸に珠數を懸けてゐました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する眞似をして見せました。彼は斯うして日に何遍も珠數の輪を勘定するらしかつたのです。たゞし其意味は私には解りません。圓い輪になつてゐるものを一粒づゝ數へて行けば、何處迄數へて行つても終局はありません。Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰る手を留めたでせう。詰らない事ですが、私はよくそれを思ふのです。(「こゝろ」「下 先生と遺書」より)

僕は最近、ふとここを獨り朗讀してみるのだが、すると、何だか酷く哀しくなつてゐる僕を見出すのである――

2009/09/06

不幸な夢 尾形亀之助

    不幸な夢

「空が海になる
私達の上の方に空がそのまま海になる
日 ―― 」
そんな日が來たら

そんな日が來たら笹の舟を澤山つくつて
仰向けに寢ころんで流してみたい

『色ガラスの街』について、締めくくるのは――その白眉は、これ意外には、やっぱり、なかった。

思潮社増補改訂版「尾形亀之助全集」は再校訂が必要である

以下、凡そ18件の僕の記載によって(途中にただの引用もあるがそれを除いて)、残念ながら思潮社現代詩文庫は勿論、決定版定本とも言うべき1999年刊の思潮社増補改訂版尾形亀之助全集(秋元潔編)の『色ガラスの街』の部分については、その信憑性に重大な疑義がある、と言わざるを得ない。早急な再校訂が望まれる。

驚天動地阿鼻叫喚震撼信管芋羊羹! 新大発見! 尾形亀之助『色ガラスの街』の「雨 雨」の従来知られている詩には致命的な一行脱落他が有った!!!

    雨 雨

DORADORADO ______

TI ______ TATATA ___ TA

TI ______ TOTOTO ___ TO

DORADORADO

TI ______TATATA ___ TA

TI ______ TOTOTO ___TO

(改頁)

DORADORADO ______

雨は

ガラスの花

雨は

いちんち眼鏡をかけて

 

[やぶちゃん注:驚天動地阿鼻叫喚杜撰御下劣義歯擬態――大変なことを発見してしまった。尾形亀之助の詩の中でも比較的知られた、この音声詩とも言うべき詩。秋元潔編1999年思潮社増補改訂版全集でもどこでも、従来は以下の通り、紹介されてきたし、そのように『色ガラスの街』には所収するものと僕も信じてきた。

 

   雨 雨

DORADORADO――
TI-TATATA-TA
TI-TOTOTO-TO
DORADORADO

TI-TOTOTO-TO
DORADORADO――

雨は
ガラスの花

雨は
いちんち眼鏡をかけて

 

ところが! 比べて頂きたい! 音声部ローマ字のダッシュ部分が全く異なる(『色ガラスの街』に用いられているものは、このブログのブラウザでは表記出来ないのだが、下部に位置するダッシュ状のもので、中央に走るダッシュや短いハイフンとは全く違う記号なのである)。

そして! 何と! 第二連冒頭から「TI ――TATATA ― TA」の一行が脱落している! 考えられないことである!

――ショック、きつい、右腕、かたい――他にも、全集にもない一字空けや一行空けの脱落を発見したが、このひどい発見で霞んでしまった(最早指摘する気力も失せたという意味である)。そこはまた、バーチャル・ウエッブ版公開に譲る。但し、僕の目的は校閲にあるのではない。僕は今日、多量にアップしたこれらの注の内容を、バーチャル・ウエッブ版に組み込む等と言う、如何にもお洒落じゃないことをするつもりは、毛頭ない。僕が目指すのは、あくまでお洒落な詩集『色ガラスの街』の初版を読んだ気になってもらうためのページなのである――

尾形亀之助『色ガラスの街』の「ある晝の話」のネット上の電子テクストの誤りについて その他 空行の欠落について

    ある晝の話

疲れた心は何を聞くのもいやだ と云ふのです

勿論 どうすればよいのかもわからないのです

で兎に角 ――
私は三箱も煙草を吸ひました

(改頁)
かすかに水の流れる音のするあたりは
ライン河のほとりなのか――
    ×

どうしてこんなだらう と友人に手紙を書いて
私は外出した

[やぶちゃん注:ネット上では、本詩は、

    ある晝の話

疲れた心は何を聞くのもいやだ と云ふのです
勿論 どうすればよいのかもわからないのです
で兎に角 ――
私は三箱も煙草を吸ひました

かすかに水の流れる音のするあたりは
ライン河のほとりなのか――

    ×

どうしてこんなだらう と友人に手紙を書いて
私は外出した

といった感じになっている。第一連の二箇所の行空けが実行されていない。これも圧倒的なネット上テクストの底本であるところの思潮社現代詩文庫版「尾形亀之助詩集」が誤っているためである。また、全集では「×」の前後を等間隔にしているが、『色ガラスの街』では上記の通り、×の後に有意の一行空けが行われている。確かにこの行空けは不信だ。恐らく版組の誤りである。であるが、以前から申し上げている通り、不自然なままにして、注記するか、訂正して訂正済注記をするか、それが後世に残す全集の編集者の当然の義務であると僕は思う。]

