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2009/11/15

耳嚢 相學奇談の事

「耳嚢」に「相學奇談の事」を収載した。この話、僕は結構好きである。だから、結構、現代語訳にも凝った。是非、お楽しみあれ。

 相學奇談の事

 或人かたりけるは、浅草邊の町家に居る相人(さうにん)甚其術に妙を得たり。予が友人もその相を見せけるに、不思議に未前を言當けると咄しき。爰に椛町邊に有徳(うとく)成(なる)町家にて、幼年より召仕、手代に取立、店の事も呑込實躰(じつてい)に勤ける故、相應に元手金をも渡し、不遠別株にもいたし遣さんと心願しに、或日彼手代右相人の許へ来りて相を見せけるが、相人の曰、御身は生涯の善惡抔見る沙汰にあらず、気の毒成事にはくる年の六月には果して死し給はんと言ければ、彼者大に驚きけるが、猶又右相人子細に見屆、兎角死相ありと申ければ、強て實事とも思はねど禮謝して歸りけるが、兎角心に懸りて鬱々として樂まず。律儀なる心より一途に、來る年は死なんとのみ觀じて、親方へ暇を願ひける。親方大きに驚、いか成語ありてとせちに尋けれど、さしたる譯もなけれど唯出家の志しあればひらに暇を給るぺしと望しゆへ、然らば心掛置し金子をも可遣と言ければ、本より世を捨る心なれば、若(もし)入用有(あら)ば可願とて一錢をも不受、貯へ置し衣類など賣拂ひ小家を求め、或ひは托鉢し又神社佛閣にもふで、誠にその限の身と明暮命終(みやうじゆう)を待暮しけるが、或日兩國橋を朝とく渡りけるに、年頃二十斗の女身を沈めんと欄干に上り手を合居しを、彼手代見付引おろし、いか成語(こと)にて死を極めしやと尋ければ、我身事は越後の國高田在の百姓の娘にて親も相應に暮し侍るが、近(ちかき)あたりの者と密通し、在所を立退江戸へ出、五六年夫婦くらしけるが、右男もよからぬ生れにて身上(しんしやう)も持崩し、かつがつの暮しの上、夫なる者煩ひて身まかりぬ、しかるに店賃(たなちん)其外借用多くつぐのふべきたつきなけれど、我身の親元相應なる者と聞て、家主其外借金方より負(お)ひのみすまし候樣に日々にせめはたりぬ、若氣にて一旦國元を立退たれば、今更親元へ※(かほ)むけがたく、死を極めし也、見ゆるして殺し給へと泣々語りければ、右新道心も、かゝる哀れを聞捨んも不便(ふびん)也、右店賃借用の譯等細かに聞けるに、纔(わづか)の金子故、立歸り親方へかく/\の事也、兼て可給金子の内、我身入用無之故かし給はるべしと歎ければ、親方も哀れと思ひ、右金子の内五兩程遣しければ、右の金子にて仕拂ひいたし店(たなを仕廻(しまは)せ、近所の者頼て親元へ委細の譯を認め書状を添、在所へ送り遣しければ、右親元越後なる百姓は身上(しんしやう)厚く、近郷にて長(をさ)ともいへるもの故、娘の二度歸り來りし事を悦び昔の勘氣をゆるし、兩親はらからの歡び大かたならず。贈りし人をも厚く禮謝し、右青道心の許へもかきくどきて禮をなしつると也。これはさて置き、くる年の春も過、夏もやゝ六月に至り水無月はらひも濟(すみ)けれど、青同心の身にいさゝか煩しき事もなかりし上、なか/\死期の可來(くべし)共思われざれば、扨は相人の(口に)欺(あざむか)れける、口惜き事よ、親方へも一部始終有の儘に噺しければ、親方も大に驚き、汝が律義にて欺れしは是非もなし、彼相者の人の害をなせる憎さよ、我(彼の相人の所江(え)行(ゆき)、せめては恥辱を與へ、以來外々(ほかほか)の見ごらしにせんと)青同心を連て相者の許へ至り、右道心を門口(かどぐち)格子の先に殘し置、さあらぬ躰(てい)にて案内を乞、相人に對面し、相を見て貰(もらは)ん爲(ため)來りしと申ければ、相人得(とく)と其相を見て、御身の相何も替る事なけれど、御身は相をみせに來り給ふにあらず、外に子細ありて來り給ふなるべしと、席を立て表の方を見合(あはせ)、同心の格子のもとに居しを見て、扨々不思議成事哉(かな)、こなたへ入給へと右道心の樣子を微細(みさい)に見て、御身は去年の冬我(われ)相しけるが、當夏迄には必ず死し給はんと言し人也。命めでたく今來り給ふ事、我相學の違ひならん、内へ入給へと、座敷へ伴ひ天眼鏡に寫し得と相考、去年見しにさして違へる事なきが、御身は人命か又は物の命を助給へる事のあるぺし、語り給へと言ひける故主從大に驚き、兩國にて女を助し事、夫よりの始終委しく語りければ、全く右の慈心より相を改候也。此上は命恙(つつが)なしと横手を打て感心なしける。主人も大に歡び、右手代に還俗させて、越後へ送りし女子を呼下(よびくだ)し夫婦と成(なり)、今まのあたり榮え暮しけるとなり。

