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2010/02/07

芥川龍之介「上海游記」の「二十 徐家匯」の「十字聖架萬世瞻依」注訂正写真追加

芥川龍之介「上海游記」の「二十 徐家※」[「※」は「匯」の「氵」を(くがまえ)の左に(さんずい)として出す字体。]の明代末の暦数学者にしてキリスト教徒であった徐光啓の墓の十字架に書かれた銘「十字聖架萬世瞻依」についての注で、僕は、

「十字の聖架、萬世(ばんせい)瞻依(せんい)す」
と読んで、
「この聖なる十字架を永遠に仰ぎ尊ぶものなり」
の意味であろう。

とした後、

この「依」は「仰」の誤植か芥川の見誤りではあるまいかと感じている。「瞻仰」(せんぎよう)なら「仰ぎ見る・仰ぎ慕う」という熟語として一般的であるし、「仰」の字と「依」の字はよく似ているからである。この十字架は未だにあるのだろうか? 実見されたことのある方の御教授を乞うものである。

としていたのだが、この私の推測が誤りであることが判明した。その経緯と共に以下のように注を追加補正(誤りはそのまま示して自戒とした)した。

数日前、私の本テクスト注をお読みになられた上海在住の未知の方(以降F様と呼称させて頂く)から、以下のようなメールを頂戴した(御本人の許諾を得て、以下に一部を引用させて頂く。一部改行を追加・省略させて戴いた)。

   ≪引用開始≫

偶然貴方の文章に接する機会があり、その中で下記の文章への疑問を述べられておられましたので散歩がてら調べて参りました。

十字聖架萬世瞻依

の『依』が『仰』ではないかの疑問ですが正しくは以下の通りです。

十字聖架百世瞻依

です。違っていたのは『依』ではなく、『萬』が『百』でした。

『瞻依』は『敬い慕う』の意味で使われたと思われます。この公園は、周囲を散歩する人や、お年寄りの朝夕の太極拳や中国将棋などに利用されております。マテオ・リッチの銅像などもありますがそれらに興味を惹かれる人は少ないようです。以前は徐光啓記念館は入場が有料でしたが今年から万博に併せてか無料になりました。休日の閑消には最適です。

   ≪引用終了≫

まず私は先の注では、迂闊にも辞書を引かずに思い付きで書いていた。確かに、「瞻依」(せんい)という「仰ぎ見て、尊び頼る」の意の、即ち「瞻仰」とほぼ同義の熟語があった。

而して瓢箪からコマで、芥川龍之介が「百」を「萬」と誤っていた事実が判明した。私が誤った誤字推測をしたことから、F様が逆に別な誤字を発見されるに到り、結果としてこの注をより正確なものに止揚することが出来た。

加えて、F様は更に、徐光啓記念館に出向かれ、現在の様子を撮影して下さり、写真を送って下さった。そこには芥川龍之介が眺めた、この「天主堂の尖塔」「十字架」もある。御好意でその総てを芥川龍之介「上海游記」本ページの方に掲載させて戴いた(写真の著作権は総てF様にあるので無断転載・加工一切を禁じる)。写真は、

①現在の徐光啓記念館の入口の石門上の墓誌名。芥川龍之介が記している「煉瓦の臺座」にあったとする「墓誌名」と比較されたい。あれに更に皇帝の顧問役「光祿大夫」が附いている。

②「十字聖架百世瞻依」の十字架。この写真をフレーム・アウト、背後の建物を消去、背景は一面の麦畑、5月、十字架下に芥川龍之介と3人をあなたがシャッターを押す――「不自然なる數秒の沈默」――。

③現在の徐光啓の墓。日本の古墳のような感じとF様のメールにある。独特の形状であり、かくあったならば芥川一行の目に触れなかったとは(更に、随行した現地の他の日本人が知らなかったとは考え難い。しかし、「墓は別にあつたのでせうか?」と芥川らしき「甲」が訊ね、それに「乙」が「さあ、さうかと思ひますが、――」という甚だ心もとない返事をしているところをみると、この墳墓は当時、崩れていて、麦畑の一角でしかなかったのかも知れない(写真中に人物が写っているがF様とは無関係な方である)。

④徐光啓記念館徐光啓胸像。

⑤徐光啓記念館内庭園にある、徐光啓がマテオ・リッチから「幾何学原論」の教授を受けるの像。新しいものであろうが、教えを受ける論理的な内容に比して、二人の妙に優しい視線の交差が何ともよい。

の5葉である。是非、写真を芥川龍之介「上海游記」ページで御覧あれ。

そして、

何よりこのような御教授を下さり、そのための御写真まで撮って送って下さったF様に、心より感謝御礼申し上げます。

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