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2009/09/26

耳嚢 有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事 / 積聚の事

「耳嚢」に「有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事」及び「積聚の事」を収載した。

 有德院樣御射留御格言の事 附 御仁心の事

 

 或年、有德院(いうとくいん)樣御成の節、遙々隔(へだて)候樹の枝に鳶止り居けるを御覺じ、御弓を召寄(めしよせ)られ御意被遊けるが、鳶立けるに、立ける所を極められければ、唯中に當り鳶は川の内へ落ける故、何れも御射術を感心仕りしとかや。然るに同(おなじ)川通りに烏の止り居候を、御小性(おこしやう)の内見受、是はなを/\被遊よく侯半(さふらはん)、御弓差上べき哉(や)と伺ければ、かけ鳥抔(など)射るに都(すべ)て二度はならざるもの也、能心得よと、上意なりしとかや。同(おなじ)御代、御鷹野先にて御小人(おこびと)御筒(つつ)をかつぎ野間(のあひ)を徘徊せる所へ、御側廻り被召連(めしつれられ)被爲入(いらせられ)ける故、御小姓衆しつ/\と聲を懸ければ、右御小人驚(おどろき)、披(ひら)き候とて御筒の端を御顏へあてける故、御叱り被遊候處、御小姓衆立寄候得ば、誠に消入計(ばかり)に平伏し、身命(しんみやう)今に極りしと魂其身に不付、御小姓衆御咎めの儀相伺ければ、四方を御覧被遊、目付共は不居(ゐざる)やとの御尋に付、御近所には不罷在(まかりあらざる)段申し上ければ、然らば咎に不及との上意にて、御構(おかまひ)なきと、安藤霜臺(さうたい)乘興の物語、難有事と爰(ここ)に記(しるす)。

 

□やぶちゃん注

・「有德院」八代将軍徳川吉宗(貞享元(1684)年~寛延41751)年)の諡(おく)り名。

・「鳶」タカ目タカ科トビMilvus migrans

・「御小性」御小姓とも。武家の職名。扈従に由来する。江戸幕府にあっては若年寄配下で将軍身辺の雑用・警護を務めた。藩主付の者もこう称した。

・「かけ鳥」は「翔け鳥」で、飛んでいる鳥を射ることを言う。

・「御鷹野先」将軍が鷹狩りに行った先、の意。吉宗は鷹狩りを非常に好んだ。

・「御小人」小者。武家の職名。以下にあるように、将軍家の鉄砲を担いで付き従ったりする、極めて雑駁な仕事に従事した最下級の奉公人。

・「御側廻り被召連被爲入ける故、御小姓衆しつ/\と聲を懸ければ」これは、鷹狩りの際に、火縄銃(勿論、弾丸も込めていなければ着火しているわけでもない)の保守役である御小人が、手持ち無沙汰に辺りの一叢(むら)をぶらぶらしていたところが、まさかこちらに向かって来られるとは思っていなかった吉宗一行が急に鷹狩りで移動してきたのである。目障りであり、獲物も逃げるため、御小性たちが彼を俄かに叱って追い払おうとしたのである。

・「披き」身をかわす。避ける。

・「目付」武家の職名。江戸幕府では若年寄配下で、最高位の御目付はすべての旗本・御家人を監察・糾弾を職務とし、10名置かれた。その下に御徒士目附(おかちめつけ)及び御小人目附が複数配され、旗本よりも下の(お目見(めみえ)以下)者を観察した。ここでは御小人目附のこと。

・「安藤霜臺」(正徳4(1714)年~寛政4(1792)年)安藤郷右衛門(ごうえもん)惟要(これとし)。作事奉行・田安家家老・勘定奉行・大目付等を歴任している。「霜臺」とは弾正台の中国名で、本来は律令下の監察・警察機構を言ったが、戦国時代以降、多くの武家が武勇を示すその呼称を好み、自ら弾正家を呼称した。惟要は弾正少弼を称していたために、後輩友人である筆者は敬意を込めてこう称しているものと思われる。なお、底本では「安藤霜臺の物語」とあるだけであるが、話柄に臨場感が出る岩波版の「乗興」を正字で補った。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 有徳院様の弓術の格言の事 附有徳院様御仁心の事

 

 ある年、有徳院吉宗様がお出かけになられた際、遙か遠くの木の枝に鳶が止まっているのを目にされ、弓を持てと仰せられると、強く引き絞ってお狙い遊ばされたのだが――その瞬間、鳶は翔び去る――しかしまた、その翔び立った瞬間をお極めになられ――ひょうふつ! と、矢が放たれ――そうして、美事、鳶の体の真ん中に矢は当たって、鳶は川の中へと落ちた――それ故、周囲の誰もが、その神妙なる弓術の御技(みわざ)に感嘆し申し上げた、とか言うことであった。

 ところが、更にその折、同じ川の岸辺の木の枝に鴉がとまっておりましたのを、御小姓の内の一人が見つけ、

「これはまた、なおのことよき標的が御座いますれば、殿、再び御弓を差し上げましょうか?」

とお伺いを立てたところ、有徳院様は徐ろに、

「すばやき飛ぶ鳥なんどを射るに、総じて一度はうまくいっても、二度とは当たるものではない。よく心得置くがよいぞ。」

との御言葉であった、とか言うことであった。

 さてもまた、同じ頃のこと、有徳院様が鷹狩りにお出かけになられた先で、手持ち無沙汰な小者の者が、役目である上様の鉄砲を担いだまま、有徳院様のいらっしゃるところとは離れた野原辺りをぶらついておった、そこへ、豈図らんや、上様がお側廻りの者を引き連れになられ奔り入ってこられたため、お付の御小姓衆が、