[やぶちゃん字注:「※」=「白」(上)+「ハ」(下)。]

□やぶちゃん注

・「椛町」東京都千代田区の地名。古くは糀村(こうじむら)と呼ばれたと言われる。『徳川家康の江戸城入場後に城の西側の半蔵門から西へ延びる甲州道中(甲州街道)沿いに町人町が形成されるようになり』、それが麹町となった。現在残る地域よりも遥かに広大で、『半蔵門から順に一丁目から十三丁目まであった。このうち十丁目までが四谷見附の東側(内側)にあり、十一~十三丁目は外濠をはさんだ西側にあ』り、現在の新宿区の方まで及ぶものであった(以上はウィキの「麹町」を参照し、岩波版の長谷川氏の「山事の手段は人の非に乘ずる事」の「糀町」注を加味して作成した)。

・「手代」商家の店員の地位の一。旦那の下、番頭→手代→丁稚の順。現在なら係長・主任クラスに相当し、接客業務を主とする。

・「別株にもいたし遣さん」暖簾分けをしてやる。分家させるてやる。

・「神社佛閣にもふで」ママ。

・「つぐのふべき」ママ。

・「負(お)ひのみ」「負ひ」は負債で借金全体を指す語であるが、ここでは後に限定の副助詞「のみ」があるので、借金の利子を除いた元金を言っているのであろう。

・「水無月祓」大祓(おおはらえ)のこと。神道で旧暦の6月と12月の晦日に行われる、罪や穢れを祓うための行事(新暦下では6月30日と1231日)。犯したを除き去るための祓えの行事で、6月のものを夏越の祓(なごしのはらえ 又は夏越神事・六月祓)、12月のものを年越の祓(としこしのはらえ)と言って区別する。なお、能に「水無月祓」(みなづきばらい)という演目があり(伝世阿弥作)、これは互いに恋慕しながらも別離した男女が下鴨神社の夏越の祓で再会するというハッピーエンドの作品である(ここはウィキの「水無月祓(能)」を参照した)。もしかすると、ここに「水無月祓」を示したのは、この主人公の男が最後に、身投げを助けた女と結ばれるというストーリーを暗示させるために示した伏線でもあるのかも知れない。

・「思われざれば」ママ。

・「(口に)」底本には右に「(尊經閣本)」と、引用補正した旨、記載がある。ここの部分、岩浪版(カリフォルニア大学バークレー校版)では『はとのかいに』とある。「はとのかい」は「鳩のかい」(「かい」には戒・飼・卵などの字を当てる) 詐欺師、騙(かた)りのことで、山伏や占者の姿をして家々をまわり、熊野の新宮・本宮のことを語り、当該神社の神鳩への飼料代と称して金銭を詐取した者を由来とすると言われる。しかし下に「欺されて」とあるので、屋上屋であるから採らない。

・「(彼の相人の所江(え)行(ゆき)、せめては恥辱を與へ、以來外々(ほかほか)の見ごらしにせんと)」底本には右に「(尊經閣本)」と、引用補正した旨、記載がある。

・「江行」「江」はママ。但し底本では「江」の字のみ、ポイント落ち。

・「慈心より相を改」の部分について、岩波版注で長谷川氏は死を宣告されるも、人命を救って死相を脱するという類話は多く見られることを記し、最後に「春雨楼叢書」十一「相学奇談」『は本章と全く同文』とある。「春雨楼叢書」というのは清代の朱士端が撰した漢籍である。しかし、数少ないネット記載を見る限りでは、灸の事などでも日本のことが記されている。こんな日本の話が掲載されている漢籍とは、どのような性質の書物なのか、興味深い。識者の御教授を乞うものである。

■やぶちゃん現代語訳

 観相学奇談の事

 或る人が言うことには、

「……浅草の町屋に住んでいる人相見があるが、これがまた、その観相学の術の妙、ってえのを心得てる。私(あっし)の友人も、その人相見に占わせたところが、不思議に、これから起こることを、ぴたりと言い当てるってえこった。……」

という話――

 ここに、麹町辺りで繁昌している商家があり、そこに少年の頃から丁稚として召し仕って、手代に取り立てたばかりの男がいた。店の商いのこともすっかり呑み込んでおり、実直に勤めていたから、主人も、

