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2010/01/25

耳嚢 一心の決處願ひ成就する事

「耳嚢」に「一心の決處願ひ成就する事」を収載した。

 一心の決處願ひ成就する事

 今世に行るゝ一切經の飜刻をせし僧は、晩學の禪僧にて、始は一向宗の寺僧成しが、或日檀家より娘の法事とて齋米(ときまい)を送りしを下女持參せしに、坊守(ばうもり)なる女右齋米を見て、能米也、殊に潔白なれば鮓(すし)の飯にいたし可然と言しを聞て、一向宗は無慙也と觀じて其席より出奔して上京しけるが、さて禪林に入て其譯を語り禪室の行を成せしが、何卒生涯に一切經を翻刻して誤りを糺し度由を師の坊へ願ひければ、側に聞し同寮の出家共、身に應ぜぬ大願とて目引袖引笑ひけるが、流石に師の坊はみる所ありしや、成就疑ひ有べからず、尤の願ひと答へける。夫より往來多き粟田口とやらの海道に立て、往來の者へ右經翻刻建立の譯を述て合力(かふりよく)を乞ひしに、一人の侍通り懸りしが、何程乞ひても挨拶もなく、やがて一里鈴もつきけれど見向もせざりしが、一里半程も附てひたすら合力を乞ひければ、扨々うるさき坊主哉とて、一錢を懷中より出し與へければ、難有とて殊外歡し故、右侍立歸り、はるばるの所附來(つききたり)一錢を悦び候心を問しに、今日大願のはじめ一錢を乞得(こひえ)ざれば我(わが)心信(しんじん)迷ひぬ、此一錢を得し故最早一切經成就の心歴然に思ふといひしが、果して日ならず一切經翻刻成就しけると也。

□やぶちゃん注

○前項連関:一念の信仰心が齎す奇瑞と成就で直連関。

・「今世に行るゝ一切經の飜刻をせし僧」「一切經」は釈迦の教説とかかわる、経・律・論の三蔵その他注釈書を含む経典の総称。大蔵経。その含まれる経典は時代や編纂者によって大きく異なる。さて、この主人公の「僧」であるが、底本注に、これは「近世畸人伝」にも逸話を載せる黄檗宗(おうばくしゅう)の僧、鉄眼道光(てつげんどうこう 寛永7(1630)年~天和2(1682)年)であるとする。以下、ウィキの「鉄眼道光」によれば、肥後国(現在の熊本県)の社僧の子として生まれ、『当初は、父の影響で浄土真宗を学んだ。出家(13歳時)の師は、浄土真宗の海雲である。が、本願寺宗徒では才徳がなくとも寺格の高下によって上座にあることを潔しとせず、1655年(明暦元年)隠元隆琦に参禅して禅宗に帰依し、隠元の弟子木庵性瑫の法を嗣いだ。後、摂津国難波村に瑞龍寺を開建』、本文にある通り、寛文4(1664)年に「大蔵経」翻刻を発願したが、一方で、『畿内の飢えに苦しむ住民の救済にも尽力し、1度は集まった蔵経開版のための施財を、惜しげもなく飢民に給付し尽くし』、そのこと『2度に及んだという』。『1667年(寛文7年)には全国行脚を行って施材を集めた。上述の事情によって、2度まで断念したが、3度目にしてようやく施財を集めることを得、京都の木屋町二条の地に印経房(のちの貝葉書院)を開設し、1668年(寛文8年)に中国明の万暦版を基に覆刻開版し、1678年(延宝6年)に完成させた。1,6187,334巻。後水尾法皇に上進した。この大蔵経は黄檗版大蔵経または鉄眼版と呼ばれている』、とある。底本注には『隠元禅師にまみえたのは二十六歳の時であるから、禅宗の修行についていえば晩学といってよい』とある。

・「一向宗」狭義には、鎌倉時代の浄土宗の僧であった一向俊聖(暦仁2(1239)年~弘安101287)年?)の教義に基づく浄土宗・浄土真宗の一派を指す。江戸時代には、幕府によって宗教的に同一系列にあるとされた一遍上人の時宗と強制統合され、「時宗一向派」と改称させられたが、ここでは、広義に江戸期に呼称された、浄土真宗(中でも特に本願寺派教団)を指すと考えてよい。