尾形亀之助『色ガラスの街』の「白い路」のネット上の電子テクストの誤りについて

    白い路
           (或る久しく病める女のために私はうつむきに歩いてゐる)

兩側を埃だらけの雜草に挾まれて
むくむくと白い頭をさびしさうにあげて
原つぱの中に潜ぐるやうになくなつてゐる路

今 お前のものとして殘つてゐるのは
よほど永く病んだ女が
遠くの方で窓から首を出してゐる

[やぶちゃん注:ネット上では、本詩は、

    白い路

(或る久しく病める女のために私はうつむきに歩いてゐる)
兩側を埃だらけの雜草に挾まれて
むくむくと白い頭をさびしさうにあげて
原つぱの中に潜ぐるやうになくなつてゐる路

今 お前のものとして殘つてゐるのは
よほど永く病んだ女が
遠くの方で窓から首を出してゐる

となっている。「(或る久しく病める女のために私はうつむきに歩いてゐる)」は副題のように表題の次の行(詩の最初の行ではない)の下方に極端なポイント落ちでつく。これも圧倒的なネット上テクストの底本であるところの思潮社現代詩文庫版「尾形亀之助詩集」がこのように誤った表記をしているせいである。但し、ややポイントを落とすことはしている。いずれにせよ、改められなければならない。詩の冒頭のこの丸括弧の一行、そもそも、変、である。次の次の「東雲」を見れば気づくことである。尾形亀之助の天驢(天馬ではない)空を行くが如き詩に狎れると、こういうのを不思議に感じなくなる。これが落とし穴である。]

尾形亀之助『色ガラスの街』の「風邪きみです」のネット上の電子テクストの誤りについて

    風邪きみです   

誰もゐない應接間を
そつとのぞくのです

ちかごろ 唯の一人も訪ねて來るものもない
榮養不良の部屋を
そつと 部屋にけどられないやうにして
壁のすきから息をひそめてのぞくのです

(改頁)

    ×
か ぜ

風邪がはやります
私も風邪をひいたやうです

[やぶちゃん注:「かぜ」はルビである。「夏」と全く同じ愚かな現象が続いて起こっている。ネット上では、本詩は、

    風邪きみです   

誰もゐない應接間を
そつとのぞくのです
ちかごろ 唯の一人も訪ねて來るものもない
榮養不良の部屋を
そつと 部屋にけどられないやうにして
壁のすきから息をひそめてのぞくのです

    ×
か ぜ

風邪がはやります
私も風邪をひいたやうです

となっている。これも圧倒的なネット上テクストの底本であるところの思潮社現代詩文庫版「尾形亀之助詩集」が誤っているためである。該当箇所は48ページ上段末にこの詩が始まり、「そつとのぞくのです」が上段左最終行(=上段の組の最終行)となっており、下段は「ちかごろ 唯の一人も訪ねて來るものもない」を頭(=下段の組の最初の行)に置いている。この下段を1行分空けねばならなかったのに、それをしていない。この編集者は2ページ亙ってこの誤りを繰り返している。これはきっと確信犯だ。『一行空けたって意味ねえじゃん、尾形亀之助の詩なんて、所詮、行が空いてようが空いてまいが、どうってことない、その程度の詩人じゃん!』とでも言いたいのであろうか。

また、付け加えて言えば、この右ページ、11行で数えると一行空く。しかし、一行空いて「×」で一行空かずに次の「風邪がはやります」という後世は考え難い。おまけにやはり、この右ページ、見るからに右により過ぎて印刷されている(やや斜めにさえなって)。しかし、何よりこれは、「×」が右ページの内側に入って見え難くなってしまうのを嫌って、左ページに配したとする方が正しいように思われる。こうした指示は、作者がする場合もあるが、手馴れた編集者が勝手に(優れた編集者なら作者の好み等を組んで)行うこともある。]

尾形亀之助『色ガラスの街』の「夏」のネット上の電子テクストの誤りについて

    夏

空のまん中で太陽が焦げた

八月は空のお祭りだ

何んと澄しこんだ風と窓だ
三色菫だ

[やぶちゃん注:ネット上のこの詩のテクストの多くは、

    夏

空のまん中で太陽が焦げた
八月は空のお祭りだ

何んと澄しこんだ風と窓だ
三色菫だ

となっている。これは圧倒的なネット上テクストの底本であるところの思潮社現代詩文庫版「尾形亀之助詩集」が誤っているためである。該当本は2段組という呪わしい体裁であることが災いしたミスである。該当箇所は47ページ上段末にこの詩が始まり、「空のまん中で太陽が焦げた」が上段左最終行(=上段の組の最終行)となっており、下段は「八月は空のお祭りだ」を頭(=下段の組の最初の行)に置いている。この下段を1行分空けねばならなかったのに、それをしていない。下段左には、無駄な空白さえあるのに――。]

僕の好きな尾形亀之助『色ガラスの街』の「或る少女に」についての考察

    或る少女に

あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです

もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
(改頁)
私は好きでたまらないにちがひない

[やぶちゃん注:この最後の行が次のページにあるところなんざ! 私は好きでたまらないにちがひないんだ! 