『相応にも元手を出してやって、近いうちに暖簾分けでも致いてやろう。』

と心掛けていた。

 

 ある日のことである。その手代、何気なく、かの浅草の人相見の元を訪れ、相を見てもらった。

 すると、人相見は手代を一目見るなり、

「――御身は――向後の生涯の良し悪しなんどを――観るどころではない――気の毒なことに――来たる年の六月には確かに――死ぬ――という相が出ておる――」

と言う。さればこそ、手代も驚愕……人相見はなおも……ぐっと身を引いて全体を、また、ぐっと近寄って仔細に手代の顔を見る……而して……また見終えて後、

「――兎も角も――死相が現れて――おる――」

とのことであった。

 手代はその時は、所詮は占いのこと故、真実(まこと)とも思われぬ、なんどと内心感じながらも、礼金を払い、丁寧に挨拶を致いて、相人の家を後にした……。

 

 ……だが……やはり、気に懸かり出す……

 ……鬱々として心も晴れぬ毎日が続く……

 ……元が何事にも一途な心の持ち主であったが故に……結局……

『……来年には……死ぬ……のじゃろか……』

とばかり思い詰めるようになった……

 ……そうして遂に、彼は主人に暇(いとま)を願い出た。

 主人は大層驚き呆れ、

「……如何なる訳あって!……」

と強く問い質いた。

 しかし、手代は、

「……これと言った訳は御座いませぬ……ただ出家致したき志しに侍ればこそ……どうか……ひとえにお暇(いとま)を給わりまするよう、御願い申し上げまする……」

と望むばかり。主人も致し方なく、

「……それほどの発心にてとなれば……これはもう、仕方がないことじゃが……時に、お前さんの暖簾分けにと心掛けて溜め置いた金子が、ここに少しばかりある。これをあげるから、持って行くがよい。」

と告げたのだが、その折角のお情けにも、

「……元より世を捨つる心なれば……万が一……入用(いりよう)になるようなこと……御座いますれば……お願いに上がりますれば……」

とて、一銭も受け取らず……相応の時日をこの店に勤めておったれば、それなりに貯え置いた衣類などもあったのだが、それもすっかり売り払ってしまい、男は主家を後にした……。

 ……その後、男は小さな家を買い求め、そこに身を置きながら、或いは托鉢を、或いは神社仏閣に詣で……誠(まっこと)、その日その日にがその日限りの身の上といった有様で、日数を数えては、命終の、その最期の日を待ち暮らしておるばかりであった……。

 ……そんな或る日のことである。

 朝早くに両国橋を渡っておると、年頃二十歳(はたち)ばかりの女が身を投げようと欄干に這い上って、手を合わせて、座っている……それを見るや、かの元手代は、すぐさま女の袖を捉えて引きずり降ろすと、

「一体、如何なる訳で、死のうなんどと、極めたか!」

と厳しく問い質いた。すると女は、

「……私めは越後の国は高田の在の百姓の娘で御座います……親も相応の暮らし向きにて御座いましたが……私……近在の男と密通致いて……家出した上、二人して江戸へ駆け落ち……五、六年、夫婦のように暮らしておりましたが……この男、生来卑しき生まれの者で御座いましたので、身上(しんしょう)もすっかり持ち崩してしまい、その日の暮らしにも困る有様……それに加えてその夫が、ふと患い臥して、遂には身罷りましたので御座います……なれど……亡き夫には、家賃その他何やかやと私も存ぜぬ借金ばかりが多く残っておりました……勿論、返そうと思うても、日々の生計(たつき)さえなき身……ところが貸主の方の中に、私めの親元が相応の暮らし向きの者なることを伝え聞き……家主その他借金を致しました方々が押しかけて参られ……貸した元金だけでもさっさと払いを済ませよと……日々、矢の催促、責められて責められて……責められ尽くされ……されど……若気の至りにて、一旦、故郷(ふるさと)を捨てた身なればこそ……今更、親元へ顔向け出来ようはずもなく……かくなる上は……死を極めんと致いて御座ったればこそ……どうか……後生で御座いまする……お見逃し下さいませ…………」

とさめざめと泣いて語ったのであった。

 新発意(しんぼち)となった元手代の男も、この話、如何にも聞き捨て難く不憫なことと思い、試みに、その店賃その他借用の内訳等仔細に聞き質してみると、これが、思うたよりも大した額ではない――。

 ――男は、女を促すと、その足で、かつての主人の元を訪ね、連れの女のかくなる仔細を、ありのままに主人に話した上、

「――身勝手なる申し出で御座いまするが――あの折り、下さるべく御用意なされた金子――出家致いた我が身には入用なきものに御座いますればこそ――どうか、この女にこそ、貸し与えて下されたく……」