「しっ! しっ!」

と人払いの声をかけた。――眼と鼻の先に上様が御立ちになっている――自分は急なことにただぼうっと鉄砲を持って立ち尽くしている――ここに、この小者は吃驚り仰天、畏れ多い上様の前から消えんがためにあせって身をお返し申そうとしたところが――何と手にした鉄砲の筒先を上様の御顔に当ててしもうた――勿論、上様御自身、この者をお叱り遊ばされたのであったが、御小姓衆は以ての外の一大事と小者の周りに立ち寄り押し合い、激しく責め立てられたので、小者は消え入らんばかりに地べたに這い蹲り、最早、身命この時に極まったと、魂も抜け落ちたようにがっくりしてしている。早速に、御小姓衆が声々にお咎めの儀に付、上様にお伺いをたてられたところ、上様は四方をお見渡し遊ばされ、

「目付どもはおらんか?」

とのお訊ねに付、御小姓の一人が、

「お近くには居りませぬ。」

由申し上げる。すると、

「然らば仕置きに及ばす。」

との鮮やかな御言葉、その場にて一切お構いなしとなったとのこと、これらは友人安藤霜台との談話の際、彼が興に乗って話してくれた物語である。徳院様の深い慈悲に満ち満ちた「仁」のお心の、この上もなく有難きこと故、ここに記しおくものである。

*   *   *

 積聚の事

 

 近き頃の事とかや。在邊に手習の師有ける、常に積聚(しやくじゆ)を愁て、死に至りて其子及び隨身(ずいじん)の弟子近隣の者を賴けるは、我死せば火葬いたし何卒腹中の積聚を打碎(くだき)給るべし、後來の人積を愁ふ助養(じよやう)手段にもならんと呉々(くれぐれ申置身まかりぬれば、遺言に任せその死骸を燒けるに、背中に一塊有。則積塊也とて、子弟其外共集りて、鐵鎚或は石を以打に聯も不碎、千術萬計なす共破れず。折節古老來りて其譯を尋、不審に思ひ、手に持たる杖を以突(つき)ければ、貳ツ三ツに破れける。皆々不審に思ひ、破れたるを集め石鐵鎚等にて打に、始のごとく聊も割れず。杖もてすれば微塵となる故、右杖は何の樹なりと尋るに、いたどりを以て造り候よし。虎杖(いたどり)は積を治する妙藥ならんと爰に記す。

 

□やぶちゃん注

・「積聚」岩波版では「癪聚」とする。さしこみのこと。漢方で、腹中に出来た腫瘤によって発生するとされた、激しい腹部痛を言う(本来はその腫瘤そのものの呼称であろう)。現在は殆んどの記載が胃痙攣に同定しているが、私は胆管結石や尿道結石及び女性の重度の生理通を含むものではあるまいかと思っている。識者の御教授を乞う。

・「虎杖(いたどり)」痛取とも。双子葉植物綱タデ目タデ科ソバカズラ属イタドリFallopia japonica(シノニム多数有)。タデ科の多年生植物で、別名スカンポ(同じタデ科スイバRumex acetosaもこう呼ぶので注意)。茎は中空で多数の節を持ち、構造的にはやや竹に似て、2~3m迄成長したものを乾燥させると極めて硬くなり、実際に老人の杖とする。漢方では天日乾燥させた根茎を虎杖根(こじょうこん)と呼称し、緩下・利尿薬として使用される。ウィキの「イタドリ」によれば、この「イタドリ(痛取)」とは『若葉を揉んで擦り傷などで出血した個所に当てると多少ながら止血効果があり、痛みも和らぐとされる。これが「イタドリ」という和名の由来』である、と記す。いずれにせよ、「積」=「癪」の効能は見当たらない。なお、このルビは珍しく底本にあるもの。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 癪聚の事

 

 最近の事とかいうことである。とある鄙(ひな)に手習いの師匠があったが、この男は常に激しい癪聚(しゃくじゅ)の症状に悩んでおり、さて、遂にその病篤くなって死ぬるという間際に、己が子・手習いの弟子及び近隣の者を呼び寄せて、依頼した。

「――私が死んだならば、通例の土葬に従わず火葬と致し、何卒、遺骸から腹中の癪聚を掻き出だいて、その腫瘤を打ち砕き給わらんことを望むもの――それは後代に癪聚に苦しむこととなる人々の介抱や治療の手だての一助ともなろうほどに――」

 とくれぐれも申し置くほどによろしく願い奉る、というものであった。そうこうするうちに、男は亡くなったので、遺言に従ってその遺体を焼いたところ、その遺骸の背に相当した辺りに確かな異様な塊が見つかった。

「これぞ、癪塊じゃ!」

 と子や弟子その他大勢集まって、鉄槌或いは石を以ってこれを打つも、全くもって少しも砕けぬ。あらゆる方法で打ち挟み押し潰さんとするもこれっぽちも欠けぬ。――そんなこんなで大騒ぎをしている、折柄、そこに土地の古老がやって来て、騒ぎの訳を尋ねた。老人は不審なこと思いつつも、はたと何かに思い当たった様子で、自身が手にしておった杖を以って、とん、とその塊を一突きした――すると、あっという間に塊が二つ三つに砕け散った――人々は手を変え品を変えてさんざんっぱら力を加えておったからではと不審に思い、その破片を集めて、再び石や鉄槌などで打ちすえたところが、始めと同じで、それでは一向に砕けなかった。ところが――杖を以って再び突くと破片は微塵に砕けてしまったので、ある者が、

「この杖は何の樹で出来ておる?」

と尋ねたところ、老人は、徐ろに、

「痛取で以って製したもんじゃ――」

とのことでった。

 一般には知られていないが、虎杖は癪聚を治す妙薬なのであろうと思われる話であるが故に、ここに記しいくものである。

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