しかし、今回の作業で困惑するのが、こういう部分なのだ。どういうことかと言うと、基本的に『色ガラスの街』の一ページは詩本文のポイントで11行分である。詩の題名がややポイントが大きいので、すべてがそれでカウントできるわけではないが、題の前後を含め3行計算でいくと、だいたい11行計算で齟齬が生じない。ところが、この場合は、その計算でいくと右ページは10行しか数えられない。即ちその計算と、実際のこの見開きページを見た印象の双方から、この「或る少女に」は、従来知られているように、

    或る少女に

あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです

もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
私は好きでたまらないにちがひない

なのではなく、

    或る少女に

あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです

もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが

私は好きでたまらないにちがひない

である、ということなのである。この一行を独立させることはあってもおかしくない。

――じゃあ、お前は何故、冒頭の表示で「(改頁)」の前に一行空きを入れてないんだ――

と言われるであろう。それは、こうである。右ページをよく見ると透けて見える前々ページの詩「たひらな壁」のタイトルは、一行左に黒々と見えるのである。即ち、このページ全体が極端に右にずれて印刷されていることが分かるのである。そこで一行分、左にスライドした映像を想起すると、視覚印象では一行空いているようには読めないのである。計算上の矛盾は解消できないが、その仮想した視覚印象を優先して、今回のテクストでは独立行としてとらなかったのである。]

無題詩 尾形亀之助 或いは ダッシュの長さなんて「そんなの関係ネェ!」

    無題詩

懶い手は
六月の草原だ

もの怯えした ― 人の形をした草原だ
    ×
寂びしげに連なつた五本の指 ―― は
魂を賣つてゐた

[やぶちゃん注:以上述べてきたように不可解な不一致が多いと、つい僕も小姑のようになる。この詩の「もの怯えした ― 人の形をした草原だ」は勿論、定式通り、ダッシュ2本の誤植であろう。その可能性が断然高い。だから「――」にしていいだろう。でも、やはり全集は「―」にして「ママ」とするか、初出に当たったとか、誤植であるから正した(僕ならそこまで断定出来ないし、絶対やらない)という判断注記が必要であろう。全集には、何も、ない。「――」である。]

四月の原に私は來てゐる 尾形亀之助 又は 漢字一字でも違うものは違う 或いは 思潮社版増補改訂尾形亀之助全集『色ガラスの街』編注のこと

    四月の原に私は來てゐる

過去は首のない立像だ

或る年
ていねいに
戀は 青草ののびた土手に埋められた

それからは
(改頁)
毎年そこへ萠へ出づる毒草があるのです

青い四月の空の下に
南風がそこの土手を通るときゆらゆらゆれながら
人を食ふやうな形をして咲いてゐる花がそれなのです

[やぶちゃん注:最終行「食ふ」は、全集を含め、従来「喰ふ」となっている。曰之、唯不可解。「喰ふ」の方が「くらふ」でリズムはよい。もしかすると、初出はそうなのかもしれない。しかし、もし秋元潔氏が初出によって「正した」のなら、それを編注に記すべきである。一言、秋元氏に言いたい。この全集の編注、『色ガラスの街』の部分に限って言うならば、初出及び異文ありの5項目のみ、激しく杜撰である。たったの10行。これを多くの若者が今後の尾形亀之助『色ガラスの街』研究の第一次資料として用いるであろうことを考えた時、彼等の途方に暮れるさまが見えるようだ。]

尾形亀之助『色ガラスの街』「とぎれた夢の前に立ちどまる」 又は 行空けも「×」も詩である

    とぎれた夢の前に立ちどまる

月あかりの靜かな夜る ――

私は
とぎれた夢の前に立ちどまつてゐる
    ×
闇は唇のやうにひらけ
白い大きな花が私から少し離れて咲いてゐる
(改頁)
私の立つてゐるところは極く小さい島のもり上つた土の上らしい
    ×
私は鉛のやうに重もたい

    ×
死んだやうに靜かすぎる

私は
消えてしまいさうな氣がする

≪改頁≫
    ×

たくさんの ――
烏だ
たくさんのねずみだ

一本の煙突だ

一人の馬鹿者だ

夢がとぎれてゐる

[やぶちゃん注:これは全集を含め、以下のように表記されてきた。    とぎれた夢の前に立ちどまる

月あかりの靜かな夜る ――

私は
とぎれた夢の前に立ちどまつてゐる

    ×

闇は唇のやうにひらけ
白い大きな花が私から少し離れて咲いてゐる
私の立つてゐるところは極く小さい島のもり上つた土の上らしい

    ×

私は鉛のやうに重もたい

    ×

死んだやうに靜かすぎる

私は
消えてしまいさうな氣がする

    ×

たくさんの ――
烏だ
たくさんのねずみだ

一本の煙突だ

    ×

一人の馬鹿者だ

夢がとぎれてゐる

「×」の前後の空行挿入は、読み易さを考えれば、問題はない。そこを問題にしたいのではない。『色ガラスの街』には「一本の煙突だ」と「一人の馬鹿者だ」の間には「×」はないのである(痕跡すらもない)。また、ブラウザでは分かり難いかもしれないが、『色ガラスの街』では「私は鉛のやうに重もたい」の後に一行分の空行があるということである。

行が詰って、×が姿を現した!