と、己が身の苦しみの如く、搾り出すように声を出だいて請い願う様を見るにつけ、元の主人も如何にも哀れと感じ、その貯え置いた金子の内から五両ばかり、この元手代に渡してやった。

 男はこの金で、女のまずはこまごました借金を返済致し、溜まりに溜まっていた大口の店賃の未払いなどをも万事遣り繰り致いた上で――新発意となってから心安くするようになった、近所のしっかりした男に無理を言って頼み込むと――縷々事情を書き記した文(ふみ)を添え持たせて、女を越後の在所へと、送り帰してやったのであった――。

 ――この越後の女の親の家というのが、また、地元でも知られた――近郷にても知らぬ人とてない長者格の――家柄であったため、娘が再び帰り来たったことを殊の外悦び、昔日の勘当も許され、親兄弟の喜びようも一方ならず、遠く江戸から娘に付き添って送り届けに来た者にも手厚い謝礼がなされ、かの新発意の男の元へも、直ちにくどいまでの懇切丁寧な礼状に添えて――元の主人に借りた五両を遙かに超える――謝礼をも成したのであった――。

 ――さても、このことはさておき、新発意自身のことに話を戻すことと致そう――

 ――「あの」人相見の言うた翌くる年――その春も過ぎた――

 ――六月に至り、とうとう六月三十日の水無月祓(みなづきはらい)も終わる――

 ――ところが――

 ――男の身には――些かも何ぞ患うような気配もない上に――死期なんぞ――何処(いずこ)を探そうとも――来たらんようには――さらさら――思えぬのである――

 ここに至って、男は、

『さては――あの人相見に騙されたか! 口惜しや!』

と――決まりが悪くはあったものの、どうにも悔しくて悔しくて――男は、慕うところの元の主人を再び訪ね、一部始終、ありのまま、総ての真実(まこと)を告白した――。

 主人は又しても驚き呆れると同時に、この男への憐憫に相俟って、かの人相見への憤怒の念が、むらむらと湧き起こって来た。

「……お前さんの律儀な性質(たち)がつけ込まれ、騙されてしもうた……それは最早、是非もない……されど!――かの人相見、その『人の生』を害せんとする、憎っき所業! ともかくも! 私はこれからかの相人のところへ行き、せめても完膚無きまでに屈辱を与え、向後、こんなとんでもない輩への厳しい見せしめにしてやらねば気が済まぬ!」

と言うが早いか、新発意を引っ張って、浅草の人相見の元へとひたすら走る――。

 ――主人は人相見の店先へと至ると、とりあえず、この新発意を門口の格子戸の陰に残し置いて、何でもないただの人相見に参った客を装い、案内を乞い、表向き至って落ち着き払って、人相見に対峙した。

「相を見て貰わんとて参った。」

と穏やかに言う――。

 人相見は、凝っと主人の顔を見詰める――。

「――御身の人相には格別変わった相はこれなし――されど、御身は――人相を見せに来られたのでは、御座らぬの――外に何か仔細があって来られたのであろう――そのように、相に現れておりますて――」

と言うが早いか、人相見はつっと席を立って、何かに促されるように店の表の方へ向かって鋭く目を向け、格子戸のところに男がいるのを見るなり、

「――!――さてもさても――これは不思議なること!――こちらへ! さあ、お入りになられよ!――」

と、あっけにとられたかの新発意を前に、店先に出た人相見は、その場で立ちながら男の顔を仔細に眺め、

「――御身は昨年の冬に拙者が人相を拝した御仁じゃが――本年夏迄には必ずお亡くなりになられる――と断言致いた――じゃが――命めでたく、今日(きょう)、ここに来られたこと――これは拙者の観相に誤りがあってのことか?――ともかく、内へ、お入りあれ!」

と、自ら座敷内へ伴い、座らせると、天眼鏡を取り出して、細部までじっくりと相を観る――主人と当の男は固唾を呑んで黙って見守っているばかり――。

「――去年見た折りと、さして違(たご)うところはない――ないが――もしや!――御身は人の命か、又は何か謂われのある大切な何ものかの命かを、助けたことがあったであろう!?――お語りあれかし!――」

と言い放った。されば主従合わせて大いに驚き、両国で女を助けたこと、その後(のち)の一部始終を詳しく語ったところが、

「――全く以って、その慈しみの心じゃ!――その心故、相が改まったのじゃ!――この上はもう命恙なきこと、請け合いじゃ!――」

と言うと、人相見は、両手を、ぱん! と叩いて、しきりに首を縦に振っては、一人感心していたという――。

 ――主人は大喜びで、男を還俗させ、再び手代に致いて、越後へ送ってやった、あの女子(おんなご)を呼び寄せると夫婦(めおと)と成さしめたことは――言うまでもない。

 この夫婦、今も、そのままに、二人幸せに暮らしておる、ということである。

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