・「齋米」「齋」は、「食すべき『時』の食事」の意味で、寺院に於ける食事を言い、斎糧(ときりょう)として檀信徒が寺や僧に施す米のこと。

・「坊守の女」「坊守」は、本来は寺や僧坊の非僧・下位僧の堂守・番人のことを言うが、浄土真宗にあっては妻帯が認められていたため、住職の妻のことをこう呼称した。岩波版長谷川氏注には、鉄眼道光について、『最初一向宗僧で妻帯と伝える』とある。

・「一向宗は無慙也」浄土真宗は肉食妻帯を許すが、斎米を見て、僧の愛していた妻が、忌むこともなく鮓飯(これは鮎などを用いた川魚のなれ鮨を指すものと思われる)にしようと口にしたことに浄土真宗の破戒無慚に思い至って出奔したという設定で、典型的な発心禅機である。但し、底本で鈴木氏は、鐵眼は当初、『豊前永照寺の西吟について学んだが、西吟は臨済禅を真宗教義の解釈に取り入れたので、異義を以て弾圧されたため、鉄眼もここを去っ』て隠元にまみえた(先に掲げたウィキの「鉄眼道光」の廃宗の理由とは異なる記述である)のであって、『このような逸話は単なる語りぐさに過ぎない』と一蹴されている。にしても、私は面白いと思う。

・「粟田口」京七口の一。大津・山科を経て三条大橋に至る東海道の京への入り口で、現在の都ホテル付近から神宮道辺りに相当する。

■やぶちゃん現代語訳

 一心の覚悟によって願いは成就する事

 今の世に知られている一切経の翻刻をした鉄眼道光禅師は、晩年になって禅門に入った黄檗宗の学僧であった。

 当初、一向宗の寺の僧であったが、ある日、檀家より亡き娘の法要ということで、その家の下女が持参した斎米(ときまい)を彼の妻が見、

「いい米だわねえ! いかにも真っ白だから、なれ鮨の飯にするのに、もってこいだわ!」

と言うのを聞き、

――一向宗は誠(まっこと)無慚!――

と観じて、忽ち、その場から出奔、妻も宗旨も捨てて、京に上った。

 後、禅門を叩き、ここに至った仔細を語り、禅林に入って修行に励んでいたが、ある時、

「――我、生涯をかけ、一切経を翻刻致し――今行われて御座る経典の誤りを糺したく存ずる――。」

と師に願い出た。

 傍(そば)で聞いていた同学の僧どもは、身の程弁えぬ大願よ、と目配せ袖引きなんどして笑ったが、流石に、その師、彼の覚悟を見抜いた御座ったか、

「――承知! それ必ず、成就せざるべからず! 殊勝なる願(がん)!」

と答えた。

 ――その日のうちに、彼は人通りの多い粟田口とやら言う街道の入り口に立ち、往来の者へ、かの一切経翻刻建白の議を述べて布施を乞い始めた。

 始めた矢先、そこを一人の侍が通りがかった。

 ――彼が何度声を掛けても、その侍、見向きもせぬ。

 そのまま一里程も鈴をついて侍の後に縋り、ひたすら寄進を乞う。

 ――されど侍は見向きもせぬ。

 なおも一里半くっ付いて、ただただひたすら、寄進を乞う。

「……さても! 五月蠅い坊主じゃ!」

と、たった一銭、懐から取り出すと、彼に投げ与えて立ち去ろうとした――と――

「ああっ!! 有り難い!!!」

と、九死に一生を得たような、殊の外の喜びようである。

 行きかけた侍は、その異様なまでの喜びようを奇異に感じ、踵(きびす)を返すと、

「……遙々このようなところまで付き纏い、おまけに、たかだか一銭の喜捨に喜ぶとは――それ、何の謂いぞ!?――」

と問うた――。僧は、侍に深々と礼拝すると、

「――今日、大願発願(ほつがん)の初日――今日、一銭も乞い得ざらば、我が信心、迷道に入らむとす!――この一銭――この一銭得らればこそ、最早、一切経翻刻成就せる心、明白たらん!――」

と答えた――。

 ――果たして、日ならずして、美事、一切経翻刻を成就し得た、ということである。

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