きっとその行と×は異界への通路だ!

やっぱり、僕の持っているのは、現世とは違ったパラレル・ワールドの空隙から落ちて来た、もう一人の尾形亀之助の『色ガラスの街』なんだな!――そこではもう一人の尾形亀之助が今も109歳で矍鑠としており、ふと気づいたこっちの世界の「彼の」『色ガラスの街』電子テクスト化を著作権侵害だと憤り、何とかこっちの世界にやってきて僕と裁判をやらかそうと、やはりアメリカで生きている130歳のもう一人のアインシュタインに、幻の尾形家の銘酒「梅が香」一升瓶3本で頼み込んで、パラレル・ワールド・マシン(平行世界旅行機)を製造させている――]

従来知られている尾形亀之助詩集『色ガラスの街』の「犬の影が私の心に寫つてゐる」の詩が正しい「犬の影が私の心に寫つてゐる」の詩である、という命題は偽である

    犬の影が私の心に寫つてゐる

                                      ヽヽ

明るいけれども 暮れ方のやうなもののただよつてゐる一本のたての路 ――
柳などが細々とうなだれて 遠くの空は蒼ざめたがらすのやうにさびしく
白い犬が一匹立ちすくんでゐる

おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい
    ×
     私は 雲の多い月夜の空をあはれなさけび聲を
     あげて通る犬の群の影を見たことがある

[やぶちゃん注:ブラウザによって表記の不具合が生ずるかもしれない。傍点は「たて」の傍点である。最後の二行は有意にポイントが落ち、しかも意図的に二行に分かち書きしている。ところがこれは従来、全集を含め、次のように表記されてきている。

    犬の影が私の心に寫つてゐる

                                      ヽヽ

明るいけれども 暮れ方のやうなもののただよつてゐる一本のたての路 ――
柳などが細々とうなだれて 遠くの空は蒼ざめたがらすのやうにさびしく
白い犬が一匹立ちすくんでゐる

おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい
    ×
   私は 雲の多い月夜の空をあはれなさけび聲をあげて通る犬の群の影を見たことがある

これが尾形亀之助詩集『色ガラスの街』の「犬の影が私の心に寫つてゐる」の詩である、という命題は偽である。

書籍と言う不幸 又は 現代詩文庫版尾形亀之助『色ガラスの街』「ある來訪者への接待」の致命的誤謬 或いは 「みみみららららからからからごんとろとろろぺろぺんとたるるて」という誤ったDNAの増殖

    ある來訪者への接待

どてどてとてたてててたてた
たてとて
てれてれたとことこと
ららんぴぴぴぴ ぴ
とつてんととのぷ

んんんん ん

(改頁)
てつれとぽんととぽれ

みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ

ぺろぺんとたるるて

[やぶちゃん注:思潮社版現代詩人文庫「尾形亀之助詩集」では、

みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ
ぺろぺんとたるるて

最終行が前の連に続いてしまっている。

――(ここで、ヤクザ登場)

「そんなの関係ねえ! 書いた野郎にしか分からねえ言葉なんぞ、いっそ、一つにしちめえ!

どてどてとてたてててたてた
たてとて
てれてれたとことこと
ららんぴぴぴぴ ぴ
とつてんととのぷ

んんんん ん
てつれとぽんととぽれ
みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ
ぺろぺんとたるるて

いんや、しゃらくせえ! こんなもん、全部繋ぐに若くはねえぜ!

どてどてとてたてててたてたたてとててれてれたとことことららんぴぴぴぴぴとつてんととのぷんんんんんんてつれとぽんととぽれみみみららららからからからごんとろとろろぺろぺんとたるるて

どーよ、この方がページもとらねえし、ネットの画面も節約できるってもんよ! どうせ、分けの分からねえ詩なんだしよ!」

――(と言いつつ、退場)

お笑いではない。これは致命的な誤りである。何故なら、ネット上に散見する尾形亀之助の『色ガラスの街』は、殆んどがこの現代詩文庫を底本としているからである。誤ったネット上の尾形亀之助「ある來訪者への接待」のDNAが既に手遅れな程に増殖してしまっているのだ。

最後に。1999年思潮社版全集増補改訂版尾形亀之助全集はどうか? 幸いである。正しく一行空いている――正しく一行空いているが――いや、残念ながら幸いではないのである!――39ページ冒頭からこの詩が始まるが、39ページの最後は

ごんとろとろろ

空行

で終わっている。40ページをめくると

ぺろぺんとたるるて

一行のみが最初の行に書かれている。不注意な読者は、この全集の「正しい」が「気づきにくく」「誤り易い」表記――そのブービー・トラップにまんまとはまるであろう。悲しいことに、「正しく」書かれていながら、しかし、それでもこの

みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ
ぺろぺんとたるるて

という誤ったDNAが更に増殖する危険性を孕んでいるのである。]

尾形亀之助の『色ガラスの街』のお洒落な「病気」は間違いなんか、していない!

