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2009/09/12

最も正確な尾形亀之助『色ガラスの街』の掉尾の詩「毎夜月が出た」

    毎夜月が出た

           1-

 月が出て 夜が青く光つてゐる
 はつきり生きてゐるとは云へないが 肉色のものが 數へきれないほど
奇妙な形をして動いてゐる
何か惱やんででもゐるやうに そしてどこかしらに性のちがひを示して 
極く接してゐるものもある
 しかし このときも天性は愉快な夢を見てゐた そして何かわからぬが
苦が笑ひをしてゐた

 寢不足をしてゐるのかもしれない
 夢の中に おかしいことがあつてこらへきれずに 笑ひを口もとに浮べ
てしまつたのかも知れない
 でも 胸は靜かに息をしてゐた
 廣廣した中に胸だけが大きく息をしてゐるのが見えた
           2-A
 月の匂ひの寂びしげな中に しつとりと春がとけこんで 淋びしい者は
自分の名を呼ぶ笛のやうな響をかすかに心に聞いた ――

 淋みしい 淋みしい ――
 春
 何處かに一人ぐらゐは自分を愛してゐる者があるだらう ――  青年は
山に登つて遠くを見つめてゐる
 空と 地べたに埋もれてゐるのは
 と 青年は自分の大きな手をひろげてつくづくと見入る
 そして青年の言葉は彼の指さきから離れて 遠く高い煙突などにまぎれ
て極まりなく飛んで行つてしまふ

 まもなく青年は彼の部屋に 寢台の上に弱々しく埋づまつてゐる
 青年の夢は昨日からつづいてゐる
 とぎれた心と心がむすびつかふとする まつ白な夢だ

 夜半 青年は夢に疲れて寢言を云つた
 彼のさし伸べた手の近くにすすけたランプと 山で別れた言葉が幽靈の
やうに立つてゐた
 すすけたランプの古臭い微笑が さし伸べた彼の指さきに吸ひ込まれた
やうに消えると部屋は再びうす暗くなつて
 いま 彼はひとり部屋の中に眠つてゐる
           2-B
 或る所に
 月が出るやうになると 女が男のもとへ通つた
 そして 夜の青じろい月を女は指した
 黑い男と女の影のやうなものが 男と女の足もとのところから出て地べ
たを這つてゐた
 紙のやうに薄い 白い女の顏が男の顏へ擁ひかぶさると ――
 月はそれを青く染め變へた
           3-A
 ゆらゆらと月が出た

 月が空に鏡をはりつめた
 高いのと遠いので虫のやうに小いさく人が寫つてゐた
 家家では窓をしめて燈をともした
 娘は 安樂椅子に腰かけて歌をうたつた

 この わるい幻想の季節の娘について 親達は心を痛めてゐたが
 娘はその手招きを見てゐた
 そして 少しづつかたむいてゆく心に何かしら望みをかけてゐた

 娘は白粉をつけていたが青く見えた
 娘はうつむいて 死んだ目白のことを思つてゐた
 あわれでならなかつた
 月にてらされて地べたに淺く埋づまつてゐることを思つた
 娘は庭へ出た
 そして 娘は月に照らされた
 娘は 月夜のかなしい思慕に美しい顏を月にむけて
 そこには梅の木や松の木の不思議にのびた平らな黑い影があつた
 そして その上に月が出てゐた

