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2009/10/13

耳嚢 御力量の事

「耳嚢」に「御力量の事」を収載した。

 御力量の事

 恐多き御事ながら、當時將軍家の御力量拔群にあらせられ侯由。然共聊常にその御沙汰もなく、其程を伺(うかがひ)候者もなきが、或時品川筋、御成の折柄、御馬にて御殿山邊、通御(つうぎよ)の處、右山の樹枝に烏一羽泊り居しを御覧の上、錢砲を被召(めされ)、御馬上にて御覗ひありて、仰ぎ打に被遊ける所、矢頃遙に隔りけるが、礑(はた)と中りて鳥は止りぬ梢より遙に飛上りくる/\と廻りて落ける時、將軍家御片手に御筒を被爲持(もたせられ)、通途の者杖を廻す如く御廻し被遊、譽候樣御高聲に御自讚有しを、御近邊を勤(つとめ)御供に候(さぶらひ)し候(さふらふ)者咄されけるが、右御筒の儀は普通より遙に重き處、御片手に輕々と取廻し給ふ有樣、御力量の程何(いづれ)も驚入、又御火術をも稱歎せしと咄しける折ふし、有德院樣、惇信院(じゆんしんゐん)樣御兩代の御側廻り相勤候仁(じん)其席にありて、御當家は御代々御力量は勝れさせ給ひけるや、有德院樣は餘程に勝れさせ給ふをまのあたり見奉る。惇信院樣は御病身に被爲在(あらせられ)侯得共、御力量は餘程に勝れ給ふと存候事、度々有りしと語り給ひける。

□やぶちゃん注
・「當時將軍家」十一代将軍家斉(安永2(1773)年~天保12(1841)年)。在位は、天明7(1787)年~天保8(1837)年。しかし、そうすると底本の鈴木氏の解題にある執筆時期分類にある、「耳嚢」「巻之一」の執筆の着手は佐渡奉行在任中の天明5(1785)年頃で、下限は天明2(1782)年春までという期間から完全に逸脱してしまう。執筆開始時にもその下限時に於いても、家斉はまだ将軍になっていない。この期間に入れるとすると、これを将軍職着任以前の出来事とるしかないが、彼の将軍職着任時の年齢は15歳である。このエピソードはやや考えにくい。また着任していない人物を「將軍家」とは言うまい。少なくともこの記事は、その謂いからしても、鈴木氏の言う次期よりも遙か後に書かれたものと私は考える。
・「御殿山」現在の東京都品川区北品川、高輪台地の最南端に位置する高台。現在の品川駅南方に当たる。徳川家康が建立したとされる品川御殿があったためこう呼ばれる。歴代将軍家御鷹狩休息所及び幕臣を招いての茶会場等に用いられたが、元禄15(1702)年火災により焼失、廃された。先立つ寛文年間(1661~73)の頃からこの一体には桜が植えられ、桜の名所として知られるようになった。
・「矢頃」は「やごろ」と読み、通常は矢を射るに格好の射程距離に対象があることを言う。ここではそれを鉄砲に援用した言いで、且つ、有効射程の遥か圏外に烏がいたことを示す。
・「礑」音は「タウ(トウ)」で、国訓で、物に何かがぶつかる音。はったと。
・「輕々と取廻し給ふ」は、底本では「輕々と取なやみ給ふ」とあり、右に「(取廻しカ)」と注する。注を採用し、補正した。岩波版では「御廻し」とある。
・「候(さぶらひ)し候(さふらふ)者」岩波版では「候(こう)し候者」とルビを振るが、私は音読した際のリズムから表記を採りたい。
・「何(いづれ)」は底本のルビ。
・「有德院」八代将軍徳川吉宗(貞享元(1684)年~寛延4(1751)年)の諡り名。
・「惇信院」九代将軍徳川家重(正徳元(1712)年~宝暦11(1761)年)の諡り名。
・「仁」このご仁、最低でも65歳を下らない長老である。

■やぶちゃん現代語訳

 御力量の事

 恐れ多いこと乍ら、当代の将軍家の御臂力は抜群であらせられます由。然れども御日常にあらせられては聊かもそのような御振舞いもお見せにはなられることなく、その御臂力の如何に群を抜くものであるかを存じ上げておる者もなかった。さればこそ、ここに記しおくものである。
 ある時、品川辺にお成りの折り、御馬にて御殿山辺りをお通りになられたところ、木の枝に鴉が一羽とまっているのをご覧になり、
「鉄砲を。」
と仰せられると、馬上にあらせられたままに狙いを定め、その高めの標的を仰ぐようにお撃ちになったところ――その鴉の位置は鉄砲の有効射程距離を遙かに越えていたのだが――トウ! と鴉のど真ん中に当たって、鴉はとまっていた梢から遙か上に吹き飛んで、くるくる回って、美事、落下した。
 その時、上様は片手にお持ちになった鉄砲を、まるで普通の者が杖を回すかのように、くるくるとお回しになり、
「さても褒めんか!」
 と、御声高らかに御自讃なさったとのこと、その折り、御側衆をしておった者がお話しになったのだが――何でも、その鉄砲の仕様は、将軍家特注のもので、通常のものよりも、遙かに重いものであったにも関わらず、上様は御片手で軽々と取り回されたそのありさまに、その場に伺候しておった者どもは皆、上様の御臂力は、一体どれほどおありになられるのか、と驚き入って、加えて、その砲術の御神技にも賞嘆致いた――と、上様御臂力に附き、話を続けておった折り、その場に偶々、有徳院吉宗様と惇信院家重様御二代に亙って御側廻りとしてお仕えした御方が居合わせており、
「御当家は代々御臂力に勝れてあらせられると拝察致すが、如何か。有徳院吉宗様が人間技とは思えぬ並外れた御臂力の持ち主であられたのは、しっかと目の当たりに見申し上げて御座る。惇信院家重様はご病気がちであらせられたものの、やはりその御臂力は余程に優れてあらせられると、感じさせらるること、いや、度々御座った。」
と、語って下さった、とのことである。

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