    病氣

ヤサシイ娘ニイダカレテヰル トコロカラ私ノ病氣ガ始マリマシタ

私ハ バイキンノカタマリニナツテ
娘ノ頰ノトコロニ飛ビツキマシタ

娘ハ私ヲ ホクロトマチガヘテ
丁度ヨイトコロニヰル私ヲ中心ニシテ化粧ヲシマス

[やぶちゃん注:どうなってるの? 全集は最終行を

丁度ヨイトコロニイル私ヲ中心ニシテ化粧ヲシマス

とし、現代詩文庫ではご丁寧に「イル」の「イ」の横に「ママ」表記だぜ? 考えられること(それはとっても考えられないことだが)は、私の持っているこの本、名著刊行会が復刻したこの本の復刻時に名著刊行会の奇特な人が「訂正」しちゃったのかなあ? そんなことって、ある? ないよなあ? ただ角川文庫が復刊した際、版が擦り切れているため、印刷出来ない部分を新活字で埋めた際、歴史的仮名遣いを誤ったり、新字を入れたりするとんでもない誤りは沢山見てきたから、絶対ないとは言えないな。それにしても、復刻に用いた原本の、偶然、これらの誤り部分(同じ現象が先に掲げた「序の一」にもある)が字が、「都合よく」(?)判読できない程に致命的に欠落・印字不全であったというのもさ、確率上、有り得ないんじゃあ、ないのかなあ?]

尾形亀之助『色ガラスの街』「夜半 私は眼さめてゐる」の×二つが衍字だと誰が言ったか?

    夜半 私は眼さめてゐる

さびた庖丁で 犬の吠え聲を切りに
月夜の庭に立ちすくむ ――
    ×
    ×
これは きつと病氣だ

あの女の顏が青かつた

(改頁)
キツスから うつつたのだ
    ×
夜半 私はそのことで眼を醒ましました

[やぶちゃん注:衍字かもしれない。そうでないかもしれない。分からない。でも、全集を含めて、誰も、『色ガラスの街』の「夜半 私は眼さめてゐる」のここに「×」が二つあることを言わないのはおかしい。平然と×一つに勝手に「訂正」しておいて、何も言わないのは、善意どころか悪意である。せめて「×」を並べて、後ろの「×」にママとするのなら善意と呼んでもいいかもしれない。それでも尚且つ僕は有難迷惑と言うつもりだが――]

尾形亀之助の『色ガラスの街』の「題のない詩」は詩の分からない国語教師の校閲を受けたのか?

    題 の な い 詩

話はありませんか
―― やせた女の ‥…………‥


やせた女は慰めもなく
肌も寂しく襟をつくろひます

ありませんか ――
(改頁)
ありませんか ――

靜かに
夕方ににじむやせた女の
―― 話は

[やぶちゃん注:「―― やせた女の」の後のリーダーは16点です。均等に詰って16点です。これは、ブラウザでは大変打ちにくいため、3点リーダーの前後に2点リーダーを入れた苦肉の策で表示しています。

国語教師である僕は授業でしつこく言います。次のように。それでも最後に「但し、……」と言うことを常とします。

「原稿用紙の使い方ではね、君たちが点々とか点線とか読んでいるもの――これはね、リーダーと呼ぶのが正しい――一マスに三つ――これを三点リーダーと呼ぶんです――一マスに三つ二マス打つ。君たちが傍線と呼んでいるダッシュも同じく二マス。普通の文章ではそれが決まりなんです。一マスだったり、それ以上打ったりしてはいけません。因みに、入試の小論文ではリーダーは使ってはいけません。確実に悪い印象しか与えないからです。但し、詩の場合は、例外。10行引いたって20行引いたって構わない。そこにはある特別な感情が表現されてるんだからね。君たちだって、ちょっと詩を書く時、みんなそうだよね? そこには確かにいみがあるんだ!

と。

現在、尾形亀之助『色ガラスの街』のこの「題のない詩」は、思潮社版全集でさえ、

―― やせた女の ……

となっています。あなたが書いた詩を国語の先生に見せたら、「点が長い! 三点リーダー二マスって言ったろ!」と叱られて、直されて手元に投げられたら、あなた、どう思います?]

2009/09/05

尾形亀之助 白い手 / いや 俺にレモンをはじいてくれないか?

    白い手

うとうと と
眠りに落ちそうな
晝 ――

私のネクタイピンを
そつとぬかうとするのはどなたの手です

(改頁)
どうしたことかすつかり疲れてしまつて
首があがらないほどです


レモンの汁を少し部屋にはじいて下さい

今の僕なら、さしずめ

うとうと と
眠りに落ちそうな
晝 ――

私のピンニングを
そつとぬかうとするのはどなたの手です

どうしたことかすつかり疲れてしまつて
手首があがらないほどです


レモンの汁を少し部屋にはじいて下さい

と言いたいよ――

或る少女に 尾形亀之助 

    或る少女に

あなたは
暗い夜の庭に立ちすくんでゐる
何か愉快ではなささうです

もしも そんなときに
私があなたを呼びかけて
あなたが私の方へ歩いてくる足どりが
(改頁)
私は好きでたまらないにちがひない

春 尾形亀之助

  春
 (春になって私は心よくなまけてゐる)