 娘はかなしい歌をうたつた
 そして瞳はぬれて 靜かに歩るいてゐた

 娘は欝蒼と茂つた森林に這入つた
 そして そこで娘は彼女のやさしい心にささやいた
 「美しい月夜」
 立木は眠つてゐた 彼女は失なつたものをやさしい彼女の心にたづねた
 娘は 蒼白な月につつまれてにつこりともしない
 そして娘はそつと部屋に這入つた
 月の光りは部屋の中に明るい海のやうに漂つてゐた
 窓近く娘は椅子をひき寄せた
 十八になつた 娘はかなしい
 月が遠い
 娘は顏を掩つた
 と ――  祭りのやうなうたごゑが次第にたかまつてきて 娘の耳にも
聞きとれさうであるが それは靜かな雨の夜にポツンと雨の一しづくがと
よをうつやうな わけもなく淋みしい音色を引いてゐた
 娘の心の底から湧いてくるやうに でもあつた
 娘は眠つてゐるやうに動かない
 娘の影が少しづつずれて そして彼女から離れてしまつた
 そして 月の光りの中に娘の影は笛のやうに細く浮んでゐた
           3-B
 娘が窓から月を見てゐた
 はなやかな月夜の夕暮れである
 「ああ 消えてゆきさうな ―― 」と娘は身をかばうやうに窓を閉めた

 明るく照らされた窓を 月が見てゐた
 そして 娘の見た幻想の中に 自分を見つけた
 針金のやうに細く 青く 水のやうに孤獨な人格をもつた自分を ――
 月が娘の窓近く降りて來ると 部屋の中に力なくすすり泣く娘のなげき
を聞いた
 「戀人よ ――
 戀人よ ――
 今宵は月までが泣いてゐる」
 娘は泣きぬれて顏をあげた
 月は窓を離れた そしてさりげなく月は笛のやうにせまく細く青い 娘
の幻想をよこぎつて通つた
 月は天に歸るまで娘の鳴咽を聞いた
 月の忍びの足音は消された
 あたりはしんとした
 空に青い月が出てゐた
           4-
 青い月夜の夕暮がつゞいてゐた
 人人は 娘の泣く不思議な感情になやまされた

 老人の一人娘も その隣りの娘も
 美しいばかりに 冷めたい顏をして泣きくれてゐた
 娘はみな泣いてゐた
 泣きごゑがふるへて風に吹かれた

 そして空の方へ消えていつた

 人人は空を見あげた
 娘らの泣くこゑの消える はるか空のかなたを見た
 猫がゐる ―― 人人は空のひととこを指さした
 黑い猫がゐる ―― 人人が集まつた そして月を指さした

 娘らの泣くこゑはさびしく響いた
 やさしい娘らの泣くこゑがなまめかしい衣裳につつまれて 夜鳥のやう
に吹かれて消えていつた

「最も正確な」ものにするためには、初版本の一行字数に合わせてブラウザの文字サイズを最小に設定する必要がある。

さて、全集を含めた従来知られているものとはまたしても異なるのである。各自でお比べ戴きたいが、容易に気づくのは漢字や一字空けが違う(一つだけ挙げるなら、2-B の後ろから二行目「白い女の顏が男の顏へ擁ひかぶさると ――」の「擁ひかぶさる」である。ここは1999年思潮社版全集でも「掩」であるが、『色ガラスの街』初版本では、「擁」である。そうして断っておくが、「擁」には「おおう」の意味がちゃんとあり、誤字では決してない、のである)また、見開き頁での改ページについては、私が初版本で読んで、その意味内容や1ページ推定行数・印刷位置等を総合的に勘案して行空けとすべきところを判断したものであり、そこでも従来の全集の『色ガラスの街』所収のものとは異なる

更に――「最も正確な」と名打ったのには取り分けて訳がある、のである。これから公開する予定の『色ガラスの街』初版本バーチャル復刻版の「毎夜月が出た」は、これとは異なる、からである。そしてそれは初版本の版組の誤りであり、それを補正したものが上記の詩だから、である

従って、如何にも偉そうに見えるけれど、本日、唯今、このブログに載る尾形亀之助の「毎夜月が出た」こそが、本当に――本来の『色ガラスの街』に載るはずであった、最も正しい形での、「毎夜月が出た」――今現在、世界で唯一つの――正しい尾形亀之助の「毎夜月が出た」――である、と言えるのである。

そうして――この詩――最後にやっぱり――黒猫が姿を現わす……色ガラスの街には黒猫が……よく似合う……

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