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2009/10/21

耳嚢 鼻金剛の事

「耳嚢」に「鼻金剛の事」を収載した。

 鼻金剛の事

 金剛太夫の家に鼻金剛といへる面(おもて)あり。いつの事にやありけん、金剛太夫身持不埒にて、先租より傳はりし面をも失ひ、御能有之時急に面にこまりけるが、或る寺の門にありし仁王の顏をうちかき、右を面に拵へ御能相勤、其業を出(でか)しけるが、佛罰にや、金剛太夫鼻を損じけると也。右面は永く金剛家に寶としたりしが、俗家に難差置、京都何れの寺社とやらへ納置、代替りに一度づゝ右面を拜し候事の由。二度拜し候へば罪を蒙ると、彼家に申傳ふると也。

□やぶちゃん注

・「鼻金剛」ウィキの「金剛流には、『法隆寺に仕えた猿楽座である坂戸座を源流とする流派で、坂戸孫太郎氏勝を流祖とする。六世の三郎正明から金剛を名乗る。華麗・優美な芸風から「舞金剛」、装束や面の名品を多く所蔵することから「面金剛」とも呼ばれ』、『豪快な芸風で知られた七世金剛氏正は「鼻金剛」の異名を取り、中興の祖とされる。しかし、室町から江戸期においては他流に押されて振るわず、五流の中で唯一独自の謡本を刊行することがなかった』と記す(シテ方「五流」は観世・宝生・金春・金剛・喜多)。金剛氏正(永正4(1507)年~天正4(1576)年)について、岩波版の長谷川氏の注では、『瘴気で鼻がふくれ鼻声であったのでこのように呼んだ。また『隣忠見聞禄』には、奈良の寺の不動尊の木造を打割って盗み、面に打って「調伏曾我」を演じたが鼻に腫物が出来て先が腐れ落ちたという。』とある。「瘴気」とは、熱病を起こす山川の毒気、「隣忠見聞禄」は「りんちゅうけんもんしゅう」と読み、紀州藩の能役者であった徳田隣忠(延宝7(1679)年~?)が記した随筆集、「調伏曾我」は曾我兄弟の仇討ちを材としたもので、河津三郎の子箱王丸(曾我十郎祐成の弟曾我五郎時致)の不動明王に纏わる霊験譚である。前シテは兄弟の敵工藤祐経であるが、後シテが、ここで問題となっている面を用いた箱根権現の不動明王となる(箱王丸は子方)。なお、長谷川氏は「瘴気」、発熱性疾患による鼻部の腫瘍及び鼻炎とするが、私は、彼が「身持不埒」であった(故にこそ「豪快な芸風」でもあったのであろう)ことから考えると、極めて高い確率で、潜伏期を経て晩年に発症した梅毒の第3期のゴム腫による鼻梁脱落であろうと考えられる。

・「仁王の顏」の「顏」は、底本では(「白」(上部)+「ハ」(下部))の字体であるが、通用字に改めた。

■やぶちゃん現代語訳

 能面鼻金剛の事

 金剛太夫の家には鼻金剛という面が伝えられている。何れの代の出来事であったか、ある金剛太夫、身持ちが大層悪く、先祖伝来の面をも失ない、よりによってそんな折り、貴人より急なお能の申し付けこれあり、舞おうにも面がなく、困り果てていたところが、あろうことか、通りかかったとある寺の門に立っておった仁王の、その頭をたたき折って、これを急ぎ面に拵え上げると、それを以って命ぜられたお能を相勤め、美事妙技を披露致いた。じゃが――仏罰にてもあろうか――その直後に、その金剛太夫は、鼻が欠け落ちた、とか言うことである。

 さてもこの面は永く金剛家家宝として伝わっておったのじゃが、その曰因縁から、俗家(ぞっけ)にさし置くは相応しからずということと相成り、京都のとあるの寺に納め置き、その後は、代々、金剛流太夫代替わりの折りにのみ唯一度だけ、その面を拝顔致す慣わしとなっておる、との由。万一、二度拝顔致いたならば、かの金剛太夫同様、必ずや仏罰を被る、と言い伝えておる、とのことである。

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