私は自分を愛してゐる
かぎりなく愛してゐる

このよく晴れた
春 ――
私は空ほどに大きく眼を開いてみたい

(改頁)
そして
書齋は私の爪ほどの大きさもなく
掌に春をのせて
驢馬に乘つて街へ出かけて行きたい

尾形亀之助『色ガラスの街』の「序の二」を字配り通りに見ると従来のものとは違って見える

     序の二

   煙草は私の旅びとである

 朝早くから雨が降つてゐた

 そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底

 の魚のやうに 私と私の妻が居る

 私は二階の書齋に 妻は臺所にゐる
(改頁)

これは人のゐない街だ

一人の人もゐない 犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて來たやうな

氣味のわるい街です

街路樹も緑色ではなく 敷石も古るぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐ

る どことなく顏のやうな街です

風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です
≪改頁≫
何時頃から人が居なくなつたのか 何故居なくなつたのか 少しもわからない

街です

   *        *

       *       *

それは

「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく

私の旅びとである

(改頁)
そして

私の退屈を淋しがらせるのです

[やぶちゃん注:以上は「見た目」を活字化した(字配り通りを見るにはブラウザを最小にして下さい)。これは従来、全集では以下のようになっている。

     序の二 煙草は私の旅びとである

朝早くから雨が降つてゐた
そして 暗い日暮れに風が吹いて流れ 雨にとけこむ日暮れを泥ぶかい沼の底の魚のやうに 私と私の妻が居る
私は二階の書齋に 妻は臺所にゐる

これは人のゐない街だ

一人の人もゐない 犬も通らない丁度ま夜中の街をそのままもつて來たやうな氣味のわるい街です
街路樹も緑色ではなく 敷石も古るぼけて霧のやうなものにさへぎられてゐる どことなく顏のやうな街です
風も雨も陽も ひよつとすると空もない平らな腐れた花の匂ひのする街です
何時頃から人が居なくなつたのか 何故居なくなつたのか 少しもわからない街です
   *        *
       *       *
それは
「こんにちは」とも言はずに私の前を通つてゆく
私の旅びとである

そして
私の退屈を淋しがらせるのです

これは何だか雰囲気が違うのだ。「煙草は私の旅びとである」は確かに題ではあろう。しかしポイントは同じである。そうして最初の4行は常体の一塊だ。しかし左ページになると、俄然、雰囲気が違う。最初の「これは人のゐない街だ」が妙に更なる題染みて独立し見え、その後は、敬体が主に支配する世界である(おまけに実は、印刷位置の不全から、右ページが以上のように、まるまる美事に一字分下がって印刷されているように見えるのである! これは僕のお遊びであってこれをそのまま僕のテクストに生かそうとは思っていないのであるが)。何だか本当に初めて読むものにさえ見えてくるという意味が、少しはお分かり戴けるであろうか。]

私が今目論んでいるバァーチャル・ウェブ版尾形亀之助詩集『色ガラスの街』のこと

既に期待するメールを今朝戴いた。少しだけ、覗いて見るかい?――

* * *(作業ファイル見本)

≪改頁≫

    顏     が

私は机の上で顏に出逢ひます

顏は
いつも眠むさうな喰べすぎを思はせる
太つた顏です

―― で

(改頁)

それに就いて ゆつたり煙草をのむにはよい そして
ほのぼのと夕陽の多い日などは暮れる
    ×
夜る
燈を消して床に這入つて眼をつぶると
ちよつとの間その顏が少し大きくなつて私の顏のそばに來てゐます

≪改頁≫

以上は、「≪改頁≫」が「ページをめくる改頁」を、「(改頁)」が「見開きページでの改頁」を示す。原本を僕は一ページを原則ほぼ11行と推測し(ポイントが大きい表題を含む場合や印刷の左右のずれによって微妙に異なるため、適宜増減してはある)、その空行文を空けてある。字の配置は目視出来る状態での位置配置を僕が満足出来る範囲で再現してある。それは当然、厳密を要求する僕以上に緻密な人間にとっては杜撰である。が。しかし、現在、我々が目にし得る『色ガラスの街』のテクストとしては、バァーチャル・ウェブ版と称して遜色ないない程度のレベルまでは高めたものをという覚悟と自負はある。

ちなみにこのテクストは全集ではどうなっているかを見よう。

      顔が

私は机の上で顔に出逢ひます

顔は
いつも眠むさうな喰べすぎを思はせる
太つた顔です

――で

それに就いて ゆつたり煙草をのむにはよい そして
ほのぼのと夕陽の多い日などは暮れる

      ×

夜る
燈を消して床に這入つて眼をつぶると
ちよつとの間その顔が少し大きくなつて私の顔のそばに来てゐます

因みに、これが尾形亀之助を人口に膾炙させた思潮社版現代詩文庫「尾形亀之助詩集」(1975年初版)のニ段組では、更に、以下のように美事に崩れてゆくのである(但し、ダッシュの後の有意な空白だけは初出に忠実である)。

顔が

私は机の上で顔に出逢ひます
顔は
いつも眠むさうな喰べすぎを思はせる
太つた顔です

―― で

それに就いて ゆつたり煙草をのむにはよい そして
ほのぼのと夕陽の多い日などは暮れる

×
 ママ
夜る
燈を消して床に這入つて眼をつぶると
ちよつとの間その顔が少し大きくなつて私の顔のそばに
 来てゐます

では。戻って、僕の作業ファイルの改行指示を外してみよう。

〔※注:――因みに失望されては困る。これはバァーチャル・ウェブ版尾形亀之助詩集『色ガラスの街』の「作業ファイル」である。これを元にバァーチャル・ウェブにするのである。「(改頁)」や「≪改頁≫」等と言う無粋な字や「[やぶちゃん注:]」等と言うお下劣なものは附ける気は更々ない。僕が目指すのは美しい尾形亀之助の詩集の僕なりのバァーチャルな復元であって、校訂なんかじゃあない。〕

    顏     が

私は机の上で顏に出逢ひます

顏は
いつも眠むさうな喰べすぎを思はせる
太つた顏です

―― で

それに就いて ゆつたり煙草をのむにはよい そして
ほのぼのと夕陽の多い日などは暮れる
    ×
夜る
燈を消して床に這入つて眼をつぶると
ちよつとの間その顏が少し大きくなつて私の顏のそばに來てゐます

 

 

 

これを――全く変わらないじゃないか――という御仁は、失礼ながら心からしみじみと活字で詩を読む楽しみを知らぬ人である――

私たちは詩を「テクスト」として読んでいるのではない。「詩」として読むのである。尾形は、そうした詩を読者へ、真心を込めてこの『色ガラスの街』を創ったのだ。最下劣な「ママ」表記なんぞを挟んだニ段組テクスト等、尾形亀之助の詩では、毛頭、ない。全集の前の読んでしまった「二人の詩」の視覚的五月蠅さや(思潮社版では57ページ内に「二人の詩」本文がある)、途中で截ち切れて改ページし(思潮社版では「太つた顏です」が57ページの最終行で、次行の空行は58ページに示されているものの改ページで視覚上の「空行としての影響力」を極度に減衰されてしまっている)、そこには同じページ内に「或る話」の表題が飛び込んでしまう――見開きで読む詩集『色ガラスの街』の「顏が」の方が遙かに「顔が」という詩となるのである。

〔※注:実は昨日から始めたこの作業で最も判断を悩むのが「(改頁)」部分の空行である。最初に述べたように1ページ総行数が微妙にブレる上に、活版の印刷位置が左右に極端にずれているページが存在するために、判断が難しい。連として繋がっているのか、1行空きか、2行空きかである(尾形の場合、1行空きと2行空きが混在する詩は珍しくない。そうして当然、1行と2行には尾形の込めた呼吸の違いが、厳然としてある。勿論、従来の「校訂された」テクストを見れば分かるのだが(しかし昨日来の驚天動地新発見によって僕の中のそれらへの信頼感は落ちかけているのである)、今回は見た目と読んだ感触、そうした生の自分の感覚を大事にしたいと考えている。〕

尾形はもともと絵描きなのだ――いや、画家は詩人でなければならぬ――そこを忘れて『色ガラスの街』は読めない――そこに気づけば、初版の『色ガラスの街』で読むことが、正しく尾形の『色ガラスの街』を読んだことになる――という意味が分かるはずである――

最後に底本の話をしておこう。

勿論、僕がかの二十数万円で取引される幻の稀覯詩集『色ガラスの街』の原本を持っている、訳がない。僕が持っているのは昭和45(1970)年に名著刊行会によって復刻された「稀覯詩集復刻双書」の一冊、20年前に古本屋で叩き売りされていた傷ナシ新本である。――これは20数年も昔、当時の恋人が、僕にプレゼントしてくれたものだった……

『色ガラスの街』の献辞「此の一卷を父と母とに捧ぐ」は冒頭になんかない

此の一卷を父と母とに捧ぐ

書誌としては以前から知られていることだが、テクストでは『色ガラスの街』冒頭にどーんと据えられてきた(全集も同じ)。しかしこの――金蔓であるところの父への謝辞――これは冒頭になんか、ない。見開きにも、ない。表題にも表題裏にも、目次後にもない(実は本書は目次がない。いや、それどころかノンブルもない)。――献辞は詩集『色ガラスの街』の掉尾、左頁奥付(右頁は空白)2ページ前の左頁(右頁は空白)中央に示されているのである――

色ガラスの街 序の一 /(驚くべし! 冒頭から従来のものは致命的に間違っている!)

     序の一

   りんてん機 と アルコポン

         × りんてん機は印刷機械です

            ●              ●

         × アルコポンはナルコポン(魔醉藥)の間違ひです

私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出來上るやうにと思つてゐたので 逢ふ人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました

十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二月が近くなりました それでも私はまだ 雜誌の形ででもよいと思つてゐるのです

     ×

そして そんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです

                   ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右 を間違へたときのことを再び思ひ出します
                    一千九百二十五年 十一月

[やぶちゃん注:ブラウザの関係で位置がずれている場合は、「●」と「ヽ」の傍点は、それぞれ次行の「アルコポン」の「ア」及び「ナルコポン」の「ル」(「ナ」ではない。実は初版では「●」位置が下にずれている)、「まはれ右」の右側に振られていると理解されたい。さて、考えられないことであるが、驚天動地、この序でさえ、違う、のだ。従来、「序の一 りんてん機 と アルコポン」として活字化されているが、表記の通り、「序の一」の下に「りんてん機 と アルコポン」は、ない。改行して「りんてん機 と アルコポン」である(これは実はつまらないことではない。「序の二」では同じ現象によって見たときの全体の感じ方が極端に異なるからである)。一字空けが3箇所で脱落しているほか、不思議なことに全集本文で「逢う」、思潮社版現代詩文庫でわざわざママ表記がある「逢う」は――正しく「逢ふ」となっているのだ! これは一体、どういうことだ? もう一冊の、大正14(1925)年11月に同じ惠風舘から出版された違う詩集『色ガラスの街』があるんだろうか? この愚鈍な僕を開明してくれる識者の御教授を乞いたいもんだ――いや、「逢ふ」は正しいんだからいいさ。僕が重大だと思うのは、一字空けの脱落なんだ! 従来のものは、最後のクレジットを「千九百二十五年十一月」として年月の間を空けていない他に、

そして そんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです

そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです

とし、更に

                   ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右 を間違へたときのことを再び思ひ出します

                   ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右を間違へたときのことを再び思ひ出します

としているのだ!

たかが空欄、ダ? 否、されど空欄、ダ!

僕は傍点附きのこの僕の大好きな大事な大事な「まはれ右」の部分の後の大事な大事な空欄の脱落は、詩集の校訂上、テッテ的にチメイ的だと言いたいノダ!

字空け一つにこだわらん「そんなの関係ねえ」という奴は詩を書く資格も読む資格もないノダ!

尾形の詩にとって字空けは彼の呼吸なノダ!

――僕ハ今 生マレテ初メテ 『色がらすノ街』トイフ新詩集ヲ 讀ンデヰルヤウナ奇妙ナル錯覺ニ 陥リツツアル――

2009/09/04

正しい尾形亀之助の『色ガラスの街』所収「散歩」の詩

    散    歩

とつぴな
そして空想家な育ちの私の心は
女に挨拶をしてしまつた

たしかに二人は何處かで愛しあつたことがあつた筈だ と言ふのですが

そのつれの男と言ふのが口髭などをはやして
子供だと思つて油斷をしてゐたカフエーのボーイにそつくりなのです

[やぶちゃん注:従来の尾形亀之助の詩集及び1999年増補改訂版思潮社版全集、それらを元にした現在のネット上に存在する従来の総てのテクストは総て第一連2行目を

そして空想家な育ちの心は

とする。しかし、尾形亀之助の惠風舘大正14(1825)年刊の処女詩集『色ガラスの街』の「散歩」は、確かに、こうである。]

僕を含めて誰一人としてこれに気づかなかった訳か――ここでどちらが詩語として優れているかなどという問題のすり替えをしてもらっては困る――僕を含めて今まで誰一人として――詩集『色ガラスの街』で尾形の詩をちゃんと読んでこなかったことに――僕自身と総ての尾形亀之助を愛する者どもに――あきれたのである――これで今――僕が何をもくろもうとしているかが――ご想像頂けたものと思うのである――

2009/09/03

人を恐れて後生に悪果を招くことなかれ

人を恐れて後生に悪果を招くことなかれ――

歴史の氷室から切り出して その文脈だけを見ると 昔の自称預言者の言葉も悪くない――

日蓮だ――

僕の家のまん前にあるのは日蓮宗の寺院で

先日から寺の前に張り出されているこの言葉が 痛く気に入っている――

悪くない――僕も人を恐れるのは もう やめだ――

日蓮も そしてお前も僕も ただの 「人」 に過ぎぬ されど「人」だ そんな「されど人」が「たかが人」を恐れていては 始まらぬ――

――にしても――考えて見れば 人間存在を解析する時 僕等は 僕等が その解析される対象の集合の中にいると いう自覚を恐らく持ってはいないのだ 自己が永遠に対象から疎外されること それは 正に 「外化」された人間そのものである さればこそ 我々は「我々」なるものを解析する それも自分勝手に しかし確かにこれは お笑い以外のなにものでもない……

2009/09/02

九月の詩 尾形亀之助

晝寢

かうばしい本のにほひ

おばけが鏡をのぞいてゐた

(「色ガラスの街」より)

ブログ180000アクセス記念 尾形亀之助拾遺 附やぶちゃん注

2009/09/01 15:53:35 に

「Blog鬼火~日々の迷走 恐らく本日180000アクセス/君へ」を読んだ

OS Windows Vistaブラウザ InternetExplorer 7.0 表示環境 1280x800 言語 Japanese で ミクシイから来たあなたが

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来

180000人目のアクセスでした!

あなたの今日に幸いあれ!

ブログ180000アクセス記念として「尾形亀之助拾遺 附やぶちゃん注」を「心朽窩 新館」に公開した。

2009/09/01

180079アクセス

180079アクセスでした

少し疲れています

記念は 明日です

恐らく本日180000アクセス / 君へ

恐らく今日のどこかで180000アクセス 勿論 記念テクストはとびきりのを用意してある

*   *   *

君へ――

「僕は君を抱きとめる、
すべての
安息のかわりに。」――

パウル・ツェラーン飯吉光夫訳 「あらかじめはたらきかけることをやめよ」より)

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